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2023年8月

2023年8月 8日 (火)

オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったのか 1 —「血取り」「膏取り」と「迷信撲滅運動」

「オカルトを否定する世界観の根本的変化は、なぜ起こったか」の本論に入る。

それまでの「狐憑き」を「精神病」とみなすような、「世界観の根本的変化」は、庶民レベルで一気になされたのではなく、「迷信撲滅」の運動が繰り返されつつ、西洋医学及び精神医療の導入と確立のための様々な施策がなされることで、可能になったのである。

それまでの世界観は、先住民文化を代表として、あらゆる伝統文化が引き継いで来た、普遍的と言うべき世界観なのであり、日本の庶民も、その世界観の中で長い間生き続けて来たのである。だから、それを、根本的に変えて、新たな生活様式に変えるなどということは、簡単に成し遂げられるわけがないのは当然である。

確かに、文明開化を指向する支配層や知識人はもとより、それまで鎖国していて、外国文化をよく知らなかった一部の日本人に、西洋文明は強烈なインパクトをもたらし、伝統文化を見直して、西洋文明を取り入れる必要があると思わせたのは事実である。しかし、一般の庶民は、それまでの生活の基盤だった、伝統文化を、直ちに否定するような方向に行くはずもなかった。

それまでの伝統文化を「迷信」として否定したのは、明治維新による文明開化の必然の流れと思う人もいるかもしれないが、決してそんな単純なことではない。

文明開化を指向する政府や知識人は、マスメディアや教育の場、労働の場などを通じて、それまでの伝統的な生活習慣や信仰のあり方を、「迷信」として否定する様々な運動を繰り返し行った。また、文明開化の象徴として西洋医学を導入し、浸透させるべく、それと対抗するような、それまでの民間治療を、迷信として糾弾するだけでなく、法令としても禁止した。

「狐憑き」というのも、そのような、否定すべき迷信の代表であり、また、「狐憑き」の治療でなされた修験者その他の民間の祈祷師、宗教者などの「狐落とし」の行為も、法令で禁止されるものとなる。

そのような過程を通じて、「狐憑き」は、西洋の精神医学で「精神病」とみなされることが、民間に向けて啓蒙され、制度的にも、精神医療の実現に向けて、様々な施策を取りつつ、遂には、精神病院の設立とそれによる「治療」(隔離=排除)の態勢ができるようになる。それが確立するに及んで、概ね、「狐憑き」の「迷信」を抑え込むことができるようになったのである。

このような過程については、川村邦光著『幻視する近代空間』(青弓社)という本が、かなり詳しい考察をしている。この本でも、それまで「もの憑き」とされたものが、「精神病」とみなされることが、「近代空間」(近代独自の世界観)の成立にとって、決定的な出来事と解している。

その中で、明治期の初めに、庶民の間で、新たに入って来た西洋人やキリシタンが、日本人やその子供をさらって、「血取り」、「膏(あぶら)取り」するという風聞が広まり、それを恐れた庶民が、戸籍調査などのときに、それに対抗すべく、一揆や騒動を起こしたという事件がとり上げられている。

この事件は、「迷信」とは何かということ、あるいはそれを、「迷信として否定する」とはどういうことかということを、象徴的に表していると思うので、今回はこれを中心に考察しようと思う。

「血」とは、人間の「生命力」そのものであるし、「膏」とは、人間の「活動源」そのものといえる。そのような血や膏を、西洋人やキリシタンが、さらった日本人を逆さずりにして絞り出し、それを栄養源にしたり、売買したり、燃料にするということが信じられ、恐れられたのである。

何とも、「おどろおどろしい」話だが、このような「血取り」、「膏(あぶら)取り」とは、まさに、これまで述べて来た、「捕食者」の「生命エネルギー搾取」そのものであることが、分かるであろう。

