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2020年6月27日 (土)

「捕食者の心」と「ウイルス」

「捕食者は、ウイルスのように、人間に寄生している」ということを、何度か述べました。ウイルスは、以下にみるように、細胞に寄生しない限り、生を営むことができません。同様に、「捕食者」は、人間が発する恐怖等の感情エネルギーを食糧源としているので、人間に寄生せずしては、生を営むことができないのです。

 

それは、「捕食者」が、人間に働きかける必然であると同時に、人間に「依存」しているという意味で、その限界を示すものでもあります。

 

この「ウイルスとの類似性」というのは、かなり本質的なもので、また、単に抽象的にではなく、具体的なレベルでも言えることです。今回は、それをみてみたいと思います。

 

ウイルスは、DNAまたはRNAという遺伝情報は備えていますが、細胞に侵入して、細胞の中のシステムを利用しないと、それを複製して増殖することができません。つまり、細胞に寄生することによって、初めて、自分自身を増殖するという生命の基本活動ができるのです。

 

そのやり方は、いろいろありますが、たとえば、エイズなどの、RNAレトロウイルスは、逆転写酵素によって、自己のRNAからDNAを合成し、宿主の遺伝子DNAの中に忍び込ませます。そして、その複製機能により、宿主細胞と共に、自己自身の複製もさせてしまうのです。

 

これは、ほとんど、宿主細胞を「乗っ取っる」と言ってもいいものでしょう。

 

さらに、このウイルスが、宿主の生殖細胞にまで侵入すれば、それは、宿主の子孫にも受け継がれ、その中でも、増殖することができることになります。

(ちなみに、新型コロナウイルスは、RNAウイルスではありますが、レトロウイルスではありません。ただし、エイズウイルスを挿入して造られた人工ウイルスとの見方もあり、そうであれば、レトロウイルス同様細胞の遺伝子に入り込むことも考えられます。)

 

ここには、ウイルスの、恐るべき、「捕食者的な面」が、垣間見られると思います。だたし、それは、単に、対象を「食糧源」とするという「捕食者」とは、大分異なるように思われるかもしれません。(実は、「食糧源」という点でも、私は、ウイルスが、実際に、捕食者と同様、恐怖のような感情エネルギーを、何らかの意味で、自己増殖の推進材料にしていると思っていますが、それは今はおいておきます。)

 

しかし、捕食者もまた、人間の内部に寄生することで、自己増殖を図っている、あるいは、人間の支配を徹底している、ということが言えるのです。

 

捕食者が、人間の社会慣行や、信念体系を通して、人間を支配下においていることは、既にみました。しかし、それが本当に可能になるのは、単に、そういった慣行や観念を、外から吹き込むからというだけではありません。捕食者は、自分自身の「心」を、人間に与える(植え込む)からこそ、それを通して、支配、コントロールを徹底することができるのです。

 

「捕食者」については、ブログ『狂気をくぐり抜ける』でよくとりあげるように、カルロス・カスタネダの師ドンファンが、詳しく、鋭い説明をしています。記事『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』でもとりあげていますが、カスタネダが、捕食者は、なぜ(知らないうちに)そんなに人間を支配できるのか、という疑問を呈したときの、ドンファンの答を再びあげてみたいと思います。

 

やつらはそれよりはるかに有能で組織的だ。われわれを弱く従順で意気地なしにさせておくために、捕食者どもは素晴らしい策略を用いる。素晴らしいというのは、もちろん喧嘩好きの策士の観点からしてだぞ。受ける側からすれば、恐ろしい策略だ。やつらは自分の心をわれわれに与えるのだ!おい聞いているのか?捕食者どもは自分の心をわれわれに与える。そしてそれがわれわれの心になる。捕食者どもの心は粗野で矛盾だらけで陰気だ。そして、いまにも発見されてしまうのではないかという恐怖に満ちている。」

ドンファンが言うように、我々のどうしようもない、粗野で陰気な心、また、深いところで、さまざまな影響を与える、「食えなくなってしまうのではないか」という恐怖は、捕食者の心から来るということです。ドンファンは、「われわれを自己満足に陥らせ、型にはまった行動をとらせ、極端に自己中心的な存在にさせている」のが捕食者の心だとも言います。

 

自分自身の心を顧みれば、そのような「心」があることは否定できないと思います。

 

さらに、ドンファンは、「われわれが日々あらゆることをするのに用いる心」が捕食者の心になっているとも言っています。

 

捕食者の心は、「外来の心(装置)」とも言われるのですが、それは、元々ある心(内部的な心)に対して、外から植え込まれたものだからです。この二つの心が、人間に様々な葛藤や問題をもたらすのです。ドンファンが、人間には捕食者がいるという話をし始めたのも、カスタネダが自分の内部で、葛藤を感じていたときで、その源が、捕食者にあることを教えるためです。

 

しかし、今や、元々の心は、敗北して隅っこに押しやられているので、何かするときの心は、すべて「外来の心」になっていると言うのです。つまり、外来の心が、元々の心に「寄生」していると言うだけでなく、もはや、「乗っ取られている」のも同然ということです。

 

まさに、レトロウイルスが、人間の遺伝子に侵入して、増殖するのと同じようなことになっているということです。実際、捕食者の心には、遺伝子レベルでみれば、それに対応するものがあるはずで、遺伝子レベルでも、植え込まれたものがあるはずです。ある意味で言うと、人間は捕食者の「創造物」、あるいは「子」でもあるわけです。逆から言えば、捕食者は「創造神」、あるいは「父」です。

 

捕食者などと言うと、人間とは縁遠い、疎遠な存在のように思われるかもしれませんが、人間の内部にも住み着いている、身近な存在でもあるのです()。それは、逆に、捕食者なるものは、決して我々の理解の及ばない存在ではなく、我々の「心」を顧みることによって、どのような存在か、十分推察することができるということでもあります。

 

この、人間の内部に「植え込まれている」という点は、衝撃的で、違和感が強いかもしれませんが、シュタイナーのいう「アーリマン存在」も全く同様で、人間の内部に自らの性向を植え込んだとされます。それは、「アーリマン的性向」などと呼ばれます。

 

さらに、シュタイナーは、細菌(当時ウイルスと区別されていなかったので、ウイルスも含む趣旨と解とされる)そのものが、アーリマン存在によりもたらされたとしています。だとすると、捕食者とウイルスに、本質的な類似性があるのも、当然ということになるでしょう。

 

ただし、シュタイナーは、アーリマン存在は、単純に「悪」なのではなく、人間に「均衡」をもたらし、「進化」を促す存在としています。これは、アーリマン存在がもたらした、ウイルスにも言えるはずのことで、恐るべき面のみをみて、やたらと怖がることは、無意味と言うべきです。

 

ドンファンも、捕食者は宇宙の本質的な一部であり、宇宙の探索装置としての人間に働きかけるものとしています。ただ、それは、外から来ているのである以上、それを脱することは可能としています。

 

次回は、それについてみてみることにします。

 

 従って、人間でも、この捕食者の心が強く発展している人は、捕食者的なあり方をしています。その人といると、何かしらネガティブな気分になり、エネルギーを消耗させられるという人がいると思います。エネルギーを吸い取られているのです。「エネルギーバンパイア」などとも呼ばれます。

 

ただし、人間は、だれしも、そのような心を持っているのであり、状況によっては、自分自身がそのようなあり方をすることもあり得るのです。

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