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2023年9月

2023年9月19日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 3—「狐憑き」の否定から「精神病」へ

日本の伝統的世界観の象徴とも言える「狐憑き」であるが、明治以降は、「迷信」として否定されるとともに、「精神病」という見方に取って変わられることになる。その者を取り巻く世界との、「見えない」繋がりを体現する「憑く心身」から、世界から切り離され、その者の内部に閉じ込められた、「病む心身」への転換がなされるわけである。

もっとも、記事『『精神病の日本近代』―「憑く心身」から「病む心身」へ』でも触れたように、江戸期にも、儒医等、「狐憑き」を狐が憑いたものとしては否定する者もいた。ただ、その場合も、心の乱れ、「気の狂い」など、やはり、世界との繋がりを媒介するものに着目しつつ、その乱れとして、一時的な回復し得る現象とみていたので、西洋医学で言う「精神病」と捉えるのとは異なる。

また、江戸期には、「狐憑き」の存在自体は否定しないが、多くの狐憑きは、実際に狐が憑いたものではなく、そう思い込むことから来る錯乱的な反応に過ぎない、と解する者も多かったようである。

ところが、明治になると、「狐憑き」そのものを、「迷信」として否定する流れが作られる

以下、川村邦光著『幻視する近代空間』の「Ⅱ 狐憑きから「脳病」「精神病」へ」を参照しつつ、その流れを追ってみる。 

前々回みたように、西洋人が、日本人をさらって、「血とり」や「脂とり」をするという風聞が広がり、庶民による一揆などの騒動が起こるが、それをきっかけに、メディアなどで、「迷信」を貶める運動が高まることになる。病気一般について、それまで伝統として伝えられた、「民間治療」も「迷信」として槍玉に上げられ、法律としても取り締まられ、西洋医学の療法によることが、押し進められる。

精神医学についても、基本的には、似たような道を歩むことにはなったが、一般の西洋医学の療法の場合以上に、簡単には進まなかった。「狐憑き」を「精神病」とする精神医学の見方は、なかなか一般に浸透しなかったし、精神病院ができて、その「治療」(隔離、収容)が実際に機能するようになるには、相当の年月を要している

それには、一つには、精神医学自体が、当初から、西洋医学の中でも、一種の差別的扱いを受けていて、発言力も低かったことがある。そのような立場にあって、精神医学の学者等が、なかなか、一般の者への啓蒙を果たすことができなかったということである。

それには、もっともな点があって、精神医学は、当初から、知識人の間でも、根拠のはっきりしない、「うさんくささ」をもってみられていて、また「狐憑き」を否定するものであるにも拘わらず、そういうものに関わること自体が、忌み嫌われたという面もあるだろう。

しかし、精神医学の見方が広まらないのは、それだけ伝統として伝えられた「狐憑き」という見方の威力が、庶民の間では、大きかったということでもある。

それでも、それを着実に「迷信」として否定し、精神医学の「精神病」という見方を通俗化して伝えるのに、大きな力を発揮したのは、精神医学の学者ではなく、メディアだったり、「民間の真只中での咄家や広告屋・コピーライター、また忌み嫌われた巡査や役人、さらに加えると、医療のプロセスそのものと開化の象徴的建造物である病院であった」(『幻視する近代空間』)ということである。

開化を押し進めようとする層や、行政的な権力の働きかけがありつつも、庶民の近いところでも、「狐憑き」を「精神病」とする見方、あるいは「病院に収容」することで解決しようとすることを、受け容れる流れができつつあったことが窺える。

メディアでの「狐憑き」は「迷信」であるという運動の例をあげると、たとえば、明治10年の新聞の、「狐憑き退治の迷信」という見出しの記事がある。そこでは、譫語(とりとめもない言葉)を発するようになった者を、周りの者たちが狐憑きとし、打ち叩くなどの手荒な方法で、狐を追い出すということがなされた事件をとりあげ、「一天万乗(天子)のお膝元に近き土地にも今の世なお此の様な空気があるから恐れます。しかも揃いも揃いて」と締めくくられている。

