プログ『統合失調とは本質的にどういう状況か』の開始
長い間、予告しつつなかなか始められないでいた、「統合失調の本質を端的に明らかにするブログ」を始めることができました。
ブログタイトルは、『統合失調とは本質的にどういう状況か』です。
当ブログとともに読んでいただけると、格段と理解が深まると思いますので、ぜひお読みくださるようお願いします。
長い間、予告しつつなかなか始められないでいた、「統合失調の本質を端的に明らかにするブログ」を始めることができました。
ブログタイトルは、『統合失調とは本質的にどういう状況か』です。
当ブログとともに読んでいただけると、格段と理解が深まると思いますので、ぜひお読みくださるようお願いします。
右サイドバーにある、「コメントの投稿についての注意とお願い」を更新したので、お知らせします。
今後、狂気に関する新しいブログにとりかかることもあり、次のような点を追加させていただいています。
今後、狂気に関する新しいブログにとりかかることもあり、コメントに関しては、私が返答することは少なくなりますし、コメントとしてとりあげるについても、特にその記事に関わる疑問、質問、意見、その他、内容をより掘り下げることにつながるような益がある(と私が判断する)もののみを承認することになると思います。
ご了承のほどお願いいたします。
本年はじめの投稿になります。
本年も、一昨年、昨年の継続であるのは間違いなく、何が起こっても不思議でない年になるでしょう。コロナだけでなく、新しい感染症、自然、人工の異常気象、地震、地域的な紛争、あるいは本格的な戦争などです。宇宙、宇宙人関係でも、新たな展開があるかもしれません。
ただ、本年は、変化に向けたはっきりとした兆しも現れる、というより、本年にそれが現れないようだと、もはや変化の望みは薄く、このままの状況がずっと続くということになるのでしょう。
恒例の昨年度ページビュー数ベスト5をあげておきます。
1は前年と変わりませんが、2,3,は統合失調症、精神医学関係の記事にも拘わらず、新しく上位に入ったものです。
検索サイトに、たまたまこの記事がのっているということもあるのかもしれませんが、いすれも、私的にも、重要な記事ではあります。
2は、現代の社会の中で精神医療の果たす役割を示した図をとりあげて、改めてそこで、「例外としての回復」ということが、どのような意味をもつかを明らかにしたものです。
精神医療は、「例外」として、確かに見かけ上患者を「回復」させて社会に復帰させる場合があります。しかし、それは「治療のシステム」という「見かけ」の生命線ではあるし、支配層の支配する社会から逸脱する者を、一応なりとも社会に順応するように引き戻したのだから、支配層の利益のためのシステムとして何の不都合もないということが趣意となります。
図の端的な分かり易さと相まって、「回復」ということの意味を逆説的に明らかにしたことが、大きかったと思います。
3は、私の体験を綴った一連の記事の一つで、それまでの流れが変わり、新たな展開の始まる重要な場面です。それは、それまで無意識下に聞いていた「幻聴」を意識し始めることになったということで、その「声」を意識することから、それをもとにさまざまな「妄想」も膨らみ、それに振り回されるようになったのです。
しかし、同時に、この幻聴が意識され始めたことにより、起こっていることが、少しずつでも「見え」始め、対処のとっかかりもできて来たということができます。
統合失調状況での「幻聴」の影響力の大きさと、「妄想」との関係という点からも、重要な記事です。
これまでにも、何度か触れて来たように、統合失調についての、端的で分かりやすいまとめ的な記事を書いておきたいと思っていました。本年は、シーサーブログの方で、新たなブログとして、これをしたいと思っています。
オカルトの関わることですし、短絡的にとられたくもないので、あまりに端的で分かり易い表現は望ましくない面もあるのですが、こちらのブログでは、ある程度そういうことも考慮して、様々な観点から丁寧に、総合的に述べていますので、そのような欠点も、こちらのブログと合わせて読むことで、補えると思います。
まず、冒頭に一つの質問を設定し、次にそれに対する端的な回答を示し、最後に簡単な解説を付するというスタイルを考えています。統合失調は、近代の発想では理解の難しい問題ですが、どこまで分かり易くできるか、チャレンジしたいと思います。
今回は、私の他のブログの記事で、このブログとも関わる2つの記事を紹介したいと思います。
