その他

2024年1月16日 (火)

本年度の動向と昨年度ページビュー数ランキング

1  本年も、初っ端からガツンと挨拶をかまされた感がありますが、これは、本年は、これまで以上に大きな変動があることの「宣言」ないし「象徴」と受け取っていいでしょう。

特に、本年は、支配層が、憲法改正、緊急事態条項の発議を是非ともしたいと考えていることの現れだと思います。安倍派の一掃は、既定路線と思われますが、あまりの支持率の低下の流れを止めて、憲法改正、緊急事態条項の追加の必要を大きく訴えかけようとする意図があるのだと思われます。

2025年辺りから、明らかに目に見えるような形で、本格的な変動が起こることは、『日月神示』を初め、各方面で言われていることなので、いずれ記事でもそれについて述べたいと思います。

 

2  こんな時勢ではありますが、本年は、延び延びになっていた、統合失調に関する分かり易いまとめ的なプログを始めたいと思います。

当初、霊的、オカルト的な観点から、結論的なことを端的に分かり易く述べるだけにしようと思っていましたが、精神病理学など、それになりに統合失調の本質に迫ろうとするものとの関係にも、触れておきたいと思っています。多少、読む本も増えているので、始めるのはもうしばらく後になると思われます。

 

3  恒例の昨年度ベージビュー数ランキング、トップ5を掲載しておきます。

1『魂の体外旅行』-「ルーシュ」の生産: 狂気をくぐり抜ける

2 新たな神示『よひとやむみな』: 狂気をくぐり抜ける

3「捕食者」についての本―『無限の本質』: 狂気をくぐり抜ける

4『精神病の日本近代』―「憑く心身」から「病む心身」へ: 狂気をくぐり抜ける

5 「虚無感」は根源的なものであること 2: 狂気をくぐり抜ける

 

1,2.3は、かつてからずっと上位のものですが、45は、昨年の新しい記事になります。

 

2023年1月 5日 (木)

本年の予測、新ブログの予定等

明けましておめでとうございます。本年初めの記事になります。

本年度も、これまでの「世界統一政府樹立」に向けた流れは、加速されると思われます。

地震、台風その他の気象現象、火山の噴火などもそうですが、状況をみても分かるとおり、本年は、紛争・戦争の危機の煽りが爆発的に拡大され、日本においても、憲法改正、緊急事態条項の新設が実現される可能性が高まります。()

そうなったら、支配層にとって、世界統一政府実現に向けての峠は越えることになるでしょう。

マイナカードの事実上の義務化が促進されるなど、AIによるデシタル支配、人間のロボット化の方向も加速されるでしょう。

新たな株またはウイルスによるパンデミックも起こされるかもしれません。

全体としての流れが変わることがあるとしたら、本年が最後のチャンスとも言える状況です。

 

恒例のページビュー数ランキングは、前年とあまり変化はありませんが、『新たな神示『よひとやむみな』』が1位にランクされているのが特筆されます。『日月神示』とはまた違った視点から、現状を鋭く見据えた神示がなされているのが特徴です。

本当に、「世の人が皆止む」ほどのことが起こるかどうかは、何とも言えない状況ですが。

 

昨年予定していた、狂気について端的に分かり易くまとめる形の新ブログは、本年にはとりかかりたいと思っています。

そのようなことをやっている時期ではない気もしますが、この先は、ますますそうなるので、やるのであれば、本年しかないと思われます。「狂気」は、私が主題としてとり上げて来たことであり、体験者として自信をもって提示できることなので、一つの集大成としてなしておきたいと思います。

この先起こる、世界的な「闇」をくぐり抜けるにおいても、大きく参考になることのはずです。

 

※ これを実現するにおいて、安倍氏の暗殺または暗殺の演出、旧統一教会との関係の暴露は、大きなマイナスのように思われるかもしれないが、恐らく、支配層にとって、安倍氏も旧統一教会も「用済み」または、むしろ「邪魔もの」となったので、切り捨てたのだと思われる。安部氏またはその息のかかった者がやるのでは、ベタ過ぎるし、思想的色が強くなり過ぎて、反発も大きくなる。旧統一教会との関係も、いずれは表に出ざるを得ない。

一旦は失速しても、こういったことを、取り除いておきながら、客観的な状況から止む無くやるのだというイメージで、一気に突き進ませようとしていると思われるのである。

 

2022年8月31日 (水)

さくやさんの「茶番-生きている説」について

ミナミAアシュタールの動画 で、安倍元首相の事件について、とりあげられた。

宇宙人のさくやさんが、「エネルギーを読んで」捉えたことということだが、真相は直接は語れないので、他の星での出来事として、間接的に、概要だけが語られている。しかも、さくやさんはほとんど語ることなく、あつし氏が語ることに頷くだけという形になっている。

だから、詳しいことは分からないのだが、一言で言えば、安倍氏は死んでおらず、「茶番-生きている説」ということになるのは、はっきりしている。

これは、安倍氏の事件の当初、ツイッター等ではもちあがった説だが、ここに来てほとんど顧みられない説であり、一般には、衝撃以外の何ものでもなかろう。

ただ、私は、「茶番-生きている説」自体は、記事『茶番or暗殺暗黒の時代に突入することは確定』でも、あり得ることとしていたし、それは、今も変わっていない。

しかし、この動画の説明から受ける印象では、私の考えていた、「茶番」ということとは、かなり相違があり、やはり驚きは大きい。

私としては、さくやさんの本やブログ、動画などを通しての説明は、これまで、多くの点で、納得のいくものであり、私の見方との共通点も多いことを感じている。だから、さくやさんのこの事件に関する説も、とても捨ておく気にはなれず、基本的には、受け入れられるという前提に立つ。

