文化・芸術

2018年6月13日 (水)

観念の問い直し 3-戦略の理解と対処法

「わしが言っているのは、われわれが相対しているのは単純な捕食者ではないということだ。そいつはすごく頭が切れるし、てきぱきと仕事をこなす。組織的な方法にしたがってわれわれを無能にする。」 (カスタネダ『無限の本質』 ドンファンの言葉より)

「人民、己が操られておること信じられんであろうなれど、悪魔は簡単に人を操れるのであるぞ。悪魔の力どれほど強いか、ずる賢いか、人民知らんのぞ。」 (『大日月地神示』より)

「集団ストーカー」でも「テクノロジー犯罪」でも、一連の「観念の問い直し」シリーズで、最も明らかにしたかったことは、これらの「観念」自体が、「戦略」なのだということです。この「観念」自体が、一旦それを信じたら、人を捕らえて、その世界に引き入れ、縛りつける、「魔的」ともいえる、働きをしているのです。その世界に、引き込まれた者は、容易に、そこから抜け出すことができません。

その観念を信じるように仕向ける、「仕掛け」というものは、確かにあります。しかし、実際には、その「戦略」に乗り、その観念を信じること自体が、その「被害」とされる出来事を、止めなく、拡大して、再生産しているのです。その「被害」は、「戦略」によって、自ら「作り出した」ものなのであり、それによって、「加害行為」なるものを、実際以上に強大なものとし、自ら、負担を増大しているのです。(※1)

だから、対処法といっても、真っ先にあげられるべきは、この「観念」がもたらす効果の全体が、「戦略」であることを理解することに尽きます。本当に、それを理解できれば、半ば、その「世界」から抜け出すことができたようなものです。自らが、作り出した「被害」を、取り外すだけで、大きく負担を軽減することができるからです。

それでも、身に受ける、攻撃的な「仕掛け」というのは、確かにあります。しかし、それも、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という「観念」を信じさせ、自ら「被害」を拡大させるためこその「仕掛け」なので、全体としての「戦略」が理解できれば、そのような「仕掛け」に振り回されることも、少なくなります。(※2)

しかし、実際には、この「戦略」の理解が、多くの人にとって困難なのは、それが、決して、「人間レベル」のものではないからです。通常の人間の戦略ということ、あるいはその延長上に理解しようとしても、無理なのです。

冒頭に引用したのは、(前にも引用しましたが)このような存在が、いかに(人間を超えた)「戦略」に満ちたものかを、端的に言い表した言葉です。改めて、そのように強調されることの、意を汲んでほしいと思います。

そのような「戦略」の、「人間を越えた」部分が、最も現れるのは、何と言っても、人間の心理を、「リアルタイム」に「読んだ」うえで、なされる「仕掛け」においてです

この、心理を「リアルタイムに読まれる」ということ自体は、実際に「仕掛け」を受けている多くの人が、感じ取ることです。だからこそ、それを説明すべく、「(超高度の)テクノロジー」が持ち出されるわけです。しかし、いくらそのようなものを持ち出しても、本当に、その「リアルタイムに読まれる」ことのリアリティを捉えることはできません。また、その主体が、「人間」だと思っている限り、本当に、その「戦略」を理解できることにもなりません。

たとえば、この場合で言えば、「テクノロジーだと思われている」こと、「人間だと思われている」こと自体が、既に「読まれ」たうえで、「戦略」に組み込まれているのです。そうしてできているのが、「テクノロジー犯罪」という「観念」なのです。「リアルタイムに読まれる」ことと「戦略」が、即に結びついています。

その意味では、その「心理を読まれること」自体は、「無心」にでもならない限り、防ぎようもないので、対処の対象とはなりません。ただ、このことを理解して、相手が、それを踏まえた「仕掛け」をなして来ても、それに捕らわれて、混乱したり、恐れたりしないことが重要なのです

被害者のブログなどで、「テクノロジー犯罪」であることを前提とした対処法として、電磁波を遮断したり、軽減できるような「装置」があげられることがあります。それは、そのように信じている限り、一定の心理的安定をもたらすし、薬と似たような、「プラシーボ効果」をもたらすことはできます。

しかし、この対処法では、自分で「被害」と思っている多くの出来事を、疑わざる前提として、固定してしまい、その負担を軽減することはできません。また、「テクノロジーによる」という「思い込み」も、固定してしまいます。それは、「物理的な力」によるものだから、意識のあり方とか、こちら側の心的な態度では、防げないものというイメージを強めます。そのようにして、真の対処への可能性を、閉ざしてしまうことになるのです。

つまり、むしろ、相手方の「戦略」に乗ることになってしまうということです。

このように、「テクノロジー犯罪」という「観念」には、「テクノロジー」という「物理的な力」によって、攻撃されるという意味合いが込められています。しかし、それもまた、対処が難しいと思わせる、重要な「戦略」の一部なのです。

実際には、これまでみて来たとおり、これらの「仕掛け」は、「意識」と連動して起こるもので、「意識のあり方」とか、こちち側の「心的な態度」によって、大きく左右し得るものです。決して、「テクノロジー」ということに比べて、対処の困難なものではないのです

あるいは、前回も述べたとおり、このような現象に、何らかの「テクノロジー」が関与している可能性はないわけではありません。しかし、たとえ、「テクノロジー」によるものと仮定したとしても、決して「意識のあり方」で防げないものではないことは、記事『チャネリング情報にみる薬の害毒と操作性 2』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-cde9.html )で述べたとおりです。

重要なことなので、『スターシード』で言われていることを、再びあげておきます。

そのような科学技術の使い手たちは、単に行動そのものを観察することよりも、特定の行動をさせるように人間を操作することにはるかに関心があるということに心を留めておいて下さい。もし個人の位置を特定できれば、彼らは確実にその人をとらえることができるでしょう。自らのはっきりした意思とその性質によって、あなた方が電磁気による彼らの「メッセージ」の周波数を造作なく変化させる場合を除いての話ですが。それは、人間の精神、身体、感情の状態によって決定されます。ですから、あなた方が完全に正常な心で―自分の意思を明確にして―行動していれば、そのような装置の影響はもしあったとしても、ごくわずかでしょう。

これらの「テクノロジー」が、「物理的なエネルギー」によるものだとしたら、確かに、意識のありようで防ぐことは、難しいものになるでしょう。しかし、それらは、電磁的な力を利用したものとしても、その周波数をもって、脳波に共振させるなどの方法によるものです。だから、要は、そのような周波数に影響されないだけの、意識の(脳に対する)強固な働きがあれば、それを回避、あるいは少なくとも、減退できるということです。

『スターシード』では、「完全に正常な心で―自分の意思を明確にして―行動していれ」ば、影響を受けないか、受けてもわずかだと言います。要は、感情的にネガティブな影響を引きずらないで、意思をしっかり持ち、「やるべきことをやる」ということに尽きます。逆に言えば、「気にすればするほど」、「捕われれば捕われるほど」このような影響を強く受けるのだから、「戦略」とは、いかにして、相手が「気にし」、「捕われる」ように仕向けるかということになります。敵も、こちらの「コンプレックス」や「弱点」を、巧みについてくるということです。だから、回避することが容易だということではありません。

いずれにしても、こういった攻撃ないし仕掛けは、「意識のあり様」により、大幅に左右されるということ。それを悟らしめないようにすることこそが、彼らの「戦略」の大部分を占める、ということを知ることが重要です。

最後に、心理を「読む」ということと、それに捕われない「無心」という態度について、「さとり」という動物の、面白い話があるので紹介しておきましょう。

一人の木こりが山奥に入り、斧で木を伐っていると、「さとり」という珍しい動物がそばに寄ってきました。さとりは人の心を読み取ることができるという珍獣です。そこで木こりは「よし、生け捕りにしよう」と考えました。

するとすぐにさとりが「お前はおれを生け捕りにしようと思っているな」と、からかうように言うのです。心を読み取られて、木こりがびっくりすると、さとりは得意げに「こんどはおれに心を読まれてびっくりしている」といいます。シャクに障ったきこりは「ひと思いに斧で打ち殺してやるか」と考えました。

さとりはまたも、「斧でおれを殺そうというのかい」と、逃げる身構えをします。ついにきこりはあきらめ、「こいつはかなわん。さとりなんかかまわず、自分の仕事に精を出そう」と思いました。さとりは「とうとうおれを諦めて、自分の仕事に精をだそうとしているな。」と、せせら笑いました。

しかし、木こりは、気味の悪い動物のことなど忘れようと、斧を振るって一生懸命働きました。すると、全く偶然に、木こりの振り下ろした斧の頭が柄から飛び、見物していたさとりに命中したのです。さとりは地面に倒れて動けなくなりました。そして、木こりは、さとりを生け捕りにすることができました。

人の心を読み取る、不思議な力をもつ「さとり」も、「無心」に働いている、きこりの心までは読めなかったというわけです。これは、禅の世界でとりあげられる話で、(修行や訓練によって成し遂げられる)高度の「無心」の意義について指し示しています。さとりとは、得ようとして得られるものではなく、それを諦めて、日常の仕事に専念しているときに、ふと得られるものだという「逆説」をも示しています。

しかし、この話は、まさに、心を読み取ったうえで、「嫌がらせ」を仕掛けてくるような、「ストーカー」的な存在についての、対処法として、もっと広く受け止めることができます。「無心」などと言わずとも、ただ「気にしない」で、やるべきことに専念していれば、そのような存在の影響は、ほとんど受けずに済むということです。

※1  「戦略」によって、「自ら作り出した被害」とは、疑心暗鬼による錯覚、錯誤から、「被害」とみなしたもののほか、特殊な精神状態により、自ら引き寄せた(共時性的)現象を含みます。私は、100%、これらの「自ら作り出した被害」である場合も、相当あると踏んでいます。一部に、実際に「仕掛け」を受けている場合でも、「自ら作り出した被害」は、7割から8割あると思われます。

※2  攻撃的な「仕掛け」については、いわば「現場」で働く存在と、背後で指揮する「捕食者」で、その意図には多少のずれがあります。全体として、「戦略」的に行っているのは背後の「捕食者」であり、現場で働く存在は、本性そのままに、ただ「嫌がらせ」をしているところがあります。しかし、背後で指揮する存在の「戦略」を理解すれば、それに振り回される度合いは大きく減ることに変わりありません。なお、現場で働く存在の「嫌がらせ」に対する対処法は、最後のところに述べたとおりです。

2018年5月29日 (火)

「テクノロジー犯罪」という観念の問い直し 2

「集団ストーカー」の実質的内容は、(集団を使って)人を精神的な混乱や錯誤に陥れる「嫌がらせ」であり、「ガスライティング」でした。しかし、「テクノロジー犯罪」というのも、その実質は、このような「ガスライティング」とほとんど同じものです。

「テクノロジー犯罪」の場合、「集団ストーカー」と異なり、直接人の行為を介して行うのではなく、隠れたところから、あるいは離れたところから、「超高度のテクノロジー」を使うことによって、攻撃がなされるとされます。それで、人の行為による「嫌がらせ」という面は、みえにくくなっています。

しかし、それは、直接的な危害を加えるというよりは、やはり、人を精神的な混乱や錯誤に陥れるもので、手段は違っても、実質は、同じといえるものなのです。それを繰り返し行うことで、人を「精神的窮地」に追い込んで行き、統合失調症のような、精神病的な状況に陥れるというのも、「集団ストーカー」の場合と同じです。

「テクノロジー」というのは、電磁波であっても、「物理的なエネルギー」を伴いますから、身体に対する殺傷能力を持ち得ますし、実際、前回みたように、それを被った結果として、「身体的不調」というのもあげられます。

しかし、その「身体的不調」というのも、直接それ自体を目的とするというよりは、そのような不調を繰り返し与えることで、「精神的窮地」に追い込むことを狙ったものです。つまり、「身体的不調」というのも、精神に向けられた、「ガスライティング」のもたらす効果の一つとみられるのです。

そして、「テクノロジー犯罪」の結果もたらされるとされる、他の、「精神的不調」や、「音や声を聞かせる」、「思考を読み取る」、「思考を操作する」といったものは、精神に向けられた「ガスライティング」という面が、かなりはっきりしています。いずれも、何らかの危害というよりは、不可解な現象を身の周りに生起させて、精神的な不安や混乱をもたらすものだからです。

あるいは、「思考を読み取る」というのは、その読み取った思考をもとに、その者にしか分からない「ほのめかし」や、「絶妙なタイミング」の「コリジョンキャンペーン」などを行う、「集団ストーカー」行為の前提として機能するものでもあります。つまり、「集団ストーカー」と結びつけられて、「ガスライティング」として機能するということです。

このように、「(超)高度のテクノロジー」を用いてなされる「ガスライティング」を「ハイテク」と呼び、現実に人の行為を介した、「集団ストーカー」的な「ガスライティング」を「ローテク」と呼んだりもします。

いずれにしても、「集団ストーカー」も「テクノロジー犯罪」も、その実質は「ガスライティング」なのであり、人を操作するということで、人の関わりが前面に出てくるものが、「集団ストーカー」とされ、人が前面に出で来ないで、「みえない」ものが、「テクノロジー犯罪」とされているだけなのです。