1つは、ブログ『オカルトの基本を学ぶ』の新しい記事『科学とオカルトに関する2冊の復刊本』という記事です。
科学とオカルトに関する2つの復刊本を紹介しています。いずれも、かなり本質的なレベルに踏み込みながら、分かり易く説かれたもので、かつて私が読んで、大きく理解を深めさせてくれた本です。ずっと品切れになっていましたが、最近文庫化されて復刊されました。
1 村上陽一郎著 『科学史・科学哲学入門』(講談社学術文庫)
(旧『科学・哲学・信仰』(第三文明社レグルス文庫))
2 河合隼雄著 『宗教と科学の接点』 (岩波現代文庫)
1は、著名な科学史家による、科学史及び科学哲学に関するものです。「近代科学」の成り立ちと、それは普遍的なものでも、絶対的なものでもなく、西洋近代という一つの文化的文脈のもとに起こった、「ものの見方」であることを、分かりやすく説いています。従って、それは、旧著のタイトルのとおり、「哲学」や「信仰」と、本質的に区別できるようなものではありません。
ところが、近代科学を普遍的で絶対的なもののようにみなす、「イデオロギー的」な見方こそが、「オカルト」的なものを否定しているので、この狂気に関するブログにとっても、これは重要な視点となります。近代科学というものを、唯一の正しい見方と思っていたら、私の言っていることなど、初めから受け入れる余地はないでしょう。
「精神医学」というものも、発想としては、近代科学と同様のものを志向していて、それは「イデオロギー的なもの」であることは、記事『「精神医学」と「オカルト」的なもの』などで述べています。
しかし、現在、もっと広く、「科学」そのものについて問い直すことが、改めて必要なことになっていると思うので、是非この本を参照にしてもらえばと思います。
2は、著名なユング派の心理学者であった河合隼雄氏の、文字どおり「宗教と科学の接点」に関する本です。氏は、他の本やテレビの講義などでも、このような「オカルト」に関わる事柄についても、よく発言していましたが、正面から、詳しく説いたものはあまりなく、とても貴重なものです。「たましい」や「死」、「共時性」の問題などを、分かり易く説いています。
特に、「共時性」については、このブログでも、「霊界の境域」に入り込んだ状況、つまり「統合失調的状況」では、頻繁に起こるので、その理解の仕方や受け止め方が重要になることを、何度も述べています。例えば、記事『「共時性」と「魔術的因果論」』や、
『「シンクロニシティ」と出来事の因果的理由』などです。
氏の本でも、「共時性」についてのかなり詳しい説明と、その受け止め方が重要になること、これを因果論的に解釈してしまうと、偽の因果論になって、魔術的因果論になることなどが、分かり易く述べられていますので、ぜひ参照ください。
ブログ記事の2つ目は、ブログ『趣味的話題のブログ』の記事『死後も活動する音楽家たち』です。
ローズマリー・ブラウン著『詩的で超常的な調べ』(国書刊行会)という本で、霊媒であるローズマリーが、リスト、ショパン、ベートーヴェン、シューベルトなどの亡き音楽家たちと交流し、新たに作られた曲を授けられ、それを演奏して紹介しているのを知って、それに関して、感想を述べたものです。
音楽に関するものなので、『趣味的話題のブログ』の方でとりあげましたが、本来、こちらでとりあげてもよかったものです。これらの音楽家たちが、死後も「あの世」で音楽活動を続けていて、新たに作った曲を、ローズマリーを通して「この世」に降ろしているのは、驚くべきことです。
ただし、私は、その曲を聴いても、生前のものに比べて、特に印象的であるとも思えず、本当にこれらの作曲家たちのものと言えるのかも、判断できませんでした。
ただ、それらの曲の中で、最も積極的な活動をしている、リストが降ろしたという、『グリューベライ』という曲は、印象深く、興味を持ちました。巻末に楽譜もあったので、自分でも演奏してみて、ユーチューブにアップしたりもしています。
ユーチューブの演奏動画 https://www.youtube.com/watch?v=07ZTdreADRs
それについての記事 『「グリューベライ」のキーボード演奏動画』
(ちょうど、ムービーメイカーが使えなくなった時期で、そこら辺のフリーソフトを使って動画作成してしまったため、音ずれが激しく、少し削る部分があって、音と指が合っていない部分がありますが、了承ください。)
