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2023年10月

2023年10月31日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 6-総括及び結論

私は、記事『なぜ1—「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』において、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化はなぜ起こったのか」の理由の結論を、次のように述べていた。

「後に改めて再説するが、とりあえず、結論として、「迷信の否定」は、(科学の発展その他の外部的な状況の変化によるのではなく)それまでの世界観の中には、何とか組み込まれていた、「オカルト的なもの」、より直接的には、「捕食者的なもの」を、多くの者が、否定したかったからこそ起こったということが、本質的な理由と言わねばならないのである。」

既に述べたように、伝統文化のあり様を「迷信として否定」することこそが、「世界観の根本的な変化」そのものなのであるから、これは、「オカルトを否定する世界観の根本的な変化がなぜ起こったのか」の、端的な理由であり、結論なのである。

西洋の場合は、「魔女狩り」という大々的な事件が起こったので、「魔女」に集約する形で、そのような「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」ことは見えやすい。しかし、日本の場合も、多かれ少なかれ、同じように、「狐憑き」に集約する形で、「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を、多くの人が「ないこと」として「否定したかった」のである。

ただし、それは、様々な状況の変化によって、そのように望まざるを得なかった部分も多く、それを可能とする状況が整うことにもよっていた。明治以降、支配層や知識人、メディア等が押し進めた開化の推進や、それまでの伝統文化を迷信として否定する扇動などは、その方向を受け容れざるを得ない流れを作り出したし、変わらず出現する「狐憑き」様の状態を示す人々を、隔離、収容して厄介払いする、「精神病院」のシステムが整う必要もあった。

しかし、それら、外的状況の変化は、多くの人々の「世界観の根本的変化」をもたらす「必然的」な理由とは言えない。それらも、結局は、世界観の根本的な変化を志向し、受け入れる、内的動機の形成に与る限りで、理由として作用したのである。

そして、何よりも、「恐ろしく」「認めがたい」、「オカルト的なもの」、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという欲求には、これらの理由とは別に、一種本能的な、逆らい難い、独自のものがあった。そして、それこそがこの時期に、外的な状況の変化にも促されて、強く発現することになったと言うべきなのである。

 

だから、(外的な状況ではなく)そのような内的な欲求こそが、より本質的で、根源的な理由なのである。

 

記事『ドンファンの言葉―「二つの心」と「捕食者」』でみたように、カスタネダのドンファンは、「捕食者」について、「みんな子供の頃にそいつを見て、あんまり恐ろしいものだから、それについて考えるのを止めてしまう」と言っていた。つまり、本当は、誰もが、「潜在的」には、「捕食者」の存在と恐ろしさを知っているが、それを抑圧しているため、意識レベルでは否定しているということである。

しかも、我々は、「捕食者」から、「捕食者の心」を与えられているから、それは我々の内部にもあるのだが、それを認めることができないため、我々はその「捕食者的なもの」を、「他者」に投影しようとする。そして、その他者を「魔女」などとして、攻撃し、排除するのである。それは、「狐憑き」の場合にも、多かれ少なかれ、言えることである。

伝統文化では、「捕食者」という存在の「恐ろしさ」を認めつつも、その存在を否定することなく、何とか世界観の中に組み込んで、折り合いをつけていた。しかし、そのようなことも難しくなって、新たに、伝統文化を否定して、「捕食者的なもの」を「ないこと」とし、それによって再出発できるかのようになされたのが、「世界観の根本的変化」の核心だということになる。

ところが、それを実効的ならしめるためには、結局、「おどろおどろしい」「捕食者的なもの」だけでなく、「オカルト的なもの」あるいは「霊的なもの」一般、さらには、「神や神々に対する信仰」など、これまで生活の中心にあって、益をなすとされて来たものをも、否定することを迫られたのである。まずは、「オカルト的なもの」「霊的なもの」に関して、自分らにとって都合の悪い、「闇の部分」を否定することになったが、結局は、必然の流れとして、その「光の部分」をも否定することになったとも言える。

そうして、「オカルト的なもの」「霊的なもの」を否定した、残りの(表面的な)部分で構成された、「物質的なもの」のみを存在するものとして、「世界観」の基盤に置くことによって、「科学技術」に基づく「発展」を推し進めて来たのが、現在に至る近代社会の流れである。

いずれにしても、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたかった、そんなものとは、「手を切りたかった」という、内的な欲求こそが、第一の動機なのである。

ところが、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしても、それは実際になくなるわけではないから、その「投影」は、「魔女」や「狐憑き」としてではなくとも、実質同様なものとして繰り返されることになる。特に日本では、以後、「精神病者」こそが、そのような投影の対象となる。

また、「闇の部分」を否定したつもりになっても、実際にはそんなことはできていないのだから、我々は戦争や犯罪、その他の殺戮を、より技術的に発展したレベルで、繰り返すことになる。

そして実際、「捕食者的なもの」が表面上否定されていて、それを顧みることのない、近代社会ほど、「捕食者」の暗躍しやすい社会もないのである。

ボードレールの名言に、「悪魔の最も見事な狡猾さは、『悪魔はいない』と信じ込ませることだ」というのがあるが、これは実際に、「捕食者」の戦略としてなされたことなのである。

「世界観の根本的変化」は、「捕食者」の戦略に基づき、人間の支配層や知識人、精神科医、メディアなどが主導して引っ張って来たことではあるのだが、既にみたとおり、我々の多くが集合意識的に、「受け入れた」からこそ、起こったことなのである。