そもそも、この事件については、不可解な謎が多く、映像や奈良医大の福島教授の話などと整合する説が、いろいろ考察されてはいるが、単独犯説、スナイパー等による別人の暗殺説など、いずれも決定的ではない。

だから、「茶番-生きている説」も、決して成り立たないと決めつけられるものではない。

ただ、私としては、さくやさんの説は、かえって謎を深めてしまう感がある。

そこで、今回は、私の考えを特に述べることはしないが、さくやさんの説の概要を紹介し、その疑問点を整理しておくことにしたい。私の考えは、いずれもう少しまとまった時点で、述べることにする。

さくやさんの説の概要

安倍氏の暗殺事件は、自民党と安倍氏が組んで仕掛けた、茶番の演出である。安倍氏は、実際は撃たれておらず、今も生きている。しかし、当初は、死ぬことは想定されておらず、奇跡の復活を遂げる予定だった(A案)。ところが、マスコミの報道とは別に、事件の動画や写真などが出回り、「茶番」も疑われる状況となったので、死んだことにすることになった(B案)。

このような演出を仕掛けた理由は、参院選について、与党及び改憲勢力の劣勢が見込まれていたので、その起死回生の挽回を図る。さらに、安倍氏が、逮捕の可能性もある、モリカケ問題等の問題を抱えていたので、その解消を図る、ということである。

安倍氏のいる場所を言うことはできない。ただ、安倍氏の出自や旧統一教会、満州国の建設の話との絡みで言うと、北朝鮮と思われる。

山上容疑者のことは、一切語られない。ただ、暗殺の理由とされた、旧統一教会のことには触れられ、初め、報道では、「ある団体」として伏せられたが、選挙後、外国のメディアが名を出したことから、表に出たとする。現在、マスコミで叩かれているのは、自分らを排除しようとした自民党の勢力を貶めて、発言力を高めたい、公明党グループの目論みも関係している。

疑問点

記事『茶番or暗殺暗黒の時代に突入することは確定』でも述べたが、このような壮大な茶番を演出するのは、大変で、リスクの大きなことであり、よほどの理由とメリットがなければ、できないことである。

しかし、さくやさんの話から窺える限りでは、仕掛けたのは、自民党という国内レベルの政治組織であり、理由も、安倍氏の責任逃れという、個人的な色彩が強い。参院選での、改憲勢力の勝利は、上からの指令である可能性があり、そこには、その指令に従う必要もあったかもしれないが、大枠、国レベルの仕掛けとして、このような壮大な茶番が仕掛けられたということなら、それはとても信じ難い。

9・11も一種の茶番だが、これは、米国が主導と言えども、さらに上の組織(恐らく宇宙人の技術も絡む)が、世界レベルの効果を狙って起こしたものであり、同列には論じられない。

(ただし、記事『「世界統一政府」と国の首長』で述べたように、世界統一政府の樹立を急ぐ、(宇宙人を含む)支配層の危急の策としてなら、私はあり得ることと思うし、恐らくさくやさんの説も、後にみるように、実際には、そういうことを含むという可能性はある。)

演出とすると、奈良県警はもちろん、奈良医大、報道関係その他、多くの関係組織を丸め込み、予め知らせたうえ、実行されなくてはならない。

奈良県警は、まさしく、(演出にしても暗殺にしても)寄与したとしか考えられない状況だが、安倍氏の手術を担当した奈良医大の福島教授の話は、予め用意されたウソとは解しにくい。山上容疑者の銃撃とは一致しない、心臓にまで達した頸部の銃創などの話をしているからである。もっとも、当初の怪我だけの予定から、死んだことにするという混乱を受けて、話も錯綜したものになったという可能性はある(後に司法解剖で、一応の辻褄合わせが図られた)。

安倍氏の責任逃れの点についても、これだけの演出と、多くの組織の丸み込めをするなら、検察も抑え込められなかったのかという気がする。

茶番であるならば、山上容疑者もグルということになるが、それでは、わざわざ自民党にとって不利になる旧統一教会のことが、理由としてあげられるのも、(初めは名は伏されたにしても)解せないことである。

安倍氏にとっても、奥さんとも別れて、(何らかの指令と影響力の行使はその後もあるのかもしれないが)実質権力を失う「雲隠れ」を実行するというのは、よほどの理由と決断がないとできないことのはずである。

そのほかにも、いくつかあるが、とりあえず、大きな疑問点は以上である。

もし本当に、さくやさんの言うとおりのことが行われたのなら、日本は、もはや完全に、救いようもなく、「終わっている」としか言いようがない。こんなことをする国の言うことなど、1ミリたりとも聞く気は起こらない。

ただ、ミナミAアシュタールのコンセプトは、「ピラミッド社会の真実を知って、そっと離れる」ということにあるので、多少、その「真実」を強調して、一面的に話す傾向はあるようである。

それに、繰り返すが、今回のさくやさんの話は、ほんの概要だけで、詳しい背景などには一切触れられていない。今後、そのような話も出されてくるかもしれず、そうすれば、実際には、もっと違った印象になる可能性があるし、多くの疑問も解消する可能性はある。