本年は、コロナより断然怖い、(チップ挿入の疑いもある)ワクチンの義務化、強制化の動きが本格化するので、昨年に引き続き(というより、本年こそ)大変な年になることは間違いないでしょう。
ウイルスを使った騒動は、地域的な戦争の火種よりも、世界規模での働きかけができ、支配層にとって、ずっと効果のある「仕掛け」として、味を占めた感もあります。そうすると、今後も、コロナに限らず、似たことが何度も繰り返される懸念もあります。
そのような結果として、自由が徐々に制限され、管理が徹底されて、「超管理社会」に向けての本格的な流れが、変えようのないものとして、実現されてしまうことも考えられます。
各人が、しっかりした覚悟をもって対処しないと、その流れに逆らうことは難しいかもしれません。
しかし、支配層も、自分らの支配、管理を失うことの、差し迫った恐れと焦りの故に、そういったあがきをしているので、ここをくぐり抜ければ、全体として、変化の兆しも見えて来ると思います。
昨年のページビュー数ベスト5にも、大きな変化があったので、報告しておきます。
1 「『魂の体外旅行』-「ルーシュ」の生産」
2 「「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」」
3 「「注文の多い料理店」の犬の怪」
4 「ニーチェと「狂気」」
5 「記事『どぶろっくと「妄想」』推奨」
自分で言うのも変ですが、いずれも衝撃度の高い、濃い内容のものなので、妥当というか納得のいくものになっています。私的には、直に、「狂気」「統合失調」について書かれた記事も、もっと読まれてほしい思いはありますが、5は、かろうじてそういった記事の一つです。
とは言え、いずれの記事も、「狂気」に関わるものではありますし、一般に、「狂気」「統合失調」についての記事よりも、興味をそそるのは当然のことでもあるでしょう。
1は、モンローの本に出てくる、人間に対する宇宙の「捕食」的なエネルギーシステムを分かり易く解説し、さらにそのような「宇宙の創造」ということの意味を原点から考え直すもの。それが、必ずしも、「捕食者」という存在によらずとも、人間が「狂気」に陥らざるを得ない根本的な事情を、明らかにすることにもなっています。
2は、シュタイナーの「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」との対比を私の観点から改めて捉え直し、それが「狂気」、特に「統合失調」とどのように関係するかを明らかにしたもの。
3は、宮沢賢治の有名な物語が、単なるファンタジーなどではなく、ユーモアを交えつつ、「捕食者」的なものを明らかに示すとともに、異次元的な現象、特にそれが現実に入り込んで、現実をかく乱する、「中間的な現象」を見事に結晶化していることを明らかにしたもの。
4は、ニーチェの「動機の心理学」と言われる、「鋭過ぎる」暴きの思想が、学問を初めとする人間の営為をことごとく暴き尽くすとともに、自ら、それを超えようとして、それが適わず、「狂気」に陥ったとみられることを明らかにしたもの。
それぞれ、容易に結論めいたものの出せない、根源的な問題提起になっていると思います。あまり、この問題に深く捕らわれると、「狂気」に陥って戻れなくなること請け合いの問題でもありますが…(笑)。
※1 ニーチェの例をみても分かるように、ここでは、「知の限界」というようなことが、「狂気」の状況となることを述べました。
これは、「統合失調」についても言い得ることです。ただし、この「知の限界」は、主観的または文化的な規定が大きく影響します。現代においては、「唯物論」という規定が、「統合失調」における「知の限界」に関わっています。その「限界」に関わる「未知」の現象に見舞われたとき、「知」がそれを認めずに「あがく」とき、「統合失調」的な反応をもたらすということです。これは、「集団ストーカー被害」においても、また言えることです。
※2 なお、私の一連の体験を綴った、記事『20 「宇宙の死」へ』 に、脱落している部分があることに気づいたので、その部分を挿入しておきました。
6行目の「私の場合」から、22行目の「ないではなかった。」までの部分です。
一連の体験の流れの中で、アーリマン存在の影響が大きく減退するとともに、「宇宙の死」、「虚無との遭遇」へと向かう契機となる重要な部分ですので、改めてここで報告しておきます。
(短いですが、この部分がないと、読んだ人は、唐突に流れが変わったように感じて、戸惑ってしまったことでしょう。どうもすみませんでした。)
