設問13 「幻覚」というのは、具体的にどのように見られたり、聞かれたりするのですか。これまでの説明では、今一つ抽象的な感じで、具体的にイメージできません。
回答 まず、基本として、幻聴の声は、通常の(物理的な)声と、ほとんど同じように聞こえるということを押さえる必要がある。但し、注意深く観察すれば、そこには、「多少の違い」が認められるのも事実である。声そのものの性質にも、声の伝わり方にも、通常の声と比べると、独特の要素がある。そこに気がつくと、幻聴の声を幻聴の声として、通常の声と違うものであることに気づくことができるようになる。
解説 「幻覚」が具体的にどのように見えたり、聞こえたりするのかは、ほとんどの人が体験したこともないでしょうから、本当に分かりにくいことだと思います。しかし、そのように、幻覚がどのようなものかを知らないために、実際に自分が幻覚に見舞われたときに、それにどう対応してよいか、どう解したらよいかが分からず、混乱してしまうことが多いのです。
本当は、幻覚のことは、統合失調的な体験をする可能性がある思春期になる頃には、ある程度知っておくべき事柄です。しかし、それを、教えられるような人もほとんどいないし、そもそも、幻覚というのは、近代の社会において、一種タブー化されていて、表の話題に上ることもほとんどないのが現状です。
そこで、私としては、何回かの設問に分けて、これからできる限り詳しく、幻覚の具体的なあり様を説明していきたいと思います。
統合失調の場合、典型的なのは「幻聴」ですので、まずはどのように「声が聞こえる」のかを、説明していきます。私の場合、無意識領域で聞いていたのを、後に「思い出す」という形で「聞いた」のと、現にリアルタイムで「聞く」のと両方あるわけですが、どちらも基本変わりないので、両方の場合をまとめて説明していきます。
幻聴の場合、誰か通りがかりの人とすれ違うなどのときに、その人のものと思われる「声を聞く」というのが典型的なので、その場合を想定してみます。
まず、基本として押さえるべきは、「声」は、本当に誰かが外部的に「声をかけて来る」ときと、ほとんど同じように聞こえて来るということです。単に、頭の中で響いているとか、一種の「空耳」のように、聞こえていると思い込んでしまっているだけというようなものではありません。
すなわち、現実の「声」と同じように、はっきりした人の「声」としての「音声」が、その出どころと思われる通りすがりの人のあたりから、外部的にこちらに伝わってくるようにして、耳に(頭の中に直接というのではなく―但し、後に多少の違いを説明します)聞こえる、ということです。
まずは、そのように、幻聴というのは、通常の「声を聞く」のとほとんど同じように、リアルな知覚の体験であることを、押さえておいてほしいと思います。だからこそ、統合失調の人も、それを「現実の人の声」と混同してしまうのです。
「ほとんど」と言いましたが、その聞こえている「幻聴の声」を「幻聴」と疑うことをしたうえで、じっくり観察していかない限り、なかなかその違いに気づくこともできません。統合失調の人が、「現実の声」と混同してしまうのも、当然と言えるところがあるのです。普通は、自分がそのような声を聞くことになるとは、つゆとも予期していないからです。
しかし、先ほど言ったように、そこに、よくよく観察していくと、感じ取れるような、「多少の違い」というのがあるのも事実なのです。
両者を見分けようとするなら、その多少の違いに注目していくことが重要になります。それには、それが幻覚である可能性を多少とも意識していることが必要で、たやすく結論めいたものを出さないで(結論はかっこに入れるように保留して)、じっくり観察するという態度をとることが必要になります。「組織に狙われている」などというような、「妄想」を固めてしまった場合には、そのようなことは、ほとんど無理になってしまうのです。
幻覚についての知識がなく、いきなりそのような状況に見舞われたなら、そういった冷静な判断をとることが、いかに難しいか、分かるでしょう。だからこそ、あらかじめの知識が必要になるのです。
それでは、その「多少の違い」というのを説明していきます。
まずその「声」そのものに注目してみると、それは、確かに、「人の声」としての「みかけ」を有しているのですが、全体として、どこか「違和感」を感じる要素を含みます。こういった人の声というのは、統合失調の場合、「非難する」ものだったり、「嘲笑する」ようなものが多いわけで、それに特別に注意を向け、意識が囚われるようになるのも当然のところはあります。
しかし、それにしても、単にそれだけではない、この「声」には、「独特の響き」があるのです。あるいは、ある種の特別な「力」を帯びているとも感じ取られます。普通、人間が非難したり、嘲笑したりするだけでは感じないような、圧倒されるような、逆らい難いような、何かしら、これまでに体験のない、特別のものを感じ取るということです。
