« 2025年5月 | トップページ | 2025年7月 »

2025年6月

2025年6月30日 (月)

たつき諒の7月5日の予知夢と私の夢

漫画家たつき諒の7月5日の予知夢については、前回の記事でもプレアデスが言及しているのをとり上げた。この予知夢は、かなり一般に浸透し、有名になっているようだが、誤解やデマも多く広がっているので、今回も、私なりにとりあげてみたい。

たつき諒が見た予知夢の内容は、簡単に言うと、<突然、日本とフィリピンの中間当たりの海底がボコンと破裂し、日本の太平洋などに、東日本大震災の3倍ほどの巨大な波が押し寄せる>というものである。「東日本大震災の3倍ほど」というのだから、当然巨大な被害に結びつくことが予想されるが、「滅亡」などということは何も言われていない。

この内容は、1999年にまんが本として出版され、発表されたが、しばらく絶版になっていた。しかし、その表紙には「大災害は2011年3月」と記載されていたのが、東日本大震災の後に、それを見事に当てたとして話題になったことから、2021年に『私が見た未来 完全版』としてさらに出版された。

その本では、表紙の帯に「本当の大災難は2025年7月にやってくる」と記載されている。それが、あとがきで「7月5日」とされているため、「2025年7月5日大地震による日本滅亡の予言」などとして、拡散されていったのである。

しかし、たつき諒が、この予知夢については誤解の多いこと、偽のたつき諒が出て、あることないことを吹聴したこと、まんが本では、出版社の意向に従わざるを得ない部分もあったことなどから、改めて出版の経緯や予知夢をみたときの状況を、『天使の遺言』という本を自費出版することで発表している。

それによると、「大災害は2011年3月」というのは、予知夢の映像的なビジョンとは別に、夢に「言葉」として出て来たもので、何度も、「これを書け」というかのように出て来たので、表紙に入れたということである。

そして、その後、新たにこの言葉と同じように出て来たのが、「本当の大災難は2025年7月にやってくる」というものだったとのことである。『完全版』あとがきでは、これまでのいろいろな要素から、それは「7月5日」と考えられる、としているが、あくまで夢のなかの「言葉」としては、「2025年7月」であることに注意を要する。

このことは、たつき諒の予知夢の映像的ビジョン自体は、これまでに、一度も当たったとみなされるようなものでもない、ということが言える。ただ、1999年の時点での、「大災害は2011年3月」という言葉は、かなり強烈なもので、東日本大震災が、確かに稀にみるほどの「大災害」であったことを考えると、偶然とは考えにくく、当たっているとみなされておかしくないものである。あくまでも、具体的な映像としてではなく、「大災害」という抽象的な言葉の意味合いとして、ということではあってもである。

そして、だとするならば、新たにそのような言葉と同種のものとして出て来た「本当の大災難は2025年7月にやってくる」という言葉にも、それなりの信憑性が認められてしかるべきものと言える。ただし、繰り返すが、それは、その具体的なビジョンとしての映像自体に、同じような信憑性をもたせるものとは言えない。

「大災害は2011年3月」という言葉と同じように、あくまで、抽象的な「大災難」という言葉が当てはまるような出来事が起こる、ということなのかもしれないのである。ただ、「ほんとうの」とされているのだから、これは、東日本大震災より規模の大きいものであろうことは当然予想される。(なお、「大災害」と「大災難」で言葉が違っている理由は、たつき諒も分からないが、人為的な要素が異なるからではないかと述べている。)

なお、「7月5日」と言われているが、『完全版』あとがきでは、確かに、これまでのいろいろな要素から、「7月5日」と考えられるということが述べられている。しかし、あくまで夢のなかの「言葉」としては、「2025年7月」であることに注意する必要がある。

このような「言葉」が事実として当たっているなら、同じ人物の映像的なビジョンの方も、当たる可能性が高いのではないかとみなすことはできるだろうし、これまで、たつき諒が夢で見たことが現実になるという体験を多くしているからこそ、この夢があえて発表されたというのも事実のようである。

ただ、私は、この夢のビジョンについては、1999年の時点で、このままいけばこうなることとして、2025年7月に起こり得る「最悪」の事態を映像として見たのではないかと考えている

どこかの記事で触れたように、実は私自身も「津波」に関する夢を、不自然なくらい連続して見た時期があるのである。まさに、50メートル級の強烈な津波が襲いかかってくるというものも何度か見た。