庶民にとって、西洋人やキリシタンは、これまでほとんど交流のなかった「異人」である。「血取り」、「膏(あぶら)取り」の伝説自体は、古代からあったもののようだが、要は、そのような「異人」に、かつてからある「捕食者的なもの」が投影され、恐れられているわけである。そこには、明治維新という新たな体制が始まり、それまで続いた身の回りの伝統的な秩序が崩壊していくという、庶民の恐れと危機の意識の反映がある。

このような、西洋人による「血取り」、「膏(あぶら)取り」の風聞自体は、恐れから信じられるようになった、「迷信」そのものということが、確かに言える。実際、この事件は、「迷信」を信じることの、愚かさ、奇妙さ、恐ろしさを際立たせることになり、後に、メディアなどを通して、「迷信」を信じることを、愚かなこととして蔑み、嘲笑する、大々的運動のきっかけを与えることになる。

明治以後の「迷信」とその「否定」が、このようなものとして始まったことは、非常に示唆的である。

西洋人による「血取り」、「膏(あぶら)取り」の風聞は、それそのものとしては、確かに迷信としても、その内には、ある真実をはらんでいると言わねばならない。だからこそ、庶民の間で、一揆を起こすほどに、信じられたのである。その「真実」とは、それまでの伝統文化の中で、経験として、あるいは知恵として育まれた、「捕食者的なもの」に対する恐れと、リアリティである。

伝承の中でも、「異人」の代表は、「鬼」であるが、「鬼」とは、これまで述べてきたとおり、「捕食者」の反映そのものであり、それが、明治以後に、西洋人という「異人」に投影されているわけである。後に、「鬼畜米兵」という言い方がされたのも、そこに起原がある。

「オカルト的なものの否定」という観点から、近代の世界観の根本的な変化をみる場合、西洋の場合は、その理由がみえやすい。「魔女狩り」という大々的な事件があったからでる。

記事『「魔女狩り」と「捕食者」』、 記事『「精神医学」と「オカルト」的なもの』などでも述べたとおり、魔女狩りは、庶民レベルで共倒れをもたらすほどに沸騰し、人びとは疲弊したので、そのようなことが二度と起こらないように、「魔女」という存在、ひいてはその背後にいる、「捕食者」そのものである、「悪魔」という存在を、否定したかったのである。そのような、「魔女」や「悪魔」を否定する論理も、初めは、一神教的な神に起原をもつ「合理性」に頼らざるを得なかったが、そのような論理の発展は、結局、「おどろおどろしい」「オカルト的なもの」とともに、それまで人々の生活に溶け込んでいた、「見えないもの」及び「神への信仰」そのものをも、否定するような見方をもたらすことになった。

一方で、現実のレベルでは、実質的に、「魔女」そのものと変わらない、「異人性」を備えた、「社会から逸脱する存在」を、かつての「魔女狩り」に代わって、精神医学が、病院に隔離して「排除」することで担う、という体制が整うことになる。精神医学が、かつての「魔女」ないし、より広く「オカルト的なもの」一般を否定する、現実的な執行機関の役目を果たすようになるということである。

日本の明治以後の精神医学の導入も、このような背景をもつものの導入である以上、そのような意味合いを、初めから、いくらかはらむものになるとは言える。

しかし、日本の場合もまた、独自に、西洋の「魔女」に対応するような、「オカルト的なもの」の否定と排除を、精神医学の導入当初から、塗り込めていたということが言えるのである。

記事『「日本の憑きもの」』や『日本で「魔女狩り」に相当する事件』でみたように、日本の場合も、「魔女狩りに相当する事件」があることはあったと言える。その一つである、「憑きもの筋」については、次回に詳しくみるが、先に述べた、「血取り」「膏取り」の一揆に絡んで、いくつかの地方では、被差別民に対する虐殺事件(開放令反対一揆)も同時に起こっているのである。

「血取り」をする西洋人と同様に、日本の「被差別民」もまた、身近にいる「異人」の代表であり、まさに「魔女」的なものとして、恐れられたので、そちらの方に攻撃、排除の矛先が向けられたと言うことができる。

