文化・芸術

2022年12月 9日 (金)

ウイルスは「感染しない」ということ

ミナミAアシュタールのアシュタールは、ウイルスは「感染」するのではなく、ウイルスに、波動的に「共振」することによって、人体内に呼び込まれるのだと言う。従って、マスクや消毒などの(物理的)予防策は、まったく無意味としている。(ミナミAアシュタール著『アシュタール 宇宙の真実』)

一見常識はずれの説のようだが、実は、これは、前に記事『支配層にとってのワクチンの意味』で述べたように、シュタイナーの細菌やウイルスに対する見方と、ほとんど同じである。

シュタイナーは、「同情」によって、「ウイルスをもたらす土壌が、自分の中に作り出される」ということを言っているのだった。この「同情」は、感情的な面に重きをおいた言葉で、もっと広くは、「同調」あるいは「共振」というのがふさわしいのである。

要は、どちらも、ウイルスは、物理的なプロセスをたどって人体に「感染」するのではなく、波動的な共振によって、内部に(瞬間的に)「移動」する、あるいは、「物質化」するということである。

このように、ウイルスが、単純な物質ではなく、知能や意思を備えた存在であることは、バシャールなども指摘していたし、A・ジョルジェ・C・Rは、さらに、ウイルスが、物理的なプロセスを超えて出現することも、述べていた。

記事『支配層にとってのワクチンの意味』で、その部分を引用していたが、それをもう一度再掲しておこう。

「ウイルスは共振の法則により集まります。生き方、考え方、意識、感情、生活習慣などが関係します。彼らは人が良いエネルギーで振動しているか、良くないエネルギーで振動しているかが分かります。意識があり、とても賢いのです。彼らは、人が考えるように飛ぶ必要はありません。アストラル界、もしくはエーテル界から出現します。風も空気も必要ありません。

薬や添加物といった化学物質、甘いもの、動物性脂肪などは彼らの大好物です。波動が低いからです。そういったものはオーラや血液を汚し、胎内で毒素を作ります。彼らは毒素のエネルギーを食べます。毒素が多ければ多いほど、彼らにとっては天国です。エネルギーを多べるので、人体の良いエネルギーまで食べてしまいます。すると人は空っぽになり、もっともっと食べたくなります。彼らはそのようにしてエネルギーを吸収して、人の意識をコントロールします。」

ウイルスというのは、発見されたのもつい最近であり、「遺伝情報を備えたミクロの物質または生命」であることは分かっているが、いまだ分からない部分も多い、謎の存在である。

実際、その「未知性」こそが、多くの恐怖をもたらす要素となっている。

そして、それは、やはり、上にみたように、ウイルスが、単純な物質ではないことを物語っているものと言うべきである。

但し、私は、ウイルスが、「単純な物質ではない」としても、「物質的な性質や移動プロセスを取らない」ということではない、ということは考えられると思う。つまり、ウイルスが、「物理的に」「感染する」ことは、あるのかもしれないと思う。

私は、ブログ『オカルトの基本を学ぶ』の記事『「相対性理論」との関係』で、光や素粒子、また電磁波は、「物質的なものと霊的なものの境界上に存在するもの」と述べていた。多分、ウイルスは、生命体という観点からみたときに、同じような意味で、「物質的なものと霊的なものの境界上に存在するもの」なのだと思う。

生命体として、各種精霊や、イエティなどの未確認生物も、いわば、「物質的なものと霊的なものの境界上に存在するもの」である。しかし、これらは、霊的な領域の方に重点があり、いわば、物質的な領域との「行き来」が比較的自由にできる存在である。

ところが、ウイルスは、ミクロの存在であることもあって、「本質的に」「物質的なものと霊的なものの境界上に存在」しているのだと思う。

いずれにしても、ウイルスは、「物理的に感染する」こともできるし、「共振により(瞬間的に)移動または物質化」することもできる、という両義的な在り方をしているのではないかと思われるのだ。

だから、その場合には、必ずしも、「感染しない」、あるいは「感染ルートがない」というわけではないことになる。予防策としてのマスクや消毒も、完全に無意味という訳ではないことになるかもしれない。

しかし、この当たりも、微妙な要素がある。

「物理的に感染する」と言っても、それは、人間の内部の側、特に免疫の状態に左右されるし、心理的な要素も多分に影響する。「同情」や「不安」「恐怖」など、ウイルスに対する「同調」や「共振」をもたらす心理状態は、当然免疫状態を弱めるから、物理的感染においても、感染しやすい状況となる。

一方、ウイルスに対する「同調」や「共振」は、現にウイルスにかかっている人物を前にすることで、起こりやすいだろうから、結局は、濃厚接触など、物理的感染の起こる状況と似た状況で起こりやすいことになる。だから、これらは、互いに絡み合って起こるもので、容易には、区別し難いことにもなろう。

とは言え、改めて注意すべきは、「物理的な感染」のみではなく、「同情」や「不安」「恐怖」など、ウイルスに対する「同調」や「共振」に注意を向けなければならないということである。そして、結局、総体としてみれば、後者の、「ウイルスに対する「同調」や「共振」」こそが、ウイルスを呼び込むうえでは、重要な要素になるはずだということである。

 

2022年10月28日 (金)

「イニシエーションなき社会」と統合失調症-「死」の意義

記事『一過性の現象としての「統合失調」』で述べたように、「統合失調症」なる「病気」は、近代になって初めて現れた(作られた)もので、それ以前の伝統社会には、存在していかなったものである。特に、先住民文化においては、一時的な錯乱状態としてしか知られていなかった。

その要因を、記事では、伝統文化においては、そのような状態に陥った者を、集団全体で対処し、解消する、「集団的癒し」のシステムが生きていたからだ、とした。たとえ、現代で言えば、「統合失調状況」に陥る者があっても、「集団的癒し」のシステムの中で、その状態が解消されるので、それは大きな混乱に発展せず、長期化することもなかったわけである。

逆に言えば、この「集団的癒し」のシステムを失った(捨てた)ために、近代においては、それは大きな混乱をもたらすものとなり、対処の仕様もなく、長期化するものになった。それで、「病気」というレッテルを貼るともとに、精神医療という別のシステムを作り上げて、それを囲い込む必要が生じたのである。

ただし、注意すべきは、この「集団的癒し」のシステムは、事後的に、「統合失調状況」に陥った者になされることで、作用するものである。

近代以前、特に先住民文化において、このような状況が、一時的な錯乱状態で終わっていたのには、もう一つ大きな理由があるそれは、そのような伝統文化においては、誰もが受ける、成人儀礼を代表とする、「イニシエーション」の儀式があったからである

「イニシエーション」とは、「死と再生」の過程とも言われ、何ほどかのレベルで、「死」を体験させ、それをくぐり抜けることで、それまでの自分に死に、新たに、「生まれ変わら」せるというものである。これらの儀式には、そういった過程が、必ず組み込まれているのである。(1)

そして、その「死と再生」の過程、特に「死」との直面は、記事『成人儀礼としての分裂病』でもみたように、「統合失調状況」に陥ることと、本質的には共通するものである。それで、「イニシエーション」の体験を経た者は、その経験を通して、「統合失調状況」をも、くぐり抜けやすくなるわけである。

