精神世界

2022年6月30日 (木)

『無限の本質』の最後の場面—狂気の者との出会い

カスタネダの『無限の本質』は、遺作にふさわしく、最後の場面もとても印象的である。それは、何を隠そう、統合失調と思われる精神異常者との出会いで終わっているのである。

その出会いを語るためには、それまでの流れを簡単に振り返らなければならない。

カスタネダは、ドンファンら呪術師たちが、「無限」と一体となる最後の旅をするべくこの世界を去って、一人残されることになる。しかし、カスタネダも、ドンファンから、最後の旅をするべくこの世界を去るか、それまでの道を一人でさらに進むべくこの世界に戻るかの、最終的な選択をする課題を与えられる。その課題とは、高い崖から谷底の深淵に向かって、飛び込むという過酷なものである。

その、死が間近に迫る極限状況における「内的沈黙」の状態で、最終的な決断がなされなければならない、とされるのである。

しかし、ドンファンには、それがなされる前に、既にお前は、ここに残る合意がなされたと言われる。実際、カスタネダは、崖から谷底の深淵に向かって飛び込むことになる。すると、次の日、カスタネダは、その場所から遠く離れたカルフォルニアの自宅で寝ている自分を発見する。

崖から飛び込んだにも拘わらず、死んではおらず、しかも、物理的にはあり得ない時間で、その場所から、自宅に移されたことになるのである。

つまり、いずれにせよ、ドンファンの言うとおり、カスタネダは、この世界を去ることにはならず、この世界に戻されたのである。

何か、ヘルマンヘッセの『荒野の狼』に出てくる「魔術劇場」のような「夢幻的」な話に聞こえようが、カスタネダとしては、確かに物理的な次元で、谷底に飛び込んだという自覚がある。そして、その間、「無限」と向き合ったという自覚があり、「意識の暗い海」といわれる、その本質的な要素に包まれて、死を避けられ、自宅に戻されたと解すことになる。

実際、物理的次元で行われたのか、これも「カラスになって空を飛んだ」ときと同様、一種の「中間的現象」なのか、分からないが、いずれにしても、「無限」と遭遇したという点が重要だ。

ドンファンのように、「無限と一体となる旅」に出ることはできないが、少なくとも、「無限」の体験をしたのであり、それだけでカスタネダにとっては、十分過ぎるほど衝撃的なことだった。

カスタネダは、一人残されたが、それは、もはやただの人としてではなく、「無限」を体験し、戻って来た者として、もはや、「この世ならぬ」者としてだった。

そんなとき、カスタネダがいるレストランに、近くの病院に通っている精神異常者が入って来た。その者は、カスタネダを見るなり、大声で叫んで逃げ出した。カスタネダは、この者が一体自分に何を見たのか、聞きたくて、追いかけたが、その者は一層大声で叫んで、逃げてしまった。

カスタネダは、レストランの人に「どうしたの?」と聞かれて、こう言った。

「友達に会いに行っただけさ」

そして、この遺作の最後は、次のようにして閉じられる。

「この世でたったひとりの友達なんだ」私は言った。それは真実だった。もしも「友達」を、人が纏っている覆いの中身を見抜き、その人が本当はどこから来たのかを知ることができる人間と定義できるならば。

統合失調と思われる精神異常者こそ、「無限」と出会って戻って来たカスタネダを、よく見抜くことのできる者だったということだ。なぜなら、この精神異常者もまた、「無限」との何らかの遭遇をして、その恐ろしさを知り、この世にありながら、この世ならぬあり方をしている「友達」だから。

私は、初めにこの本を読んだとき、自分の体験した「捕食者」についての見事な説明に驚いたのみならず、この最後の場面にも大きな衝撃を受けた。

そして、今は大げさに感じるけれども、次のような妄想じみた思いも抱くことになった。

かくして、カスタネダシリーズは、狂気の者との出会いにおいて、幕を閉じた。それは、カスタネダを理解するのは、狂気の者のみであるということ、さらには、カスタネダを引き継ぐことのできる者がいるとしたら、狂気の者でしかあり得ないということを意味している。

その「狂気の者」とは……、自分でしかあり得ないのではないか?

 

2022年6月 3日 (金)

「捕食者」に出会っていなかったら、その存在を信じていたか

私が、一連の体験を通して、捕食者に出会っていなかったら、現在、捕食者の存在を信じていたかということを、たまに考える。

結論から言うと、本当には信じていなかった可能性があり、信じるとしても、半信半疑、よくても7割方くらいの感じでだろうと思う。

私は、一連の体験をする前に、カスタネダシリーズを読んでいたから、捕食者について記された遺作『無限の本質』は、捕食者の体験をしていなかったとしても、読むことになっただろう。

それまでのカスタネダシリーズには、小説的な色付けや誇張を感じつつも、「真実を含む」という確かな手応えも感じていてた。だから、『無限の本質』の捕食者についての記述にも、信じ難い思いは持ちつつ、それなりのリアリティを感じたことと思う。それでも、それを本当に信じることは難しく、半信半疑か、そうでなくとも、どこか自分の日常からはかけ離れた、遠い世界の話のような感じで、受け取っていたと思うのだ。

だから、私は、多くの人にとって、捕食者のことが受け入れられなかったり、今一つ、「ピンと来ない」、「なじめない」という感じをもつのは、自然のことと思うし、理解もできる。そして、それについて、とやかく言う気も起こらない。

むしろ、直接体験したことがないにも拘わらず、捕食者のことを、固く信じることのできるという人がいるなら、その人は、固定観念に縛られない、柔軟で、直感力の優れた人だと思う。

もっとも、現在は、私が体験した頃(既に31年前)に比べれば、捕食者に関する情報や、レブティリアンに関する情報も多くあり、それらが、現実に起こっている様々な出来事との関係でも、受け入れられやすくなっているのは、間違いないことだろう。

それにしても、捕食者の存在を受け入れるということは、人間以外の、非物質的な知的存在を認めるということ。それも人間にとって苦痛な、人間の上に立ち、支配する存在を認めるということ。さらに、我々を縛る、善悪の観念を離れて、宇宙的なエネルギー循環の観点から、他の存在を認めるということを意味している。これは、広く行き渡っている、一般的な固定観念からの何段階かの飛躍によって、初めて可能になることなので、容易なことではないはずである

私自身、記事で述べたように、捕食者に直接出会った当初は、非常な衝撃と驚きを感じ、ある個性と実体をもった、確たる存在であることは、疑い様がなかったが、それがいかなる存在であるのか、容易に判断できなかった。

ただ、物質的な身体を持たない存在であることは、明らかであったし、その尋常でない攻撃的な性質や強力な威圧感、言って来ることの、人間とは思えない内容などから、それが人間以外の存在であることも認めざるを得なくなった。それで、いわゆる、「魔」、あるいは「悪魔的な存在」と解するほかなかったわけだが、それにしても、そのように解するまでにも、かなりの紆余曲折を経ることになったのである。

そして、それまでは、それらの存在が、当然地球上のものと思っていたわけだが、接して行くにつれ、どうもそれらは、地球的なものという枠組みを越えた、もっと宇宙的なものであることが、察せられるようになった。

また、接するにつれ、それらの存在は、私だけでなく、多くの人にも影響を与え(多くの人も無意識領域では、それらの存在に服従していて)、言わば人の上に君臨する存在であることも分かって来た。

しかし、一方で、それまでは、恐怖と無力感のもとに接していたのだが、あるとき、私の怒りが爆発し、断固たる態度をとると、それまでの強力な攻撃性を失ったように感じたことや、明らかに、私の恐怖をエネルギーとして吸収することで活性化しているのを、肌で感じるということがあった。それで、それらの存在は、どうも、思っていたほど恐れる存在ではないことを感じとることになった。

さらに、その時点では、それまでの信じがたい体験を通して、「善とか悪」とかいうことも、自明なものではなくなっていて、これらの存在も、単純に「悪」なのかどうかも分からなくなっていた。

そのようなことを通して、この存在を、単純に「魔」とか「悪魔的存在」として受けとることはできなくなったのである。

ただ、当然ながら、捕食者なる概念はもっていなかったので、「捕食者」として捉えたわけではないが、実質的には、捕食者という概念が当てはまるのに近い形で、それらの存在を捉えるようになっていたのだった。

だから、後に、この存在のことを、見事に説き起こす、カスタネダの『無限の本質』を読んだときは、本当に、ひっくりかえるほど、衝撃を受けた。(ディービッド・アイクも、私と同様、捕食者の体験をしていて、それをどう捉えていいか思い悩んでいたとき、この本と出会って、あまりに自分の体験を見事に説明するものだったので、本当に椅子から転がり落ちるほど、衝撃を受けたという。)