「集団ストーカー」のところで述べたように、確かに、その者にしか分からない「ほのめかし」や、「絶妙なタイミング」での「コリジョンキャンペーン」などは、リアルタイムで人の意思や思考を読み取ることを想定しない限り、無理なことでしょう。その、「意思や思考を読み取る」ということは、通常は「あり得ない」こととされていますが、隠蔽されている、「(超高度の)テクノロジー」によって可能だとするのが、「テクノロジー犯罪」なのです。

しかし、そのような「技術」自体、相当に認め難いのみならず、現実の人を適材適所に配置して、リアルタイムに、それを反映する行為をさせる、などということは、明らかに無理なことです。さらに、「無理」というだけでなく、人材と金と手間とリスクのかかる、しかも、実質「嫌がらせ」に過ぎない、「稚拙」ともいえる行為をさせるために、わざわざ、隠蔽されている、「超高度のテクノロジー」を使うなどということは、あまりにもアンバランスであり、非現実的なことです。

このように、「超高度のテクノロジー」を持ち出して、それを「集団ストーカー」という、現実の人の行為と結びつけたために、その論理は、実際には破綻してしまっています。

それでも、あえて、そのような発想が持ち出されるのは、「集団ストーカー」のところで述べたように、実際に、「思考を読み取られている」からこそ可能となるような、「ほのめかし」や、「絶妙なタイミング」というものに、かなりの人が、確かな感覚的「リアリティ」を感じているからです。彼らにとっては、「思考を読み取られる」という感覚的「リアリティ」を説明してくれる、(「病気」ということではなく、しかも「オカルト」的でもない)はっきりとした理由が、必要ということです。

さらに、前回も述べたように、実体の「みえない」「(超高度)のテクノロジー」による攻撃というだけでは、いかにも抽象的で、「リアリティ」が薄いということもあります。しかし、そこに、現実の人の行為を介した「集団ストーカー」というものが絡むことで、「ガスライティング」を受けているという「リアリティ」は、確かに強められます。つまり、戦略の観点からも、「テクノロジー犯罪」と「集団ストーカー」は、結びつけられる理由があるのです。()

しかし、実際には、「集団ストーカー」のところで述べたとおり、「思考を読み取る」とか、「思考を操作する」、「声を聞かせる」といったものは、「ガスライティング」を本性とする、「霊的」または「異次元的」な存在の「能力」として、最も典型的なものです。「超高度のテクノロジー」など持ち出さなくとも、また、「テクノロジー犯罪」と「集団ストーカー」に分けたうえで、あえて結びつけたりしなくとも、両者は、もともと一つのものとして、これらの「能力」によって可能ということです。

あるいは、これらの現象には、「集団ストーカー」のところで述べたように、何らかの(もはや、人間のものとは言い難いですが)「(超高度の)テクノロジー」が関与している可能性がないわけではありません。しかし、その場合でも、それらは、「能力」の範囲を広げ、あるいは精度を高めるようにして、「能力」と連動する形で使用されているものと思われます。だからこそ、能力が中心となる、「集団ストーカー」と結びつくことも可能なので、このような「能力」ということを抜きにして、「(超高度の)テクノロジー」だけで説明しようとすると、先にみたように「無理」や「破綻」が明らかになるのです。

さらには、その他の、「精神的不調」や、「音を聞かせる」、「身体的不調」といったものも、基本的には同じことです。

「精神的不調」はもちろん、「身体的不調」についても、このような存在に取り囲まれ、その発する「波動」の影響を受ければ、不快感、眠気、吐き気、頭痛、その他の身体の痛みというものは、いくらも生じ得るのです。スウェデンボルグも、「悪霊」について、「彼らは体のあちこちに痛みも起こす」ということを述べていました。

「(物理的な)音を聞かせる」、「身体に(傷などの)みえる現象を生じさせる」となると、「テクノロジー」のような、「物理的なエネルギー」を想定したくなるのは分かります。しかし、それらの存在は、「物質化現象」のような形で、物理的に顕現する現象も起こせるし、あるいは、記事『幻覚的現実と物質化現象の「中間的現象」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-0f93.html)で述べたように、はっきりとした物理的な現象かどうか区別しにくい、「中間的な現象」も起こせます。

「音を聞かせる」では、「ラップ現象」や「ポルターガイスト現象」といわれるものが典型ですし、「身体的な傷を生じさせる」では、素朴なものですが、「かまいたち」と呼ばれるものが、あります。

不可解な「身体の痛み」や「ラップ現象」は、私もよく体験するのですが、しかし、注意すべきは、このような現象は、それを想定する以前に、何らかの、「通常の物理的な原因で生じている現象」である可能性が、十分吟味されなければなりません。あくまでも、「通常の」物理的な原因であって、「超高度のテクノロジー」を持ち出すということではありません。

「精神的不調」や「身体的不調」については、現代の、種々様々なストレスによるものであることが考えられるし、「電磁波」としても、現代は、環境的に、これに非常にとり囲まれた状況です。敏感な体質の者は、「精神的不調」や「身体的不調」を訴えても、何ら不思議でない状況です。あるいは、このような環境状態が作り出されていること自体、一種の「テクノロジー犯罪」と言って言い過ぎであれば、少なくとも、「テクノロジー公害」とは言えるでしよう。それはそれで、問題とされて、然るべきことです。さらには、福島の原発事故による、放射能の影響も考えられます。

異様な「音」も、現代の環境状態から、生じてくる可能性はいくらもあるし、「ラップ現象」と思われる音も、その物体自体のきしみなど、通常の原因で生じている可能性があります。

「ラップ現象」については、この二つのサイト(https://spicomi.net/media/articles/499http://every-day-life.com/rapon/)は、霊的な面も含めて、基本的なことをよく説明しているし、まず、そのような現象が、通常の物理的な現象であること十分検討したうえで疑うべきことを、しっかりと述べていますので、参考にしてください。

さらに、このサイトでも述べられているように、自らの強い情動が、これらの現象をもたらす原因となっている可能性も、あるのです。「超常的な現象」としても、他の存在ではなく、自分自身が原因となっている可能性があるということです。「ポルターガイスト」現象などは、精神的に不安定な思春期の子供が、無自覚に起こしていると思われる場合が相当にあり、「テクノロジー犯罪」を受けているという人の場合も、それで不安と恐怖に駆られた人は、同様の精神状態にあると考えられます。

強い信念が、身体的反応を起こす例としては、薬における「プラシーボ効果」や、強い信仰によって起こる、「聖痕」現象などがあります。

既にみたように、「テクノロジー犯罪」としてあげられるものの中には、確かに、霊的、異次元的な存在によって、「仕掛け」られた、「ガスライティング」が含まれている可能性があります。

しかし、それらの現象の多くは、実際には、これらの「通常の物理的原因による現象」か、「超常的」な面があるとしても、自らが起こしている現象である可能性が高いものですにも拘わらず、一旦、「テクノロジー犯罪」という観念に捕らえられると、身の周りに起こる多くの出来事が、これら他の可能性をほとんど顧みることもなく、「テクノロジー犯罪」とされてしまうのです。そして、さらに不安と恐怖を拡大し、より多くのことを「テクノロジー犯罪」として拾うことで、自ら、抜け出し難い「地獄的な状況」に入り込んでしまうのです。

それは、「テクノロジー犯罪」という、魅惑的な要素をもたたえた、戦略的な観念のもたらす、強力な効果といえます。

次回は、結局は「集団ストーカー」の場合と同じなのですが、対処する方法についても、少し述べておきたいと思います。

※ 6月5日追加

「思考を読み取られる」ということの感覚的リアリティは、「テクノロジー犯罪」そのものとして直接感じられるのではなく、思考を読み取られていなければあり得ないはずの、現実の人による「ほのめかし」とか「絶妙のタイミング」での仕掛けという「演出」があって、初めて、感じられるものです。その意味でも、「テクノロジー犯罪」と「集団ストーカー」は、結びつく必然性があります。

注意すべきは、「テクノロジー」によって「思考を読み取られる」というのは、あくまで、その結果持ち出された「解釈」に過ぎないということです。「感覚的リアリティ」そのものは、人を介しての「集団ストーカー」的な振舞いという「演出」によって、生じているのです。その意味では、「集団ストーカー」の方が本質的なものなのです。

これは、「統合失調」の場合に、「思考を読み取られる」ということの「感覚的リアリティ」は、他者がかけてくる(と感じられる)「声」によって生まれることと、ほとんど同じです。また、「思考を読み取られる」ということの「解釈」として、典型的なものに、「CIAによる迫害」というのがありますが、この「CIA」を「集団ストーカー」に変えれば、「集団スートーカ」被害そのものとなることにも注目ください。(記事『「つつぬけ」「さとられ」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post-a694.html )、『「さとられ」と「CIA」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-bedd.html) 参照)

2018年5月18日 (金)

「テクノロジー犯罪」という観念の問い直し 1

「集団ストーカー」という観念に続いて、「テクノロジー犯罪」という観念についても、問い直しをしておきます。

ただ、「集団ストーカー」について述べたことは、「テクノロジー犯罪」についても、多く当てはまるものです。特に、その「戦略」としてのあり方は、「集団ストーカー」の場合と同じです。この重なる部分については、あまり詳しく述べないので、「集団ストーカー」について述べたことを、必ず参照するようにしてください。

何しろ、「テクノロジー犯罪」という観念も、戦略に貫かれた、曖昧なものでありながら、一定のリアリティを吹き込まれることで、威力を発揮します。一旦、その観念を信じると、身のまわりの多くの出来事を、「テクノロジー犯罪」によるものと疑うようになることも、同じです。

しかし、「テクノロジー犯罪」という観念には、「集団ストーカー」という観念に、含み込ませることが難しい出来事も、含み込ませることができます。それこそ、「テクノロジー」を前面に打ち出していることの意義です。「集団ストーカー」という観念と、「テクノロジー犯罪」という観念を合わせれば、事実上、身近に起こる身体的不調や精神的不調、さらに、「他人に何事かを仕掛けられている」という疑いのもととなる出来事の、ほとんどのものを、これに含ませてしまうことができます。

また、「テクノロジー犯罪」という観念は、「集団ストーカー」という観念と結びついて、「集団ストーカー」という観念の内容を、飛躍的に拡大し、それに一定の根拠を与える働きもします。特に、通常は、「オカルト的」で「あり得ない」というべき、「ガスライティング」の内容を、後にみるような(超高度の)「テクノロジー」によるとすることで、事実上、どこまでも膨らませ、それに一定の根拠があるというみかけを与えることができます。

さらに、「テクノロジー犯罪」という観念だけでは、いかにも抽象的で、リアリティが薄い場合でも、「集団ストーカー」という、現実の人を介した直接の行為を含み込めることで、それに強い「リアリティ」が与えれるということもあります。

このように、「集団ストーカー」という観念と「テクノロジー犯罪」という観念は、互いに補い合って、威力を発揮するところがあります。そして、そこには、やはり、現代という状況だからこそのものがあります。「集団ストーカー」では、「集団」から切り離された、孤独な個人の不安ということが、背景にありました。が、「テクノロジー犯罪」では、さらに、最近の技術の飛躍的な発展と、それについての不安や恐れということも、加わっているのです。

ともあれ、まずは、「集団ストーカー」のときと同じように、「テクノロジー犯罪」という言葉に着目してみます

「テクノロジー犯罪」とは、「テクノロジー」と「犯罪」が組合わさった言葉で、要するに、「テクノロジーによる犯罪」ということです。「テクノロジー」+「犯罪」も、「集団」+「ストーカー」の場合に負けず劣らず、曖昧な言葉が重ねられたものです。そして、それは、もちろん意図的なものです。

「テクノロジー」とは、限りなく広い範囲のもので、どのようなものでも含み得ます。「犯罪」という言葉も、曖昧ですが、これが使われていることには、その行為が、(人間の)「加害者」による「加害行為」であることを明示し、同時に、それを受けた者を、「被害者」として意識させる効果があります。

そもそも、「犯罪」というなら、「テクノロジーによらない犯罪」など、身体や、口を使って直接なされた暴力など、非常に限られたものでしょう。刃物やピストルなど、あるいは電話やネットなど、何らかの道具や機器を使った犯罪は、すべて「テクノロジーによる犯罪」と言い得るものです。

しかし、実際に、「テクノロジー犯罪」にいう「テクノロジー」とは、現代の技術の飛躍的発展を前提とした、「高度なテクノロジー」を意味しています。さらに、多くの場合は、現代においても、一般には認められていない(加害者によって隠蔽されているとされる)ような、「超高度なテクノロジー」をも意味しています。

もちろん、そのような「(超)高度なテクノロジー」が持ち出されるのには、理由があります。

「集団ストーカー」の場合に、そのような行為を受けていると考えるもとになる現象はあったように、「テクノロジー犯罪」の場合にも、そのようなもととなる現象はあります。

たとえば、何らかの、原因の分からない、身体的不調や精神的不調。あるいは、何らかの、不審な音や声を聞く。さらには、自分の脳内の思考が読み取られている、あるいは操作されていると思われるような事態、などです。そのような現象に、明確な原因があれば、当然それを疑うことでしょう。しかし、そのような原因がはっきりせず、不可解である場合に、それを説明する理由がないことは、落ち着きが悪く、混乱をもたらします。