このような、かつての「イニシエーション」を伴う儀礼は、やはり、近代になって失われた。儀礼は、残っているとしても、形式的なものとして、形骸化したのである。それで、近代人は、予め、「統合失調状況」を、疑似的にでも、体験する機会がなくなった。それで、実際にその状況に陥ると、なすすべもなく混乱し、その過程をくぐり抜けることは、難しいものになってしまったのである。

河合隼雄は、近代のこのような状況を、「イニシエーションなき社会」と言っていた。統合失調症に限らず、この「イニシエーションなき社会」が、現代の、多くの精神的な病の発生に大いに影響しているし、「大人」になり切れない、若者の様々な問題を生んでいる。そして、特に、死を急ぐというか、死を希求するかのような、自暴自棄的な行為に走る、若者の増加を生んでいることを、指摘していた。

フロイト風に言えば、「タナトス」(死の欲動)につき動かされる若者であり、これは、前に述べたように、私自身、まさしくそうだったので、身につまされる。

繰り返すが、かつての「イニシエーション」は、ともあれ、何ほどかのレベルで、「死」を体験させるものだったということが、重要な点である。「死と再生」というのも、「死」の体験がはっきりとあってこそ、「再生」ということも、起こり得るのである。

この「死」の体験を、近代人は、失ったので、「死」は、観念的に、想像するしかないものになったのである。

それで、「死」とは、単に、人生の最後のときに訪れる、「肉体の死」を意味するものでしかなくなった。それは、生きているときには体験できない、「未知のもの」となったので、当然恐怖をもたらすが、同時に、ある種の「魅惑」をもたらすものともなったのである。死の体験をできない若者は、そのような「死の魅惑」に、無意識に、つき動かされることにもなる。

さらに、唯物論的発想が広まると、その「死」とは、単に、自分という存在がなくなること、つまり「無」になることを意味するだけのものになってしまった。「死」というものが、未知のものであると同時に、ある意味で、分かり切った、薄っぺらなものになってしまったのである。

このような状況では、「死」そのものに「深み」があるという理解など、望むべくもない。

「イニシエーション」における「死」を、近代人は、「象徴的な死」などと言うし、河合もそのように表現していた。それは、「肉体の死」が「死」という理解だと、それそのものではないということで、そういう言い方がされることになる。しかし、記事『癒しのダンス』の最後のところで、先住民の者が明確に語っているように、それは、「肉体の死」と同じ、「死」そのものの体験である。

ただ、その「死」には、「深み」があり、それは、必ずしも、「肉体の死」を伴うとは限らない。だから、生きているときにも、体験できるし、むしろ、「肉体の死」というのは、「死」の深みからすれば、浅いレベルの体験ということになるのである。(2)

このように、「死を知る」ことは、現代人にとっては、禅の考案に等しい難問となったことを、記事『公案の2「死」とは何か』でも述べていた。

先にみたように、現代人にとって、「死」は、未知のものとなり、観念的な恐怖をもたらすものとなった。「統合失調状況」も、まさに、そのような「死」そのものが、何ほどかのレベルで、顔を覗かせる体験である。それまで、「死」と直面したことがなく、それを通り越したことがない現代人は、恐怖と混乱に翻弄されて、振り回されざるを得ない。その恐怖と混乱は、自我を崩壊(解体)させるほどのものとなり得るし、同時に、それを防ぐべく、強固な「妄想」にとり憑かれることにもなる。

しかし、逆に、「イニシエーション」を受けることは、必ずしも、「死を超える」ことではなく、「死」というものを、「体験的に知る」ことであることに、注意すべきである。それは、「死」が、即「深みから知られる」ことではなく、「深みがあること」を知ることであり、率直に、「恐るべきもの」と、知ることでもある。「死」は、「未知のもの」であり続けるし、「恐怖」ではあっても、それは、現代人の、「観念的恐怖」とは、明らかに異なっている。体験に基づき、実質を捉えた、「恐怖」というより、「畏怖」なのである。

成人儀礼で、「大人」になることは、「死を知る者」となることでもあることは、記事『成人儀礼としての分裂病』でも述べていた。

このように、「死の深み」を知り、「恐るべきもの」であることを、正面から認めて、それを引き受ける態度は、「統合失調状況」をくぐり抜けるうえでも、重要なのである。少なくとも、そのような態度がある限り、「統合失調状況」は、恐怖と混乱に振り回されるだけのものとはならない。

そういうわけで、伝統文化には、事後的な「集団的癒し」のシステムの他に、予め、疑似的に、「統合失調状況」の体験をできる、「イニシエーション」の儀式があったことも、「統合失調」なる病気のなかったことの、大きな要因である。

とは言え、河合も言うように、現代に、かつての、集団的な「イニシエーション」を復活させることは、もはや無理だし、望ましいことでもない。

だから、このような「イニシエーション」に相当する体験は、個人において、何らかのし方において、獲得されなくてはならない。河合は、夢や、心理療法、さらに最近増えている「臨死体験」などが、こういったものの代わりになり得ることを述べている。

しかし、さらに言うと、現代においては、「統合失調状況」に陥り、それをくぐり抜けることそのものが、かつての「イニシエーション」体験の代わりになるということも、言えるのである。というか、「イニシエーション」儀礼が失われた現代においては、そうするしかないのである。(3)

これまで述べて来たように、「統合失調状況」に陥り、それをくぐり抜けることは、現代においては、容易なことではないが、今後、社会全体の「ものの見方」が変わり、ある程度の支援が受けられるようになれば、十分可能性のあることである。

1 「死と再生」の過程をもつ「イニシエーション」の具体的な例については、記事『僕のイニシエーション体験』や『癒しのダンス』で、かなり詳しく述べているので、参照してほしい。また、前回述べた、バンジージャンプの起源となった、バヌアツの島の成人儀礼もその例である。

  垂直的方向の「死」には、「深み」があり、従って、「死と再生」といっても、それぞれのレベルでのものがあることは、記事『「イニシエーション」と「垂直的方向」』で述べているので、参照してほしい。

  精神科医でも、「統合失調」の本質を「イニシエーション」と捉える者はいて、その代表がR.D.レインであり、日本では加藤清である(記事『「疎外」からの「逸脱」/『経験の政治学』』、『加藤清の「狂気論」「治療論」』参照)。また、民俗学者赤坂憲雄が、「統合失調」を「イニシエーション」の観点から、的確にまとめていることを、記事『「物語としての精神分裂病」他』で述べた。

2022年8月18日 (木)

日本人のコロナ恐怖は「世間」絡み

安倍元首相の暗殺事件は、やはり、山上容疑者の個人的な思いつきによる単独犯とは、とても解せない状況である。だが、政府や警察からは、重要な情報が出されず、メディアは、旧統一教会の問題にすり替えていて、この問題を追う気がない。結局、真相は、このまま闇に葬られるのが明らかである。

ただ、ユーチューブ等では、この問題の真実に迫るべく、独自に追及している人が何人かいるし、ミナミAアシュタールは、近いうちにこの問題について言及するそうなので、いずれ、それらを踏まえつつ、私もいくらか、改めて考えを述べることにしたい。

今回は、日本人のコロナ恐怖とは、「世間」絡みの恐怖であり、だからこそ厄介で、捕食者の戦略にもハマり易いものであることを述べたい。

コロナは、感染者数は相当に増えたが、当初より確実に弱毒化され、重症化する割合は非常に少なくなっている。新型コロナウイルス感染症対策分科会の有志ですら、インフル並の対策への変更を提言している状況である。また、厚労省ですら、この夏、熱中症対策を踏まえて、外ではマスクを外すことを提言している。