前回見たように、狐憑きの者に対する「狐落とし」の療法には多様なものがあったが、狐憑きの者に対して、狂乱状態を抑えたり、憑いた狐を「追い出す」ため、かなり手荒なことがされることがあったのも確かのようである。しかし、そのような手荒な対処は、むしろ精神病院に隔離されることが始まってこそ、強められているので、このような一方的な咎めは当たらないというべきである。

何しろ、ここでは、「狐憑き」及びそれを「落とす」という伝統的なあり方を、愚かで、野蛮な「迷信」として、「否定する」ことが明確に打ち出されている。一方で、「揃いも揃いて」と表現されているように、このような出来事が、今も多く行われている現実が示されている。

さらに、明治21年出版の落語家の話で、幽霊や狐に騙されることを「神経病」とする見方が、次のように皮肉られているのが興味深い。

「怪談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございません。幽霊というものは無い、全く神経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。……狐にばかされるという事はある訳のものでないから、神経病、また天狗に攫われるという事もないからやっぱり神経病と申して、何でも怖いものはみな神経病におっつけてしまいますが、現在開けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッといって尻餅をつくのは、やっぱり神経がちと怪しいのでございましょう。」

明治21年の段階で、「神経病」という見方が相当広まっていることが分かるが、一方で、庶民はこの話を笑うということは、その見方に決して与してなかったことも分かる。ただ、例として挙げられているのは、「狐憑き」ではなく、よりソフトな幽霊話と、「狐に騙される」ことであったことには、注意すべきである。

「狐憑き」の話では、重くなって、落語の話題としては相応しくないというのもあっただろうが、「狐憑き」そのものは、幽霊や「狐に騙される」ことに比べると、庶民の間でも、それほど信じられている状況ではなくなっていたことも、窺われるのである。いわば、中間段階的な状況をよく表していると言える。

一方、明治33年頃の状況が、門脇真枝という精神科医の『狐憑病新論』という著書の緒言の記述によく現れている。

「開明の芳香は到らぬ隈もなく、匂いわたり、幾多の妖怪的迷信の次第に失せ行くに拘わらず、今なお世人の脳裡に染印(せんいん)せるものは、その狐憑病ならん。あわれ狐憑病よ、こころなき俗人等のこれを信じるはとまれ、苟(いやしく)も日新の教育を受け、みずから社会の上流者をもってゆるせる人達にして、未だなお半信半疑の状態なるは、怪しむべきことというべし。」

迷信が失せ行く状況にあっても、狐憑きは世に広く残り、「上流の知識人」にあっても、半信半疑の状態としてあったことが嘆かれている。

伝統文化の中でも、「狐憑き」の特別さが露にされるとともに、知識人の間では、少なくとも、信じられるのではなく、「半信半疑」くらいの状況になっていることが、示されている。

精神科医たちの「狐憑き」は「精神病」という見方は、端的に言えば、狐憑きは「脳の病」または「神経の病」としての「精神病」なのであり、「狐憑き」なる「迷信」を信じるから、精神を弱らしめ、暗示にかかって、ヒステリー的に、そのとおりの言動をしてしまうのである。要は、「狐憑き」を信じること自体が、「妄想」なのである。

ベルツという精神科医は、「魔女」を信じることから来るヒステリー現象である、西洋の「魔女狩り」の場合と同様の現象としている。

だから、「狐憑き」という「迷信」を否定し、排することこそが、まずもって押し進められる。一般の西洋医学以上に、「伝統文化を迷信として否定」することが、精神医学の内容自体に、直接取り込まれているのである。多くの者にとって、「うさんくさい」ものではあっても、「迷信を否定する」という効果を直接もたらすうえでは、強力で欠かせない装置であったということである。

