文化・芸術

2023年11月23日 (木)

「切り離された個」とドンファンの言葉及び「タブー」の意識との関係

1 前回までの一連の記事でみてきた、<憑く心身>から<病む心身>へという世界観の根本的変化は、<「繋がり」や「関係」のもとにある個>から、<切り離された個> への変化ということも言えた。

近代に至って、人びとは、周囲の世界から<切り離された個>となったわけである。

記事『『総まとめ(旧「闇を超えて」より)』』でドンファンの言葉をあげていたが、これはまさに、<切り離された個>としてしか世界を見ることのできないカスタネダに対し、ドンファンが鋭く指摘した言葉である。

それを、再び掲げる。

○「おまえが、自分は世界中で一番大事なものだなぞと思っとる限り、まわりの世界を本当に理解することはできん。おまえは目隠しされた馬みたいなもんだ。あらゆるものから切り離された自分しか見えんのだ。

ところで、この観点からは、統合失調とは、世界から<切り離された個>が、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界へと、(再び)侵入する体験であるとも言えるのである。世界から<切り離された個>という立ち位置から、そのような<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界へと侵入することで、<切り離された個>には混乱が生じ、その個が「解体」の危機を迎えているのである。

また、<切り離された個>の視点から、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界を見るから、自己の個の中にあるはずのものと外にあるはずのものが、融合し、浸透し合うように感じたり、全てが、自己と関係するように思えたりするのである。

<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界に入っても、<切り離された個>の視点を脱することができないままに、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界を見たり、感じたりしている、ということがポイントである。

「妄想」というのも、<切り離された個>の視点を(守ろうとして)脱することができないため、<「繋がり」や「関係」のもとにある>世界を、<切り離された個>の視点に沿うように、無理やり解釈してしまっているのである。「組織に狙われる」というタイプの妄想が典型的である。そこには当然、はた目には、「無理」や「矛盾」、「違和感」が現れてしまうが、本人は、そうするしか方途がないのである。

 

2 かつて一連の記事『「タブー」の意識とオカルト 1』から『「タブー」の意識とオカルト 3』までで、オカルト的なものが「タブー化」された理由を考察したが、「タブー化」とは、まさに「恐れからそれに触れないようにする」ことだから、「迷信として否定」することとも重なっている。だから、今回の一連の記事は、その記事とも照らし合わせて読んでもらえると、より理解ができると思う。

また、その記事の最後にまとめた、タブー化された理由は、「迷信として否定」された理由としても当てはまる、重要なものである。それを再びあげておく。

Photo_20231123120901

 ただし、3の「「神々」を含めて、全体として葬り去ったことの後ろめたさとタブー感」というのは、「捕食者的なもの」「オカルト的なもの」を「迷信として否定」した後、「霊的なもの」や「神々」に対する信仰をも失うことになって、「オカルト的なもの」一般に対する感情として残されたもののことである。

 

2023年10月31日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 6-総括及び結論

私は、記事『なぜ1—「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』において、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化はなぜ起こったのか」の理由の結論を、次のように述べていた。

「後に改めて再説するが、とりあえず、結論として、「迷信の否定」は、(科学の発展その他の外部的な状況の変化によるのではなく)それまでの世界観の中には、何とか組み込まれていた、「オカルト的なもの」、より直接的には、「捕食者的なもの」を、多くの者が、否定したかったからこそ起こったということが、本質的な理由と言わねばならないのである。」

既に述べたように、伝統文化のあり様を「迷信として否定」することこそが、「世界観の根本的な変化」そのものなのであるから、これは、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化がなぜ起こったのか」の、端的な理由であり、結論なのである。

西洋の場合は、「魔女狩り」という大々的な事件が起こったので、「魔女」に集約する形で、そのような「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」ことは見えやすい。しかし、日本の場合も、多かれ少なかれ、同じように、「狐憑き」に集約する形で、「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」のである。

ただし、それは、様々な状況の変化によって、そのように望まざるを得なかった部分も多く、それを可能とする状況が整うことにもよっていた。明治以降、支配層や知識人、メディア等が押し進めた開化の推進や、それまでの伝統文化を迷信として否定する扇動などは、その方向を受け容れざるを得ない流れを作り出したし、変わらず出現する「狐憑き」様の状態を示す人々を、隔離、収容して厄介払いする、「精神病院」のシステムが整う必要もあった。

しかし、それら、外的状況の変化は、多くの人々の「世界観の根本的変化」をもたらす「必然的」な理由とは言えない。それらも、結局は、世界観の根本的な変化を志向し、受け入れる、内的動機の形成に与る限りで、理由として作用したのである。

そして、何よりも、「恐ろしく」「認めがたい」、「オカルト的なもの」、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという欲求には、これらの理由とは別に、一種本能的な、逆らい難い、独自のものがあった。そして、それこそがこの時期に、外的な状況の変化にも促されて、強く発現することになったと言うべきなのである。

 

だから、(外的な状況ではなく)そのような内的な欲求こそが、より本質的で、根源的な理由なのである。

 

記事『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』でみたように、カスタネダのドンファンは、「捕食者」について、「みんな子供の頃にそいつを見て、あんまり恐ろしいものだから、それについて考えるのを止めてしまう」と言っていた。つまり、本当は、誰もが、「潜在的」には、「捕食者」の存在と恐ろしさを知っているが、それを抑圧しているため、意識レベルでは否定しているということである。

しかも、我々は、「捕食者」から、「捕食者の心」を与えられているから、それは我々の内部にもあるのだが、それを認めることができないため、我々はその「捕食者的なもの」を、「他者」に投影しようとする。そして、その他者を「魔女」などとして、攻撃し、排除するのである。それは、「狐憑き」の場合にも、多かれ少なかれ、言えることである。

伝統文化では、「捕食者」という存在の「恐ろしさ」を認めつつも、その存在を否定することなく、何とか世界観の中に組み込んで、折り合いをつけていた。しかし、そのようなことも難しくなって、新たに、伝統文化を否定して、「捕食者的なもの」を「ないこと」とし、それによって再出発できるかのようになされたのが、「世界観の根本的変化」の核心だということになる。

ところが、それを実効的ならしめるためには、結局、「おどろおどろしい」「捕食者的なもの」だけでなく、「オカルト的なもの」あるいは「霊的なもの」一般、さらには、「神や神々に対する信仰」など、これまで生活の中心にあって、益をなすとされて来たものをも、否定することを迫られたのである。まずは、「オカルト的なもの」「霊的なもの」に関して、自分らにとって都合の悪い、「闇の部分」を否定することになったが、結局は、必然の流れとして、その「光の部分」をも否定することになったとも言える。

そうして、「オカルト的なもの」「霊的なもの」を否定した、残りの(表面的な)部分で構成された、「物質的なもの」のみを存在するものとして、「世界観」の基盤に置くことによって、「科学技術」に基づく「発展」を推し進めて来たのが、現在に至る近代社会の流れである。

いずれにしても、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたかった、そんなものとは、「手を切りたかった」という、内的な欲求こそが、第一の動機なのである。

ところが、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしても、それは実際になくなるわけではないから、その「投影」は、「魔女」や「狐憑き」としてではなくとも、実質同様なものとして繰り返されることになる。特に日本では、以後、「精神病者」こそが、そのような投影の対象となる。

また、「闇の部分」を否定したつもりになっても、実際にはそんなことはできていないのだから、我々は戦争や犯罪、その他の殺戮を、より技術的に発展したレベルで、繰り返すことになる。

そして実際、「捕食者的なもの」が表面上否定されていて、それを顧みることのない、近代社会ほど、「捕食者」の暗躍しやすい社会もないのである。

ボードレールの名言に、「悪魔の最も見事な狡猾さは、『悪魔はいない』と信じ込ませることだ」というのがあるが、これは実際に、「捕食者」の戦略としてなされたことなのである。

「世界観の根本的変化」は、「捕食者」の戦略に基づき、人間の支配層や知識人、精神科医、メディアなどが主導して引っ張って来たことではあるのだが、既にみたとおり、我々の多くが集合意識的に、「受け入れた」からこそ、起こったことなのである。

ジャーナリストの船瀬俊介氏は、『幽体離脱 量子論が“謎”を、とく!』(ビジネス社)という本で、「近代から現代にかけて、人類の「知」は、完全に悪魔勢力に乗っ取られて、今日に至るのである。すなわち、そのほとんどは狡猾な〝 洗脳〟の産物にすぎない」と言っている。また、「暗黒の近代」という言い方もしている。

近代社会は、「魔女狩り」を例に挙げ、「暗黒の中世」などと言い、自分らの社会をそれを克服した希望の社会のように見せかけたが、その「魔女狩り」自体が、既にみたとおり、実は近代の草創期に起こっているのであり、近代社会とは、その継続以外の何ものでもないのである。

記事『「虚偽への意志」と「精神医学」』でみたとおり、ニーチェも、(近代の)全ての学問は「虚偽への意志」に基づいていると喝破したが、これは要するに、学問構築の土台となる「世界観」が、「虚偽」に基づいているということである。その「世界観」とは、これまでみて来たとおり、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという、まさに「虚偽」の意志に発しているのだから、その上に構築された学問体系が、結局は「虚偽」に染められるのは当然のことと言わねばならない。

伝統文化の世界観が、決して丸ごと正しいということではないが、しかし、その認めたくない部分を否定したいがために、実質、それを丸ごと否定した世界観は、「虚偽」以外の何ものでもあり得ないし、そこから正しいものが生まれて来るとはみなし難い。

近代社会が生んだ、代表的な知と言える、「科学」というのも、「物質的なもの」という制限された内部においては、それなりに緻密に知識を深めたものがあるし、科学技術という強力な方法も生み出したが、それが「すべて」において当てはまるかのごとくみなす「世界観」に基づいている限り、やはり「間違い」であり、「虚偽」以外のものではない。

「世界観の根本的変化」が起こって、それが常識として浸透する現在の社会の中にいる限り、なかなか、このような「世界観」そのものを俎上に上らせること自体が、難しい。私自身もそうであるが、記事『カスタネダと「ヤノマミ」の著者の例』でも述べたように、そのためには、単なるカルチャーショックのようなものではなく、それを根底から疑問に付すだけの、強烈な体験が必要になる場合も多いだろう。

しかし、何らかのきっかけで、それを問題にすることがひとたび可能になるなら、現代の問題は、その「世界観」そのものから、全てが連動して生じていることなのが分かり、その世界観を問題にしない限り、なんら解決の方向へ向かいようがないことが分かるはずである。

すなわち、「オカルトを否定する世界観の根本的変化はなぜ起こったのか」を明らかにすることこそが、求められている、必要なことなのである。それは、結局、我々の「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を否定したいという内的欲求から来ているのだから、我々一人一人がそのことを自覚するなしには、何の解決の方向もあり得ないということである。

 

2023年10月19日 (木)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 5-「迷信」及び「妄想」とそれらを否定することの意味

前回、次は締めくくりをすると言っていたが、その前に、「迷信」ということと、それを「迷信」として否定するということの意味を、それなりに踏み込んで明らかにしておく必要があるので、今回はそれを述べることにする。そうして、最後の締めくくりでは、端的に、総括と結論を述べるだけにしたい。

(この一連の記事では、しつこい位に、この「世界観の根本的変化」が行われた経緯や背景を明らかにしようとする意図がある。既に、結論はこれまでの記事でも、何度か述べているので、それで十分理解し、納得できる人は、あえて読む必要はないかもしれない。)

これまで述べてきたとおり、「狐憑き」を「迷信」として否定することとで、「憑く心身」から「病む心身」への「世界観の根本的変化」がなされたのだった。だが、そもそも「迷信」とは何か、「迷信として否定する」とはどういうことか、ということは、改めて問うてみると、容易でない問題で、少しも自明なことではない。

「迷信」であることが自明に思えるのは、「世界観の変化」した近代の中において、その「世界観」を疑うことなしに前提として、見るからであって、その「世界観の変化」自体を問題にするときには、決して自明ではなくなるのである。

Wikipediaによれば、「迷信」とは、

「人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの。一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や俗信などをこう呼ぶ。様々な俗信のうち、社会生活に実害を及ぼすものである」

とされている。

「人々に多く信じられている」ということ、「合理的な根拠を欠く」ということ、「社会生活をいとなむのに実害がある」「道徳に反する」ということがポイントのようである。しかし、このような抽象的な説明は、何ら、「迷信」の実質を、明らかにするものではない。

「合理的な根拠」とは何か、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」とはどういうことか、というのは、容易に判断できることではなく、また時代や文化の影響を大きく受ける。「合理的」ということそのものが、近代的な世界観を前提にして、初めて言えることでもある。

まさに、明治以降に、伝統文化の世界観の根本的な変化があったからこそ、それまでの伝統文化で信じられていたことが、「迷信」と解されるようになったことが分かる。というよりも、むしろ、伝統文化において信じられてきたことを否定することそのものが、「世界観の根本的な変化」なのであり、そのためにこそ、「迷信」ということが持ち出されているということなのである。

また、現代において、一般に、「迷信」ということで言われているのは、「夜に爪を切る と親の死に目に会えない」とか、「茶柱が立つと縁起がいい」など、一種の「戒め」や「縁起」に関わる、「言い伝え」が多く、特に、社会的に害があるとか、道徳に反するということはないものがほとんどである。

それは、そういった社会的に害があるものや、道徳に反するとみなされる「迷信」が、「狐憑き」に代表されるように、既に「迷信」として一般的に否定されて来たので、そういった害のないものが、今でも残っているからだということも言える。

しかし、一般的に、「迷信」と言われるものに、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」などということが、当然のように言えるはずもないことで、あえて、「迷信」ということに、そのような意味合いが含まれているのは、それを「否定する」という志向性が、既にそこに込められているからこそと言うことができる。