しかし、ほとんどの日本人は、この暑い夏の日ですら、外でもマスクを外そうとしない。それは、コロナそのものを恐れる故かと言うと、決してそんなことはない。もはや、十分明らかになっているように、コロナ自体の「実質」が問題なのではない。問題は、コロナ自体なのではなく、あくまで、「世間」との絡みでの、「コロナ」なのである。

 それは、「世間」が「コロナ」というよりも、「コロナ感染者」とみなされた者、あるいは、その疑いをかけられた者をどう扱うか、ということであり、世間にとってのコロナ」ということである。

この長い間に、メディアを主として作られた、コロナについてのイメージは、その実質がどうあろうと、そう簡単に変わるものではない。それは、実際の症状よりも、世界を騒がす、強力な伝染力の方に、恐れをもたらす重点がある。症状として、はっきり現れていなくとも、あるはむしろ、そうであればこそ、感染者として、人に移す/移される可能性があることが問題である。

「コロナ感染者」とみなされた者、あるいは、その疑いのかけられた者は、「世間」から嫌がられ、排除され、のけ者にされることが、多くの者にとって、手を取るように分かるのである。

それは、かつてであれば、「穢れ」をもたらすもの、あるいは「エンガチョ」をつけたものとして、差別された者である。

今の日本人にとっても、その習性は、決してなくなってはいない。日本人にとって、「世間」というのは、唯一の宗教的権威と言っていいほどの、力をもつものであることは、何度も述べたとおりである。本当に怖いのは、その「世間」から排除されることなのである。

マスクというのも、実質、コロナの感染(移す/移されること)を防ぐかどうかというのは、大した問題ではない。ただ、一般に、そう思われている、あるいは、「そういう意味づけを与えられている」ことが重要である。マスクは、目に見える形で、自分がコロナ感染に対して、ちゃんと対策をとっている者だということを、世間に向けてアピールのできる、「印」なのである。

ほかにも、ワクチンや手洗いなどのコロナ対策とされるものはあるが、それらは、必ずしも、人に対して見えるものではない。しかし、マスクは、人に対して、目に見える形ではっきりと示すことができる。マスクをすることは、「世間」に対して、「私は、世間の真っ当な一員として、コロナ排除の意思を共有する」ということを、アピールする、重要な示唆なのである。逆に言えば、マスクを外すなどということは、世間を尊重しない、とんでもない行いである。

マスクをつけていることが、コロナ感染者でないことを意味するわけではないし、コロナ感染者にならないことを意味するのでもない。しかし、マスクをつけていることで、たとえコロナ感染者になってしまった場合にも、世間に対して申し訳が立つし、世間の側も、やることはしたうえでの仕方のないこととして、許すことができる。いわば、マスクは、「免罪符」のようなものでもある。

そして、そのように、世間に対してアピールのできる場とは、外を出歩くときこそである。この場合の「世間」とは、具体的には、近所の人や知り合いなどだが、そういう人たちに、あいつはマスクをしない、世間の掟を守らないやつだと思われたら、大変である。

だから、むしろ、「外を出歩くときこそ、マスクは外せない」のである。

「外を歩くときぐらい、マスクを外そう」ではないのである。

多少、大げさに聞こえるかもしれないが、これが現実であり、日本は、今も相変わらず、「世間」に逆らうことの難しい国であることを、改めて実感せざるを得ない。

今後もコロナが、実質恐いものでないことがますます明らかになっても、一定の感染力があって、多くの人の注目に上るものである限り、この事態は変わることはないだろう。変わるとすれば、コロナの感染力が、大きく落ちて、しかもかなりの長い間、そのまま何もなくなり、話題にも上らなくなったというような状況だろう。これは、政府もメディアもそうする気がないから、当分は望めない状況である。

もし、今の状況で、マスクを外すというなら、「世間」みんなが全体で号令を掛けて、一斉に行うぐらいでないと、無理だろう。「コロマスク みんなで外せば、こわくない」というわけである。

そもそも初めの頃は、コロナは、諸外国に比べて、日本人にはあまり作用できずに、大した感染状況も、症状も与えられないと思われていた。それは、確かにそのように見えたが、ここに来て、オミクロン株になったとき、むしろ日本人にこそ、大きな影響を与えるものとなった。実際、諸外国では、インフルや風邪と同じ扱いで、特別の扱いの必要でなくなったところが多い。しかし、日本では、そうはいかない。それは、「世間」が絡むからである。

コロナと似たような症状を発して、疑いをもたれる状態は、耐えがたいから、多くの人は、まじめに検査を受ける。症状がない人も、気になる人は、検査を受ける人も多い。それで陰性の判定を受ければ、一安心だが、陽性であれば、ちゃんと人から離れて、治療なり、療養をする。世間に対して、やるべきことをやり、申し訳が立つことが重要なのである。

そうやって、多くの人が検査を受けるから、ますます感染者数は増え、医療はひっ迫し、感染力の見かけが減ることはない。

そもそも、コロナそのものは、大したものではなくとも、その恐怖を必要以上に煽ることで、パンデミックを起こし、混乱と自由の剥奪をもたらすことが、捕食者の狙いだった。このやり方は、初め日本には、あまり適合しなかった。しかし、今や、この狙いは、日本にこそ、大きくハマるものとなった。

記事『日本人は皆「捕食者」を知っている!?』や『「世間」との「折り合い」』で述べたように、日本では、「世間」の背後にこそ、「捕食者」が潜んでいて、世間を通して、我々に働きかけるからである。コロナも、それ自体ということではなく、この「世間」を通してこそ、特有の恐怖と混乱を与えることができるのである。

日本人にとって強力な、「世間という神」こそが、改めて問題にされなければならないということである。(なお、日本人にとって、「世間」とは何かを問うものとして、記事『「人と人の間」と「霊界の境域」』、及び『「世間教」の二本柱』も参照のこと)

 

2022年4月 2日 (土)

「そんなことある?」

記事『「あり得ない」という言葉も死語』で述べたように、かつて若者によく使われた「あり得ねぇ」という言葉は、もはや死語となり、使われなくなった。そして、最近それに代わって、同じような意味合いで使われ出した言葉がある。それは、「そんなことある?」というものである。

かつての「あり得ねぇ」という言葉の使われ方や、それが使われなくなったことについて、記事では次のように述べていた。

ここでは、「あり得ない」は、もはや「絶対あり得ない」ことではなくなっている。言い換えると、「あり得ない」と言っても、もはや「絶対あり得ない」などということは、「あり得ない」ので、「あり得ない」という言葉が、実際には、「あり得る」ことに対して使われているのである。それは、反語的な強調の意味だとしても、そこには、「あり得ない」ということの、それ自体の「危うさ」、「相対性」のようなものが、はっきりと塗りこめられている。つまり、この世代の若者にとって、「あり得ない」という感覚は、もはや「自明」のものではなく、「あやふや」なもの、「みかけ」上のものでしかなくなっているのである。

それは、明確に意識されたものではないにしても、かつて、「絶対あり得ない」などということが、容易に信じられたことからすれば、むしろ、真をついた、一つの感性的な「進化」といえる。