ジャーナリストの船瀬俊介氏は、『幽体離脱 量子論が“謎”を、とく!』(ビジネス社)という本で、「近代から現代にかけて、人類の「知」は、完全に悪魔勢力に乗っ取られて、今日に至るのである。すなわち、そのほとんどは狡猾な〝 洗脳〟の産物にすぎない」と言っている。また、「暗黒の近代」という言い方もしている。

近代社会は、「魔女狩り」を例に挙げ、「暗黒の中世」などと言い、自分らの社会をそれを克服した希望の社会のように見せかけたが、その「魔女狩り」自体が、既にみたとおり、実は近代の草創期に起こっているのであり、近代社会とは、その継続以外の何ものでもないのである。

記事『「虚偽への意志」と「精神医学」』でみたとおり、ニーチェも、(近代の)全ての学問は「虚偽への意志」に基づいていると喝破したが、これは要するに、学問構築の土台となる「世界観」が、「虚偽」に基づいているということである。その「世界観」とは、これまでみて来たとおり、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたいという、まさに「虚偽」の意志に発しているのだから、その上に構築された学問体系が、結局は「虚偽」に染められるのは当然のことと言わねばならない。

伝統文化の世界観が、決して丸ごと正しいということではないが、しかし、その認めたくない部分を否定したいがために、実質、それを丸ごと否定した世界観は、「虚偽」以外の何ものでもあり得ないし、そこから正しいものが生まれて来るとはみなし難い。

近代社会が生んだ、代表的な知と言える、「科学」というのも、「物質的なもの」という制限された内部においては、それなりに緻密に知識を深めたものがあるし、科学技術という強力な方法も生み出したが、それが「すべて」において当てはまるかのごとくみなす「世界観」に基づいている限り、やはり「間違い」であり、「虚偽」以外のものではない。

「世界観の根本的変化」が起こって、それが常識として浸透する現在の社会の中にいる限り、なかなか、このような「世界観」そのものを俎上に上らせること自体が、難しい。私自身もそうであるが、記事『カスタネダと「ヤノマミ」の著者の例』でも述べたように、そのためには、単なるカルチャーショックのようなものではなく、それを根底から疑問に付すだけの、強烈な体験が必要になる場合も多いだろう。

しかし、何らかのきっかけで、それを問題にすることがひとたび可能になるなら、現代の問題は、その「世界観」そのものから、全てが連動して生じていることなのが分かり、その世界観を問題にしない限り、なんら解決の方向へ向かいようがないことが分かるはずである。

すなわち、「オカルトを否定する世界観の根本的変化はなぜ起こったのか」を明らかにすることこそが、求められている、必要なことなのである。それは、結局、我々の「オカルト的なもの」「捕食者的なもの」を否定したいという内的欲求から来ているのだから、我々一人一人がそのことを自覚するなしには、何の解決の方向もあり得ないということである。

 

2023年10月19日 (木)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 5-「迷信」及び「妄想」とそれらを否定することの意味

前回、次は締めくくりをすると言っていたが、その前に、「迷信」ということと、それを「迷信」として否定するということの意味を、それなりに踏み込んで明らかにしておく必要があるので、今回はそれを述べることにする。そうして、最後の締めくくりでは、端的に、総括と結論を述べるだけにしたい。

(この一連の記事では、しつこい位に、この「世界観の根本的変化」が行われた経緯や背景を明らかにしようとする意図がある。既に、結論はこれまでの記事でも、何度か述べているので、それで十分理解し、納得できる人は、あえて読む必要はないかもしれない。)

これまで述べてきたとおり、「狐憑き」を「迷信」として否定することとで、「憑く心身」から「病む心身」への「世界観の根本的変化」がなされたのだった。だが、そもそも「迷信」とは何か、「迷信として否定する」とはどういうことか、ということは、改めて問うてみると、容易でない問題で、少しも自明なことではない。

「迷信」であることが自明に思えるのは、「世界観の変化」した近代の中において、その「世界観」を疑うことなしに前提として、見るからであって、その「世界観の変化」自体を問題にするときには、決して自明ではなくなるのである。

Wikipediaによれば、「迷信」とは、

「人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの。一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や俗信などをこう呼ぶ。様々な俗信のうち、社会生活に実害を及ぼすものである」

とされている。

「人々に多く信じられている」ということ、「合理的な根拠を欠く」ということ、「社会生活をいとなむのに実害がある」「道徳に反する」ということがポイントのようである。しかし、このような抽象的な説明は、何ら、「迷信」の実質を、明らかにするものではない。

「合理的な根拠」とは何か、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」とはどういうことか、というのは、容易に判断できることではなく、また時代や文化の影響を大きく受ける。「合理的」ということそのものが、近代的な世界観を前提にして、初めて言えることでもある。

まさに、明治以降に、伝統文化の世界観の根本的な変化があったからこそ、それまでの伝統文化で信じられていたことが、「迷信」と解されるようになったことが分かる。というよりも、むしろ、伝統文化において信じられてきたことを否定することそのものが、「世界観の根本的な変化」なのであり、そのためにこそ、「迷信」ということが持ち出されているということなのである。