私は、その前に、シュタイナーの「アーリマン存在」と「ルシファー存在」という二系統の悪魔的存在論に出会っていて、そこで説明されていることは、私の出会った存在の中に、確かに二系統の性質の異なる存在があるのを、見事に説明するものだった。

しかし、カスタネダの『無限の本質』での捕食者の説明は、それ以上に、私の体験していた存在を、ことごとく、ふに落ちる形で、見事に、説き明かしてくれていたのである。それで、それらの存在は、「捕食者」として捉えるのがふさわしいと、心底、納得することができた。

そういうわけで、私は、現在では、自分自身の、捕食者として捉えるのがふさわしい存在との出会いを通して、「捕食者」なる存在を、疑いもなく信じている、というより、それは、「自明の事実」となったのである。

しかし、その存在を証明することなどは、当然できないし、自分自身のそこに至るまでの紆余曲折を顧みても、他の者にそのことを納得させたり、説き伏せたりなどはできないこともよく分かる。だから、そのようなことには興味はないし、そうするつもりもない。

ただ、今後、捕食者のことが、多くの人にとっても、事実として受け入れざるを得なくなる可能性は、十分あると見込んでいる。恐らく、宇宙人「レプティリアン」としてだろうが、彼らの行動があまりにもあからさまで、表に現れて来るものになれば、その存在が、確たるものとして知られるようになる可能性は十分考えられるのである。

また、ミナミAアシュタールもよく言うように、現代の閉塞した、ピラミッド社会から離れたいと思う場合には、ピラミッド社会の頂点に、捕食者的なレプティリアンが存在していることを認めずしては、とても無理なことと思う。ただ表面的に、政権や社会の体制などを変えたとしても、その頂点にレプティリアンがいること自体が変わらなければ、実質何も変わりはしないからだ。

そのためには、捕食者としてのレプティリアンについて、それなりに多くを知り、その支配を脱する方法を学ぶ必要が出て来るということである。

さらに、このブログで主題として扱っている統合失調や、最近の集団ストーカー被害の問題にしても、そこに多大の影響を与えている捕食者について知ることがなければ、それを本当に脱することは、到底適わないというべきである。それらの、酷く混乱した状態は、捕食者による攻撃や戦略によって、そこに陥らせて、抜け出せなくすることで起こっているので、正面から捕食者の存在を認めたうえで、その影響を脱することを考えない限り、本当には難しいからである。

特に、集団ストーカー被害は、その観念からして、そこに引き入れる捕食者の戦略であることが理解できないと、永遠に人間による集団ストーカーを訴えるだけで、一向にらちがあかないことになる。

そういうわけで、現在においては、捕食者のことが知られる必要性―むしろ「必然性」と言った方が適当だが―が高まっていることには、疑いないだろう。

2022年5月 6日 (金)

「捕食者」と「レプティリアン」

「捕食者」というのは、人間の感情エネルギーを食糧とする存在を広く含んでいる。「霊的存在」、「異次元的存在」、「宇宙人」などである。「捕食者」という括りは、(人間に対しての)存在のあり方の「型」を捉えたもので、個々の存在の種類や性質には関りがないものなのである。

一方、「宇宙人」というのは、その存在の起源や生育の過程が、地球ではなく、地球以外の宇宙にあることに着目してつけられたものである。地球は、物理的次元にあるので、その延長上に「宇宙人」も物理的存在のように解されることが多いが、実際には、「霊的」または「物理次元を超えた存在」である場合が多いことは既に述べた。(そのため、実際には、地球上の「霊的存在」との区別にも微妙なところが出てくるが、一応の区別はできる)

そのような「宇宙人」の中の「捕食者」的存在の代表が「レプティリアン」であることも、これまでの記事で何度か述べて来た。

最近は、この「レプティリアン」ということで、私が「捕食者」として示してきたものを、具体的に表すことが多いようである。「捕食者」というのが、存在の「型」を表すものとして、多少「抽象的」なところがあるとすれば、具体的な存在として、現に我々に対峙するものであることをはっきり示すのには、その方が適しているともいえる。

記事『「捕食者」についての本―『無限の本質』』で示したように、「捕食者」についての最も詳細で本質的な説明は、カスタネダの『無限の本質』になされている。

一方、捕食者としてのレプティリアンについては、デービィッド・アイク(『ムーン・マトリックス』など)、プレアデス系のチャネリングものである、バ−バラ・マ−シニアックプレアデス+かく語りき』、ミナミ・A・アシュタール(ブログ や『新・日本列島から日本人が消える日』)などに詳しい。

これらは、レプティリアンが、人間の発する特に恐怖等のネガティブな感情エネルギーを食糧としていて、そのために人間を組織的に管理・支配し、常にネガティブな感情を起こさせる施策をとっていることをかなり詳しく説明している。さらに、レプティリアンと人間との関りを、宇宙及び地球の歴史から説き起こし、人間の上に君臨するようになった経緯も明らかにしている。

特に、ミナミ・A・アシュタールは、現在の状況を踏まえて、それらがいかにピラミッド社会の頂点にいるレプティリアンとの関りで生じているかを、分かり易く説明していて貴重である。

カスタネダのドン・ファンも、「捕食者」が、人間の感情エネルギーを捕食するために、人間を組織的に管理・支配していること、「捕食者」は「宇宙の深奥」からやって来たことを述べているから、これらは、ドン・ファンの説明とも十分重なるものである。

また、これらは、レプティリアンが、地球で人間を遺伝子操作的に作り出したものとし、人間のいわば「生みの親」(創造者)なのだとする。『プレアデス+かく語りき』では、その遺伝子操作の内容を、12本のDNA対を切って、2対とし、人間の本来持っていた(超感覚的な)能力を大幅に削減したうえ、自分らの遺伝子を組み込むことで、従順で、支配に適する存在にしたと説明する。

このことも、ドン・ファンでは、人間を支配する最大の戦略は、「人間に捕食者の心そのものを与えた」ことだとして説明されていた。「捕食者の心を与える」ということを、現代的な技術の方面から説明すると、「遺伝子操作」ということになるわけである。

ドン・ファンでは、人間がいかに「捕食者」に支配されているか説明がされつつ、それを脱する方法についても述べられていた。これについても、特にミナミ・A・アシュタールでは、「そっと離れる」、「波動領域を変える」という言い方で、説かれている。

ドン・ファンでは、その方法は、端的には、「内的対話を止める」、「予期してもいない困難な事態に平然と立ち向かって行く能力」ということで言われていた。後者は、捕食者に敵対するのではなく、「(捕食者のことを宇宙の一部として受け容れつつ)畏敬の念をもってひるまずに立ち向かう」ということであった。

この点も、ミナミ・A・アシュタールでは、「ぼーっとする時間をとる」、「(対立するのではなく)無関心でいる」、「感情的に巻き込まれずに、俯瞰してみる」、「(引かないで)すーっと立つ」という風に、共通することが、より分かり易く、親しみやすい言葉で説明されている。

このように、最近の、地球上の支配の頂点にいる捕食者的な存在として、レプティリアンという宇宙人を受け止めるという行き方は、より具体的で、(特定の者ではなく)誰もの「現実状況」(利害)と密接に関わるものであり、よりイメージしやすく、受け止めやすいという意味でも、適切なものと思われる。

現在は、コロナ騒動にしても、ウクライナ戦争にしても、レプティリアンの戦略が、より「分かり易い」形で、目に見えるようになっているから、よりこれらの捉え方が、現実味をもって捉えられるようになっている。

UFOなどの目撃例が飛躍的に増え、米国防省が研究機関の新設を発表したように、「宇宙人」そのものが、我々にとって現実的な関心の対象になりつつあることにも、適っている。

そして、これらは、これまでみて来たように、カスタネダのドン・ファンの「捕食者」の説明とも、十分通じているものなのである。

もちろん、これまでのように、「捕食者」として捉えることでも、十分要を果たすし、レプティリアンの本質をより理解する手立てになるが、「捕食者」という捉え方には、今一つ馴染めないでいる人は、先に上げたような本やブログなどを通して、具体的にレプティリアンとしての捉え方をしてみるとよいだろう。

2022年2月 6日 (日)

