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2024年8月28日 (水)

設問9 「幻覚」を見ているときと、現実にあるものを見ているときでは、脳の状態に違いがあるのではないですか?

回答 「幻覚」を見ているときと、現実にあるものを見ているときでは、脳の状態をみる限り、何ら違いがないことが分かっている。脳の状態としては、「現実の知覚」と「幻覚」を区別することなど、できないということである。さらに、「知覚」という現象自体、脳科学的には、外界の現実をそのまま映しとるものではなく、視覚的な情報を脳が思考や記憶などを交えて、再構成してできたものであることが分かっている。

脳科学的には、「現実の知覚」というものが、「幻覚」とは別の確かな基盤があるものではないのである。

解説 「幻覚」を見ているときと、現実にあるものを見ているときでは、脳の状態をみる限り、何ら違いがないことが分かっています。

たとえば、色の幻覚を見ている人と実際に色を見ている人の脳の状態は、「視覚野」とよばれる、脳の視覚に関する領域の色に関る領域が同じように活性化しています。人の顔の幻覚を見ている人と実際に人の顔を見ている人の脳の状態は、脳の視覚に関する領域の人の顔に関る領域が同じように活性化しているのです。それらの間には、脳の状態として見る限り、何の区別のつけようもないのです。

しかし、単に何かを見ていると想像している人と実際に幻覚を見ている人の脳の状態は、はっきりと区別できます。想像している人の脳の視覚野は、活性化していないのです。(これらについては、たとえば、オリヴァー・サックス著『幻覚の脳科学──見てしまう人びと (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』第1章参照)

これらのことは、幻覚を見るということは、単なる想像ではなく、実際の知覚と同じようにリアルな現象であることを、はっきりと示していると思います。

さらに、これらのことは、(「幻覚」と脳の状態としては異ならないような)「知覚」とはそもそも何なのか、あるいはさらに踏み込んで、それでは「現実」とは一体何なのか、「現実」なるものは確たるものとしてあるのか、という根本的な問題をも引き起こします。

脳の状態として、実際に何かを見ることと幻覚を見ることが区別できないなら、それらは、同じように「現実」であるとも、あるいは同じように「幻覚」なのだとも、両面から言えることになるでしょう。

もちろん、実際には、何か見ているとされるものが、多くの人に共通して、同じものを見ていると判断されるとき、それは「現実の知覚」とみなされるし、多くの人が、同じものを見ていないと判断されるとき、それは「幻覚」とみなされます。しかし、それらは、「事実上」のことであり、問い詰めれば、それらを区別する明確な根拠というものがあるわけではありません。「同じものを見ている」というときも、果たしてそれが厳密に同じと言えるかどうかには疑問があり、ただ、その「同じもの」というのは、文化や習慣が共有されることによって、漠然と規定されているに過ぎないという可能性があります。

いずれにしても、我々の知覚というのは、それくらい、「怪しい」ものであることが分かって来ているのです。

そして、最近の脳科学は、そのような「知覚」という現象、「見るということ」が、何か外界にあるものをそのまま映しとるというものではなく、網膜に入った外部的な刺激を分解して脳に入れ、脳がそれらを思考や記憶などを交えて、再構成してできたものであることを明らかにしています。

たとえば、藤田一郎著『脳はなにを見ているのか』(角川ソフィア文庫)では、このことを次のように言っています。

「ものを見ることの本質は、そうやって網膜でとらえられた光情報にもとづいて、外界の様子を脳の中で復元することである。その復元されたものを私たちは主観的に感じ、また、復元されたものにもとづいて行動するのである。」

さらに最近では、これらのことをもう一歩推し進めて、「知覚」にしろ、その他何にしろ、我々が脳の中で構成するものは、すべて「現実」を反映するという根拠は何もなく、それらは要するに、脳の中の「仮想現実」に過ぎないという見方もされるようになっています。

日本では、解剖学者養老孟司の『唯脳論』や、脳科学者茂木健一郎の説などがそうです。

さきほど、「脳の状態として、実際に何かを見ることと幻覚を見ることが区別できないなら、それらは、同じように「現実」であるとも、あるいは同じように「幻覚」なのだとも言える」と言いましたが、これらの説は、両者を「幻覚」の方に引き寄せて、脳の中に構成されるものは、すべて脳が生み出した一種の「幻覚」であるとするものです。実際に、先の2人は、「<現実><幻覚>を区別できる根拠はない」と言っています。

これらの見方は、「霊的な知覚」なるものを認め、それを一種の「現実」とする、私の見方とは違うのですが、一貫していて、また私も、必ずしも脳を中心には捉えませんが、すべての現象は一種のホログラフィであり、「仮想の現実」であるという見方をするので、重なる部分は十分にあります。だから、私も、現実の知覚も幻覚も、一種の幻覚なのだという言い方には、必ずしも反対はしません。

ただ、現在において、一般のものの見方や精神医学のものの見方は、明らかに「現実の知覚」と「幻覚」を区別し、「現実の知覚」は正しいもので、「幻覚」は間違ったものだから、排除(治療)しなければならないという考えをしています。

その「現実」に照らすと、私は、やはり、とりあえずは、「現実の知覚」も「幻覚」も「現実」の方に引き寄せて、「<現実の知覚>というのも、<幻覚>というのも、一種の「現実」には違いない」ということを強調する必要を感じます。

「幻覚」と言われるものが、通常の物質的なものの知覚と同じと言うのではないですが、「霊的な領域」において現実に存在するものの知覚に基づいているのだということを、訴えて行きたいのです。


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