「終末的予言」と「天変地異」についてのプレアデス人サーシャの言葉
前回、前々回の記事で述べた、一種の「終末的な予言」や「天変地異」に関して、私の見た夢やこれまで述べて来たこととも大いに関わる、重要な事柄が述べられているプレアデス人の言葉があるので、今回はそれを紹介しようと思う。
それは1993年に出版された「宇宙人遭遇の扉」(徳間書店)という本にあるもので、リサ・ロイヤルのチャネルするサーシャというプレアデス人の言葉である。少し長いが、まずそれを掲げておこう。
「もし地球上のすべての人間が、自分のフィーリングを自由に表現して、創造的な自己表現を行えば、地球は健全な状態を維持することができます。なぜならば大地のエネルギーは妨害されることなく、人間を通して流れるからです。
しかし残念ながら、地球上の大半の人間は感情を抑圧して、自由な自己表現をしていません。こうして表現されるべきエネルギーの出口がふさがれて蓄積されると、徐々にプレッシャーが高まります。これがある臨界点まで達すると、地球はバランスを回復するために、天変地異を起してエネルギーを解放しようとします。つまり、人間による感情や自己表現の抑圧にこそ天変地異の原因があるのです。まさに人間は地球の生態系の一部です。
現在、あなたが現実で目の当たりにしている現象は、すべて人類が抑圧してきた問題ばかりです。何千年もの間、集合意識の奥深くに閉じ込められてきたものが、現実のレベルに浮上しつつあるのです。これは惑星規模の浄化です。
破滅的な天変地異や戦争が地球を見舞うという世紀末的な予言は確定的なものではありません。新しい世界が到来するためには、古い世界が破滅的な形で滅びなければならないという考え方には、あくまでも古い観念が反映されています。なぜなら、現実はあなたの考え方次第で変わり得るからです。人類は必ずしも天変地異や戦争を通して教訓を学ぶ必要はありません。世界の現実の創造者である人類は、あらゆる可能性を選択することができます。私たちの視点からすると、これからの「天変地異」は主に心の中に起こるでしょう。」
まず、地球の天変地異といわれるものは、人間と無関係に起こるわけではなく、人間による感情や自己表現の抑圧により内部深くに溜り、滞ったエネルギーの解放のために、起こされるという重要なことが指摘されている。
私も、記事『「アーリマン」と「火地球」』や『「火」の両義性と「クンダリニー」』などで、アーリマン存在との関わりをみつつ、人間の情念が霊的レベルで地球の深部に働きかけることで、地震や噴火などの天変地異が起こることを指摘していた。それは、私自身の一連の体験を通して「地球」と関わったときの実感でもあった。
その意味では、そのような天変地異が「自然」のものであろうが、「人工的、人為的」なものがあろうが、やはり人間の集合的な情念が根本にある点においては、変わりはないわけである。
しかし、同時に、そのような天変地異は、たとえ終末的な予言のようなものでビジョンとして(真実に)見られたものであっても、決して確定的なものではなく、人間が時々刻々に「現実」を作り出していることに鑑みれば、実現する必然性があるわけではない。
ただ、そのためには、我々自身が、そのような現実を作り出しているという事実に気づき、そのあり方を変えていく必要があるだろうし、既に地球の内部に溜まったエネルギーは何らかの仕方で解放される必要があるだろう。
しかし、今の時点では、率直のところ、そのような方向に行けるだけのものが人間にあるとはとても思えないというのも、私の感じるところである。
さらに、最後に指摘されている、「これからの「天変地異」は主に心の中に起こるでしょう」というのが、私にとってとても興味深かった。
実際、前回も述べたように、私自身も「津波」の夢を連続してみたが、それは、「無意識の奥深くで巻き起こされる、心を飲み込む<津波>」のようなものとして、実現したのだった。それは、まさに「心の中で起こる<天変地異>」にほかならなかったのである。
そして、恐らく、今後も、私と同じように、この「心の中で起こる<天変地異>」は多くの人に起こされることと思われるのである。
ただし、ユングも言うように、普遍的な無意識という「心の中」で起こる出来事は、決して「外的な事象」と無関係ではなく、互いに「共時的」に結びついている。つまり、集合的レベルで、多くの者が「心の中で起こる<天変地異>」を経験するようになると、それは外的事象にも何らかの形で反映され、実際の「天変地異」に結びつく可能性はやはりあるということである。
サーシャも、「主に」と言っている点に注意しなければならない。
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