設問14 実際に、人を前にするのでない状況でも、声が聞こえるという話を聞いたことがありますが、本当ですか?
回答 本当である。例えば、自分一人で部屋にいて、周りに誰もいない状況など、人を前にするのでない状況でも、声が聞こえることがある。しかし、これは、その声が、もはや、人が現実に発する声などではあり得ないことを知る、重要な機会でもある。
解説 本当です。例えば、自分一人で部屋にいて、周りに誰もいない状況など、人を前にするのでない状況でも、声が聞こえることがあります。そしてこれは、声というものが、実際には何であるのかを示す重要な機会ともなります。
自分一人しかいないのに、前回説明したような、はっきりとした「人の声」が、外から伝わってくるように聞こえるのですから、これは、本当に尋常でない事態です。しかし同時に、本当を言えば、これによって、「声」というものは、みかけは人の声のようでも、実際にはそうでない、何か違うものであることを、はっきりと認識できる状況でもあります。
しかし、実際にこのような声を聞くとき、なかなかそういうことにはなりません。大抵の人は、このような状況でも、その聞こえる声を、何とか理由をつけて、現実の人の声であると受け取ってしまうのです。
たとえば、その声が誰か現実の人の声に似ていれば、その人の発する声と受け取ることになります。それは、もはやその人が現に物理的に発する声ではあり得ないので、言うならば「テレパシーの声」ということになるでしょう。実際、テレパシーの声は、物理的な距離とは関係なしに伝わるとされているので、理屈としてはそうである可能性はありますが、前回もみたように、具体的に声の性質や内容を鑑みるなら、とても、その本人の声などと解せない場合の方が、圧倒的に多いと思われます。
また、人によっては、その聞こえる声は、「指向性の電磁波装置」から発せられたもので、自分は、声を聞かせられる攻撃を受けているのだと解することにもなります。現代の科学技術の発展に照らせば、これも絶対にあり得ない発想ではありませんが、やはり、具体的に声の性質や内容を鑑みれば、実際にはとてもあり得ないものであるのが分かると思います。
いずれにしても、統合失調の人は、このような事態に至っても、というか、このような事態に至ったからこそでもあるのですが、そのような人の声を、現実の人の声でなく、何か他の違ったものであるという可能性を、極力認めない方向で解釈するのです。
その理由は、前回もみたとおり、「幻聴」そのもののリアルさや、幻聴が帯びている特別の力の影響にもよりますが、ここまで声に迫られる状況になると、もはや、その声が何か未知のものであることを認めることの恐怖ということに尽きます。
現実の人の声でないということには、一般に言う意味で、「幻聴」(実際には存在しないものを聞く)であるということも含まれますが、もはや、ここまで来ると、そのリアルさと差し迫った状況が勝るため、「幻聴」と理解することも困難です。「幻聴」であるということは、統合失調のような精神病ということを意味することでもあるので、その「病気」ということに対する恐怖も加わり、ますますそのような方向では解釈できないことになります。
しかも、この聞こえる声には、ヤスパースの言う「実体的意識性」という感覚が伴うことも多くなります。それは、「何者かが実際にそこにいるという確かな感覚」のことで、単にリアルということを超えて、実際に何者かの存在を関知せざるを得ないような状況になっているのです。
私の場合にも、ブログ『狂気をくぐり抜ける』の記事『14 「幻聴」から「幻視」へ』及び『15 「声」あるいは「存在」に取り巻かれること』で説明しているとおり、このように一人で部屋にいるときに声を聞くということも、起こるようになりました。ただ、その頃には、後に説明する「幻視」も、曖昧ながらも伴い始めるようになっていて、その幻視の助けも借りて、そのような声は、実際には、人の声ではあり得ず、現にその場にいるということの、かなり強く感覚できる、何者かの存在の声であるとしか考えられなくなるということがありました。
つまり、それまでは、どこかにまだ、現実の人の声とか、あるいは一般にいう幻聴かもしれないという疑いが、わずかにあったのですが、そのような疑いも解けるほどに、はっきりと何者かの存在による声であることを認識するきっかけとなったということです。
私は、恐らく、他の人の場合でも、「実体的意識性」を感じているような場合には、はっきりとは意識せずとも、何かしら「幻視」的な要素も働いていて、それが実際に何者かがそこにいるという感覚を強めているのだと思います。
いずれにしても、このように、自分ひとりしかいない状況で声が聞こえるようになるのは、統合失調的な状況に大分深く入り込んでいることを示すとともに、その「声の正体」を知り得る、重要な契機でもあるということになります。
人によっては、自分一人しかいない状況で声が聞こえるということこそ、その幻聴は、その者本人の中から生み出されていることを示すものだと解する人もいるでしょう。また、前回もみたように、声が自分しか知らないことに関わることを言ってくることも、その幻聴の声が自分の中あるいは心から生み出されていることを示すものだと解することでしょう。
確かに、その点だけを表面的に捉えれば、そのようにみなされる余地があるのですが、実際に、前回もみたように、声そのものの性質やリアルさ、内容、その他の状況を総合的に、また具体的にみるならば、そのように解することはとても無理なのです。後に説明しますが、この声は、逆に自分は知らないことを言ってくることもあって、後に、それが事実であることが確かめられることもあるのです。さらに言うと、声というより、その存在そのものがということですが、はっきりと分かるような物質的な現象を起こすこともあるのです。
何しろ、このように、統合失調の人の聞く声には、いわゆる「他者性」というものが明白にあって、自分の中にあるものでないことがはっきりと感じられる要素が多くあるのです。この点で、いわゆる「解離性幻聴」といわれる、自分自身の人格の一部の声を聞くようなものとは区別されるわけですが、それについては、また後に説明します。
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