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2024年10月

2024年10月31日 (木)

設問24 「共時性現象」のほかに、「共時性現象」とは言えないものが、「関係妄想」の理由となるというのは、どういうことですか?

回答 2つの場合がある。1つは内心にあることと関わるような、幻聴の「声」を聞いて、それを目の前にする人間が発したものと受け止めることによって、「共時性現象」が生じたのと同じ受け止め方をする場合である。もう1つは、何らかの存在が、意図して、「声」だけでなく、人や物を操作するなどして、共時性現象が生じたかのような「演出」をする場合である。

いずれも、本来の共時性現象と同様、あるいはそれ以上に強力に作用し、関係妄想を強化することにつながる。

解説 前回言ったように、ユングが言う意味での「共時性現象」とは言えないような、いわば「疑似共時性現象」も、「関係妄想」の大きな理由となります。それも、統合失調状況では、前回みた、「共時性現象そのものが関係妄想のもととなる」場合と、同じかそれ以上の影響力があります。

これには、次の2つの場合があります。

1つは、幻聴の「声」を聞くことによって、実際には、「共時性現象」とは言えないような現象が、「共時性現象」であるかのように本人に影響する場合です。あるいは、「共時性現象」であるかのように「演出」されるという場合もあります。

その意味では、次の2つ目のものとも重なりますし、また、本当の「共時性現象」と、もはや区別しがたく、絡み合って起こることもあるので、厄介です。

たとえば、次のような例が想定できます

統合失調の者は、通りすがりの者など他者の「声」を聞くことが多いわけですが、その他者の「声」は、これまでみて来たとおり、何らかの意味で、自分の内心にあることと関わることを言ってくることが多いです。

たとえば、ある者が、それまでの経緯から、「何らかの組織が関係しているのではないか」という疑いを内心にもっているとします。すると、誰か他の者が、「CIA」という言葉そのまま、または「秘密の」とか「恐ろしい集団」など、それを暗示するような言葉を発するのを聞くのです。それは、本当に、その言葉を発しているのであれば、まさに一つの「共時性現象」と言えますが、幻聴の「声」として聞いた場合には、「共時性現象」そのものとは言えません。

しかし、繰り返し述べるように、そのような幻聴の声は、ただの「幻」ではなく、実際に存在するものです。それが、どのようにして作られるかについては、様々な場合があり得ますが、実際に、何らかの存在が、そのような「声」を(物理的ではない次元で)発しているという場合も、多いのです。そして、その場合には、その存在は、その者の内心にあることを「読んだ」うえで、言ってくることが多いのです。

その存在の意図としては、初めから、「関係妄想」に陥らせようとして「共時性現象を演出」しようとする場合もあれば、その場における、一種の「悪戯」に過ぎない場合もあります。(どのような存在がおり、どのように関わるのかは、後に説明することになりますが、ここでは、以上のことを一応押さえておいてください。)

しかし、「声」を聞いた本人は、そのようなことには考えが及ばず、「声」を目の前にする人物から発せられた物理的な声だと受け止めることが多いのです。そうとすると、それは、一つの「共時性現象」を受け取ったのと同じことになります。それで、まさに、前回みたような、その「共時性現象」を受け止めるときと同じような歪みを生じ、「関係妄想」のもととなるような解釈がされてしまうことになるのです。多くの場合は、それを因果的に捉えてしまって、本当に「組織の者が自分につけまとっているから、このようなことが起こるのだ」と解することになります。

しかし、いずれにしても、このような状況で共時性現象が起こりやすいのは確かなので、それが、何らかの実際の共時性の現象によって補強されたり、あるいは、実際には、共時性現象と区別しがたく、絡まり合って起こっているような場合もあり得ます。そうして、「組織に狙われている」という「妄想」が、厄介にも、強化されてしまうのです。

「妄想のもとには幻覚がある」ということは、設問20で既に説明しましたが、ここでは、さらに「共時性現象」ということを介在させて、具体的に説明したものと受け止めてもらって結構です。

次に、2つ目として、何らかの存在が、意図的に、「共時性現象を演出する」という場合があります。

これについては、1つ目の場合以上に、どのような存在が、どのように関わるのかを述べないと、理解しにくいでしょうが、ざっと、このようなこともあるということを説明しておきます。

1つ目の場合で述べたように、これらの存在は、人の内心にあることを読むことには長けているので、それに関連することを「声」として発することは、簡単なことなのです。そのような「声」を通して、意図的に共時性現象として「演出」をするというのが、一つの場合です。

しかし、これらの存在は、単に「声」として共時性の現象を演出するだけではありません。たとえば、本人が、内心に、「組織に狙われている」というような疑いを持っている場合に、いかにもその組織の人間と思えるような人間をその者と関わらせたり、車その他のもので、いかにも「組織」のものに思われそうなものを目につけさせるなど、それと関わる現象をその者の周りに演出するようなことも、できるのです。

そのような存在が、特に関わらなければ、それは「自然に」起こった共時性現象と言えますが、これらは明らかに、共時性現象として意図的に「演出」されたものです。

人や物質的なものの「操作」を含むので、人間には、理解しがたいことかもしれませんが、これらの存在は、人間のいる次元を超えた(特に時間ということに関して)存在として受け止めれば、理解できないことではありません

たとえば、平面を超えた三次元空間にいる人間が、平面の二次元空間にいる蟻に、共時性現象を演出できるかということを考えてみます。人間は、蟻の内心は読めないかもしれませんが、蟻は、三次元空間を認識しないので、三次元空間から干渉することで、ある蟻をある蟻に近づけるなど、蟻にとっては、偶然を超えた共時性現象としか考えられないことを演出することはできるでしょう。