中村古峡という心理学者が、大正10年に書いた『迷信と邪教』という本(kindle)は、迷信を否定する立場から、迷信とはどういうことかについて、明解に説かれているので、参考になる。著者は、フロイト等の精神分析を日本に紹介し、また精神病院の院長として精神医学の普及にも大きく貢献した人物である。

中村の「迷信」に対する態度は、非常に攻撃的で、「根絶すべきもの」ということで一貫している。

中村によると、「迷信」とは、「一種の判断の錯誤に基くもので、その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信ずる現象である。」とされる。また、「迷信というのは 言葉は(ママ) 宗教的の迷える信念に名づけたものである。」とも言われる。

著者は、決して単純に、科学万能主義に立って、科学に反する事柄を「迷信」としているわけではなく、科学万能主義もまた害あるもので、科学によっても分からない未知の領域については、「哲学」や「宗教」などによって問われるべきものとしている。

しかし、結論としては、「科学に反する」ことが、「迷信」とされることの前提であることに変わりなく、それにいくつかの要素が加わっているだけである。また、明らかな「進歩主義」に立っていて、「信仰」については、未開の原始信仰は、遅れた「野蛮」なもので、組織的に高度化された「宗教」は、意義のあるものとする。従って、日本の伝統文化で信じられていることの多くは、「原始信仰」に基づくもので、遅れた「野蛮」なものとして、排斥すべきものとなるのである。

また、中村は、迷信に基づく行為が、社会的に危険で、道徳に反することが「普通」であることも指摘している。Wikipediaの、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」という記述は、恐らくこの中村の説に基づいていると思われる。

その部分を引用すると、次のようである。

「即ち、夜半の丑満時に 呪いをして、人に見つけられぬようにせなければならぬとか、寒中に水垢離を取れば願が叶うとか、大なり小なり何か難とする所を含ませる。これが或る場合には秩序を紊る道徳違反的行為となる」

また、「狐憑き」にも言及し、

「狐が憑くことは、 日本では広く普及している迷信であって、之が未だに退治されないのは情ない話である。」

まさに、「狐憑き」が退治すべき「迷信」の代表であるとしているが、大正10年当時、広く普及している状況だったことが分かる。

「之は改めていうまでもなく精神病者で、狐という観念が頭にあるために狐のような 挙動をするのである。」

記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』でみたように、多くの精神科医と同様、「狐憑き」が「精神病」にほかならぬこと、一種の「ヒステリー現象」であることを説いている。

さらに、興味深いことは、「迷信」が「病的に強く現れた」のが、「妄想」としていることである。そして、

「妄想になると、如何なる手段方法を以てするも今日までのところ矯正し得られないことになっている。」「こうなると最早や手のつけようがないものであるから、その矯正に骨折るよりは、 然るべく隔離して、他の者をそれにかぶれさせない工風を講ずることが肝要である。」

と、精神医学ないし精神病院を広く押し進めることの必要も、「迷信」との絡みで、説いているのである。

ただし、著者は心理学者らしく、「迷信」を信じることについての「心理」については、それなりに意義のあることを指摘している。

何事かを信じるということについての「心理」、「動機」を問題とし、「信仰」すべてを否定するのではなく、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」から信じられたものを、「迷信」とするとしているのである。

それは、誰の心にもある傾向とされ、「非合理的な方法によって本能を充足しようとする傾向が人々の心にある。これが、迷信を生み出す根本の動機となるものである。」と言われている。

「非合理」か「合理」かというのは、簡単に言えるはずもないことだし、近代的な世界観が前提になっていることだが、「迷信」の多くに、そのような面があることは、確かなこととして認められることである。

中村の説を総括してみると、中村は、「迷信」は、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信じる現象」としているが、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事」というのが、やはり曖昧に過ぎる。

「科学」だけでなく、「一般的な知識」もあげているが、そのような知識は、いくらでも移り変わるものだし、「真実でない或は合理的でないと分っている」というのは、誰がどの範囲で分かっているのか、不明である。「その時代」という限定をつけているようではあるが、「迷信」を「根絶する」ことを強く訴える態度とは、明らかに矛盾する言い方である。

実際にも、中村が代表的な例としてあげている「狐憑き」にしても、害のあるものの例として挙げている「丑三つ時の呪い」にしても、それらは、「科学」において明確に「否定」できるものではないし、否定されたこともない。もちろん、中村の論においても、そのようなことは、全くなされていない。

また、それらは、既にこれまでみて来たように、「その時代」と言われる、大正10年の当時において、「一般の知識」が「真実でないあるいは合理的でないと<分かっている>」などと言えるのかも、怪しいことである。(「狐に騙されることがなくなった」1965年頃なら、そう言えるかもしれないが、かなり、「霊的な事柄」が見直されている現在となると、またそれも怪しい。)

迷信に基づく行為」が危険であり、害をなすのが「普通」、また「道徳に反する」というのも、逆に、例えば「科学技術」に基づく行為が「危険」で「害をなす」、あるいは「道徳に反する」面があることと比して、それに勝ると言えるのかは疑問である。それは、「近代的な戦争」や、身近なところでは、「自動車事故」を顧みても、明らかだろう。

要は、「科学技術」には、全体として「意義」があるから、「危険」や「害のある面」は許容されるのであって、「迷信」には、何の意義もないとみなすから、「危険」や「害のある面」だけが浮かび上がるのである。しかし、これも、「世界観」の問題であって、伝統文化においては、それらに意義が認められていたから、危険の面が許容されていたということに過ぎない。

従って、全体としては、中村が「迷信」としてそれまで伝統文化で信じられてきたことを「否定したい」という思いは強く伝わるものの、「迷信」を「迷信とする」(迷信として否定する)ことについては、何ら明白な根拠らしいものは、見出せないのである。

ただ、「迷信」を信じるときの「心理」については、先に述べたとおり、受け容れられる面がある。ただし、その「心理」なるものも、実は、「迷信として否定」しようとする側の「心理」、「動機」についても、十分当てはまるものと言うべきものである。

ある事柄を「迷信として否定する」ということもまた、やはり、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」からなされていることに違いない、ということである。中村のように、「根絶」しようとするほどの欲求には、それが明らかに強く認められる。「迷信」として信じられていることに、怖れや嫌悪を抱いていて、自分の立場や信念が脅かされるから、それらを「ないもの」としたいのである。

そもそも、「迷信」とされるものを、丸ごと信じるか、丸ごと否定するかという二分法的な発想が問題なのである。

「迷信」には、伝統文化において、長い間培われた経験や知識に基づく一定の真実が含まれている。しかし、それがある時代や文化、あるいは特定の集団などにおいて、ある種の「誇張」や「拡張」を受けたり、あるいは「解釈」としてずらされたり、捻じ曲げられたりしたため、誤謬を含むようになったものと言うべきである。

たとえば、「狐憑き」の場合は、記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』で見たように、「狐」という精霊的存在が「憑く」という現象は、基本として確かに存在している。しかし、「狐」について、動物そのものの狐と混同されたり、それによって起こる錯乱的な状態と似た状況を、ことこどく「狐憑き」と拡張的に受け取ったりしたために、多くの誤謬を含むものになってしまったものと言うことができる。

そこには、「狐が憑く」という多分に「おどろおどろしい」事態に対する「怖れ」や、理解しがたい言動をするようになった者に対する「怖れ」があり、そのことから、自己や自分の属する集団を守りたいという、自己保存の欲求がある。つまり、「迷信」を生み出す「心理」や「動機」が確かに働いている。

しかし、この点は、「狐憑き」なるものを「迷信」として丸ごと否定しようとする側にも言えることである。そこには、やはり、「狐憑き」という「おどろおどろしい」(「捕食者的な」要素を多分に含む)現象に対する「怖れ」や、伝統文化と、新たに入って来た近代的世界観を信じることとの、「葛藤」や「不安」などから解消されたいという、自己保存の欲求がある。そのため、「迷信」として、丸ごと「ないこと」にして、きれいさっぱり解決したいと思うのである。

このような点は、現代にも残っている、一般的な言い伝えとしての「迷信」にもはっきり表れている

たとえば、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信が生まれた理由には、いくつかの説があるようだが、『なぜ夜に爪を切ってはいけないのか』(北山哲著、角川SSC新書)によれば、「かつて日本では、死者を埋葬する際に、その近親者が自分の髪や爪をともに埋めるという風習があった。この風習をきっかけとして、爪を切ると親の死に目に会えないという言い伝えが生まれた」ということである。

これは、「爪を切る」ということが、「死」を連想させるということで、「親の死に目に会えない」(自分の方が先に死ぬ)というかなり強い「不幸な出来事」の象徴のような事柄と結びつけられている。それは、それだけ、「夜に爪を切る」ことが、強く「戒められ」ているのである。このように、「死」を連想させることと、ある種の「戒め」が結び付けられる「迷信的言い伝え」というのは多くある。

私は、これは、「爪を切る音」にも関係していることだと思う。爪を切る音は、幽霊や悪霊が出るときの「ラップ音」と似ているのである。夜は、このような存在が出やすく、また「音」も響きやすい。似たような音が、幽霊や悪霊を呼び寄せる(出やすくさせる)ということを、恐れたため、「親の死に目に会えない」というかなり強い戒めと結びつけられて、このような言い伝えができたのだと思う。

このように、似た音が現象を引き寄せるというのは、ユングのいう「共時性」現象である。それは、意味的な関連で共鳴することから、現象を引き寄せるのであって、因果的に原因―結果の関係なのではない。しかし、それを、原因―結果として、因果的に捉えてしまうと、記事『「共時性」と「魔術的因果論」』で述べたように、「魔術的因果論」になり、「迷信」になってしまうのである。

つまり、「共時的」に解する限り、信実を含むのであるが、それが一般には理解しにくいため、「因果的」に解釈してしまったために、誤謬である「迷信」となってしまったものである。

「何々すると、何々する」という形の言い伝えは、このタイプのものが多い。

そして、「妄想」というのも、中村の指摘しているとおり、実はこの「迷信」と同じ構造をしている。そこには、感覚レベルにおいて「真実」が含まれるが、それが解釈において曲げられて、表現上誤謬となってしまったものである。

感覚レベルにおける「真実」が、未知の要素を含み、怖れをもたらすため、その解釈は、自己の経験から理解しやすいものへと、曲げられてしまっているのである。それは、自己保存の欲求(防衛反応)から来るもので、容易には訂正できないものとなる。中村が言うように、「迷信」が「病的に強く現れた」ものと言えるのである。

ただし、それは、決して、訂正できないものでも、「病気」として治療(隔離、収容)しなければならないものでもない。それは、(実際に、「捕食者」のような存在が関わっていて、「おどろおどろしい」要素をもつが故に、容易ではないことだが)、ただ、感覚レベルで起こっている「真実」というのを、ごまかさずに認められるかどうかにかかっているのである。

そして、この場合にもまた、「迷信」を丸ごと否定する側にも言えたことが、「妄想」として「精神病」とみなそうとする側にも言えるのである。「妄想」として「精神病」とみなすことも、「妄想」の裏返しとして、「妄想」と同じ構造を含むということである。「捕食者的」な「おどろおどろしい」ものを、「怖れ」、「ないこと」にしたいために、「妄想」とし、「精神病」として解決することを欲するのであるから。

そして、このように、「迷信」として否定するというあり方がとられたが故に、もはや、その真実に目を向けることは、「妄想」をもつ側にとっても、それを病気として否定する側にとっても、難しくなってしまった。それで、「妄想」は、一般に、訂正不能と解されるまでに、「手がつれられ」ず、強固なものとなってしまったのである。

前回、西洋の場合は、大々的な「魔女狩り」があったので、それを二度と起こさないために、「魔女」に集約する形で、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定する意思が生じたことは、見えやすいと述べた。

日本の場合も、「魔女」ほどではないが、「狐憑き」にも、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」の要素はある。特に、狐その他の「憑きもの筋」による「憑きもの」は、記事『「日本の憑きもの」』でも述べたように、「魔女狩り」にも比し得るほど、そのような「おどろおどろしい」要素が強くある。

その他にも、民衆による、解放令反対一揆に伴う「被差別民虐殺の事件」や、『なぜ1-「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』の記事でもみた、西洋人やキリシタンによる「血とり」や「膏とり」の風聞による騒動など、「魔女狩り」まがいの出来事は起こっているから、やはり、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定したいという意思は、かなり強く醸成されていたということができる。

しかし、既にみて来たように、日本の場合、そのような意思が全体として実現するのには、相当な紆余曲折を経て、長い年数がかかっている。「狐憑き」が迷信として否定されるのは、「精神病院」の体制が整い出す昭和10年頃から、戦後にかけてと言うべきだし、よりソフトな、「狐に騙される(化かされる)」に至っては、1965年頃まで生きていたのである。

もともと日本は長いこと、伝統文化の世界観の中で暮らしていたので、西洋という異文化から移入され世界観を、容易には受け入れ難かったのは当然である。しかし、そのような日本でも、「精神病院」の体制が整う頃には、「狐憑き」を「迷信」として否定することを受け入れるようになるのである。この「精神病院」の体制が整うことの果たした役割は、西洋の場合以上に、大きいと言わねばならない。

大々的な「魔女狩り」の起こった西洋では、「精神病院」は、「魔女狩り」そのものが止んだ後の、実質「魔女狩り」の継続として、「魔女」と同視される「精神病者」を、収容、隔離させるシステムと言えた。このシステムがあることで、「魔女」を「迷信」として否定すること、従って、人を「魔女そのものとして狩る」ことがなされないで済んだのである。

しかし、大々的な「魔女狩り」のなかった日本では、この「精神病院」こそが、実質「魔女狩り」そのものの役割を果たすようになるのである。「魔女狩り」への反省的視点がないため、それはかなりあからさまに、「魔女狩り」そのものの様相を呈する。そして、そのことによってこそ、「狐憑き」に反映されるような、「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」とすることができるようになるのである。