このように、日本の場合も、「捕食者」と何らかの意味で通じる「魔女的な存在」を、現実に恐れ、排除するということが、まさに明治以後にも、なされているのである。

「憑きもの筋」については、次回みるように、「排除」としての側面も確かにあるが、それは、かつての伝統文化の世界観の中に全体として包まれ、共同体の秩序を乱すと同時に回復させるシステムとして、組み込まれてもいた。

ところが、明治以後の被差別民に対する虐殺事件は、もはやそのような伝統秩序の中での対処のシステムを失っているからこそ、直接的な「魔女狩り」的な行いとして起こったと言うことができる。

そして、この事件は、西洋の場合に、「魔女の排除」ということを通して、それを解消すべくなされた「迷信の否定」が、ついには、「オカルト的なもの」、「見えないもの」一般の否定をもたらしたように、日本の場合も、その重要な流れを作り出す元となったのである。

何しろ、「魔女」という不幸をもたらす存在、さらに、その背後の「捕食者的なもの」が恐れられ、排除されるようになると同時に、その解決に向けて、結局は、「捕食者的なもの」を「ないこと」として否定すること、「迷信として否定」することによってこそ、その恐れを解消しようとしたということである。

実際には、「迷信として否定」するのは、文明開化を押し進めようとする支配層や知識人であり、「迷信」を信じたのは、一般の庶民という違いは生じているが、それは西洋のように、大々的に、両者が混在するレベルで、「魔女狩り」が起こったのではないからである。

しかし、日本の一般の庶民にしても、この事件を通して「迷信」を信じることの恐ろしさを知った者はそれなりにいたはずで、また、後の「迷信否定」の教化の影響を受けつつ、その否定の流れを決定づける、大きな働きをすることになったのは、間違いないはずなのである。

後に改めて再説するが、とりあえず、結論として、「迷信の否定」は、(科学の発展その他の外部的な状況の変化によるのではなく)それまでの世界観の中には、何とか組み込まれていた、「オカルト的なもの」、より直接的には、「捕食者的なもの」を、多くの者が、否定したかったからこそ起こったということが、本質的な理由と言わねばならないのである。

但し、迷信の否定ということは、何度も繰り返し行われて、功を奏すようになったものだった。実際、迷信の否定は、その後も、発展されて、繰り返し行われて行くのだが、次にその一つの例をみていくことにする。「狐憑き」については次回とりあげるので、ここでは、それまでの民間信仰に基づく民間治療が、西洋医学の導入に伴い、迷信として否定されていくのをみていく。

西洋医学一般も、それまでの伝統医療からすれば、全く新しい未知のものだったので、庶民はそれが導入される当初から、奇異な目で見、信用することはなかった。先の「血取り」や「膏取り」というのも、新設された、西洋医学の病院でなされるといううわさもあった。

そんな中、政府や知識層は、マスメディアや教育の場、労働の場などで、それまでの伝統的な治療が、「迷信」であるという宣伝を繰り広げることになる。初めそれは、先の「血取り」の迷信と同様、愚かしく、嘲笑すべきこととして広められる。さらに、それは、そのような迷信的な治療を信じて、西洋医学の医療を拒否する者に向けられ、そのために、治療ができず、かえって酷くなるという物語として広められていく。それまでの伝統を「迷信」とし、それに対置する形で、西洋医学の治療の正当性が強調されるようになるのである。

さらに、政府は、実際に、西洋医学的な医療に反し、それを妨害するような伝統的な民間の治療法を、罰則付きの法令で取り締まるようになる。

『幻視する近代空間』の著者は、このような迷信の否定は、決して迷信を本気で「撲滅」しようとしたのではなく、迷信を愚かなこととして嘲笑し、蔑む見方が浸透することを意図したものとする。実際、西洋医学の根拠というのも、それ自体自明なものがあったわけではないから、むしろ、それまでの伝統医療を迷信として蔑む見方がなされ、それと対置されることで、何とか正当性を獲得し、広まって行くのである。

迷信の撲滅などは、(現に今も多くのものが残存しているように)事実上無理ということもあるが、迷信は、西洋医学を広めるための道具としても、うまく利用されているのである。