比喩的に言えば、それと同じようなことを、これらの存在は、人間に対してなしているということです。

いずれにしても、このような演出は強力なもので、印象も強く、その恐怖も大きくなります。それで、自然の共時性現象の場合以上に、「妄想」を強化することにもなってしまうのです。

「共時性現象」について知るというだけでなく、このような存在について、いくらかでも知るということがないと、なかなかそのような現象を脱け出すことは難しいでしょう。

いずれ、これらの存在については、まとめて述べることになりますが、このような場合が、(おそらく予想以上に多く)あることを、押さえておいてほしいと思います。

2024年10月28日 (月)

設問23 「共時性現象」が「関係妄想」に結びつく理由を説明してください。

回答  統合失調の者は、これまでみて来たように、未知の恐怖の感情のもとにあるので、自分と関わる「共時性現象」が起こると、それを否定的に、自分に対する攻撃的なものと受け止めやすい。さらにそのような否定的な受け止め方自体が、現象にも反映されて、内心の恐怖に関わる出来事をさらに継続して呼び寄せることになる。そうして、悪循環的なループにはまって、抜け出せなくなるのである。

このようなことは、共時性現象を、非因果的なものとみないで、因果的に解釈してしまうと、さらに強化される。

解説   「共時性現象」が「関係妄想」に結びつく理由については、3つのことが考えられます。しかし、そのうち2つは、実際には「共時性の現象」とは言えないものだったり、他の存在に「演出」されたもので、典型的な「共時性現象」とは言い難いものです。

そこで、今回は、実際に、共時性現象が起きており、それを本人が、恐怖の感情から、自分に対する攻撃的な意味合いのものと受け取ってしまう場合のことを説明します。特に、共時性の現象は、「共時性の原理」が働いたもので、非因果的なものなのに、それを因果的に解釈して受け取ってしまうと、このようなことが起こりやすいのです。

前回述べませんでしたが、ユングは、強烈な情動も、普遍的無意識を巻き込んで、活性化させる理由になると言っています。統合失調の者は、自我が揺らぎ壊れかかっているだけでなく、未知の状況にあることの恐怖からも、普遍的な無意識を活性化させやすく、その活性化された元型的イメージに「意味」的に関わる出来事を、呼び寄せやすいのです。

そして、前回みたように、このような共時性の現象は、その現象をどのように受け止めるかによって、本人に対する影響力や、現象そのものにも変化が起こります。

統合失調の者は、恐怖の感情から、そのような現象を否定的に、自分に対する攻撃的なものと受け止めやすく、さらにそのような受け止め方自体が、現象にも反映され、自分の恐怖に関わる出来事を、さらに継続して呼び寄せることにもなるのです。そのような悪循環的なループにはまってしまい、抜け出せなくなるということです。

最も典型的な場合として、次のような例が想定できます。

たとえば、初めは、自分の思っていたことや、それと関連することが、外界にも何らかの形で現れ出るような、ちょっとした共時性の現象を体験します。思っていた(普通は、内心の恐怖や不安に関わる)ことと関連するような人と出会ったり、それが新聞やテレビの報道などに現れ出るなどのことです。(他人が、そのようなことを「声」として言いかけて来る場合は、次回にみる2つ目の理由になります。)

全体として、世界の不気味な変化を感じとっている統合失調の者は、そのようなちょっとした現象も無視することができず、恐怖の感情を募らせ、何か大きな「何ものか」が、自分を陥れるような攻撃を仕掛けているように感じ取ります。そして、そのようなことが頻発するようになると、それを埋めるものとして、いずれ、何かの「組織」のようなものが、自分を付け狙っているというような、「(迫害的な)妄想」を結着させることになります。

そうすると、その強い恐怖と結びついた「妄想」は、その内容に沿うような現象をも、さらに共時性現象として呼び寄せることになるのです。

たとえば、まるで「組織の者」と思えるような、不審な、あるいは黒ずくめの格好をした人物や車などと、とても偶然とは思えない仕方で、遭遇することが多くなるのです。

そうすると、そのような出来事が、さらに自分の「妄想」を「間違いないもの」として強化することになり、さらにその「妄想」と関連する共時性の現象を呼び寄せることになります。

実際に、共時性現象という、ちょっと普通では考えにくい出来事が起因となっているので、統合失調の者の、何か尋常でないことが起こっているという感覚は増し、その恐怖も強力なものとなっています。それで、それを埋める「妄想」というのも、どうしても、普通は考えられないほど、尋常でないものでなければならなくなるのです。

さらに、このような「妄想」は、「共時性の現象」は、非因果的なものなのに、それを因果的に解釈して受け取ってしまうと、さらに強化されることになります。

たとえば、内心に思っていたことと関わるようなことが、新聞またはテレビの報道に現れ出たという場合を想定します。

これは、ただの偶然と考える人が多いでしょうが、内心の「意味」と関わることが、非因果的に呼び寄せられて、共時性現象として起こったとも十分考えられます。しかし、これを、「自分が内心に思っていることを、新聞なりテレビのメディアが知っている<から>、意図的に起こし得た現象」という風に、因果的に解釈してしまうと、信じ難いほど恐ろしい、否定的な意味合いを帯びてしまいます。すると、「何か巨大な組織が、自分を付け狙っているため、テレビや新聞まで動かして、自分に攻撃を仕掛けて来た」と言うような、普通はあり得ざる「妄想」を形成したとしても、不思議ではなくなるのです。

我々は一般に、そもそも共時性の現象などを、ほとんど知らないか、知っていても認めないという場合が多いことでしょう。また、近代社会の中では、時間の中における「因果律」のみが世界を理解する唯一の原理であるかのように教わっているので、このような現象に出くわしたときには、因果的な捉え方しかできないということにもなるのです。