そこには、「精神病」は「脳病」であり「神経病」であって、「脳や神経の病である」という一つの根拠(というよりイデオロギー)があり、それこそが、「病む心身」という個人の内部に全てを閉じ込める見方の要となる要素である。しかし、結局は、「狐憑き」を「迷信として否定」することが、その直接に意図されることであることを鑑みれば、むしろ「迷信として否定」するためにこそ、「脳病」や「神経病」という見方が持ち出されているのが分かる。つまりは、それまでの伝統文化を否定すること、世界観の根本的変化をもたらすことが、意図されているということである。

但し、それが、達成されるのには、それまでの私宅監禁の制度を利用して、公的に監禁の制度をもたらすことを経て、精神病院が多く設立されて、「精神病者」を収容する制度が整うことを待たねばならなかった。

元々、私宅監禁の制度は、狐憑き等の精神を錯乱させた者について、私宅にそのための部屋を設けて監禁するものだが、あくまで錯乱による言動で周りを害することを抑えるために、一時的な措置としてなされたものである。しかし、明治政府は、この私宅監禁を、「精神病」を病む者に対して、つまりは、半永久的になされる監禁のための処置として利用したのである。

精神病院法(大正8) で、精神病院を積極的に建設し、患者を収容させる施策が打ち出されるが、遅々として進まず、昭和10年頃からいくつかの都市で精神病院への収容が進み、私宅監禁が廃止されることになる。しか、それが本格化したのは、戦後からのようである。

そのようにして、「精神病」という、「病む心身」に全てを閉じ込める、「世界観」の根本的変化も達成される。この段階に至って、多くの庶民も、それまでの「狐憑き」を「精神病」として「精神病院」へ収容し、監禁すること、つまりは、「厄介払い」することを、概ね受け入れたものと言うべきなのである。

「狐憑き」という現象は、「魔女」の場合ほどではないにしても、捕食者的な「おどろおどろしい」面をかなり含んでいる。特に、害悪の面が強調される、江戸期の「おさき」や「おこじょ」などによる憑き、あるいは「狐持ち筋」による狐を飛ばされる憑きなどには、それが顕著である。そこには、やはり、「捕食者的なもの」に対する恐れが、塗りこめられていると言うべきである。

これらを、「迷信」として否定するということには、それらの要素が、かつての世界観において、全体として包まれることが難しくなった状況の変化もあるが、この時期には、率直に、それを否定したいという欲求が強まったということができる。西洋の場合には、「魔女狩り」の再現を恐れるという、かなりはっきりした理由があるが、日本の場合にも、それに類した思いがその時期に高まっていると言うべきなのである。

庶民にとっては、精神医学の見方が浸透することよりも、「狐憑き」が迷信として否定されるという直接的な効果の方が重要で、そのことによって、精神医学の見方が浸透し、受け入れられるようになって行くのである。

但し、これは、「魔女狩り」の場合と同じで、ただ「迷信として否定」しておけば済むというのではなく、実質、「捕食者」的な面を依然として表す者に対する、何らかの排除の措置がなされなければ、その意味は薄い。その処置こそ、精神医療であり、病院による隔離であるということである。そのための制度が整うことで、庶民は、「狐憑きを迷信として否定」することを、いわば安心して受け入れることができる。

その意味では、「精神病」という見方を受け容れることも、「必然」の要素として伴っていたと言わねばならない。

もちろん、庶民にとっては、それまで信仰の対象であったのだから、「狐憑き」を迷信として否定することには、相当の抵抗も伴う。この点で、もう一つ、重要な点は、よりハードな「狐憑き」は否定されても、よりソフトで害の少ない「狐にだまされる(化かされる)」ということが、存続することで、狐に対する信仰は何とか保たれているということである。

「狐にだまされる(化かされる)」が残されることで、狐への申し訳ができつつ、ハードな「捕食者的な面」は、否定することができたのである。1965年頃には、それも解消されてしまうことになるにしてもである。