幻聴のこのような性質について、精神医学の一般的な解説書でも、たとえば、笠原嘉著『精神病』(岩波新書)は、「なにかしら地上性をこえた「超越性」を帯びている」といい、岡田尊司著『統合失調症』(PHP新書)は、「患者本人にとっては、 幻聴の声は、神の啓示にも似た強い呪縛力、 迫真性をもって感じられる」と言っています。
単に、リアルであるということのほか、このような、「独特の響き」のため、統合失調の人がそれに捕らわれてしまうことになるのも、理解できるというものでしょう。ただ、これは、逆に言えば、この「幻聴の声」を、通常の人間の声と区別する徴となるということでもあります。それは、通常人間が発するようなものでない、言葉の内容にもよるわけですが、その声の響き自体から、通常の人間の声としては、どこか「おかしい」、「尋常でない」という部分を感じ取ることができるということです。
「幻覚」について何も知らずに、ただ恐れを抱いていたら、そのようなことも難しいわけですが、「幻覚」についてある程度知れるようになれば、そういうことも、それほど難しいものではなくなるのです。
もう一つ、幻聴の声に捕らわれてしまう大きな理由として、幻聴の声の内容自体が、たとえば、自分しか知らないようなことに関わって来るということがあります。非難や嘲笑をして来るにしても、自分しか知らないはず(心の中にしかないはず)のことに関わることを捉えて、非難や嘲笑をして来るということです。
これには、「違和感」を感じるのは当然と言うべきで、また、自分の心が「さとられる」とか、外部に「つつぬけている」などという訴えに結びついてくることですが、この点については、後に改めてみることにします。
次に、「声の伝わり方」にも、多少の違いがあることを述べます。
先ほど、「声は、外部的にこちらに伝わってくるようにして、耳に(頭の中に直接というのではなく―但し、後に多少の違いを説明します)聞こえる」と言いました。
幻聴の声というのは、やはり「声の伝わり方」にも独特のものがあって、通常の声と同じように、「外部的に伝わって来る」感覚がありますが、通常の声の伝わり方に比べると、どこかそのまま直接に、―必ずしも頭の中と言うのではなく、自分の中に響いてくるという感覚があるのです。だから、周りの声がはっきり聞こえないようなときでも、この幻聴の声は十分聞こえて来るし、普通は、聞き取れないような距離であっても、十分聞き取れるものになるのです。
通常の声も、特にそれに注意を向けて集中して聞けば、その声だけ特別に浮かび上がるということはありますが、この幻聴の声はそのようなレベルではなく、特別に意識されるものがはっきりとあるのです。この点も、統合失調の者が、この声を無視することが難しく、捕らわれて、振り回されることになりやすい理由です。
ただ、それと同時に、このことは、やはり、幻聴の声を通常の声から区別する理由にもなるもので、幻聴の声をある程度聞き慣れて、注意深く観察できるようになれば、その違いに気づけるようになると思います。
これまでの典型的な例とは別に、「声」を聞く場合として、通りすがりの人のような見知らぬ人ではなく、実際に知っている身近な人の「声」を聞く場合もあります。たとえば、実際に、身近でよく知っている人を目の前にするような状況で、「声」を聞く場合です。この場合、多少厄介なのは、実際にその人本人の声と思われるくらい、似た声を聞くことがあることです。
「声」の性質としては、その人本人のものとそっくりなので、その本人の声と即座に判断してしまいがちなのですが、やはり、この声にも、上に述べたような、「幻聴の声」としての性質はあるのです。だから、よく聞き分ける限り、そのような声も、その本人自身の声ではなく、「幻聴の声」であることに気づける余地があります。
ただし、これは、「幻聴の声」の正体が何であるかということとも関わって来ることで、その声が、実際にその本人から「発せられた」ものであるという可能性はあると思います。それにしても、それは、「幻聴の声」である限り、物理的に発せられた声ではありません。従って、その声は、聴いている人以外の他の人は聞かないであろうし、本人も、そのような声を発しているという自覚はないはずです。
それは、言うならば、一種の「テレパシーの声」ということになりますし、実際に、超心理学の実験などにおいても、「テレパシー」という現象自体はあることが、統計的に示されていますが、本人に自覚がない限り、そのようなものと確かめる手立てはありません。
いずれにしても、ここでは、「声の正体」を暴くのではなく、そのような声を「幻聴の声」として、現実の(物理的に発せられた)人間の声と区別することが目指されています。「声の正体」については、後に、もう少し踏み込んでみることになると思います。
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