だから、このようなことは、決して他人事ではなく、統合失調の場合でなくとも、何らかの悪しき影響を及ぼす可能性があるので、共時性の現象とその受け止め方の基本については、多くの人に知っておいてほしいと思うのです。

前回引用した河合隼雄は、このように、共時性の現象を因果的に捉えてしまうと、「魔術的因果論」という疑似因果論に陥り、「迷信」または「魔術」的な発想になってしまうと言います。

前回例としてあげた、「ある者の茶碗が割れたそのときに、その者の死の知らせを聞いた」というような場合は、「ある者の茶碗が割れた<から>その者が死んだ」というような受け止め方が、因果的な捉え方になります。そして、さらにこれは、「その者の茶碗を割れば、その者を死に至らせることができる」というような、とんでもない「呪術」的な発想に結びつくことにもなります。

共時性の現象は、因果的なものではなく、共時性の原理の働きなので、起こった外界の出来事に囚われるのではなく、活性化された内心の無意識に目を向けて、それを冷静に受け止めることが重要なのです。(『狂気をくぐりぬける』の記事『「共時性」と「魔術的因果論」』参照)

以上述べて来たことによって、統合失調的な反応には、いかに「恐怖」という感情が作用するかを、改めて認識することになると思います。恐怖という感情が、「現実」を作り出すことにおいて、いかに「恐ろしい」ものかということについては、『狂気をくぐり抜ける』の記事『「恐怖心」が引き寄せる現象』でも、まとめて述べていますので、ぜひ参照ください。

 

2024年10月21日 (月)

設問22 「関係妄想」のもとになるという「シンクロニシティ(共時性)」について説明してください。

回答 「シンクロニシティ(共時性)」は心理学者ユングの提唱した概念で、「意味的に関連する出来事が同時的に起こる現象」のことである。「意味のある偶然の一致」などとも言われる。

心の深層にある普遍的無意識は、共時的に物質的なものと結びついているので、普遍的無意識が活性化されると、その「元型」的なイメージや象徴的な意味と関連する外界の出来事が呼び寄せられて、同時的に起こることになるのである。

統合失調状況でも、普遍的無意識は活性化されるから、このような現象が起こりやすいことになる。

 

解説 「シンクロニシティ(共時性)」は心理学者ユングの提唱した概念で、「意味的に関連する出来事が同時的に起こる現象」を意味します。「意味のある偶然の一致」などとも言われます

誰かのことを考えていたら、ちょうどその人から電話が来たとか、誰かの茶碗が割れたそのときに、ちょうどその人が死んだという知らせを受けたなどということは、割と誰でも経験することだと思います。そのような現象は、「因果的」に考える限り、説明がつかないので、普通は、ただの「偶然の一致」として済まされてしまうでしょう。

ところが、自分でもいろいろな超常現象を体験していたユングは、そのような現象は、確かに存在し、因果律とは別の原理である、「共時性の原理」が働いたものみて、重要視したのです。因果律は、時間的な観点から、ある原因がある結果に結びつくという原理ですが、「共時性の原理」は、(因果的には結びつかないが)意味的に関連する出来事が、同時的に起こるという現象です。

ユングは、臨床の場面でも、よくこのような現象に出会っていたのですが、その代表的な例として、患者が、治療の神とされるエジプト神話に出てくる黄金虫の夢を見て印象的だったという話をしていたちょうどそのときに、部屋の窓をその黄金虫に似た虫がコンコンとたたいて2人を驚かせたというのがあります。その患者は、その体験が強く印象に残って、以後治療が非常に進んだということです。

フロイトは、意識の奥に、意識が(抑圧して)気づいていない、個人的な無意識の層があるとしましたが、ユングは、個人的無意識のさらに奥に、人類に共通する「普遍的(集合的)無意識」という層があるということを提唱しました。その「普遍的無意識」には「元型」というパターンがあって、「普遍的無意識」が活性化すると、その「元型」が生み出す様々なイメージや象徴が、意識に現れ出ることになります。それらは、個人的なものを超えた、「神話」的象徴や「宗教」的な象徴をももたらします。それが、人類の神話や宗教の共通性の基礎になっているとするのです。

またユングは、分裂病(統合失調)というのも、このような元型的なイメージが意識に(洪水のように)現れ出て、それに翻弄されている状態だとしたのです。これは重要な視点なので、後にまたとりあげることになると思います。

さらにユングは、普遍的無意識は、「物質的なもの」と「共時的」に結びついているため、単に心の面だけでなく、物質的な面にも影響を与えるものとしました。従って、普遍的無意識が活性化されて生み出された、元型的なイメージや象徴的な「意味」は、それと関連する外界の出来事をも呼び寄せ、同時的に起こさせることにもなるのです。それが、共時性の現象です。

ユング派の臨床心理学者として日本の第一人者であった故河合隼雄は、これらのことを、次のように説明していますので、あげておきます。(『宗教と科学の接点』(講談社学術文庫)より)

「朝が来ると相互には因果的連関をもたぬ事象があるまとまりをもって生じるように、ある元型が活性化されるとき、因果的に連関をもたぬ事象があるまとまりをもって生じると考えられる。たとえば、死の元型が活性化されると、その当人の死のみではなく、その人の愛していた時計が止まる、彼の知人が彼の死の夢を見る、などと因果的には説明できぬ事象が連関して生じる。このような考えによって、非因果的連関の事象をユングは説明しようとした。」

「テレパシー」や「透視」、「サイコキネシス」なとの「超常(超心理)現象」も、何かの情報が因果的に伝わることによるのではなく、「共時性の現象」ということになります。また、面白いことに、ユングはいわゆるUFO、すなわち空飛ぶ円盤も、このような共時性の現象の一種とみました。UFOは、(必ずしも物質的なものとはしませんでしたが)普遍的無意識との関連で呼び寄せられた現象であり、そこには、現代人の普遍的無意識を反映する、神話的象徴的な意味があるとしたのです。