今回は、とりあえず、ここまでとする。

2022年7月24日 (日)

「世界統一政府」と国の首長

支配層が、「世界統一政府」の樹立を急いでいる状況だが、各国の首長にとっては、それは、喜んで進めたくなるようなことではない。

予め、「世界統一政府」での要職を約束されてるような人ならともかく、そうでなければ、彼らは、「一国の主」という立場から、「一地方の頭」といった立場に、追いやられてしまうのである。

それも、「世界統一政府」では、個々人が、AIによるデジタル的な一元管理で、直接支配されるようになるから、一地方の頭といっても、ほとんど機械的なお役所仕事のまとめ役に過ぎず、実質的な権力などは、ほとんどなくなってしまう。

だから、各国の首長クラスの人たちは、「世界統一政府」の樹立を、本心では望んでおらず、支配層にとっても、「世界統一政府」に向けて、どうやって、彼らを動かすかというのは、かなりてこずる問題のはずである。

安倍氏が支配層によって暗殺されたのだとすれば、それは、こういった問題とのからみで起こったことと解される。

こういった、支配層の目論みに、目に見えて、最も反抗的なのは、トランプやプーチンだろう。彼らは、たとえ自国の範囲であっても、自分の権力を手放すようなことはしたくなく、自国第一主義的な発想を変えたくもない。そもそも、性格的にも、シュタイナーでいえば、「ルシファー的な傾向」が強く、自分の望みや思いに忠実に、したいようにしたいのだ。

彼らには、「世界統一政府」の要職が約束されるような話はあったかもしれないが、宇宙人を含め、彼らの上に存在する者たちを、ある程度知る彼らには、それは、必ずしも魅力的な話ではない。少なくとも、今ある自由は大きく奪われることを知っているのである。

安倍氏はというと、彼らに比べれば、明らかに支配層の意向に忠実なところがあるが、反面、彼らに通じる、「ルシファー的」な、自分を押し通すところもある。実際、トランプやプーチンとは、肌で、気が合っていたようである。

要するに、支配層からすれば、大きく期待のかけられる人物であると同時に、思いどおりに動かず、腹立たしい存在でもあるということである。期待のかけられる分、思いどおりに動かないときの安倍氏は、余計に、怒りを買うことも多かっただろう。今回の事件も、そのようなことが、大きく影響したと考えられる。

支配層は、このような人物ではなく、もっと自分らに忠実な者を、国の首長に据えればいいではないかと思われるかもしれないが、自分らに忠実であることは、必ずしも、国を動かすうえで、有能であることにはつながらない。「ルシファー的」なタイプには、カリスマ性もあり、それは、支配層にとっても、大いに利用したい要素である。

安倍氏の暗殺は、そのようなカリスマ性を利用して、英雄として祭り上げつつ、その遺志を、(安倍氏以上に)多くの者に継がせようという意図もあったと思われる。

いずれにしても、今後も、このような形での、支配層と各国の首長たちとの軋轢が、いろいろ表面化して行くだろうし、安倍氏のように、暗殺される人も増えて行く可能性がある。

2022年7月13日 (水)

茶番or暗殺―暗黒の時代に突入することは確定

今回の事件について述べることには、躊躇があったが、今後の日本の成り行きを決定する、重要な事件でもあるので、ほんの概要だけだが、淡々と考えられることを、述べることにする。

7月8日の安倍元首相の銃撃、暗殺事件は、私も、知ったときには、かなりの衝撃があった。だが、同時に、それをどこかで知っていたかのような感覚も起こって、「やっぱりか」という、冷静な感じで受け止める部分も大きかった。恐らく、死ぬだろうという気はしていたし、実際、その後しばらくして、そう報道された。

この、「どこかで知っていた」という感覚は、実のところ、私だけでなくて、日本人のかなりの人が、もっていたのではないかとも思っている。意識して、そう思う人は少ないかもしれないが、その後の多くの人の反応をみると、どこかでそう分かっていたかのように、冷静に受け止めているように思えるのである。もちろん、痛ましい思い、安倍氏に対する同情や哀悼の意はあっても、このテロ事件そのものに対する大きな混乱や、恐怖、怒りは、(報道や政治家たちは散々煽っていたけれども)それほどのものがないと思われるのである(動機が、あまりに個人的なものであったことも大きいだろうが)

その意味では、この事件の意図は、半分は失敗に終わっているとも言えるが、一方では、選挙結果にみるとおり、大きな成果をもたらしたのも疑いがない。

私は、初め、一般に報道されている情報や映像でみたときは、いくつかの不自然な点はあるが、恐らく、これは、報道されているとおり、個人的な動機に基づく偶発的な犯行で、たまたま警備の薄い、選挙活動中に起きたことなのだろうと思った。ただ、結果として、多くの同情票をもたらし、参院選の選挙結果には、かなりの影響を与えるだろうと憂えた。

しかし、その後、ツイッターなどにあげられている、発砲後の詳しい映像を見ると、あまりに不自然な点が多いことに、驚かされた。1回目の発砲後、誰も犯人を取り押さえる動きもなく、2回目の発砲がなされていること。周りの者がしゃがみこんでいるのに、安倍氏は立ったまま平然とし、しばらく後に後ろを振り返って、2回目の発砲を受けていること。2回目の発砲後、ゆっくりと台を降りて、前かがみに崩れていること。首を打たれて、心臓に損傷を受けたと報道されていたが、体や服、周りには血がほとんど見られないこと。そして、安倍氏の右肩に、赤い色の不審なものが巻かれていることなどである(止血帯とみるのも不自然である)