※3 記事『量子力学の観測問題」と「意識」1』、『「コラム的に」』、『意識と物質の関係―「知覚」と「現実」 1』で参照としてリンクしていたサイトが移動したため、リンクできない状態でしたが、改めてリンクし直しました。分かり易い説明と思うので、ぜひ、参照ください。
ブログ『趣味的話題のブログ』の記事『人間椅子』で、私が若い頃に出て、今も活躍する、おじさん3人組のロックバンド、「人間椅子」のことを述べた。
聴いてもらえば分かるが、このバンドの曲には、私のこの「狂気」をテーマにしたブログの記事内容とも関わり、BGMとして聴くのにピッタリと言えそうな曲がいくつかあるので、紹介してみます。
1 「虚無」や「闇」に関わる記事
例 『「虚無」・「闇」あるいは「無限」 』
『「虚無」・「闇」との出会われ方-3種』など
曲 『虚無の声』(https://www.youtube.com/watch?v=tYs_-BWwMkI )
般若心経の言葉が効いている。
詩も、私の体験を代弁してくれるかのようなものがある。
2 「捕食者」に関わる記事
例 『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』
『「捕食者」と「分裂病的状況」』など
曲 『宇宙からの色』(https://www.youtube.com/watch?v=1JY89ZxVqEg )
「色」(colour)というのは、「見えないエネルギー」で、「オーラ」あるいは「気配」のようなものと思えばいいでしょう。私は、全体を 「捕食者」に関連させて受け取りました。
3 「なまはげ」に関わる記事
例 『「なまはげ」の「鬼」 』
『「儀式」としての「なまはげ」』 など
曲 もちろん 『なまはげ』(https://www.youtube.com/watch?v=CLoUY1kA4ZY )
「なまはげ」の肯定的な面を歌っている。
「厳しさ」が愛、「激しさ」が慈悲で、「気心」が毒だそうだ。
ギター演奏も、津軽三味線入ってるし…
ほかにもあると思うけど、今回は、とりあえずのところの紹介です。
2019年を迎えることが出来ましたが、今年も、昨年に引き続き、「何があってもおかしくない」覚悟の年になると思われます。
国際情勢では、北朝鮮との直接的な争いは、一応免れそうな方向に行きましたが、予断は許さないし、そのかわりに、韓国との不穏な状況が作り出されています。自然災害と人工的な災害は、相変わらず、今後も増えていくでしょう。
「狂気」というのは、このような情勢において、たいして重要な問題とは思われないかもしれませんが、「世界」が大きく移り揺らぐ、このようなときこそ、「オカルト的なもの」との絡みでも、「狂気」が拡大するときであります。
また、「狂気の本質」というべきものは、時代と関係なく、普遍的な問題であるので、既に十分語り尽くした感はありますが、今後も追求して行くつもりです。
今般、久しぶりに、過去の「狂気」に関する記事について、部分的にですが、読み直してみました。
改めて、通常は、誰も顧みないような、細かいところまで踏み込んで、よく分かりやすく、説き明かしていると思います。じっくり読んでもらえば、十分「分かる」はず、あるいは、少なくとも、おおまかに、概観は「つかめる」はずのものと思いました。
「<狂気>とは、要するに<病気>である」として、「分かったことにする」発想が、行き渡っていることが、狂気を本当に理解することを、阻んでいるので、まずはそれを覆すことが必要です。しかし、そこを超えて、本当に、狂気を理解しようと望む人にとっては、十分それに答えることのできるものとなっていることと思います。
予告していた、分かりやすくまとめるホームページは、作ろうと思っていますが、全体を本当に理解しようとするなら、このブログ記事を、じっくりと読んでもらうのが適当と思います。ただ、記事は多数あり、必ずしも、順序立てて述べられているわけでなく、多くの観点から、繰り返し、交錯的に述べられているので、ある観点からして、どのような記事を読むのが適当かが、分かりにくいというのはあると思います。
そこで、次回にでも、「狂気」に関する記事について、相互の関係や、ある観点から、どの記事を読むのが適当かを明らかにするような、概観をしておきたいと思います。
新年において、何度か、記事のぺージビュー数トップ5を紹介することをしていましたが、今年も、ちょっとした変化があり、特に、『日本で「魔女狩り」に相当する事件』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5962.html)が 1番に来ています。