このような共時性の現象は、それを体験者がどう受け止めるかということが、ひとつの重要なポイントとなります。たとえば、多くの人がするように、それをただの偶然の出来事として受け流せば、それはただの一時的出来事で終わる可能性が高いです。しかし、それを意味のあることとして受け止め、引き受けて行くと、そこに主体的なコミットメントも生じて、それが普遍的無意識にも影響し、現象自体にもさらに反映されることになります。

先のユングの患者の例でも、その出来事を、神話と関連する肯定的なイメージで受け止め、引き受けたために、治療が進むような肯定的な結果に結びついたと解されます。逆に、このような現象を、否定的な兆候とみたり、恐れをもつだけのこととなれば、そのような見方ないし反応は、普遍的無意識にも影響し、現象を否定的なものとして繰り返させることにもなったでしょう。

私なりに、ざっと説明しましたが、「共時性」については、先に引用した河合隼雄がよくとりあげ、分かりやすい説明をしているので、それを参照にされるとよいでしょう。引用した『宗教と科学の接点』(講談社学術文庫)では、1章をさいて、かなりまとまった説明がなされています。

また、私のブログ『狂気をくぐり抜ける』や『オカルトの基本を学ぶ』でも、共時性の現象には多く言及されています。特に、『狂気をくぐり抜ける』の記事『「共時性」と「魔術的因果論」』や『「シンクロニシティ」と「ビギナーズ・アンラック」』、『「シンクロニシティ」とその「演出」』など、さらに『オカルトの基本を学ぶ』の記事『「共時性(シンクロニシティ)」-概観と重要性』から『「共時性現象」の受け止め方』までが、この問題を主題としてとりあげていますので、参照ください。

さて、みて来たように、ユングは、「共時性の現象」を、かなり特別で意味深いものとして、捉える傾向がありました。普遍的無意識との関わりで起こるものなので、個人を超えた面があり、「意味において関連する出来事」と言っても、その「意味」とは、単純な(個人な)意味ではなく、神話的象徴的な意味合いのものです。

しかし、「共時性の現象」は「心」と「物質」が「共時的に結びついて起こる」のである以上、我々が思っている以上に頻繁に起こっていると解されます。人生上の出来事や、ギャンブルなどでははっきりと現れる、「運」と呼ばれるものも、まさに「共時性の現象」で、それをどう受け止めたかが大きく影響することになります。「占い」といわれるものにも、決して根拠がないわけではないことになります。

そして、重要なことは、先に見たように、統合失調(分裂病)的な状況は、「普遍的な無意識」をさまざまに活性化させるので、「元型」的なイメージを賦活させ、「共時性の現象」を生じさせやすいということです。

前回みたように、統合失調状況に入ると、「未知の状況」が開かれて、「自我」または「自己」が揺らぎ、壊れかかることによって、自他の境界が曖昧となります。そして、自我の抑制が外されて、個人的無意識だけでなく、普遍的無意識をも活性化させることになります。また統合失調状況は、「死」を差し迫ったものとして間近に意識させるので、河合隼雄の引用にもあったように、「死の元型」を活性化させ、それに関わる共時性の現象を起こさせやすくします。

さらに、統合失調状況は、一時的なものではなく、持続的なものであるため、このような現象も、続けて、頻繁に起こりやすいのです。

それらの現象は、ユングが言ったような「意味深い」現象ばかりでなく、ある意味どうでもいいような、あるいは恐れをもたらすような、否定的な意味のものも多く起こることになります。さらに、これは、統合失調状況で働きかけて来る存在について述べないと分からないでしょうが、一種の悪戯のようにして、「共時性の現象」を「演出」する存在もいるのです。

統合失調の者は、そのような現象の受け止め方に慣れていないため、ただ恐れを抱いたり、歪んだ受け止め方をしてしまい、それが先にみたようにさらに現象にも反映されて、共時性の現象自体を否定的なものとして繰り返し起こすことになってしまいやすいのです。

それらが、統合失調の者の混乱を招き、あるいは「関係妄想」にも結びついてしまうわけですが、それについては改めて次回述べることにします。

 

2024年10月17日 (木)

設問21 「関係妄想」についても、なぜそのようなことが信じられてしまうのか、具体的に説明してください。

設問21  統合失調の初期に生じやすく、多くの妄想の基礎にあるという「関係妄想」についても、なぜそのようなことが信じられてしまうのか、具体的に説明してください。

回答 「関係妄想」が信じられてしまうことの理由については、3つの面から捉えることが可能である。

1つは、前回みたように、その妄想の基礎には、実際に存在する幻聴の「声」があるということである。2つ目は、統合失調状況では、「自我」または「自己」が揺らぎ、崩れそうになることによって、「自他の境界」が曖昧になるということである。そこで、自己と世界との区別が失われ、世界のことごとくが、自己と関係しているような感覚が生じて来るのでる。3つ目は、統合失調状況では、ユングの言う「シンクロニシティ(共時性現象)」が、起こりやすいということであるが、これについては次回とりあげる。

 

解説 設問19でみたように、「関係妄想」は、「周りの人々が何かささやいている話とか、自分の周りで出くわす出来事などが、いちいち自分と関わっているように感じられる」というものです。統合失調状況に入る初期の頃に広く生じやすく、また、「関係妄想」はそれ自体が、様々な妄想の基礎にもなります。このように、とても重要なものですので、これについても、なぜこのようなことが信じられてしまうのか、具体的に知っておくことは重要です。