また、現代において、一般に、「迷信」ということで言われているのは、「夜に爪を切る と親の死に目に会えない」とか、「茶柱が立つと縁起がいい」など、一種の「戒め」や「縁起」に関わる、「言い伝え」が多く、特に、社会的に害があるとか、道徳に反するということはないものがほとんどである。

それは、そういった社会的に害があるものや、道徳に反するとみなされる「迷信」が、「狐憑き」に代表されるように、既に「迷信」として一般的に否定されて来たので、そういった害のないものが、今でも残っているからだということも言える。

しかし、一般的に、「迷信」と言われるものに、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」などということが、当然のように言えるはずもないことで、あえて、「迷信」ということに、そのような意味合いが含まれているのは、それを「否定する」という志向性が、既にそこに込められているからこそと言うことができる。

中村古峡という心理学者が、大正10年に書いた『迷信と邪教』という本(kindle)は、迷信を否定する立場から、迷信とはどういうことかについて、明解に説かれているので、参考になる。著者は、フロイト等の精神分析を日本に紹介し、また精神病院の院長として精神医学の普及にも大きく貢献した人物である。

中村の「迷信」に対する態度は、非常に攻撃的で、「根絶すべきもの」ということで一貫している。

中村によると、「迷信」とは、「一種の判断の錯誤に基くもので、その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信ずる現象である。」とされる。また、「迷信というのは 言葉は(ママ) 宗教的の迷える信念に名づけたものである。」とも言われる。

著者は、決して単純に、科学万能主義に立って、科学に反する事柄を「迷信」としているわけではなく、科学万能主義もまた害あるもので、科学によっても分からない未知の領域については、「哲学」や「宗教」などによって問われるべきものとしている。

しかし、結論としては、「科学に反する」ことが、「迷信」とされることの前提であることに変わりなく、それにいくつかの要素が加わっているだけである。また、明らかな「進歩主義」に立っていて、「信仰」については、未開の原始信仰は、遅れた「野蛮」なもので、組織的に高度化された「宗教」は、意義のあるものとする。従って、日本の伝統文化で信じられていることの多くは、「原始信仰」に基づくもので、遅れた「野蛮」なものとして、排斥すべきものとなるのである。

また、中村は、迷信に基づく行為が、社会的に危険で、道徳に反することが「普通」であることも指摘している。Wikipediaの、「社会生活をいとなむうえでの実害」「道徳に反する」という記述は、恐らくこの中村の説に基づいていると思われる。

その部分を引用すると、次のようである。

「即ち、夜半の丑満時に 呪いをして、人に見つけられぬようにせなければならぬとか、寒中に水垢離を取れば願が叶うとか、大なり小なり何か難とする所を含ませる。これが或る場合には秩序を紊る道徳違反的行為となる」

また、「狐憑き」にも言及し、

「狐が憑くことは、 日本では広く普及している迷信であって、之が未だに退治されないのは情ない話である。」

まさに、「狐憑き」が退治すべき「迷信」の代表であるとしているが、大正10年当時、広く普及している状況だったことが分かる。

「之は改めていうまでもなく精神病者で、狐という観念が頭にあるために狐のような 挙動をするのである。」

記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』でみたように、多くの精神科医と同様、「狐憑き」が「精神病」にほかならぬこと、一種の「ヒステリー現象」であることを説いている。

さらに、興味深いことは、「迷信」が「病的に強く現れた」のが、「妄想」としていることである。そして、

「妄想になると、如何なる手段方法を以てするも今日までのところ矯正し得られないことになっている。」「こうなると最早や手のつけようがないものであるから、その矯正に骨折るよりは、 然るべく隔離して、他の者をそれにかぶれさせない工風を講ずることが肝要である。」

と、精神医学ないし精神病院を広く押し進めることの必要も、「迷信」との絡みで、説いているのである。

ただし、著者は心理学者らしく、「迷信」を信じることについての「心理」については、それなりに意義のあることを指摘している。

何事かを信じるということについての「心理」、「動機」を問題とし、「信仰」すべてを否定するのではなく、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」から信じられたものを、「迷信」とするとしているのである。

それは、誰の心にもある傾向とされ、「非合理的な方法によって本能を充足しようとする傾向が人々の心にある。これが、迷信を生み出す根本の動機となるものである。」と言われている。

「非合理」か「合理」かというのは、簡単に言えるはずもないことだし、近代的な世界観が前提になっていることだが、「迷信」の多くに、そのような面があることは、確かなこととして認められることである。

中村の説を総括してみると、中村は、「迷信」は、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事を信じる現象」としているが、「その時代の科学又は一般的の知識で、真実でない或は合理的でないと分っている事」というのが、やはり曖昧に過ぎる。

「科学」だけでなく、「一般的な知識」もあげているが、そのような知識は、いくらでも移り変わるものだし、「真実でない或は合理的でないと分っている」というのは、誰がどの範囲で分かっているのか、不明である。「その時代」という限定をつけているようではあるが、「迷信」を「根絶する」ことを強く訴える態度とは、明らかに矛盾する言い方である。

実際にも、中村が代表的な例としてあげている「狐憑き」にしても、害のあるものの例として挙げている「丑三つ時の呪い」にしても、それらは、「科学」において明確に「否定」できるものではないし、否定されたこともない。もちろん、中村の論においても、そのようなことは、全くなされていない。