実際、『幻視する近代空間』や『精神病の日本近代』も指摘するように、それ以降、「精神病者」は、(状態としてではなく)存在として病む危険な者、遺伝する病の保持者、(社会を守るため)予め収容等の措置をすべき者として、精神科医だけでなく、メディアなどで、大々的に扇動される。そして、そのような「精神病者」として「告発」された者は、「精神病院」に隔離、収容される(「狩られる」)ことを余儀なくされるのである。

だから、日本において、「世界観の根本的変化」ということに、精神医学と精神病院の果たした役割は、あまりに大きいと言わねばならない。そして、その意義は、現在においても、継続しているのである。日本の精神病院には、世界1位の数の「病床」があり、圧倒的な数の「患者」が、現在も収容されている。そして、それは、表面上どう言おうと、多くの者が認める必要に基づいているからこそである。それがあってこそ、「世界観の根本的変化」が達成され、「狐憑き」のような「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」にできたのだから、それは容易に解消されるべくもない。

西洋の「魔女狩り」では、誰もが「魔女」として告発される可能性がみえることで、「魔女狩り」は終息に向かうことになった。そのことになぞらえて言えば、日本では、誰もが「精神病者」として告発される可能性が本当に認識されたとき、「精神病者」として、病院に「隔離、収容」することも、終息に向かうようになるのだろう。

 

2023年10月 3日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 4—「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味

今回は、端的に「なぜオカルトを否定する世界観の根本的変化が起こったのか」を明らかにする前に、前提として必要になる、西洋の「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味について、述べておくことにする。

何度か述べたように、西洋の場合には、「魔女狩り」という「迷信」に支配された事件が、近代の直前に大々的に起こっているので、「魔女」に集約する形で、「オカルト的なもの」を「迷信」として否定することになる理由は、見えやすい。

「魔女狩り」が沸騰する16-7世紀頃には、民衆同士が互いに「魔女」として告発することが多く起こり、そのまま拡大すれば、互いに「共倒れ」になることが見え出す。そうすると、「魔女狩り」も急速に終息に向かうのである。

終息に向かう理由には、様々な外部的状況の変化もあるだろうが、結局は、民衆自身が、「魔女狩り」を止める必要に迫られたことが大きいのである。(度会好一『魔女幻想』も、「将棋倒し」を止めるという言い方で、魔女狩りが止んだことが明らかな村について指摘しているが、これは、他の多くの場合にも当てはまると言うべきである。)

多くの民衆は、他人を「魔女」として告発することを、控えるとともに、このような「魔女狩り」を二度と起こさないためには、「魔女」ひいては、その背後にある「悪魔」を、「ないこと」として否定する必要に迫られたということである。

民衆は、それまでの伝統文化を根本から否定するつもりなどないし、できるはずもないのだが、少なくとも、「表面上」、と言っても、それを実効性をもってなさしめる程度には、「本気」(自分自身をも丸め込む形)で、現実には存在しないもの、つまり「迷信」として否定する見方を受け入れることを、指向して行くのである。

そもそも、「魔女狩り」における「魔女」とは、キリスト教的な概念であり、「魔女裁判」でも実際に審問に関った、キリスト教の指導者たちが作り上げた観念である。

初めは、単純に、異端や異教の者の行為がもとになっていたが、15-6世紀になると、いかにも、「おどろおどろしい」、魔女がするとされる典型的な行為ができあがる。それは、「サバト」(夜宴)と呼ばれる魔女の集会で、魔女たちは、ホウキ、あるいはヤギなどの動物に乗って、空を飛んでそこに集まり、そこでは、幼児を殺して食べる。あるいはその脂をとって、軟膏を作り、魔術に使う(飛行にも使われる)。悪魔との性交や性的乱行が行われる。動物のいけにえを捧げて、悪魔崇拝の儀式が行われる、などの行いをするとされた。それらが、「魔女裁判」では、実際に「自白」や「証言」によって、具体的に示されるのである。

一方、16世紀頃から、「魔女狩り」は、先に見たように、民衆が民衆を告発するような形で広がるが、それは前にみたように、民衆が、他の民衆による、「呪い」や「魔術による攻撃」を受けたとして、告発が広がることによっている。たとえば、自分の作物が不作になったり、子供が病気になったのは、隣の「魔女」が「魔術による攻撃」を仕掛けたからである、というようなことである。

ノーマン・コーンの『魔女狩りの社会史』(ちくま学芸文庫)も言うように、魔女狩りの「魔女」観念には、この二つの系統があって、それらが合体してできたところがある。

先の、いかにも、「おどろおどろしい」サバトの光景などは、キリスト教の指導者たちの、自分らの地位や信仰が脅かされる恐れから来る、「妄想」がもとになって、作られている部分が大きい。拷問による「自白」には、当然、それらの者の誘導が反映されるし、民衆の「証言」も、たとえば公開裁判などによって、「魔女」とはそのような行為をするものであるという観念が広まったことが影響している。実際に見たのだとしても、ある種のヒステリー的な「集団幻覚」ということである。(但し、そこに「捕食者」自体の影響があったと解されることは、記事『「魔女狩り」と「捕食者」』でも指摘したとおり。)

民衆による告発は、このような「魔女」観念というよりも、他の民衆による、「魔術的攻撃」を恐れることから来ているので、そこには、サバトのような観念は、本来本質的な要素として含まれない。しかし、サバトの観念が広く行き渡れば、民衆の「魔術的攻撃」への恐れにも、「サバト的」な「おどろおどろしい」要素が加わることになる。

そして、この「サバト」の光景には、典型的に「捕食者的なもの」が塗り込められているのが分かるだろう。幼児を殺害して食べるとか、膏をとるとか、悪魔にいけにえを捧げるなどは、「捕食者」の行いそのものと言える。

実は、このサバトの光景は、キリスト教の指導者の「妄想」や民衆の「集団幻覚」がもとになっていると言っても、それらは何もないところから出て来たのではない。伝統文化の基礎にある、普遍的なものであるが故に、キリスト教がずっと恐れて来た、「異教」の信仰、「シャーマニズム」の行いがもとになっているのである。

キリスト教は、そのような異教の行いを「悪魔の行い」として否定することで、自分らの信仰を正当化しようとするのだが、民衆は、キリスト教化された中世以降も、実質「シャーマニズム」的な信仰を捨てたりはしなかったので、その必要は、むしろ中世後期以降に、高まるのである。

 たとえば、「ほうきに乗って空を飛ぶ」というのも、シャーマンは実際に「空を飛ぶ」と信じられたし、カスタネダのドンファンも、「カラスとなって空を飛ぶ」という体験をしていた。あるいは、「空を飛ぶ」のは、脱魂型のシャーマニズムで、物理的にではなく、「体外離脱」をして、霊的な体で飛ぶのだという解釈もある。ヤギなどの動物に乗るというのにも、動物的な精霊を使役するシャーマンが反映されている。

いずれにしても、そのような観念の元は、シャーマニズムに発しているし、幼児を食べるというのは、直接には「捕食者」的だが、儀式において人肉を食べたり、人狩りをする民族というのは実際にある。性的乱交というのも、儀式によっては、いくらでも行われ得るものである。動物のいけにえは、多くのシャーマニズムの儀式でみられる。

記事『「シャーマニズム」への「違和感」の理由』でも述べたように、これらには、キリスト教ならずとも、「文明人」としては違和感を抱かざるを得ないものがあるのは確かである。しかし、シャーマニズム的には、伝統に根差した根拠のあるものであり、「おどろおどろしい」要素は、実際、「捕食者」の存在を認めつつ、それとのある種の折り合いをつけるということ、あるいは「捕食者的なもの」を試練として儀式に取り込むなどのことから来るものである。

しかし、キリスト教の指導者等は、そこに「恐怖」と「おどろおどろしさ」しかみないので、それらを「悪魔」の行いとして、彼ら側の「妄想」をさらにまとわせ、「魔女」の行う「サバト」として形成していったものと解される。

それは、一言で言い表すならば、「捕食者的なもの」を、自分らにとっての「他者」または「異人」である、異教の徒に、「投影」したのである。これは、「魔女」の観念について、キリスト教の指導者の場合を述べたものだが、こういったことは、民衆であれ、誰であれ、普遍的に起こり得ることであるのが分かるだろう。

つまり、魔女狩りの本質を、一言で言うならば、「他者」または「異人」への、「捕食者的なもの」の「投影」ということに尽きるのである

「投影」というのは、ユング的に言えば、自己の内にある「影」を自分の中にあるものと認めがたいために、誰か「他の者」へと投げかけ、その者自身の性質のようにみなすことである。そして、その「投影」をした「他者」を、「悪」として攻撃し、排除するのである。

「影」というのは、単に個人的なコンプレックスのようなものではなく、普遍的な「元型」に基づくもので、「捕食者的なもの」というのは、まさにそれにふさわしい。人間が共通して持つものでありなから、誰もが認めたくない「闇の部分」であり、個人的、あるいは人間的なものを超えた、「超越的」なものでもある。

「魔女」の背後の「悪魔」には、「捕食者」という存在そのものを「投影する」ということにもなろうが、「魔女」には、誰もが内にもつ「捕食者的なもの」が「投影」される。シュタイナーで言えば、「アーリマン的なもの」であり、カスタネダのドンファンでは、捕食者から与えられた、「捕食者の心」である。

この「捕食者的なもの」は、自分らとは異質とみなされる、「他者」や「異人」に投影されやすいわけだが、特に、特別な力を思わせ、「捕食者的なおどろおどろしさ」をみかけとしても有する、「シャーマニズム」的なものに投影されやすいわけである。

そのような伝統から、多かれ少なかれ切り離されたキリスト教を代表とする文化は、シャーマニズムに「捕食者的なもの」を投影し、悪魔や魔女の行いとして、排除の対象にしやすいことになる。

一方、民衆一般は、伝統文化の影響を多く残し、村や町に住むシャーマン的な者に、治療などにおいて身近に頼ることも多いので、キリスト教的な観念を入れていたとしても、そのような度合いは少ないと言える。それにしても、特別な力や知識をもったシャーマン的な者に、頼る反面、畏怖を持ち、恐れを抱くことは当然である。

民衆が、「魔女狩り」において、他の者に、「魔術的な攻撃」を受けることを恐れるのも、「シャーマンの特別の力」への怖れがもとにある。この「特別の力」は、特に「シャーマン」において強く現れるにしても、かつては、必ずしも「シャーマン」のみではなく、多くの者が持ち得るものと認識されていた。だから、それは、たとえば隣人のような他の民衆にも、広く「投影」される基盤があったのである。

柳田国男は、『妹の力』で、日本の伝統文化においてだが、多くの女性がいかに「シャーマン的な力」をもつものと思われていたかを明らかにしているが、これは西洋にいても同じでる。魔女の典型的なイメージは、薬草や呪術的治療の知識をもつ、「老婆」であることを何度か述べたが、これはまさに、「シャーマンの系譜に連なる者」なのである。

民衆の「魔女」イメージの「投影」は、必ずしも、あからさまに、「捕食者的なおどろおどろしい」ものではないにしても、シャーマンの力を、害を及ぼす「攻撃的な面」で捉えることに基づくもので、それは、「捕食者」の性質そのものとして、「捕食者的なもの」には違いない。そして、それは、キリスト教的な観念が入るに伴い、より「おどろおどろしい」要素を付加されて、強まって来たものと言える。

つまり、民衆による魔女狩りの「魔女」の観念にも、「捕食者的なもの」の「投影」という要素はやはりある。

このような「投影」を真に止めるには、その投影を自分自身に、「引き戻さ」なくてはならない。つまり、他者に「魔女」として投影している「捕食者的なもの」は、自分自身の内にあるものであることを認め、受け止めなければならない。

記事『「魔女狩り」と「捕食者」』でも述べたように、これだけ民衆の間で、「魔女」としての告発が広がることは、結局は、誰しも、自分自身が「魔女」であることに気づくチャンスでもあった。

しかし、そのようなことは実際にはなされず、人々は、「魔女」という存在を「ないもの」とすることによって、「魔女狩り」が止むこと、あるいはそのようなことが繰り返されないことを期したのである。

この「魔女という存在をないこと」にすることは、それに「投影」した、「捕食者的なものそのものをないこと」にすることにかかっていたし、実際、真に怖れをもたらすのは、この(自分の中にもあることが示唆される)「捕食者的なもの」なのだから、まさに、それを否定することこそが、強く望まれたのである。

だから、それは、単に「表面的」な対処ということではなく、それなりに真剣な試みであった。しかし、本当に心から、「捕食者的なもの」を否定し切れるはずもなく、また、その「投影」を自分自身に引き戻したわけでもないから、以後も、「捕食者的なもの」を「他者」へ投影することは、依然として続くことになる。

それは、「魔女」という形をとらなくなっただけで、実質「魔女」の場合と変わらないような「捕食者的なもの」を投影して、「他者」や「異人」を排除することで、そのようなことは、「魔女狩り」のり終息後も、いくらも起こり続けている。そして、その「狩られる」「魔女」のいわば「代役」として、最も典型的な対象となるのは、以後、「精神病者」となるのである。

既に述べたように、「魔女」という存在をないものとすることが、実効性を帯びるには、依然として「捕食者的なもの」を「投影」される存在を、「隔離」「収容」して、人々の前から「排除」するシステムを作り出す必要があった。

それが、「精神病」を誕生させた、「精神医学」のシステムであり、「精神病者」を収容する、「精神病院」という施設である。そこでは、収容される者に対して、当初から、魔女狩りの拷問にも負けないような、「虐待」的扱いが、ずっとなされて来た。まさに、実質「魔女狩り」の継続であるが、それをあからさまな形ではなく、合法的に行うシステムとして作られたのである。

そのようなわけで、「魔女狩り」のポイントは、「捕食者的なもの」を「他者」へと「投影」して、それを「排除」しようとすることである。それが、とどめなく拡大すると、結局は、誰もが「共倒れ」になるので、それを阻止するべく、「魔女」という存在を、「迷信」として「ないこと」にすることが、受け容れられることになった