ただ、私の見た夢は、全体が色つきでリアルそのものというのではなく、どこかディフォルメされているような、非現実的な要素のある映像だったし、出てくる登場人物が私だけであることがほとんどで、これはどうも、客観的な出来事を予知しているというよりは、私自身に対する「警告」の意味合いであると感じられた。

それで、記事でも、これはユング的な普遍的無意識からの一種の警告で、「このままいけば、無意識の深みが巻き起こす津波に飲み込まれる」ということを意味しているのではないかと述べた。そして、実際に、それは一連の統合失調的な体験として実現し、それが起こってからは、そのような夢は一切見ていないのである。

だから、私の夢は、たつき諒の夢とは性質が異なるとは言える。しかし、私の類推によると、夢というのは、予知夢であっても、必ずしも細部まで現実と一致するような形で出てくるとは限らず、ある種の「強調」だったり、「誇張」のようなものが入り込む余地があると思われる。むしろ、そこに「警告」的要素があるならば、「誇張」的に、「最悪」の事態を訴えてくるということは、当然あり得ると思うのである。

たから、私自身は、この予知夢は、そのような最悪の事態を見たものとして受け止めている。もっとも、だからと言って、その「最悪の事態」が起こらないなどいう保証はどこにもないし、先に見たように、「ほんとうの大災難」として、東日本大震災を越える災難が起こるという可能性は、十分予測されることなのである。(さらに、この予言の有無に関わらず、南海トラフ関連の災害が近いうちに起こることは、各方面から当然のように予測されていることである。)

だから、対処や備えは必要であろうし、それがプレアデスも言うように、「新たな地球の始まり」につながるようであってほしいとは思っている。

ちなみに、私の見た夢として、これと関連するかもしれないものに、記事には述べなかったが、「四国の夢が沈没する」というのがある。

特に波立っていない穏やかな海に大きな島があり、そこには、「四国の夢」と書かれた大きな看板が立っていた。そして、見ていると、その島が徐々に海に沈んで行き、全体として沈没してしまったのである。

私も、この夢からは、具体的に「四国」と特定されていたこと、「四国の夢」というよく分からないながら、意味ありげな言葉が大々的に出て来たこともあって、かなり強い印象を受けた。

しかし、全体として、やはりディフォルメされた要素が強く、どこか戯画的な面があったことから、これも客観的なものというよりは、私自身に関する夢であった可能性が高いと思っている。私自身は、「四国の夢」という言葉に相当するようなことは、特に思い浮かばないが、何か私自身の中に、潜在的なレベルで、そのようなものがあり、それが「沈没」してしまうということなのであろう。

沈むのは、「四国」ではなくて、あくまで(私の中の)「四国の夢」であろうということである。

2025年6月21日 (土)

最近のプレアデスからのメッセージいくつか

ブレアデス系のチャネリングものとしては、記事『「プレアデス+」と「創造神」「捕食者」』で、バーバラ・マーシニアックの『プレアデス+かく語りき』(太陽出版)について述べていた。

これは、プレアデスのイメージからすれば、宇宙の根本創造神や、「捕食者」といった本質的なことについてもかなり突っ込んだ記述のある鋭い内容のものだった。

「プレアデスのイメージ」というのは、端的に「真実」や、本質的なことを述べるというよりは、抽象的に、あるいは中途半端に、皮相と感じられることを述べていることが多い、というのが私的にはあったのである。ただし、これには、ジーナ・レイクの『テオドールから地球へ』によると、プレアデスは、もともとネガティブなことを述べることを嫌う、また、かつて地球人に助けを与えるという意味で、干渉し過ぎたという反省があり、その後あまり干渉しないようにしているという方針が影響しているのかもしれない。

ただ、ユーチューブなどをみても、このところ、プレアデス系のメッセージをあげるものがかなり増えているようである。

相変わらず抽象的で具体性に欠けると思われるものもあるし、それには、プレアデスの名を借りて、自らの思想を述べているだけのものもあると思われる。しかし、中には、端的に、またかなり具体的に突っ込んで、地球上の現在の危機について述べ、同時にそのことが地球に新たな転換をもたらす可能性について述べているものがある。毎日のようにかなりの量のものが発信され、内容も、ちょっと人間レベルで普通に述べられるものを超えていると感じられるだけのものがある。