新たな神示『よひとやむみな』

記事『「神示」が語る「悪の仕組み」』で、日月神示の現代版とも言える新たな神示、『大日月地神示』を紹介した。  

ところが、最近もう一つ、同様の新たな神示が出されていることに気づき、読んでみた。穂乃子著『よひとやむみな』(ナチュラルスピリット)という本である。

穂乃子というのは、神示を降ろした側の存在で、瀬織津姫ということである。「日月神示」では、クニトコタチノ神とされていたが、(当時は明かせなかったものの)それは、実際には、瀬織津姫だったのだという。神示を媒介した人は、公開されていない。

内容的には、『大日月地神示』同様、確かに、『日月神示』につらなる内容で、訴えかける力も強く、十分頷けるものがある。端的で明確な、分かり易い表現になっているのも、同様である。「日月神示」の言葉を、より現代的に述べ直しているところも多い。

初め、『大日月地神示』に比べて、よりマイルドで、若者や女性にも受け入れられやすいものと思ったが、やはり、同様の強烈さは、随所に現れている。

特に、強調されるのは、「日月神示」で言われた、すべてが「グレンとひっくりかえる大峠」が、今まさに起こっているのであることを、強く訴えかけていることである。そして、それを乗り越えるための「身魂磨き」を強く求めている

現在は、「日月神示」で言われた「北から来る」とか、「世界中総がかりで攻めてくる」ということが、まさに起こらんとしている状況である。今年は本当に、疑いないほどに、それが迫っていることを、改めて感じさせる年になっている。

神示では、「一日に10万人死すようになったら、いよいよと思え」と言う。

タイトルの『よひとやむみな』とは、「世の人が皆止む」ということである。の度の大峠は、人間の世界だけでなく、三千世界(霊界、神界を含めた全世界)の大洗濯で、「天地が混ぜこぜ」のところまで、即ち、創造の大元のところまで帰らなければ、なされない。だから、その過程では、「よひとやむみな」ということが起こることにもなる。

カスタネダのドンファンも、「世界を止める」ということを言っていて、それは、「それまでの世界を組み立てていた流れを止める」ことを意味した。まさにそれが、すべての者に起こる状況ということである。

神示では、これに関して、次のようなことが言われている。

すべては無(ム)から有(ウ)まれ、有(ウ)から無(ム)まれる。

ウムを組み立てて、力が生まれる。

この度の大峠は、ムにならねば越せん。

「無(ム)になる」とは、すなわち「皆止む」ということである。

また、そのときの状況が、次のように幾分過激に示される。

いよいよとなったら、地震、雷ばかりでない。人々みな、頭が真っ白になり、「これはなんとした事ぞ」と口を開けたまま、どうする事も出来んようになる。

四つん這いになって、着る物も無く、獣となって、身動きできん者、自ら死を選ぶ者と二つにはっきり分かれる。

そのほかにも、私的にも、印象に残る言葉が多くあった。

たとえば、新たな世界は、人間界だけでなく、動物界も変えることが、次のように言われる。

動物界は、人間界の鏡ぞ。

五六七の世となれば、トラと羊が共に眠るぞ  

また、かつての「まことの神の国の民」の「死」とは、次のような、うらやましいものであったということが、述べられている。

昔は、残さず天に帰ったのじゃ。身体さえも残さずに逝ったのであるぞ。逝く時期も分かっていた

葬式も墓石も要らんかった。周りの者は、感謝を込めて見送った。そこには、悲しみや別れを惜しむ気持ちより、

感謝と喜びで満ちておったのじゃ。誰も死を恐れてはおらんかった。病で死ぬ者もおらんかった。それがまことの神国の民であった。

「身魂磨き」に関しては、次のようなことが言われる。

我が無くてもならず、我が有ってもならず。

我のない純粋な意識が主、我は従じゃ。

我は使うもので、使われるものではない。

我から離れることで、我でできる以上のことができるのじゃ 

我は、なくすものではなくて、我のないところから、使うものだと言う。我がなくては、何の「お役目」もできないのである。

我のない純粋な意識は、「中心」にあって、そこに意識がいれば、周辺の我の感情、エゴに巻き込まれずに、それらを観察し、理解することができる。そうして、それらに癒しをもたらし、慈悲や知恵へと変容させることができる。

しかし、

そなたたちの意識が周辺にある限り、エゴは止まれん。頭も身体も口も耳も、常に動かそうとする

悪の仕組みは、人間を止まれんようにすることぞ

さらに、

巨大な宇宙の内部は、すさまじい高速で螺旋を描きながら、絶対無、絶対空という根源神に向かって進んでおる。大宇宙の進化じゃなあ

心を無にして、空に生きよ。絶対無、絶対空である大宇宙の進化を意識した神人となれよ

先にも、「有と無による世界の組み立て」の言葉をあげたが、さらに「空」とか「絶対無」という根源的なことが、言われているのも大きな特徴である。

このように、この神示では、「大峠」を超える過程に重点を置いていて、「身魂磨き」の重要性を中心に述べている。「うれしうれし」の「ミロクの世」に移行することに重点を置いた、『大日月地神示』の最近の神示とは、ニュアンスを異にする部分も多い。

それぞれの需要の違いから、このように二つに分かれて、神示がくだされるようになったとみることもできよう

2021年2月17日 (水)

お笑い系?宇宙人シャーの語り

チャネリングで降ろされる宇宙人といえば、日本で有名なのは、バシャールやアシュタールであろう。

ところが、最近は、チャネリングのできる人も増えて、さまざまな宇宙人が、人の体を借りて情報を発信するようになっている。もちろん、玉石混淆で、すべてが本物とは解せないが、中には、注目すべきものもある。

そんな中でも、異色でユニークな存在が、宇宙人シャーである。私と年齢も近い、インパクトあるおばさんが降ろしているのも、異色である。

まずは、最近のユーチューブの動画をあげておく(https://www.youtube.com/watch?v=Mx362eJyVTg) 。前に紹介した、レインボーチルドレンのまりなちゃんとの対談もある(https://www.youtube.com/watch?v=xMrl4G27bIg&list=PUfGB7AgCeD8fic0hykbWViA&index=32)。

「シャー」と言っても、別に勝俣の生き霊ではない(笑)。惑星ゼロというところから、次元転換して、地球に来ているそうだ。(「ただ座るだけ」というシンプルな座禅を伝えた、あの道元禅師も同じ出身というのにはちょっと衝撃!)

テンションの高いノリで、5歳児のしゃべりを入れたり、パフォーマンスを交えながら、ユーモアたっぷりにいろんなことを語る。まあ面白いし、ついつい引き込まれてしまう。

おばさんの井戸端会議に定番の、手を前に降っての「そーなのよ-、奥さん!」と、女子中高生のリアクションの定番、手に口を当てての「キャー!」が好きなようで、話の合間に、うまく入れて来る。それが、的確だし、身振りもよくとらえていて、感心してしまう(ときどき、「しょーなのよ、奥さん」って、5歳児のしゃべりでおばさんまねやってるのは、愛嬌(笑))。

地球人のことを、いろいろ興味をもってよく観察しているのが分かるし、その身振り、行動を面白がっているのだろう。

もちろん、まじめな話もときにはするし、それはそれで、奥深いことをさらりと言っている。

宇宙人というと、どうしても距離を感じて、警戒したり、あるいは崇拝する人もいるだろうが、シャーは、親しみやすさでは、随一だろう。

今はまだ、マイナーだろうけど、そのうちブレイクしても、おかしくないだろうと思う。特に、女性には人気が高まりそうだ。

そんなことを通して、宇宙人に対する見方が変わるとともに、宇宙人の語りにも耳を傾けてみようという人が増えるならば、結構なことだ。

私も、前の日記で書いたように、夢の中でだが、身体能力系?の異色の宇宙人と出会ったことがある。ペガサスから来たという、肩の筋肉が異様に張って、ジャミラのような格好をした、赤い肌の宇宙人である。自分が持っていた、宇宙人のイメージとあまりにも違うので、面食らったのだった。

このように、宇宙人と言っても、いろんなタイプがあることが、これからはますます知られて来ることになるのだろう。

  このような、チャネラーの降ろす宇宙人は、チャネラーの「解離した別人格」ではないかと思う人もいることだろう。確かに、そういう場合も、結構あるかもしれない。

しかし、バシャールなどはもちろん、シャーの場合にしても、とても、この世的な経験の結果としての「人格」の一部などとは、解せないのが明かと思う。ただし、何度か言っているように、「自己」の枠組みを大きくとれば、それは、ある意味で、そこから解離した人格という見方はできるものである。

「宇宙人」と言っても、そのような「大きな自己」または「高次の自己」(「ハイアーセルフ」とも言われる)そのものの現れと言えるような場合もあるし、そうでなくとも、多くの場合、その「自己」とのつながりにおいて、存在しているものであるのが普通だからである。

