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2023年10月31日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 6-総括及び結論

私は、記事『なぜ1—「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』において、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化はなぜ起こったのか」の理由の結論を、次のように述べていた。

「後に改めて再説するが、とりあえず、結論として、「迷信の否定」は、(科学の発展その他の外部的な状況の変化によるのではなく)それまでの世界観の中には、何とか組み込まれていた、「オカルト的なもの」、より直接的には、「捕食者的なもの」を、多くの者が、否定したかったからこそ起こったということが、本質的な理由と言わねばならないのである。」

既に述べたように、伝統文化のあり様を「迷信として否定」することこそが、「世界観の根本的な変化」そのものなのであるから、これは、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化がなぜ起こったのか」の、端的な理由であり、結論なのである。

西洋の場合は、「魔女狩り」という大々的な事件が起こったので、「魔女」に集約する形で、そのような「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」ことは見えやすい。しかし、日本の場合も、多かれ少なかれ、同じように、「狐憑き」に集約する形で、「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」のである。

ただし、それは、様々な状況の変化によって、そのように望まざるを得なかった部分も多く、それを可能とする状況が整うことにもよっていた。明治以降、支配層や知識人、メディア等が押し進めた開化の推進や、それまでの伝統文化を迷信として否定する扇動などは、その方向を受け容れざるを得ない流れを作り出したし、変わらず出現する「狐憑き」様の状態を示す人々を、隔離、収容して厄介払いする、「精神病院」のシステムが整う必要もあった。

しかし、それら、外的状況の変化は、多くの人々の「世界観の根本的変化」をもたらす「必然的」な理由とは言えない。それらも、結局は、世界観の根本的な変化を志向し、受け入れる、内的動機の形成に与る限りで、理由として作用したのである。

そして、何よりも、「恐ろしく」「認めがたい」、「オカルト的なもの」、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという欲求には、これらの理由とは別に、一種本能的な、逆らい難い、独自のものがあった。そして、それこそがこの時期に、外的な状況の変化にも促されて、強く発現することになったと言うべきなのである。

 

だから、(外的な状況ではなく)そのような内的な欲求こそが、より本質的で、根源的な理由なのである。

 

記事『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』でみたように、カスタネダのドンファンは、「捕食者」について、「みんな子供の頃にそいつを見て、あんまり恐ろしいものだから、それについて考えるのを止めてしまう」と言っていた。つまり、本当は、誰もが、「潜在的」には、「捕食者」の存在と恐ろしさを知っているが、それを抑圧しているため、意識レベルでは否定しているということである。

しかも、我々は、「捕食者」から、「捕食者の心」を与えられているから、それは我々の内部にもあるのだが、それを認めることができないため、我々はその「捕食者的なもの」を、「他者」に投影しようとする。そして、その他者を「魔女」などとして、攻撃し、排除するのである。それは、「狐憑き」の場合にも、多かれ少なかれ、言えることである。

伝統文化では、「捕食者」という存在の「恐ろしさ」を認めつつも、その存在を否定することなく、何とか世界観の中に組み込んで、折り合いをつけていた。しかし、そのようなことも難しくなって、新たに、伝統文化を否定して、「捕食者的なもの」を「ないこと」とし、それによって再出発できるかのようになされたのが、「世界観の根本的変化」の核心だということになる。

ところが、それを実効的ならしめるためには、結局、「おどろおどろしい」「捕食者的なもの」だけでなく、「オカルト的なもの」あるいは「霊的なもの」一般、さらには、「神や神々に対する信仰」など、これまで生活の中心にあって、益をなすとされて来たものをも、否定することを迫られたのである。まずは、「オカルト的なもの」「霊的なもの」に関して、自分らにとって都合の悪い、「闇の部分」を否定することになったが、結局は、必然の流れとして、その「光の部分」をも否定することになったとも言える。

そうして、「オカルト的なもの」「霊的なもの」を否定した、残りの(表面的な)部分で構成された、「物質的なもの」のみを存在するものとして、「世界観」の基盤に置くことによって、「科学技術」に基づく「発展」を推し進めて来たのが、現在に至る近代社会の流れである。