実際、現在の地球の状況として、それだけ危機が迫っているというのは、疑いのない事態ではあるだろう。

今回は、そのメッセージのいくつかを紹介してみたい

https://www.youtube.com/watch?v=QKaF3tZwoQk

ディーブステートと言われる支配層の実態と、日本の政治家の名前もあげつつ、日本の政治家との関りが具体的に述べられている。政治とどのように関わるか、また、外的な政治よりも、内的な自己自身の変革の方が全体の変化についての鍵となることも述べられている。

 

2 https://www.youtube.com/watch?v=Jlsw6_nCL5U

特にトランプ大統領を巡って、レプティリアンを含む宇宙人とアメリカ政府との関係について述べられる。様々な宇宙勢力の影響は、単純に光と闇という風に二分化できない複雑なものであることも述べられている。

 

3 https://www.youtube.com/watch?v=er01nkoUnfo

漫画家たつき諒の有名な75日の大災害の予知夢について述べている。

その可能性について否定はしていないが、もちろん未来は確定していないから、そのまま実現するかどうかは(プレアデスと言えども)分からない。予言として注目され過ぎると、我々の意識がそれを呼び込んでしまうという面もある。ただ、このプレアデスのメッセージでは、備えるという実際的行為をするとともに、そのような事態は、決してマイナス面だけでなく、地球の転換の重要な契機であることを認識することも強調されている

ある意味、プレアデスらしい抽象性または中途半端性は感じるが、確かにそうであるとしか言えないものがあるのも確かなことだろう。

 

6月23

上にあげたものと異なる存在によるものだが、たつき諒の見た75日の大災害のビジョンに関するメッセージをもう一つあげておきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=Q4idvy9j1bs&t=12s

 

たつき諒の見たビジョンとこの存在自身が見たアカシックレコードの情報が多くの点で一致すること、私もブログで述べてきた「境界の消失」という現象(物質的領域と霊的領域の境界あるいは自己の内界と外界の境界が喪失する、「霊界の境域化」ともいうべき現象)がこの出来事を通して起こること、それらは混沌とした状況をもたらすが、地球の危機的な状況の転換のために必要な出来事であり、それらをどのようにして乗り越えていくことができるかということなどが、上にあげたメッセージ以上に具体的で有用な示唆のもとに述べられている。

7月13日

上にあげた動画は削除されているので、新たに7月12日に、たつき諒の予言とシンプソンズのアニメに込められた予言とを絡めながらその意味について語った新しい動画をあげておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=Y9_FLnh_CFY

 

2025年6月 8日 (日)

『精神の幾何学』と「分裂病ファントム論」について

安永浩という精神科医の「分裂病ファントム論」については、一応知ってはいたが、あまり適切な解説がされていなかったためもあり、特に興味を持つことはなかった。論の趣旨は、分裂病の体験空間(ファントム空間)を幾何学的に表現することで捉えようとするものなのだが、晦渋なイメージがあり、とっつきにくいものがある。おそらく、多くの人もそのように思うことだろう。

ところが、このたび、『精神の幾何学』という本が文庫化(ちくま学芸文庫)されているのを知り、第Ⅲ部の精神病理学的事象を読んでみた。そうすると、その幾何学的表現そのものはともかく、分裂病を捉えよう(了解しよう)という基本的な方向性においては、十分納得できるものがあり、共感するところも多いものだった。

そこで、今回は、その詳しい説明や幾何学的表現についての解説をするつもりはないが、基本的な方向性と全体の論旨について簡単に紹介し、コメントしておこうと思う。

記事『「精神病理学」と、結局は「了解」の問題であること 1』 『2』で、多くの場合、「「精神病理学」は、一般の(生物学的)精神医学とは異なり、「了解不能」とするのではなく、それに鋭い視点から迫ろうとしていて、それぞれにみるべきものがある。しかし、残念ながら、それは結局は、「統合失調状況に入る契機」を明らかにするものであっても、「統合失調状況そのもの」を明らかにするものではない」、ということを述べていた。

「統合失調状況そのものを明らかにするものではない」、というのは、多くの精神病理学者も、統合失調状況そのものは「自己」の壊れた結果的な現われに過ぎず、それ自体に意味があるもの、あるいは何か理解のための新たな要素が加わるものではないと考えているからと思われる。R.D.レインすら、初期にはそのような傾向があったのである。

ところが、安永は、そのような態度をとらず、分裂病の体験空間を理解できるものとするために、それを幾何学的に捉えて理論化することを行っている。「分裂病的状況そのもの」の理解を指向している点が、決定的に異なっているのである。