ツイッターには、そうしたことから、この事件は「茶番」とする意見もあげられていたが、確かに、もはや、たまたま偶然の重なりで、こうなったと解するには、無理があるほどの不自然さである。

人が死んでいるのに「茶番」というのは、不謹慎とも言われるが、これだけのことがあるのに、「茶番」というのを考慮してはならず、初めから排除するというのも、おかしなことである。私も、これらツイッターにあげられている映像を見る限り、「茶番」の可能性はあると思わざるを得なかった。

しかし、同時に、実際に、茶番によって、このような壮大な演出をなすことは、あまりに大変なことで、非現実的なことでもある。現場にいて関わった多くの者たちから、警察、病院、報道陣、その他多くの組織や者たちが、茶番の事実を知ったうえで、「グル」となって演じなければならない。そもそも、うまくいかずに、大失態となる可能性が多くあるし、一応成功したとしても、これだけの者たちに、口封じをして隠し通すのも、大変なことである。

安部氏が生きているのだとしたら、その後の「処し方」も大変だし、たとえ既に本人は死亡していて、影武者かクローンだったとしても、それなりに対処は必要である。

それに対して、そのような演出から得られるメリットは、「実際に暗殺する場合に比して」だが、それほど多くはないと思われる。もちろん、衝撃と恐怖の演出にはなるし、同情票をもたらし、参院選で、改憲勢力3分の2の議席確保の「使命」を果たすことにもつながる。しかし、それらは、実際に暗殺することでも、というより、その方が確実に得られる効果である。

また、切羽詰まった支配層にとって、安倍氏を実際に暗殺するだけの理由は、十分あったと思えるし、そうでなくとも、死をもたらしてでも、今回の参院選後、早いうちに、憲法改正と緊急事態条項の加入をなさせて、日本を戦争に巻き込むことは、絶対に実現したいことだったと思える(記事『「知ってはいけない」ことの危急版』参照)

単に、同情票を見込んだだけでなく、選挙の不正もあったかもしないが、事件の結果、その不正は取りざたされる余地が少なく、多くの者に納得されやすくなった。今後も、政権の者や民衆に、安倍氏の遺志を継がせるという意味もあるし、政権の者たちが、今回の暗殺が、「上からの指令」と気づくとしたら、本気でそれをしないと自分らが危ないという脅しの意味もある。このような緊迫感は、茶番ということでは生まれにくい。

そもそも、参院選の前に、ウクライナ戦争と北朝鮮の危機、中国の脅威が継続してあったのも、コロナの第7波とも言われる、感染者の増加があったのも、危機を煽って、憲法改正と緊急事態条項の必要を印象づけるためと言える。

参院選は、平時であれば、(バランス感覚が働いて)衆院で絶対多数を確保している与党ではなく、野党に票が集まり易いが、今回は、危機感を様々な方面から煽ることで、緊急時に迅速に対応すべく、与党に票を集めようとさせたし、安倍氏の暗殺は、その最後の決定打ということになる。支配層も、それくらい切羽詰まっているということである。

そういうわけで、私は、映像だけからすると、茶番説もあり得るし、実際、捕食者的には、こういう茶番は「大好き」で、本気になれば、これぐらいのことはなし得るのだが、どうも、今回は、(恐怖の演出の意味も兼ねて)、実際に、多くの者の目の前で、暗殺することにしたのではないかという気がしている。

もちろん、背後には、世界統一政府の実現を急ぐ、支配層がおり、犯人は何らかの方法で、安倍氏殺害を強力に誘導されていると解される(捕食者が憑依的に誘導することも含む)。あるいは、この犯人だけに任せて、暗殺を実現することは心許ないので、別の者も同時に狙撃するなどして、関与しているかもしれない。

いずれにしても、この事件と選挙の結果は、今後、日本が暗黒の時代に突入することを確定させたといえる。憲法改正が発議されれば、国民投票ではいくらも不正のなされる余地がある。これまでの自由は、法的根拠をもって、強制的に制限されるし、ワクチンも強制となるだろう。マイナカード、デジタル化も強力に推進して、チップと結びつけられる準備が整う。そうして、ここまでした以上は、戦争に巻き込むまで至ることも、ほとんど必至である。

この「暗黒の時代」とは、日月神示や、「よひとやむみな」で言えば、「大峠」あるいは「大洗濯」ということになる。これらの神示では、その後、神一厘の大どんでん返しが起こって、うれしうれしの世となることが言われているが、そんな保証があるわけでもなく、どうなるかは我々次第というほかない。

2020年1月13日 (月)

本年の情勢他/「幻」という意味

本年も昨年に引き続き、自然、人工の地球を取り巻く現象、国際情勢などあらゆる面で、激しい変動があると思われます。実は、大きな戦争が危惧される状況から、一応それを免れるという、綱渡り的な状況から始まったのは、昨年と同じなのです。

ただ、全体として、このような流れを乗り越えることさえできれば、少なくともこれまでよりは、よい方向に進んでいくと思われる兆候はいくらかあります。支配層の不正な行いが、これまでより表に現れやすくなり、隠せなくなっていることもその一つの現われです。

 

新年には、記事のぺージビュー数ランキングに変化があったとき、紹介していましたが、今回は、『NIGHT HEAD 」の世界』が2位に来ているという変化がありました。

