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2020年7月17日 (金)

「捕食者」への対処

「捕食者の心」を脱することについては、『狂気をくぐり抜ける』の記事『ドンファンの言葉―「捕食者」を脱する道』で、ドンファンの言葉をあげながら、述べています。ドンファンの説明では、「捕食者への対処」と「捕食者の心を脱する」ことが、一体的に述べられています。

 

しかし、次回改めてみるように、「捕食者の心を脱する」とは、途方もないことで、誰もが望み得ることでもないので、ここでは、まず、「捕食者への対処」を、その前提となることとして、より一般的な観点から、述べたいと思います。

 

前回も触れたように、「捕食者は宇宙の本質的な一部」であり、「宇宙の探測装置としての人間に働きかける」ものです。人間が「宇宙の探測装置」であるとは、宇宙は、人間の経験を通して、自分自身の認識を得る(ものとして造った)ということです。捕食者も、そのような人間に働きかけることで、結果的には、宇宙の自己認識を助ける働きを担っているということができます。

 

ともあれ、捕食者も、シュタイナーのいう「アーリマン存在」と同様、宇宙的意義があるからこそ存在しているということです。

 

その意味でも、捕食者は、だたの邪悪な、「悪魔」的存在とみて、恐れたり、なきものにしたいなどと思うことは、無意味です。捕食者には、闇雲に反発したり、排除しようとすればよい、というものではないということです。

 

ドンファンも、捕食者は、宇宙の本質的な一部として、「ありのままに認めて受け入れる」ことを前提に、いかに、「奴隷」状態となることなく、影響を脱して行くかを問題にしているのです。

 

捕食者の「奴隷状態とならない」とは、要は、捕食者に、「いいように食われない」ということです。ドンファンは、「捕食者の口に合わない」ようになることと言います。

 

既にみたように、捕食者は、恐怖などの「ネガティブな感情エネルギー」を食糧源とし、そのために、戦略的に働きかけている存在です。なので、その働きかけに乗って、恐怖あるいは混乱し、怒り、絶望感などのネガティブな感情を、継続的に供給してくれる者ほど、「口に合う」ことになります。先に触れたように、無闇に反発することも、「ネガティブな感情」の裏返しであり、捕食者にエネルギーを供給することになることには、注意を要します。

 

何しろ、このように、「捕食者の口に合わなくなる」とは、捕食者の働きかけがあっても、それに乗って、「ネガティブな感情エネルギー」を、供給しなくなる、ということに尽きます。

 

ドンファンは、これを端的に、「予期せぬ事態にあっても、ひるむことなく、立ち向かう能力」と言っています。それも、「強い」からではなく、「畏敬の念に満ちている」からこそ、と言うのです。

 

捕食者の戦略は、まさに、「予期せぬ」こと、こちらの予測に反し、混乱するようなことを仕掛けて来るので、「予期せぬ事態にあっても、ひるむことなく、立ち向かう」というのは、全く頷けることです。それが身につけば、捕食者の戦略的な働きかけにも、たじろがず、恐怖などの「ネガティブな感情エネルギー」を供給することもないからです。そればかりか、これは、人生を生きるうえで、一般的にも、大きく作用するはずのことです。

 

ただ、「強い」からではなく、「畏敬の念に満ちている」からというのには、注目されます。「強い」というのは、一見望ましいようですが、むしろ、「捕食者の心」の発展の方向に沿うものと言うべきです。「攻撃」または「戦い」の発想の延長にあるもので、それは、やはり、「ネガティブな感情エネルギー」の裏返しという面があるのです。

 

「畏敬の念に満ちている」というのは、捕食者に限りませんが、先にみたように、「捕食者」という存在についても、基本的なところで、「受け入れ」ているということ、その意義を認めているということになります。無闇な反発や、攻撃、戦いの発想で、対処しないということです。そのように、真に「異形の念に満ちて」いれば、「奴隷」になることもない、ということだと思います。

 

このような、ドンファンの説明は、かなり「途方もない」ことのように思われるかもしれませんが、それは、最初に言ったように、既に我々の心となっている、「捕食者の心」を脱するということと、結びつけられて言われているからです。

 

しかし、一般的にも、捕食者の奴隷状態とならずに、対処するということは、誰しも必要になることのはずで、その場合にも、これは、基本に据えられるべき視点だと思います。

 

だた、これを、もう少し、一般的に言い直せば、捕食者の働きかけなど、「気にしない」でいられるようになる、ということになるでしょう。影響を受けず、「気にしない」でいる人からは、捕食者もエネルギーを収奪できないので、離れて行くことになります。

 

しかし、これが難しいことであるのは、実は、捕食者という存在を知れば、知るほどという面もあるのです。捕食者なる存在を知らないうちは、捕食者の働きかけにも気づかないことが多く、生来、ポジティブで楽天的な人は、そのまま気にもかけないで過ごすことも多いはずです。

 

ところが、捕食者という存在を知れば、どうしても、それを意識してしまい、恐怖の思いは強まります。人間にとっては、未知の存在であり、人間を超えた存在であることは間違いないからです。「知らぬが仏」ということは、この場合にも、大いに当てはまります。

 

しかし、この『オカルトの基本を学ぶ』というブログの意図を、最初の記事で述べたように、現在は、もはや、そのような領域のことを、知らずにいることを通すことで、くぐり抜けるのは、難しい状況になっていると思います。捕食者は、単に、個人的にではなく、全体として、人間そのものや社会にも働きかけており、個人的には、大して影響を受けないようにみえる場合でも、知らずのうちに、人間そのものや社会そのものが、大きく貶められています。

 

そこで、今後は、各人が、捕食者という存在を知ったうえで、その影響を、より受けない方向に、自覚的に進むことが必要と解されるのです。

 

私は、捕食者の「恐ろしい」面についても述べましたが、「捕食者の限界」や「弱点」となることについても、多くを述べました。捕食者は、決して、人間が対処し得ない、全能の存在ではないので、それらを総合したうえで、捕食者の影響を受けなくなること、あるいは、少なくとも、より少なくして行くことは、可能なのです。

 

初め、捕食者について知り、様々な働きかけについて、知るようになると、それまで予想しなかったことだけに、驚きと混乱も強くなることとは思います。しかし、捕食者について知ることは、世界や宇宙について、より深く知ることにつながりますし、捕食者の影響を脱する動機づけにもなることです。捕食者そのものについても、知ることが増えれば、いずれ、その影響を受けなくなることは可能ということも、実感できるようになると思います。

 

むしろ、捕食者を知らないでいることこそ、捕食者に、やりたい放題にさせる、土壌になっていると言えます。実際、捕食者は、自分らについて、人間に知られないことも、戦略の一部としているのです。

 

次回は、さらに進んで、我々の「捕食者の心」を脱するということについて、みてみます。

 

なお、捕食者に対する対処法として、ここに述べたことは、捕食者そのものではなく、「捕食者的な心」の発展した、人間の「エネルギーバンパイア」の、いじめその他の、陰湿な働きかけにも言えることです。

 

 「捕食者への対処」については、『狂気をくぐり抜ける』の記事『まとめ-「補食者」について』の、<6 その「克服」、あるいは影響を「脱する」ことに向けては、彼らを、「補食者」として、あるがままに認めて、「受け入れる」ことが第一歩である。>でも、改めて、かなり詳しく、まとめ的な説明をしているので、是非参照ください。

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