このようなことが信じられてしまう理由は、次の3つの面から捉えることができると思います。

1つ目は、前回もみたように、妄想一般について言えることですが、妄想が築かれる基礎に、本当に存在する幻聴の「声」があるということです。

たとえば、通りすがりの人など、多くの人が自分に非難や嘲笑の声をかけて来るとなると、自分が目にする他人の言動が、いちいち自分に関係していると疑ったり、感じるようになったとしても不思議はないでしょう。

さらに、幻聴の声が意識されていない場合でも、無意識の領域では声が聞かれていて、意識に影響を及ぼしているような場合は、声をかけて来るとは思わなくとも、何か他人が自分を気にし、注察しているような感覚に陥ってしまいやすいのです。これは、「関係妄想」とまでいかなくとも、その前段階の「妄想気分」のような、疑いの気分を生じさせることになります。

しかし、「関係妄想」は、他人の言動だけに関わるものではありません。自分の周りで起こる出来事や現象などが、ことごとく自分に関係しているように感じ、あるいは自分に向けられた攻撃のように感じてしまうことにもなるのです。そうなると、この妄想も、他の人には、とても信じがたい「了解不能」のものと感じられることになるでしょう。

それは、妄想自体が誇大化した結果という面もありますが、新たに生じた面にもよっています。

それが、2つ目の理由で、統合失調状況では、「自我」あるいは「自己」というものが、大きく揺らぎ、崩れそうになることによって、「自他の境界」が曖昧になるということが起こります。言い換えると、自己と世界を区切る境界が揺らぎ、あるいは外れて、互いに「融合」するかのような感覚に陥るのです。

人類学者レヴィ・ブリュールは、「未開社会」の思考法は、自他の区別のない同一性の視点に立つ、「融即」の法則に従うということを言いましたが、まさに、統合失調状況はそれと似たような状況をもたらすのです。

これは、統合失調になる人は、元々「自我」または「自己」が脆弱であるということにもよりますが、攻撃的な声に常にさらされていることや、そもそもそれまでの「現実」とは異なる、「統合失調状況」(私は、「霊界の境域」に入ることという言い方もしましたが)に入ることで、必然的に起こることでもあります。

近代人の言う「自我」または「自己」というのは、あくまで、近代社会の常識の中で、「物質的な世界」との関係で築かれて来たものだからです。そのような「未知の状況」が開かれて来たときには、そのようなものは、もはや機能しなくなるのです。

何しろ、そのような状況では、他人の言動だけでなく、それまではある距離とか壁で隔てられたていたと感じられた、世界との距離や区別が一気に縮まり、それらが自分と別でないような、あるいはいちいち自分と関係しているような感覚に陥るのです。

前回みた、「つつぬけ」や「さとられ」あるいは「させられ体験」というのも、このように、自他の境界が揺らぎ、互いに浸透するかのような状況に陥ったことが影響しています。自分の中にあるはずものが、自分の外に漏れ出したり、自分の外にあるはずのものが、自分の中に侵入してくるような感覚が起こるからです。あるいは、自分の行動も、自分が起こしているのではなく、外から他者によって起こされているという風に感じることにもなります。

このような状況は、精神医学では、当然ながら、「自我障害」とか、「解体症状」などと呼ばれて、「病理的なもの」とみなされています。

しかし、これは、それまで世界との区別をもたらしていた、「自我」あるいは「自己」というものが、揺らぎ、取り払われることによって、元々のいわば「生の現実」が姿を現したものという風に捉えることもできます

実際、レヴィ・ブリュールも言うように、未開社会だけでなく、近代以前の社会では、多かれ少なかれ、このような世界との「繋がり」とか「関係」というものが、普遍的に認められていたのです。スピリチュアルの方面では、すべてのものの本質的な一体性、あるいは繋がりを意味する「ワンネス」などとも言われます。

だから、それは単純に「病的」あるいは「誤った」認識とは言えないのですが、やはり、統合失調の場合、恐怖や混乱から、そこに、様々な「歪み」をもった「解釈」を施してしまうということが言えます。

本来、誰もが、そのような「繋がり」や「関係」を持っているものであるにも拘わらず、自分だけが特別に世界と関係しているとか、全てのものが、自分を攻撃して来るかのような、否定的なものとして感じとってしまうということなどです。

従って、ある種の「真実」は含みつつも、その「解釈」は、やはり他の「妄想」一般と同じように、歪みをもった、「誤った」ものということにならざるを得ないのです。

繰り返しますが、統合失調の者も、それまで近代社会の常識の中で、「自我」または「自己」をもって「世界」と対峙していたのが、急に、そのようなものが外され、あるいは外れそうになっていることから、全くなじみのない未知の状況を招き、大いに混乱し、恐怖しているということの理解が必要です。

最後に、3つ目の理由は、2つ目のものとも大いに関連しているのですが、ユングの言う、「シンクロニシティ(共時性現象)」が、統合失調状況では起こりやすいということがあります。

これについては、多少入り組んだ説明が必要であるとともに、とても重要なものなので、次回改めて説明することにします。

2024年10月12日 (土)

設問20 「妄想」の基礎には「幻覚」があるということですが、なぜこれほど尋常でない「妄想」が信じられてしまうのか、具体的に説明してください。

回答 「妄想」の基礎には、実際に存在する「幻覚」があるのだが、本人自身も、恐怖のため、そのような「未知の状況」を認めることができず、これまでの自分の体験世界の延長上に、自分なりに納得できる解釈を、築き上げようとする。それは、周りの者にとっては、明らかに「間違い」のものだし、実際に無理や飛躍に満ちたものとなる。しかし、本人にとっては、唯一取り得る「解釈」なのであり、揺らぐことのないように、確信される必要があるのである。

統合失調の「未知の状況」には、そのようなことを促すだけの、強烈な「恐怖」があるということである。

 