それは、「投影の引き戻し」のような、真の対処ではなかったが、それまでの伝統文化のあり方を大きく変えるものであり、それなりに葛藤の伴う、真剣な試みである。しかし、それは、多くの人々にとって、単に外部的な存在としてだけでなく、自己の内にあるものとしても怖れられる、「捕食者的なもの」を「ないこと」にするという魅力的な試みでもあった。

もちろん、「捕食者的なもの」を否定したいという人々の欲望は、かつての伝統文化においてもあったが、それまでの伝統文化の世界観では、それに対処するシステムもあり、受容的に組み込まれていたので、それほど表面化しなかった。しかし、伝統文化を保存する「共同体」のシステムも緩み、「捕食者的なもの」を抱え込むことが難しくなると、人々の、「捕食者的なもの」を「ないこと」にして否定したいという欲求も強まることになる。

それは、「魔女」として他の者に「投影」することを、(「投影の引き戻し」をすることなく)止めるとした場合、どうしても、必要なことでもあったと言える。

そこで、この時期に、「魔女」を「迷信」として否定することが、「捕食者的なもの」を否定するという欲求を満たすものとして、受け容れられることになった、と言うことができる。

一言で言えば、「魔女」というよりも、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたかったのである。

しかし、「表面上」はともかく、真にそんな望みは適うわけもないから、相変わらず、「捕食者的なもの」は投影され続け、実質「魔女狩り」に相当するものは、その後もあり続けた。そして、その典型が、「魔女」の継続者とも言うべき、「精神病者」なのである。

そして、「魔女」あるいは「捕食者的なもの」を否定することは、(それによって本当には何も解決しなかったからこそだが)結局、「オカルト的なもの」一般を否定することに繋がり、さらには、「霊的なもの」や「神に対する信仰」等、それまでの伝統文化の核心的な部分をも、否定することにまで、拡大されて行くのである。

つまりは、「世界観の根本的な変化」をもたらした、ということである。これには、「近代的自我の確立」とか、「合理思想」、「科学」への志向など、いくつかの外的理由もあるけれども、根本的なところは、「捕食者的なもの」を否定したいという「内的欲求」にあったと言うべきなのである。

次回は、日本の場合に焦点を戻し、「なぜオカルト的なものが否定されたのか」を、端的に述べて、締めくくりとしたい。

 

2023年9月19日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 3—「狐憑き」の否定から「精神病」へ

日本の伝統的世界観の象徴とも言える「狐憑き」であるが、明治以降は、「迷信」として否定されるとともに、「精神病」という見方に取って変わられることになる。その者を取り巻く世界との、「見えない」繋がりを体現する「憑く心身」から、世界から切り離され、その者の内部に閉じ込められた、「病む心身」への転換がなされるわけである。

もっとも、記事『『精神病の日本近代』―「憑く心身」から「病む心身」へ』でも触れたように、江戸期にも、儒医等、「狐憑き」を狐が憑いたものとしては否定する者もいた。ただ、その場合も、心の乱れ、「気の狂い」など、やはり、世界との繋がりを媒介するものに着目しつつ、その乱れとして、一時的な回復し得る現象とみていたので、西洋医学で言う「精神病」と捉えるのとは異なる。

また、江戸期には、「狐憑き」の存在自体は否定しないが、多くの狐憑きは、実際に狐が憑いたものではなく、そう思い込むことから来る錯乱的な反応に過ぎない、と解する者も多かったようである。

ところが、明治になると、「狐憑き」そのものを、「迷信」として否定する流れが作られる

以下、川村邦光著『幻視する近代空間』の「Ⅱ 狐憑きから「脳病」「精神病」へ」を参照しつつ、その流れを追ってみる。 

前々回みたように、西洋人が、日本人をさらって、「血とり」や「脂とり」をするという風聞が広がり、庶民による一揆などの騒動が起こるが、それをきっかけに、メディアなどで、「迷信」を貶める運動が高まることになる。病気一般について、それまで伝統として伝えられた、「民間治療」も「迷信」として槍玉に上げられ、法律としても取り締まられ、西洋医学の療法によることが、押し進められる。

精神医学についても、基本的には、似たような道を歩むことにはなったが、一般の西洋医学の療法の場合以上に、簡単には進まなかった。「狐憑き」を「精神病」とする精神医学の見方は、なかなか一般に浸透しなかったし、精神病院ができて、その「治療」(隔離、収容)が実際に機能するようになるには、相当の年月を要している

それには、一つには、精神医学自体が、当初から、西洋医学の中でも、一種の差別的扱いを受けていて、発言力も低かったことがある。そのような立場にあって、精神医学の学者等が、なかなか、一般の者への啓蒙を果たすことができなかったということである。

それには、もっともな点があって、精神医学は、当初から、知識人の間でも、根拠のはっきりしない、「うさんくささ」をもってみられていて、また「狐憑き」を否定するものであるにも拘わらず、そういうものに関わること自体が、忌み嫌われたという面もあるだろう。

しかし、精神医学の見方が広まらないのは、それだけ伝統として伝えられた「狐憑き」という見方の威力が、庶民の間では、大きかったということでもある。

それでも、それを着実に「迷信」として否定し、精神医学の「精神病」という見方を通俗化して伝えるのに、大きな力を発揮したのは、精神医学の学者ではなく、メディアだったり、「民間の真只中での咄家や広告屋・コピーライター、また忌み嫌われた巡査や役人、さらに加えると、医療のプロセスそのものと開化の象徴的建造物である病院であった」(『幻視する近代空間』)ということである。

開化を押し進めようとする層や、行政的な権力の働きかけがありつつも、庶民の近いところでも、「狐憑き」を「精神病」とする見方、あるいは「病院に収容」することで解決しようとすることを、受け容れる流れができつつあったことが窺える。

メディアでの「狐憑き」は「迷信」であるという運動の例をあげると、たとえば、明治10年の新聞の、「狐憑き退治の迷信」という見出しの記事がある。そこでは、譫語(とりとめもない言葉)を発するようになった者を、周りの者たちが狐憑きとし、打ち叩くなどの手荒な方法で、狐を追い出すということがなされた事件をとりあげ、「一天万乗(天子)のお膝元に近き土地にも今の世なお此の様な空気があるから恐れます。しかも揃いも揃いて」と締めくくられている。

前回見たように、狐憑きの者に対する「狐落とし」の療法には多様なものがあったが、狐憑きの者に対して、狂乱状態を抑えたり、憑いた狐を「追い出す」ため、かなり手荒なことがされることがあったのも確かのようである。しかし、そのような手荒な対処は、むしろ精神病院に隔離されることが始まってこそ、強められているので、このような一方的な咎めは当たらないというべきである。

何しろ、ここでは、「狐憑き」及びそれを「落とす」という伝統的なあり方を、愚かで、野蛮な「迷信」として、「否定する」ことが明確に打ち出されている。一方で、「揃いも揃いて」と表現されているように、このような出来事が、今も多く行われている現実が示されている。

さらに、明治21年出版の落語家の話で、幽霊や狐に騙されることを「神経病」とする見方が、次のように皮肉られているのが興味深い。

「怪談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございません。幽霊というものは無い、全く神経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。……狐にばかされるという事はある訳のものでないから、神経病、また天狗に攫われるという事もないからやっぱり神経病と申して、何でも怖いものはみな神経病におっつけてしまいますが、現在開けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッといって尻餅をつくのは、やっぱり神経がちと怪しいのでございましょう。」

明治21年の段階で、「神経病」という見方が相当広まっていることが分かるが、一方で、庶民はこの話を笑うということは、その見方に決して与してなかったことも分かる。ただ、例として挙げられているのは、「狐憑き」ではなく、よりソフトな幽霊話と、「狐に騙される」ことであったことには、注意すべきである。

「狐憑き」の話では、重くなって、落語の話題としては相応しくないというのもあっただろうが、「狐憑き」そのものは、幽霊や「狐に騙される」ことに比べると、庶民の間でも、それほど信じられている状況ではなくなっていたことも、窺われるのである。いわば、中間段階的な状況をよく表していると言える。

一方、明治33年頃の状況が、門脇真枝という精神科医の『狐憑病新論』という著書の緒言の記述によく現れている。

「開明の芳香は到らぬ隈もなく、匂いわたり、幾多の妖怪的迷信の次第に失せ行くに拘わらず、今なお世人の脳裡に染印(せんいん)せるものは、その狐憑病ならん。あわれ狐憑病よ、こころなき俗人等のこれを信じるはとまれ、苟(いやしく)も日新の教育を受け、みずから社会の上流者をもってゆるせる人達にして、未だなお半信半疑の状態なるは、怪しむべきことというべし。」

迷信が失せ行く状況にあっても、狐憑きは世に広く残り、「上流の知識人」にあっても、半信半疑の状態としてあったことが嘆かれている。

伝統文化の中でも、「狐憑き」の特別さが露にされるとともに、知識人の間では、少なくとも、信じられるのではなく、「半信半疑」くらいの状況になっていることが、示されている。

精神科医たちの「狐憑き」は「精神病」という見方は、端的に言えば、狐憑きは「脳の病」または「神経の病」としての「精神病」なのであり、「狐憑き」なる「迷信」を信じるから、精神を弱らしめ、暗示にかかって、ヒステリー的に、そのとおりの言動をしてしまうのである。要は、「狐憑き」を信じること自体が、「妄想」なのである。

ベルツという精神科医は、「魔女」を信じることから来るヒステリー現象である、西洋の「魔女狩り」の場合と同様の現象としている。

だから、「狐憑き」という「迷信」を否定し、排することこそが、まずもって押し進められる。一般の西洋医学以上に、「伝統文化を迷信として否定」することが、精神医学の内容自体に、直接取り込まれているのである。多くの者にとって、「うさんくさい」ものではあっても、「迷信を否定する」という効果を直接もたらすうえでは、強力で欠かせない装置であったということである。

そこには、「精神病」は「脳病」であり「神経病」であって、「脳や神経の病である」という一つの根拠(というよりイデオロギー)があり、それこそが、「病む心身」という個人の内部に全てを閉じ込める見方の要となる要素である。しかし、結局は、「狐憑き」を「迷信として否定」することが、その直接に意図されることであることを鑑みれば、むしろ「迷信として否定」するためにこそ、「脳病」や「神経病」という見方が持ち出されているのが分かる。つまりは、それまでの伝統文化を否定すること、世界観の根本的変化をもたらすことが、意図されているということである。

但し、それが、達成されるのには、それまでの私宅監禁の制度を利用して、公的に監禁の制度をもたらすことを経て、精神病院が多く設立されて、「精神病者」を収容する制度が整うことを待たねばならなかった。

元々、私宅監禁の制度は、狐憑き等の精神を錯乱させた者について、私宅にそのための部屋を設けて監禁するものだが、あくまで錯乱による言動で周りを害することを抑えるために、一時的な措置としてなされたものである。しかし、明治政府は、この私宅監禁を、「精神病」を病む者に対して、つまりは、半永久的になされる監禁のための処置として利用したのである。

精神病院法(大正8) で、精神病院を積極的に建設し、患者を収容させる施策が打ち出されるが、遅々として進まず、昭和10年頃からいくつかの都市で精神病院への収容が進み、私宅監禁が廃止されることになる。しか、それが本格化したのは、戦後からのようである。

そのようにして、「精神病」という、「病む心身」に全てを閉じ込める、「世界観」の根本的変化も達成される。この段階に至って、多くの庶民も、それまでの「狐憑き」を「精神病」として「精神病院」へ収容し、監禁すること、つまりは、「厄介払い」することを、概ね受け入れたものと言うべきなのである。

「狐憑き」という現象は、「魔女」の場合ほどではないにしても、捕食者的な「おどろおどろしい」面をかなり含んでいる。特に、害悪の面が強調される、江戸期の「おさき」や「おこじょ」などによる憑き、あるいは「狐持ち筋」による狐を飛ばされる憑きなどには、それが顕著である。そこには、やはり、「捕食者的なもの」に対する恐れが、塗りこめられていると言うべきである。

これらを、「迷信」として否定するということには、それらの要素が、かつての世界観において、全体として包まれることが難しくなった状況の変化もあるが、この時期には、率直に、それを否定したいという欲求が強まったということができる。西洋の場合には、「魔女狩り」の再現を恐れるという、かなりはっきりした理由があるが、日本の場合にも、それに類した思いがその時期に高まっていると言うべきなのである。

庶民にとっては、精神医学の見方が浸透することよりも、「狐憑き」が迷信として否定されるという直接的な効果の方が重要で、そのことによって、精神医学の見方が浸透し、受け入れられるようになって行くのである。

但し、これは、「魔女狩り」の場合と同じで、ただ「迷信として否定」しておけば済むというのではなく、実質、「捕食者」的な面を依然として表す者に対する、何らかの排除の措置がなされなければ、その意味は薄い。その処置こそ、精神医療であり、病院による隔離であるということである。そのための制度が整うことで、庶民は、「狐憑きを迷信として否定」することを、いわば安心して受け入れることができる。

その意味では、「精神病」という見方を受け容れることも、「必然」の要素として伴っていたと言わねばならない。

もちろん、庶民にとっては、それまで信仰の対象であったのだから、「狐憑き」を迷信として否定することには、相当の抵抗も伴う。この点で、もう一つ、重要な点は、よりハードな「狐憑き」は否定されても、よりソフトで害の少ない「狐にだまされる(化かされる)」ということが、存続することで、狐に対する信仰は何とか保たれているということである。

「狐にだまされる(化かされる)」が残されることで、狐への申し訳ができつつ、ハードな「捕食者的な面」は、否定することができたのである。1965年頃には、それも解消されてしまうことになるにしてもである。

そして、このようなことを通して、むしろ、「精神病」とみなされることで、排除された「捕食者」的な面は、結果として、「精神病者」にこそ、より一層塗り込められることになる。実際、「精神病」と「精神病院」のイメージは、より「おどろおどろし」く、陰惨なものになっているのである。