バシャールも、チャネラーであるダリルアンカの「未来生」ということで、まさに、「高次の自己」そのもののような存在である。シャーも、チャネラーは何人かの候補から選ばれたということだが、やはり、見るからに(笑)、両者の間に関わりを思わせるものがある。

 

※  3月17日 宇宙人シャーの本等

宇宙人シャーには、チャネラー雪下魁里著『宇宙で大人気のきみへ』(廣済堂出版)という本も出ている。ほぼ、全編にわたって、シャーの言葉が伝えられている。

ユーチューブの動画のように、お笑いキャラ炸裂(笑)とはいかないが、シャーらしく、とても分かりやすい言葉で、特にスピリチュアルな傾向のある人にというより、一般の多くの人に向かって、語られているのが特徴である。このように、宇宙人が、親しみやすく、一般の人に向けて語るというのは、今という時代が、可能にしたという面も大きいだろう。

話も、難しいことではなく、宇宙人の視点から、肉体をもつということ、従って、個の意識と感情をもつという地球の独自性が強調され、そのような地球に(自ら望んで)生まれた以上、それを思いきり楽しむ生き方をすることを勧めている。何も、分離意識を強めることを勧めているのではなく、結局は、そのように個の意識と感情を生き切ることが、すべては一つというワンネスへの方向を、確かにするということなのである。

地球にいると、そのような体験が、宇宙では得難い貴重な体験であることが分からないが、確かに、そうなのだろうと思うし、「それしかない」ということを、私も最近特に感じている。これは、バシャールやアシュタール、さくやさんの言うこととも、通じていることである。

なお、この動画(https://www.youtube.com/watch?v=guj4w0pqx7g)では、シャーの得意とする、「笑い」とは、「振動と振動をくっつける接着剤」で、相対性理論も笑いながらだと1秒で覚えられる!という、「相対性理論を超えた理論」(笑)を披露。

2020年12月19日 (土)

『無限との衝突』と「空なるもの」

スザンヌ・シガール著『無限との衝突』(ナチュラルスピリット)という本を読んだ。

女性による体験記で、ある日バス停でバスを待っているとき、突然「無限」または「空」と「衝突」し、以後「自分という基点」を永遠に失ったという。ロバーツの「自己喪失の体験」と似ているが、ロバーツの体験とは違いも多くある。また、「狂気」との関りは、ロバーツ以上に深く、私の「闇」または「虚無」との遭遇体験と、重なる部分も多い。

著者は、この体験をする前には、スピリチュアルな傾向があったわけでも、特に修行をしたわけでもないが、TM瞑想に関わったことがある。が、マハリシというよりも組織のあり方に疑問を持ち、スピリチュアルそのものにもよくない印象をもったまま、結局離れることになる。だから、この体験は、望むことも、予期するこもなく起こったもので、まったく理解できないのである。特に、「覚醒」の体験なら、喜びがあるはずだと思っているので、恐怖しか感じないこの体験は、なにものなのかといぶかるのである。

その後も、思考や感情という「マインド」の活動自体は存続するが、そこに「自己という基点」は一切なくなり、そのことが、非常な恐怖と混乱をもたらす。著者は、「病的なもの」との疑いももち、何人かのセラピストに相談に行くが、そこでは、セラピストが、その体験を恐怖の故に頭から認めず、自分の「精神分析」的な解釈にただ無暗に当てはめて、「解離性障害」などと病的な規定をし、(洗脳的に)セラピーを施していくというあり方に接し、そこにも多くの疑問をもち、やはり離れていく。

その後、著者は、覚醒や悟りに関する指導者(いまや欧米にもそのような人は多い)と多く会う機会を得、また仏教などとも出会うに従い、自分の体験が、覚醒をもたらす、「空」の体験そのものであることを受け入れるようになっていく。また、多くの指導者も、それが真正の覚醒体験であることを保証してくれる。

そのようなことから、著者は、「自己の基点」は失うが、あらゆるものが「空」の広大さそのものの現われであり、「一なるもの」であることにも目覚めていく。「自己の基点」は、元々なかったもので、「マイント」が生み出した「幻想」のようなものと悟るのである。そして、それまで、「空」の体験が、覚醒の体験なら、喜びをもたらさず、恐怖をもたらすことに疑問を感じていたが、その疑問も解け、静かな喜びをもたらすことになる。

その後、「空」と「一なるもの」の関係、「空」の体験後も、「マインド」そのものは存続し、思考や感情を失うものではないことなどの洞察と解説がかなり詳しく展開される。それらは、非常に鋭く、的確なものと感じられる。「マインド」の存続、特にネガティブな思考や感情の存続ということには、私も、多くの疑問をもっていただけに、大いに参考になった。

著者の体験は、かなり特異ともみられようが、ロバーツさらに私の場合と比較すると、より明確に浮き彫りになると思われる。

まず、ロバーツの場合と比較すると、「自己の完成」あるいは、「統一意識」というものを、経たうえで、起こったのではないことが、大きく違っている。その点では、私の場合と同じである。だから、より受け入れるのが難しく、より恐怖や混乱をもたらすのである。しかし、著者は、その後、「一なるもの」としての「統一意識」も経験し、結果として、それを受け入れることができるようになる。ただ、ロバーツの場合と比較すると、やはり、最後まで、不安定で、危うい感じは、つきまとう。

ただし、私の場合と違うのは、その体験によって、「自己という基点」そのものは、明確に失ったと感じ、その後もそれがずっと続いていることである。私は、体験時には、明らかに「自己の基点」を失ったが、その後は、それがなくなったわけではない(希薄なものとは化したが)と感じている。それは、やはり、その体験に至るまでの経過の違いによるということができる。

私は、その体験が起こる前に、「統合失調状態」という「狂気」そのもののような状態にあったが、著者は、その体験前は通常の状態にあり、体験の後、自己の基点を失ってから、「狂気」まがいの恐怖と混乱に陥ったのである。

私の場合、「空の体験」は、それら「統合失調状態」で起こったことを、「幻想」のようなものとして、解消する役をなしてくれた。が、著者の場合は、その体験によってこそ、「自己」の状態を失って、「狂気」めいた状態に陥ったのである。

結局、「空」の体験そのものは、いかようにもパターン化できないし、色づけできないということを、改めて感じる。こうなったら現れるとか、こうでなければならないなどということとは、無縁なのである。

それは、著者も言うように、ただ、本来の「ありのまま」の状態であり、ただ「マインド」の作り出した「自己」という幻想が、それが現れることを遮っているに過ぎない。その「マインドの遮り」が、取り払われる状態でなら、それがいつ現れても不思議はないのである。ただ、それをどのように体験し、消化し、受け入れるかは、人それぞれのあり方によるとしか言いようがない。「マインド」の抵抗が激しければ、「狂気」となり得るし、「マインド」の抵抗がなければ、喜ばしい体験として、その状態に安住していられるということにもなる。

また、それは、その体験が起こるまでの経過にもよる。私のように、「狂気」の状態の果てに体験した場合、それは、その「狂気」を吹き払う、「治癒」的な働きをなすことにもなるが、著者のように、いきなり体験すれば、その体験の「異常」さが際立って、「狂気」をもたらすことにもなり得る。

ただ、総じて言うならば、ロバーツの場合のように、まず「自己の完成」または「統一意識」に至って、その「自己」を全体として抜け落とすということになるのが、最も危険が少なく、十全な結果をもたらしやすいことにもなるだろう。ただし、それは、そうでなければならないのではなく、あくまで、「事実上」のことである。

私の説明では、「自己」の完成の方向は、「水平的方向」であり、「空」による「自己の喪失」は、「垂直的方向」である。ところが、人は、この「空」の体験も、「水平的方向」の延長上にあるものと、みなしてしまいやすい。それで、「空」の体験も、人格の成長の果てにあるものとか、当然に、肯定的な結果をもたらす、喜ばしい体験であるとみなしてしまうことになる。しかし、それは、「空」を恐れるがゆえに、まさに「マインド」が、そうあってほしいと思っていることを信じているだけのことである。ところが、垂直的方向の体験は、本来、そういったこととは、一切関わりないのである。

著者を取り巻く人たちの、無理解の反応や、その体験を「病的」なものとみなそううとするセラピストたちも、まさに、そのような反応をしているだけということである。この本は、それらの人たちの反応の問題をも、よく浮き上がらせている。