ただし、ここでは、まだ一応、「あり得ない」という言葉が使われてはいる。それは、もはや、「揺ら」ぎ、「あやふや」なものにはなっているけれども、「あり得ない」という感覚自体は、まだ「あり得る」かのように使われているのだ。

しかし、その後最近は、もはやこの「あり得ない」という言葉自体が使われることもなくなった。ほとんど死語になったと言ってもいい。

つまり、この流れは、ここに至って、ついに、「あり得ない」などということ自体が、「あり得ない」ことになったのだ。言い換えれば、「どんなことでもあり得る」という感覚の方が、現在では、むしろ、多くの若者の感覚に沿うものになっているのだ。

この「あり得ない」などということ自体が、「あり得ない」という感覚は、その後さらに進んで今に至っている。そこで、かつての「あり得ねぇ」という言葉に代わって、それと同じような意味合いで、「そんなことある?」という言葉が使われ出しているのだ。

もはや、「あり得ない」などということが、「あり得ない」だけではない。そこには、「ある物事が<ある>か<ない>かなどを、容易に決められるものではない」という感覚がある。そんなことは、客観的に確定できるようなものではなくなっているのだ。

だから、この言葉を使う側も、「ある」とも「ない」とも断定せずに、「そんなことある?」と、疑問形で人に問う形になっている。そんなことは、「なかなかない」というレア感、あるいは、あるにしても可能性の薄い感じはありつつも、それ以上のことは言えないので、疑問形で、人に問うことしかできないのだ。

要は、この言葉は、「ある物事が、<ある>か<ない>かなどは、結局、人のものの見方、感じ方によるしかない」ということを指し示しているのである。

このような若者の感性は、かつて以上に、「ある」とか「ない」ということの「真実」をつかんだ、適切なものと言うべきだ。

私のこのブログで述べていることも、当初は、「そんなこと(絶対)あり得ない」という思いで読んでいた人が多かったに違いない。しかし、記事『「あり得ない」という言葉も死語』を書いた頃には、もはや時代は進み、必ずしも「あり得ない」という意味ではなく、「あり得ねぇ」というくらいの感覚で、受け取られ始めていたのでもあろう。

そして、現在はというと、……そう。「そんなことある?」という感じで受け取っている人が多くなっているはずなのだ。

2022年1月22日 (土)

オミクロン株は低年令層と圧倒的感染者数の増加狙い

記事『衆院選とコロナの今後』で見込んでいたとおり、新型コロナの感染者数が、日々飛躍的に増加する状況になって来た。

オミクロン株は、感染力は強力だが、重症化する割合が低いとされ、無症状の者も多いとされる。また、感染者は、低年令層の若者や子供に多いのが特徴とされる。

デルタ株が、重症化率が高く、それまでの高齢者や持病のある者以外にも、その脅威を広めたことと比べると、かなり弱小な感はある。

しかし、オミクロン株の狙いは、これまであまり脅威の対象とできなかった、低年令層と、感染者の全体に占める割合を飛躍的に高めること(圧倒的な感染者数)にあると思われるのだ。

これらを達するためには、対象のかなり絞られる、重症化することよりも、症状はどうあれ、とにかく「感染者」を広めることが必要である。そのためには、あまり特定の症状に限定せず、無症状の者を含めて、広く感染の疑いを持たせることが必要だ。そして、広く検査を受けることを促し、検査数を大幅に増やすことが前提となる。

日本では、衆院選前に、一旦、検査数は相当減らされたので、その分を穴埋めしなければならないし、この方法は特に効果を発揮する。

コロナについては、重症化すると結構怖いということ、若者にも広く感染するということは、デルタ株で十分示せたので、重症化しにくいとされるオミクロン株にも、そのような潜在的な脅威は十分与えられるのだ。

ワクチンとの関係でも、オミクロン株のこのような性質には、意味がある

もし、オミクロン株がデルタ株以上に、症状的にも強力だった場合、もはやワクチンの意義は崩壊するだろう。ワクチンを打っても、そのような強力な株に感染するというのなら、ワクチンには何の意味もないのが明らかだからだ。

ところが、重症化しにくいオミクロン株なら、感染という点はともかく、ワクチンで重症化は抑えられるという点は、何とかみかけ上維持し得る。

そもそも、新型コロナ騒動を長い間継続し、ワクチンを何度も打たせようとする場合、ワクチンで感染症が防げるという「神話」が、ある程度崩れることは見込まざるを得ない。ワクチンの効果が強力にあって、一回のワクチン接種で感染症が収まるとするなら、コロナ騒動を長引かせることなど到底できない。

だから、「ワクチン神話」はある程度犠牲にしつつも、ワクチンの効果に頼らざるを得ないという程度には、ワクチンの効果を残存させつつ、巧みに騒動を長引かせているのだ。つまり。ワクチンを生かしつつ、騒動を長引かせるには、今回のオミクロン株のようなものである必然性があるということである。

実際、日本政府は、ワクチンの三回目接種ばかりか、ファイザー製のワクチンを511才の子供へ接種することをも承認した。ワクチンの効果を認め、半強制的な接種を促すことは、少しも緩めようとしていないのだ。

一方、日本政府は、ワクチン二回接種の者にも感染が相次いでいるとして、ワクチン接種証明、陰性証明による制限緩和の措置は当面停止した。ただ、全員の陰性証明提出で、5人以上の会食を認めることは継続するという。ワクチンの効果をある程度犠牲にしてまで、陰性証明の方を重視する構えなのだ。

つまりは、現在は、検査を増やす=感染者を増やす方向を強く後押ししているということである。これには、衆院選の時期、検査数を減らしていたことの、挽回の意味もあろうし、実際、支配層から強く促されているのに違いない()。そして、実際にも、特に若者が、検査に行列をなしている状況だという。

支配層は、衆院選の時期はともかく、総体として、日本の感染者数が世界に比べてかなり少ないことを快く思っておらず、今度のオミクロン株には、特にそのような日本を意識して感染者数を増大させることも、狙われているという気がする。

実際、今後飛躍的に感染者が増えていき、様々な混乱をもたらすだろうが、やはり症状的にたいしたことがなければ、それほど恐怖をもたらすということにはならないだろう。今回は、とりあえず、それをも見越して、感染者数を圧倒的に増やすことが優先されているのである。

しかし、このオミクロン株の次に来るものとなれば、話は別である。もはや新型コロナとは限らないが、より強力な症状をもたらす、新しい株またはウイルスが、既に用意されている可能性がある。他のウイルスなら当然だが、新しい株でも、ワクチン接種から相当な期間が過ぎたからということで、何とか言い分けが立つ。

もっとも、今年は、新年あけて早々、紛争関係、人工の関与した疑いもあるトンガ沖海底火山の噴火など、「なんでもやるよ」の宣言をされているごとくなので、感染症騒動に拘るわけではないようだが。

 

※ 述べ忘れていましたが、日本が衆院選前、検査数=感染者数を大幅に減らすことを許されたのは、ワクチンについては高い接種率を実現し、「優等生」だったからというのもあるでしょう。しかし、何の見返りもなく、そういうことがなされるわけもなく、そこには、一種の「取引」があったとみるべきです。つまり、政権を確保した衆院選後には、大幅に検査数=感染者数を増やすことと、支配層の言うことを聞くことが約束されていたはずなのです。