『幻視する近代空間』が言うように、「「脳病」「神経病」は遺伝するものであり、不治で死を待つほかないという通念ができあがり、「精神病者」は「狂暴・不潔・無恥・非道徳」といった差別の言説・属性をまとうことになった。」

次回は、これまで見て来た経過を踏まえて、「魔女狩り」の意味を再び明らかにするとともに、「迷信の否定」とはどういうことかを、改めて、端的に説いてみたい。

 

2023年9月 5日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 2-「狐憑き」と「狐落とし」

「狐憑き」については、これまでにも何度か述べてきたが、簡単にどういうものか、振り返ってみる。

「狐憑き」とは、端的に言うと、文字通り、「狐」が「憑く」(「憑依する」)ということである。日本の伝統文化では、人間が精神的に錯乱し、人格が豹変して、それまでの人格とは別人のような、奇怪な言動をするときに、それは、「狐が憑いた」からだと認識したのである。

狐の憑いた者は、たとえば、コンコンと鳴いたり、屋根に飛び跳ねて、油揚げが欲しいと叫ぶなど、実際に、「狐」のものと思われるような言動をすることも多い。憑いた狐が、「自分はどこどこの狐で、何々の理由でこの者に憑いた」と自ら明かすこともある。

そこで、そもそも「憑く(憑依する)」とはどういうことか、「狐」とは何なのか、なぜ「狐」が憑くのかなどのことが問題となる。

「憑依」というのは、何らかの「霊的な存在」が肉体に入ってとりつき、その者に影響を与えることである。その影響には、その者にとって利益となることも、不都合となることもある。

また、その影響には、様々な程度があり得るが、肉体をその者に代わって、乗っ取ってしまうということもある。その場合は、人格そのものが、取りついたものに変わってしまったということになる。その言動も、その肉体の体や口を使ってはいても、とりついた「霊的存在」のものということになる。

とりつく「霊的な存在」は、人の霊であることもあれば、狐その他の動物的、または「精霊的存在」、さらには「神々」であることもある。憑依の状態は、一時的な場合もあれば、長期的な場合もある。

その状態は、通常は、後にみるように、修験者その他の宗教者による、除霊等の儀式によって、「霊が落ちる」(肉体から抜け去る)ことによって解消される。

『精神病の日本近代』では、このように、霊的存在に憑かれる身体を、「憑く心身」として捉え、伝統文化の世界観の重要な要になることを明らかにしていた。「憑く心身」は、近代人が考えるような、閉じた(個体的な)心身ではなく、「見えない」霊的な存在が媒介となることで、共同体やそれを超えた自然等との、様々な関係や繋がりを露にするのである。

「憑きもの筋」の場合では、憑きものが憑くことで、一時的に秩序の乱れをもたらすにしても、それが解消されることで、結局、共同体や自然との関係が改めて回復されるのである。

近代人の観点からは、「憑依」は、個人の心身(自我)を脅かす、恐ろしいものでしかないかもしれないが、伝統文化の世界観では、自己を超えた世界との繋がりを、この世にもたらす、悪いものではなかった。「神々」が憑依するとによって、「託宣」として、この世界に、人間を超えた様々な知識がもたらされることもある。

但し、記事『「分裂病」と「憑依霊」』などでもみたように、他の霊が「影響を与える」には、必ずしも、「憑依」によらないでも可能で、「捕食者的な存在」などは、むしろ、肉体に入る憑依という(制限的な)方法によらないで、いわば外部から遠隔的に、様々な影響を与えることができる。

「憑依」するということは、その点では、未熟な存在であることが多く、人間であれば、何らかの恨みを持った者や、自分の状態の分からない、「さまよう霊」であることが多い。「狐」というのも、「神々」そのものというよりは、人間に近い中間的な存在だからこそ、憑依すると解されたのだと思われる。

何しろ、伝統文化では、シャーマンのような特別の能力を持つ存在が、「霊的存在」について人々に語ったり、多くの人が儀式を通して、「霊的存在」と関わるので、「霊的存在」についての知識が、長い間ずっと引き継がれて来たのである。「憑依」についても、そのような知識として、伝えられて来たので、人々が、実際に、人格が変換するような現象と出会うとき、それを霊的な存在による憑依として理解する基盤があったのである。

ただ、そこには、日本で言えば、かつてのシャーマンの伝統を引き継ぐ、「修験者」や「巫女」などの宗教者の影響も大きく、それらの宗教者が、神などに伺いを立てたり、憑依された者に問い詰めたりするなどして、これは「何々の憑依である」と宣言することが、人々にそのように理解させる理由ともなった。

憑依の状態が解消されるのも、これらの宗教者の影響が大きく、憑依された者への語りかけや説得、他の霊媒への憑きものの転換、様々な除霊の儀式などを通して、「霊が落ちる」(その者の体から去る)ことで、憑依が解消されることになる。また、滝に浸かる、神聖な場所の湧き水を飲む、あるいは物理的に痛めつける、弓や矢で脅すなどの多少手荒い行為により、「霊落とし」がされる場合もある。それらは、一種の「民間治療」として、民間の知恵としても伝えられ、あるいは寺社などに、特別の技法として伝えられもした。

それにしても、その憑依の中でも、日本で圧倒的に多く、特別の位置を占めるのが、「狐憑き」なのである。

「狐憑き」そのものは、古代からあって、文献でも、「日本霊異記」や「今昔物語集」にも現れている。陰陽師として有名な安倍晴明の母親は、「葛の葉」という名の狐だと伝えられている。

狐には、昔から、特別な力があると思われて来たわけで、また、人間との関りが深く、人間に憑く理由があると思われて来たわけである。

それは一つには、人々が実際に狐と身近に接する経験から、来たものであろう。私は、狐と身近に接したことはないので、実感としては分かりかねるが、狐には、賢く、俊敏で、超然としたところがあり、それでいて、どこか親しみやすい、和ませるところもある。特に農民にとっては、狐との様々な関わりがあり、狐は、畑や家畜を荒らすこともあっただろうが、ねずみなどの小動物を捕食することで、作物を守ってくれるものでもあった。農地を開墾することで、きつねの住処を追いやるということから、一種の後ろめたさ(祟りへの怖れ)もあっただろう。

狐は、それ自体、「神々しく」また「利益をもたらす」存在であった反面、油断のならない、畏怖させる面(祟りを恐れる面を含む)もあり、そのような両義的な感情をもたらす面こそが、人々に、身近で、多様な「信仰」を生み出すもととなったと思われる。

記事『「実体的意識性」と「ヌミノーゼ」』でも、そのような両義的な面こそが、「聖なるもの」としての「ヌミノーゼ感情」の基礎となることをみたが、狐には、そのような「聖なるもの」としての要素が、多分にあったと解される。

蛇や狼なども、昔から信仰の対象とされ、狐への信仰も、蛇や狼の信仰を引き継ぐものと解されることがある。ただ、蛇や狼は、恐ろしく、畏怖させる面が勝り、人間にとって、近づき難いものだが、狐は、親しみ易い面も多かったことから、蛇や狼への信仰を含み持たされつつ、より広がって行ったのだろう。

また、このような「聖なるもの」としての両義性は、「自然」そのものの性質でもある。人間を包み込み、様々な恩恵をもたらすものであると同時に、荒々しく、ときに災害をもたらす、恐るべきものでもある。記事『『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』』でもみたように、狐は、このような両義性をはらみつつ、包み込むものとしての自然を象徴する位置を、獲得して行ったと思われる。

人間に一番身近なはずの、人間の霊ではなく、狐の霊が憑くということが、多く広まったのには、伝統文化では、このような、人間を超える自然に対する両義的な感情が、人間への思い以上に強かったからこそと言わねばならない。

中村禎里著『狐付きと狐落とし』(戎光祥出版)によれば、「狐憑き」は、特に初期の頃は、「利益をもたらす」面が広く信じられた。狐が憑くことによって、家が繁盛したり、長生きしたり、一種の守護霊的な役割をすると解されたのである。記事『「日本の憑きもの」』などでみた、「憑きもの筋」においても、狐は、「狐もち」の筋の者に使えることで、裕福にさせると解されたことを述べたが、これも、狐が利益をもたらすという観念が基本にあるからである。

ところが、特に江戸期以降、「狐憑き」が広く信じられるようになると、「狐憑き」のもたらす害悪の面、あるいは一種の恨みや祟りの面が目立つようになる。「憑きもの筋」においても、狐は、憑いた者に対しては、他の者の恨みを肩代わりするものだったり、様々な害悪(憑かれた者を錯乱させたり、共同体の秩序を乱す面)をもたらすものがあった。

また、「憑く狐」というのも、狐そのものというよりは、「おこじょ」とか「おさき」などと呼ばれる特別の存在と解されるようになる。「妖狐」とされるときもある。これらは、「狐」の害悪をもたらたす面が特に「実体化」されて、生み出されたものと言うべきで、妖怪的な性質を持つ「精霊的存在」であることが、かなり前面に出ている。「憑きもの筋」の者が使役する狐も、このような存在と解されている。

かつて信仰された「神々」も、恐るべき面が特に表面化すると、「妖怪」のような存在と解されるようになるが、狐もそれと同じ道をたどっている面がある。

実際、「憑きもの筋」でも、差別したり、「排除」するという面は出て来るのであるが、繰り返すように、決して、そのような面のみではなく、それらは伝統文化の世界観の背景の中に包まれていて、結局は、共同体の秩序の回復に役立てられたのである。

「憑きもの筋」は、伝統的な共同体の意識が強い地域でもなく、その意識の弱まった都市的な地域でもなく、その中間地帯に発生しているということである。既にみたように、「憑きもの筋」は、共同体が抱え込む外部的な存在との共存を図るものと言えるので、それはまさにそのとおりであろう。

しかし、このような地域の「憑きもの筋」以外の場合の「狐憑き」の場合も、それが「狐落とし」によって解消されることは、「狐との関り」を通して、改めて、両義性を持つ「自然」に触れる、伝統的世界観の要となる体験をするもので、共同体やその者自身にとって、やはり、意義のあることとされることは多かったと言うべきである。

一方で、江戸期には稲荷信仰が広まったことで、狐に対する信仰も強まっている。稲荷は、元々農耕の神であるが、狐信仰と習合することで、商売繁盛の神として広まっているのである。稲荷は「神々」であり、狐は、その「使い(眷属)」とされるが、庶民の意識では、両者が混交している場合も多いと思われる。

このように、狐への信仰が強まったからこそ、反面の祟りを恐れる面も強まったとも言えるし、狐の利益をもたらす面は、稲荷に持って行かれたので、害悪をもたらす面が、特に「狐憑き」としての狐に付与されたと言うこともできる。

いずれにしても、「狐憑き」は、両義的な要素をはらみつつも、人間を超えた自然と繋がる、狐への特別の信仰があるからこそ、広まっているのである。

「狐」というのは、既にみたように、一般的な庶民の理解では、普段接している、動物としての「狐」そのもの(の霊)とみなされ、あるいは、混同ないし同一視されていた可能性もあるが、本来は、「精霊」としての「狐」のことである。

日本の伝統文化では、霊的存在としての「神々」のほか、「龍」や「河童」その他の「精霊的存在」が信じられていたが、「狐」も、そのような「精霊的存在」の一種ということである。ただ、「狐」自体は実際に存在する動物でもあるので、「狐」そのものと同一視される可能性も高かったと言える。

「精霊的存在」は、「自然」との繋がりの強い、「神々」と人間との中間に位置する、両義的な存在である。そのような精霊は、「物質化」して、あるいは何らかの形をまとって、人の前に現れることもあるのであるが、その場合、あえて狐として姿を現すことも多かったと思われる。それは、狐が、まさに身近なものとして人々に信仰されていたからこそで、「近づき難い」神々でもなく、「身近過ぎる」人そのものでもないという位置にあって、人間に触れるのにもっとも適当だったと思われるのである。このことも、「狐」が特別に信仰されることや、「狐憑き」を多く生じせしめた理由となっていると思われる。

内藤憲吾著『お稲荷さんと霊能者』(河出文庫)という本は、「オダイ」と呼ばれる稲荷の神に仕えるシャーマンないし霊能者を取材したもので、興味深く、参考になるものが多い。この霊能者は、予言や様々な霊能、物理的な超能力などを発揮した伝説的な存在のようだが、実際に交流する者として、稲荷は、「神々」であるが、その使いである「狐」は、「白狐」と呼ばれる「精霊的存在」であると言っている。

「狐憑き」については、既に述べたように、「修験者」や「巫女」あるいは、この「オダイ」の場合のように、それらの者が、起こっている現象を、「狐憑き」であると宣言し、「狐落とし」によって解消させることが、「狐憑き」をかくも広めることに作用しているということがある。

特に、江戸期の稲荷信仰が広まった頃には、「狐憑き」も広まっているが、それらに関わる「宗教者」たちが、あえて、商売や名声の獲得のために、そのような「宣伝」を広めたということは、当然あると思われる。早く言えば、「詐欺的な商法」である。また、「狐憑き」という信仰が広まり、その一般的な型のようなものが、庶民に広く行き渡れば、多くの者が、その型に沿う現象を、「狐憑き」と考えることも多くなる。「狐憑き」とされる現象のかなりのものが、このようなことから生じている可能性は高いと言わざるを得ない。

しかし、『お稲荷さんと霊能者』の場合もそうだし、現代でも、「狐憑き」が実際に生きている地方や集団はあり、その真実性を十分察知させるフィールドワーク的な研究はかなりある。また、日本以外の場合でも、「狐」ではないにしても、「精霊的存在」が「憑く」という現象は、先住民文化などをフィールドワークしたものから、実際に、その通りに解されるだけの内容をもって、多く知られている。

日本の場合にも、伝統文化が、長い間、シャーマンや一般の者の儀式などを通して、引き継いで来た、「狐憑き」という「精霊が憑く」現象は、実際にあったものとして、十分肯うことができると思うのである。

