設問50 統合失調状況における対処法の要点をまとめてください。
回答 最後に、まとめの形で提示するとおりである。
解説 設問34その他で、既に述べたことですが、実際的観点から言って、最も大事なことであるので、統合失調状況に対処する方法の要点を、まとめておきます。要点を捉えつつも、できる限り、分かり易く、具体的に述べるつもりです。
精神医療にかかって薬物治療でも受ければ、より酷くなって、手に負えないものになる可能性が高く、周りの者が頼りになる状況でもないので、「対処」というのは、基本的に、統合失調状況に陥った本人が、どのようにその状況に対処し、「抜け出す」か、あるいは「くぐり抜ける」かということになります。
まず第一に、「統合失調」というものがどういうものか、予め、ある程度知っていることが重要です。そうでなければ、何の手掛かりもないところから始めなければなりません。
しかし、ここでも、精神医学が一般に提供する知識は、実際の統合失調状況との齟齬があり過ぎ、かえって混乱のもととなります。特に「幻覚(幻聴)」を、「実際にないものを見たり聞いたりすること」と捉えている限り、統合失調状況の実際とは相容れず、何の手掛かりも得られないばかりか、むしろ自分の状況を「病気」ではない(幻覚ではない)ものとして確信させてしまいます。
まず、一般的理解として、統合失調というものが、「<幻覚>や<妄想>に囚われて、通常の社会生活を困難にする事態である」、という理解が必要です。ただし、その「幻覚」とは、実際に存在するものであり、通常の知覚と同じかそれ以上にリアルなものです。
だからこそ、その状況に入った者は、それに囚われることになって、抜け出し難いのです。そうでなければ、統合失調が、現にそうであるように、難しい問題になることも、恐れられることもありません。ただの「誤り」であれば、人間がいつまでも振り回されて、抜け出せないなどということはないのです。まずは、このことを押さえることです。
しかし、それにも拘らず、この「幻覚(幻聴)」は、他の多くの者に共通して知覚されるものではないということです。通常の知覚と同じように「見たり聞かれたり」するので、本人も、その可能性に気づくことが難しいですが、予め、「たとえ通常の知覚と同じように知覚されても、他の者には知覚されない「幻覚(幻聴)」というものが、割合身近にあるものだという理解があれば、何か「おかしい」と思う声を聞いた場合などに、「幻覚(幻聴)」である可能性が、早めに予感されることになります。
ただ、実際に存在するのに、多くの者が知覚しないということは、我々が通常「物質的世界」と呼んでいるこの世界に存在するのではないということです。この点が、普段、この世界と別の世界があることを意識しない一般の人たちには、ネックになるでしょうが、もはや現代は、そのような「世界がない」という狭い考えを維持する方が難しい状況にあるとも言えます。そのような頑なな考えに固執するのではなく、普段から、少なくとも、別の世界の存在する「可能性」に対しては、心を開いておくことも重要なことです。
そこを「霊的世界」と呼ぶか、「見えない世界」とか「異次元の世界」などと呼ぶかは自由ですが、私は、先住民文化その他のこれまでの近代以前の伝統文化との連続で理解するには、「霊的世界」がふさわしいものと思っています。いずれにしても、「この世界に存在するのではない」ことの理解が要点です。
このことを理解することにより、たとえば、聞いている「声」を、(見かけはそのようであるとしても)現実の人間が発するものと混同することがなくなります。
このことが、統合失調状況から「抜け出し」たり、「くぐり抜ける」ことの、非常に重要な、一つの関門となります。
「妄想」というものは、自分を苛む、幻聴の声を、現実の人間の発するものと混同して、自分は迫害されている、つけまわされているなどと解釈し、それを全体として、「組織」に迫害されているなどと結論づけてしまうことで構築されるものです。そして、それこそが、統合失調状況で実際に起こっていることの理解を妨げてしまうことの大きな要因です。
(このような「妄想」については、予め、そんなことは「あり得ない」ことを強く確認しておくことも重要です。たとえ、そのように思える事態が自分の身に起こったとしても、やはり、単なる一個人の者を、確かな理由もなく組織が狙うなどということは、(絶対とは言わないまでも、それに限りなく近く)「あり得ない」ことなのです。その感覚を外さないようにし、他の可能性を考えなければなりません。その感覚を外してしまったら、とどめなく妄想を膨らませる方向に行ってしまいます。)
言い換えれば、幻覚(幻聴)が、現実に存在するものであるが、この物質的世界にあるものではないことが分かれば、少なくとも、この世界そのもののこととして構築される形の妄想は、避けることができ、この世界そのものに対して、その妄想に基づいた行動をしてしまうことも避けられ得るのです。
しかし、それでは、現に現れている「幻覚(幻聴)」とはいったい何ものなのかという新たな問題が浮上します。「霊的世界」のことなどに関心や知識がなかった者には、それは全くの「未知」の事態というほかありません。たとえ、ある程度の「知識」はあったとしても、実際の経験との齟齬はどうしてもあるので、やはり「未知」の要素は多くあります。
そのように、「未知のもの」ということを認めることが、人間にとっては、容易いことではありません。特に、近代人は「世界」について、大概のことを知り尽くしているかのように思っているので、全体として「未知」ということを認めることが大変なのです。
