« オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 4—「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味 | トップページ | オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 6-総括及び結論 »

2023年10月19日 (木)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 5-「迷信」及び「妄想」とそれらを否定することの意味

前回、次は締めくくりをすると言っていたが、その前に、「迷信」ということと、それを「迷信」として否定するということの意味を、それなりに踏み込んで明らかにしておく必要があるので、今回はそれを述べることにする。そうして、最後の締めくくりでは、端的に、総括と結論を述べるだけにしたい。

(この一連の記事では、しつこい位に、この「世界観の根本的変化」が行われた経緯や背景を明らかにしようとする意図がある。既に、結論はこれまでの記事でも、何度か述べているので、それで十分理解し、納得できる人は、あえて読む必要はないかもしれない。)

これまで述べてきたとおり、「狐憑き」を「迷信」として否定することとで、「憑く心身」から「病む心身」への「世界観の根本的変化」がなされたのだった。だが、そもそも「迷信」とは何か、「迷信として否定する」とはどういうことか、ということは、改めて問うてみると、容易でない問題で、少しも自明なことではない。

「迷信」であることが自明に思えるのは、「世界観の変化」した近代の中において、その「世界観」を疑うことなしに前提として、見るからであって、その「世界観の変化」自体を問題にするときには、決して自明ではなくなるのである。

Wikipediaによれば、「迷信」とは、

「人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの。一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や俗信などをこう呼ぶ。様々な俗信のうち、社会生活に実害を及ぼすものである」

とされている。

「人々に多く信じられている」ということ、「合理的な根拠を欠く」ということ、「社会生活をいとなむのに実害がある」「道徳に反する」ということがポイントのようである。しかし、このような抽象的な説明は、何ら、「迷信」の実質を、明らかにするものではない。

「合理的な根拠」とは何か、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」とはどういうことか、というのは、容易に判断できることではなく、また時代や文化の影響を大きく受ける。「合理的」ということそのものが、近代的な世界観を前提にして、初めて言えることでもある。

まさに、明治以降に、伝統文化の世界観の根本的な変化があったからこそ、それまでの伝統文化で信じられていたことが、「迷信」と解されるようになったことが分かる。というよりも、むしろ、伝統文化において信じられてきたことを否定することそのものが、「世界観の根本的な変化」なのであり、そのためにこそ、「迷信」ということが持ち出されているということなのである。

また、現代において、一般に、「迷信」ということで言われているのは、「夜に爪を切る と親の死に目に会えない」とか、「茶柱が立つと縁起がいい」など、一種の「戒め」や「縁起」に関わる、「言い伝え」が多く、特に、社会的に害があるとか、道徳に反するということはないものがほとんどである。

それは、そういった社会的に害があるものや、道徳に反するとみなされる「迷信」が、「狐憑き」に代表されるように、既に「迷信」として一般的に否定されて来たので、そういった害のないものが、今でも残っているからだということも言える。

しかし、一般的に、「迷信」と言われるものに、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」などということが、当然のように言えるはずもないことで、あえて、「迷信」ということに、そのような意味合いが含まれているのは、それを「否定する」という志向性が、既にそこに込められているからこそと言うことができる。

中村古峡という心理学者が、大正10年に書いた『迷信と邪教』という本(kindle)は、迷信を否定する立場から、迷信とはどういうことかについて、明解に説かれているので、参考になる。著者は、フロイト等の精神分析を日本に紹介し、また精神病院の院長として精神医学の普及にも大きく貢献した人物である。

中村の「迷信」に対する態度は、非常に攻撃的で、「根絶すべきもの」ということで一貫している。

中村によると、「迷信」とは、「一種の判断の錯誤に基くもので、その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信ずる現象である。」とされる。また、「迷信というのは 言葉は(ママ) 宗教的の迷える信念に名づけたものである。」とも言われる。

著者は、決して単純に、科学万能主義に立って、科学に反する事柄を「迷信」としているわけではなく、科学万能主義もまた害あるもので、科学によっても分からない未知の領域については、「哲学」や「宗教」などによって問われるべきものとしている。

しかし、結論としては、「科学に反する」ことが、「迷信」とされることの前提であることに変わりなく、それにいくつかの要素が加わっているだけである。また、明らかな「進歩主義」に立っていて、「信仰」については、未開の原始信仰は、遅れた「野蛮」なもので、組織的に高度化された「宗教」は、意義のあるものとする。従って、日本の伝統文化で信じられていることの多くは、「原始信仰」に基づくもので、遅れた「野蛮」なものとして、排斥すべきものとなるのである。

また、中村は、迷信に基づく行為が、社会的に危険で、道徳に反することが「普通」であることも指摘している。Wikipediaの、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」という記述は、恐らくこの中村の説に基づいていると思われる。