 

2021年12月16日 (木)

『非認可の世界』と宇宙人の技術

記事『『非認可の世界』- UFO、宇宙人情報の開示』で、グリア博士の宇宙人の技術に関する解説については、次回に述べるとしていましたが、そのままだったので、今回それを述べることにします。

ただ、既に、グリア博士の宇宙人の技術に関する解説については、記事『「宇宙人」と「宇宙人の技術」について』で、私の考えとともにかなり詳しく述べています。なので、今回は、博士が、『非認可の世界』の中で、簡単に説明していることを改めてとりあげつつ、コメントを付すだけのものとします。

記事で強調していたように、宇宙人の技術は、単に、地球上で「物理的な技術」として知られているものの延長上にあるのではなく、意識や精神と連動するものであるところに特徴があります。

本の中では、この点を明確にすることが、比較的分かりやすく述べられているので、多少長いですが、それをあげておきます。(元々グリア博士の説明は、明確で分かりやすいとは言い難いし、このような、地球上では「未知の領域」に属する事柄の説明が、明確になり難いのは当然のことでもあります。だから、あくまでも「比較的」分かりやすいということです。)

「ETの電子的コミュニケーションは、精神、思考およびコンピュータ制御された遠隔測定と連動するものです。何十年もの間、市民はUFOとの精神感応的な体験として片付けられて来たことを報告してきました。そのような報告がみとめられると、科学者や科学界は大笑いし、それらを却下します。……

この現象において52年の経験から明らかなことは、ETの通信プロトコルはAT&Tマイクロ波システムを使わずに星間距離の間をリアルタイムで通信していることです。彼らは、思考および意識と直接やり取りするのに十分に高度なシステムを利用し、そうすることで非局所的なエネルギースペクトルにアクセスし、線形時空を迂回しているのです。

これらのシステムと、現在人間が実現している脳波活動およびコンピュータとの繋がり、と混同してはいけません。これらは、今でも高速で移動するだけの電磁エネルギーを使っています。ここで言及されているETのシステムは、光が交差するポイントの反対側で作用しており、技術的に促進されていながら、思考および精神と直接連動します。このようなシステムを通すと、情報は同時に何百万光年を超えて伝達できるのです。なぜなら精神、思考およびエネルギーの非局所的側面を活用しているからです。……

とは言っても、これらは非常に実在的で形而下的なものです。……

ここでの要点は、ここで言及されているエネルギーおよびエネルギースペクトルは、自然に発生している創造の側面です。それらはすべて私たちの周り、そして内側に存在しています。

それは「他のもの」ではありません。それは超自然的なものでもありません。

それは形而上的なものではありません。それは単に、現代科学で十分に研究され理解されて来ていなかったのです。しかし、それは星間移動能力のある高度なET文明によって、研究し理解されてきました。……

この類いのETテクノロジーは一般的に、意識を使ったテクノロジー(CAT)およびテクノロジーを使った意識(TAC)と考えられています。

CATとは、個人(または集団)意識および思考が、受信装置を支援または連動することです。

TACとは、装置が個人または集団意識や思考を増大、投影または支援することです。」

霊的な現象との関係について

「この現象は、何十年もの間報告されてきており、これを「幽霊のようなもの」またはポルターガイストだと片付けてきた者もいます。実際にこれは、存在が深くて神妙なレベルで作動しているETテクノロジーが表現されているもう1つの例に過ぎません。……

上記から、なぜET現象がETではないが、同じ実現要素を持つアストラル現象と混同されるのか理解しやすいと思います。このため、資料がET、天使、幽霊およびあらゆる種類の怪現象について、混乱する話が一緒くたにされているのは不思議ではありません。……

それでも、宇宙は多くのレベルの存在を抱えていることを頭に入れておくことは重要です。アストラルおよびコーザル界にはETではない存在がいます。しかし捕らえにくい領域にある物理的宇宙の側面と連動し利用するETは存在します。すべてのETが、とても高度ではない可能性が有ることは覚えておくべきです。」

宇宙人の技術とは、地球上の物理的な技術とは違い(BMIのように電磁的に脳とコンピュータを繋げる技術とも異なり)、意識と装置を(空間を超えて)直接連動させる技術だということ。それは、幽霊や超能力などの霊的な現象と重なる部分はあるが、技術的な操作である点で、同じではないということ、が明確に説明されていると思います。

これは、逆に言えば、我々の地球上の技術というものは、世界から意識を除外して、物質的な現象の範囲に閉じることで、成り立っているものだということです。近代科学というものは、(一神教的な神の位置を受け継いで)意識を、「現象」の外に立つ、観察者の位置におき、「現象」そのものは、数学的な厳密さで規定される客観的なものという発想の下に、興されたものです。

それは、その見方の当てはまる範囲では、それなりにうまく機能し、技術の多大な発展をもたらしはしました。

しかし、量子力学の観測問題が提示したように、意識が、単に「現象」の外にいる、観察者に過ぎないとみることは、(少なくともミクロレベルでは)難しいことになって来て、限界もみえ始めています。

宇宙人の技術とは、この意識をも、単なる観察者としてではなく、現象に影響を与える主体として、内に含み込んだ上、その操作を高めることを追求したものということが言えます。

それを図に示すと次のようになります。

Photo_20211216000801

まずは、このような、本質的な違いを、押さえておく必要があります。

そのうえで、現在の地球上でも、このように、意識と現象を含めて、全体として統一的に理解する方向性を探ることはできます

たとえば、記事『「宇宙人」と「霊的なもの」』でも述べたように、全体を「波動」として捉え、その波動の振動数の高低により、現象の「密度」または「次元」が異なる、様々な領域が生じるということ。我々の科学技術が対象とする、物質的な領域は、振動数の最も低く、凝縮した領域だということ。その振動数が高まると、物質的な領域を超えて、霊的な領域に移行するということ。それらの振動数に影響を与え、エネルギー的に操るのが、意識という主体だということ、などの捉え方です。

ただし、このような捉え方は、まだまだ曖昧で抽象的なものでしかなく、今後、具体的に埋めて行くことによって、実際に使えるものにしていかなくてはなりません。「波動」というのも、スピリチュアル方面ではよく使われますが、必ずしも、内容の定まった、実質ある概念ではなく、言葉だけが、一人歩きする傾向があります。また、記事でも述べたように、この「波動」を物理的な波動の延長上に狭く捉えるなら、霊的な領域のことが捨象され、実質地球上の科学技術と変わらないものになってしまいます。

このような捉え方は、あくまでも、一つの可能性だということです。ただ、チャネリングその他の宇宙人情報では、このような捉え方は、今や、かなり一般的になりつつあるし、それで霊的な領域のことが十分意識されているなら、特に問題はないと思います。

私は、「霊界の境域」など、「霊的」として、伝統的な表現を多く使っていますが、これも、記事で述べたように、「物質的なもの」と「霊的なもの」の対立という時代的なものを反映する面があり、必ずしも、今後も普遍的に有効というわけではありません。

「物質的なもの」と「霊的なもの」が融合して行く、今後の状況に照らすと、先の「波動」や「振動数」、「次元」など、統一的な捉え方の方が、適している面もあるので、今後、私も、そのような表現を使って行く可能性はあります。

2021年11月29日 (月)