江戸期の「狐憑き」の広まりにおいても、そのすべてが集団ヒステリー的な「催眠的現象」であったり、宗教者の捏造に過ぎないなどということは、とても考えられないのである。

あるいは、「人格が変換」することは、現代では、「人格の解離」などとも解され、抽象的には、確かにそのような場合もあっただろうが、記事『マイナスエネルギーを浄化する方法』や『人格解離』で見たように、両者は、具体的には、区別することが可能である。実際に、「解離」ということではなく、「他者的な存在」が憑いたとしか考えられない場合は、確かにあったということである。

しかし、明治以降、このような「狐憑き」は、「迷信」として否定され、「精神病」とみなされることになる。次回は、その過程を、少し詳しく追ってみる。 

2023年8月 8日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 1 —「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」

「オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったか」の本論に入る。

それまでの「狐憑き」を「精神病」とみなすような、「世界観の根本的変化」は、庶民レベルで一気になされたのではなく、「迷信撲滅」の運動が繰り返されつつ、西洋医学及び精神医療の導入と確立のための様々な施策がなされることで、可能になったのである。

それまでの世界観は、先住民文化を代表として、あらゆる伝統文化が引き継いで来た、普遍的と言うべき世界観なのであり、日本の庶民も、その世界観の中で長い間生き続けて来たのである。だから、それを、根本的に変えて、新たな生活様式に変えるなどということは、簡単に成し遂げられるわけがないのは当然である。

確かに、文明開化を指向する支配層や知識人はもとより、それまで鎖国していて、外国文化をよく知らなかった一部の日本人に、西洋文明は強烈なインパクトをもたらし、伝統文化を見直して、西洋文明を取り入れる必要があると思わせたのは事実である。しかし、一般の庶民は、それまでの生活の基盤だった、伝統文化を、直ちに否定するような方向に行くはずもなかった。

それまでの伝統文化を「迷信」として否定したのは、明治維新による文明開化の必然の流れと思う人もいるかもしれないが、決してそんな単純なことではない。

文明開化を指向する政府や知識人は、マスメディアや教育の場、労働の場などを通じて、それまでの伝統的な生活習慣や信仰のあり方を、「迷信」として否定する様々な運動を繰り返し行った。また、文明開化の象徴として西洋医学を導入し、浸透させるべく、それと対抗するような、それまでの民間治療を、迷信として糾弾するだけでなく、法令としても禁止した。

「狐憑き」というのも、そのような、否定すべき迷信の代表であり、また、「狐憑き」の治療でなされた修験者その他の民間の祈祷師、宗教者などの「狐落とし」の行為も、法令で禁止されるものとなる。

そのような過程を通じて、「狐憑き」は、西洋の精神医学で「精神病」とみなされることが、民間に向けて啓蒙され、制度的にも、精神医療の実現に向けて、様々な施策を取りつつ、遂には、精神病院の設立とそれによる「治療」(隔離=排除)の態勢ができるようになる。それが確立するに及んで、概ね、「狐憑き」の「迷信」を抑え込むことができるようになったのである。

このような過程については、川村邦光著『幻視する近代空間』(青弓社)という本が、かなり詳しい考察をしている。この本でも、それまで「もの憑き」とされたものが、「精神病」とみなされることが、「近代空間」(近代独自の世界観)の成立にとって、決定的な出来事と解している。

その中で、明治期の初めに、庶民の間で、新たに入って来た西洋人やキリシタンが、日本人やその子供をさらって、「血取り」、「膏(あぶら)取り」するという風聞が広まり、それを恐れた庶民が、戸籍調査などのときに、それに対抗すべく、一揆や騒動を起こしたという事件がとり上げられている。

この事件は、「迷信」とは何かということ、あるいはそれを、「迷信として否定する」とはどういうことかということを、象徴的に表していると思うので、今回はこれを中心に考察しようと思う。

「血」とは、人間の「生命力」そのものであるし、「膏」とは、人間の「活動源」そのものといえる。そのような血や膏を、西洋人やキリシタンが、さらった日本人を逆さずりにして絞り出し、それを栄養源にしたり、売買したり、燃料にするということが信じられ、恐れられたのである。

何とも、「おどろおどろしい」話だが、このような「血取り」、「膏(あぶら)取り」とは、まさに、これまで述べて来た、「捕食者」の「生命エネルギー搾取」そのものであることが、分かるであろう。

庶民にとって、西洋人やキリシタンは、これまでほとんど交流のなかった「異人」である。「血取り」、「膏(あぶら)取り」の伝説自体は、古代からあったもののようだが、要は、そのような「異人」に、かつてからある「捕食者的なもの」が投影され、恐れられているわけである。そこには、明治維新という新たな体制が始まり、それまで続いた身の回りの伝統的な秩序が崩壊していくという、庶民の恐れと危機の意識の反映がある。

このような、西洋人による「血取り」、「膏(あぶら)取り」の風聞自体は、恐れから信じられるようになった、「迷信」そのものということが、確かに言える。実際、この事件は、「迷信」を信じることの、愚かさ、奇妙さ、恐ろしさを際立たせることになり、後に、メディアなどを通して、「迷信」を信じることを、愚かなこととして蔑み、嘲笑する、大々的運動のきっかけを与えることになる。

明治以後の「迷信」とその「否定」が、このようなものとして始まったことは、非常に示唆的である。

西洋人による「血取り」、「膏(あぶら)取り」の風聞は、それそのものとしては、確かに迷信としても、その内には、ある真実をはらんでいると言わねばならない。だからこそ、庶民の間で、一揆を起こすほどに、信じられたのである。その「真実」とは、それまでの伝統文化の中で、経験として、あるいは知恵として育まれた、「捕食者的なもの」に対する恐れと、リアリティである。

伝承の中でも、「異人」の代表は、「鬼」であるが、「鬼」とは、これまで述べてきたとおり、「捕食者」の反映そのものであり、それが、明治以後に、西洋人という「異人」に投影されているわけである。後に、「鬼畜米兵」という言い方がされたのも、そこに起原がある。

「オカルト的なものの否定」という観点から、近代の世界観の根本的な変化をみる場合、西洋の場合は、その理由がみえやすい。「魔女狩り」という大々的な事件があったからでる。

記事『「魔女狩り」と「捕食者」』、 記事『「精神医学」と「オカルト」的なもの』などでも述べたとおり、魔女狩りは、庶民レベルで共倒れをもたらすほどに沸騰し、人びとは疲弊したので、そのようなことが二度と起こらないように、「魔女」という存在、ひいてはその背後にいる、「捕食者」そのものである、「悪魔」という存在を、否定したかったのである。そのような、「魔女」や「悪魔」を否定する論理も、初めは、一神教的な神に起原をもつ「合理性」に頼らざるを得なかったが、そのような論理の発展は、結局、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」とともに、それまで人々の生活に溶け込んでいた、「見えないもの」及び「神への信仰」そのものをも、否定するような見方をもたらすことになった。

一方で、現実のレベルでは、実質的に、「魔女」そのものと変わらない、「異人性」を備えた、「社会から逸脱する存在」を、かつての「魔女狩り」に代わって、精神医学が、病院に隔離して「排除」することで担う、という体制が整うことになる。精神医学が、かつての「魔女」ないし、より広く「オカルト的なもの」一般を否定する、現実的な執行機関の役目を果たすようになるということである。

日本の明治以後の精神医学の導入も、このような背景をもつものの導入である以上、そのような意味合いを、初めから、いくらかはらむものになるとは言える。

しかし、日本の場合もまた、独自に、西洋の「魔女」に対応するような、「オカルト的なもの」の否定と排除を、精神医学の導入当初から、塗り込めていたということが言えるのである。

記事『「日本の憑きもの」』や『日本で「魔女狩り」に相当する事件』でみたように、日本の場合も、「魔女狩りに相当する事件」があることはあったと言える。その一つである、「憑きもの筋」については、次回に詳しくみるが、先に述べた、「血取り」「膏取り」の一揆に絡んで、いくつかの地方では、被差別民に対する虐殺事件(開放令反対一揆)も同時に起こっているのである。

「血取り」をする西洋人と同様に、日本の「被差別民」もまた、身近にいる「異人」の代表であり、まさに「魔女」的なものとして、恐れられたので、そちらの方に攻撃、排除の矛先が向けられたと言うことができる。

このように、日本の場合も、「捕食者」と何らかの意味で通じる「魔女的な存在」を、現実に恐れ、排除するということが、まさに明治以後にも、なされているのである。

「憑きもの筋」については、次回みるように、「排除」としての側面も確かにあるが、それは、かつての伝統文化の世界観の中に全体として包まれ、共同体の秩序を乱すと同時に回復させるシステムとして、組み込まれてもいた。

ところが、明治以後の被差別民に対する虐殺事件は、もはやそのような伝統秩序の中での対処のシステムを失っているからこそ、直接的な「魔女狩り」的な行いとして起こったと言うことができる。

そして、この事件は、西洋の場合に、「魔女の排除」ということを通して、それを解消すべくなされた「迷信の否定」が、ついには、「オカルト的なもの」、「見えないもの」一般の否定をもたらしたように、日本の場合も、その重要な流れを作り出す元となったのである。

何しろ、「魔女」という不幸をもたらす存在、さらに、その背後の「捕食者的なもの」が恐れられ、排除されるようになると同時に、その解決に向けて、結局は、「捕食者的なもの」を「ないこと」として否定すること、「迷信として否定」することによってこそ、その恐れを解消しようとしたということである。

実際には、「迷信として否定」するのは、文明開化を押し進めようとする支配層や知識人であり、「迷信」を信じたのは、一般の庶民という違いは生じているが、それは西洋のように、大々的に、両者が混在するレベルで、「魔女狩り」が起こったのではないからである。

しかし、日本の一般の庶民にしても、この事件を通して「迷信」を信じることの恐ろしさを知った者はそれなりにいたはずで、また、後の「迷信否定」の教化の影響を受けつつ、その否定の流れを決定づける、大きな働きをすることになったのは、間違いないはずなのである。

後に改めて再説するが、とりあえず、結論として、「迷信の否定」は、(科学の発展その他の外部的な状況の変化によるのではなく)それまでの世界観の中には、何とか組み込まれていた、「オカルト的なもの」、より直接的には、「捕食者的なもの」を、多くの者が、否定したかったからこそ起こったということが、本質的な理由と言わねばならないのである。

但し、迷信の否定ということは、何度も繰り返し行われて、功を奏すようになったものだった。実際、迷信の否定は、その後も、発展されて、繰り返し行われて行くのだが、次にその一つの例をみていくことにする。「狐憑き」については次回とりあげるので、ここでは、それまでの民間信仰に基づく民間治療が、西洋医学の導入に伴い、迷信として否定されていくのをみていく。

西洋医学一般も、それまでの伝統医療からすれば、全く新しい未知のものだったので、庶民はそれが導入される当初から、奇異な目で見、信用することはなかった。先の「血取り」や「膏取り」というのも、新設された、西洋医学の病院でなされるといううわさもあった。

そんな中、政府や知識層は、マスメディアや教育の場、労働の場などで、それまでの伝統的な治療が、「迷信」であるという宣伝を繰り広げることになる。初めそれは、先の「血取り」の迷信と同様、愚かしく、嘲笑すべきこととして広められる。さらに、それは、そのような迷信的な治療を信じて、西洋医学の医療を拒否する者に向けられ、そのために、治療ができず、かえって酷くなるという物語として広められていく。それまでの伝統を「迷信」とし、それに対置する形で、西洋医学の治療の正当性が強調されるようになるのである。

さらに、政府は、実際に、西洋医学的な医療に反し、それを妨害するような伝統的な民間の治療法を、罰則付きの法令で取り締まるようになる。

『幻視する近代空間』の著者は、このような迷信の否定は、決して迷信を本気で「撲滅」しようとしたのではなく、迷信を愚かなこととして嘲笑し、蔑む見方が浸透することを意図したものとする。実際、西洋医学の根拠というのも、それ自体自明なものがあったわけではないから、むしろ、それまでの伝統医療を迷信として蔑む見方がなされ、それと対置されることで、何とか正当性を獲得し、広まって行くのである。

迷信の撲滅などは、(現に今も多くのものが残存しているように)事実上無理ということもあるが、迷信は、西洋医学を広めるための道具としても、うまく利用されているのである。

これは現在でもあることで、「陰謀論」や「オカルト」などが、必ずしも「撲滅」を目指されず、むしろ、それを貶たり、嘲笑することで、近代的世界観に基づく、「常識」の正当性が、強調されることに利用される。記事『「デマ」、「陰謀論」、「オカルト」、「病気」—「ワクチンの境界」と「病気の境界」』でもみたように、ワクチンについても、「反ワクチン」的な主張が、「陰謀論」であり「デマ」であるということが強調されることで、ワクチンの正当性が印象づけられるということも、その延長上のことである。

そして、そのような迷信の否定は、明治33年以降の、尋常小学校の教科書に、見事に結実される。そこでは、子どもの感情をうまく刺激しながら、巧妙に迷信を離れ、近代的な世界を受け容れることが、求められているのである。

例えば、臆病な侍が、瓢箪をお化けと勘違いして怯えるという挿絵とともに、「迷信を避けよ」と題される話が載せられる。そこでは、子どもたちに、そんな「臆病」な態度ではなく、勇敢さを身に着けることが、求められている。子どもにとって、周りから「臆病」とみなされることは、屈辱的なことだから、「迷信」など信じていると「臆病」とみなされるという方向付けは、見事に子どもの心理をつくものがある。

さらに、「迷信物語」として、伝統的な治療法を信じる老婆が、やり玉にあげられ、それまでの民間治療を信じて、西洋医療を否定したために、病気を酷くし、失明してしまったという物語が載せられる。それは、後にも、改変されつつ、長い間掲載され、さらに酷い形態へとなって行く。