そして、このようなことを通して、むしろ、「精神病」とみなされることで、排除された「捕食者」的な面は、結果として、「精神病者」にこそ、より一層塗り込められることになる。実際、「精神病」と「精神病院」のイメージは、より「おどろおどろし」く、陰惨なものになっているのである。

『幻視する近代空間』が言うように、「「脳病」「神経病」は遺伝するものであり、不治で死を待つほかないという通念ができあがり、「精神病者」は「狂暴・不潔・無恥・非道徳」といった差別の言説・属性をまとうことになった。」

次回は、これまで見て来た経過を踏まえて、「魔女狩り」の意味を再び明らかにするとともに、「迷信の否定」とはどういうことかを、改めて、端的に説いてみたい。

 

2023年9月16日 (土)

「コメントの投稿についての注意とお願い」の更新

右サイドバーにある、「コメントの投稿についての注意とお願い」を更新したので、お知らせします。

今後、狂気に関する新しいブログにとりかかることもあり、次のような点を追加させていただいています。

今後、狂気に関する新しいブログにとりかかることもあり、コメントに関しては、私が返答することは少なくなりますし、コメントとしてとりあげるについても、特にその記事に関わる疑問、質問、意見、その他、内容をより掘り下げることにつながるような益がある(と私が判断する)もののみを承認することになると思います。

ご了承のほどお願いいたします。

 

2023年9月 5日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 2-「狐憑き」と「狐落とし」

「狐憑き」については、これまでにも何度か述べてきたが、簡単にどういうものか、振り返ってみる。

「狐憑き」とは、端的に言うと、文字通り、「狐」が「憑く」(「憑依する」)ということである。日本の伝統文化では、人間が精神的に錯乱し、人格が豹変して、それまでの人格とは別人のような、奇怪な言動をするときに、それは、「狐が憑いた」からだと認識したのである。

狐の憑いた者は、たとえば、コンコンと鳴いたり、屋根に飛び跳ねて、油揚げが欲しいと叫ぶなど、実際に、「狐」のものと思われるような言動をすることも多い。憑いた狐が、「自分はどこどこの狐で、何々の理由でこの者に憑いた」と自ら明かすこともある。

そこで、そもそも「憑く(憑依する)」とはどういうことか、「狐」とは何なのか、なぜ「狐」が憑くのかなどのことが問題となる。

「憑依」というのは、何らかの「霊的な存在」が肉体に入ってとりつき、その者に影響を与えることである。その影響には、その者にとって利益となることも、不都合となることもある。

また、その影響には、様々な程度があり得るが、肉体をその者に代わって、乗っ取ってしまうということもある。その場合は、人格そのものが、取りついたものに変わってしまったということになる。その言動も、その肉体の体や口を使ってはいても、とりついた「霊的存在」のものということになる。

とりつく「霊的な存在」は、人の霊であることもあれば、狐その他の動物的、または「精霊的存在」、さらには「神々」であることもある。憑依の状態は、一時的な場合もあれば、長期的な場合もある。

その状態は、通常は、後にみるように、修験者その他の宗教者による、除霊等の儀式によって、「霊が落ちる」(肉体から抜け去る)ことによって解消される。

『精神病の日本近代』では、このように、霊的存在に憑かれる身体を、「憑く心身」として捉え、伝統文化の世界観の重要な要になることを明らかにしていた。「憑く心身」は、近代人が考えるような、閉じた(個体的な)心身ではなく、「見えない」霊的な存在が媒介となることで、共同体やそれを超えた自然等との、様々な関係や繋がりを露にするのである。

「憑きもの筋」の場合では、憑きものが憑くことで、一時的に秩序の乱れをもたらすにしても、それが解消されることで、結局、共同体や自然との関係が改めて回復されるのである。

近代人の観点からは、「憑依」は、個人の心身(自我)を脅かす、恐ろしいものでしかないかもしれないが、伝統文化の世界観では、自己を超えた世界との繋がりを、この世にもたらす、悪いものではなかった。「神々」が憑依するとによって、「託宣」として、この世界に、人間を超えた様々な知識がもたらされることもある。