著者の本自体は、このように、この体験を肯定的に受け入れられるようになったところで終わっている。が、実は、編集者によると、著者は、その後、またいくらか混乱をもよおし、幼少期の頃の、虐待の記憶が戻って、それが自分の体験にも影響していることを認めるようになったという。そして、その後、脳腫瘍を患い、まもなく死亡したという。

このようなことは、先にみたように、「空」の体験が喜ばしいものであるべきという「マインド」の視点でみると、疑問や矛盾と感じるかもしない。しかし、私は、ある意味で、多くの「覚者」の最晩年に、何らかの形でつきまとう、ある種の「悲哀」あるいは「味」とすら思う。ブッダの最晩年にも、このような要素は漂っている。

繰り返すが、そのような要素があってはならないと思うのは、「マインド」であって、それは事実とは関わりない。

私も、本を読んでいるとき、著者の体験は、「解離」または「離人症」的なところがあると思ったし、恐らく「虐待」と関係しているのではないかと思った。それは、実際、そういう面があったのだろうが、これまでみて来たとおり、「空」の体験自体、「狂気」の状態と、すなわち、「解離」のような状況とも併存し得るのである。私の場合は、「統合失調」状況との併存だったが、著者の場合は、おそらく、幼少期の虐待の影響もあって、「解離」との関りが強かったということである。

そもそもで言うと、「一なるもの」といわれる、根源的な「絶対的な存在」自体、記事『「神」も「解離」する!?』でもみたように、自分を取り巻く「未知なるもの」を意識し、それを探索したいとの思いから、「解離」のようにして、多くの「分身」を作り出したのだった。

そもそも、「空なるもの」は、あらゆる存在にとって、「解離」と本質的な関りがあると言えるのである。著者の体験は、ある意味で、それを踏襲しているだけである。

(また、「死」の点について言うと、「空なるもの」は、人間の肉体という枠組みとは、どうしても、共存し難いものがある。それで、いずれは、肉体の「死」ということに、向かわしめるものがあると言える。)

ただし、ロバーツの場合は、「自己喪失」の前に「統一意識」を体験していたので、「自己喪失」をもたらす「空なるもの」には、「一なるもの」をも超えたものがあることを、感じとっていたと解される。「一なるもの」にとっては、「未知なるもの」としか言いようのない要素である。ところが、著者の場合は、「空」の体験後に「一なるもの」の体験をして、肯定的に受け入れたので、両者が同等のものとして、混同されている節がある。

「空なるもの」には、「一なるもの」を超えたものがあること、「一なるもの」には汲みせないものがあることを、十分意識できていれば、その体験には、「解離」のような現象との併存もあり得ることも、受け入れやすかったかもしれない。

 

2020年12月 4日 (金)

「レインボーチルドレン」たちの発信

スピリチュアルなことがらを含めて、大人顔負けの知見をもち、才能を発揮する、子供たちがいる。最近は、明らかにそういう子供たちが増えて来ているとみられる。もっとも、昔から、そういう子供はいて、「神童」などと呼ばれていた。

クリスタルチルドレン」とか、「レインボーチルドレン」などと言われるが、要するに、「水晶のように透明な」、あるいは「虹のように全体色において輝いた」オーラをもった子供と思えばよい。

本来、子供とはそういうものとも言えるが、現在の地球の社会に生まれれば、普通は、この社会の「闇」にいくらかとも染まって、そのような性質は失われていく。ところが、「クリスタルチルドレン」や、「レインボーチルドレン」は、そのような元々の性質を、ある程度の年令になっても、保持している子供たちと言うこともできる。

最近は、そのような子供たちが、本やYoutubeの動画などで、自ら情報を発信したりしている。ほかにもいるだろうが、私が目にしたもので、確かに、「本物」と感じられるものを、いくつかあげてみる。

Youtubeの動画では、

クラリオン星から地球に転生して来たという そうた君
https://www.youtube.com/watch?v=91ZxR2s4TNk など

子供の「中間生」記憶の研究で有名な、池川明医師との対談 まりなちゃん
https://www.youtube.com/watch?v=rM-FZixUq7s など

本では、

ドクタードルフィンこと松久正医師との対談 かほなちゃん 
かほなちゃんは、宇宙が選んだ地球の先生』(ヒカルランド )

Youtubeでの紹介 https://www.youtube.com/watch?v=_5x0c0iZI-U

すみれちゃん    『かみさまは小学5年生』(サンマーク出版)

このようなことができているのは、かつては、大人たちに、「つぶされた」子供たちも、最近は、必ずしもつぶされずに、いることができるようになったということでもある。その知見や才能を見出し、その考えを聴くことには、多くの人にとっても、意義があることを認める大人も、かなりいるのである。

逆に、そういった大人に、いろいろ吹き込まれて、かつぎ出され、いいように利用されているだけ、という見方をする人もいることだろう。しかし、上にあげたような子供たちは、明らかに、自分自身で、主体的に考えを述べているし、その知見や対話における対応は、とても取ってつけた様なものではない。つまり、周りの大人が、吹き込んで可能となるようなことではない。もともと持って生まれたか、自分自身で、本当に身につけたものと言うしかないのである。

話は、それぞれに興味深く、全体に、共通するところは、当然あるが、それぞれに、個性的な違いもある。中には、首をかしげたくなるようなこともあるが、それも、独特の視点から(言葉が足りないために、異様さが際立ったとしても)、ユーモアを交えて、述べられていることが分かる。

ただし、だからと言って、彼らの言っていることが、すべて本当のこととか、真実であるということにはならないことには、注意を要する。これは、チャネリングなどでも同様だが、「言葉」を通して発信する以上、その「翻訳上」、「表現上」の制約は受けるし、子供の場合、経験的にも、より多くの制約があるのは当然のことだろう。

しかし、子供だからこそ、訴える力が多くあるのも事実で、その辺りは、人それぞれ感じ取ってもらえばよい。

まりなちゃんが言っているように、今後は、こういった子供たちがますます増えて来て、社会の構造も、大きく変わる方向に行くのかもしれない。が、それに脅威を感じる大人も多くいるので、ことはそう簡単ではないのも確かなことだ。しばらく(数十年あるいは百年くらい)は、そのせめぎ合いのようなことが、続くことだろう。

2019年6月26日 (水)

『令和元年からの[地球:人類]』

記事『身近に入り込んでいる「宇宙人の技術」』などで何度かとりあげた、A・ジョルジェ・C・Rの新著『令和元年からの[地球:人類]』(ヒカルランド)が出ている。

著者は、日本在住のポルトガル人チャネラーで、内容は、全人類に向けてのものだが、日本を中心に述べられている。日本が中心になるのは、日本こそが、化学物質や電磁波情報システムによる人々のクローン化が、最も進んだ国だからでもある。

今回も、前著同様、容赦のない内容で、特に、電磁波情報システムによる人々のクローン化がいかに進んでいるか、徹底されようとしているかが述べられている。ネットやスマホを通して、情報を取り込むことは、その内容だけでなく、電磁的な情報システム自体を、肉体やエーテル体に刻み込むことであるのが強調される。その情報システムを通して、支配的な宇宙人の操作を受けやすくなるだけでなく、様々な障害を生じ、遺伝子的な変化も起こり、世代に伝えられていく。また、結果として、霊的なものへの興味や指向を失うのみならず、全体として、自己の霊的な部分そのものを、削ぎ落として行くことになるという。

「アセンション」については、あくまで地球の意志なのであり、アセンションするのは、地球なのであることが強調される。我々人類は、現状で、それに乗れない人の方が圧倒的に多く、乗れるとしても、10%に満たないという。それでも、地球は限界状況にあるので、もはや猶予はしようがないということである。

また、地球のアセンションに伴い、太陽や宇宙から、フォトンエネルギーやコズミックエネルギーなどのエネルギーの放射も増大する。アセンションとは、宇宙的な関わりにおいて生じる出来事でもあるのである。それらは、地球に、(浄化のため)異常気象や地震などの天変地異を引き起こす。異常気象や地震などの天変地異には、支配層や支配的宇宙人による人工的なものもあろうが、全体として、宇宙的な関わりの中で起こっていることの認識は、改めて必要と思われる。

もはや、その方向は後戻りできない状況にあって、今後6年のうちには、決定的なことが起こるとしている。

支配的宇宙人は、もちろんそれを阻止しようとするのだが、最終的には、「サイバー攻撃」を準備しているという。それは、単に、情報を撹乱するというのではなく、核エネルギー以上の威力を有する、電磁的な殺傷兵器で、情報システムを介して、一瞬にして多くの人を殺せるという。