その部分を引用すると、次のようである。

「即ち、夜半の丑満時に 呪いをして、人に見つけられぬようにせなければならぬとか、寒中に水垢離を取れば願が叶うとか、大なり小なり何か難とする所を含ませる。これが或る場合には秩序を紊る道徳違反的行為となる」

また、「狐憑き」にも言及し、

「狐が憑くことは、 日本では広く普及している迷信であって、之が未だに退治されないのは情ない話である。」

まさに、「狐憑き」が退治すべき「迷信」の代表であるとしているが、大正10年当時、広く普及している状況だったことが分かる。

「之は改めていうまでもなく精神病者で、狐という観念が頭にあるために狐のような 挙動をするのである。」

記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』でみたように、多くの精神科医と同様、「狐憑き」が「精神病」にほかならぬこと、一種の「ヒステリー現象」であることを説いている。

さらに、興味深いことは、「迷信」が「病的に強く現れた」のが、「妄想」としていることである。そして、

「妄想になると、如何なる手段方法を以てするも今日までのところ矯正し得られないことになっている。」「こうなると最早や手のつけようがないものであるから、その矯正に骨折るよりは、 然るべく隔離して、他の者をそれにかぶれさせない工風を講ずることが肝要である。」

と、精神医学ないし精神病院を広く押し進めることの必要も、「迷信」との絡みで、説いているのである。

ただし、著者は心理学者らしく、「迷信」を信じることについての「心理」については、それなりに意義のあることを指摘している。

何事かを信じるということについての「心理」、「動機」を問題とし、「信仰」すべてを否定するのではなく、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」から信じられたものを、「迷信」とするとしているのである。

それは、誰の心にもある傾向とされ、「非合理的な方法によって本能を充足しようとする傾向が人々の心にある。これが、迷信を生み出す根本の動機となるものである。」と言われている。

「非合理」か「合理」かというのは、簡単に言えるはずもないことだし、近代的な世界観が前提になっていることだが、「迷信」の多くに、そのような面があることは、確かなこととして認められることである。

中村の説を総括してみると、中村は、「迷信」は、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信じる現象」としているが、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事」というのが、やはり曖昧に過ぎる。

「科学」だけでなく、「一般的な知識」もあげているが、そのような知識は、いくらでも移り変わるものだし、「真実でない或は合理的でないと分っている」というのは、誰がどの範囲で分かっているのか、不明である。「その時代」という限定をつけているようではあるが、「迷信」を「根絶する」ことを強く訴える態度とは、明らかに矛盾する言い方である。

実際にも、中村が代表的な例としてあげている「狐憑き」にしても、害のあるものの例として挙げている「丑三つ時の呪い」にしても、それらは、「科学」において明確に「否定」できるものではないし、否定されたこともない。もちろん、中村の論においても、そのようなことは、全くなされていない。

また、それらは、既にこれまでみて来たように、「その時代」と言われる、大正10年の当時において、「一般の知識」が「真実でないあるいは合理的でないと<分かっている>」などと言えるのかも、怪しいことである。(「狐に騙されることがなくなった」1965年頃なら、そう言えるかもしれないが、かなり、「霊的な事柄」が見直されている現在となると、またそれも怪しい。)

迷信に基づく行為」が危険であり、害をなすのが「普通」、また「道徳に反する」というのも、逆に、例えば「科学技術」に基づく行為が「危険」で「害をなす」、あるいは「道徳に反する」面があることと比して、それに勝ると言えるのかは疑問である。それは、「近代的な戦争」や、身近なところでは、「自動車事故」を顧みても、明らかだろう。

要は、「科学技術」には、全体として「意義」があるから、「危険」や「害のある面」は許容されるのであって、「迷信」には、何の意義もないとみなすから、「危険」や「害のある面」だけが浮かび上がるのである。しかし、これも、「世界観」の問題であって、伝統文化においては、それらに意義が認められていたから、危険の面が許容されていたということに過ぎない。

従って、全体としては、中村が「迷信」としてそれまで伝統文化で信じられてきたことを「否定したい」という思いは強く伝わるものの、「迷信」を「迷信とする」(迷信として否定する)ことについては、何ら明白な根拠らしいものは、見出せないのである。

ただ、「迷信」を信じるときの「心理」については、先に述べたとおり、受け容れられる面がある。ただし、その「心理」なるものも、実は、「迷信として否定」しようとする側の「心理」、「動機」についても、十分当てはまるものと言うべきものである。

ある事柄を「迷信として否定する」ということもまた、やはり、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」からなされていることに違いない、ということである。中村のように、「根絶」しようとするほどの欲求には、それが明らかに強く認められる。「迷信」として信じられていることに、怖れや嫌悪を抱いていて、自分の立場や信念が脅かされるから、それらを「ないもの」としたいのである。