米UFO調査機関新設の意図

先般、米国防総省がUFO調査機関を新設したことを発表した。(BBCニュースの記事デジタル朝日の記事 参照)

記事『米メディアの報道記事2つ』でみたように、米国防総省は、2017年に海軍航空機の撮ったUFO動画を公開しており、それに伴って、2007年以来UFO調査を行っていたことを認めたのだった。それは、5年後に閉鎖されたというのだが、今回の発表では、改めて、再び、正式に、UFO調査機関を新設したということなのである。

今回の発表は、この海軍航空機の撮ったUFO動画の公開と、明らかに連動してなされており、言い換えれば、海軍航空機の撮ったUFO動画の公開は、今回の発表の伏線だったということになる。

そもそも、米国は、1952年に「プロジェクト・ブルーブック」という空軍のUFO調査機関を設置していた。しかし、1967年に、「UFOが米国の脅威となる証拠はなかった」等として、以後調査の必要なしとし、調査を打ち切ったことになっている。

しかし、記事でも述べたように、それは、表向きのことで、情報公開法に基づいて公開された資料からも、実際には、極秘にUFO調査を続けていたのが明らかである。つまり、表向きは、UFOは「脅威ではない」、「調査の必要はない」と言い、国民の関心を退けつつ、実際には、(独自の関心から、「脅威」と「必要性」を認めるからこそ)極秘の調査に切り換えたわけである。

このように、これまで米国は、独自のUFO調査を、かなり長い間行って来たのである。そして、グリア博士の「公開プロジェクト」で明らかにされたように、米国あるいは、少なくとも、超国家的な、「非認可」の特別プロジェクトのチームには、UFOは宇宙人の乗り物であり、宇宙人は既に地球にいて、様々な活動をしていることが、判明しているのである。(記事 『「公開プロジェクト摘要書」について』、『『非認可の世界』- UFO、宇宙人情報の開示』参照)       

このように、これまでUFO調査を極秘に行って来て、もはや多くのことが判明しているにも拘わらず、ここに来て、米国が、あえてUFO調査機関を新設する、あるいは、そう発表することの意図は何なのだろうか。

これは、明らかに、表向きのアピールであり、米国民さらには世界に向けてのアピールである。意図としては、2つの方向が考えられる。

1つは、もはや、UFOを極秘で扱うことが困難、あるいは、時代的にふさわしくなくなったので、今後UFO情報を公開するための伏線という方向

2つは、真にUFO情報を公開する意図などはなく、むしろ、米国民さらには世界に向けて、宇宙人の脅威を煽り、宇宙軍などの軍事的な拡張の必要と、さらに世界統一政府の必要を誇示するという方向。つまりは、支配層の政略的な意図。

1の方向であることが望まれるし、その可能性はないわけではないのだが、実際には、2の方向である可能性が高いと言わざるを得ない。

元FBI捜査官デソーザも、海軍航空機の撮ったUFO動画は、実際には地球製の秘密兵器ドローンで、その公開は、宇宙人の脅威を演出するためと言っていた。(記事『元FBI特別捜査官の語る暴露話参照)

また、最近、みなみさんのチャネルする宇宙人アシュタールも、米国のUFO調査機関の新設について、宇宙人の脅威を煽り、世界統一政府を目指すものということを言っている。( https://ameblo.jp/kuni-isle/entry-12712542162.html )

コロナ騒動でかなり長い間、支配層の権力強化(一般人への制限の強化)がなされ、さらに今後、新たな変異株による拡大が見込まれる状況だが、だからと言って、それだけで、現在、一気に、世界統一政府に結びつくというような状況ではない。

「UFO=宇宙人」は、世界全体に関わる、より強力な「脅威」として、いわば、取っておかれたもので、支配層は、今こそ、それを「解き放つ」ときと踏んでいるものと解される。冷静に対処されると、「UFO=宇宙人」の脅威などは、あまり功を奏さない可能性があるが、コロナ騒動の混乱下では、より恐怖を訴えかける効果が高まるのだ。

今回の、UFO調査機関新設の発表では、明確に、「関連する脅威を抑える」ためということが言われている。かつての調査機関「プロジェクト・ブルーブック」は、「脅威となる証拠はない」として閉じておきながら、ここに来て、明白にそれを翻したのである。

UFOとは、本来、「未確認飛行物体」の意味だから、そこには、敵国の正体不明の秘密兵器なども含まれる。現在、科学技術の飛躍的な発展により、中国やロシアなどの秘密兵器の脅威が改めて強調される事情があるのは確かだろう。しかし、既に述べたように、長年の調査で、少なくともUFOの一部は、「宇宙人」のものであることが分かっているし、UFOの調査と銘打たれる以上、多くの人が、「宇宙人」と関連づけて捉えることは当然である。

そこで、「関連する脅威を抑える」というのには、明らかに、「宇宙人」に対する脅威が、含意されることになる。

何度も言っていることだが、支配層は、現在、支配力を失う可能性に脅え、追い込まれている状況なので、ここで一気に、世界的な統一に向けて、支配力を強める策を打ちたいのである。

また、グリア博士も言うように、本来多くの「宇宙人」は、地球に敵対的なものではなく、むしろ、地球に敵対的な宇宙人を抑制しようとする勢力もあるから、支配層と結びついた宇宙人は、それらと地球人が手を結ぶことを恐れている。だから、記事『「人間の支配層の陰謀」と「地球外存在」の影響』でも述べたように、「宇宙人は敵対的なもの」というイメージを広めたいし、さらには、ホログラフィ技術などを用いて、「宇宙人が地球を侵略する」という「演出」をも、企てているようなのである。

今回の発表は、そのようなことに向けての伏線として、重要な意味があると言うべきなのである。

「宇宙人」について、地球に友好的なものと、期待して決めつけるのも愚かだが、敵対的なものと決めつけるのも、視野狭窄で、支配層の戦略に乗せられるだけである。私は、宇宙人のチャネリング情報をとり上げたりもしているが、それには、そういった、(地球に友好的というよりも、何らかのアドバイスを意図する)宇宙人もいることを知ることも、バランス上重要ということもあるのである。

2021年11月 1日 (月)

衆院選とコロナの今後

衆院選は、自民が、議席を減らしたとはいえ、単独過半数を獲得し、与党としては「絶対安定多数」を獲得した。
 
衆院選前、10月頃から、コロナの感染者数が激減したが、それがこの選挙の結果に大きな影響を与えたのは、明らかだ。
 
逆に、そのまま感染者が増え続けていたら、選挙の投票率も大幅に下がっただろうし、その不満から、自民が単独過半数を獲得することもなかっただろう。野党連立政権の樹立となっていたかもしれない。
 
コロナ感染者数は、発表された数字でみると、不自然なほどに明らかに激減しているが、その明確な理由を取り出すことはできない
 
NHKのサイトが、政府分科会の尾身会長の発表とともに、いくつか説を紹介しているが、どれも曖昧で明確な根拠がない。
 
ワクチン接種率の増加が理由にあげられるが、接種率は一気に増えたわけではないから、急激に減るものではないし、イギリスやシンガポールなど、接種率が上がったからと言って、感染者が減るわけではない例も多くある。感染対策の行き渡りや人の移動の減少があげられるが、それらも、ここに来て急に起こったことではない。
 