私も、支配的な宇宙人は、最終的には、自暴自棄的に、破壊そのものを意図するようになることを懸念していたが、やはりそのような状況になって来たというほかない。

前回の『エイリアン インタビュー』もそうだし、これは最近の傾向なのであるが、地球のどうしようもない現状を、徹底的に暴き出す情報が増えている。これには、リサロイヤル他『プリズム・オブ・リラ』も言っていたように(※)、地球人に対しては、抑制的な表現では効果が発揮できず、より直接に、あえて恐怖を喚起する仕方で、訴えかけていくほかないというのが、最近の宇宙人たちの共通認識になりつつあるということが、影響しているだろう。

しかし、それは、実際に状況が、切迫したものになりつつあることの反映でもあるはずである。

何しろ、この書は、状況がいかに切羽詰まったものであるかということを、率直に、力強く、訴えかけているのである。

アセンションに向けては、我々に対して、何も難しいことを要求しているわけではなく、このような現状を認識して、支配的宇宙人の奴隷と化すのではなく、「霊性的なもの」への興味や指向を失わないで、向上して行くことを述べているだけである。端的には、「地球のアセンションにとって、邪魔にならない」ということなのだが、それが、現状の人間には、やはり「難しいこと」になってしまうのでもあろう。

※ 重要と思われるので、この部分を引用しておくことにします。

これまで宇宙人たちがとってきたあらゆる穏便な方法は、あまり功を奏しなかったと言えよう。一方、ここ数十年来、宇宙人たちが地球人に対して用いる基本的な戦略は、人類の覚醒を促す上で、従来の方法より深遠な可能性を秘めているようである。一部の宇宙人は、人類の恐怖心を煽る戦略をとりつつある。残念ながら私たち地球人は、肯定的なことより否定的なことを真実として受け入れる傾向を持つ。否定的なことを肯定していくという人類特有の認識の仕方が、これまで人類が否定してきた現実に、人類を同化させるための手段として使われ始めているのである。恐怖心には高い覚醒効果があるということになる。

ただし、端的に、恐怖と絶望を煽ることを意図とした、否定的な宇宙人によるチャネリング情報もあるので、その見分けには注意を要する。

チャネリング情報について

もっとも、私は、チャネリング情報に関しては、全面的にボジティブとか全面的にネガティブなどということはあり得ないという立場である。チャネラーは人間である以上、ポジティブな宇宙人とチャネルするときも、状態によりネガティブな存在の影響を受けたり、ネガティブな捉え方が「翻訳」に反映してしまうこともあり得る。一方、ネガティブな宇宙人の情報だからと言って、全面的に虚偽や悪意に出たものとは限らない。ポジティブな宇宙人、ネガティブな宇宙人という区分けも、決して単純にできるわけではない。せいぜい、全体として、どちらが勝るものであるかということが言えるだけである。

だから、チャネリング情報については、全面的に受け入れるとか、全面的に切り捨てるということではなく、内容そのものに注目したうえで、注意深く検討していくしかない。

しかし、私は、概括的に言うなら、チャネリング情報には、(自分自身の体験を消化していく際にも、大いに参考になったものがあり)人間の考察などより、はるかに有意義な内容のものがあることを認めるものである。もちろん、このプログでとりあげているようなものは、そのような内容を含むものと思ってもらってよい。

2019年4月12日 (金)

「日月神示」の言葉 3

今回は、『日月神示』の文庫版(電子書籍版)、一二三』(文芸社)を読んだので、前と同様、印象に残った言葉を2、3掲げておきます。

主意である、「神一厘の経綸」については、既に記事『「神一厘の経綸」について』 、『「神示」が語る「悪の仕組み」』で十分述べたので、ここにあげるのは、本筋からは外れるかもしれないが、特に印象に残った言葉となります。

記事『「日月神示」の言葉』、『「日月神示」の言葉2』のときと同様です。

 「食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのじゃぞ。」

最近は、「食べない人たち」()が、かなり表に出て、多く知られるようになっている。「食べるからこそ死ぬ」ことも、慢性病が異様に拡大した現在、「食」の問題が取りざたされて、頷けることにはなっている。だから、さほど衝撃的というわけではないかもしれないが、強烈に逆説が効いた言葉である。当時としては、受け入れ難いほど、衝撃的な言葉であったに違いない。

現在でも、「食べない人たち」がいるのは知っていても、やはり、普通は「食べなきゃ死ぬだろう」と思っている人の方が圧倒的に多いはずだ。現実に、途上国その他で、「食べられない」が故に、餓死している人も多いのでは、ということにもなるだろう。

しかし、「餓死」というのは、「食べない」ことが直接の原因ではないとも考えられる。たとえば、様々な環境的条件により、免疫系を衰えさせ、感染症を招くなどの理由が考えられる。「食べなければ死ぬ」という、文化的、社会的信念体系の影響も大きい。

とはいえ、私も、誰もが、そう容易く、「食べない人」になれるとも思えない。その意味では、「食べないで死ぬことない」というのは、「本来は」という、本質論上の話というべきものである。

それは、本来は、「誰もが超能力を持っている」というのとも、同じような次元の話で、それはそうでも、現実にそれを発揮する人は、少ないのである。

それにしても、実に、本質的なことを、見事に、さらりと、提示してくれている。

  「悪を食って暮らさねばならん時、近づいたぞ。悪に食われんように、悪を噛んで、よく消化し、浄化してくだされよ。」

これも、「食」に関する言葉。「悪」とは、「捕食者」とした場合、これも非常に逆説に満ちた言葉である。

本来は、「悪」が我々を食うのであるが、我々の方が、「悪」を食って暮らさねばならない時代が近づいたという。悪を「食う」とは、それを、他の神示の言葉に照らして言えば、悪を「抱き参らせる」ということであり、そのうえで、それをよく消化して、受け入れ、「浄化」していくということになろだろう。

とはいえ、本来、「悪」の方こそ、「捕食者」なのであるから、よほど注意して、噛んで食わないと、我々の方が食われてしまうことになりかねない。まあ、「食うか食われるか」というのは、本来の、自然状態では、当たり前のように行われている状況なのではあるが。

しかし、「悪」が我々の食糧源となるのであれば、これほど、食に恵まれた時代もまたとないといえよう。なにしろ、現代では、我々を取り巻く、そこら中が、「悪」であふれ返る状況なのだから。

そして、この「悪」を、皆で目出度く食いつくしたとき、1で述べられたように、我々も、晴れて「食べない人」となることができるのかもしれない。

  「そなたは、つまらんことにいつも心残すから、つまらんことが出てくるのであるぞ。心を残すということは、霊界との繋がりがあることぞ。」

これは、私も、よく経験することであるが故に、少しショックだった。かつては、そんなことはなかったはずだが、最近は、「つまらないこと」に「心を残す」と、ほとんどすぐさま、それが、何らかの形で、「出てきてしまう」ように思う。まるで、時間的猶予のない「カルマ」のようである。

たとえば、『「ハイブリッド」と「集団ストーカー」』という記事でも、「つまらないこと」に囚われて、それに「心を残した」途端、それをつくようにして、「ハイブリッド」と思われる存在に、「つまらない」「絡み」を受けたことを述べた。

「心を残す」ということは、「霊界との繋がりがある」ということで、「つまらない」ことは、「つまらない」(低級な)霊界に通じてしまうのである。そして、その「つまらない」ことをとっかかりにして、彼らの影響を大きく呼び寄せてしまう。その結果、「つまらない」ことが、拡大されて、現実に「出てきてしまう」のである。

まあ、こういうのが「すぐさま」出て来てくれた方が、その原因が自分の「思い」にあることが分かりやすいし、その修正もまた、しやすいことにはなる。

「つまる」ところは、「つまらない」ことに、心を残さないということである。

 

※ ここに、「食べない人」(ブレサリアン)に関する概括的な記事があるので紹介しておきます。

「ブレサリアン」には、心をぶれサリアンされた人も多いかもしれません(笑)。

私も、記事で述べたように、一連の体験中、20日間ほど一切食事をしなかったことがあります。が、これは、あまりにも張りつめた意識状態にあったため、「空腹感」が一切生じなかったのと、食事をとるという余裕(行動意欲)すらなかったことによります。

今思っても、一番つらい時期ではありました。まだ、「霊的なもの」の作用であるという確信も持てず、何がなんだか分からず、いいように振り回されていた時期です。

ただし、一日2箱ほどのタバコと2本ほどの缶コーヒーは必需品でした。「ブレサリアン」ではなく、「ニコチニアン」または「カフェイニアン」ということになりましょうか。いずれにせよ、最強、眞逆の「不健康状態」ですね。

