前回、「近代社会の常識」を意識的に覆して行かない限り、「オカルト」を捉え直すことは難しいことを述べました。
しかし、最近は、「近代社会の常識」を問い直す見方は、様々な方面で現れています。日本の歴史においても、「明治維新」の捉え方が、これまでとは大きく変わって来ています。
これまでは、「明治維新」とは、とりもなおさず、それまでの封建的で、迷信に満ちた、古い社会を改革して、西洋流の進んだ社会に変えた、画期的な出来事とされていました。「明治維新」そのものの価値が否定的にみられるということは、ほとんどありませんでした。
ところが、最近は、日本の江戸時代は、世界的にみても稀なほど、「豊か」な社会であったことが、示されつつあります。「士農工商」という身分的な区別はありましたが、決して移動の効かない固定的なものではなく、必ずしも、「差別」に結びついたわけでもなかったとみられます。物質的にみても、庶民全体として決して「貧しい」わけではなく、文化的にも、庶民レベルで、独自の、様々なものが発展して、享受されていました。幕末期に日本を訪れた外国人は、そろって、これらのことに驚きを示しています。
江戸時代、あるいはそれ以前の社会または文化を、「古く」、「劣った」ものとして、否定する見方が、一方的で偏ったものであることが、認められて来ているのです。だとすれば、それを一方的に否定した、明治維新の見方も、変わって来ざるを得ません。
むしろ、最近は、明治維新を、西洋の(金融資本家等の)支配層の戦略に乗って、日本の伝統的な文化を破壊した、残虐なクーデターであり、日本が西洋支配層の支配に取り込まれることを決定づけた、「売国的行為」とする見方も出てきています。
このような見方には、多少とも、「反動的」なものはあるでしょうが、決して根拠のないものではありません。明治維新が、西洋の黒幕の力を借りて、天皇をすり替えるなど、謀略に満ちた方法で、新たな権力を樹立したものであったことは、間違いないと思われるのです。この点については、かなり多くの研究がありますが、たとえば、比較的穏健に、説得力をもって示されている、加治将一×出口汪『日本人が知っておくべきこの国根幹の重大な歴史 』(ヒカルランド )を参照ください。
いずれにしても、このように、歴史的な出来事も、180度見方が変わり得るものであり、「歴史」というのは、「事実」そのものではなく、それをどう捉えるかの「見方」そのものであることを、改めて感じます。
ジャーナリスト船瀬俊介氏は、歴史=historyとは「his」「story」、つまり「彼の物語」なのだと言っています(https://www.youtube.com/watch?v=n9pS9tyTUN4 )。「彼」とは、その社会の「支配者」ということであり、歴史とは、あくまで、その社会の支配者が、その「正当性」を多くの民衆に押しつける「物語」だということです。
それまでの貴族社会や幕藩体制は、みかけ上の「支配者」が見えやすかったので、このことは理解しやすいでしょう。ところが、「明治維新」以後は、巧妙に、自由や平等の観念に隠されて、みかけ上「支配者」がみえにくくなっています。そのため、その「物語性」も読み取りにくくなっていますが、学校教育を通して広められる現代の「歴史」においても、結局は、同じことなのです。
(このような捉え方には、「陰謀論」という見方がつきまといます。この「陰謀論」というのにも、「オカルト」と同様、「非理性」「反理性」を象徴するものとしてのレッテルが、張られているのです。確かに、「オカルト」と同様、危険性を含み、扇動的なものが多いのは事実です。しかし、同時に、「隠された真実」を含むものがあることも、「オカルト」と同様なのです。この辺りのことは、またいずれ、とりあげたいと思います。)
私は子供の頃、「歴史ほどつまらない授業はない」と思っていたのですが、それは、このような一方的な見方を、ステレオタイプ的に押しつけられるところがあったからだと思います。
とは言え、私も、「明治維新」が、近代社会の一員となるために必要な、良き改革であったという見方は、自然に受け入れてしまっていました。教育による洗脳の効果というのは、恐ろしいもので、表だって、教育の内容自体を受け入れていないつもりでも、背景にあるものの見方を、知らぬうちに、取り入れてしまっていたりするのです。
そして、江戸時代以前の日本は、「貧し」く、迷信に囚われた社会で、世界的にも劣る、「恥ずべき」ものという見方も、自然にしてしまっていたと思います。いわゆる「自虐史観」的な見方です。
最近は、それが反省されたりもしているのですが、もちろん、反対に、ただ自文化を称賛すればよいというものでもありません。また、自文化を称賛すると言いつつ、本当には、江戸以前の日本の文化を、深いところから肯定しているとは思えないものも、よくみかけます。