特に、ワクチンを接種していない人が夜間の繁華街にいる割合が、大幅に減少したということがあげられていて、これは、ワクチンの効果を謳いつつ、人的交流の制限の必要をも訴えかける、巧妙なものだ。しかし、このサイトが言うように、数値割り出しの根拠が乏しいうえに、かつての減少のときは、滞留人口は増えているので、矛盾が生じる。
 
ただ、夜の繁華街へ繰り出すことは、ワクチン接種者より、非接種者の方が控えることが多いだろうことは確かと思われるが、これは別な意味で、感染者減少の理由を示唆するものがある。
 
つまり、ワクチン接種者が、接種したことによる「安心」から、人的交流をあまり避けない傾向があるとすれば、ワクチンを接種したにも拘わらず、感染するということもかなり見込まれる。ところが、無症状の場合はもちろん、多少の症状があっても、「コロナではない」または「重症化はしない」と高をくくって、病院等にかからない(検査を受けない)という場合も多いと考えられる。従って、その場合には、感染者数が減ったというよりも、検査を受ける人が減ったのだということになる。
 
いずれにしても、感染者の不自然な減少の仕方には、明確な理由がない以上、数字そのものの誤りや、そうでなくとも、数字の元となるPCR検査そのものの減少、あるいはその陽性率の減少ということを、疑わなくてはならないことにもなるはずである。
 
そして、今回の衆院選との明らかなタイミングの一致は、政府による「操作」もあるに違いないことを疑わせるに十分である。
 
私は、コロナの感染者も確かに減少はしていて、それはコロナ自体の側の理由(記事『『パンデミックに突入した地球』紹介まで』や、次の『新たに侵入した宇宙人と破壊性』で述べたような、「超技術的」な面も含めて)によるのだろうとみている。しかし、それにしても、あまりの急激な減少には、このような「操作」によるものがあると疑わざるを得ない。
 
だとすると、衆院選が終わって、政府が思惑どおり安定多数を得て、「信任を得た」ことになった今後は、コロナはどうなるか。間違いなく、急激に増えていくだろう。
 
それは、数字の操作を外すだけでも、そうなるし、逆に、数字は高い方に操作されることになるはずである。「信任を得た」ので、かつて以上に、やりたい放題ができるのである。それに、世界的には、日本だけが勝手に数字の減少を操作できるわけではなく、もし、衆院選の前という限定つきで許されているなら、今後は、当然、増やすことが約束されているはずだからだ。
 
さらに、今後、ワクチン接種者の間でも、「ワクチンを打ったからと言って、感染において安心できない」ということが行き渡れば、検査を受ける人も増えてくる。それに、専門家の間でも共通して言われているように、冬になれば、コロナの活動も高まり、「第6波」が来ることは当然予測される。
 
そうなったとき、政府が、どのように「やりたい放題」の施策をしてくるか、ある意味見ものである。

2021年10月17日 (日)

『非認可の世界』- UFO、宇宙人情報の開示

スティーブン・グリア博士の「ディスクロージャー・プロジェクト」については、記事『「公開プロジェクト摘要書」について』で、とりあげていた。
 
そこでは、最高機密へのアクセス権を持つような、軍関係、情報機関関係等の上層部の人たちの、UFOや宇宙人に関する証言を集めた、「公開プロジェクト摘要書」( http://www.peopleknow.org/ds08pro/  )を紹介しつつ、簡単にコメントを付していた。
 
また、記事『「宇宙人」と「宇宙人の技術」について』では、スティーブン・グリア博士の活動や宇宙人や宇宙人の技術についての考えなどについて、私の考えも交えて述べていた。
 
「公開プロジェクト摘要書」は、圧倒的な量と質の高さで、資料としては貴重なもので、その最新情報を含めた補充版が、著書『ディスクロージャー』(ナチュラルスピリット)としても、出版されている。ただ、いずれも、膨大な量の証言を集めたもので、必ずしも読みやすくはないし、概要を把握するのには適しているとは言えない。
 
ところが、最近、『非認可の世界-世界最大の秘密の暴露』(VOICE)という著書が出版された。
 
これは、「公開プロジェクト摘要書」や「ディスクロージャー」にある主要な証言を、テーマごとにいくつか紹介しつつ、グリア博士の簡単な解説も付されている。また、地球人が逆行分析で宇宙人から手に入れた技術や宇宙人の技術についての簡単な解説、ディスクロージャー・プロジェクトを行うようになった経緯なども、簡単に述べられている。
 
初心者が概要を把握したり、あるいは、ある程度詳しい人でも、改めて全体像を確認するには、とても適したものになっている。是非一読を勧める。
 
何しろ、もはや、「UFOは存在するか」とか、「宇宙人は地球に来ているか」などと言ったレベルの問題ではなく、宇宙人は現に地球にいて様々な活動をしており、地球人にも多くの影響を与えているが、それについての情報は、政府や軍を超えた「非認可の組織」により管理され、我々からは完全に隠されている、ということである。
 
グリア博士が、本の中で、それらの証言から明らかになったこととして、簡単にまとめているものをあげておこう。(かっこは、私が簡単に補足したもの)
 
〇私たちは実際に、高度な地球外生命体文明による訪問を受けており、それがしばらく続いています。
〇UFO/ETは、米国およびその他の国における、最も機密度が高く区画化された非認可特別アクセス計画を象徴しています。(UFO/ETに関する情報は、軍や情報機関の扱う、通常の「機密情報」からは外された、「非認可」のもので、特別に許可された一部の者のみがアクセスすることのできる領域ということ)
〇これらのプロジェクトは、1961年アイゼンハウワー大統領が警告したように、米国、英国およびその他の場所における、法的な監視と支配から逃れてきました。
〇いくつかの諜報機関が地球外輸送船/宇宙船(ETV)と呼ぶ地球外から来た高度な宇宙船は、少なくとも1940年代、早ければ1930年代から、撃墜され、回収され、そして研究されてきました。
〇エネルギー生成および推進力の飛躍的進歩は、これらの物体を研究(およびニコラ・テスラの時代までにさかのぼる人間による関連分野の革新)結果から生まれてきました。そしてこれらのテクノロジーは化石燃料の燃焼または放射線の電離作用を必要としない、新しい物理特性を活用して膨大な量のエネルギーを生成しています。
〇機密にされた超極秘プロジェクトには、完全に稼働可能な反重力推進装置および新しいエネルギーシステムがあり、機密が解除され平和的に利用されると、欠乏、貧困、および環境へ影響を及ぼすことなく、新しい人間文明に力を与えます。(「反重力推進装置」や「新しいエネルギーシステム」は、既に一部の者たちにより、地球製UFOなどとして、極秘裏に軍事的に利用されているが、機密が解除されて一般に平和利用されれば、これまでのエネルギー概念を覆す、全く新しい人間文明をもたらす可能性があるものだということ)
 
私的には、NHKの番組でも触れられていたように(記事『「コズミック フロント UFOの真実」』、宇宙人が核に興味を示していて、核実験を止めるように忠告したり、宇宙空間や月で核を爆発させようとしたときには、撃墜したということ。アポロが月に着陸したときには、宇宙人がが既に月に基地を持っていて、UFOが周りに待機していたこと、一部交信や映像はカットされて、地球に送られていたことなどが、興味深かった。(これについての、アームストロング船長の話もある)
 