また、それらは、既にこれまでみて来たように、「その時代」と言われる、大正10年の当時において、「一般の知識」が「真実でないあるいは合理的でないと<分かっている>」などと言えるのかも、怪しいことである。(「狐に騙されることがなくなった」1965年頃なら、そう言えるかもしれないが、かなり、「霊的な事柄」が見直されている現在となると、またそれも怪しい。)

迷信に基づく行為」が危険であり、害をなすのが「普通」、また「道徳に反する」というのも、逆に、例えば「科学技術」に基づく行為が「危険」で「害をなす」、あるいは「道徳に反する」面があることと比して、それに勝ると言えるのかは疑問である。それは、「近代的な戦争」や、身近なところでは、「自動車事故」を顧みても、明らかだろう。

要は、「科学技術」には、全体として「意義」があるから、「危険」や「害のある面」は許容されるのであって、「迷信」には、何の意義もないとみなすから、「危険」や「害のある面」だけが浮かび上がるのである。しかし、これも、「世界観」の問題であって、伝統文化においては、それらに意義が認められていたから、危険の面が許容されていたということに過ぎない。

従って、全体としては、中村が「迷信」としてそれまで伝統文化で信じられてきたことを「否定したい」という思いは強く伝わるものの、「迷信」を「迷信とする」(迷信として否定する)ことについては、何ら明白な根拠らしいものは、見出せないのである。

ただ、「迷信」を信じるときの「心理」については、先に述べたとおり、受け容れられる面がある。ただし、その「心理」なるものも、実は、「迷信として否定」しようとする側の「心理」、「動機」についても、十分当てはまるものと言うべきものである。

ある事柄を「迷信として否定する」ということもまた、やはり、「怖れ」や「迷い」、そして「物質的な欲望」や「自己保存の欲求」からなされていることに違いない、ということである。中村のように、「根絶」しようとするほどの欲求には、それが明らかに強く認められる。「迷信」として信じられていることに、怖れや嫌悪を抱いていて、自分の立場や信念が脅かされるから、それらを「ないもの」としたいのである。

そもそも、「迷信」とされるものを、丸ごと信じるか、丸ごと否定するかという二分法的な発想が問題なのである。

「迷信」には、伝統文化において、長い間培われた経験や知識に基づく一定の真実が含まれている。しかし、それがある時代や文化、あるいは特定の集団などにおいて、ある種の「誇張」や「拡張」を受けたり、あるいは「解釈」としてずらされたり、捻じ曲げられたりしたため、誤謬を含むようになったものと言うべきである。

たとえば、「狐憑き」の場合は、記事『なぜ2―「狐憑き」と「狐落とし」』で見たように、「狐」という精霊的存在が「憑く」という現象は、基本として確かに存在している。しかし、「狐」について、動物そのものの狐と混同されたり、それによって起こる錯乱的な状態と似た状況を、ことこどく「狐憑き」と拡張的に受け取ったりしたために、多くの誤謬を含むものになってしまったものと言うことができる。

そこには、「狐が憑く」という多分に「おどろおどろしい」事態に対する「怖れ」や、理解しがたい言動をするようになった者に対する「怖れ」があり、そのことから、自己や自分の属する集団を守りたいという、自己保存の欲求がある。つまり、「迷信」を生み出す「心理」や「動機」が確かに働いている。

しかし、この点は、「狐憑き」なるものを「迷信」として丸ごと否定しようとする側にも言えることである。そこには、やはり、「狐憑き」という「おどろおどろしい」(「捕食者的な」要素を多分に含む)現象に対する「怖れ」や、伝統文化と、新たに入って来た近代的世界観を信じることとの、「葛藤」や「不安」などから解消されたいという、自己保存の欲求がある。そのため、「迷信」として、丸ごと「ないこと」にして、きれいさっぱり解決したいと思うのである。

このような点は、現代にも残っている、一般的な言い伝えとしての「迷信」にもはっきり表れている

たとえば、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信が生まれた理由には、いくつかの説があるようだが、『なぜ夜に爪を切ってはいけないのか』(北山哲著、角川SSC新書)によれば、「かつて日本では、死者を埋葬する際に、その近親者が自分の髪や爪をともに埋めるという風習があった。この風習をきっかけとして、爪を切ると親の死に目に会えないという言い伝えが生まれた」ということである。

これは、「爪を切る」ということが、「死」を連想させるということで、「親の死に目に会えない」(自分の方が先に死ぬ)というかなり強い「不幸な出来事」の象徴のような事柄と結びつけられている。それは、それだけ、「夜に爪を切る」ことが、強く「戒められ」ているのである。このように、「死」を連想させることと、ある種の「戒め」が結び付けられる「迷信的言い伝え」というのは多くある。

私は、これは、「爪を切る音」にも関係していることだと思う。爪を切る音は、幽霊や悪霊が出るときの「ラップ音」と似ているのである。夜は、このような存在が出やすく、また「音」も響きやすい。似たような音が、幽霊や悪霊を呼び寄せる(出やすくさせる)ということを、恐れたため、「親の死に目に会えない」というかなり強い戒めと結びつけられて、このような言い伝えができたのだと思う。

このように、似た音が現象を引き寄せるというのは、ユングのいう「共時性」現象である。それは、意味的な関連で共鳴することから、現象を引き寄せるのであって、因果的に原因―結果の関係なのではない。しかし、それを、原因―結果として、因果的に捉えてしまうと、記事『「共時性」と「魔術的因果論」』で述べたように、「魔術的因果論」になり、「迷信」になってしまうのである。