NIGHT HEAD 」は、かなりマイナーなオカルト的内容のドラマですが、私も、オカルト的な仕立ての面でも、また、人間の「闇」の部分をつくという意味でも、鋭く「真実」をついたものと評していました。これに興味を寄せる人は、現在でもかなりいるということは、望ましいことですね。

 

もう一つ、前回『幽幻医学』にからめて、「物質的領域(三次元領域)」から純粋な「霊的領域(五次元領域)」に移行してみると、「霊界の境域(幽幻領域)」で起こることは、「幻」であったことが分かるので、それに伴う「病的」な状態も解消されてしまうということを述べました。

既に何度か述べていることなので、改めて言うまでもないとは思いますが、この「幻」という意味を、簡単に確認しておきます。

ここで「幻」というのは、「存在しない」ということでも、「現象として生起しなくなる」ということでもありません。その点では、精神医学が、あるいは一般に、「幻覚」というときの、「幻」とは意味がまったく異なっています。

「物質的領域(三次元領域)」から、「霊界の境域(幽幻領域)」で起こることをみるとき、それは「リアル」そのものです。むしろ、それは、「物質的領域(三次元領域)」で起こる出来事以上に、「リアル」と言っていいものです。

ただ、それも、「霊的領域(五次元領域)」(あるいは、根源的な「虚無または闇の領域」)に移行してみると、(その領域こそが、本質的にリアルなものであることが一瞬にして分かるので)、必然的に、「幻」であったと、「分かって」しまうのです。それは、観念的な意味ではなく、体験的に、全身を通して、嫌でも、即座に、分かるのです。

ですから、もはや、それに、囚われることも、振り回されるということもなくなります。「幻」ではなく、強力な「実体」だと思っていたからこそ、囚われ、振り回されていたのですから。

それに対して、精神医学、あるいは一般に、「幻覚」というときの「幻」は、「物質的領域」こそが「現実」であり、存在するすべてであるという信念から、それに該当しないものを、「幻」とみなすものです。現象そのものが、「現実」ではなく、存在しないものとして、切り捨てるのです。それは、観念的な「見方」に過ぎないので、実際に、体験的に、そのリアルさの渦中に飲み込まれている者を、納得させることなどできません。

だから、精神薬等で、無理やり現象を(見ることを)抑えて、それは「現実ではない」という見方を、「洗脳」していくしか手立てはありません。

これを図にすると、次のようになります。

物質的領域を越えた領域からみた「幻」

1

精神医学等のいう「幻」

2

2019年2月14日 (木)

UFOと人工衛星または火球の目撃

今の時期、空が澄み渡っていて、オリオン星座の星々とシリウスの輝きが強烈なので、たまに夜空を眺めるのですが…、

2月10日の夜6時過ぎ頃、灯油を汲みに出た5分ほどの間に、何と飛行機3機と人工衛星または火球2個を続けざまに目撃しました。

飛行機は普通に点滅しながら、空を飛んでいくのですが、その飛行機を見ていたら、その近くから、(私は急に出現したと思えたのですが)オレンジ色に光る物体が、飛行機とは違う方向に、ゆっくりと直接的に一定の速度で、飛行していきました。その間、光の明るさを変えていたのですが、明るくなったときは、金星よりも明るい位になっていました。

何だったのかと思っていると、しばらく後、今度は逆の方向から、初め赤っぽいぐらいの強烈な光が見えたので、火星かなと思っていると、それはゆっくりとやはり直接的に一定の速度で移動して、こちらの方向に近づいて来て、通り過ぎ、そのままやがて雲に隠れて見えなくなりました。

見えていた時間は、最初のは、10秒ほど、後のは20秒ほどと思います。音は一切ありませんでした。どちらも、かなり強烈な印象を残しましたが、方向変換や速度の変化はなく、直線的にスーッという感じで飛んで行ったので、UFOではないだろうと思いました。

この掲示板(https://www.web-nms.com/%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/)に、#1495で、同じ日に報告されているものは、時間帯や場所にはズレがありますが、私の見たものとかなり似ています。私も、初め「火球」の類かなと思っていたのですが、調べてみると、ゆっくりと移動するものは稀のようで、人工衛星の可能性も高いようです。

それにしても、短い間に、立て続けに目撃するのはかなり珍しいことでしょう。

ただ、私は、過去には、UFOらしきもの(星かと思っていたら、急に速い速度で移動して消えた。何もないところに、急に強烈な輝きを見せたかと思ったら、徐々に気えて行ったなど)も何度か見ているし、はっきりとUFOでしかあり得ないものも、見ています。

それは、小学校5年のときで、やはり星を見るのが好きで、空を見上げていたときのことです。オレンジ色に強く輝く物体が急に出現し、流れ星くらいの速い速度で、全天にわたるように、らせん状のランダムな軌道を描きながら、飛行していき、途中、雲に隠れてまた出現したりしていたのですが、最後は雲に隠れてそのまま見えなくなりました。時間は、やはり20秒ほどでした。

典型的なUFOのように、方向変換をしたり、速度を変えたり、消滅してまた出現するということはなかったのですが、飛び方が異常であり、流星でも火球でも人工衛星でもあり得ないと思います。

図にすると、次のようです。

Ufo

当時私は、既に唯物的な発想をしていたので、超能力や霊などは絶対に認めませんでした。ただ、宇宙人の乗り物としてのUFOなら、物質的なものの発展の延長上に、あり得ないことではないと思っていました。