これは現在でもあることで、「陰謀論」や「オカルト」などが、必ずしも「撲滅」を目指されず、むしろ、それを貶たり、嘲笑することで、近代的世界観に基づく、「常識」の正当性が、強調されることに利用される。記事『「デマ」、「陰謀論」、「オカルト」、「病気」—「ワクチンの境界」と「病気の境界」』でもみたように、ワクチンについても、「反ワクチン」的な主張が、「陰謀論」であり「デマ」であるということが強調されることで、ワクチンの正当性が印象づけられるということも、その延長上のことである。

そして、そのような迷信の否定は、明治33年以降の、尋常小学校の教科書に、見事に結実される。そこでは、子どもの感情をうまく刺激しながら、巧妙に迷信を離れ、近代的な世界を受け容れることが、求められているのである。

例えば、臆病な侍が、瓢箪をお化けと勘違いして怯えるという挿絵とともに、「迷信を避けよ」と題される話が載せられる。そこでは、子どもたちに、そんな「臆病」な態度ではなく、勇敢さを身に着けることが、求められている。子どもにとって、周りから「臆病」とみなされることは、屈辱的なことだから、「迷信」など信じていると「臆病」とみなされるという方向付けは、見事に子どもの心理をつくものがある。

さらに、「迷信物語」として、伝統的な治療法を信じる老婆が、やり玉にあげられ、それまでの民間治療を信じて、西洋医療を否定したために、病気を酷くし、失明してしまったという物語が載せられる。それは、後にも、改変されつつ、長い間掲載され、さらに酷い形態へとなって行く。

これは、それまでは、伝統的な知恵を携え、子や孫と身近に接してそれを伝える役目をしていた老婆を、愚かな者として、糾弾するのがポイントである。この点について、著者は次のように言っている。

「この物語の主人公の老婆は、明治以前、それもおそらく「天保」生まれの旧弊な「愚民」の象徴となっている。老婆ないし祖母は子ども―孫と接触する機会が最も多く、学校にあがる前の子どもに昔話や伝説を聞かせたり、一緒に寺社参りをしたりして、孫のおもり、子どものしつけに大きな役割を果たしていたといえる。「愚民」のシンボルである老婆は子どものしつけには不適切であり、学校こそがそれを担当すべきであることが示唆されている。」

何しろ、それにより、伝統的な世界観との切断がなされ、新たな西洋的な世界観を伝える学校こそが、かつてのミディアム(霊媒)としての役割を果たすようになる。そして、それを現実に執行するのが、「病気の恐ろしさ」を植えつけつつ、現実に効果を発揮する、西洋医学ということになる。精神医学というのも、この西洋医学に名を借り、乗っかることで、浸透して行くのである。

前に記事でも述べたように、魔女狩りの「魔女」とは、呪術的ともみなされる、伝統的な知恵や治療法を携える老婆こそが、モチーフとされるものだった。そのようなものが、キリスト教の観点から、「悪魔的なもの」と規定されたため、「魔女狩り」は、結局、伝統的なものを否定する強力な契機ともなった。

日本の教科書においてだが、やはり伝統的な知恵を携える老婆こそが、迷信を体現する愚か者として蔑まれるのは、まさに、この「魔女狩り」と本質を同じくすると言うべきである。

老婆という「魔女」の排除によってこそ、伝統的な世界観が切断され、新たな世界観に変わって行く、大きな契機が生まれているのである。

このように、「迷信の否定」は、「魔女」に象徴されるような、恐れをもたらす「オカルト的なもの」、「捕食者的なもの」を否定することこそを中心に成り立っている。それは、論理というよりも、「感情」に訴えかけてなされる点も、そのことを物語っている。そして、そのような「迷信の否定」こそが、伝統的な世界観を否定し、新たな世界観を受け入れて行くことの、本質的な契機になっているのである。

次回は、さらに、迷信の否定とかつての世界観の根本的変化を象徴する、「狐憑き」についてみていく。

 

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