しかし、この「食べない」状態を「理論上は」、続けられ得るということは、このとき十分実感したし、「空腹感」というのも、意識の問題であることを実感しました。

2018年4月 3日 (火)

宇宙人と地球人の「融合プロジェクト」について

宇宙人と地球人の「ハイブリッド」を作り出して、融合させる、「融合プロジェクト」などというのは、いかにも衝撃的に聞こえるものでしょう。

しかし、大分前から、散発的には、宇宙人による誘拐(「アブダクション」)体験者が、退行催眠下で話す話として、持ち上がっていたものです。「宇宙人の子供を妊娠」または「産んだ」などとして、テレビでも、センセーショナルにとり上げられることがあります。また、いくつかのチャネリング情報でも、語られていました。

ところが、最近、アブダクション事例の著名な研究者、デイヴィッド・ジェイコブスの『ヒトが霊長類でなくなる日 』(竹書房 )という本が出て、最近の事例が総合的にまとめられ、「融合プロジェクト」の全容をかなり詳しく浮かび上がらせています。

多くのアブダクション体験者を退行催眠にかけて、持ち上がった話や、自ら体験を思い出して語った人の話をまとめたものですが、かなり具体的で詳細な内容で、全体に共通性や一貫性があり、とても「作り話」などとは言えないものです。何らかの、物理的痕跡が残っている場合もあります。

アブダクション事例だけでなく、宇宙人関連の情報を総合的に判断すると、確かに、いく種かの宇宙人の間で、地球人との「ハイブリッド計画」、さらには「融合プロジェクト」が進められていることは、間違いないと思われます

アブダクション体験者(「アブダクティ)」が語る内容というのは、おおまかにいうと、次のようなものです。

アブダクティは、気がつくとUFOの中の実験台のようなところに寝かされ、宇宙人によって、精子や卵子を採取される。あるいは、単純に性交をされる場合もある。女性の場合、改めて、子宮に「ハイブリッド胚」を挿入され、一定期間後に胎児を取り出される。その後も何度か誘拐され、その胎児を育てるために何らかの役割をさせられる。さらに、成長したハイブリッドが地球人として暮らすために、さまざまな指導をさせられる場合もある。

アブダクティは、こういった出来事の記憶を消される場合が多いですが、何らかのきっかけで思い出したり、退行催眠によって、記憶をよみがえらせることになるのです。

誘拐する「宇宙人」というのは、いわゆる、「グレイタイプ」が多いですが、爬虫類的なレプティリアン、人間とそっくりのヒューマノイドなど、いろいろあります。
また、UFO内では、グレイダイプと似たものや、人間に似たものなど、さまざまなタイプの、また胎児から、大きく成長したものなど、さまざまな段階の「ハイブリッド」を見ています。

本では、この「宇宙人」については、次のようにまとめられています。

人間を誘拐する者たちのほとんどは、UFO内に暮らしている。そのいずれもがホモ・サピエンスと肉体的には似通っているが、その一方では、想像もできないほど強力な顕著に異なる知的能力を有している。彼らは精神感応力(テレパシー)で意思伝達を行う。「神経連動」によって、誘拐者は、恐怖、憎悪、愛情、性的反応といった多岐にわたる感情を引き出すことができる。
 アプダクティのほとんどは、誘拐されるときにはほぼ必ずと言っていいほど、何らかの形で神経連動の影響を受けている。同様に重要な点として、すべてのエイリアンは限られた距離からなら、神経連動なしに人間の思考や行動を操ることもできる。数センチ先から、あるいは額と額をつけながらアプダクティの目をじっとみつめて視神経を固定し、脳内のさまざまな神経部位を刺激することで、人は彼らの意のままにものを見て、考え、行動することになる。このたぐいまれなエイリアンの神経的、テレパシー的能力こそが、人類と彼らを区別する最も重要な要素である。

「神経連動」というのは、近距離で、直接意思により神経を操作することとは別に述べられているので、おそらく、何らかの技術と連動してなされる能力ということなのでしょう。このような「能力」ないし「技術」は、前回の記事でみたような、「ガスライティング」との関連でも重要なものです。

但し、宇宙人は、アブダクティの思考のすべてを読み取れるわけではないこと。アブダクティも、彼らの裏をかくような思考や行動をすることが、ときに可能なことは、指摘されています。つまり、限界はあるということです。

このようにして、作り出された「ハイブリッド」の段階には、先にもみたように、様々なものがあり、初期タイプ、中期タイプ、後期タイプと進むにしたがって、人間と似たものになります。

その最終段階とされる、「ヒューブリッド」について、本では、次のように述べられています。

ヒューブリッド(融合種)は、人類ハイブリッド化計画の最終到達点である。彼らは神経学的な側面を除き、あらゆる点で人間と区別できない。口頭で話したりテレパシーを使ったりして、人間の神経をコントロールできる。彼らの主要な役割はひとつ―それと悟られずに地球で暮らし、社会にうまくなじむことだ。アブダクション計画において、この目標は最後から2番目に重要である。ヒューブリッドは地球生活の諸側面について学習したあとでさえ、人間の生活の複雑さについてことのほか認識が甘いままであり、アブダクティの多大な助けを必要とする。しかし、学習も早く、社会的な複雑さにすぐに適応する。
 わたしは2種類のヒューブリッドを発見している。一人で暮らす「独立型ヒューブリッド」と、アパートメントを2,3人のヒューブリッドとシェアして暮らす集団型ヒューブリッドである。独立型ヒューブリッドが受け持つのは、彼らに人間社会の複雑さを数か月、ときには数年かけて教えるアブダクティである。
……初めのうちはあらゆるヒューブリッドが複雑な社会で生活していくのを助けてくれるアブダクティに依存しているが、社会化するにつれて助力を必要としなくなる。

このように、「ヒューブリッド」も、宇宙人の能力を受け継いで、テレパシー能力や思考、感情を操作する能力をもつようです。しかし、その能力にも限界があることが、次のように述べられています。

平常時のヒューブリッドはひとりの人間しかコントロールできずに、神経的な力の弱いヒューブリッドが一度に複数の人間をコントロールするのは難しいようだ。従って、ヒューブリッドが人間の集団に脅かされるときは、極めて脆弱である。逆に言うと、彼らは結束することにより、その脆弱さが軽減されることを知ってしまった。彼らは神経的なエネルギー資源を集約することで、手に負えない人間をより完璧にコントロールできるのだ。

このようにして、「ヒューブリッド」が、既に人間世界に送り込まれている、というのは、やはり衝撃的であり、信じ難い面もあります。テレパシー能力や思考、感情を操作する能力を受け継いでいるのも、脅威といえば脅威です。

しかし、次回述べるつもりですが、私も、ヒューブリッドに限らず、宇宙人や捕食者のような霊的存在であっても、確かに強力である一方で、そこに「脆弱性」のようなものは、常に感じます。言い換えれば、人間に対して、特にその「暴力性」に対する、かなり根源的な「恐怖」をもっているようだということです。それは、おそらく、我々が、馬や牛などの家畜動物に対してもつものと似ていて、普段従順のようでも、本気で反乱されたら敵わないといったものと思われます。

また、そのような人間に対する恐怖や、距離感のようなものは、まなじっかテレパシー能力や操作能力があるために、増長されているのだと思われます。

先の文では、ヒューブリッドは、人間生活の複雑さになじめずに苦労するが、いずれ適応して、なじんでいくと述べられていました。しかし、それは、言えるとしても、後にみるように、一部の「優秀な者」のみなのであって、多くは、とてもそのように人間世界に入り込めるものではないと思わざるを得ません。また、本でも、彼らの、人間世界になじめない苦労の様子が、ちょうど「自閉症」の人の苦労と似たようなものとして、多くとりあげられています。

私は、とても、これらの存在が、容易に人間世界に入り込めるとは思えないのです。その意味では、「融合計画」をそれほどおそれる必要はないということです。

とはいっても、多くの人は、人間を誘拐して、一方的に、このような計画を実行するなどは、我々としては、とても受け入れ難く、許せないと思うでしょう。実際、ジェイコブスも、この計画の全体を、「邪悪な宇宙人による地球乗っ取り計画」そのものとして捉えています

徐々に、宇宙人と地球人のハイブリッドを人間の世界に入り込ませ、融合させて行き、最終的には、地球そのものを乗っ取ることを目的としているということです。先に、ヒューブリッドを人間社会になじませるのが、「最後から2番目の目標」とされていましたが、最終的な目標は、このような「地球全体の乗っ取り」ということだからです。