それで、UFOである可能性を感じ、興奮気味に、父親にもその話をしたのですが、まともに相手にされず、自分としても、大した根拠はないにも拘わらず、「あれは人工衛星だったのかもしれない」ということで、胸にしまい、表面上忘れるようになっていきました。

しかし、その後も、心の隅にはひっかかっていたようで、18才の頃、当時『UFOと宇宙』というUFOに関する雑誌があったのですが、それに興味を持って読むことになりました。その雑誌は、海外の科学者の論文なども翻訳して紹介している、かなり「高度」な内容のもので、それなりの説得力がありました。それで、私は、いずれ、UFOは確かに存在すると思うようになり、私の見たものも、UFOに違いないと思うようになりました。

また、この雑誌は、UFOだけでなく、超能力についての研究も載せていました。これについては、すぐに納得したわけではないですが、簡単には否定できないとは思うようになって行きました。これは、頑なな唯物論者だった私にとって、かなり画期的なことです。

私が、「オカルト」的な事柄に興味をもつようになっていったのは、このような経緯があったからです。多分、小学5年のときに、UFOを目撃していなければ、この雑誌を読むこともなかったと思うし、読んだとしても、半信半疑で終わりだったと思います。

だから、このときのUFO体験は、後の自分にとって、とても大きな影響を与えていることになります。ある意味、後の自分を象徴あるいは導くものだったとも言えるわけです

そして、今は、そのときのUFOは、宇宙人の乗り物である物体としのUFOではなく、一種の「霊的な現象」で、それが物理的な世界に投影されていたのだと思っています。雲に隠れるなど、物理的な「みかけ」は有していますが、印象として、そう感じるのです。そして、それは、明らかに、私に見せるために起こっていたと思います。

当時、私は、唯物的な発想をしていたので、文字通りの「霊的な現象」などは受け入れられず、たとえそのような現象に遭遇したとしても、単に拒絶するか、記憶から抹消していたでしょう。ただ、UFOについては可能性としては認めていたので、まずは、私にとって受け入れやすい、UFOという形をとって現れる必要があったのだと思います。まさに、「霊的」な領域への「導き」の一歩だったということです。

このUFOは、一般の典型的なUFOとは飛行の仕方が違っている、かなり特殊なものだったことも、それを示しています。

今回、ちょっと、そのときの体験を彷彿とさせるような現象に出会ったので、思い返してみました。しかし、今回見たのも、もしかしたら、そのときと同様の何らかの霊的な現象の投影物であるということも、考えられはしますね。

2018年11月11日 (日)

ムクドリの「乱舞」

約二カ月振りになります。これまで2カ月空けたことはなかったと思いますが、今後は、これくらいのペースになっていく可能性もあります。

「狂気」に関しては、いずれ、分かりやすくまとめたホームページを作成しますが、このブログの最近の二つの新しい記事と、そこで紹介した本の一つでも読んでもらえれば、実は、かなりのことが分かることを改めて言いたいです。もちろん、一般の精神医学関連の本などでは、とても得られないだけの、実質的または根本的なレベルでのことです。

今回は、大分前のことですが、ちょっと気になっていることを述べます。

それは、うちの家の庭や隣の家の屋根の上で、小鳥が大勢集まって、大声で騒ぎ立てながら乱舞していたことです。ムクドリと思われますが、スズメや他の鳥もいたように思います。私のいる部屋の窓の網戸のところに飛んで来て、鳴いたりもしていました。

ククドリは、集団で集まる習性があり、ネグラを探して乱舞することがあるのは知っています。実際、他の場所で何度かその様子を見たことがあります。しかし、この場所で、今まで一度もそんなことはなかったし、この後も、すぐいなくなり、その後そんなことは一度もありません。

そもそも、うちの家の周りには、かつてはよく小鳥が遊びに来ていましたが、最近はたまにカラスが来るくらいで、ほとんど見なくなっていました。また、ムクドリがネグラにするのに適した場所とも思われません。

そのときの鳥の鳴き声は、とても尋常なものとは思えず、飛び方もまさに「乱舞」で、何か異常なことが起こっているという警告のような感じがしました。私も、その間、とても不安をかき立てられました。

この出来事の後は、前以上に、鳥をみかけることが少なくなり、このときの大勢の鳥の乱舞の異常さを際立たせています。

前に、記事で、その隣の家越しの上空のケムトレイルの写真をアップしましたが、この場所は、散布機の通り道のようで、その後もよく出ます。

初め、私は、鳥たちの警告のようなものには、そのことが関係しているのかと思いました。ネグラを探しているというよりも、むしろ、「この場所はとてもネグラなどにはできない」ということを、警告しているかのようだったということです。

しかし、もしこれが本当に警告なのだとしたら、それはこの場所という、「ローカル」なレベルの話ではないというのが実際のところでしょう。一般に見られる、ムクドリのこの乱舞の行動自体に、地球全体の環境についての警告的な意味も含まれている、ということを感じます。

まあ、いずれにしても、鳥や昆虫に関して、かなり異常な事態が起こっているのは確かだし、私の周りにもよく起こるので、私はかなり慣れてはいます。

前に、記事でも、羽を落とした、クロオオアリの女王アリが私の部屋に仮死状態でいたり、オニヤンマが職場に入って来て私の周りを飛んだり(なんと、その数年後もう一度オニヤンマが入って来ました)など、かなり「異常」なことが起こっていることを述べました。