解説 前回みたように、本当に、統合失調の妄想は、周りの人が、一見して「あり得ない」と思うことを信じ込んでしまっているのです。周りの人が、理解に苦しみ、「了解不能」とされてしまうのも、当然のところがあります。

精神科医木村敏は、統合失調は、「共通感覚の病」ということを言いますが、「共通感覚」というのは、いわゆる「常識」ということ以前に、人々の間で共有されている「感覚」で、根源的なものです。統合失調の「妄想」は、ただ「常識」に照らして「あり得ない」というだけではなく、何か、もっと根源的、本能的に、「共有」することが不可能と思わせるような、「感覚」のレベルからの「相違」と「違和感」を人々に抱かせるのです。

恐らく、多くの人は、自分はどういう状況になったとしても、そのようなことを確信して行動してしまうことなど考えられない、と思うことでしょう。

そのような、「了解不能」さや、「感覚」レベルでの「相違」や「違和感」を埋めようとするのが、精神医学の「病気」という観念です。「病気」ということで、その「溝」を埋めて、「分かった」気にさせるものですが、しかし、実質的には、それで何も理解できたことにはならないばかりか、真の理解への道を閉ざすだけのことです。

一般に、精神医学では、「幻覚」も「存在しないもの知覚」、「誤った知覚」とされているので、「幻覚」そのものについて、踏み込んで探究することも、「妄想」の基礎となるということに、特に着目することもありません。「幻覚」にしろ、「妄想」にしろ、いずれにせよ、「間違った」ものであることが明らかなものなので、互いの関係などに踏み込むことには、意味がないと思われているからです。

しかし、これら一見して「あり得ない」妄想の基礎には、本当に存在する「幻覚」があるということを顧慮したときのみ、その理由が見えて来るのです。

たとえば、最も典型的な妄想である「組織につけ狙われる」という場合を考えてみます

設問7でみたように、その人は、通りすがりの人など、自分と関わる他人が、自分を非難したり、嘲笑してくる「声」を聞いているという場合が多いです。そうでない場合も、前回みたように、通りすがりの人が、変に自分のことを気にしたり、注察しているというような、関係妄想的な感覚を持ってしまっています。しかも、それらの人たちは、同じような反応をして来るので、無関係にではなく、互いに「グル」になって、自分に対して「悪意」をもって迫っているように感じられます。

「声」を聞いている場合には、実際に、本物の声と同じような「リアリティ」のある声を聞いているのだし、既にみたように、その声は、特別の力をもって、強力に印象づけられる性質のものです。

また、設問11でみたように、そのような声を聞いていない場合でも、実は、意識に近い無意識領域では声を聞いていて、それが意識に影響を与えている可能性があります。そのような、直接意識されずとも、何となく意識に感じられる、攻撃的な声が自分に向けられていることによって、周りの人が自分を気にしている、注察しているという思いを持ってしまうことになるのです。

そのようなことは、本人にとっては、これまでの体験にない、「尋常でない」ことであり、本当に、世界そのものが、見知らぬものに変わってしまうような、「不気味」で「恐ろしい」ことなのです。何か、自己を根底から突き崩してしまいそうな、「未知の恐怖」に遭遇しているということです。

全回、『精神医学ハンドブック』の言葉をあげましたが、岡田尊司著『統合失調症』(PHP新書)も、このときの感じをよく表現していますので、それをあげてみます。

「これまでの日常世界とは違う「不気味さ」に脅かされ、他人はよそよそしく、悪意をもったものとして迫ってくる―― すべての偶然が意味のあるものとして感じられ、それは終末的な予感に満ちている。慣れ親しみ、安心を与えてくれた 日常世界は崩壊し、得体の知れないものに変質している――これが典型的な統合失調症のはじまり方なのである。」

統合失調の人は、とりあえず、このような自己、あるいはそれまでの日常世界が壊れてしまいそうな、「未知の恐怖」にさいなまれる状況を、何とか埋め合わせる必要に迫られているのです。

その際、一般に多くの人がとるのが、起こっている状況を、(実際には「未知」であることを心の奥では感じているにも拘わらず、それを認めずに)、できるだけ、それまでの自分の日常的な体験世界、つまり、慣れ親しんだ世界に引き寄せて解釈することです。あるいはむしろ、もっと強く、(「未知」であることを心の奥で感じれば感じるほど)「未知の内容」を含むような解釈は、極力拒絶(排除)され、自分の慣れ親しんだ世界の延長上に理解できる方向の解釈しか、受けつけないのです。

実際は、そうすればするほど、そこに無理と言うか、矛盾や飛躍が生じて来るのですが、それだけ強く動機づけられたものなので、そのようなことは、無視され、ふたがされてしまいます。

「組織」を持ち出すというのは、突拍子もないようですが、本人にとっては、起こっていることを自分の体験世界の延長上で捉えて納得する「ギリギリ」の解釈なのです。多くの人に監視されたり、前回みたように「秘密」を知られたり、悪意をもって声をかけられたりすることを全体として納得し、しかも、そこに自分でも認めがたいような「未知の要素」を「尋常でない」ものとして汲み取るような解釈は、巨大な権力をもった「組織」ということ以外にはないのです。

「組織につけ狙われる」などということが、「尋常でない」ことは本人も分かっていますが、現に、「尋常でない」ことか起こっている現状を埋め合わせられる解釈は、それしかないと思っているのです。実際、それくらい、「尋常でない」ことが起こっていて、そのこと自体は、本人も、「ごまかし」が効かないのです。そこには、確かに存在する「声」などの「幻覚」が、感覚レベルで、強く作用しているからです。

