「タブーの意識とオカルト」の記事紹介
ブログ『狂気をくぐり抜ける』の方で、「タブーの意識」と「オカルト」に関する3回の記事を投稿していますので、紹介しておきます。
「タブー」の意識とオカルト 1
「タブー」の意識とオカルト 2
「タブー」の意識とオカルト 3
「オカルト」には、嫌悪の感情とタブーの意識がつきまとうことは、こちらでも何度も述べていることですが、今回の記事は、「タブー」とは何かということに溯って、かなり根源的な考察をしているものです。
〇「タブー」には、もともと両義的な意味があったことと、現代にもはびこるタブーの意識。
〇近代は、「オカルト的なもの」を一般的に排除したが故に、「タブー」の本来の意味を失って、もっぱら「恐れにより避ける」という、否定的なタブーの意識の拡大をもたらしたこと。
〇「タブー」は、もっぱら守られるだけでなく、その「侵犯」によってこそ、停滞が破られ、「聖なるもの」に近づくことや、隠された「真実」に触れることができること。
〇「オカルト」に嫌悪の感情とタブーの意識がつきまとう、根源的な理由。
〇「生け贄」こそが、原初の「排除」として「タブー」を生んだという可能性。
〇近代という秩序を生むための、「オカルト的なもの」の排除こそ、まさに、それまで信仰していた「神々」の「生け贄」であり、強力なタブーを生んだこと。
などのことを明らかにしています。
いったんは葬り去られた、「オカルト的なもの」を捉え直すということは、このような意味での「タブーの侵犯」であり、大変なことには違いありません。ですが、現在の停滞状況の突破と、無意味なタブーのはびこりを押し止どめるためには、是非とも必要なものであるということです。
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