いずれにしても、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたかった、そんなものとは、「手を切りたかった」という、内的な欲求こそが、第一の動機なのである。

ところが、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしても、それは実際になくなるわけではないから、その「投影」は、「魔女」や「狐憑き」としてではなくとも、実質同様なものとして繰り返されることになる。特に日本では、以後、「精神病者」こそが、そのような投影の対象となる。

また、「闇の部分」を否定したつもりになっても、実際にはそんなことはできていないのだから、我々は戦争や犯罪、その他の殺戮を、より技術的に発展したレベルで、繰り返すことになる。

そして実際、「捕食者的なもの」が表面上否定されていて、それを顧みることのない、近代社会ほど、「捕食者」の暗躍しやすい社会もないのである。

ボードレールの名言に、「悪魔の最も見事な狡猾さは、『悪魔はいない』と信じ込ませることだ」というのがあるが、これは実際に、「捕食者」の戦略としてなされたことなのである。

「世界観の根本的変化」は、「捕食者」の戦略に基づき、人間の支配層や知識人、精神科医、メディアなどが主導して引っ張って来たことではあるのだが、既にみたとおり、我々の多くが集合意識的に、「受け入れた」からこそ、起こったことなのである。

ジャーナリストの船瀬俊介氏は、『幽体離脱 量子論が“謎”を、とく!』(ビジネス社)という本で、「近代から現代にかけて、人類の「知」は、完全に悪魔勢力に乗っ取られて、今日に至るのである。すなわち、そのほとんどは狡猾な〝 洗脳〟の産物にすぎない」と言っている。また、「暗黒の近代」という言い方もしている。

近代社会は、「魔女狩り」を例に挙げ、「暗黒の中世」などと言い、自分らの社会をそれを克服した希望の社会のように見せかけたが、その「魔女狩り」自体が、既にみたとおり、実は近代の草創期に起こっているのであり、近代社会とは、その継続以外の何ものでもないのである。

記事『「虚偽への意志」と「精神医学」』でみたとおり、ニーチェも、(近代の)全ての学問は「虚偽への意志」に基づいていると喝破したが、これは要するに、学問構築の土台となる「世界観」が、「虚偽」に基づいているということである。その「世界観」とは、これまでみて来たとおり、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという、まさに「虚偽」の意志に発しているのだから、その上に構築された学問体系が、結局は「虚偽」に染められるのは当然のことと言わねばならない。

伝統文化の世界観が、決して丸ごと正しいということではないが、しかし、その認めたくない部分を否定したいがために、実質、それを丸ごと否定した世界観は、「虚偽」以外の何ものでもあり得ないし、そこから正しいものが生まれて来るとはみなし難い。

近代社会が生んだ、代表的な知と言える、「科学」というのも、「物質的なもの」という制限された内部においては、それなりに緻密に知識を深めたものがあるし、科学技術という強力な方法も生み出したが、それが「すべて」において当てはまるかのごとくみなす「世界観」に基づいている限り、やはり「間違い」であり、「虚偽」以外のものではない。

「世界観の根本的変化」が起こって、それが常識として浸透する現在の社会の中にいる限り、なかなか、このような「世界観」そのものを俎上に上らせること自体が、難しい。私自身もそうであるが、記事『カスタネダと「ヤノマミ」の著者の例』でも述べたように、そのためには、単なるカルチャーショックのようなものではなく、それを根底から疑問に付すだけの、強烈な体験が必要になる場合も多いだろう。

しかし、何らかのきっかけで、それを問題にすることがひとたび可能になるなら、現代の問題は、その「世界観」そのものから、全てが連動して生じていることなのが分かり、その世界観を問題にしない限り、なんら解決の方向へ向かいようがないことが分かるはずである。

すなわち、「オカルトを否定する世界観の根本的変化はなぜ起こったのか」を明らかにすることこそが、求められている、必要なことなのである。それは、結局、我々の「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を否定したいという内的欲求から来ているのだから、我々一人一人がそのことを自覚するなしには、何の解決の方向もあり得ないということである。

 

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