つまり、「共時的」に解する限り、信実を含むのであるが、それが一般には理解しにくいため、「因果的」に解釈してしまったために、誤謬である「迷信」となってしまったものである。

「何々すると、何々する」という形の言い伝えは、このタイプのものが多い。

そして、「妄想」というのも、中村の指摘しているとおり、実はこの「迷信」と同じ構造をしている。そこには、感覚レベルにおいて「真実」が含まれるが、それが解釈において曲げられて、表現上誤謬となってしまったものである。

感覚レベルにおける「真実」が、未知の要素を含み、怖れをもたらすため、その解釈は、自己の経験から理解しやすいものへと、曲げられてしまっているのである。それは、自己保存の欲求(防衛反応)から来るもので、容易には訂正できないものとなる。中村が言うように、「迷信」が「病的に強く現れた」ものと言えるのである。

ただし、それは、決して、訂正できないものでも、「病気」として治療(隔離、収容)しなければならないものでもない。それは、(実際に、「捕食者」のような存在が関わっていて、「おどろおどろしい」要素をもつが故に、容易ではないことだが)、ただ、感覚レベルで起こっている「真実」というのを、ごまかさずに認められるかどうかにかかっているのである。

そして、この場合にもまた、「迷信」を丸ごと否定する側にも言えたことが、「妄想」として「精神病」とみなそうとする側にも言えるのである。「妄想」として「精神病」とみなすことも、「妄想」の裏返しとして、「妄想」と同じ構造を含むということである。「捕食者的」な「おどろおどろしい」ものを、「怖れ」、「ないこと」にしたいために、「妄想」とし、「精神病」として解決することを欲するのであるから。

そして、このように、「迷信」として否定するというあり方がとられたが故に、もはや、その真実に目を向けることは、「妄想」をもつ側にとっても、それを病気として否定する側にとっても、難しくなってしまった。それで、「妄想」は、一般に、訂正不能と解されるまでに、「手がつれられ」ず、強固なものとなってしまったのである。

前回、西洋の場合は、大々的な「魔女狩り」があったので、それを二度と起こさないために、「魔女」に集約する形で、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定する意思が生じたことは、見えやすいと述べた。

日本の場合も、「魔女」ほどではないが、「狐憑き」にも、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」の要素はある。特に、狐その他の「憑きもの筋」による「憑きもの」は、記事『「日本の憑きもの」』でも述べたように、「魔女狩り」にも比し得るほど、そのような「おどろおどろしい」要素が強くある。

その他にも、民衆による、解放令反対一揆に伴う「被差別民虐殺の事件」や、『なぜ1-「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」』の記事でもみた、西洋人やキリシタンによる「血とり」や「膏とり」の風聞による騒動など、「魔女狩り」まがいの出来事は起こっているから、やはり、「捕食者」の反映された、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」を「迷信」として否定したいという意思は、かなり強く醸成されていたということができる。

しかし、既にみて来たように、日本の場合、そのような意思が全体として実現するのには、相当な紆余曲折を経て、長い年数がかかっている。「狐憑き」が迷信として否定されるのは、「精神病院」の体制が整い出す昭和10年頃から、戦後にかけてと言うべきだし、よりソフトな、「狐に騙される(化かされる)」に至っては、1965年頃まで生きていたのである。

もともと日本は長いこと、伝統文化の世界観の中で暮らしていたので、西洋という異文化から移入され世界観を、容易には受け入れ難かったのは当然である。しかし、そのような日本でも、「精神病院」の体制が整う頃には、「狐憑き」を「迷信」として否定することを受け入れるようになるのである。この「精神病院」の体制が整うことの果たした役割は、西洋の場合以上に、大きいと言わねばならない。

大々的な「魔女狩り」の起こった西洋では、「精神病院」は、「魔女狩り」そのものが止んだ後の、実質「魔女狩り」の継続として、「魔女」と同視される「精神病者」を、収容、隔離させるシステムと言えた。このシステムがあることで、「魔女」を「迷信」として否定すること、従って、人を「魔女そのものとして狩る」ことがなされないで済んだのである。

しかし、大々的な「魔女狩り」のなかった日本では、この「精神病院」こそが、実質「魔女狩り」そのものの役割を果たすようになるのである。「魔女狩り」への反省的視点がないため、それはかなりあからさまに、「魔女狩り」そのものの様相を呈する。そして、そのことによってこそ、「狐憑き」に反映されるような、「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」とすることができるようになるのである。

実際、『幻視する近代空間』や『精神病の日本近代』も指摘するように、それ以降、「精神病者」は、(状態としてではなく)存在として病む危険な者、遺伝する病の保持者、(社会を守るため)予め収容等の措置をすべき者として、精神科医だけでなく、メディアなどで、大々的に扇動される。そして、そのような「精神病者」として「告発」された者は、「精神病院」に隔離、収容される(「狩られる」)ことを余儀なくされるのである。

だから、日本において、「世界観の根本的変化」ということに、精神医学と精神病院の果たした役割は、あまりに大きいと言わねばならない。そして、その意義は、現在においても、継続しているのである。日本の精神病院には、世界1位の数の「病床」があり、圧倒的な数の「患者」が、現在も収容されている。そして、それは、表面上どう言おうと、多くの者が認める必要に基づいているからこそである。それがあってこそ、「世界観の根本的変化」が達成され、「狐憑き」のような「捕食者的なもの」を「迷信」として「ないこと」にできたのだから、それは容易に解消されるべくもない。

