設問11 なぜ無意識領域で「声を聞いている」などということが、分かるのですか?
回答 無意識領域で「声を聞いていた」ことを、後にはっきりと、意識領域で「思い出す」という体験があったからである。この「思い出す」という体験を経て、幻覚をリアルタイムに意識しつつ体験するという信じがたい状況に入っていくことになり、同時に、何が起こっているか分からないという、どうしようもない状況を脱け出すことになったのである。
解説 前回述べたように、私も、あるときまでは、無意識領域で「声を聞いていた」のを意識にのぼらせることができずに、何が起こっているのか分からず、非常に混乱した状態にありました。ところが、あるときから、無意識領域で「声を聞いていた」のを、はっきり意識の領域で「思い出す」ということが起こったのです。
そして、この「思い出す」ということが起こってからは、幻覚を見たり聞いたりすることも、現に「リアルタイム」に意識できるようになりました。
『狂気をくぐり抜ける』の『ブログの趣旨』の後半でも説明していますが、このように「思い出す」ということで、それまで分からなかったことが明らかになった面は、統合失調の理解にとって非常に重要なことであるし、また他の解説書や、統合失調体験者の手記や話でも、このようなことをはっきり述べているものは、みかけることのないものでした。ですので、このことは、私が、独自に明らかにできる、非常に重要な事柄となります。
詳しい状況は、同ブログの記事『14 「幻聴」から「幻視」へ』や『17 「思い出す」ということ』でかなり詳しく述べているので、そちらを参照してもらえればと思います。今回は、この「思い出す」ということを、一般の人にもなるべく分かりやすく説明することにしたいと思います。
実は、無意識領域で起こっていたことを「思い出す」ということは、誰にも似た経験があります。それは、夢で何か「印象に残る」ことが起こっていたことは分かるが、努力してもなかなか思い出せないことを、後に、何かのきっかけで、「思い出す」ということです。これは、本当に、統合失調状況での「思い出す」ということに似ています。
努力してもなかなか思い出せないという状況も似ていますし、いったん何か一部でも思い出すことができたら、一気にその全貌が、かなり明白に思い出せるようになるのも似ています。
そして、このことは、誰においても、無意識領域で何ごとかを体験するということが実際にあることを、明らかにしています。
人によっては、「無意識領域で声を聞いていた」と言うと、それでは、「意識があった」ことになるので、実際には、「無意識領域で起こっていた」何事かを、後に意識の領域であれこれ考察して、「声として聞いていた」という風に解釈するのではないかと思うでしょう。
しかし、夢を思い出す例でも、夢の中には、日常の意識とは違っても、ある種の意識が厳としてあって、それが夢の中の映像とか声を聞いていたことが、はっきりと分かると思います。それと同じように、それまでは「聞いていた」ことすら分からない無意識領域での出来事が、意識において思い出されるときには、はっきりとその無意識領域下のある種の意識で「聞いていた」ことが分かるのです。
そして、それによってこそ、様々な影響を受けて、混乱していたことも分かるのです。それは、「解釈」や「考察」によって、明らかになったことではなく、ただ「事実として聞いていてこと」が明確に意識に浮かび上がるということです。
もちろん、その「無意識下に聞いていた声」そのものが、要するに「幻覚」なのだから、実際には存在しないものと、一般には解するのでしょうが、この明白に「思い出す」ことを体験すると、それはとても存在しないものなどとは解せないものになります。幻聴を聞くことそのものも、リアルな体験で、存在しないものを聞くことなどとは思えませんが、「思い出す」ということは、それと同程度のリアルなことで、むしろ、それまで「分からない」ことがはっきり浮上するという経過をたどる分、より「真実」のものという思いも強まるのです。
夢の場合は、覚醒時の意識と睡眠時の意識ということで、ある種の断絶があり、その「思い出した」夢の現実そのものが、覚醒時の意識と同程度のリアルな出来事とは解せない場合がほとんどでしょう。ところが、統合失調状況の「思い出す」というのは、その無意識下で起こっていた現実そのものに、リアルタイムで入っていくような感覚を伴います。つまり、現に「思い出して」いるその状況で、それを体験していたのとまったく同じ体験を追体験しているような状況なのです。夢の場合のように、それが現実の覚醒時の現実と異なるという感覚はなく、このリアルな現実そのものと同じレベルの体験と感じられるということです。
だから、「思い出す」ということは、それまで何が起こっているのか分からずに混乱している状況に対して、その状況から抜け出す、ある種の「光明」となるような、出来事でもあるのです。
ただし、その「思い出す」事柄は、要するに「日常的には起こらないような特別の声を聞いている」ことで、とても信じがたく、怖いことでもあるので、そのこと自体がもたらす、新たな怖れも、大きなものとはなります。しかし、それでも、何が起こっているか分からないで行き詰っている状況を打開し、新たな理解の可能性を開くものではあるのです。
実際、私の場合、ここから、幻覚をはっきり意識するような、統合失調状況そのものと言うべき、まさに信じがたい「非日常的」状況に入るということが起こりました。それは、多くの混乱と怖れをもたらすものではありましたが、同時に、それによってこそ、新たな理解の可能性も開けることになったのです。
先に述べたとおり、夢の例では、その「声を聞く体験」自体の現実同等あるいはそれ以上と言っていい、「リアリティ」まで伝えることができず残念ですが、とりあえず、「無意識領域で声を聞く」ということがあること、それを実際に「思い出す」ということがあることは、明らかにできたと思います。
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