これは、それまでは、伝統的な知恵を携え、子や孫と身近に接してそれを伝える役目をしていた老婆を、愚かな者として、糾弾するのがポイントである。この点について、著者は次のように言っている。

「この物語の主人公の老婆は、明治以前、それもおそらく「天保」生まれの旧弊な「愚民」の象徴となっている。老婆ないし祖母は子ども―孫と接触する機会が最も多く、学校にあがる前の子どもに昔話や伝説を聞かせたり、一緒に寺社参りをしたりして、孫のおもり、子どものしつけに大きな役割を果たしていたといえる。「愚民」のシンボルである老婆は子どものしつけには不適切であり、学校こそがそれを担当すべきであることが示唆されている。」

何しろ、それにより、伝統的な世界観との切断がなされ、新たな西洋的な世界観を伝える学校こそが、かつてのミディアム(霊媒)としての役割を果たすようになる。そして、それを現実に執行するのが、「病気の恐ろしさ」を植えつけつつ、現実に効果を発揮する、西洋医学ということになる。精神医学というのも、この西洋医学に名を借り、乗っかることで、浸透して行くのである。

前に記事でも述べたように、魔女狩りの「魔女」とは、呪術的ともみなされる、伝統的な知恵や治療法を携える老婆こそが、モチーフとされるものだった。そのようなものが、キリスト教の観点から、「悪魔的なもの」と規定されたため、「魔女狩り」は、結局、伝統的なものを否定する強力な契機ともなった。

日本の教科書においてだが、やはり伝統的な知恵を携える老婆こそが、迷信を体現する愚か者として蔑まれるのは、まさに、この「魔女狩り」と本質を同じくすると言うべきである。

老婆という「魔女」の排除によってこそ、伝統的な世界観が切断され、新たな世界観に変わって行く、大きな契機が生まれているのである。

このように、「迷信の否定」は、「魔女」に象徴されるような、恐れをもたらす「オカルト的なもの」、「捕食者的なもの」を否定することこそを中心に成り立っている。それは、論理というよりも、「感情」に訴えかけてなされる点も、そのことを物語っている。そして、そのような「迷信の否定」こそが、伝統的な世界観を否定し、新たな世界観を受け入れて行くことの、本質的な契機になっているのである。

次回は、さらに、迷信の否定とかつての世界観の根本的変化を象徴する、「狐憑き」についてみていく。

 

2023年7月17日 (月)

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』

「オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか」の本論に入る前に、『精神病の日本近代』と同じく、このテーマに絡む重要な本を読んだので、今回はそれを紹介しておきたい。

本というのは、内山節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか(講談社現代新書)である。非常に読みやすく、分かり易い文章で、この問題について興味深く、鋭い考察をしている。私としては、共感する部分も多い。

著者は、多くの村々を訪ねて、人々に話を聞いて回っているのだが、日本人は、1965年頃までは、「狐にだまされる」ということを普通に経験していた。そういう話が、どこでも当たり前に、聞かれたのである。ところが、1965年頃を境にして、狐にだまされるという話が、現にある話として、新たに生み出されることはなくなった。人々は、「狐にだまされることがなくなった」のである。それは、なぜなのかということを問うている。

「狐にだまされる」とは、狐に悪さをされる、化かされるなどのことで、いろいろなパターンがあるが、大体において、共通する要素がある。人間は、持っていた食べ物を取られるというのが多いが、狐は、不思議な「術」を使ってだまして、その隙に食べ物を取るのである。

たとえば、急に気候が変わったので、荷物を置いて服のボタンを締めていると、その隙に狐が出て来て食べ物を取るとか、自転車が急に動かなくなったので、降りて確かめていると、狐が出て来て荷台の食べ物をもっていくなどである。

また、旅人や女性など、人の姿に化けて、話しかけ、油断させている間に食べ物をもっていくというのは、「化かされた」ということになる。この場合、最後に逃げるときは、狐の姿に戻っているので、狐の仕業と分かる。

このような話が山ほどあって、1965年頃までは、「生きていた」のにもかかわらず、その頃を境にそういう話が、発生しなくなるのである。

私も、1965年頃は、生まれて数年の頃だが、子供の頃、ちょっと昔には、「狐にだまされる」という話がよくあったことを聞いた。親や大人だけでなく、同世代の子供も、そういう話をした。しかし、現にそういうことを体験したという話を「生きた」ものとして聞いたことは、一度もないのである。まさに、そういう話がなくなる頃に、育っているわけである。

「狐にだまされる」というのは、『精神病の日本近代』で扱われた「もの憑き」の代表である「狐憑き」と同類のものだが、それと比べると、狐との関わり方や、影響の受け方が、「ソフト」な形態と言える。

「狐憑き」が「精神病」とみなされるような、世界観の根本的変化が始まったのが、明治期だが、それは、庶民のレベルで、一気になされたというわけではない。迷信撲滅の運動が繰り返されたり、西洋医学や精神病の扱いを広く浸透させることで、かなりの時間をかけてなされたのである。(この辺りは、次回にもう少しくわしくみる。)

そういうことを通して、「狐憑き」という「ハード」な形態は、かなり信じられなくなり、衰退したが、よりソフトな「狐にだまされる」という形態は、1965年頃まで、しぶとく「生き続けた」ということが言える。しかし、1965年頃には、そのようなものも、衰退するに至る。

 

つまり、1965年頃というのは、「明治以来の世界観の根本的な変化がほぼ完結した」時代と言うことができる。「狐にだまされなくなった」というのは、その象徴である。

著者は、なぜその頃に、狐にだまされなくなったのかということも、多くの人に意見を聞いて回っている。その回答は、いくつかあるが、それぞれ著者がよくまとめて、うまく説明しているので、説得力のあるものになっている。

一番多いのは、高度経済成長期の人間の変化である。1956年頃から大量生産による高度経済成長がなされて、1965年頃には、それが日本中に浸透していく。そして、その方向を進むことで、人々が幸せになることの確信が生まれていく。それまでの「自然」に代わって、「経済」こそが人間に幸せをもたらす「神」のように崇拝されるようになるのである。そのことによる人間の変化が狐にだまされることをなくしたということである。

著者は、次のようにまとめている。

「自然や神々、歴史などと自分との間に、大事なコミュニケーションが成立していることを感じながら暮らしていた人々が、その精神を衰弱させ、経済を媒介としたコミュニケーションを中心にして、自分の精神をつくりだすようになる。

そのとき、キツネからの働きかけに応じる能力を人間は失なった、と多くの人たちが推測する。」

次に、科学の時代における人間の変化ということが挙げられる。

一般に、太平洋戦争の敗戦は、アメリカの「物量」に対して、日本は「大和魂」、「日本的精神」などの精神的なもので対抗したが、それが及ばなかった結果という風に認識される。その後、科学が発展するにつれ、改めて「物量」の力が再認識され、科学で説明のつかないことは、「迷信」「まやかし」として否定する精神風土を作りだした。かつては、「大和魂」とか「日本的精神」など非科学的な信条を信じていたが故に敗戦したという「反省」を含めて、非科学的なものは誤りとみなす風潮が広がっていった。「狐にだまされる」ということも、そのような迷信に過ぎないとして、捨て去られるようになったのである。

次に、新聞やテレビ、雑誌など情報の伝達方法の変化があげられる。かつては、地域の人々の生の伝聞で情報が伝えられたが、新聞、テレビ、雑誌など全国的に画一化された情報が伝わり、共有されるようになった。かつての生の伝聞的な情報は、それらと対抗し、そのままでは信じるに値しないものとなった。それが、狐との間に成立していたコミュニケ―ションを衰退されたということである。

次に、進学率の向上により教育が行き届いたことがあげられる。近代社会の価値観を前提とする、画一的な教育が、多くの人に行き渡ったということである。

そして、次に、死んだら、神々や祖先のいる「自然」へと帰るという死生観の変化があげられる。かつてのような「帰るべき自然」を失って、狐というのも、その意味での「自然」を代表する一部ではなくなったのである。そして、生と死は、裸の個人のものに帰されるようになった。

これはまさに、『精神病の日本近代』でも言われた、「繋がりや関係のもとにある心身」から、「切り離された個としての心身」への変化ということと重なっている

著者のまとめを引用すると、

「生と死は、自然と共同体という包んでくれる世界があるからこそ成立するものであった。ところが近代社会が形成されてくると、人間は自然から離脱し、共同体からも離散するようになる。包んでいる世界がなくなったのである。包まれていた世界と響きあっていた個人が、響きあわない個人になっていったのである。

そのとき響きあっていた自然、あるいは自然の生き物たちとの結び方が変わったとしても、それは当然の結果であろう。」

「包まれていた世界」と「響きあっていた個人」というのが、「繋がりと関係のもとにあった心身」というのに対応する。そして、それが失われて、「響き合わない個人」となったというのが、「切り離された個人の心身」というのに対応している。

次に、これも上のものと関連するが、自然観の変化が挙げられる。かつては、自然は、「おのずから然る」という「自然(じねん)」という意味で捉えられた。それは、人間を包み込んだうえで、それ自体がまさにそのようにあるという、人間を超えた働きとして捉えられたのである。それが、西洋流の、人間と対立する、客観的な「自然(ネイチャー)」として認識されるようになった。それで、狐も人間をだませるようなものではなくなったということである。

あるいは、狐の側が変わったという意見もある。人間をだます狐は、「齢を重ねて霊力を身につけた老獪なキツネ」と考えられたが、森林が変化して、そのような狐が生きる余地がなくなり、元気な若い狐しかいなくなったということである。

森林の変化というのは、「拡大造林」によって、天然林を伐採し、経済的に価値の高い針葉樹の人工林に置き換えられたということである。また焼畑も消滅し、それが、かつての狐の生きる余地を失しめ、小動物対策として、新しく「養殖ギツネ」が導入されたが、それらはもはや、本来の狐の能力をもたなくなったということである。

これらの説明は、互いに関連するものだが、どれもそれなりの説得力を持っている。経済成長によって人間の見方が変わったというのは、科学の発展の結果ということもできるし、それは情報の形態の変化とも関わっている。それらが相まって、かつての世界観の根本的変化がなされたということである。そして、それは、「包まれていた世界」と「響きあっていた個人」から、「響き合わない個人」への変化という言葉で、象徴的に言い表される。それは、「繋がりと関係のもとにあった心身」から「切り離された個人の心身」という言い方とも、重なり合っている。

このような、世界観の変化は、明治期に始まったが、それが完結するのが、1965年頃と言えるのである。

前回、「科学の発達」は、世界観の根本的変化の理由とはならないと述べたが、この世界観の根本的変化の「完結」においては、確かに、科学の発達ということも、大きな理由として関わっていると言える。

明治期の世界観の変化は、近代文明の思想と技術の取入れをもたらし、「科学の発達」を浸透させたが、それは、1965年頃において、一つの「成功」をもたらし、世界観の根本的変化の完結において、大きな力を発揮した、ということである。

しかし、明治期からの変化の大きな流れとしてみるならば、それは、「狐にだまされなくなった」理由としては、十分のものがあると言えても、世界観の根本的な変化そのものをもたらす理由としては、本質的なものとは言えない。あくまで、その流れの結果として、「完結」をもたらすことに大きく貢献したということである。

著者は、「狐にだまされなくなった」理由として、世界観の根本的変化を独自に考察している。人間は、「知性」のレベル、「身体性」のレベル、「生命性」のレベルで複合的に生きている。かつては、「知性」では捉えられない部分を重視し、「身体性」のレベルでは「目に見える」自然と関わり、「生命性」のレベルでは、神々や祖先という「自然の奥」にある「見えない」存在を信じていた。そして、それが、人々の関わる「目に見える」「自然」と一体をなして、我々の元に現れるものと信じていた。

しかし、近代文明を取り入れた、1965年以降は、「知性」のレベルのみが肥大し、「身体性」や「生命性」のレベルの認識が衰弱する。従って、かつてのような見方が失われ、「狐にだまされる」ということもなくなったのだとしている。

ただし、「生命性」のレベルのことは、「目に見えない」レベルのことなので、「知性」で、それ以上、そのことに踏み込むことはできないとしている。

しかし、私は、この考えは、大枠で受け入れられるが、やはり、世界観の根本的な変化の理由としては、抽象的に過ぎるし、本質的な理由とは言えないと思う。

「生命性」という、「見えない」レベルの認識というのは重要な視点だが、それが失われるということは、要は、「オカルト的なもの」の見方が失われたということである。「目に見えない」レベルのことであっても、「オカルト的なもの」に着眼すれば、そのこと自体に踏み込むことはできないことではないし、そうしない限り、その世界観の根本的な変化の理由は、本質的なレベルで、明らかにはならないと言うべきなのである。

前回も述べたように、「オカルト的なもの」が否定された理由して捉え返して、初めて、そこに迫ることができるということである。

そういうわけで、次回は、「オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか」の本論に入っていきたい。

 

2023年7月 3日 (月)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 序 —「世界観の根本的変化」とは

今回から、何回かにわたって、前回みたような「世界観の根本的変化」はなぜ起こったのかについて、少し詳しく述べたい。

前回みた「世界観の根本的変化」とは、<「憑く心身」から「病む心身」へ>という言葉で端的に表されたように、「憑きもの」という捉え方から、「精神病」という捉え方への変化を意味した。

「憑きもの」は、憑かれる者を通して現れるが、関係や繋がりの問題であり、共同体の全体にかかわる、「外部的」な影響力の現われである。また、生霊、死霊、精霊、神々などの「見えない」「霊的」影響力の現われでもある。

それらが、「病む者」の個人的な心身の問題に帰され、「精神病」と捉えられるというのは、それまでの見方の中核である、外部的影響力も、霊的影響力も否定して、問題を個人の内部に閉じ込めるものである。このようなことが、世界観を「根本的」に変えるものであるのは、容易に理解できることだろう。

しかし、「世界観の根本的変化」とは、単に、そのような見方の大きな変化を意味するだけではなく、「物事を解釈する枠組み」が、根本的に変わったということを意味しているのである。