但し、記事『「分裂病」と「憑依霊」』などでもみたように、他の霊が「影響を与える」には、必ずしも、「憑依」によらないでも可能で、「捕食者的な存在」などは、むしろ、肉体に入る憑依という(制限的な)方法によらないで、いわば外部から遠隔的に、様々な影響を与えることができる。

「憑依」するということは、その点では、未熟な存在であることが多く、人間であれば、何らかの恨みを持った者や、自分の状態の分からない、「さまよう霊」であることが多い。「狐」というのも、「神々」そのものというよりは、人間に近い中間的な存在だからこそ、憑依すると解されたのだと思われる。

何しろ、伝統文化では、シャーマンのような特別の能力を持つ存在が、「霊的存在」について人々に語ったり、多くの人が儀式を通して、「霊的存在」と関わるので、「霊的存在」についての知識が、長い間ずっと引き継がれて来たのである。「憑依」についても、そのような知識として、伝えられて来たので、人々が、実際に、人格が変換するような現象と出会うとき、それを霊的な存在による憑依として理解する基盤があったのである。

ただ、そこには、日本で言えば、かつてのシャーマンの伝統を引き継ぐ、「修験者」や「巫女」などの宗教者の影響も大きく、それらの宗教者が、神などに伺いを立てたり、憑依された者に問い詰めたりするなどして、これは「何々の憑依である」と宣言することが、人々にそのように理解させる理由ともなった。

憑依の状態が解消されるのも、これらの宗教者の影響が大きく、憑依された者への語りかけや説得、他の霊媒への憑きものの転換、様々な除霊の儀式などを通して、「霊が落ちる」(その者の体から去る)ことで、憑依が解消されることになる。また、滝に浸かる、神聖な場所の湧き水を飲む、あるいは物理的に痛めつける、弓や矢で脅すなどの多少手荒い行為により、「霊落とし」がされる場合もある。それらは、一種の「民間治療」として、民間の知恵としても伝えられ、あるいは寺社などに、特別の技法として伝えられもした。

それにしても、その憑依の中でも、日本で圧倒的に多く、特別の位置を占めるのが、「狐憑き」なのである。

「狐憑き」そのものは、古代からあって、文献でも、「日本霊異記」や「今昔物語集」にも現れている。陰陽師として有名な安倍晴明の母親は、「葛の葉」という名の狐だと伝えられている。

狐には、昔から、特別な力があると思われて来たわけで、また、人間との関りが深く、人間に憑く理由があると思われて来たわけである。

それは一つには、人々が実際に狐と身近に接する経験から、来たものであろう。私は、狐と身近に接したことはないので、実感としては分かりかねるが、狐には、賢く、俊敏で、超然としたところがあり、それでいて、どこか親しみやすい、和ませるところもある。特に農民にとっては、狐との様々な関わりがあり、狐は、畑や家畜を荒らすこともあっただろうが、ねずみなどの小動物を捕食することで、作物を守ってくれるものでもあった。農地を開墾することで、きつねの住処を追いやるということから、一種の後ろめたさ(祟りへの怖れ)もあっただろう。

狐は、それ自体、「神々しく」また「利益をもたらす」存在であった反面、油断のならない、畏怖させる面(祟りを恐れる面を含む)もあり、そのような両義的な感情をもたらす面こそが、人々に、身近で、多様な「信仰」を生み出すもととなったと思われる。

記事『「実体的意識性」と「ヌミノーゼ」』でも、そのような両義的な面こそが、「聖なるもの」としての「ヌミノーゼ感情」の基礎となることをみたが、狐には、そのような「聖なるもの」としての要素が、多分にあったと解される。

蛇や狼なども、昔から信仰の対象とされ、狐への信仰も、蛇や狼の信仰を引き継ぐものと解されることがある。ただ、蛇や狼は、恐ろしく、畏怖させる面が勝り、人間にとって、近づき難いものだが、狐は、親しみ易い面も多かったことから、蛇や狼への信仰を含み持たされつつ、より広がって行ったのだろう。