人によっては、これを、一種の「攻撃」のように感じる人もいるようですし、そういう面もないとは言えません。しかし、私は、やはり、全体として、異常な事態の「警告」のような感じがします。

チャネリング系統のものでも、「多くの動物が地球から撤退する選択をした」というのを読んだことがあります。確かに、本能的に優れる動物たちが、そう選択するとしても不思議はない状況でしょう。

昆虫にしても、鳥にしても、全体としての数は、明らかに減っているのですが、その中のちょっと「目立つ」存在が、殊更「示唆」的な行動や現れをして、注意を惹いているという感じです。

2017年10月 3日 (火)

「知ってはいけない」ことの危急版

知っている人も多いと思うが、矢部宏治著『知ってはいけない』(講談社現代新書)は、戦争を含めて、今後の岐路に関る重要な総選挙を控えたこの時期に、日本人が必ず読んでおくべき本と思う。(さらにいえば、より詳しい『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』も)

「知ってはいけない」とは、秘密にされているということでもあるが、それ以上に、一種の逆説で、本当は、「必ず知っておくべき」ことなのだが、日本人として、正面から認め難いことのために、「知ってはいけない」状態のままとなっているのである。

それは、日米安保条約に基づく日本の戦後体制のことで、簡単に言うと、日米地位協定によって、米国との安全保障上の問題は、日本の法律でもなければ、憲法ですらなく、日本の官僚と米軍との「密約」で取り決められることになっている、ということである。この密約は、憲法の上に位置するもので、日本の官僚は、地位の保全上、それに従うだけだから、実質上は、米軍が好きなように決められるものになっている。

具体的には、米軍は、日本の上空を、好きなように飛ぶことができる。日本のどこにでも、基地を作ることができる。実質、治外法権的な扱いを受ける。原発にも、日米原子力協定によって、基地の場合と同様のことがあてはまる。日本に対しては、国連の「敵国条項」が今でも生きている、などである。米軍は、日本の原発を攻撃対象として、いつでも破壊できるというオプションをもっているという、驚くべき事実もある。

しかし、最も重要な「知ってはいけない」ことを、一つ絞って言うなら、それは、「非常時には、米軍の指揮官が、自衛隊を自由に指揮することになっている」ことである。

日本は、「対米従属」とか、「米国の属国」ということが、これまでにも言われて来たし、かなりの人はそれを現実として受け止めているが、この書では、これらのことが具体的な資料を通して、明解で分かりやすい論述で、説得的に説き明かされている。それは、改めて突きつけられると、やはり衝撃的なことではある。

私も、東京にいたとき、米軍機のあまりにもの超低空飛行を経験し、それに驚くとともに、むしろ周りの人が、それに対して、怪訝な顔すらしないことに驚いたことがあって、実際どうなっているのかと思ったり、最近も、ケムトレイルに関して、米軍機が日本上空を自由に飛んで、まき散らしているのだとしたら、それを追究することは、事実上不可能になるではないかと、自国の領空を他国の軍機に、自由に飛ばれることの恐ろしさを、改めて感じたりもしていた。

しかし、それは、本当に、そのとおりになっているということだ。

安倍首相は、「憲法9条に自衛隊の存在を明記する」というが、それは、前に成立した安保法と先の「知ってはいけないこと」に照らせば、どういうことかと言うと、「非常時(と米軍が判断するとき)には、米軍が自由に指揮できる日本の軍隊を、憲法上はっきりと認める」ということになる。自衛隊の存在自体を、憲法上明記することは、曖昧な状態を排して、好ましいことではないかと考える人もいると思うが、とても、そんなことではない。米軍の都合で戦争できることを、憲法上も認めることに、直結するのである。

そして、新党「希望の党」も、憲法改正については、内容は明確ではないが、基本的に安倍と同じ路線に立っている。つまり、米軍の都合で戦争できる路線である。

選挙前に、これらのことは、最低限踏まえておかなくてはならない。

この書でも、それは「米軍」(実際には、「米軍」の背後の軍産複合体とか金融資本家とか、ネガティブな宇宙人も絡む「秘密政府」などの「支配層」であるが)の都合であって、「米国」そのものの都合ではないことが述べられている。トランプも、自国第一の範囲で、やはり同じように理解していることだろう。

そもそも、私も、これまで、「知ってはいけない」ことを、多々述べてきたわけだが、それは、本質的なことではあるが、多くの者にとって、あまりにも認め難いことの故、「知ってはいけない」ことのまま、今後も当分はあり続けることだろう。

ただ、今回述べたのは、「知ってはいけない」ことの危急版で、これについては、もはや「知らない」ことは、許されないことと思う。

2016年12月10日 (土)

最近のコメントの掲載

最近の、私の2つのコメントは、重要なものと思うので、ここに再び掲げておきます。

○記事『ブログ記事の更新とコメントについて』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-22cd.html)より

門真の事件等、犯罪の背後に統合失調症が絡むとみられることが多いが、実際には、病気だから、あるいは幻聴等の影響によって、そのような行動を起こすのではなく、それにはそれ相応の理由があることについて述べたもの。