そんな「尋常でない」ことを信じるくらいだったら、いくら「リアリティ」があるものでも、その「声」自体を本物ではないもの、つまり、一般的に言う意味での「幻覚」として否定した方が、マシなのではないかと思われるかもしれません。

しかし、そこまでリアルで、むしろ、それまでの「現実」以上に「現実感」のある「幻覚」は、一般に言われている「幻覚」のイメージとあまりにも違い過ぎて、かえって、「幻覚」ではないという認識を強めさせてしまいます。もし、それが「幻覚」というなら、通常の知覚も「幻覚」ということになるだろうし、「幻覚」に常にさらされている場合、自分の遭遇している体験世界は、ことごとく「幻覚」ということを意味してしまいます。それは、それで、とても受け入れがたいことです。また、「幻覚」ということだと、どうしても統合失調のような病気が連想されることになりますが、「病気」と思うこと自体、私の頃はもちろん、現在でも、十分恐ろしいことというのも、「幻覚」ということを認めるには、影響します。

それでも、人によっては、ここで「幻覚」という解釈をとることも、あることはあります。まだ、状況に深く入っていなくて、「声」も大して強いものとして感じられない場合や、あるいは、設問14でもみたように、誰もいない状況で声が聞こえるなどの事態に至った人は、本物の声ではなく、幻聴という方向で解釈することもあり得るでしょう。(それが、実際にその後、どのように影響するかについては、後に検討してみます。)

しかし、多くの場合は、現に自分に起こっていることは「現実」としか考えられないという前提をとらざるを得ず、何とかそれをそれまでの体験世界の延長上に納得できるような解釈を、必死で紡ぎ出すのです。そして、それは、「未知の状況」を指し示すような、他の可能性を排除すべく、確信されなければならないのです。

それに基づいて行動してしまうのも、実は、(自分でもその基盤が危ういことは、心の奥では分かっているので)その「確信」を維持したいからこそでもあるのです。

そこには、自分に対する「ごまかし」があり、「確信」と言っても、本当の意味の「確信」ではありません。真に、「確信」している人の自信があふれるようなものではなく、(周りの人の説得には、容易には応じないにしても)どこか、不自然で、奇妙な感じを、周りの人にも与えるような「確信」なのです。

その「確信」が揺らいだら、大変なことになってしまうという「危機感」に支えられた確信ということです。

そういうわけで、統合失調の人の「妄想」の基礎には、実際に存在する「幻覚」があるのですが、本人も、その起こっている「未知の状況」をそのものとして認める方向には行きがたく、どうしてもそれを認めないような、「歪んだ」解釈を志向してしまうのです。そのために、結果的には、「間違い」であることが明白であるような、「妄想」を確信してしまうということになります。

設問10でみたように、精神科医中井久夫も、「恐怖」こそが急性期の統合失調状況の本質で、幻覚や妄想はそれを緩める方向で生じると言っていました。

これまで述べて来たことを理解するには、やはり、それほどの恐怖をもたらす「未知の状況」とはどういうものなのかが、連想可能なものとして具体的に理解できないと難しいかもしれません。それは、本来、体験しないと理解できない性質のものと言えますが、できるだけ、その恐怖そのものに迫ることも、今後なしていきたいと思います。

2024年10月 8日 (火)

設問19 統合失調の妄想には、どのようなものがありますか?それら「妄想」は、「間違い」と解してよいのですか?

回答 統合失調の「妄想」は、一般には、「あり得ない」ものであるにも拘らず、それが「真実」であると強く確信されて、行動にも結びつくことがある。この点が、一般の者にもある、普通に言う意味での「妄想」とは異なっている。確かに、妄想そのものは、明らかに「間違い」であるか、「間違い」を含むものと言える。

そのような妄想の典型は、「迫害妄想」で、「組織につけ狙われている」などの迫害的な内容となる。ときに、その受けているとされる迫害を、糾弾したり、加害者とみなされる者に反撃に出たりすることもあるので、危険なものともなる。そのような、一見理解不能と思える「妄想」が、なぜ起こるのかを理解することが、統合失調理解の鍵ともなる。そのためには、その基礎に「幻覚」があることを理解する必要があり、だからこそ、これまで「幻覚」のことを詳しく述べて来たのである。

 

解説 「妄想」というのは、誰にでもあって、普通は、現実的な思考に対して、空想の世界で戯れたり、実現不可能なことを可能のように想像することなどを意味しています。その場合には、本人も、普通、「現実」(の思考)というのが一方にあって、それとは別になされる思考であることが意識されているものです。

ところが、統合失調の「妄想」というのは、これとは大きく異なっています。統合失調の場合、本人が、周りにとっては非現実的で、「あり得ない」と思える思考や信念を、「真実」のものと強く信じ込んでいて、とても訂正できないのです。そして、実際、その「妄想」に基づいて、行動を起こしてしまうことが多くあります

統合失調の者の言動として表に現れるのは、まずこの「妄想」であり、その妄想に基づいた行動となると、いかにも危険で、対処し難いように思えるので、非常に目立ちます。表向き、「治療」が理由とされていますが、統合失調の者を、病院に強制的に入院させて、隔離しなければならないと周りに思わせるのも、ほとんどこの妄想に基づく行動によっているのです。

だから、設問6でも述べたように、妄想に基づく行動は、統合失調の中でも最も統合失調らしい振る舞いと言えます。そこには、確かに、通常の理解を超えたものがあり、精神医学的にも一般的にも、「了解不能」のものと思われてしまうことになっています。しかし、本当は、それを理解することこそが、統合失調理解の鍵となる、と言うべきものなのです。