それは、「ある事実」というのがあって、それに対する「解釈」が変わったということではなくて、「ある事実」というものそのものを創出する、「ものの見方の枠組み」が変わったということである。

だから、前回も指摘したように、「病気」として捉えられるような「事実」そのものは昔もあって、ただそれに対する解釈が、「憑きもの」から「精神病」に変わったということではない。

「ある事実」というものそのものが、「憑きもの」という世界観の枠組みで捉えられるのと、「精神病」という世界観の枠組みで捉えられるのでは、全く異なるのである。実際、「憑かれた者」のとる言動と「精神病とされる者」がとる行動では、大きく異なるものがある。それらは、「世界観」と結びついて起こるものなので、それを抜きにして、「ある事実」として、取り出せるような事態ではないのである。

(ただ、抽象的、観念的には、両者に共通の要素が見出されるのは確かで、たとえば、「周りが問題視するほどの混乱や錯乱」、「周りの者が見たり聞いたりしないものを、見たり聞いたりする」というのが挙げられる。それが「世界観の根本的な変化」の元に、別な現象として現れ出たものとみなすことはできないことではない、ということである。)

トーマス・クーンは、『科学革命の構造』(みすず書房)という本で、たとえば、ニュートン的な古典力学から、アインシュタインの相対性理論、あるいは量子力学への変化は、科学の発達の結果、「連続的」に起こったのではなく、「パラダイム」(事実を構成する概念枠組み)の根本的な転換が起こった結果、全く新たな見方の元に捉えられるようになったことを明らかにしている。

「憑きもの」から「精神病」への「世界観の根本的変化」というのも、この「パラダイムの転換」というのと、同様なものとみなし得る。

このこととも、かかわるが、このような「世界観の変化」は、要するに、「科学」が発達した結果、当然に起こったのではないか、という見方をする人も多いと思われる。

それまでは、科学なるものがなかったので、「憑きもの」なるものが信じられたが、「科学」が発達したので、それらは「迷信」であることが判明し、「病気」という捉え方が当然になされたという見方である。

しかし、後にもう少し詳しくみるが、「科学」が発達したのは、それまでの見方が否定されて、「科学」を採用し、それを押し進めたからであって、その前からなのではない。「憑きもの」が「迷信」として否定されたのも、まだ科学が発達する前であり、「迷信」として否定するあり方も、実際、「科学的」と言えるようなものでは全くない。

むしろ、それまでの「憑きもの」のような見方を否定する、「世界観の根本的な変化」があったから、「科学」を採用し、発達させる方向に行けたのであって、それは全く逆なのである。むしろ、「物質科学」というものを発達させたいがために、「世界観の根本的な変化」を起こしたという方が、正しいのである。

従って、なぜ「世界観の根本的な変化」が起こったのかということに対して、「科学」が発達したからというのは理由にはならない

さらに、この「世界観の根本的変化」は、ある者とそれを取り巻く世界との関係や繋がりを否定し、切り離された「個人」の心身を専ら問題にするという、重要な見方の変化をもたらしたのだった。また、既にみたように、それまでの文化や信仰の基盤とも言える、「見えない」「霊的なもの」の影響力を否定するという、根底的な変化をもたらしたのでもあった。

この「見えない」「霊的なもの」の影響力の否定というのを、私は、「オカルト的なもの」の否定として、括ろうと思う。実際、「オカルト的なもの」を、一般的にみなされるように、「おどろおどろしいもの」つまり、「闇に関わるもの」とみても、本来の意味で「隠されたもの」とみても、それはよくあてはまるからである。

詳しくは、次回からみていくが、「憑きもの」にしてもそうであるように、まずは、我々にとって、「おどろおどろしい」「闇にかかわるもの」が否定されることで、「見えない」「霊的なもの」一般が否定されていくのである。

また、「隠されたもの」としての「オカルト的なもの」というのは、要は、我々の目に見えている個々の事物の背後にあって、「関係」や「繋がり」をもたらしているものであるから、その否定というのは、結局、先にみた「関係」や「繋がり」の否定という部分にも関わって来るのである。

「憑きもの」から「精神病」への「世界観の根本的な変化」というのは、この「オカルト的なもの」の否定ということを象徴する、非常に重要な事態なのであるが、問題設定としては、「オカルト的なもの」の否定ということで、より本質的に捉え返すことができる。

そういうわけで、今回は、この問題を述べる前に、序説として、注意すべき点を確認しておいた。

2023年6月19日 (月)

『精神病の日本近代』―「憑く心身」から「病む心身」へ

兵頭晶子著『精神病の日本近代』(青弓社)という本は、記事『『精神医療に葬られた人びと』の追加等』でとりあげていた、織田淳太郎著『精神医療に葬られた人びと』という本でも、よくとりあげられ、引用されていた。

基本的に、日本近代において、「精神病」という捉え方が、それまでの「憑きもの」という捉え方に変わって起こり、確立していく過程を、歴史的に明らかにしている。しかし、それだけでなく、そのような捉え方の変化は、「世界観」の根本的変化と言うべきものであったことを、明らかにしている点に、大きな意義がある。

「精神病」というのは、近代において確立された捉え方だが、それを自明なものとして、過去にもあったもののようにみなすと、「精神病」というものが、過去にはどのような捉え方をされたかという視点で、見てしまうことになる。実際、ほとんどの精神医学史は、そのような視点で捉えている。

ところが、この著書は、「精神病」が、近代という「世界観」の創出とともに、新たに「創出」された捉え方であることを、しっかりと踏まえ、それまでの「世界観」のもとになされた、「憑きもの」という捉え方から、「精神病」という捉え方へと、「世界観の根本的変化」が起こったことを、明示しているのである。

従って、「精神病の日本近代」なのであって、「日本近代における精神病」なのではない。「精神病」という捉え方を生み出し、それが実際に機能することになった、「日本近代」を問題にしている、ということである。

その変化の過程としては、それまでの「憑きもの」という、その者を取り巻く、様々な人や事象がからむ事態に、共同体的に対処し、祈祷師等の力を借りて、その状態を解消に向かわせたあり方から、そのようなものは、その者個人に起こる「精神病」と捉え直されて、その者を病院に隔離し、「治療」すべきものとされるまでが、かなり詳しく述べられている。

その間、江戸期の儒医などに、「憑きもの」という民間信仰の捉え方は、「淫祠」として否定するが、「精神病」として、治療すべきものという発想はとらないという、いわば中間段階があるのも、興味深い。

そして、最終章では、この「世界観の根本的変化」の意味が、よくまとめられている。

それは、端的に、<「憑く心身」から「病む心身」へ>の変化ということで、言い表される。こう言うと、ただ「心身」に何ものかが、「憑く」ということから、「心身」が「病む」ということに変わっただけ、と思われるかもしれないが、そこでは、「心身」の捉え方そのものが、根本的に変わっているのである。

「憑きもの」というのが、どういうもので、どういう世界観を反映するものかは、記事『日本の憑きもの』でも、ある程度明らかにした。そこには、一種の差別の意識はありつつも、憑く側と憑かれる側に2分された、独特の「憑く」という現象を通じて、村落共同体に関わる不調和な事態を解消させるシステムがあり、それによって、憑かれる者の状態も回復するのだった。

著者も、「もの憑きの世界観」と、その現象のいわば結節点となる「憑かれる心身」について、よくまとめて的確に述べられているで、少し長いが、その部分を引用しよう。

<もの憑き>の世界観では、憑くものと憑かれるものも人間に限定されていなかった。人の恨みだけでなく、神々や生霊死霊の祟りも憑くものに含まれ、それらは人だけでなく農作物や牛馬などにも憑いて変化を起こすと考えられていた。また、憑くことは決してマイナスの結果だけを意味していない。農作物の豊穣や牛馬の息災を約束する神々の加護も、その身に神々を降ろして交渉できる宗教者を通じてもたらされる。<もの憑き>自体は絶対善でも絶対悪でもなく、そのバランスがどちらに傾くかによって変化しう。る。だからこそ、この世界観で意味づけられる病気も、マイナス面にとどまるものではなかった。傾いたバランスを元に戻すことで回復可能であり、場合によっては新たな宗教者の誕生のように、逆にプラスに高めることも可能だと考えられていたのである。

 そしてそこでは、病気は自らを取り巻く「もの」との関係性、つまり天地万物との<繋がり>によって生じると見なされた。したがって、それを治すためには乱れた<繋がり>を修復すればいい。問題となる<繋がり>が地域社会でのトラブルであれば、そのトラブルを解消するために憑いたものの要求を叶える儀礼がおこなわれ、近隣の人々も<繋がり>の修復を承認する。また、先祖の罪業などによる祟りのような問題であれば、宗教者や社寺などの民間治療場が中心となって、宗教的地平での<繋がり>を修復することになる。ものが憑く心身とは、このような<繋がり>のただなかでとらえられる、きわめて可変的かつ流動的な心身だった。

 そこで問題となっているのは、憑くものが何者かという点であり、なぜ憑いたのかという理由である。その理由を解決すれば、憑いたものは離れる。したがって、問題は憑いているという一時的な<繋がり>の異変にあり、たとえ容易に治らなくとも、それが永続的なものだと見なされることはなかった。ましてや、それが憑かれた側の個人としてのありように帰因するとは考えられていなかったと言えるだろう。」

要するに、「憑く」というのは、共同体に関わる様々な人や事物、祖先、自然の精霊や神々で、それは、その憑かれた者個人のではなく、共同体全体、さらにその者を取り巻く、宇宙的ともいえる、全繋がりの中の、何らかの「繋がり」に問題が生じたことを表しているのである。従って、憑かれた者だけでなく、共同体は、それぞれが自分の問題として、その問題の解消に努めることになる。

そして、その「繋がり」の問題を、祈祷師などの宗教者の力を借りて、明らかにし、その解消に当たることによって、繋がりが回復され、それに伴って、憑かれた者自身も回復することになるのである。

アフリカの先住民の例だが、記事『クンの「癒し」と「西洋医学」』でもみたように、クンの「癒しのダンス」によって癒されるのは、個人だけではなく、共同体の全体、さらには、周囲の環境、さらに宇宙の全体にまで及ぶのであった。そこでは、癒しとは、「全てを根底から統合し、増進する力」とされている。

特に先住民文化に代表されるものの、近代以前、あるいは西洋近代以外の伝統社会の「癒し」は、多かれ少なかれ、このような面をもっている。日本の場合もまた、それに当てはまる部分があったのである。

ここで、憑かれた者の「憑く心身」とは、単に個体的な「心身」ではなく、このような全繋がりの中の、一つの「繋ぎ目」であり、そこに繋がりの問題が露わになっているというに過ぎない(もちろん、憑かれた者自身に問題があって、そうなった場合も多いだろうが、それは決して、その者自体の中で閉じているのではなく、あくまで、全繋がりの中で生じた問題として、処理される。)

だから、「憑く心身」は、「繋がり」の中の一時的な状態としてあるもので、あくまで回復可能なものである。

ところが、「精神病」という世界観の中の、「病む心身」では、「繋がり」という視点はとり払われ、専ら、切り離された「個人」の「心身」が「病む」とされ、その個人の内部に閉じられた問題となる

それは、実際上、かつてのような、回復という方途を取り払われたも同然だから、その「病む」状態は半永久的にその者個人に帰せられ、その者は、過去、現在、未来にわたり、いわば、「存在」として「病む者」とみなされることになる。

人格への懲罰の意味をもつ、刑法の犯罪の主体ともされず(人格をもつ者とすらみなされず)、専ら、ただ社会にとって「危険な存在」として、犯罪も何もない段階で、未然に処置すべき存在とされる。

これらは、要するに、かつての「繋がりの問題」を、全てその者個人の問題に帰すことで、その者を「スケープゴート」(生贄の子羊)としているのも同然である。その者を、「病む者」とすることで、社会から隔離し、「葬り去る」ことで、社会その他の問題を、浮上させることなく、その者とともに、「葬り去る」ことができるのである。(もちろん、表面上であって、根本的な解決にはならない。)

記事『「うつ」と「自殺」の問題』でみたように、自殺の問題を、うつ病という病気の問題として済ませることは、現代でも続いている、その典型的なあり方である。

「精神病」は「脳病」とも称せられたように、「病む心身」における「心身」というのは、「脳」を中心にして見られることが多い。

ただ、当時は、すべてを「脳」に収めるほどの知見はなく、逆に、一種の反動として、「スピリット」の問題としてみる流れも生み、大本教のような多くの知識人を巻き込んだ宗教も生じた。ただし、それも弾圧され、全体としては勢いを衰えさせるが、「スピリット」ではなく、「サイコ」という立場から、「病む心身」をみる立場が、代わって台頭した。心理学や精神分析などである。

これらは、「スピリット」的な面は周到に排しつつ、「脳」では十分汲み取れないようなものを、そこに汲み取ることで、結局は、「切り離された個人」としての「病む心身」という近代の世界観を、強く補充させることになった。

現在では、もはや、単純に「脳の問題」とする方向が主流だが、いずれにしても、<「憑く心身」から「病む心身」へ>という世界観の根本的な変化が行き渡った結果なのである。

このような、世界観が行き渡った中にいると、「精神病」とか「病む心身」であることは、自明のことのように思ってしまうが、それは、このような世界観の根本的な変化の結果もたらされたものであることを、まずは、はっきりと認識することが必要である。

しかし、この著書も、「なぜそれが起こったのか」という点には、踏み込まれていない。

そこに踏み込むには、どうしても、かつての「憑き」というものが、「迷信」として否定されるに至ったこと、さらには、「オカルト的なもの」一般が忌避されるに至ったことに着目し、その意味を明らかにしなければならない。

既に何度か述べたことだが、次回ももう少し、この問題に踏み込んでみたい。

 

より以前の記事一覧

新設ページ

ブログパーツ

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

コメントの投稿について

質問の募集について

無料ブログはココログ