そこで、そのような現象は、「高度なテクノロジー」によって、あるいは、それでは説明しにくい場合は、「超高度なテクノロジー」によって、「加害行為」として、引き起こされているのだという、明確な理由を与えるのが、「テクノロジー犯罪」なのです。そうして、不可解な現象を、とりあえず納得させるとともに、「犯罪」であり、「加害行為」ということで、「加害者」を糾弾するという、感情の持って行き場を与えてくれることにもなります。

「(超)高度のテクノロジー」とは、通常、マイクロ波のような「電磁波」を用いるものであることが、想定されています。単純に、「身体的不調をもたらす」ようなものは、「高度なテクノロジー」ということで、とりあえず捉えられるでしょう。しかし、「思考を読み取る」、「操作する」などのものは、そのようなもので、容易に捉えられるものではありません。それで、一般には、認められない、「(超)高度のテクノロジー」が持ち出されるわけです。現代の技術の延長上に、推測や憶測を積み重ねて、その内容がある程度具体的に、示されることはありますが、いずれにせよ、非常に曖昧で、捉え難いものです。

通常は、「テクノロジーによる犯罪」といっても、その行為の過程や加害者は「見える」ものです。「テクノロジー」であること、「犯罪」であること自体は、明確ということです。ところが、「テクノロジー犯罪」では、「(超)高度のテクノロジー」を使うとすることで、それらが「見えなく」(正確には、「テクノロジー」である限り、「見えない」ことはないので、「見えにくく」)され、従って、その行為の過程も、誰の犯行かも特定できないものになっています。

「テクノロジー犯罪」という言葉が使われていますが、実際には、「テクノロジー」といえるのかどうかも、「犯罪」といえるのかどうかも、不明確なものなのです

しかし、そのような、曖昧で不明確なものだからこそ、先にあげたような、不可解な現象の原因として、持ち出すこともできるのです。明確なものであれば、その矛盾や無理も、明確になってしまいます。(ただし、「犯罪」であることを強調することで、それが「加害行為」であり、糾弾されるべきものであることは、明確に訴えるのが「みそ」です。)

「テクノロジー(による)犯罪」という、現実に存在する、一般に受け入れられやすい言葉で、このような、かなり特殊で、曖昧な事態を意味させているわけですが、これは、「集団ストーカー」という言葉の場合と同様、一つの大きな戦略です。

つまり、「集団ストーカー」が、実際には、単なる「ストーカー行為」を意味していなかったように、「テクノロジー犯罪」というのも、実際には、単なる「テクノロジーによる犯罪」を意味しているわけではないのです

しかし、「テクノロジー」ということを前面に打ち出すことで、そこに、一定の「リアリティ」がもたらされているのは確かであり、それが、巧妙さの一つです。

既に述べたように、現代では、「テクノロジー」は飛躍的に発展しており、その限界がどこにあるか、明確には定められません。見方によっては、「テクノロジー」によって、どのようなことでも可能とみることも、必ずしも非現実的とは言えない状況です。そのような「テクノロジー」には、多くの人が、不安や恐れを抱いています。

「テクノロジー」がもたらす影響や、その操作によって、何らかの危害を被ったり、自分のコントロールできないところで、権利を侵害される可能性は、多くの人が現実に危惧しているはずです。

「テクノロジーによる犯罪」自体は、いくらもあり、現代では、それが巧妙化かつ複雑化されて、一般の理解や制御が及びにくいものになっています。そのようなことが、「テクノロジー犯罪」という言葉に、一定の「リアリティ」を与えています()。そして、実際に、この言葉を使うことは、それが狙いなのです。

何しろ、「テクノロジー犯罪」という観念では、先にみたような身近に起こる、不可解な、身体的不調や精神的不調。音や声を聞く。思考が読み取られる、操作されるというような、不可解で好ましくない現象は、「(超)高度のテクノロジー」によって、起こされたものとみます。「加害者」は、「集団ストーカー」の場合と同様、様々に想定されますし、理由は、「人体実験」などの、もっともらしいものが持ち出されます。

いずれにしても、そのような身近に起こる、様々な、不可解で好ましくない現象には、「テクノロジー犯罪」という「原因」があるのであり、それは人間による、「加害行為」なのだということです。「テクノロジー犯罪」という観念が、まず戦略として意図していることは、そのような見方を広めることです。多くの人が、そのような見方のもとに、「テクノロジー犯罪」を疑い、疑心暗鬼を生んで、人々の間に、混乱や軋轢をもたらすことができるからです。

先に身近に起こる現象として、あげたもののうち、「思考が読み取られる」「操作される」というのは、「統合失調状況」と重なることが明らかで、これは、かなり特殊な事態といえます。しかし、これは、「集団ストーカー」にもあったように、「統合失調状況」と共通する要素を、「テクノロジーによる犯罪」として、取り込んでいるのです。「統合失調」の「妄想」でも、何らかの高度な「テクノロジー」によるとして構想されることはありますが、内容は突飛で、個々ばらばらなものとなりがちです。しかし、「テクノロジー犯罪」ということでは、ネットなどで、それなりに類型化された形で、その共通の「原因」を与えることができるのです。

そして、「集団ストーカー」の場合と同じように、それは、「統合失調」なのではなく、「テクノロジー犯罪」によってこそ、陥らされるものだとすることができます。

しかし、そのような特殊のものだけでなく、もっと一般的な、身体的不調や、精神的不調も加えられているのが、「みそ」です。誰もが、身近に経験する、このような事態も、「テクノロジー犯罪」によるものとすることで、適用範囲を大きく拡大し、それが、誰にも当てはまり得るものとのイメージを、もたらすことができるからです。実際、「テクノロジー犯罪」は、「集団ストーカー」の場合以上に、適用範囲が広められているといえます。先にあげた例だけでなく、事実上、どのような現象であっても、「テクノロジー犯罪」によるとすることは、可能というべきです。しかし、それは、「曖昧さ」が、限りなく拡大されていることによるのです。

繰り返しますが、「テクノロジー犯罪」という観念自体が、不可解な現象に、理由を与え、加害行為として、納得させる働きをします。その意味では、「集団ストーカー」と同様に、この観念には、「魅惑的」なところがあるのです。ただし、それは、真の「納得」でないことは明らかで、また、何らの「解決」でもないことは明らかです。むしろそこから、疑心暗鬼が拡大し、さらに多くの出来事を「テクノロジー犯罪」として拾ってしまうことにより、問題を拡大し、本当には、何も解決しない状況を継続させます。それは、「集団ストーカー」の場合と同じように、「地獄的な状況」といえます。

「テクノロジー犯罪」という観念は、一見、「魅惑的」であるけれども、実際には、そのような「地獄的な状況」へと追い込ませることを意図した、「戦略」的なものだということです。

次回は、さらに、「テクノロジー犯罪」の実質が、「集団ストーカー」の場合の「ガスライティング」と同様のものであることに着目してみます。

)さらに言えば、実際に、「電磁波」を用いた「高度のテクノロジー」によって、何らかの危害を加えるという、加害行為自体は、あるものです。かつての、旧ソビエトのアメリカ大使館事件や、最近の、キューバのアメリカ大使館事件などは、その典型です。

また、一般には認められていない「超高度のテクノロジー」も、軍事的な機密などに絡み、隠蔽されることがあるのは事実です。しかも、私のように、「宇宙人」による技術が存在することを認めるなら、その範囲はさらに拡大します。

「超高度のテクノロジー」なるものは、存在しないということではないのです。「テクノロジー犯罪」が想定するようなものかどうか、どの程度の精度のものかは別にして、類似のものが存在する可能性はあり得るし、少なくとも、超大国の研究・開発の対象であるのは確かでしょう。

しかし、それらが、「テクノロジー」として「存在し得る」ということと、身近に起こった現象の原因として、それらを持ち出すということの間には、あまりに大きなギャップがあります。また、実際にも、具体的にみる限り、無理であることが明らかというべきです。次回にも、この点については、触れるつもりです。

2018年4月28日 (土)

「被害者」になるべきでないという教訓

前々回の記事で、ネガティブな宇宙人によるアブダクション(誘拐)は、本人の「魂の合意」なく行われていること。しかし、そこには、成長に役立つ教訓的な意味もあるので、被害者の魂も、少なくとも「黙許」しており、他の存在も、特に阻止せずに、「黙認」しているところがあることを述べました。

この点について、ジーナ・レイクの『アセンションへの道』は、さらに次のように踏み込んでいますので、引用しておきます。

ネガティブな者たちは「犠牲者」の役割を果たす傾向をもつ人を選んで誘拐します。これは、「被害者になるべきではない」という教訓をその人に教えるためにあえて許されている行動です。私たちがそう表現するのは、何も被害者を非難するためではありません。被害者となる傾向のある者がネガティブな者に誘拐されるという事象は、むしろ「霊的法則がどのように第三密度世界(この物質的な世界)で適応されるか」を示しているに過ぎません。ネガティブな者の被害者となる人は、ネガティビィティをひきつける傾向にあり、そのため被害者役を演じる人は永遠的に同じことを続ける結果を招きかねません。
 (ネガティブなETに対抗するのは無理だという)意見には一理ありますが、にもかかわらず、一番初めの段階で被害者とならないように心的態度を変化させることは可能なはずであり、それこそが学習なのです。方法としては、「被害者の役割を演じないぞ」という心構えをもつこと、そして主体性をもち自分の個性をしっかり認識した態度をとり続けることです。
 自分自身のアイデンティティについて強く確信している人々は、自分の欲している物が何かをしっかりと認識していることから、他者に操られることを断固として拒むことができるため、ネガティブなETはあえてそのような人をターゲットにすることはありません。

これは、「ネガティブな宇宙人によるアブダクション」について述べられたことですが、宇宙人に限らず、またアブダクションに限らず、あらゆるネガティブな存在による、人間への虐待的な出来事について当てはまる、重要な指摘というべきです。そして、これは、「被害者」という意識が前面に出てくる、「集団ストーカー被害」や「テクノロジー犯罪被害」にもまた、非常によく当てはまることなのです

さらに言えば、人間同士の「いじめ」や「虐待」のような出来事にも、かなりの程度当てはまることといえます。

「犠牲者の役割を果たす傾向」というのは、微妙なものではありますが、無意識に、自分自身を「犠牲者」となるべく仕向けてしまう傾向であり、同時に、相手方の攻撃性を引き出し、誘発してしまう傾向ということです。私も、このような「攻撃誘発性」について、「分裂気質」や「集団ストーカー被害」に絡めて、何度か述べています。このような傾向というのは、確かにあるというべきです。

人間の場合は、攻撃する側も、無意識のうちに、相手方のそのような性向に反応してしまい、攻撃性を引き出されてしまうことが多いでしょう。しかし、ネガティブな存在や宇宙人は、相手方の心理が読めるだけに、あえて、このような性向を持つ者をターゲットとして選ぶ、ということがなされるようです。そのような性向をもとに、そこから、彼らの糧としての「感情エネルギー」や、さらに人間の間に、多くの軋轢をもたらすことができるからです。

いずれにせよ、自らの性向そのものが、そのような存在を呼び込んでいることになる、ということです。

そして、本人がこのことに気づかない限り、確かに、「被害者役を演じる人は永遠的に同じことを続ける結果を招きかねない」ことになるでしょう。それは、本人が、「被害者」としての意識を強めるほどに、相手方を「加害者」として非難する意識も高まり、自らのあり方を顧みる余地が、ますますなくなるからです。それが、悪循環を形成して、そこから脱することが難しくなる、ということです。

もちろんですが、だからと言って、ジーナ・レイクも言うように、「被害者が非難されるべき」ということではないし、「加害者に罪がない」ということでもありません。

しかし、現実的に、このような悪循環から逃れる術があるとすれば、それは、自分自身が出来事の全体に与えている影響に気づき、それを変えていくしかないということです。特に、相手方が、人間ではなく、少なくとも、人間を超えた部分をもつ、対処し難い存在であることに鑑みれば、相手方をどうこうするということではなく、自らのあり方を変えることしか、手立てがないことになるはずです。たとえ相手方が、人間であっても、このような態度は重要ですが、そうでないなら、なおさらそうだということです。

実際、相手方を、「宇宙人」と認めた場合には、「ネガティブなETに対抗するのは無理だという」思いをもつこともあるでしょう。そして、まさに、相手方を「人間ではない」と認めてしまうと、対処する手立てがないという「無力感」を感じるからこそ、そのようなことが認められないという面は多分にあるのです。「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」を人間によるものとみなす見方には、このような思いが明らかに潜んでいます。

しかし、ジーナ・レイクも言うように、そもそも、「一番初めの段階で被害者とならないように心的態度を変化させることは可能なはず」ということです。それは、自らの性向が、自分を「被害者」となるよう仕向け、ネガティブな存在の攻撃を引き寄せていたことに気づくことによってこそ、可能になります。そして、むしろ、相手方が、人間ではないことを認めるならば、それしか現実的に手立てはないのであり、実際、そうするしかなくなるのです

そのための方法としてあげられていることは、非常に重要ですので、もう一度引用しておきます。

方法としては、「被害者の役割を演じないぞ」という心構えをもつこと、そして主体性をもち自分の個性をしっかり認識した態度をとり続けることです。
 自分自身のアイデンティティについて強く確信している人々は、自分の欲している物が何かをしっかりと認識していることから、他者に操られることを断固として拒むことができるため、ネガティブなETはあえてそのような人をターゲットにすることはありません。