西洋の「魔女狩り」では、誰もが「魔女」として告発される可能性がみえることで、「魔女狩り」は終息に向かうことになった。そのことになぞらえて言えば、日本では、誰もが「精神病者」として告発される可能性が本当に認識されたとき、「精神病者」として、病院に「隔離、収容」することも、終息に向かうようになるのだろう。

 

2023年10月 3日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 4—「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味

今回は、端的に「なぜオカルトを否定する世界観の根本的変化が起こったのか」を明らかにする前に、前提として必要になる、西洋の「魔女狩り」と「魔女」を否定することの意味について、述べておくことにする。

何度か述べたように、西洋の場合には、「魔女狩り」という「迷信」に支配された事件が、近代の直前に大々的に起こっているので、「魔女」に集約する形で、「オカルト的なもの」を「迷信」として否定することになる理由は、見えやすい。

「魔女狩り」が沸騰する16-7世紀頃には、民衆同士が互いに「魔女」として告発することが多く起こり、そのまま拡大すれば、互いに「共倒れ」になることが見え出す。そうすると、「魔女狩り」も急速に終息に向かうのである。

終息に向かう理由には、様々な外部的状況の変化もあるだろうが、結局は、民衆自身が、「魔女狩り」を止める必要に迫られたことが大きいのである。(度会好一『魔女幻想』も、「将棋倒し」を止めるという言い方で、魔女狩りが止んだことが明らかな村について指摘しているが、これは、他の多くの場合にも当てはまると言うべきである。)

多くの民衆は、他人を「魔女」として告発することを、控えるとともに、このような「魔女狩り」を二度と起こさないためには、「魔女」ひいては、その背後にある「悪魔」を、「ないこと」として否定する必要に迫られたということである。

民衆は、それまでの伝統文化を根本から否定するつもりなどないし、できるはずもないのだが、少なくとも、「表面上」、と言っても、それを実効性をもってなさしめる程度には、「本気」(自分自身をも丸め込む形)で、現実には存在しないもの、つまり「迷信」として否定する見方を受け入れることを、指向して行くのである。

そもそも、「魔女狩り」における「魔女」とは、キリスト教的な概念であり、「魔女裁判」でも実際に審問に関った、キリスト教の指導者たちが作り上げた観念である。

初めは、単純に、異端や異教の者の行為がもとになっていたが、15-6世紀になると、いかにも、「おどろおどろしい」、魔女がするとされる典型的な行為ができあがる。それは、「サバト」(夜宴)と呼ばれる魔女の集会で、魔女たちは、ホウキ、あるいはヤギなどの動物に乗って、空を飛んでそこに集まり、そこでは、幼児を殺して食べる。あるいはその脂をとって、軟膏を作り、魔術に使う(飛行にも使われる)。悪魔との性交や性的乱行が行われる。動物のいけにえを捧げて、悪魔崇拝の儀式が行われる、などの行いをするとされた。それらが、「魔女裁判」では、実際に「自白」や「証言」によって、具体的に示されるのである。

一方、16世紀頃から、「魔女狩り」は、先に見たように、民衆が民衆を告発するような形で広がるが、それは前にみたように、民衆が、他の民衆による、「呪い」や「魔術による攻撃」を受けたとして、告発が広がることによっている。たとえば、自分の作物が不作になったり、子供が病気になったのは、隣の「魔女」が「魔術による攻撃」を仕掛けたからである、というようなことである。

ノーマン・コーンの『魔女狩りの社会史』(ちくま学芸文庫)も言うように、魔女狩りの「魔女」観念には、この二つの系統があって、それらが合体してできたところがある。

先の、いかにも、「おどろおどろしい」サバトの光景などは、キリスト教の指導者たちの、自分らの地位や信仰が脅かされる恐れから来る、「妄想」がもとになって、作られている部分が大きい。拷問による「自白」には、当然、それらの者の誘導が反映されるし、民衆の「証言」も、たとえば公開裁判などによって、「魔女」とはそのような行為をするものであるという観念が広まったことが影響している。実際に見たのだとしても、ある種のヒステリー的な「集団幻覚」ということである。(但し、そこに「捕食者」自体の影響があったと解されることは、記事『「魔女狩り」と「捕食者」』でも指摘したとおり。)

民衆による告発は、このような「魔女」観念というよりも、他の民衆による、「魔術的攻撃」を恐れることから来ているので、そこには、サバトのような観念は、本来本質的な要素として含まれない。しかし、サバトの観念が広く行き渡れば、民衆の「魔術的攻撃」への恐れにも、「サバト的」な「おどろおどろしい」要素が加わることになる。

そして、この「サバト」の光景には、典型的に「捕食者的なもの」が塗り込められているのが分かるだろう。幼児を殺害して食べるとか、膏をとるとか、悪魔にいけにえを捧げるなどは、「捕食者」の行いそのものと言える。

実は、このサバトの光景は、キリスト教の指導者の「妄想」や民衆の「集団幻覚」がもとになっていると言っても、それらは何もないところから出て来たのではない。伝統文化の基礎にある、普遍的なものであるが故に、キリスト教がずっと恐れて来た、「異教」の信仰、「シャーマニズム」の行いがもとになっているのである。