しかし、このことを認めることが、統合失調状況を「抜け出し」たり、「くぐり抜ける」ことの第二の関門となります。
混乱し、妄想を築いて、異常な振る舞いをするということは、「未知」であることが認められずに、「あがい」ているということです。逆に言えば、「未知」であることが本当に認められれば、「あがく」ことをやめて、一種の「開き直り」が生じ、ある程度冷静になることができるので、それについて(妄想的にではなく)虚心坦懐に「探究」できる余地も生まれて来るのです。
とは言っても、何も知らない状況から、これら人間を超えた要素を多分に持つ「幻覚(幻聴)」について、理解を得ようというのは、あまりに大変なことです。こういった、未知の「霊界の境域」に入り込んだ状況において、どのようなことが起こるのかを、そのような経験を持つ先人を通して、予め(漠然とでも)理解することは、現在の状況において、可能なことです。
私のような、統合失調の過程として体験した者の経験談は、本やネットにもいくらもあるし、ルドルフ・シュタイナーやカスタネダなど、自覚的な修行を通して体験した者の詳しい記録も貴重です。
ただ、私としては、統合失調状況に大きな影響を与えるのは、「捕食者的存在」という、精霊的存在(または「宇宙人」という捉え方も可能)であることを理解することが、その状況を「抜け出す」ことや「くぐり抜ける」ことにおいては、最も重要な点であることを強調します。
統合失調状況に大きな影響を与えるのは、「捕食者的存在」という、精霊的存在であること、従って「幻覚(幻聴)」というのも、この「捕食者的存在」の作り出したものか、この存在が関わって出て来ているものであることを理解することが、状況から「抜け出し」たり、「くぐり抜ける」ことの、第三の関門と言えます。
「捕食者的存在」とは、(人間にとっては破壊的な、おそるべき存在ではありますが)決して、「悪なる」存在ではなく、人間から発せられる恐怖等の否定的感情エネルギーを食糧源としている存在です。ただ、そのために人間の牧畜と同じように、人間の上に立って「管理・支配」しているので、当然人間を超えたところのある厄介な存在です。
それにしても、これらの存在が、悪意や破壊の意図ではなく、ただ食糧源である否定的感情エネルギーを得るために、戦略的に(攻撃的な)働きかけをしていることを知ること、あるいは予めの予期を得ることは、恐怖や混乱を緩和する絶大な効果をもたらします。どのようにもっともらしくとも、あるいは恐怖をもたらすものであっても、それらの存在の「声」なり、働きかけは、まともに受け取る必要がなく、ただ受け流せばいいだけのものであることが分かります。そのことが本当に納得できれば、状況を「抜け出す」ことにおいても、「くぐり抜ける」ことにおいても、大きなカギを得たようなものです。
ただ、「捕食者的存在」という捉え方は、(人間以外の存在を認めるにしても)なじみのないものであるだけに、それを認めるということは、やはり大変なことには違いありません。実際の経験の中で、そのような捉え方こそが、本当に心から納得できるものであることを確認できるかどうかが、大きな分かれ目となるでしょう。
そういうわけで、統合失調状況を「抜け出し」たり、「くぐり抜ける」ための対処法として、特に3つの関門となる事柄に着目して、その要点を述べました。他にもいくつかあげられますが、それはこれまでの個々の設問でも触れたことだし、ブログ『狂気をくぐり抜ける』の方では、記事『「声」への対処法』などが、さらに詳しくこのようなことを述べていますので、参照ください。
なお、統合失調状況を「抜け出す」ということと、「くぐり抜ける」ということの違いは、設問41で図を用いて、分かりやすく説明しています。
最後に、以上のことを箇条書き風にまとめておきます。
対処法のまとめ
第一の前提 統合失調について、ごく基本的な理解を得ていること
統合失調=<幻覚>と<妄想>に振り回されて、社会生活が困難になる事態
<幻覚(幻聴)>とは、本当に存在するものであり、現実の知覚と同等かそれ以上にリアルなものであること
にも拘らず、<幻覚(幻聴)>は、他の多くの者は知覚しないものであること
第一の関門 <幻覚(幻聴)>を、この「物質的世界」の現実の人間の声などと混同しないこと=「物質的世界」ではなく、別の世界(「霊的世界」)のものがこの世界に入り込んでいることの理解
第二の関門 そのような世界のものは、「未知のもの」であることを正面から認めること=覚悟を決め、開き直り、虚心坦懐に見極めるようにすること
第三の関門 そのような世界には、「捕食者的存在」がいて、食糧源である否定的感情エネルギーを収奪すべく、戦略的に働きかけていることを知ること=声にしても、その他の働きかけにしても、真に受ける必要はなく、受け流していいものであることを知ること
※ 一旦終了のお知らせ
区切りのいいこともあり、この辺りでいったん終了いたします。まだ述べたいことはありますが、あまり増やすと、要点がぼやけてしまうので、基本的なことにしぼってでき得る限り明確に提示する、このブログの趣旨においては、この辺りで十分全うできたと思います。今後、さらに述べたいことが出てきた場合、追加をすることはあると思います。『狂気をくぐり抜ける』の方は、今後とも適宜更新してまいります。
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