結局は、「宇宙人」といえども、真に発揮された、人間の「意識」や「主体性」というものを、阻害することはできないということです。人間に限らず、あらゆる存在の、「意識」や「主体性」には、本来、そのような力が秘められているといえます。しかし、人間自身が、「意識」や「主体性」の、そのような力に気づかないうちは、そのような力を発揮することも難しいでしょう。

さらに、人間自身が、深いところで、「被害」ということを「許して」しまった場合は別です。というよりも、その「許した」ということ自体が、深いところでは、意識の「主体性」の現れとして、それを実現してしまう力を発揮してしまうことになるのです。どちらに働くにしても、「意識」や「主体性」の力は強力ということです。

逆に言えば、だからこそ、ネガティブな存在は、人間に、「意識」や「主体性」を発揮させる機会を奪い、できる限り削ぐような、「マインドコントロール」や、「クローン化」のような弱体化計画を、執拗に仕掛けてくるのです。また、もし「意識」や「主体性」の力が発揮されるなら、それをできる限り、ネガティブな方向で実現させるべく、さまざまな戦略が仕掛けられるのです。

しかし、要は、(初めからそれに気づくことは難しく)、このような試練と教訓を通してこそ、「意識」や「主体性」の力に気づかれる余地も生まれる、ということです。そして、それに気づくと、どうして、このような攻撃が、他の存在により、阻止されていないのか(私も一連の体験で、何度もこのことを疑問に思ったことがあります)ということも、自ずと明らかになります。

それは、言うまでもなく、一つには、他の存在により阻止されるとすれば、その者自身の「意識」や「主体性」の力に気づかせる余地を、奪ってしまうことになるからです。しかし、そうでなくとも、先にみたように、そもそも、自らの「意識」が「許して」しまっている場合、ことが、その「意識」の力自体の現れとなるので、他の者は容易に干渉できなくなるのです。「他の存在が阻止できない」ということ自体が、「意識」や「主体性」ということの、本質的な意味である、ということにもなります。

とは言え、このような過程は、一筋縄ではいかないので、一気に、このような問題が解決し、相手方の攻撃をなくすことができるというものではありません。私自身そうです。だから、私は、「意識のあり様により、このような攻撃やその効果を、大きく減退させることができる」という、控え目な言い方で、言ってきました。

実際、とりあえずの指標としては、このような状態、つまり、たとえ攻撃があっても、それにあまり囚われない状態、大した苦とならない状態を目指すのが、現実的であると思います。

2018年4月15日 (日)

「ハイブリッド」と「集団ストーカー」

『『集団ストーカー」という観念の問い直し』の記事で、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」は、人間ではない存在が、その都度、周りの人間を操作したり、偶然では考えられない「共時性」を演出することなどで、なされていることを明らかにしました。

しかし、前々回の記事で、今後の展望としては、「集団ストーカー」戦略のリアリティを強化するため、単に人間を操作するだけでなく、もっと、これらの存在の意思を直接に実行できる、「ガスライティングの実行部隊」となるような存在を、人間の世界に輩出しようとしていることを述べました。

このような、「ガスライティングの実行部隊」として、前回みた、ネガティブな宇宙人と地球人の「ハイブリッド」(ヒューブリッド)ほど、最適のものはありません

前回みたように、このような「ハイブリッド」は、外見上は、人間と異なるものではありません。ところが、性質として、人間と同じように振る舞うことはできず、とても人間世界に適応できる見込みはないものです。彼らを、人間の世界に住まわせる以上、何らかの「仕事」を与えることは必要とした場合、「集団ストーカー」戦略にいう「ガスライティング」ほど、彼らに適した行いはないのです。

彼らは、「集団ストーカー」戦略を指揮する宇宙人や「捕食者」とのつながりが強く、「テレパシー」能力を通じて、思考や意図を、通じ合うことができます。それこそ、別に「忖度」しなくとも、「――案件」などとされていなくとも、指揮する側の意図をリアルタイムにくみ取って、実行に移すことができるのです。

さらに、彼らは、「テレパシー」能力を通して、人間の心理を読むことができ、また、思考や感情を操作する能力も、宇宙人から受け継いでいます。スウェデンボルグが記述した「悪霊」と同じように、人間の心理を巧みについて、「適切」な「ガスライティング」を行う能力にも、長けているということです。

しかし、一番の利点になると思われるのは、彼らの、「神出鬼没」というべき、「移動能力」です。前回紹介した『ヒトが霊長類でなくなる日』をみると、宇宙人と同様に、ハイブリッドも、突然、アブダクティの家の中に現れることがあるようです。カギはかかっていても、ドアや壁を通り抜けて、現われることができるということです。つまり、一種の「テレポート」能力を備えているか、または、何らかの技術により、どこかから「ワープ」的に「転送」されることがある、ということです。恐らく、私は、宇宙人そのものは、このような能力を備えているが、ハイブリッドは、能力そのものというよりも、UFO内にあると推定される技術によって、転送されているのだと思います。

ハイブリッドが、人間の心理を読んで、それに沿った、的確なタイミングで、「ガスライティング」をしようとするなら、この「神出鬼没」で「無時間的」な「移動能力」も、重要な要素になります。

「集団ストーカー」戦略を仕掛ける側としては、人間の仕業と思わせる点で、外見上人間と異ならず、しかし、人間を超えた能力によって、的確で有効な「ガスライティング」をなすことで、より混乱と恐れを膨らませることのできるハイブリッドは、まさにうってつけなのです

こういうと、この「ハイブリッド」は、「宇宙人」同様、人間をいかようにも操作できる、人間の適わない存在のように思えるかもしれませんが、前々回『補足』でみたように、決してそんなことはありません。

「ガスライティング」といっても、これまで、人間を操作して行っていたものと変わるわけではなく、ただ、間接的に、こちらの心理を錯誤に陥れ、混乱させるような、「姑息」な嫌がらせをしてくるだけです。まさに、「アンカリング」とか「つきまとい」とか、絶妙なタイミングの「コリジョンキャンペーン」といった類いです。

これらは、本来は、「こけおどし」のようなもので、こちらが影響を受けて、恐れをなさない限り、ほとんど効果を発揮できないものです。ただし、彼らが行う場合、そこには、人間を操作する場合以上の、「嫌がらせの意図」が、はっきり現れ出ます。また、先に述べた、彼らの能力や技術が強く反映され、人間では、とても考えられない、「オカルト」的で「あり得ない」要素は、より正面に現れて来ます

これらに、囚われれば、混乱と恐怖は深まり、尋常でないことが起こっているという思いは、強まることになります。実際、これらの存在について、知ることがない場合、そうなる可能性は高いといえます。そして、「集団ストーカー」にいう「ガスライティングを受けている」という「感覚的リアリティ」も、強力に高められます。だから、「集団ストーカー」という観念を信じさせ、人間同士の間に、軋轢を増す、「集団ストーカー戦略」として、より有望なものとなるのです。

実は、私も、割と最近ですが、このような「ハイブリッド」かもしれない存在と、数回、出会っています。中でも、最近の2度のものは、かなりその可能性が疑われるものです。それらは、外見は、本当に人間と異ならず、実際、出会っているときは、人間だと一応思っているのですが、突然の現われ方、変な歩き方、醸し出す雰囲気など、いろいろな面で、「異質」な「インパクト」があり、後で思い返すと、やはり、ただの人間とは、思えないものです。

私は、一連の体験で、「物質化」現象というものを何度か経験し、その後も、「アール」という固有名で呼んだ、「アーリマン存在」または「捕食者」が、「人間」を装って、直接「物質化」して現われることも経験しています(これは、長い間身近に接していた存在なので、疑いなく分かります)。だから、何か、「尋常でない」振舞いをする「人間」について、これらの存在が「物質化」して現われたものである可能性を、認めることには抵抗はありません(むしろ、そう思い過ぎないように、抑制することの方が多いです)。

しかし、それにしても、先の者らの場合、このような存在の、あまりにも強力なインパクトとは比べ物になりません。それと通じる要素は、あるにはありますが、どこか「虚弱」で、人間に近いもの、あるいは、主体性をもった存在というよりは、どこか、ロボットのように、操作されている感じのする存在です。それは、ただの人間とは思えないにしても、「捕食者」のような存在そのものとも思えないものだったのです

だから、後に述べるように、それは、単に、奇妙な振舞いをする、「操作されている人間」である可能性、あるいは、ほとんど「クローン化された人間」という可能性もあります。

ただ、やはり、ただの「人間」としては、異質との思いが強かったところ、後に、『ヒトが霊長類でなくなる日』を読むことになって、それと照らし合わせてみると、よく符合するので、「ハイブリッド」である可能性が疑われたのです。

そして、それらは、まさに「集団ストーカー」戦略にいう、「ガスライティング」そのものといえるような、行いをして来ました。いずれも、こちらの、ちょっとした「ネガティブな思い」に、乗っかるようにして、まさに「絶妙なタイミング」で現れ出ています。

一度は、私が、家の前の道路の脇の木の延びた枝を、かなり大量に切って、それを後でまとめて取りに来ようと、一旦、(「ちょっとまずいかな」という「思い」をもちつつ)道の脇に置いたままにした後、後でそれを取りに来たとき、そのタイミングで、いきなり、隣の家近くの曲がり角から道に現れ、前かがみで手をもむような変な歩き方で、見かけない女の人が早足で近づいてきて、私の切った木の枝のまとまりを、「これ見よがしに」見て、次に切った木の方を、これまた、「これ見よがしに」見て、そのまま、別に何言うでもなく、次の曲がり角を曲がって、去っていったのです。

「これ見よがし」と言いましたが、本当に、志村けんか加藤茶かと思うほど、大げさな演技で、「なんだこれは」と言うかのように、思い切り、「あてつけっぽく」見たのです。私は、一瞬、咎められている気がして、「ムッ」としそうになりましたが、あまりに「関りたくない雰囲気」を醸し出していたので、それ以上気に留めることはなく、放っておきました。

もう一度は、ちょっと事情あって(このときも「ちょっとまいずかな」という「思い」はありつつ)、夜中にゴミを出しに行ったときのことですが、ゴミ置き場に行く途中の道路に、まるで「待ち構えていた」かのように黒の車が停めてあって、私がゴミ置き場の方に歩いていくと、急に外に出ていたらしい、見かけない男が車に戻って、車を動き出して、しかもゆっくりと私をつけるかのように、ゴミ置き場のすぐ近くまでついて来て、そこで停まるのです。私は、実際はかなり気にはなっていたのですが、気にしない素振りで、ゴミを捨てていると、車から、男が出てきて、近づいて来て、ゴミ置き場のすぐ横で立ち止まって、そこでじっとして、不審な挙動をしているのです。手には、スマホをもっていましたが、別にそれに夢中になっている様子もなく、私がゴミを捨て終わると、また戻って来て、車に戻り、また同じように、極度にゆっくりした運転で、私とは別の方向に行って、去って行きました。

私も、夜中にゴミを捨てることを咎められるのかなという思いと、同時に、単純に、つけ狙われているような恐れもいくらかは感じたのですが、これは、女性や子供であったら、相当の恐怖を感じたことと思います。夜中で、相手の様子があまり見えなかったこともあり、見かけ上、どこまで「異質」かは分かりにくいですが、全体として、行動が明らかに「異常」であり、「偶然」の出来事とは思い難いものです。

私も、ちょっと後ろめたい思いがあったこともあり(まさに、そこにつけ込まれているのですが)、また、「関りたくない」思いもあったので、特に、何か言ったりすることはしませんでした。(今度、似たことがあったら、話しかけて、何か聞き出してみようかとは思っていますが、そう思って以来、はっきりとは現われ出ていません。)

いずれにしても、いずれも、意図的な「嫌がらせ」だったとしても、非常に「微妙」なものであるのが分かると思います。はっきりとした、明ら様な嫌がらせというには、あまりにも間接的で、「姑息」といえるものです。実際、こちらに対して、直接、攻撃的な行動をとる様子はうかがわれないし、何か、こちらに、話しかけたりする素振りもありません。むしろ、自ら近づいていながら、こちらを怖がっているかのようにすら見え、人間としては、どこか「虚弱」な雰囲気が漂います。

だから、私自身は、後で、ただの人間でない可能性は考えましたが(ある意味、こういったことには「免疫」があることもあって)、特に「恐れる」ことはありませんし、特に気にもしません。しかし、こういうことが、もし、毎日のように続くとしたら、まったく囚われないというわけにはいかないでしょう。

また、先に述べたように、私は、これらが「ハイブリッド」だと確信しているわけではなく、人間を操作しているに過ぎない、あるいは、見かけ上も「異質」な面が多くあるので、ほとんど「クローン化された人間」である可能性もあると思っています。ただし、それらの背後に、「捕食者」の指揮は、嫌というほど感じるので、これらの全体が、単に、「偶然」というか、「集団ストーカー」戦略とは何の関係もない、という可能性は、ほぼないと思っています。

また、もし、これらが「ハイブリッド」だとしても、実際に、既に人間の世界に入り込んでいる存在だとは、解し難いです。その場合は、もっと、このような出来事が、頻発して起こることでしょう。