また、このような「聖なるもの」としての両義性は、「自然」そのものの性質でもある。人間を包み込み、様々な恩恵をもたらすものであると同時に、荒々しく、ときに災害をもたらす、恐るべきものでもある。記事『『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』』でもみたように、狐は、このような両義性をはらみつつ、包み込むものとしての自然を象徴する位置を、獲得して行ったと思われる。

人間に一番身近なはずの、人間の霊ではなく、狐の霊が憑くということが、多く広まったのには、伝統文化では、このような、人間を超える自然に対する両義的な感情が、人間への思い以上に強かったからこそと言わねばならない。

中村禎里著『狐付きと狐落とし』(戎光祥出版)によれば、「狐憑き」は、特に初期の頃は、「利益をもたらす」面が広く信じられた。狐が憑くことによって、家が繁盛したり、長生きしたり、一種の守護霊的な役割をすると解されたのである。記事『「日本の憑きもの」』などでみた、「憑きもの筋」においても、狐は、「狐もち」の筋の者に使えることで、裕福にさせると解されたことを述べたが、これも、狐が利益をもたらすという観念が基本にあるからである。

ところが、特に江戸期以降、「狐憑き」が広く信じられるようになると、「狐憑き」のもたらす害悪の面、あるいは一種の恨みや祟りの面が目立つようになる。「憑きもの筋」においても、狐は、憑いた者に対しては、他の者の恨みを肩代わりするものだったり、様々な害悪(憑かれた者を錯乱させたり、共同体の秩序を乱す面)をもたらすものがあった。

また、「憑く狐」というのも、狐そのものというよりは、「おこじょ」とか「おさき」などと呼ばれる特別の存在と解されるようになる。「妖狐」とされるときもある。これらは、「狐」の害悪をもたらたす面が特に「実体化」されて、生み出されたものと言うべきで、妖怪的な性質を持つ「精霊的存在」であることが、かなり前面に出ている。「憑きもの筋」の者が使役する狐も、このような存在と解されている。

かつて信仰された「神々」も、恐るべき面が特に表面化すると、「妖怪」のような存在と解されるようになるが、狐もそれと同じ道をたどっている面がある。

実際、「憑きもの筋」でも、差別したり、「排除」するという面は出て来るのであるが、繰り返すように、決して、そのような面のみではなく、それらは伝統文化の世界観の背景の中に包まれていて、結局は、共同体の秩序の回復に役立てられたのである。

「憑きもの筋」は、伝統的な共同体の意識が強い地域でもなく、その意識の弱まった都市的な地域でもなく、その中間地帯に発生しているということである。既にみたように、「憑きもの筋」は、共同体が抱え込む外部的な存在との共存を図るものと言えるので、それはまさにそのとおりであろう。

しかし、このような地域の「憑きもの筋」以外の場合の「狐憑き」の場合も、それが「狐落とし」によって解消されることは、「狐との関り」を通して、改めて、両義性を持つ「自然」に触れる、伝統的世界観の要となる体験をするもので、共同体やその者自身にとって、やはり、意義のあることとされることは多かったと言うべきである。

一方で、江戸期には稲荷信仰が広まったことで、狐に対する信仰も強まっている。稲荷は、元々農耕の神であるが、狐信仰と習合することで、商売繁盛の神として広まっているのである。稲荷は「神々」であり、狐は、その「使い(眷属)」とされるが、庶民の意識では、両者が混交している場合も多いと思われる。

このように、狐への信仰が強まったからこそ、反面の祟りを恐れる面も強まったとも言えるし、狐の利益をもたらす面は、稲荷に持って行かれたので、害悪をもたらす面が、特に「狐憑き」としての狐に付与されたと言うこともできる。

