「かの始めのとき」と「無意識」
前々回、「先住民文化にとっても、誰もが神々や精霊や祖先と交流できた天上的な世界とのつながりは、いったんは失われたのであり、それを回復し、再現するためにこそ、「シャーマン」なる特殊技術者を、必要とした」ということを述べた。エリアーデは、そのように、「誰もが神々や精霊や祖先と交流できた天上的な世界とのつながり」があった時代を、「かの始めのとき」と呼んでいた。
このように、「かの始めのとき」というと、我々、直線的な時間観念を生きている者には、その時間観念の遠い過去の特定の時代を意味すると受け取られるかもしれない。しかし、この「かの始めのとき」というのは、単に、時間的な観念における過去を意味するのではない。それは直接的な時間観念の根底にあって、「いま現在」も常に働きかけているものである。それは、通常の「時間」を超えており、直線的な時間観念の中に収まるような、特定の時間を意味するのではないということである。
アボリジニのいう、「ドリームタイム」というのも同じことで、遠い過去の「神話的な時間」ということではなく、いま現在、さらに未来も含むような、直線的時間を超えて、根底に働いている「時間」を意味している。
だから、先住民族において、それが「失われた」といっても、それは、「いま現在」において、つながることのできなくなったものなのではない。それは、直線的な時間観念の支配する「日常的な意識」から失われたのであって、「無意識」の深くの「非日常的意識」へと沈み込んだものということができる。
なので、その「無意識」の深くの「非日常的意識」と何らかの方法で繋がることができるなら、その「かの始めのとき」とのつながりを、「いま現在」において取り戻すことができるわけである。それを取り戻す方法が、シャーマンにおける「エクスタシー」(脱魂)技術であり、そのシャーマンが指導する儀礼においては、他の共同体の者たちも、「かの始めのとき」とのつながりを何らかの仕方で、共有することができるようになる。
ところが、先住民族においても、その「日常的意識」と「非日常的意識」との溝は、けっして浅いものではないので、シャーマンにおいても、そのつながりを取り戻すには、多くの試練を超えなければならない。「死と再生」と言われるように、「日常的意識」に死んで、「非日常的意識」に新たに生まれる直すことができなければ、そのようなことは達せられないのである。シャーマンの指導において、儀礼の中で、「非日常的な意識」へと入る他の共同体の者においても、それはある程度言えることである。
記事『「<癒し>のダンス」』では、クン族の儀礼において、そのように、通常の自我の支配する「日常的意識」に死んで、「非日常的意識」に入っていく状況こそ、シャーマン的な「癒し」における要となる状況であることや、その難しさを、かなり詳しく述べたので、ぜひ参照してほしい。
また、このクン族では、「シャーマン」と呼ばれるような特殊の地位を有する能力者というものは立てられておらず、誰もが、儀礼の中で、そのような「非日常的意識」を獲得することによって、シャーマン的な能力を発揮し、しかし儀礼が終われば、もとのただの共同体の一員に戻るのだった。
このような例は、とても興味深く、いわば、誰もがそのような能力を発揮できた「かの始めのとき」と、シャーマンによってそのような時間が取り戻されるようになったシャーマニズム文化の、中間形態と言うこともできよう。
それに対して、近代人においては、確かに、文化としてはそのようなものは、ほとんど「完全」に失われたが、本来、「かの始めのとき」は、「いま現在」も時間の根底に働いているのである以上、それとつながる可能性が、全くなくなったというわけではないのである。
ただ、そのようなものは、先住民族に比しても、より深い「無意識の奥」へと沈み、「日常的意識」との溝は、決定的に深まったと言うことができる。また、方法論としても、それを取り戻すような方法は失われ、そもそもそのようなものは、「ないこと」にすらされているので、そのような「溝」を埋める方法も、現実になかなか見いだせない状況にあるということになる。
しかし、繰り返すが、決して不可能なのではないし、「統合失調状況」の体験というのも、かなり歪みを受けた形ではあるが、「かの始めのとき」の何ほどかを、反映する体験ということは言えるわけである。
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