そもそも、「迷信」とされるものを、丸ごと信じるか、丸ごと否定するかという二分法的な発想が問題なのである。

「迷信」には、伝統文化において、長い間培われた経験や知識に基づく一定の真実が含まれている。しかし、それがある時代や文化、あるいは特定の集団などにおいて、ある種の「誇張」や「拡張」を受けたり、あるいは「解釈」としてずらされたり、捻じ曲げられたりしたため、誤謬を含むようになったものと言うべきである。

たとえば、「狐憑き」の場合は、記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』で見たように、「狐」という精霊的存在が「憑く」という現象は、基本として確かに存在している。しかし、「狐」について、動物そのものの狐と混同されたり、それによって起こる錯乱的な状態と似た状況を、ことこどく「狐憑き」と拡張的に受け取ったりしたために、多くの誤謬を含むものになってしまったものと言うことができる。

そこには、「狐が憑く」という多分に「おどろおどろしい」事態に対する「怖れ」や、理解しがたい言動をするようになった者に対する「怖れ」があり、そのことから、自己や自分の属する集団を守りたいという、自己保存の欲求がある。つまり、「迷信」を生み出す「心理」や「動機」が確かに働いている。

しかし、この点は、「狐憑き」なるものを「迷信」として丸ごと否定しようとする側にも言えることである。そこには、やはり、「狐憑き」という「おどろおどろしい」(「捕食者的な」要素を多分に含む)現象に対する「怖れ」や、伝統文化と、新たに入って来た近代的世界観を信じることとの、「葛藤」や「不安」などから解消されたいという、自己保存の欲求がある。そのため、「迷信」として、丸ごと「ないこと」にして、きれいさっぱり解決したいと思うのである。

このような点は、現代にも残っている、一般的な言い伝えとしての「迷信」にもはっきり表れている

たとえば、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信が生まれた理由には、いくつかの説があるようだが、『なぜ夜に爪を切ってはいけないのか』(北山哲著、角川SSC新書)によれば、「かつて日本では、死者を埋葬する際に、その近親者が自分の髪や爪をともに埋めるという風習があった。この風習をきっかけとして、爪を切ると親の死に目に会えないという言い伝えが生まれた」ということである。

これは、「爪を切る」ということが、「死」を連想させるということで、「親の死に目に会えない」(自分の方が先に死ぬ)というかなり強い「不幸な出来事」の象徴のような事柄と結びつけられている。それは、それだけ、「夜に爪を切る」ことが、強く「戒められ」ているのである。このように、「死」を連想させることと、ある種の「戒め」が結び付けられる「迷信的言い伝え」というのは多くある。

私は、これは、「爪を切る音」にも関係していることだと思う。爪を切る音は、幽霊や悪霊が出るときの「ラップ音」と似ているのである。夜は、このような存在が出やすく、また「音」も響きやすい。似たような音が、幽霊や悪霊を呼び寄せる(出やすくさせる)ということを、恐れたため、「親の死に目に会えない」というかなり強い戒めと結びつけられて、このような言い伝えができたのだと思う。

このように、似た音が現象を引き寄せるというのは、ユングのいう「共時性」現象である。それは、意味的な関連で共鳴することから、現象を引き寄せるのであって、因果的に原因―結果の関係なのではない。しかし、それを、原因―結果として、因果的に捉えてしまうと、記事『「共時性」と「魔術的因果論」』で述べたように、「魔術的因果論」になり、「迷信」になってしまうのである。

つまり、「共時的」に解する限り、信実を含むのであるが、それが一般には理解しにくいため、「因果的」に解釈してしまったために、誤謬である「迷信」となってしまったものである。

「何々すると、何々する」という形の言い伝えは、このタイプのものが多い。

そして、「妄想」というのも、中村の指摘しているとおり、実はこの「迷信」と同じ構造をしている。そこには、感覚レベルにおいて「真実」が含まれるが、それが解釈において曲げられて、表現上誤謬となってしまったものである。

感覚レベルにおける「真実」が、未知の要素を含み、怖れをもたらすため、その解釈は、自己の経験から理解しやすいものへと、曲げられてしまっているのである。それは、自己保存の欲求(防衛反応)から来るもので、容易には訂正できないものとなる。中村が言うように、「迷信」が「病的に強く現れた」ものと言えるのである。

ただし、それは、決して、訂正できないものでも、「病気」として治療(隔離、収容)しなければならないものでもない。それは、(実際に、「捕食者」のような存在が関わっていて、「おどろおどろしい」要素をもつが故に、容易ではないことだが)、ただ、感覚レベルで起こっている「真実」というのを、ごまかさずに認められるかどうかにかかっているのである。