彼らの「移動能力」または「技術」からすれば、ときおりならば、UFOなり、どこかに集められている「ハイブリッド」を、このような目的のために、一時的に「転送」させて、「ガスライティング」を行うことは可能でしょう。そして、とりあえず、多くの人に向けては、このように、彼らによる、ときおりのインパクトある「ガスライティング」が仕掛けられれば、「集団ストーカー」は厳としてあるという思いを生じさせて、以後周りの人間の行いも、「ガスライティング」の疑いのもとに見させるようにし、自ら深みにハマらせていくことは、十分可能なのです

もちろん、「ハイブリッド」を大量に人間世界に輩出できれば、それに越したことはないと思っているでしょうが。

いずれにしても、このとき、私が思ったのは、これこそが、「集団ストーカー」被害者の一部(全部ではなく、本当にこれに類する何らかの「仕掛け」を受けている、「一部」の被害者です)のいう、「ガスライティング」そのものだなあ、ということです。確かに、人間の操作として行われるものよりは、強力で、「集団ストーカーはある」と堅く信じてしまうのも、致し方ないものがあります。それを、ある意味、「捕食者」の側で、「こういうものもあるのだ」と教えてくれたようなものです。

また、もう一つは、本当に、彼らは、こちらの、「ネガティブな思い」につけ込んでくるなあ、というこです。これは、「集団ストーカー」戦略に限らず、彼らの戦略のあらゆる点において、そうです。それも、ほんの、ちょっとした(本来もつ必要もない、どうでもいいような)、「ネガティブな思い」につけ込んで、それを限りなく、大きく膨らませようとして来ます。この点では、こちらも、反省というか、教訓として受け止めなくてはなりません。変に、後ろめたいような、「ネガティブな思い」はもつ必要がないし、また、もしもつようならば、そんな行いはしないに越したことはないということです。

前回、ネガティブな宇宙人のアブダクションについて、被誘拐者にも、教訓となる要素があるから、あえて阻止されていないということを述べました。これは、「集団ストーカー」戦略の「ガスライティング」にも言えることのはずなのですが、それについては、次回述べることにします。

2018年3月17日 (土)

「集団ストーカー」という観念の問い直し 補足と展望

前回までの一連の記事は、「集団ストーカー」という観念が、いかに戦略に満ちたもので、その観念を信じさせ、広めることで、人と人の間に、多くの軋轢と葛藤をもたらすことができるかを明らかにしたものです。もちろん、本人においては、その観念を信じさせることで、恐怖や混乱を拡大し、その観念自体から、抜け出し難い、「地獄的現実」を与えることができます。

そして、その戦略と行いは、人間を超えたところから来るもので、「捕食者」等の、人間心理をよく読み通すことのできる存在が、なし得るものであることを明らかにしました。ところが、この「人間を超えたもの」であることを強調したため、このような存在が、物質的なものを超えた、万能の存在で、人間を意のままに操り、何でもできるかのような印象を与えたかもしれません。

しかし、これらの存在は、物質的な領域を超えたところから働きかけることはできますが、完全に物質的なものを超越しているわけではなく、自在に物質的なもの(存在)を操れるというわけではありません。それは、彼らにとっても力のいることで、物質的な領域を離れた存在として、大きな制約もあります。人間も、物質的な存在である(肉体をもつ)ことによって、それらの存在から、「護られている」ところがあるのです。(直接、彼らの「声」が聞ける場合は別ですが)物質的なものを通して、人間に、彼らの意図するような、的確な影響を与えるというのは、やはり大変なことなのです(その意味では、「簡単にできる」と言ったのは、あくまで人間の場合との比較でしたが、誤解の元でした)。

逆に言えば、だからこそ、彼らの行いを最小限にして、この観念を信じ込ませること自体から、その効果を最大限引き出す必要があるということもなるのです。つまり、彼らにとっては、「戦略」こそが、「すべて」と言っていいほどに、重要なものになるということです

しかし、これも、逆に言えば、人間の側が、このような「戦略」に乗らなければ、彼らのできることには、大きな制約があるということです。

また、「集団ストーカー」(ガスライティング)を、人間によるものではないとしたことで、「悪」とは、人間が行うものではなく、彼らのような「悪魔的存在」が行うものとの誤解を与えたかもしれません。しかし、人間には人間の「悪」があるのは当然であり、物質的存在としての人間が得意とする「悪」の領域は、多くあります。たとえば、「戦争」その他の、物理的な「暴力」であり、あるいは、私利私欲の「経済活動」などです。

そういった行為にも、背後で、「捕食者」のような存在が働くことは多いですが、その場合にも、現実に「人間自身」がその行為を行うことで、実現されます。前回、「ユダヤプロトコール」をとり上げ、「捕食者」による、「ガスライティング」と同質の戦略だと言いました。が、この「ユダヤプロトコール」は、物理的世界の現実的な支配の方法について述べたものであり、支配層の人間によって、実際に実現されてこそ、機能するものです。

それに対して、「ガスライティング」の特徴は、徹底して、人間の「心理」「精神」に向けられた戦略であり、人間の精神を混乱させ、崩壊に導くことを狙ったものです。それは、人間心理を、つぶさに観察し、リアルタイムに、見通すことでこそ、可能となるものです。また、そうであってこそ、(すべてを見通されているような)恐怖をもたらすものです。このような領域こそ、彼らの得意とする領域であり、その本性をいかんなく発揮できる領域なのです。人間では、とても不可能な領域です。

ただし、これも逆から言えば、これらの存在は、「こういうことができる」というよりも、「こういうことしかできない」とも言えるのです。これらの方法は、人間心理を捕らえることができれば、それこそ際限なく、深みにはまって、強力な効果を発揮しますが、本人が囚われることがなければ、逆に、ほとんど、影響を与えることができないものでもあるのです

第3回のところで、スウェデンボルグの悪霊に関する記述を引用しましたが、スウェデンボルグも、これらの存在への対応策として、次のように述べています。

私の体験からはっきり言えるのは、悪霊は無理に追い払おうとしてもダメで、そうすればするだけ、彼らの術中にはまるということである。逆に相手にならずにいると、彼らは自分から退散していく。

何しろ、「集団ストーカー」戦略()は、彼らにとって、本性そのままを発揮できる、得意領域であり、それを通して、人間を貶め、軋轢や葛藤を拡大できる、有望なものです。何度か述べたように、彼らの存在が一般に認められなくなり、人間同士の結びつきが失われた現代こそ、この戦略はよく機能するのです。可能性としては、「魔女狩り」のときと同じように、多くの人間が、お互いがお互いを、「加害者」として糾弾し合って、混沌とする状況にまでいたることも見込めます。

それで、「捕食者」としては、「集団ストーカー」戦略を、今後もさらに継続し、拡大したいと思っているようです

ただし、そうするには、先にみたような、いくつかの弱点は、補われなければなりません。一旦、この観念を信じさせることに成功すれば、そのこと自体から、それを補強するような「現実」は、いくらでも生み出すことはできます。が、この観念をもっと広く信じさせるためには、さらに強いリアリティを吹き込む必要があります。適当に、その場その場の人間を操作することや、多くの人間を巻き込んで、「共時姓の演出」をすることは、力のいることで、手間もかかるし、必ずしも、彼らの狙ったとおりの効果をもたらせるとは限りません。

一つの方法として、記事『「MIB」のその後と「集団ストーカー」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-4224.html)で述べたように、彼ら自身が、「物質化」して、直接人間に働きかけるという手もあります。しかし、それはそれで、大変なことであり、リスクも大きくあります。また、それでは、大きなインパクトは残せますが、大量の人材を関わらせて、細やかな行いを繰り返し行うことはできません。

そこで、方法としては、人間を操作するだけでなく、彼らの意図を的確に表現できる、自由に利用できる存在を、人間の世界に多く輩出するということが考えられます

前に何度か引用した、『悟ってアセンション』に述べられたような、「人間のクローン化」計画は、主体的意識が大きく削がれた人間を輩出することで、ロボットのような、「操作し易い」人間を多く生み出します。それは、この「集団ストーカー」戦略を実行するのにも、利用できる都合のいいものです。現に、これは多く実行されていることと思われます。ただ、これらの存在も、一応人間である分、操作に限界があります。

ところが、彼らは、さらにもっと、彼らの意図を的確に実行できるような存在を、多く輩出したいと考えているようなのです。

それは、人間をクローン化するというだけでなく、彼ら、特に「宇宙人」の側から、人間に似せた存在を、作り出して、人間の世界に輩出するということです。『悟ってアセンション』でも、「宇宙人のクローン化」という計画があることには触れられていました。が、さらに、最近の「アブダクション」事例などをみると、宇宙人と人間との「ハイブリッド化」ということも進められているようなのです。

これは、現在のところ、あくまでも「可能性」であり、これらの存在が、本当に人間の世界に入り込むことかできるかには、かなりの疑問もあります。しかし、今後の展望として、可能性としては、このような存在を、「集団ストーカー要員」として使うことで、よりリアリティを高め、恐怖と混乱を拡大するということも、考えておかなければならないことでしょう。

ただ、これは、彼らのようなネガティブな存在だけでなく、全体としての、「宇宙人と地球人との融合計画」ということに絡むことであり、微妙な問題が多くあります。述べることがためらわれる部分もありますが、しかし、既に、記事『「MIB」のその後』でも、このような方向性については示唆したことなので、次回にひととおり述べておくことにします。

ただし、改めて注意しておくと、まずは、これまで述べてきたように、「集団ストーカー」という観念とその戦略について、基本的なことを理解してもらうことが重要であり、先決です。何よりも、前回までの記事を、しっかり押さえておいてもらいたいと思います。

そのうえで、今後の展望の問題として、あえてそのような問題にも踏み込みたい方は、次回の記事も読んでもらえばいいと思います。

※ 「集団ストーカー」という言葉を使って、ことの全体を言い表そうとするならば、このように「集団ストーカー戦略」と呼ぶのがいいでしょう。その全体が徹頭徹尾「戦略」であり、「集団ストーカー」という言葉が使われること自体、「戦略」に含まれる、という意味をこめてです。

2018年3月10日 (土)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 4

「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」には、人間によるものを装いつつ、「捕食者」の、人間を貶めるための巧妙な手法が、明らかにされていました。この「ガスライティング」と同様、「捕食者」が、人間の心理を巧みについて、人間を支配し、貶める方法を明らかにしている、有名なものがあります。「ユダヤプロトコール」(または『シオン議定書』)と呼ばれるものです

今から、100年以上前、ユダヤの最高評議会で、ユダヤの支配に屈すべき多くの人間(ゴイム)をいかに支配するかということの協議がなされ、それを記録したとされるものです。ここには、その全文の翻訳があげられています。(http://urltv.634tv.com/sion.pdf

今では、旧ロシアの反ユダヤ勢力が、ユダヤ人を陥れるために作成した偽書とされていますが、単に、ユダヤを陥れるための作りごととは、とても思えないものです。その内容は、「ガスライティング」と同様に、人間心理を知り尽くし、巧みについた、説得力に満ちたものです。それは、「非人間的」な、徹底した戦略に貫かれたもので、「ガスライティング」の場合と、全く同質のものを感じざるを得ません。

つまり、人間の支配層によるという体裁をとっていますが、その実質は、「捕食者」による、人間支配のための戦略そのものなのです

一部分のみですが、興味深いものを、いくつか、引用してみます。

1 権力者たちに権力の濫用をさせるため、われわれは、すべての勢力をほしいままに独立させ、互いに相争わせた。このために、われわれはあらゆる企てを勧め、あらゆる党派を力づけ、権力を得ることをすべての野心家の目標にさせた。われわれは非ユダヤ人の国家を騒乱の競技場にした。もう少しすれば、暴動と破綻はいくらでも起こるだろう。     第3の議定書

2 われわれは時に応じ状況に従い、国政に対する世論を刺激したり鎮めたりできる。われわれはある時は真実、あるときはデマを流し、説得したり、逆用したりする。それは民衆がどう反応しているかを見て対応するのであり、事実に基づいて述べもするし、また事実否定もしなければならないのだ。   第12の議定書

3 我々が彼らに吹き込んだ科学の法則を信じ込ませて、疑わせないようしなければならない。このためにわれわれはマスコミを使い、理論に対する彼らの盲目的な信仰を高めるのである。非ユダヤ人のインテリは、その学識を誇りとし、理論的証明をしただけで、われわれのエージェントが集めておいたことにも気づかず、すべての学説を、われわれの必要とする方向に実行するだろう。    第2の議定書

4 彼らの思索力を隷属化させることは、すでに「視覚教育」と称する方法ではじめられている。この視覚教育の主な狙いは、非ユダヤ人をすべて脳を働かせただけでは物が考えられず、絵を見なければ何も理解できない従順な動物にすることである。
                  第16の議定書

5 彼らに事情をさとらせないようにするために、われわれはさらにマス・レジャーを盛んにする。やがて我らの新聞で、芸能、スポーツがもてはやされ、クイズも現れるだろう。これらの娯楽は、われわと政治闘争をしなければならない人民の関心を、すっかり方向転換させてしまう。     第13の議定書

1は、支配の対象を、互いに分裂させて、闘わせるという、いわゆる「離間政策」ですが、今も、いたるところで、なさています。この書自体、「ヤダヤ人」対「非ユダヤ人」の対立を煽るものと解せます。そして、まさに、今問題にしている、「集団ストーカー被害者」と「(病気として)排撃しようとする人たち」との争いにも、それが反映されています。つまり、「集団ストーカー」という観念を広めることには、このような人間同士の軋轢や葛藤を拡大させることも、意図されているのです。このようなことは、「捕食者」の、人間支配のための重要な戦略の一部であり、このことが、この文書には、はっきり書かれているのです。

