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2025年3月

2025年3月20日 (木)

「自然(じねん)」の自然観と「おのずから」と「みずから」

西洋近代の世界観というものが、いかに特殊で狭いものであるかを、折に触れて述べてきたが、その世界観の中の重要な要素として、「自然観」がある。

西洋近代の自然観のポイントは、「自己」という主観的な観察者に対峙するものとして、対象としての「自然(ネイチャー)」を立てるところである。我々が、客観的で疑わざるものとして信奉している「自然科学」も、この自然観を基礎にできている。

我々は、このような自然観が自明なものとして広がっている中で育っているので、この自然観が特殊の狭い見方であるとか、他の自然観があり得るなどということは、信じがたいことになってしまうのが普通だろう。

しかし、この観察者としての「自己」というものは、明らかに、一神教的な「神」の位置を引き継ぐもので、対象としての「自然」はその(唯一の神により合法則的に造られた)「被造物」ということを背景にもつものである。歴史的に言っても、かなり特殊な見方を背景にして、できている見方だということである。

このことは、近代以前の日本の自然観である「自然(じねん)」の自然観と照らし合わせてみると、よりはっきりする。

日本の「自然(じねん)」の自然観では、「自然」は「自己」と対峙するのではなく、「自己」を包み込んでいる。従って、「自然」は、自己が観察する、単なる「対象」ではない。むしろ、それは、我々の自己を超えた、「主体」なのである。それは、我々の「自己」をも包み込んでいると同時に、あらゆる「他の存在」も含みこんだうえでの主体でもある

日本では、古来、「山」や「海」、あるいは「熊」や「狐」などの特定の動物が崇拝されてきたが、その背景には、このような「自然」そのものがあると言うことができる。

この両者の違いを図にすると、次のようになる

Photo_20250320133201

日本の「自然(じねん)」の自然観についてはあまり取りざたされることがないが、たとえば、精神科医の木村敏が『自分ということ』(ちくま学芸文庫)という本でかなり詳しくとりあげている。そこでは、「自然」の「自」あるいは、「自己」の「自」について、「おのずから」という面と「みずから」という面の両面があることが言われている。

これは、要するに、自己をも包み込む自然(じねん)を主体としてみたときの「自」のあり方が、「おのずから」であり、その中の「自己」を主体としてみたときの「自」のあり方が、「みずから」ということで理解できる。そして、この「おのずから」と「みずから」が矛盾なく一致するのが、「自然(じねん)」のあり方の本来の姿であり、理想とされる。

この「自然(じねん)」について、宗教家として端的に語っている者に、親鸞がいる。親鸞は、「絶対他力」を説き、阿弥陀仏の本願を信じることがすべてと説いた者で、しばしば「禅」などの「自力」の宗教と対立するものと捉えられる。しかし、親鸞は、阿弥陀仏とは、「自然法爾(じねんほうに)」のあり様を示すものだという

そして、この「自然法爾」とは、「おのずから然る」ことだと言われている。また、「わがはからはざるを、自然とまふすなり。これすなはち、他力にてまします」と言われており、自分のはからいをしないで、阿弥陀仏の「自然(じねん)」の働きに任せるのが、「他力」とされている。

つまり、単独のものとしてあるかのような「自己」の「みずから」の働きをしないで、自己も包まれてあるところの、「自然」の「おのずから」の働きに任せるということである。

禅のような自力の宗教も、我のはからいを捨てて、「無の境地」を目指すのであり、結局は、自己を超えた「おのずから」の働きに身を任せることに帰する。ただ、とっかかりに、「自力」か「他力」かの違いがあるだけである。親鸞の「わがはからいをしない」というのも、要は、自己の「みずから」の働きが、自然(じねん)の「おのずから」の働きと一致するものと捉えることができる

この「おのずらか」と「みずから」の関係を図にすると、次のようになる

Photo_20250320133801

これは、仏教という一つの宗教において捉えられた観点だが、それは、基本的には、木村敏も言うように、近代以前の日本人に広くみられる、あるいは現在の日本人にも潜在的には多く残っている「自然」についての見方ということができる。