そして、そのような方向をとらない、一般の精神医学や、精神病理学について鋭い批判もしており、その点は、大いに共感できるところである。

そのような視点を端的に述べている文章があるので、それを引用してみよう。

「正常人に関する常識的枠組みだけに頼って出発する場合、ほとんどすべての分裂病観が陥ったように、結局了解は不能のもの(例えばハイデルベルグ学派)、正常人にとっての自明性が失われたもの(例えばブランケンブルグ)として、認識地平の彼方に捨て去るしかなかったのである。

…しかも、それはまだしも正直な方であって、正常心理の辺縁を拡張して安易に分裂病を理解したつもりになり、あまつさえ根拠のない心的原因や性格欠陥を想定し、それをもって人間的接近法と称するが如き言説もおびただしくみられるのである。この安易さを排するために、いささかどぎつい感じもするが、次のことを標語的に述べてもよいかと思うぐらいである。即ち、“一見わかりやすい分裂病論とは(まさにそれ故に)本質以外のことを述べているのに過ぎない”と」

また、分裂病といわれる「病」について、次のようにも言っている。

「実をいえば分裂病というものが「一つの」病なのかどうかさえいまだに結着がついていない。…本書の立場は、ある特殊な病の、というより一つの特異な体験類型(分裂病型体験様式)の特徴を認定しようとするにとどまるものである。

「病気」と決めつけることで分かったことにするのではなく、あるいはその内容を規定しようとするのではなく、あくまで、一つの特異な「体験類型」として捉えたうえで、その内容を理解しようとしている。私も、「分裂病“的”状況」とか「統合失調“的”状況」と呼んでいるのは、これと全く同じ趣旨である。

その「ファントム論」の要点は、正常人の空間の体験、または知覚世界というのを「パターン」として捉えた場合に、分裂病の体験では、そのパターンが逆になり、『バターン逆転』が起こるということである。

それをAとかBとかの記号を用いながら、幾何学的にプロットしていき、理解できるものにしようとしているのだが、私は、特に数理的に把握することが理解に資するような人以外には、むしろ逆効果で、それが故に敬遠されている面も大きいと思う。

何しろ、正常人では、Aといわれる「自」「全体」「統一」「質」が前提となってBといわれる「他」「部分」「差別」「量」が条件的に出て来るが、分裂病の「パターン逆転」では、これが逆転し、Bの方が自明な前提と化し、Aすなわち主体性が条件的偶然的なものになっているとする。

このことから、分裂病者の「病識のなさ」や、「自我収縮感」、「させられ体験」や「疑憑依」などの「他者」に操作される感覚などが説明される。

「バターン逆転」とは、私がこれまで述べて来たことで言えば、「日常世界」において「図」であったものが背景に引っ込んで、「地」となり、逆に、「地」であったものが「図」として前景に出てくると言った、「図と地の逆転」に対応しているものと言える。

それは、「自我」という媒介でみられた「世界」が、弱まり、崩れ行く過程ともみられるから、自我によって抑圧されていたものが前景に出て来て、自我を圧迫するようになる。と同時に、自我という媒介性を失って、体験自体の強度が強まり直接性が高まるので、それ自体が圧倒して自我を飲み込むような作用をする。体験世界そのものが、「圧倒的な他者」と化していると言うこともできる。その結果、自我がその体験を「誤り」などと認識することは難しく、また「自我収縮感」や「させられ体験」などの他者に操作される感覚も起こるのである。

安永も、なぜそのようなことが起こるのかについては、未知としている。ただ、何らかの生理的な変化を示唆しているし、また、正常人にとっての「パターン」というのも、普遍的なものというよりも、近代人にとってのものでしかないこと。妄想知覚ということで、妄想内容を取り込んでいるから、当然の面もあるが、分裂病者の「パターン逆転」というのも、正常人の「パターン」と対等の位置を与えられているというよりは、一種の「錯覚」とされているなど、やはり私の観点からすれば、多くの問題と言うか、限界は感じざるを得ないものである。

それにしても、繰り返すが、基本的な方向性や態度としては、みるべきものが多く、参照とすべき点も多いので、興味を持った人は、本を読むなり、ネット等で調べるなりしてみてほしいものである。

« 2025年5月 | トップページ | 2025年7月 »

新設ページ

ブログパーツ

2026年1月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

コメントの投稿について

質問の募集について

無料ブログはココログ