2は、真実や虚偽を自在に交ぜて、情報を撹乱するということですが、これも、今もなされる、情報操作の主要な手口です。「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」の方法にも、このような真実と虚偽の混在が、みられます。「感覚レベル」では、彼らの実際の行いを反映する「真実」を含んでいながら、それを、人間によるものとして、全体として「虚偽」の方向に曲げられているのです。

3の「科学信仰」を吹き込むというのも、現在もいたるところでみられる、重要な戦略です。彼らが「集めておいた」データにより、「科学的」という体裁をとれば、多くの人が盲目的に従う可能性があるからです。また、これは、そもそも彼らの存在自体を隠せるものとして機能します。「集団ストーカー」もそうですが、「テクノロジー犯罪」となると、まさに、この「科学信仰」に寄せた解釈が目白押しです。それは、むしろ、「疑似科学」的ないかがわしさを醸し出しもしますが、そこに「真実味」を感じてしまう人も多くいるのです。

4、5は、人間の思考の矛先を、彼らの方に向かわせないため、想像力を減退させ、思考停止に陥らせるたための戦略です。「視覚教育」とは、テレビ、スマホ、ゲームなどによる、イメージ戦略で、まさに今、加速度的に進められているものです。4にみるように、大衆を、スポーツ、芸能などの娯楽に、のめり込ませるのも、その重要な要素であり、現にそうなっているものです。

いずれも、「ガスライティング」に負けず劣らず、説得的なもので、人間を超えたところから来るものをみないではいられないでしょう。

出口王仁三郎も、この「ユダヤプロトコール」について、「悪のお筆先」と評しています。大本教の「大本神諭」は、艮の金神の「お筆先」(自動書記により降ろされた書)として有名ですが、この「プロトコール」は、同様にして、悪の存在が「自動書記」により書かせたものということです。

ただし、書いた本人自身が、そのことを、意識しているかどうかは重要ではありません。本人が意識しないでも、アイデアとして吹き込まれるということは、いくらもあることです。また、この観点からは、「偽書」であるかどうかも、あまり重要ではありません。偽書であるとしても、その内容に、「真実」が含まれている限り、影響をもち続けるし、実際、その方が効果的な面もあるのです。

これらの戦略は、「プロトコール」のいうとおり、実際に、支配層としての「ユダヤ金融資本家」(古来のユダヤ人ではないですが)や、「捕食者」の僕である「悪魔主義者」を通して実現されるということは、確かにあるといえます。しかし、「捕食者」にとっては、それは必ずしも重要なことではなく、人間全体を支配・統制するための、手段の一つに過ぎません。

むしろ、その衝撃的で、説得力ある内容により、多くの人間に、恐怖と混乱を与えること。それを通して、人間同士の間に、様々な、軋轢や葛藤もたらすことが重要です。実際、ナチスのユダヤ人政策に大きな影響を与えているし、今も本物と思う人は多いのです。偽書ということでも、それは、「反ユダヤ主義」を貶めるなど、様々な影響をもたらし得ます。さらに、支配層や支配的な地位にいる人が、このような具体的な戦略を知って、改めて「悪用」するということも可能でしょう。

いずれにしても、 彼らの手口を明かすことによって、人間のものとは思えない、恐怖や嫌悪とともに、強力な説得力が、もたらされているのは、「ガスライティング」の場合と同じなのです。

言い換えれば、「ガスライティング」という方法もまた、「ユダヤプロトコール」と同様、彼らから「降ろされた」ものというべきものなのです。前々回みた、詳細な方法を説いている、『Gaslighting』という本や、「集団ストーカー」の場合の「ガスライティング」の方法をまとめたサイトなどは、彼らの、そのような働きを受けているものと思われます。本人自身は、摘発する意図でなしているのでしょうから、そのような意識はないにしてもです。

実際、「ガスライティング」には、一旦リアリティを感じれば、人を疑わせるだけのものがあり、そうなれば、人を疑心暗鬼の目でみるようになります。それだけでも、人と人の間に、多くの不和をもたらし得ます。ただでさえ、人と人の間が、ぎすぎすしている現代では、非常な効果を発揮します。さらに、実際に、他の人間を加害者とみなすようになれば、もっと多くの軋轢と葛藤が生まれるのは必至です。あるいは、そうでなくとも、その具体的に明かされている方法は、実際に人を陥れようと思った人の、「悪用」を可能にすることもあるでしょう。

このように、「ガスライティング」は、「捕食者」自身が、その手口を明らかにしつつ、単に、対象である本人のみではなく、多くの人間をも視野に収め、人間同士の間に軋轢や葛藤を拡大させるべく、広めさせているものです

そして、そのような出来事の全体を、「集団ストーカー」と呼ぶのもまた、重要な戦略なのです

第1回でみたように、「集団ストーカー」という言葉がもたらすイメージは、曖昧ではありますが、「集団によるストーカー行為」自体は、「人間的なもの」として、実際にあるものです。人間に身近なもので、「あり得る」ものとしてのリアリティは、この言葉によって、生まれているところがあります。人間同士の感情のもつれなど、人間の「機微」に関わるものだけに、不思議と人の心を捕らえ、魅惑される要素があります。

ところが、その実質は、みて来たとおり、「ガスライティング」という、「非人間的」なもので、「ストーカー」などという、人間的な機微からかけ離れた、冷徹なものです。全体を呼ぶ、「集団ストーカー」という言葉からは、もはや、イメージし難く、大きくずらされたものなのです

「集団ストーカー」という言葉は、「ガスライティング」という、毒に満ちた方法を包み込む、オブラートのような働きをしています。あるいは、毒薬を包む、糖衣のようなものと言ってもいいでしょう。

その関係を、図示すれば、次のようになります。

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「集団ストーカー」という「人間的」で、比較的近づきやすい言葉が、全体を包んでいますが、その実質は、「ガスライティング」という、「非人間的」、「オカルト的」なもので、人間によるものとしては、「あり得ない」ものです。「集団ストーカー」のイメージで、それに近づき、一旦、そこに捕らえられると、実質としての「ガスライティング」の世界に引き入れられ、もはや、容易には抜け出し難い、「地獄」的なものとなるのです。「集団ストーカー」という、いわば「あの世への入口」、それでは弱ければ、「煉獄」から入って、実際に案内されるのは、紛れもない「地獄」だということです。そのように、「誘導」されているのです。

あるいは、他の者にとっても、いきなり「ガスライティング」ということを前面に出されれば、それは、あまりにも信じ難く、嫌悪や反発をもたらすだけのものともなるでしょう。ところが、「集団ストーカー」というオブラートで包まれることで、それは、一応とも正面から露呈せずにいるのです。

もちろん、「集団ストーカー」という言葉が実質的に意味する内容を、実際に知った多くの人は、やはり、あまりにも信じ難く、嫌悪や反発をもたらすことになるでしょう。それは、当然の感覚ですが、そういう人も、何かのきっかけで、「ガスライティング」ということに、何らかのリアリティを持ち始めないとも限りません。それを、虎視眈々と狙っているのが、「捕食者」だからです。そして、そうなれば、もはや、その者自身も、それを疑い始め、そこに本物のリアリティを感じ、抜け出し難い地獄的世界へと引き入れられるかもしれないのです。

このように、「集団ストーカー」という観念そのものが、人をそれに捕らえさせ、人々に広めるための、巧妙な戦略に貫かれたものなのです
                     
この「捕食者」について、カスタネダのドンファンは、我々の「永遠の伴侶」と言っています。また、シュタイナーは、「アーリマン存在」についてですが、現代では、我々の生まれたときから、付き添い、生と死をつかさどる存在になっているといいます。我々の一人一人に、別々の「アーリマン存在」がついているわけではないでしょうが、一個の「アーリマン存在」が、多くの人を個別的に「管理」し、「支配」するまでになっているということです。

その「捕食者」とは、何度もみて来たように、本来、「集団」の背後にいて、「集団」を通して働くものです。

多くの「被害者」が、いくつかの巨大宗教団体や警察、公安、在日組織などの権力的な「組織」を、犯人としてあげているのも、その意味では理由がないではありません。それらの背後に働く、「捕食者」的なものを、直感的に感じとっている可能性があるからです。

しかし、今や、「捕食者」は、直接、個々の人間に「つきまとう」者ともなっています。まさに、「ストーカー」です。その意味では、「集団ストーカーは実在する」、ともいえるのです。もちろん、人間などを超えた、本質的なもので、誰にとってもの、逃れ難い「伴侶」としてですが。

次回は、簡単な補足と「集団ストーカー」についての今後の展望を述べておきます。

2018年3月 3日 (土)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 3

「集団ストーカー」という観念の実質的内容は、集団による「ガスライティング」という「悪魔的手法」なのでした。しかし、それらは、もはや、人間によるものとしては「あり得ない」もので、「非人間的」、「オカルト的」なものにまで拡大されています。

しかし、だからと言って、それは、まったく、(どんな意味でも)「あり得ない」もの、ということではありません。

実際に、「集団ストーカー」で意味するような、集団による「ガスライティング」という行いを、その本性そのものの現れとしてなすような存在、いわば、「天職」としているような存在はいるのです。「集団」で群れて、人間につきまとい、「人と人の間」から、人間の心理を巧みについて、さまさまな仕掛けをなし、錯誤や混乱に陥れて、精神的な崩壊を導くような存在です

「ガスライティング」が、「悪魔的手法」だというのは、決して比喩ではありません。それは、まさに、文字どおり「悪魔の手法」なのです。それは、人間を超えた位置から、人間の心理をつぶさに観察し、知り尽くすからこそ、できることなのです。

人間がそれを行うとしても、それは、あくまで、人間が「悪魔」から、受け継ぐ限りのものです。それは、「人間的なもの」によって、限界づけられ、どこまでも徹底することはできません。ところが、「悪魔」は、その本性そのものの発現として、徹頭徹尾、その行いを、冷徹に、一貫してなし得るのです。また、そのことによって、彼らの栄養源である、恐怖などの感情エネルギーが、継続的に得られているのです。

ここでいう「悪魔」には、そのような性質を有する、人間以外の存在を広く含み得ます。最も人間に間近の、いわば現場で働く「低級自然霊」、それを背後で指揮する「捕食者」(アーリマン存在)、さらに、他の星系に起源をもつネガティブな「宇宙人」などです。

いずれにしても、物理的次元を超えたところから、物理的次元にいる人間に、さまさまざな仕掛けをして来ます。彼らは、「テレパシー」によって、人間の思考を読むのは簡単ですし、人間に思考、感情を吹き込み、操ることもできます。あるいは、一時的に「憑依」して、何らかの行動をさせることもできます。さらに、「捕食者」や、ネガティブな「宇宙人」になると、「物質化」して、人間と同次元の物理的レベルから、何らかの行いを仕掛けることもできます。「共時性」の演出など、時間・空間の制限を超えた現象も起こせます。ネガティブな「宇宙人」においては、我々の想定を超える、「高度な技術」を用いて、その精度を高めることも可能でしょう。

このように、彼らにとっては、人間にとっては不可能であった、「集団ストーカー」にいう、「ガスライティング」という行いをなすことは、簡単なことなのです。また、それを、人間による行いのように見せかける(装う)ことも簡単です。というよりも、むしろ、まさに、そのように、自分らの本性そのもののような行いを、人間によるものと思わせることこそが、「集団ストーカー」ということで、最も意図されている、「ガスライティング」(陥れるべき錯誤)そのものなのです

私の統合失調的な体験を中心に述べた、本ブログの前半の記事も、彼らが、いかに、戦略的に、執拗な「ガスライティング」をしてくるかを、具体的に述べたようなものです。

つまり、「統合失調」の外的要因の多くも、また、彼らの「ガスライティング」そのものなのです。それは、概ね「声」という形で、直接的になされます。それは、本人が、そのような「声」を聞ける状況にあるからです。ところが、そうでない場合にも、彼らは、他の人間を操作するなど、背後から、物理的次元に働きかけることで、「ガスライティング」をなすことが可能であるということです。「集団ストーカー」にいう「ガスライティング」こそが、それに当たるものです。

「統合失調」と「集団ストーカー」被害には、このように共通の要素があるのは、前回もみたとおりですが、そこには、状況に応じて、いくらか方法的な違いもあるということです。

いずれにしても、彼らの行いが、いかに「ガスライティング」に満ちているか、具体的にみるのには、地獄を含む霊界を探訪して、詳細に記録した、スウェデンボルグの記述を読んでみるのがいいと思います。以下、分かりやすく、抄訳され、編集されている、今村光一抄訳・編『スウェデンボルグの霊界からの手記(中)』(経済界)から、いくつか引用してみます。

争い、病気、不幸や不運、それにまた犯罪から自殺などなど、この世の凶事の多くは悪霊のなせる業だといっていい。悪霊はみな地獄とつながっている霊たちで、彼らは人間が気がつかないやり口で人間をそそのかし人間に不孝をもたらす。

突然、状況が変わり、霊が私に話しかけ始めた。霊は「いまお前が何を考えているかわかる」などといった。そして「なぜわかるのか?」と私が尋ねると「わかるはずだ。いまお前にそんな考えをせさていたのはこっちだからだ」と答えた。私は注意してよく見た。すると霊はひとりではなくたくさん私の周囲にやってきていた。霊たちはこのようなたくさんの者が集まってひとりの人間の考えに影響を与えたりすることもある。

