補足 低次の自我から高次の自我へ
前回の補足になります。
前回、「低次の自我から高次の自我への移行」ということを、「霊界の境域」に入ると、低次の自我が混乱して、行き詰まり、一種の死を迎えるので、潜在していた、高次の自我へと譲り渡されなくてはならなくなる、ということで説明しました。
こう言うと、「低次の自我」と「高次の自我」が、全く別ものであるかのように思われるかもしれません。しかし、当然ですが、これらは、いずれも、自分自身の「本性」の現れとして、本来は、一つのものです。「魂」あるいは「霊」は、様々に分離する可能性のあるもので、「自我」や「人格」というのも、分離して現れ出ることがあるのは、既に何度か述べました。
あるいは、低次の自我と高次の自我は、無意識領域では、つながっていると言った方が、分かりやすいかもしれません。
意識領域では、「低次の自我から高次の自我への移行」は、一種の「断絶」として感じられますが、無意識領域では、「連続性」があるということです。
これを図で表すと、次のようになります。
ただ、このような移行が、断絶として感じられるのは、低次の自我が、未熟であったからであり、「霊界の境域」へ入ることが、準備もなく、望まずして起こったのであったことが、大きく影響しています。私自身、そうでしたので、説明は、そのような観点からの説明になっています。
シュタイナーの言うような、自覚的な修行において、自我が霊界の参入に向けて、それなりの準備をし、十分鍛えられていた場合、「霊界の境域」での混乱は、より少なく、高次の自我への移行は、よりスムーズに行くと思われます。その場合は、意識領域でも、連続性をもって、移行が可能と思われます。
図にすると、つぎのようになります。
シュタイナーは、自然な成長の先に、あるとき気がついたら、高次の自我へと移行していたというのが、理想の形だと言います。しかし、そのような場合は、稀だと思います。
自覚的な修行をしていて、高次の自我への移行が、スムーズに行くこと自体も、かなり少ないことと思われ、やはり、何らかの意味で、「断絶」が起こるのが、普通のことと思われます。
ただし、低次の自我が、断絶となるような、「死」を迎えれば、高次の自我が、必然的に浮上するというわけではありません。移行が起こるには、高次の自我が、その時点で、少なくとも、何らかの意味で、目覚め始めている(意識に浮上する可能性あるものとなっている)必要はあります。そこで、霊的なものへの何の指向も、準備もなしに、移行が起こるということは、考えにくいことです。
私の場合も、霊界の境域に入った時点で、ある程度の霊的な指向や知識はありました。ただ、それも、実際に入ってみると、とってつけたようなものだったことが分かり、十分には役立ったとは言えません。それで、低次の自我にとっては、霊界の境域は、未知の状況そのもので、遂には、完全に行き詰まり、「死」を迎えることになったので、断絶の要素は、はっきりと伴いました。
何しろ、現代人にとっては、このような移行は、それだけ大変なことであることは、強調しておきます。
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