ただ、これまで、「幻覚」を非常に重視して来たのは、この「妄想」の基礎に「幻覚」があるからです。

「妄想」そのものは、確かに、全体として「間違い」である場合、あるいは「間違い」を多く含む場合が、ほとんどであると言えます。しかし、その基礎となる「幻覚」は、既にみて来たように、実際に「存在する」ものです。その確かに存在するものの「リアリティ」に基づいてはいるが、実際には多くの歪みを含んでなされる「解釈」が、「妄想」と言えるのです。しかし、本人にとっては、その「リアリティ」が強く内心を規定しているので、それに基づいた「妄想」も強く「真実」のものとして確信されてしまうことになるのです。

この「幻覚」と「妄想」の関係については、重要なことなので、次回に改めてとり上げます。今回は、「妄想」についてどのようなものがあるか、もう少し具体的にみておくことにします。

統合失調の妄想で、特に、その統合失調的な状況に入る初期の頃に起こりやすい妄想が、「関係妄想」と言われるものです。あるいは、この段階では、はっきりとした「妄想」ではなく、ひとつの「疑い」や「気分」として感じられるものなので、「妄想気分」とも呼ばれます。

たとえば、周りの人々が何かささやいている話とか、自分の周りで出くわす出来事などが、いちいち自分と関わっているように感じられるというものです。

山下格著「精神医学ハンドブック(7)(日本評論社)は、具体的な事例で症状を説明しているので、統合失調について全く知らない人にも分かりやすいと思いますが、そこでは次のように表現されています。

「ふつう最初、まわりの様子や出来事が、奇妙に恐ろしく感じられる。たとえば風にゆれる並木、車の走る音、人々の話し声が、ただ偶然におきているのではなく、何か自分に関係があって、何かを暗示するような、何か無気味な暗合があるような、ひどく恐ろしく不安な感じである。」

統合失調の状況に入っていくときには、確かに、このように、周りの世界そのものが見慣れない奇妙なものへと変わっていくような感覚が、はっきりとあるのです。

なぜ、このように、周りで起こることが自分と関係しているように感じるのかについては、やはり「幻覚」との関係がありますので、次回以降に述べたいと思います。

何しろ、この関係妄想は、統合失調状況の初めの体験と言うだけでなく、次に述べる多くの「妄想」の基礎として働いていることも重要です。言い換えれば、それらの妄想は、関係妄想または妄想気分が発展してできたもの、あるいは、端的に、そこで生じた疑いに対する一つの「回答」(実際には、一つの「解釈」)としてできあがったものというところがあるのです。

たとえば、統合失調状況にさらに入っていくと、最も典型的な「迫害妄想」(被害妄想)が、それなりの形をなしてできあがります。自分は、周りの人たちや、何らかの組織につけ狙われるなど、迫害を受けているという妄想です。これも、先ほどの関係妄想的なものが発展して、周りの人が言ったり、ささやいたりすることが、自分を非難したり陥れようとするものと思う(本人にしてみれば、明確に分かる)ことや、周りで起こっていることが、自分に対する(攻撃的な)「悪意」に基づいて起こっているとみなされたりすることから、生じています。

この迫害妄想こそ、自分が何かよく分からない理由で攻撃されているという危機感をもって受け止められるので、それが強く確信されると、自分を防衛するため、警察に駆け込んだり、周りの者を糾弾したり、ときに「反撃」に出るなど、危険な行いに結びつきやすいものです。

そのほかにも、たとえば、「自分はイエス・キリストの生まれ変わりである」というような、「誇大妄想」や、会ったこともない「有名女優の誰々に愛されている」というような、「恋愛妄想」もあります。いくらかの誇大的な思考や恋愛妄想は、誰にもあるものと言えますが、やはり、統合失調の妄想は、周りの人の理解を絶し、常軌を逸した、「了解不能」なものとなるのが特徴です。

誇大妄想は、実は、迫害妄想の裏返しとも言え、自分は大きな組織などに迫害されるほどの重要人物なのだと捉えてしまうことから、生じていることにもよっています。

その他に、妄想の一種として、「つつぬけ」(思考伝播)とか「さとられ」と言われるものもあります。自分の考えていることが、周りに筒抜けている、周りの人に「さとられている」と感じるものです。

それは、たとえば幻聴の声が、実際、自分が内心で考えていることに関することを言って来ることに基づいていることが多いと思われます。自分しか知らないはずのことを、周りの人が言ってくるように感じるので、自分の思考が周りに「つつぬけ」ている、「さとられる」と感じるのです。

あるいは、この妄想のいわば前段階的なものであるとも言えますが、自分の家や部屋が、何らかの組織などに監視され、盗聴されているというものも多いです。自分の秘密が漏れるのは、自分の家や部屋が何者かに盗聴されているからだと解釈しているのです。迫害妄想で、自分をつけ狙う「組織」というのが、CIAその他の諜報機関である場合が多いのも、このように、ある者を監視したり、盗聴するなど、秘密を調査する組織であることによっている面があります。

しかし、実際のところを顧みれば、自分から漏れている思考というのは、必ず、自分が現に誰かに言ったり、電話などで話したことではない(自分の内心にしかない)ことであることが分かるはずのものです。それで、盗聴というより、直接自分の思考が周りに漏れるといった、「つつぬけ」や「さとられ」の解釈の方がより事実に当てはまるものとして、なされることにもなるのです。

さらには、「させられ体験」というもあります。これも、結局は、幻聴の声の圧倒的で逆らい難い要素にさいなまれた結果、自分の主体性を失い、声の命令や思考のなすがままにされている、といった感覚から生じています。自分自身の行動ではなく、幻聴の声のような他者の意思につき動かされていると感じるのです。

いずれにしても、これら「つつぬけ」または「さとられ」や、「させられ体験」は、「幻聴」との結びつきが強いので、これについても、次回以降に改めて説明することにします。

今回は、統合失調の「妄想」というものを、おおまかにでも知ってもらうことを意図しています。

 

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