霊とのつき合いを重ねるにつれ、私は後に街に散歩に出たときに自分の周囲に霊がついてきているのにも気がつくようになった。そんなときには、霊は私の買い物の選択にまで口出しするほどであった。私は霊に「街の様子や人々の話し声が聞えるか?」と試しに尋ねてみたりするほどになった。しかし、最初に「お前にそんな考えをさせているのはこっちだ」と霊にいわれたときにはやはりびっくりしたものであった。…このことからみても、霊の考えが人間の気づかないうちにわれわれの中に入り込んでいるのがわかるわけだ。

彼らがいかにしつこいかは、ここ数日の体験でよくわかった。彼らは、できればいつでも人間にまとわりついていたがる。また、彼らは体のあちこちに痛みも起こす。

悪霊は恐怖だけでなく、人の心をかく乱することで人間を不安にしたり、逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。彼らはこれを、たぐい稀な演技力や創作能力をフルにつかってやる。…彼らの演技力や創作能力でも特に目立つのは、うそやでっち上げを、自由自在にやることである。しかも、彼らは、そんなうそを本当らしく語るとか、ほかの者になりすまして人間をだますというテクニックにも長じている。

彼ら(悪霊の中の最も凶悪なタイプ)は、様々な手を使って復仇の「喜び」を果たすが、対象にした人間をひどい病気にしてその身体を破壊するぐらいでは満足しない。その人間の心まで狂わせて、人間に愚行や悪行を行わせる。その結果、狙われた人間は精神まで狂わされ、世間の非難を浴び、世の中から社会的に葬られるようなことにもなる。

悪の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。

これらは、「集団ストーカー」及び「ガスライティング」ということに関りそうなところを、一部のみ取り出したものなので、詳しくは、是非原文を読んでみてください。

いずれにしても、彼らがいかに、人間にまとわりついて、人間に「ガスライティング」そのもののといえる行いをなしているかが分かるでしょう。

人の心を読み、考えや行動を操作すること。演技力や創作能力で、人間を錯誤に陥らせ、恐怖や混乱を与えること。他の者になりすまして騙すこともできること。痛みなど身体的な影響も与えられること(これは「テクノロジー犯罪」との関わりでも重要です)。身体だけでなく、精神を狂わせ、崩壊を導くこと。集団で行動すること、などです。

但し、スウェデンボルグは、(当時のキリスト教の影響もあり)これらの「悪霊」を元人間であったと解していますが、このような強力な存在は、人間ではなく、「自然霊」とみなすべきものです。また、これらの記述は、今から250年ほど前のものであり、かなり素朴なところがありますが、現在では、現代に相応しく、もっと高度に、戦略的で組織化された方法がとられているというべきです。「捕食者」のような存在が、背後で指揮しているとすれば、なおさらです。

それは、既に述べたように、単純に、人間に対する「ガスライティング」がなされているというのではなく、人間を操作することで、人間によるものと思わせることが、中心になっています。「捕食者」の創出した、「集団ストーカー」という観念に沿うような形での、「人間による集団ストーカーの演出」ということです。それは、彼らの存在が、一般に認められなくなり、また、人間同士の共同体的な結びつきが崩壊した、現代でこそよく機能するものです。

ただし、人間によるものを装っているとしても、彼らが、実際に、「ガスライティング」における重要な要素を担っていることには変わりなく、感覚的レベルで、実際に、「ガイライティング」を受けているという「リアリティ」を生じさせているのは、彼らによる働きかけなのです

たとえば、「アンカリング」、「コリジョンキャンペーン」、「ほのめかし」など、前回みたような、様々な「ガスライティング」の方法においても、確かに、本人の「内心にあるもの」、「本人にしか分からない絶妙なタイミング」などを、偶然とは考えられない仕方で、ついてくると感じさせるものです。それらを、「人間による組織的な犯行」と受け取るのは、もはや「解釈」ですが、それ以前の、このような「感覚」そのものは、現実に生じさせられている可能性があるのです。

前回、「集団ストーカーのガスライティングは、一方で、説得力が吹き込まれるとともに、他方で、その恐怖は、オカルト的なものにまで拡大されている」と言いました。しかし、このように、これらの存在に、実際に働きかけられている場合には、その説得力は、感覚レベルにまで高められています。そして、同時に、その恐怖は、まさに「オカルト的なもの」そのものになっているのです。

ここにおいて、「集団ストーカー」という観念には、全体として、疑うことの難しいだけの、強力な「リアリティ」が植え込まれているということです。

ただし、このような彼らの働きかけは、この観念にリアリティを与えるため、常になされなければならないものというわけではありません。それは、すでに、何度もみて来たように、「集団ストーカー」や「ガスライティング」という観念が、一旦、強力に信じられるようになれば、その観念自体から、いくらでもそれに沿う「現実」が生み出されるような、仕掛けになっているからです。

「ガスライティング」ということ自体が、大きく曖昧さに開かれていて、そのような疑いのもとに周りをみれば、もはや、実際にはそうでなないものも、そのように受け取られ得るようにできているのは、前回みたとおりです。疑心暗鬼の疑い自体が、いくらでも、周りに「ガスライティング」をみるようにさせるということです。

さらには、記事『「恐怖心」が引き寄せる現象』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e6b5.html)などでみたように、恐怖などの強い情動とともに、この観念を強力に信じることで、それに沿う現実を、実際に「引き寄せる」ことも起こるのです。その観念に沿うような、偶然では説明できない「共時性」が、実際に起こり得るということです。

そのようなものは、もはや、これらの存在の働きかけによる効果ではなくて、本人自身が、自ら信じた観念から、生み出した効果になっています。

いずれにしても、まずは、この観念を信じさせること自体が、勝負であり、戦略の大きな部分を占めるのです。「ガスライティング」のような仕掛けは、それをなすため、要所要所で機能すれば、それで十分なのです。そうすれば、後は、自ら、その観念が作り出した、抜け出し難い、「地獄的現実」にはまり込んでくれるということです。それは、最小限の労力で、最上の効果をもたらす、高度に戦略的なものです。

そして、そのような効果こそ、全体を指揮する「捕食者」によって、最も狙われていることなのです。

このように、「捕食者」は、「自然霊」を背後で指揮して、実際にその感覚的リアリティを吹き込むとともに、「集団ストーカー」や「ガスライティング」という観念そのものを創出して、それらを「人間によるもの」として、広めようとしています。このような観念を広めることで、その真実味が増し、さらにそれを信じて、自ら地獄的現実に捕らえられる人が増えるからです。

このような観念を広めることは、一見、彼らの手口を明かすもので、彼らにとって損失になるように思われるかもしれません。しかし、それは何も、彼らの手口のすべてを明かすものではないし、それらを人間によるものと思わせる限り、彼らに損失はありません。むしろ、実際に、彼らの手口を含んでいるからこそ、それに説得力をもたらすのです。なぜなら、それは、人間の心理を巧みについた、まさに「真実」のものだからです。

このように、人間の心理を巧みについて、人間を貶める手口を明らかにすることで、強力な説得力をもたらしているものが、他にもあります。それは、「ユダヤプロトコール」(または『シオン議定書』)と呼ばれるものです。

それについては、次回に述べます。

2018年2月22日 (木)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 2

前回は、「集団ストーカー」という言葉に注目しました。今回は、実際に、被害者という人たちが、「集団ストーカー」による行為の方法としている、「ガスライティング」について、みてみます

「ガスライティング」とは、ウィキペディアでは、「心理的虐待の一種であり、被害者にわざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法」とされています。

具体的には、このサイトが、まとまった説明をしています。(「AGSAS」http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_GaslightingTheBook.htm)詳しく知りたい方は、是非参照してください。

「ガスライティング」という言葉は、映画『ガス燈』から来ています。そこでは、夫が妻を精神的に追い込むため、部屋にあるものの配置やガス燈の明かりに細工をして変えておき、妻がその変化を指摘すると、それは勘違いだと素知らぬふりをする、ということがなされています。妻は、その繰返しによって、自分自身の感覚がおかしくなったと思い込み、やがて本当に、精神を崩壊していくわけです。

要は、直接的な危害を加えるのではなく、ちょっとした仕掛けや振る舞いを繰返し行うことで、自分自身は疑われずに、本人自身の判断や感覚を誤らせ、遂には、自ら精神的に崩壊していくことを狙うといった方法です。陰湿で、姑息なやり方ですが、人間の心理を鋭くついた、巧妙な「悪魔的な手法」といえます。映画では、本人に信頼されていて、性格などの情報をよく知る、最も身近な人物こそが、犯人である点も、衝撃を誘い、恐怖をもたらします。人間の、日常における安心や信頼を、根本からつき崩すものだからです。

実際に、本人に警戒されず、その情報についてよく知る、身近な人物こそが、行いやすい方法と言えます。

これは一例ですが、人を精神的に追い込むための、「ガスライティング」という手法には、様々なものが考えられています。サイトも概要を述べているように、微に入り細を穿つような、詳しい方法を種々にとりあげた、『Gaslighting』という本もあります。大まかに言うと、映画同様、その者の車や身の周りの物に微妙な細工をして、日常感覚を喪失させる。ささやき、冷笑、秘密をほのめかすなどの行為により、妄想を構築させる。噂で評判を失墜させる。人間関係の対立を演出するなどの方法があげられています。

このような行為は、ストーカー的なつきまといを含みつつも、単なる「ストーカー」行為を超えた、明確に害意のある、「あくどい」ものです。「犯罪」と強調される所以です。人を精神的に追い込むために、それ自体は、あまり意味をなさない、細やかな行いを、ただ執拗に繰り返すのも、凄まじい執念です。が、もし本当に、これだけのことを本気でなされたら、確かに精神的に追い込まれ、崩壊してしまってもおかしくないという意味で、「説得力」があるものとは言えるはずです。

いずれにしても、前回みた「集団ストーカー」という言葉がもたらすイメージ以上に、具体的で、リアリティがあり、嫌悪と恐怖をもたらすものであることが分かるでしょう

そして、「集団ストーカー」の方法としていわれる「ガスライティング」というのも、このような行為を、個人ではなく、不特定多数の人の「集団」が、執拗になしてくるというものです。前回みた、「集団ストーカー」の場合と同様、個人的なものよりも、輪をかけて、嫌悪と恐怖をそそる発想です。ただし、後にみるように、それは、「集団ストーカー」の場合と違って、もはや「現実的」なものではあり得ず、「人間的」なものを超えています。

先のサイトでは、このような、「集団ストーカー」の方法としての「ガスライティング」についても、いくつか具体的な例をあげています。(http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_Glossary.htm

多くの人が、その人に、特定のある何ものかを意識させる振舞いをする、「アンカリング」(条件づけ)。多くの人が、絶妙なタイミングで、通行の邪魔をしてくる「コリジョンキャンペーン」。多くの人が、その人に、意味ありげで、大げさな演技をみせる「ストリートシアター」。多くの人が、その人の周りに、不自然に現われるという「付回し」。多くの人が、その人しか知らないはずの情報に関することを、ことさら言動でほのめかしてくる、「ほのめかし」。多くの人が、その人に何らかの「音」を仕掛けてきて、音に敏感にさせる「ノイズキャンペーン」などです。

これらは、サイトの管理人が、実際の被害報告をもとに、前述のような「ガスライティング」の方法と照らし合わせて、まとめあげたもののようです。

こういった、それ自体はあまり意味をなさない、ある意味滑稽なばかりの、行為の繰り返しを、多くの人の「集団」が執拗に行うことで、人を精神的に弱らせ、崩壊に導くというのです。

「ガスライティング」という発想を離れて、客観的にみれば、これらの、個々の行いは、先の個人的な「ガスライティング」の例にも増して、本当に、誰もが日常経験する、何でもないものであるのが特徴です。これらの行為は、一見、具体的なものであるようでいて、どのようなものも、それに当てはまると解し得るほどに、「曖昧さ」に開かれているということです。要は、受け取る側の受け取り方次第で、どのようにでも解釈し得る、ということです。

この曖昧さは、前回指摘したように、この観念には、常につきまとう、戦略的なものです。

ところが、それも、「ガスライティング」の発想からすれば、効果を狙って、意図されたこととされます。日常の何でもない行為を装いつつ、「アンカリング」や、絶妙なタイミングによる「コリジョンキャンペーン」、「ほのめかし」などによって、本人には、多数の者が嫌がらせをしてくることを、確かに意識させて、精神的に追い込んでいくとするのです。

いずれにせよ、実際に、それらを、「嫌がらせ」として捉えるのは、「被害者」である本人自身以外にはありません。多くの人は、そこに、統合失調の「妄想」、特に、外界に起こった出来事を、自分と関係づけてしまう、「関係妄想」をみることは容易でしょう。特に、「ほのめかし」などは、統合失調の妄想に、典型的にみられるものです。実際、これらは、被害報告をもとにしているので、そこには、統合失調的な「妄想」が、入り込んでいる場合は、相当にあるといえます。

しかし、「ガスライティング」という方法では、このような嫌がらせを続けることで、まさに、「統合失調的な妄想」を構築するように仕向けるというのです。そして、サイトもいうように、遂には、誰かに相談したり、周りに窮状を訴えるなどして、それは「妄想」だと言われることによって、本人もそう思い込むことが狙われるとするのです。 