目的については、後にみるように、様々なものがあり得るでしょうが、このように、ネガティブな宇宙人による、「邪悪」な意図による「融合プロジェクト」というのは、確かにあるようです。

ところが、一方、「チャネリング」系統の情報でよくいわれるのは、「アブダクション」や、「ハイブリッド」の形成というのは、実は、宇宙的には、太古の昔から、普遍的にある出来事であって、対象である地球人も、魂のレベルでは合意している事項であるということです

たとえば、私自身、初めに、チャネリング情報というものに、みるべき価値があることを認め、自分の一連の体験を顧みるときにも、大きく参照となった、ジーナ・レイク(のチャネルする存在)は、次のように言っています。(『アセンションへの道』ナチュラルスピリット)

混血の育成は、交配に関るETの種族を救うためでもなければ、人類を種族として改良したり救ったりすることが目的なのではありません。この手の交配は広大無辺な宇宙全体で普遍的に行われていることであり、例をあげれば地球の農業の交配と何ら変わるところがありません。
 遺伝子工学は、単に種の学習と進化の一端を担うものであり、それがみじめな失敗に終わる場合もあれば、偉大な発達につながることもあります。遺伝子工学の関係者たちが生命の遺伝子を操作する行為を非倫理的なこととみなさない一方、遺伝子操作という分野へのとり組み方や、研究の成果の利用法によっては、遺伝子操作は非倫理的な行為になると言わざるを得ません。あらゆる種族の科学者というものは好奇心に満ち、探求心にあふれ、学び、発見し、彼らはそれを実験という行為を通じて表現します。彼らはそのような実験を通じて重要な教訓を学び、知識や知恵を発達させていくのです。
 遺伝子操作によって作り出された混血の者は、地球からどこか別の場所に移動させられている場合がほとんどで、地球に残されているのはほんの少数に過ぎません。ですが、この少数の混血の者たちは、地球の大転換に関して大いなる責任を担うことになるでしょう。

変に、地球人にとっての利益を強調したり、自分らの行為を正当化せずに、客観的に、実験的な意味合いであることと、進化上の必然であることを示すのみであるのが、むしろ真実味を感じさせます。

現在、この「ハイブリッド」計画を主に進めているのは、ゼータ星人(いわゆるグレイタイプの宇宙人ですが、実際には、この中のネガティブなタイプが「グレイ」と称されているようです)とされています。彼らとしては、彼らの進化の方向として、感情を排除するということがあり、それが彼らの更なる進化を行き詰まらせたので、地球人の感情的要素を取り入れて、改善するということ。地球人にとっても、ゼータの様々な能力を取り入れることは、進化的に意味があることで、それに魂のレベルで同意する者に、このような計画が実行されているということです。

実は、チャネリングの走りとして有名な、エササニ星人のバシャールも、このようにして形成された「ハイブリッド」というのです。エササニ星自体が、地球人とゼータ星人のハイブリッドによる惑星ということです。といっても、現在の地球の時間からすれば、一つの「未来」であり、可能性としての「パラレルワールド」ということになります。

本にまとめられている体験談も、このゼータ星人によるものが多いようです。ジェイコブスは、全体を邪悪な意図によるものとみているのですが、これには、どうも、邪悪なものとそうでないものが、一緒にされ、混在されているように思われるのです

私も、このような、ハイブリッド計画というものは、にわかには、受け入れ難く、本当に、彼らの言うとおりに、そのままに受け取る気にはなりません。しかし、宇宙人と地球人とが接触する限り、このような「融合」は、起こり得ることと思わざるを得ません。地球上でも、文明と文明が接触して交われば、必然的に、融合ということが起こって来ました。「日本人」というのも、「縄文人」と「弥生人」のハイブリッドということになります。

それ以前に、そもそも、記事『「プレアデス+」と「創造神」「捕食者」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-d8e8.html)などでみたように、人間自体が、宇宙人と地球上の類人猿の「ハイブリッド」として創造されたということもあります。もともと、人類が誕生するときに、宇宙人が存在したなら、そのようなことが行われていないとみる方が、無理なのです。そうでなくとも、生命の進化説として、細胞と細胞の「共生説」というのもあります。実際、生命の多様さとは、「ハイブリッド」ということを抜きにしては、考えられないものでしょう。

だから、ハイブリッド計画や融合計画自体が、「邪悪」なものとは、言えないと思います。ただし、事実上、文明と文明が接触し、このような計画が実行されるとき、優位にある方が主導権を握って行われるし、我々としては、いろいろと不利な立場におかれることも、必然と言わなくてはならないでしょう。

我々には、これらの存在との接触自体に、未知の恐怖がつきまとうし、どうしても、これまでの地球上でのあり方を否定され、侵害されているような思いがつきまといます。実際、アブダクション体験者の語りにも、それは反映されています。

ジェイコブスが、計画の全体を邪悪な意図によるものと解するのも、十分の理由があると思います。しかし、やはり、全体として、はっきりと邪悪な意図に出たものと、そうでないものとは、区別する必要があると思います。

実際、ジーナレイクも、ネガティブな宇宙人による、アブダクションやハイブリッド計画もあることが、次のように述べられています。

ネガティブなETによる誘拐は、被誘拐者との魂の合意なしに一方的に行われます。ですが、彼らによる誘拐も被誘拐者の成長に役立つことから、被誘拐者の魂はすくなくとも彼らによる誘拐を黙許しているのです。

「魂の合意」ということ自体、彼らの側の一方的な捉え方によるともいえ、本当だとしても、微妙な問題をはらみます。しかし、「邪悪」かどうかの一つの基準として、この「合意」ということが大きく関るべきなのは、少なくとも納得できることです。

「被誘拐者の魂自体が誘拐を黙許している」という言い方も、微妙ですが、これは、言い換えれば、それ故に、彼ら自体も、ネガティブな存在による誘拐を「黙認」しているということです。

これは、人間でも同じですが、一つの難しい問題として、「自由意思」を尊重するということがあります。他の種族の自由意思が尊重される限り、それが「邪悪」と判断される場合でも、極力、直接的な実力行使による阻止は控えられるべきことになるでしょう。もちろん、一切のルールを排すのでは、混沌とするだけだし、ルールが守られるためには、一定の罰則や実力による阻止も必要になることはあるでしょう。

しかし、この「アブダクション」と「ハイブリッド」計画には、地球人の成長に役立つ、教訓的な意味もあるので、あえて阻止はされていないということです。ただし、同時に、後にみるように、ネガティブな存在のこのような計画が、まともに機能するとは思われてもいない、ということもあるのだと思います。

実は、このようにして、他の存在によって、あえて阻止されていないということは、前回みた「集団ストーカー」戦略についても、言えるはずのことです。が、これについては、次回にみたいと思います。

このように、融合計画については、全体として進化の必然であるとしても、その中には、ネガティブな存在によるものがあるということは、確かのようです

ネガティブな存在の計画は、おそらく、彼らの存在自体の、生き残り計画でもあり、あるいは、彼らも、他の存在による全体としての融合計画を知っているでしょうから、それを阻止したい、彼らの都合のよいものに変えたい、という思いもあるのでしょう。

そして、最終的には、「乗っ取り」を意図しているということも確かにあるのでしょう。しかし、既に何度か述べたように、それが、可能とはとても思われません。

彼らが、人間の世界に入り込むのが、いかに大変かは、アブダクティの語りからも、よく伝わって来ます。先に、「いずれ適応する」と述べられていましたが、これは、ネガティブな存在ではない方のハイブリッドと思われ、しかも、その中でも一部の「優秀」な者について言えることのようです

私自身、次回みるように、そのようなハイブリッドかもしれないものと出会っていますが、やはり、普通に人間世界に適応できるというようなものではないと思われます。まして、彼らが、徐々に人間に取って代わるなどということは、考え難いことです。

但し、一つ、もし、記事『身近に入り込んでいる「宇宙人の技術」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-7e52.html)でみたような、「人間のクローン化」ということが、押し進められていくなら、それは実質上、このようなハイブリッドと変わらない地球人を、多く輩出することになります。そうすると、全体として、人間がハイブリッドに融合して行く地盤ができるということは考えられます。恐らく、彼らとしては、その両者を、狙っているのでしょう。

前回、あくまで「可能性」であり、今後の「展望」といいましたが、このように、わずかではあっても、既に、地球に、地球人として入り込んでいるネガティブな存在との「ハイブリッド」は、いるのかもしれません。

しかし、そのような存在が、とりあえず、人間に向けて、できそうなことと言ったら、これしかありません。それは、前回みたような、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」ということです。

しかし、それについては、次回述べます。

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