特に、私の立場からすれば、これらの文化は、現在は「オカルト」とされる領域を重視して来た文化なのだから、それに対してどのような態度をとるのか、そこを曖昧にしている限り、本当には、自文化の見直しにはつながらないと思います。
ともあれ、我々は、明治維新という近代のあり方を取り入れて、新たに身につけられた見方を、当然の前提のようにして、それ以前の過去についても当てはめて、一方的に解釈してしまっているところがあるのです。
そのような、近代以降に身につけられた、歴史の見方で、最も問題なものを一つあげるとすれば、次の見方だと思います。
「歴史」は、過去から現代へと、「進化」して行く。つまり、人間は、時代とともに、「進化」して行く。
この見方こそが、「過去」を、「古く」、「乗り越えるべきもの」として否定し、現代を、最も「進化」したものとして、「正当化」する見方をもたらす、根本だと思います。
しかし、そんな保証は、どこにあるのかということです。人間が、時間とともに「進化」するなどという保証は、どこにもないはずなのです。
実際、近代以前には、むしろ人間は、時間ととに「退化」するという見方の方が主流でした。
古代ギリシャでは、人間は、黄金の時代、銀の時代、銅の時代、鉄の時代という風に、時代とともに「退化」(堕落)するとみなされました。古代インドでも、同様に、サティヤ・ユガ、トレーター・ユガ、ドヴァーパラ・ユガ、カリ・ユガという風に、時代とともに退化します。ただ、ある出来事によって、初めのサティヤ・ユガに戻り、また退化して、そのサイクルを繰り返すという発想がされていました。
このように、全体として、人間は時代とともに退化するという見方の方が、明らかに「現実的」というべきです。また、「サイクル」というのも普遍的な発想で、中国や日本でも、元号が変わるごとに、時間そのものが振り出しに戻る、「サイクル」の発想がされていました。
逆に、時間というものが、直線的に進むという発想自体、西洋独自の発想であり、一神教的な宗教が、時間を規定することに始まっています。
時間が直線的に進むということは、ある目的を設定して、時間が、それに向って進むという発想を前提にして、初めて可能なことです。この場合の目的とは、一神教的には、「最後の審判」であり、その後に訪れるとされる、「永遠の救い」のことでしょう。キリスト教的には、このような意味の時間の始まりは、永遠の救いを約束した「イエス・キリスト」が生まれたとき、つまり西暦元年ということになります。
そして、「進化」ということも、このような、ある目的が設定されて、それに沿った視点から捉えられて、初めて言えることなのです。
「永遠の救い」ということは、目に見えにくく、測りにくいことですが、西洋近代には、目に見える表面的な目的として、「物質的な発展」ということがあります。それで、「進化」ということも、かなり見えやすいものとなったのです。
確かに、「物質的発展」という視点から、それに沿う「進化」を云々することは、できることでしょう。しかし、そのような目的自体、特定の価値観から設定されたものであり、普遍的ものとは言えません。現に、西洋近代以外の文化では、そのような目的は設定されていないと言うべきです。
西洋近代が、そのような目的を設定したのは、やはり一神教的な発想が根本にあり、「物質的な発展」とは、「永遠の救い」ということの、目に見える形の現れであり、あるいはそれに近づいていることの、一つの指標とされたからでしょう。(基本的には、資本家等を中心に、物質的、経済的に「富む」ことが、宗教的な救いという観点からも、価値づけられ、正当化されたということです。)
しかし、それは、非常に特殊で、「限定」的な発想であるにも拘わらす、一神教的な「普遍性」を標榜するものなので、他の地域の多くの人間に、「押しつけ」られていくものとなります。その力が絶大で、逆らい難いほどのものであったのは、確かなことでしょう。
それにしても、「進化」とは、ある観点から言えることでしかなく、全体として、人間が、時代とともに進化するなどということは、言えるはずもないことです。
ただ、西洋流の「物質的発展」という目的ないし価値観が、取り入れられるのに応じて、それに沿う方向が、「進化」とみなされたということに過ぎません。そして、そのために否定されたものとは、「物質的発展」ということと相入れないもの、つまり、現代では、「オカルト」という言い方で総称されるような、「目に見えない」「霊的な性質のもの」だったということです。
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