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2025年5月 6日 (火)

統合失調「イニシエーション説」と「イニシエーション」という意味

R.D.レインの『霊的旅路説』が典型的だが、統合失調は、実体としてある「病気」なのではなく、その状態そのものが、一つの「イニシエーション」として「変化」「成長」への過程なのだ、という説がある。「ダブルバインド説」で有名なグレゴリー・ベイトソンや、神話学者のジョセフ・キャンベルもこの説をとっている。普遍的無意識との関係での「個性化の過程」とみるユングの説もこれに入るだろう。私の説いてきたことも、その一つのバリエーションと言える。

あまり一般にそういう言われ方はしないが、とりあえずそういう捉え方を、「統合失調イニシエーション説」として括ることもできるだろう。

しかし、このような言い方が意味をなすには、「イニシエーション」ということの意味、また、あえて「イニシエーション」という言葉を使うことの意味が、それなりに明確にされなければならない

 今までにも、何度か「イニシエーション」については述べてきたが、今回は、そのまとめ的な意味もかねて、このような観点から述べ直してみたい。

ウィキペディアでは「イニシエーション」を、

・人生の節目に行われる儀礼については、通過儀礼を参照のこと。

・オウム真理教の修行については、オウム真理教の修行 を参照のこと。

・イニシエーション・ラブ - 乾くるみの小説。2015年に映画化。

として、3つに分けて別々に括っている。「イニシエーション」という言葉が、一義的に説明しがたい、多様な意味を持っていることを示している。ここで問題にする「イニシエーション」は、もちろん、この中では、「通過儀礼」として説明される事項ということになるので、その説明をあげてみる。

「通過儀礼(つうかぎれい、rite of passage)とは、人間が出生してから成人し、結婚などを経て死に至るまでの成長過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。イニシエーションの訳語としてあてられることが多い。具体的な内容は地域の歴史と風俗により変わり、更に内容も目的も変わり時代と共に変遷する。」

基本的に、問題にする「イニシエーション」と重なる説明だが、ここで問題にしているのは、人間や社会集団が行う「儀礼そのもの」を意味するのではないので、そのまま当てはまるというわけではない。

辞書では、「特定の集団に成員として加入する際に行われる儀礼」として説明されることが多いようである。これは、英語としての「Initiation」の意味に、「加入する」こと、「参入する」ことの意味があり、そのように、ある特定の集団に加入・参入するための儀式という意味で言われているのである。あるいは、「通過儀礼」一般においても、その儀礼を通過した者は、結果として、ある特定の集団への加入が認められることになることが多い(たとえば、成人儀礼の場合は、大人としての集団)ので、通過儀礼としての意味とも重なるものがある。

しかし、いずれにしても、このような説明は、社会的な集団の行う外面的な儀礼に注目したもので、統合失調で問題にする「イニシエーション」と直接関わるわけではない

要は、統合失調イニシエーション説でいう「イニシエーション」というのは、このような「通過儀礼」や「加入儀礼」そのもの、あるいはその形式ではなく、その実質的な意味であり、本質なのだということができる。

文明国で行われる儀礼は、文字通り「儀礼化」して、形式的要素が多いから、その実質的意味あるいは本質は、ほとんど分からないものになっている。ただ、先住民文化で行われる儀礼は現在も生きたものが多いので、その実質的な意味あるいは本質を見出す試みがなされ得る。とは言え、そこには日常性を超えた「見えない」部分が多く、明確に見出されることにはなってはいない。いわば、「イニシエーション」という言葉で括りつつ、その「実質」は、今後の研究や探求に開かれているものと言える。

しかし、とりあえず、「イニシエーション」という言葉が、そのような「儀礼」の実質的な意味あるいは本質を、明確ではないながらも含意していることが重要である。それで、統合失調についても、明確さを欠くきらいはあっても、とりあえず「イニシエーション」として括っておくことで、大枠的な理解あるいは方向づけがされるとともに、さらに探求を深めることができるのである。

これを、「通過儀礼」や「加入式」という儀式そのもの、あるいはその儀式の過程に普通含まれる「試練」という言葉(日本語)を使ったのでは、非常に制限された意味になってしまうし、発展性に欠けることとなる。

そのような「イニシエーション」の過程については、既に、人類学の方面で、かなり鋭い論理的分析もされている。記事『人類学で、近代社会の常識を「ひっくり返す」』で、簡単にとりあげたように、「(共同体または日常世界からの)分離・過渡・統合の過程をたどる」(ファン・ヘネップ)や、「その過渡の段階では、「コミュニタス」と呼ばれる、何ものにも所属しない境界領域、あるいはそれまでの世界が崩壊した、カオス的な状況を通り抜けること」(ヴィクター・ターナー)などである。

これらは、確かに、先住民文化の儀礼の過程を、論理的に的確に分析するものがあり、統合失調の体験についても、抽象的には、十分当てはまるものがあると言える。統合失調「イニシエーション説」においても、これらを汲み取ったものが多いであろう。

ただし、それは、一つの論理的分析として、やはり抽象的なものであるし、儀礼の過程の具体的な様相や、儀礼の実質的意味あるいは本質を十分に解き明かすものとは言えない

私は、「イニシエーション」の実質的意味あるいは本質というのは、先住民文化の行う儀礼の中でも、シャーマンになる者が受ける儀礼(入巫儀礼、シャーマン的巫病を伴う)にこそ強く現れているものと思う。成人儀礼などの他の儀礼にも、そのエッセンスは含まれているが、それは、シャーマンが受ける儀礼のいわば簡易体験版なのである。

だから、シャーマンの受ける儀礼の実質的意味や本質こそがより深く探求されなければないが、それは通常の儀礼以上に「見えない」要素に満ちていて難しいのである。

ただし、前回の記事でもみたように、シャーマンのあり様は、物質的な面からも明らかにされるようになって来ているし、統合失調との絡みでも重要なシャーマンが入るトランス意識については、脳波などの脳研究においても探求されるようになって来ている。先住民文化のフィールドワーク的な研究(それはカスタネダのように、研究者自身が体験することが最も望ましい形だが)と相まって、今後は、その内容がより深まって来る可能性があるのである。

私は、記事で何度も述べたように、シャーマンがトランス意識によって入る「世界」は、抽象的に日常的世界から「分離」されての「過渡」の段階、あるいは「境界的なリミナリティ」の段階にあるというだけでなく、実質的な「もう一つの現実の世界」あるいは「他界」の体験であることを確認することが重要なことと思う。

それはまた、統合失調の者が入る「世界」でもあるわけだが、それが実質的な「世界」であることが確認されて初めて、それが実体としての「病気」ではないということの意味も明確になり得るのである。そして、シャーマンの場合と比較することで、そのような体験が、統合失調の場合には、「病的なもの」になる、あるいは「病的なものに終始する」理由もまた、明らかになって来るはずなのである。

つまり、統合失調の場合も、儀礼の実質的意味あるいは本質としての「イニシエーション」の過程を通ることには違いがないが、それが、シャーマンの場合のようには、「成功」に終わらないことの理由も明らかになるはずということである。

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