前のコメントで、「幻聴をもつから、犯罪的または逸脱的な行動を起こすのではなく、そのようなことになるには、様々な内的、外的な要素が絡み合う」と述べました。が、そのような行動をもたらす、強力な外的要素を2つあげておきます。いずれも、動機そのものは、もともとの統合失調状況によって生まれたかもしれないが、それを実行するについての抑制を外してしまう方向に作用するものです。

1つは、強力な「憑依」を受けた場合。継続的というより、一時的な場合が多いでしょうが、その瞬間、意識を眠らされるので、抑制が利かないことが起こります。周りには、人格が豹変したような印象を与えます。本人も、その間の記憶がないことが多いはずです。その行動は本人のものではないともいえますが、動機そのものは、本人がもったはずで、また、そのような憑依を呼び寄せるのは、本人の側に事由もあるので、責任がないとはいえないはずです。

2つは、精神薬によって、脳が酷く撹乱された場合。精神薬は、麻薬、覚醒剤と同様、脳の働きを撹乱し、抑制を外して、危険な行動を起こさせることがあります。最近の、危険ドラッグ絡みの事件にもみられたとおりです。この場合にも、動機そのものは、本人がもった可能性がありますが、実行するについては、精神薬による影響が強く働いた可能性があります。また、その強力な作用により、「心神喪失」に陥るということもあるでしょう。本人が、「病気」によって、「心神喪失」に陥ったのではなく、精神薬によって、「心神喪失」に陥らされたということです。

しかし、こういった行動は、一般に、「病気」そのものから起こされるとみなされて、疑われないのが問題です。「統合失調」そのものに、そのようなイメージがつきまとっているからです。統合失調者の行為が、「心神喪失」にあるということで、責任が問われないのも、そのような「危険な者」を、いわば犯罪者からすら隔離して、病院に収容するためです。そのような処置は、統合失調者は、人格がなく(崩壊していて)、何をするか分からないというイメージを、強めることになるだけです。

さらに、精神薬が厄介なのは、アルコールの場合と同様、1つ目の「憑依」をもたらす契機ともなることです。両者の影響が加重することになるのです。そして、この場合にも、そのような結果として起こったことは、「病気」によるものとみなされてしまうことになります。

このテーマについては、またいずれ、プログ記事か、ホームぺージにまとめるときに、もっと詳しくとりあげたいと思います。

○『「ふと見た」瞬間に遭遇する現象』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-4588.html)より

「集団ストーカー」について、まとめを兼ねて、本質をついた標語3部作を作ったので、掲げておきます。

1 「集団で 仄めかしする ストーカー 無理でなくとも 無意味です」
2 「集団で 仄めかしする ストーカー あるとみせれば しめたもの」
3 「集団で 仄めかしする ストーカー オバケの類で 演出し」

これは、『「集団ストーカー」という厄介な問題』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9e9f.html)以降の「集団ストーカー」に関する記事を読んでもらえば、真をついたものであることが、分かるはずのものなので、あえて解説はしていません。で、是非そうしてほしいのですが、3部作にしたこと、その順序にも理由があることには、簡単な説明をつけておいた方がいいでしょう。

1では、「集団ストーカーの被害者」と称する人たちが主張するような、特定の者の、「一挙手一投足」を徹底的に監視し、執拗なまでに「つきまとう」ような、「集団ストーカー」なるものは、人間の集団や組織による行いとしては、「あり得ない」ことを端的に示しています。「無理でなくとも」とは、実際には、「無理に限りなく近いが、たとえ無理とまではいえなくとも」ぐらいのニュアンスです。「無意味」である以前に、ほとんど「無理」なのです。何しろ、「人間による行為としては、あり得ない」のです。

しかし、2では、にも拘わらず、人間の集団や組織による、「集団ストーカー」なる行為があると思わせたい、一定の勢力があることを示しています。その勢力には、人間の支配層も含むが、人間を実質支配する存在も含みます。それによって、実際に、一定の人たちが、人間の集団による「集団ストーカー」を受けていると信じて、恐怖と混乱に陥ることになるからです。また、それがもとで、人と人の間に軋轢と確執を深めることができるからです。

しかし、「集団ストーカー」の「リアリティ」とは、単に、上のようなことだけで生じているわけではありません。「集団ストーカー」とは、自分に起こっていることに対する、一つの「解釈」ですが、その解釈にリアリティをもたせるような、「感覚」というものは、実際に生じているのです。

3では、そのような感覚は、人間ではなく、「オバケの類」が「演出」していることを明らかにしています。「オバケの類」という言い方は、多少、それに振り回されることの「滑稽さ」を強調していう狙いもありますが、要するに、低級な「自然霊」のことであり、昔「狐や狸に化かされる」といわれたときの「狐」や「狸」と同じことです。ただし、現代的には「宇宙人」も含みます。決して、侮れる存在ということではありません。

「演出」の方法は、多くありますが、要するに、それらの存在から、何らかの「示唆」や「攻撃」は実際に受けており、その何か攻撃めいたことを「受けている」という「感覚」は実際にあるということです。それが、「被害」を受けていること全般の基礎として作用しますが、問題は、それを人間の行動と「解釈」して、少しも疑わないことです。(人間を「使う」場合もありますが、その場合でも、背後で演出しているのは、やはりそれらの存在です。)

昔の人は、「狐や狸に化かされた」と気づいて、それ以上深みにハマらなかったのは、一種の「知恵」でした。現代人は、これらのことを「迷信」として捨て去ったつもりで、実際には、それにいいように振り回されるほど、「滑稽」なことになってしまったのです。

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