このように、明らかに「統合失調」的な内容を含みつつ、そのような反応をしてしまうこと自体が、仕向けられたものとするのも、「ガスライティング」という発想の、巧妙なポイントです

多くの者に、反論され、「妄想」と言われること自体が、その方法の正しさを根拠づけるように、機能してしまうからです。

このように、「ガスライティング」という発想は、人間の心理をついて、巧妙に練られたものであり、嫌悪や恐怖を伴いつつも、一定のリアリティと説得力を感じさせるだけのものなのです。それは、かなりの人の心を捕らえる可能性があるし、ましてや、被害妄想的な傾向のある者や、統合失調的な体験のある者にとっては、それを強く信じさせるだけの、強力な威力を発揮し得ます。

「集団ストーカー」という観念に、リアリティをもたせているのは、一つは、前回みたように、「集団がストーカー行為をする」こと自体は実際にある、ということでした。しかし、本当に、具体的なレベルでリアリティをもたらしているのは、この「ガスライティング」という、人を貶めるための、人間の心理をついた、巧妙な手口なのです。このような方法に、リアリティを感じて、そのような疑いのもとに、外界の出来事をみるようになれば、多くのものが、それに当てはまると受け取られる余地が実際にあるのです。

しかし、同時に、この「集団によるガスライティング」には、既に述べたように、「現実的」、「人間的」なレベルを大きく超えたものが、醸し出されています。「集団がストーカー行為をすることは実際にある」、というのと同じ意味で、「集団がガスライティングをすることは実際にある」、などとは、もはや簡単には言えません。

実際、本人も、「ガスライティング」として受け取ったとしても、心底納得できず、謎めいた、不可解なものを残すのは、必然です。それは、まともにみる限り、もはや、人間的な動機に基づいた、人間の行いである「ガスライティング」ということを、超えているのです。言い換えれば、「非人間的」で、「オカルト的」と言っていいものにまで、拡大されているのです。まさに、「統合失調」の場合と共通の要素です。

単純に言っても、このような行為を、本人とは、直接の関係も動機もない多くの者が、ただ精神的に追い込み、崩壊させるために、執拗に繰り返すとは、その執念も、技術も、人間のものではあり得ません。実際、多くの場合、数年にわたって、このような行為が、毎日のように繰り返されるというのであり、それでも、精神を崩壊させるまで、延々と続けられるというのです。

『コリジョンキャンペーン』にいう、「絶妙なタイミング」というのも、本人にとっては、自分にだけ分かる感覚として、強い衝撃であり、それが事実であることを信じさせる大きな理由です。ところが、具体的に、多くの人間によって、この「絶妙なタイミング」を実現するためには、本人の行動に向けた意志をリアルタイムで知るだけでなく、それをリアルタイムに、多くの人間による嫌がらせの行動に反映させる必要があるのです。

それで、多くの場合、思考を読み取るなどの、一般には認められない「高度の技術」が持ち出され、「テクノロジー犯罪」との関連がいわれます。が、たとえそのような技術を持ち出したとしても、実際に行うのは人間であり、本当に具体的なレベルで、このような行為を、多くの人に、長年にわたって、実現させることなど、現実には無理なことは明らかなのです。

いずれにしても、一方で、「リアリティ」と「説得力」があるという「ガスライティング」ですが、他方で、集団的なものにまで拡大されるときは、非現実的で、非人間的なものとなります。そして、それがむしろ、「オカルト的」といっていいような、謎めいた恐怖を拡大することにもなるのです。

実際、そのどちらもが、「集団ストーカー」という観念にとって、大きな効果をもたらします。一方で、自分が「ガスライティング」を受けているということに、説得力とリアリティが吹き込まれ、他方では、その恐怖が、「非人間的」で「オカルト」的なものにまで、拡大されているのです。そして、そのような、恐怖は、実際に、出口のない、袋小路のような状況をもたらします。

それは、「集団ストーカー」という観念にとって、実質的な要素である、「ガスライティング」という観念がもたらす効果ということです

実際には、その実質は、出来事の全体を「集団ストーカー」と呼ぶことによって、巧妙に覆い隠されているのですが、それについては、次回にでも述べます。

また、次回は、実際に、「ガスライティング」のような行為を得意とする、というより、このような行為が、その本性そのものの現われであるような存在がいるということ。それが、「集団ストーカー」という観念に、感覚的レベルで、実際にリアリティを吹き込んでいるということ。さらに、その背後には「捕食者」(アーリマン存在)がおり、「ガスライティング」や「集団ストーカー」という観念を創出して、広めること自体をも目論んでいることを述べます。

2018年2月 8日 (木)

「集団スト-カー」という観念の問い直し 1

「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」の問題については、既に十分述べました。むしろ、述べ過ぎて、要点がぼやけたかもしれないので、近いうちに、記事と関連づけて、まとめをするつもりです。

ただ、改めて言うべきは、これらの問題は、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という観念自体がもたらす部分が大きいということです。前提となる、個々の「事実」に何らかのものがあったとしても、これらの「観念」を信じてしまったこと自体から来る部分の方が、大きいということです。

それだけ、これらの観念には、人の心理をついた、巧妙なものがあり、人々を捕らえてしまうのも、無理からぬところがあるのです。しかし、一般の多くの人には、なかなかそのあたりが、理解できないと思います。「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」など、根拠のない、妄想じみたもので、ただ「おどろおどろしい」だけと思っている人が、多いはずだからです。

そこで、今回から何回かにわたって、少し踏み込んで、これらの観念を、基本的なところから、問い直しておきます。ただ、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」について、これまで述べたところを、一々繰り返さないので、少なくとも、記事『 「集団ストーカー」という厄介な問題 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9e9f.html)、と『「テクノロジー犯罪」という発想 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-4691.html)くらいは、読んでおいてもらいたいと思います。

まずは、「集団ストーカー」について、「集団ストーカー」という、言葉自体に注目してみます

「集団ストーカー」とは、「集団」でなされる「ストーカー」ということです。

「集団」という言葉も、「ストーカー」という言葉も、かなり曖昧で、漠然としたものです。「集団」という曖昧なものが、「ストーカー」という曖昧な行為をしてくるということです。そこでは、曖昧さが、重ね合わされています。この曖昧さは、後にみるように、この観念に、常につきまとうものです。まずは、それこそが、この観念に、広く「事実」を包み込むための、風呂敷のような役割を与えていることを、指摘しておきます。

とはいえ、この言葉は、一応の意味を指し示してはいます。

「ストーカー行為」とは、本来、非常に私的で、個人的なものです。それは、ある者が、恨みや、妬み、その他の個人的な感情に基づいて、ある者につきまとい、しつこく、迷惑な嫌がらせ行為をするといったものです。普通は、恋愛感情のもつれに伴って、男女間で行われることが多いでしょう。

何しろ、「ストーカー行為」は、一旦は、好意をもち、近い関係になった者に、裏切られたと感じることなどによる、人間らしい、「アンビバレントな感情」がもとになっています。そして、そのような感情は、後を引き、それに基づく行為も、歯止めが効かず、とことんエスカレートする可能性があります。そのような厄介な感情、そして、(実際に行うかどうかは別にして)それがそのような行為につながりやすいこと自体は、多くの人にも、了解できるものです。

「ストーカー行為」とは、まさに、人間のどうしようもない、「暗部」を象徴する行為であり、「あまりに人間的」な「機微」そのものとも言えるでしょう。それだけに、多くの人に、嫌悪感と、「現実的な」恐怖をもたらします

ところが、「集団ストーカー」とは、そのような「ストーカー行為」を、特定の個人ではなく、人の「集団」がなすというのです。「集団」というのは、曖昧ではありますが、何しろ、人の多数の集まりであり、何か組織のようなつながりを、思わせるものです。

記事『「集団ストーカー」という厄介な問題」や『映画『激突』と「集団ストーカー」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-a8e7.html)でもみたように、現代人は、かつてのような共同体的なつながりを失い、互いに切り離された、孤立する個人となっています。このように孤立する、無力な個人にとっては、つながりをもった集団というのは、何か恐ろしい、圧力として、のしかかってくるものともなります。特に、普段から、集団との折り合いがよくない人にとっては、そのように意識されることでしょう。

通常の、個人的な「ストーカー行為」でも、十分、人を嫌悪させ、恐れさせます。ところが、それを、このように、個人にとっては、大きな圧力となる、人の集団がなして来るというのですから、それに輪をかけて、人を恐れさせるものでしょう。

そして、実際に、人の「集団」が、何らかの「ストーカー行為」を行うということ自体は、いくらもあることなのです(記事『「集団ストーカー」という厄介な問題 』でも述べているとおりです)。

実際に、そのような事件はありますし、表ざたにならないものを含めれば、限りなくあると言えるでしょう。それには、特定の個人が、個人的な感情に基づいて、多くの人を使うことによって、「ストーカー行為」をなすという場合もあるでしょう。しかし、「集団」といえども、人間の集まりであり、その集団が、ある者に対して、同じ感情を共有するということは、いくらもあります。「集団」そのものが、その共有された感情に基づいて、ある者に、「ストーカー行為」をなすということもあるのです。

特に、日本では、個人より、集団が重視され、その力も強いので、そこからはみ出すとみなされた者は、集団によって疎まれ、ストーカー行為の対象とされる可能性があります。表立った、直接的な言動より、間接的で、遠回しの(陰湿な)言動が好まれる日本の習慣からも、こういうことは、起こりやすいと言えるでしょう。

会社や学校で、普通にみられる「いじめ」も、広く解釈すれば、そのようなものに含み得るでしょう。中でも、やくざや宗教団体など、集団の結びつきが強く、運命共同体のような組織では、一旦裏切り者のようにみなされた者は、ストーカー行為の犠牲になる可能性も高まるでしょう。

まずもって、「集団ストーカー」という言葉ないし観念が、指し示し、一般に、イメージを喚起するような、意味合いのものは、このような、「集団によるストーカー」ということです。

漠然としていて、明確ではないながらも、決して、非現実的なものではなく、実際に、具体的にみる限り、「いくらもある」といえることなのです。こういったことが、この観念に、嫌悪感や恐れを伴いつつ、一定の、リアリティをもたらしています。

そして、そのことこそが、出来事の全体を表すのに、「集団ストーカー」という言葉が選ばれている理由なのであり、巧妙さの一つなのです。

実際、この観念が、意図するのは、まずは、そのように、漠然としていながらも、一定のリアリティを伴った、「恐ろしさ」を喚起することです。そして、実際に、自分も、そのような行為をされているかもしれないと思わせることです

しかし、本来の個人的なストーカーもそうですし、集団によるストーカーというのも、それらは既にみたように、ある、感情的な動機がもとになっています。だから、何らかの集団によって、特に根にもたれるような動機に、身に覚えがないなら、ストーカー行為のような、執拗な行為をされる理由はない、と考えるのが普通でしょう。

しかし、現代のような複雑な社会では、人間がどんな理由で、ストーカー行為に結びつくような、感情的動機をもつかは、必ずしも、みえにくくなっています。人によっては、まったく思いもかけぬ理由で、そのような動機をもつこともあるでしょう。映画『激突』も、まさに、そのような、主人公にとっては、不可解で、理不尽な動機で、強烈なストーカー的つきまといを受ける、といった内容のものです。

そして、それが、集団となると、個々の人には、予測のつかない、組織としての利害や理由から、そのような行為がされることもある、と思わせることにもなるでしょう。

さらに、もともと被害妄想的な傾向があったり、いじめなどに会いやすく、集団との折り合いがよくない人などは、物事をその方向で解釈しがちですから、集団にストーカー行為をされる何らかの動機などは、いくらでも思いつくことができるでしょう。

このように、「集団ストーカー」という言葉が、リアリティをもって受け止められるなら、本来伴うはずの、感情的動機などは、必ずしも、明確にみつからなくとも、それに当てはまるような事実を、思いつくことは、十分可能なのです。

そして、そのリアリティは、「集団ストーカー」という言葉が、広く多くの人に行き渡るようになればなるほど、増していきます。現代では、この言葉は、検索してみれば分かるように、ネット上に十分広まっているので、それを通して、リアリティを感じる人が多くなっても、不思議ではありません。

そういうわけで、まず今回は、「集団ストーカー」という言葉が一般に指し示す、イメージと意味合いについて述べました。この、曖昧でありながら、イメージを喚起し、恐れを伴った、不思議なリアリティをもたらす言葉自体に、戦略的な意図があるということです

しかし、実際には、このようなものでは、具体的レベルで、本当に自分に起こっている出来事として、受け止めるには、あまりに漠然とした、「抽象的なもの」であり過ぎるというのも、事実です。これだけのことで、かなり多くの人を、本当に信じ込ませるだけの力をもつかといえば、そうではありません。

実際、ネットを中心に、その被害者と称する人たちで、言われている「集団ストーカー」というのは、このような抽象的なものではなく、もっと具体的な方法によって、特色づけられたものです。

その方法は、「ガスライティング」といわれるものです。そして、この「ガスライティング」こそ、「集団ストーカー」という漠然たるイメージに、本当の、嫌悪や恐れ、そして同時に、具体的なレベルで、説得力とリアリティをもたらしているものなのです。

それについては、次回に述べることにします。

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