と言っても、これらは、検索サイトから来ている場合が多く、要するに、検索サイトに載っていて、興味を引かれたということで、必ずしも「読まれている」ことにつながるものではありません。ただ、ちょっと、目立つ変化ではあるので、紹介しておきます。
「魔女狩り」は『オカルトの基本を学ぶ』(オカルトの基本を学ぶ (cocolog-nifty.com) )のブログでも、「オカルト」を嫌悪し、排除する、強烈な意思の現れであり、現代に通じる「近代社会」の発生に直接関わる出来事として、重要視しているものです。決して、「過去の出来事」などではないので、これに注目されることは、望ましいことです。
予告していた、『オカルトの基本を学ぶ』のプログを開設しました。
本プログとの関連も多いので、是非閲覧ください。
→『オカルトの基本を学ぶ』 (オカルトの基本を学ぶ (cocolog-nifty.com) )
「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という「観念」について、問い直しをして来ましたが、これらは、とりあえず、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」についての、「総まとめ」となります。重要な事柄は、すべて織り込んだつもりですが、何よりも、「観念」そのものが、「戦略」であることこそが、重要なポイントです。これらは、「捕食者の戦略を知る」という意味でも、格好の題材となるものです。
とはいえ、「観念」そのものが、「戦略」であるのは、記事『「テクノロジー犯罪」という発想』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-4691.html)でも述べたとおり、対立する、「統合失調」なる「病気という観念」についても、同じことです。これは、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」とは逆の方向から、同様の状況にある者を、抱え込もうというもので、全体としてみれば、いわば「両面からの抱え込み戦略」です。どちらに与しても、その観念に捕らえられて、その世界から容易に抜け出せなくなるとともに、対立と葛藤をますます深めることになるのです。(※)
それを、避けるには、どちらの「観念」にも与せず、これらの観念が捕え込もうとしている、根底にある「事実」または「状況」を、虚心坦懐に、浮かび上がらせるしかありません。もちろん、それは、このブログが、初めから試みていることです。
いずれにしても、「捕食者」を相手にするということは、このような手の込んだ「戦略」に、対処しなければならないということを、意味しているのです。その「戦略」は、人間を全体として、俯瞰する位置から、人間同士の対立を煽り、葛藤を深めるべく、人間の心理を読んだうえで、巧みに仕掛けられるものです。
まずは、そのような、「人間レベルを超えた」戦略に、率直に驚嘆すべきです。しかし、そのうえで、そのような戦略的なあり方こそが、彼らの「生命線」であることに気づけば、それに左右されることも、少なくなるでしょう。「戦略」を知ることこそが、彼ら自身を知ることになる、ということです。
今後は、記事『本年の予定と昨年のぺージビュー数トップ5』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-d365.html )で述べたように、本来の「狂気」の方のテーマについて、分かりやすいホームページを作成する準備に取りかかります。このブログの更新の頻度は、かなり減るかと思いますが了承ください。なお、近いうちに、『オカルトの基本を学ぶ』というブログの開設もしたいと思っています。
※ この「両面からの抱え込み戦略」を図で表すなら、次のようなります。 「統合失調」という観念と「集団ストーカー」・「テクノロジー犯罪」という観念を、事実または状況を掬う「バケツ」のようなものとして表現しています。
7月5日 図に、「捕食者」が事実または状況のレベルでも影響を与えていることを織り込みました。この戦略の「凄み」がより浮き彫りになると思います。
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