 私も、父が好きだった影響もあり、10代の後半頃親鸞に興味を持った時期があるが、やはり、西洋近代の自然観に強く毒されていたことが影響してだろう、あまりピンと来なかったというのが本当のところである。その後、仏教そのものに興味を持って勉強したときには、親鸞についてもある程度理解したつもりだったが、やはり、西洋近代の自然観の影響が強く、このような「自然(じねん)」の発想そのものには本当には馴染めていなかった。

そして、それは、割と最近まで続いていたと言えるが、最近になって、ようやく、「自然(じねん)」の自然観が、ごく普通に受け入れられるようになり、身にもついて来たと感じている。「自然」は、とても単なる「対象」などではなくなっている。

※ 『人と人の間』としていましたが、同書でも「人と人の間」には「自然」を含めるべきとして同趣旨のことは述べられているものの、「おのずから」と「みずから」について特に述べられたものは、『自分ということ』でしたので、訂正しておきます。

2025年3月 6日 (木)

「共同体の闇」と「妖怪」

『遠野物語』に限らず、「妖怪」というものは、「共同体の闇」を反映したものであるという見方がある

たとえば、「河童」については、奇形で生まれたために「間引き」され、川に流された赤子だとする説がある。このサイトには、この説が分かり易くまとめられている。

実際、『遠野物語』五十五には、この説に説得力をもたせるような河童の子殺しの話が載っている。それは次のような書き出しで始まっている。

川には河童多く住めり。…松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。

かなり衝撃的な事柄が簡潔に表現されており、実際、柳田国男もこの話に衝撃を受けたからこそ、まずこの話を河童の話の冒頭に持ってきたのだろう。この子は、「きわめて醜怪」な形をしていて、手に「水掻き」があったとされ、この子の母もかつて河童の子を産んだとされる。それは、実際には、「奇形で生まれた子」なのであり、近代以前には、産むことのできない子を「間引き」する習慣があったので、間引きされた子を、共同体的には、「河童の子」とみなすことで、いわば「正当化」したというのがこの説である。

近代以前に「間引き」の習慣があったのは本当だし、その「間引き」とは、単に「殺す」ことではなく、「人間の世界に生れることのできないものを「神」の世界に返す」という観念の現われであったことも確かである。だから、この話の場合は、実際に、「河童の子」とみなすことで、「神」の世界に返されたものだったのかもしれない。早く言えば、「河童のせい」にすることで、(共同体的に)丸く収めようとされたわけである。

しかし、この子殺しの話は、「遠野物語」に限らず、全国的に広がっている「河童」の伝承や遭遇譚の中では特殊な話に属するし、「河童」の話は、さらに一種の「水の精霊」として、世界的に広がっているものである。このような「河童」の話全部を、「奇形の子」説で説明することはとてもできない。また、この説が、「河童のせい」にすることができたのも、既に「河童」という存在のイメージがあったからで、この説が「河童」という存在のイメージを作り出したわけではない

さらに、著名な妖怪研究者小松和彦は、「河童」には、「河原者」とよばれて差別された、川辺に住む「異形」の民のイメージが反映されているという。また小松は、「鬼」というのも、大和政権に「まつろわぬ民」の反映としているが、実際、それらの側面があるにしても、それも同じく、本質的には、「河童」や「鬼」のイメージがあるからそれらの民にそのようなものを投影できるのであって、けっしてその逆ではないと言うべきである。

(もう一つあげると、小松は、「神隠し」は様々な理由で疾走して共同体からいなくなった者を「神隠し」にあったのだとして、共同体的に「諦める」システムということを言っているが、これも同じく、「人が神に隠される」というイメージがあるからこそできることで、逆ではない。)

私も、一つの完結した宇宙ともいうべき「閉じた共同体」には、「受け入れざる」さまざなものを「外部に排除」するシステムがあっただろうことは認めるし、そうせざるを得ない場合は、多かっただろうと思う。

つまり、「共同体」にも「闇」の部分があったわけだが、「妖怪」や「異界」のすべてをそのような「闇」の部分の反映などとみるのは、あまりに狭い見方で、非現実的だということである。

 

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