設問44 「解離性幻聴」といわれるものと、統合失調の幻聴との違いを説明してください。
回答 「解離性幻聴」とは、自己から切り離された人格の声を、自己自身が聞くことを意味する。「捕食者的存在」といった、明らかに他者的な存在による声を聞く、統合失調の場合とは異なる。ただし、自己から切り離された人格も、抽象的なものではなく、霊的領域に生み出された具体的な存在と解され、その意味では、「他者的な存在」としての性質は備えていると言うべきである。
両者の見分けは、簡単ではなく、混交する部分もあるが、自己の一部という面は直感的にも感じられることで、明らかに他者的なものが、継続的に、解体をもたらすほどの強烈な攻撃を仕掛けてくる場合とは区別できる。
解説 設問25や29で触れたように、精神医学的には、「統合失調」と似た状態として「解離」というものがあります。「統合失調」はかつて「分裂病」と言われたように、「解離」ということと、概念上も重なるようにみえます。
しかし、「解離」というのは、「ストレスによって、意識と知覚・記憶が分断される」ことを意味するもので、「統合失調」のように、人格または思考・感情が全体として「分裂」する(統合を失う)といったものではありません。誰でもが経験することであり、全体としての「自己」を防衛するために、必要なことでもあります。
典型的には、受け入れ難い記憶が現在の意識から切り離されるということがあります。特に、虐待を受けた場合には、必然的にそのようなことがなされることが多くなります。
ただ、「解離」も何度も繰り返されたり、酷いものになると、日常的な社会生活に支障をきたすような「病理的なもの」になり得ます。精神医学的には、「解離性障害」と言われます。典型的には、「二重人格」や「多重人格」と言われるものがあり、「解離」された自己が、それ自体の人格をもって振舞うようになるものです。しかも、本体である自己とは切り離されて互いに交流ができないのが普通ですから、統制がされないものとなり、社会生活上も大きな問題を生み出します。
但し、その場合でも、「統合失調」の場合と大きく違うのは、その者の本体の人格にしても、切り離された人格にしても、それらはそれなりにまとまった人格を持って振舞っているということです。統合失調のように、それらの人格そのものが、全体として分裂し、壊れかかっているといった印象は与えません。
そのような本体の意識から切り離された人格の「声」を、本体の意識が聞くということがあります。それが「解離性幻聴」で、統合失調の「幻聴」と似た現象になります。
しかし、説明して来たように、明らかな「他者」の声を聞く統合失調の場合と違い、「解離性幻聴」の場合は、自分の意識から切り離された自分の一部の声を聞くのですから、どこか親しみがあったり、明らかな他者という感じで迫って来るものとは異なります。攻撃的なことを言いかけて来ることはあるでしょうが、その場合でも、それで自己が全体して危機に陥るといった感じにはならないのです。
ただ、「解離」は大した問題ではないというのではなく、「解離」にはまた、「解離」独自の難しい問題があり、意識とは何か、人格とは何かという、本質的な問題をも提示します。
また、統合失調の場合、「統合失調」という病気があってそのような状態をもたらすのではないように、「解離」の場合も、「解離」という病気があって、そのような状態をもたらすのではないことは重要です。両者には、私の場合もそうでしたが、十分重なる部分があり、混交があり得るのです。精神医学がよくやるように、「統合失調」か「解離性障害」かという、(病名の)選択の問題ではないのです。
(さらに、精神医学では、統合失調の幻聴の場合も、結局は、自分自身が生み出したものを聞いているに過ぎないと解するのが普通です。そうすると、表面上どのように言おうと、「解離」の場合との本質的な違いなど、明らかになるはずがないということになります。)
このブログでは、「統合失調状況の本質」を明らかにすることを意図していますので、ここでは、統合失調の本質に関わる点のみを簡単に述べることにします。
設問25でみたように、この「解離性幻聴」の「声」をもたらす切り離された「人格」も、抽象的なものではなくて、具体的に、実体として、「霊的世界」に存在しているものと解されます。それは、「想念形態(エレメンタル)」とか「霊的鏡像」と呼ばれます。それらの存在が、他者のもとに現れれば、「生霊」ということになりますが、「解離性幻聴」の場合は、それが自己自身に現れ出ているのです。
ただ、それらは、「捕食者的存在」のような、明らかに「他者」的で攻撃的な存在ではないので、統合失調の場合のように、継続的に強力な影響を与え続け、いずれ解体をもたらすほどの危機的な状況ではないということです。
対処の仕方としても、統合失調のように、「抜け出す」とか「くぐり抜ける」ということではなく、切り離された人格を自己が生み出したものとして受け入れ、全体として「統合」を図るようなことが必要になります。その過程では、「解離」をもたらしたものとして、自己が受けた「虐待」によるトラウマと向き合うということも、必要になるでしょう。
また「解離」には、設問29でみたように、さまよえる人間の霊による「憑依」と類似するという問題もあります。ただ、精神科医小栗康平が言うように、「憑依」の場合は、その者とは別の人格が取り憑いて表面に出ているので、対話を重ねるなどの方法で、他者的な存在であることが分かることが多いものです。
何しろ、「解離」は、このように統合失調と似た面がありますが、本質的には、統合失調とは異なったものです。しかし、統合失調の本質を理解するうえでは、一通りのことを知っておくことが重要です。
なお、「解離」および「解離性幻聴」については、ブログ『狂気をくぐり抜ける』の記事『「解離」について』や『8 「解離性幻聴」との相違』などでも述べられていますので、参照ください。
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