キリスト教は、そのような異教の行いを「悪魔の行い」として否定することで、自分らの信仰を正当化しようとするのだが、民衆は、キリスト教化された中世以降も、実質「シャーマニズム」的な信仰を捨てたりはしなかったので、その必要は、むしろ中世後期以降に、高まるのである。

 たとえば、「ほうきに乗って空を飛ぶ」というのも、シャーマンは実際に「空を飛ぶ」と信じられたし、カスタネダのドンファンも、「カラスとなって空を飛ぶ」という体験をしていた。あるいは、「空を飛ぶ」のは、脱魂型のシャーマニズムで、物理的にではなく、「体外離脱」をして、霊的な体で飛ぶのだという解釈もある。ヤギなどの動物に乗るというのにも、動物的な精霊を使役するシャーマンが反映されている。

いずれにしても、そのような観念の元は、シャーマニズムに発しているし、幼児を食べるというのは、直接には「捕食者」的だが、儀式において人肉を食べたり、人狩りをする民族というのは実際にある。性的乱交というのも、儀式によっては、いくらでも行われ得るものである。動物のいけにえは、多くのシャーマニズムの儀式でみられる。

記事『「シャーマニズム」への「違和感」の理由』でも述べたように、これらには、キリスト教ならずとも、「文明人」としては違和感を抱かざるを得ないものがあるのは確かである。しかし、シャーマニズム的には、伝統に根差した根拠のあるものであり、「おどろおどろしい」要素は、実際、「捕食者」の存在を認めつつ、それとのある種の折り合いをつけるということ、あるいは「捕食者的なもの」を試練として儀式に取り込むなどのことから来るものである。

しかし、キリスト教の指導者等は、そこに「恐怖」と「おどろおどろしさ」しかみないので、それらを「悪魔」の行いとして、彼ら側の「妄想」をさらにまとわせ、「魔女」の行う「サバト」として形成していったものと解される。

それは、一言で言い表すならば、「捕食者的なもの」を、自分らにとっての「他者」または「異人」である、異教の徒に、「投影」したのである。これは、「魔女」の観念について、キリスト教の指導者の場合を述べたものだが、こういったことは、民衆であれ、誰であれ、普遍的に起こり得ることであるのが分かるだろう。

つまり、魔女狩りの本質を、一言で言うならば、「他者」または「異人」への、「捕食者的なもの」の「投影」ということに尽きるのである

「投影」というのは、ユング的に言えば、自己の内にある「影」を自分の中にあるものと認めがたいために、誰か「他の者」へと投げかけ、その者自身の性質のようにみなすことである。そして、その「投影」をした「他者」を、「悪」として攻撃し、排除するのである。

「影」というのは、単に個人的なコンプレックスのようなものではなく、普遍的な「元型」に基づくもので、「捕食者的なもの」というのは、まさにそれにふさわしい。人間が共通して持つものでありなから、誰もが認めたくない「闇の部分」であり、個人的、あるいは人間的なものを超えた、「超越的」なものでもある。

「魔女」の背後の「悪魔」には、「捕食者」という存在そのものを「投影する」ということにもなろうが、「魔女」には、誰もが内にもつ「捕食者的なもの」が「投影」される。シュタイナーで言えば、「アーリマン的なもの」であり、カスタネダのドンファンでは、捕食者から与えられた、「捕食者の心」である。

この「捕食者的なもの」は、自分らとは異質とみなされる、「他者」や「異人」に投影されやすいわけだが、特に、特別な力を思わせ、「捕食者的なおどろおどろしさ」をみかけとしても有する、「シャーマニズム」的なものに投影されやすいわけである。

そのような伝統から、多かれ少なかれ切り離されたキリスト教を代表とする文化は、シャーマニズムに「捕食者的なもの」を投影し、悪魔や魔女の行いとして、排除の対象にしやすいことになる。

一方、民衆一般は、伝統文化の影響を多く残し、村や町に住むシャーマン的な者に、治療などにおいて身近に頼ることも多いので、キリスト教的な観念を入れていたとしても、そのような度合いは少ないと言える。それにしても、特別な力や知識をもったシャーマン的な者に、頼る反面、畏怖を持ち、恐れを抱くことは当然である。

民衆が、「魔女狩り」において、他の者に、「魔術的な攻撃」を受けることを恐れるのも、「シャーマンの特別の力」への怖れがもとにある。この「特別の力」は、特に「シャーマン」において強く現れるにしても、かつては、必ずしも「シャーマン」のみではなく、多くの者が持ち得るものと認識されていた。だから、それは、たとえば隣人のような他の民衆にも、広く「投影」される基盤があったのである。

柳田国男は、『妹の力』で、日本の伝統文化においてだが、多くの女性がいかに「シャーマン的な力」をもつものと思われていたかを明らかにしているが、これは西洋にいても同じでる。魔女の典型的なイメージは、薬草や呪術的治療の知識をもつ、「老婆」であることを何度か述べたが、これはまさに、「シャーマンの系譜に連なる者」なのである。