そして、この場合にもまた、「迷信」を丸ごと否定する側にも言えたことが、「妄想」として「精神病」とみなそうとする側にも言えるのである。「妄想」として「精神病」とみなすことも、「妄想」の裏返しとして、「妄想」と同じ構造を含むということである。「捕食者的」な「おどろおどろしい」ものを、「怖れ」、「ないこと」にしたいために、「妄想」とし、「精神病」として解決することを欲するのであるから。

そして、このように、「迷信」として否定するというあり方がとられたが故に、もはや、その真実に目を向けることは、「妄想」をもつ側にとっても、それを病気として否定する側にとっても、難しくなってしまった。それで、「妄想」は、一般に、訂正不能と解されるまでに、「手がつれられ」ず、強固なものとなってしまったのである。

前回、西洋の場合は、大々的な「魔女狩り」があったので、それを二度と起こさないために、「魔女」に集約する形で、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定する意思が生じたことは、見えやすいと述べた。

日本の場合も、「魔女」ほどではないが、「狐憑き」にも、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」の要素はある。特に、狐その他の「憑きもの筋」による「憑きもの」は、記事『「日本の憑きもの」』でも述べたように、「魔女狩り」にも比し得るほど、そのような「おどろおどろしい」要素が強くある。

その他にも、民衆による、解放令反対一揆に伴う「被差別民虐殺の事件」や、『なぜ1-「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』の記事でもみた、西洋人やキリシタンによる「血とり」や「膏とり」の風聞による騒動など、「魔女狩り」まがいの出来事は起こっているから、やはり、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定したいという意思は、かなり強く醸成されていたということができる。

しかし、既にみて来たように、日本の場合、そのような意思が全体として実現するのには、相当な紆余曲折を経て、長い年数がかかっている。「狐憑き」が迷信として否定されるのは、「精神病院」の体制が整い出す昭和10年頃から、戦後にかけてと言うべきだし、よりソフトな、「狐に騙される(化かされる)」に至っては、1965年頃まで生きていたのである。

もともと日本は長いこと、伝統文化の世界観の中で暮らしていたので、西洋という異文化から移入され世界観を、容易には受け入れ難かったのは当然である。しかし、そのような日本でも、「精神病院」の体制が整う頃には、「狐憑き」を「迷信」として否定することを受け入れるようになるのである。この「精神病院」の体制が整うことの果たした役割は、西洋の場合以上に、大きいと言わねばならない。

大々的な「魔女狩り」の起こった西洋では、「精神病院」は、「魔女狩り」そのものが止んだ後の、実質「魔女狩り」の継続として、「魔女」と同視される「精神病者」を、収容、隔離させるシステムと言えた。このシステムがあることで、「魔女」を「迷信」として否定すること、従って、人を「魔女そのものとして狩る」ことがなされないで済んだのである。

しかし、大々的な「魔女狩り」のなかった日本では、この「精神病院」こそが、実質「魔女狩り」そのものの役割を果たすようになるのである。「魔女狩り」への反省的視点がないため、それはかなりあからさまに、「魔女狩り」そのものの様相を呈する。そして、そのことによってこそ、「狐憑き」に反映されるような、「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」とすることができるようになるのである。

実際、『幻視する近代空間』や『精神病の日本近代』も指摘するように、それ以降、「精神病者」は、(状態としてではなく)存在として病む危険な者、遺伝する病の保持者、(社会を守るため)予め収容等の措置をすべき者として、精神科医だけでなく、メディアなどで、大々的に扇動される。そして、そのような「精神病者」として「告発」された者は、「精神病院」に隔離、収容される(「狩られる」)ことを余儀なくされるのである。

だから、日本において、「世界観の根本的変化」ということに、精神医学と精神病院の果たした役割は、あまりに大きいと言わねばならない。そして、その意義は、現在においても、継続しているのである。日本の精神病院には、世界1位の数の「病床」があり、圧倒的な数の「患者」が、現在も収容されている。そして、それは、表面上どう言おうと、多くの者が認める必要に基づいているからこそである。それがあってこそ、「世界観の根本的変化」が達成され、「狐憑き」のような「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」にできたのだから、それは容易に解消されるべくもない。

西洋の「魔女狩り」では、誰もが「魔女」として告発される可能性がみえることで、「魔女狩り」は終息に向かうことになった。そのことになぞらえて言えば、日本では、誰もが「精神病者」として告発される可能性が本当に認識されたとき、「精神病者」として、病院に「隔離、収容」することも、終息に向かうようになるのだろう。

 

« オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 4—「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味 | トップページ | オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 6-総括及び結論 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 4—「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味 | トップページ | オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 6-総括及び結論 »

新設ページ

ブログパーツ

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

コメントの投稿について

質問の募集について

無料ブログはココログ