いずれにしても、「狐憑き」は、両義的な要素をはらみつつも、人間を超えた自然と繋がる、狐への特別の信仰があるからこそ、広まっているのである。

「狐」というのは、既にみたように、一般的な庶民の理解では、普段接している、動物としての「狐」そのもの(の霊)とみなされ、あるいは、混同ないし同一視されていた可能性もあるが、本来は、「精霊」としての「狐」のことである。

日本の伝統文化では、霊的存在としての「神々」のほか、「龍」や「河童」その他の「精霊的存在」が信じられていたが、「狐」も、そのような「精霊的存在」の一種ということである。ただ、「狐」自体は実際に存在する動物でもあるので、「狐」そのものと同一視される可能性も高かったと言える。

「精霊的存在」は、「自然」との繋がりの強い、「神々」と人間との中間に位置する、両義的な存在である。そのような精霊は、「物質化」して、あるいは何らかの形をまとって、人の前に現れることもあるのであるが、その場合、あえて狐として姿を現すことも多かったと思われる。それは、狐が、まさに身近なものとして人々に信仰されていたからこそで、「近づき難い」神々でもなく、「身近過ぎる」人そのものでもないという位置にあって、人間に触れるのにもっとも適当だったと思われるのである。このことも、「狐」が特別に信仰されることや、「狐憑き」を多く生じせしめた理由となっていると思われる。

内藤憲吾著『お稲荷さんと霊能者』(河出文庫)という本は、「オダイ」と呼ばれる稲荷の神に仕えるシャーマンないし霊能者を取材したもので、興味深く、参考になるものが多い。この霊能者は、予言や様々な霊能、物理的な超能力などを発揮した伝説的な存在のようだが、実際に交流する者として、稲荷は、「神々」であるが、その使いである「狐」は、「白狐」と呼ばれる「精霊的存在」であると言っている。

「狐憑き」については、既に述べたように、「修験者」や「巫女」あるいは、この「オダイ」の場合のように、それらの者が、起こっている現象を、「狐憑き」であると宣言し、「狐落とし」によって解消させることが、「狐憑き」をかくも広めることに作用しているということがある。

特に、江戸期の稲荷信仰が広まった頃には、「狐憑き」も広まっているが、それらに関わる「宗教者」たちが、あえて、商売や名声の獲得のために、そのような「宣伝」を広めたということは、当然あると思われる。早く言えば、「詐欺的な商法」である。また、「狐憑き」という信仰が広まり、その一般的な型のようなものが、庶民に広く行き渡れば、多くの者が、その型に沿う現象を、「狐憑き」と考えることも多くなる。「狐憑き」とされる現象のかなりのものが、このようなことから生じている可能性は高いと言わざるを得ない。

しかし、『お稲荷さんと霊能者』の場合もそうだし、現代でも、「狐憑き」が実際に生きている地方や集団はあり、その真実性を十分察知させるフィールドワーク的な研究はかなりある。また、日本以外の場合でも、「狐」ではないにしても、「精霊的存在」が「憑く」という現象は、先住民文化などをフィールドワークしたものから、実際に、その通りに解されるだけの内容をもって、多く知られている。

日本の場合にも、伝統文化が、長い間、シャーマンや一般の者の儀式などを通して、引き継いで来た、「狐憑き」という「精霊が憑く」現象は、実際にあったものとして、十分肯うことができると思うのである。

江戸期の「狐憑き」の広まりにおいても、そのすべてが集団ヒステリー的な「催眠的現象」であったり、宗教者の捏造に過ぎないなどということは、とても考えられないのである。

あるいは、「人格が変換」することは、現代では、「人格の解離」などとも解され、抽象的には、確かにそのような場合もあっただろうが、記事『マイナスエネルギーを浄化する方法』や『人格解離』で見たように、両者は、具体的には、区別することが可能である。実際に、「解離」ということではなく、「他者的な存在」が憑いたとしか考えられない場合は、確かにあったということである。

しかし、明治以降、このような「狐憑き」は、「迷信」として否定され、「精神病」とみなされることになる。次回は、その過程を、少し詳しく追ってみる。 

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