民衆の「魔女」イメージの「投影」は、必ずしも、あからさまに、「捕食者的なおどろおどろしい」ものではないにしても、シャーマンの力を、害を及ぼす「攻撃的な面」で捉えることに基づくもので、それは、「捕食者」の性質そのものとして、「捕食者的なもの」には違いない。そして、それは、キリスト教的な観念が入るに伴い、より「おどろおどろしい」要素を付加されて、強まって来たものと言える。

つまり、民衆による魔女狩りの「魔女」の観念にも、「捕食者的なもの」の「投影」という要素はやはりある。

このような「投影」を真に止めるには、その投影を自分自身に、「引き戻さ」なくてはならない。つまり、他者に「魔女」として投影している「捕食者的なもの」は、自分自身の内にあるものであることを認め、受け止めなければならない。

記事『「魔女狩り」と「捕食者」』でも述べたように、これだけ民衆の間で、「魔女」としての告発が広がることは、結局は、誰しも、自分自身が「魔女」であることに気づくチャンスでもあった。

しかし、そのようなことは実際にはなされず、人々は、「魔女」という存在を「ないもの」とすることによって、「魔女狩り」が止むこと、あるいはそのようなことが繰り返されないことを期したのである。

この「魔女という存在をないこと」にすることは、それに「投影」した、「捕食者的なものそのものをないこと」にすることにかかっていたし、実際、真に怖れをもたらすのは、この(自分の中にもあることが示唆される)「捕食者的なもの」なのだから、まさに、それを否定することこそが、強く望まれたのである。

だから、それは、単に「表面的」な対処ということではなく、それなりに真剣な試みであった。しかし、本当に心から、「捕食者的なもの」を否定し切れるはずもなく、また、その「投影」を自分自身に引き戻したわけでもないから、以後も、「捕食者的なもの」を「他者」へ投影することは、依然として続くことになる。

それは、「魔女」という形をとらなくなっただけで、実質「魔女」の場合と変わらないような「捕食者的なもの」を投影して、「他者」や「異人」を排除することで、そのようなことは、「魔女狩り」のり終息後も、いくらも起こり続けている。そして、その「狩られる」「魔女」のいわば「代役」として、最も典型的な対象となるのは、以後、「精神病者」となるのである。

既に述べたように、「魔女」という存在をないものとすることが、実効性を帯びるには、依然として「捕食者的なもの」を「投影」される存在を、「隔離」「収容」して、人々の前から「排除」するシステムを作り出す必要があった。

それが、「精神病」を誕生させた、「精神医学」のシステムであり、「精神病者」を収容する、「精神病院」という施設である。そこでは、収容される者に対して、当初から、魔女狩りの拷問にも負けないような、「虐待」的扱いが、ずっとなされて来た。まさに、実質「魔女狩り」の継続であるが、それをあからさまな形ではなく、合法的に行うシステムとして作られたのである。

そのようなわけで、「魔女狩り」のポイントは、「捕食者的なもの」を「他者」へと「投影」して、それを「排除」しようとすることである。それが、とどめなく拡大すると、結局は、誰もが「共倒れ」になるので、それを阻止するべく、「魔女」という存在を、「迷信」として「ないこと」にすることが、受け容れられることになった

それは、「投影の引き戻し」のような、真の対処ではなかったが、それまでの伝統文化のあり方を大きく変えるものであり、それなりに葛藤の伴う、真剣な試みである。しかし、それは、多くの人々にとって、単に外部的な存在としてだけでなく、自己の内にあるものとしても怖れられる、「捕食者的なもの」を「ないこと」にするという魅力的な試みでもあった。

もちろん、「捕食者的なもの」を否定したいという人々の欲望は、かつての伝統文化においてもあったが、それまでの伝統文化の世界観では、それに対処するシステムもあり、受容的に組み込まれていたので、それほど表面化しなかった。しかし、伝統文化を保存する「共同体」のシステムも緩み、「捕食者的なもの」を抱え込むことが難しくなると、人々の、「捕食者的なもの」を「ないこと」にして否定したいという欲求も強まることになる。

それは、「魔女」として他の者に「投影」することを、(「投影の引き戻し」をすることなく)止めるとした場合、どうしても、必要なことでもあったと言える。

そこで、この時期に、「魔女」を「迷信」として否定することが、「捕食者的なもの」を否定するという欲求を満たすものとして、受け容れられることになった、と言うことができる。

一言で言えば、「魔女」というよりも、「捕食者的なもの」を「ないこと」にしたかったのである。

しかし、「表面上」はともかく、真にそんな望みは適うわけもないから、相変わらず、「捕食者的なもの」は投影され続け、実質「魔女狩り」に相当するものは、その後もあり続けた。そして、その典型が、「魔女」の継続者とも言うべき、「精神病者」なのである。

そして、「魔女」あるいは「捕食者的なもの」を否定することは、(それによって本当には何も解決しなかったからこそだが)結局、「オカルト的なもの」一般を否定することに繋がり、さらには、「霊的なもの」や「神に対する信仰」等、それまでの伝統文化の核心的な部分をも、否定することにまで、拡大されて行くのである。

つまりは、「世界観の根本的な変化」をもたらした、ということである。これには、「近代的自我の確立」とか、「合理思想」、「科学」への志向など、いくつかの外的理由もあるけれども、根本的なところは、「捕食者的なもの」を否定したいという「内的欲求」にあったと言うべきなのである。

次回は、日本の場合に焦点を戻し、「なぜオカルト的なものが否定されたのか」を、端的に述べて、締めくくりとしたい。

 

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