ロズウェル事件に典型的にみるように、高度の技術を持つはずの宇宙人のUFOが、かなりの数墜落し、UFOや宇宙人が回収されるなどということには、疑問に思う人も多いかもしれない。しかし、宇宙人の技術は、高度と言っても、万能ではなく、また、地球上の物質的な技術とは違った意味で、「繊細」な部分もある。特に、墜落事件で多く回収される、グレイタイプの宇宙人の技術は、かなり拙劣なところもあって、電磁波や核実験の影響を受けて、操縦困難に陥り、墜落することもままあるようである。
 
ただ、全体として、これらの証言は、仕事を通して、実際に、UFOや宇宙人そのものや、それに関する写真や記録を見た人たちのものではあるけれども、「非認可の世界」に関わることのできる人たちではないので、ある程度のことは知れても、それ以上のことまでは知ることができない。宇宙人が地球に来る意図とか、地球でなそうとしていること、彼らと関わることのできる地球の一部の人たちとの関係などのことである。その意味では、手の届きそうで届かない、もどかしさもあると言えばある。
 
さらに、後半の「ディスクロージャ・プロジェクトへの道」で、グリア博士が軍情報機関のトップやクリントン大統領の側近、CIA長官などと会い、彼らも、UFOや宇宙人の存在については知っているが、それ以上のことを知らず、どうすることもできないのを知って、自ら、証言者を集めて情報を開示していく活動をするしかないと気づくことになる経緯の記述も、興味深かった。
 
2001年5月には、(一部妨害もあったようだが)政界人や著名なメディア参加のもとに、公開の記者会見も行っていて(録画ビデオ https://www.youtube.com/watch?v=KicoTXPF1_E )、かなりの話題になったということだが、その4カ月後に、9・11事件が起こって、それは一気にかき消されたというのも興味深い。9・11は、この話題の火消しが唯一の理由とは思わないが、それも主要な理由の一つだったのかもしれない。
 
また、宇宙人や宇宙人の技術とはどういうものかについても、グリア博士の考えの簡単な説明があって、有益だが、これについては、次回触れることにしたい。

2021年9月14日 (火)

「ゴキブリ人間」とワクチン

『パンデミックに突入した地球』(以下『パンデミック』)が言っていたとおり、若者はこれまで、コロナについては、「高齢者でなければ大丈夫」と高をくくっていただけのようで、若者にも感染が広がるデルタ株が流行るとみると、すぐさまワクチン接種にかけつけるという、「情けない」ことになっている。

政府は、これまで若者がワクチンを希望するか、かなり不安を持っていたと思われるが、これをみて自信を得たようで、緊急事態宣言下でも、「ワクチン接種証明」があれば規制緩和するという方針を打ち出した。このような施策も、今後は、受け入れられるようになるという手ごたえを得たわけだ。初めは、県またぎの移動や酒類提供など、いくつかの行動に絞られているが、これが通れば、いずれあらゆる行動に及ぶようにするはずである。

もちろんのこと、コロナウイルスの危険性を警告する『パンデミック』も、ワクチンを推奨するものでは全然ない。ワクチンは、「問題を変える解決法にならないばかりか、存在し得る最悪の問題の一つ」としている。たとえば、ワクチンは、コロナウイルスの餌になって、かえって増殖させることになる()し、人体のmRNAシステムを汚染し、破壊し、無効にする可能性があるとする。

しかし、それにしても、もはや現実として、ワクチンがかなりの割合の人たちに接種され、行き渡ってしまったという状況は、厳としてあることになる。それを踏まえて、今後のことを考えるとなると、宇宙人シャーの言うように、そのようなワクチンにも対抗できる、「ゴキブリ人間」が、残っていくということになって行くのも、必然なのかもしれない。

たとえば、
https://www.youtube.com/watch?v=UA8YR9Ci87k   28分頃から 「ゴキブリ人間」について                 
https://www.youtube.com/watch?v=Ys0XRGNrG_g  宇宙と地球に体を持って生まれるということ、また2021年はどういう年か(38分頃から ワクチンについてを含む)について、興味深い話

私自身も、特に若いうちは、「ゴキブリ人間」そのままのような生活を送っていた。

記事『「あと10年!」という言葉と「41才寿命説」』でも述べたように、小中学校では、各種のワクチンの接種を受けていたし、チクロのような人工甘味料その他の化学物質にも、多く取り巻かれていた。日常的に、スモッグやヘドロも酷かった。

食生活も、ファーストフードやコンビニばかりではないにしても、それらにもかなり頼っていた。たばこも、十代後半から、一日2箱ぐらいは吸っていた。そして、極めつけは、記事でも述べた、一連の体験時で、20日間ほど、何も食べずに、たばことアイス缶コーヒーだけで過ごした時期がある。

クラリオン星から転生してきたという、そうた君は、「コロナワクチンを打つより、毎日カップラーメン3食で10日間過ごす方がまし」と言っていた(https://www.youtube.com/watch?v=uQKnyYu3fEw)。が、私は、それよりずっと酷い状態だったので、コロナワクチンを打つどころのことではなかったことになる。

その後は、食生活や体を気遣うことも大分するようになって来たので、今ではそんなことはないが、しかし、この若い頃のツケは相当のものだろう。それでも生き残っているとしたら、やはり「ゴキブリ人間」になっているのだとしか言いようがない。

地球という物質的な環境で、しかも今のように、最悪の「技術信仰」がまかり通っている中で、普通に生活していくとなると、このような「ゴキブリ人間」的な「強さ」を身につけるということも、必要なことにはなっていくのだろう。

ただ、だからと言って、「そんなの関係ねぇ」と、一切体のことを気にかけないのは違うと思うし、そうするつもりもない。「ゴキブリ」だって、無暗に危険なところには行かないし、自然な防衛はなしたうえで、適応するための戦略として、そのような能力を身につけているのだ。

コロナワクチンも打つつもりはないし、これまでのワクチンとは違って、単に、体の防衛上の問題ではないと思っている。『パンデミック』が言うような、宇宙人の技術と結びついた、情報収集や改変はあり得ることだと思うし、今後、チップのようなものへとつなげられることも確実だと思う。

ただ、そのような情報の収集や思考・行動の操作は、なにも、コロナウイルスやワクチンによるものには限られないし、そもそも物質を超えた存在は、能力として、思考を読んだり、操作したりできることは、何度も体験済みである。

だから、そのような視点からも、ただワクチンを避ければよいということにはならない。逆に、どうしても、打たなくてはならないなら、それに「負けない」ような、「ゴキブリ人間」的な資質というのも、必要にはなってくるだろうということである。

※ コロナウイルスやコロナワクチンでは、結合する部位によって、中和抗体(「善玉抗体」とも)の他に、ウイルスの感染を増強することになる抗体(「悪玉抗体」とも)が作られることが知られている。(たとえば、宮坂昌之著『新型コロナ 7つの謎』講談社ブルーバックス) つまり、「抗体依存性増強」(ADE)ということを引き起こす可能性がある。

『パンデミック』が、「ウイルスの餌になる」と言うのは、物質的な観点だけでなく、多分に霊的な観点を含むので、これと同じではないが、互いに通じ合うものはある。

 

より以前の記事一覧

新設ページ

ブログパーツ

2023年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

コメントの投稿について

質問の募集について

無料ブログはココログ