近代社会のシステムと「病気」という必然性
前回、統合失調状態は、一種の「(覚めない)催眠状態」と言えることをみた。
通常の催眠ならば、催眠術士が、「3つ数えると覚める」、「手をたたくと覚める」等の暗示を与えることで、覚めることまで導いてくれる。ところが、統合失調状態では、催眠をかけた側も、こんな暗示を与えるわけがないので、自ら「催眠」に陥っていることに気づくことでしか、そこから脱する方途はない。
そのためには、統合失調状態というのが、一種の「催眠状態」で、その状況では「起こっていることが真実」としか思えないことも、暗示によって誘導されて、そのように思わされているのだ、ということを、あらかじめ、漠然とでも、知る可能性がなければならない。(※)
周りの者にとっても、統合失調状態が、一種の「催眠状態」であることを理解できれば、必要以上に混乱することはないことになる。
ところが、このような見方を阻害しているのが、「統合失調」は「病気」であり、「精神医療によって治療すべきもの」という、一般に浸透している常識である。
この常識も、恐怖や不安に基づく、集団での一種の「催眠状態」によって、誘導されていることを前回みた。
しかし、記事『「病気」ということの「イデオロギー」的意味』などでみたように、この「病気」という見方は、近代社会が作り上げた強固なシステムの一環として、なされているものである。それは、近代社会のシステムを保持するために、強力な役割を果たしているのであり、容易には突き崩し難いものということである。
だから、近代社会のシステムにとって、「病気」という見方が「必然」であり、それを覆せば、近代社会のシステムの維持自体が、難しくなる、ということを、大まかにでも理解しなければ、「病気」という見方に捕らわれずに、統合失調の本質を理解しようとすることも、難しいことになる。
このように、大げさでも何でもなく、統合失調状態を理解しようとすること、あるいは、その状態から本当に抜け出ようとすることは、近代社会というシステムそのものを問題にすることなのだ、ということの、自覚も必要である。
そうしなければ、「統合失調」という「謎めいた病気」は、永遠に暗躍し、近代社会のシステムを裏から支え続け、本人にとっても、何とかその状態をごまかしたり、その害を弱めたりすることができるのが、関の山ということになるのである。
近代社会のシステムにとって、「病気」という見方が「必然」であることを、簡単に図で示したので、それを掲げる。
これまで何度も述べて来たことで、説明は不要と思うが、簡単に説明を付すると、
近代社会は、魔女狩りという悪夢の再現を阻止したいがために、それまでの文化を彩った、「オカルト的なもの」を排除するということを、基盤にしてできあがっている。だから、「オカルト的なもの」の影響をにおわせ、社会のシステムから逸脱するものは、ことごとく「排除」されねばならない。それは、社会システムを維持するための、「必然」なのである。
「医学」から借りて来た、「病気」という観念も、初めは、体よく「排除」するために便利だったから使われたものと言える。
ところが、単純に「排除」するのではなく、「病気」として社会の中で抱え込むことは、医療や製薬業界から利益を吸い上げる、支配層にとっても、大きなうまみとなるし、「排除」というあり方を、見かけ上ごまかすことにもなる。
それで、記事『精神的な「病」と「医療化」(図)』でみたように、「病気」ということが、単なる「レッテル」としてだけでなく、近代社会のシステムを維持するうえでも、重要な要として機能するようになったのである。
そのとき示した図を、再び掲げる。
こういったことの全体を、俎上に上らせない限り、「病気」ということに捕らわれずに、「統合失調」の理解を得ようとすることは、難しい。
しかし、逆に、「病気」ということの「イデオロギー」性や、社会にとっての「必然性」が見えてくれば、その覆いが剥がされて、「統合失調」の本質は割と見えてきやすいものになる、ということも言えるのである。
※ 日本でも、近代以前には、記事『「狐に化かされる」こと/一時的な「幻覚」「妄想」状態』でみたように、「狐に化かされる」ということで、こういった状態に陥ったことを自覚する方途があり、結果として、一時的な幻覚・妄想状態で抜け出ることができていた。
この「狐に化かされる」というのは、狐(という精霊的存在)に、「催眠」にかけられて、幻覚・妄想状態に陥る、ということを、端的に示すものといえる。
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