ウイルスは「感染しない」ということ
ミナミAアシュタールのアシュタールは、ウイルスは「感染」するのではなく、ウイルスに、波動的に「共振」することによって、人体内に呼び込まれるのだと言う。従って、マスクや消毒などの(物理的)予防策は、まったく無意味としている。(ミナミAアシュタール著『アシュタール 宇宙の真実』)
一見常識はずれの説のようだが、実は、これは、前に記事『支配層にとってのワクチンの意味』で述べたように、シュタイナーの細菌やウイルスに対する見方と、ほとんど同じである。
シュタイナーは、「同情」によって、「ウイルスをもたらす土壌が、自分の中に作り出される」ということを言っているのだった。この「同情」は、感情的な面に重きをおいた言葉で、もっと広くは、「同調」あるいは「共振」というのがふさわしいのである。
要は、どちらも、ウイルスは、物理的なプロセスをたどって人体に「感染」するのではなく、波動的な共振によって、内部に(瞬間的に)「移動」する、あるいは、「物質化」するということである。
このように、ウイルスが、単純な物質ではなく、知能や意思を備えた存在であることは、バシャールなども指摘していたし、A・ジョルジェ・C・Rは、さらに、ウイルスが、物理的なプロセスを超えて出現することも、述べていた。
記事『支配層にとってのワクチンの意味』で、その部分を引用していたが、それをもう一度再掲しておこう。
「ウイルスは共振の法則により集まります。生き方、考え方、意識、感情、生活習慣などが関係します。彼らは人が良いエネルギーで振動しているか、良くないエネルギーで振動しているかが分かります。意識があり、とても賢いのです。彼らは、人が考えるように飛ぶ必要はありません。アストラル界、もしくはエーテル界から出現します。風も空気も必要ありません。
薬や添加物といった化学物質、甘いもの、動物性脂肪などは彼らの大好物です。波動が低いからです。そういったものはオーラや血液を汚し、胎内で毒素を作ります。彼らは毒素のエネルギーを食べます。毒素が多ければ多いほど、彼らにとっては天国です。エネルギーを多べるので、人体の良いエネルギーまで食べてしまいます。すると人は空っぽになり、もっともっと食べたくなります。彼らはそのようにしてエネルギーを吸収して、人の意識をコントロールします。」
ウイルスというのは、発見されたのもつい最近であり、「遺伝情報を備えたミクロの物質または生命」であることは分かっているが、いまだ分からない部分も多い、謎の存在である。
実際、その「未知性」こそが、多くの恐怖をもたらす要素となっている。
そして、それは、やはり、上にみたように、ウイルスが、単純な物質ではないことを物語っているものと言うべきである。
但し、私は、ウイルスが、「単純な物質ではない」としても、「物質的な性質や移動プロセスを取らない」ということではない、ということは考えられると思う。つまり、ウイルスが、「物理的に」「感染する」ことは、あるのかもしれないと思う。
私は、ブログ『オカルトの基本を学ぶ』の記事『「相対性理論」との関係』で、光や素粒子、また電磁波は、「物質的なものと霊的なものの境界上に存在するもの」と述べていた。多分、ウイルスは、生命体という観点からみたときに、同じような意味で、「物質的なものと霊的なものの境界上に存在するもの」なのだと思う。
生命体として、各種精霊や、イエティなどの未確認生物も、いわば、「物質的なものと霊的なものの境界上に存在するもの」である。しかし、これらは、霊的な領域の方に重点があり、いわば、物質的な領域との「行き来」が比較的自由にできる存在である。
ところが、ウイルスは、ミクロの存在であることもあって、「本質的に」「物質的なものと霊的なものの境界上に存在」しているのだと思う。
いずれにしても、ウイルスは、「物理的に感染する」こともできるし、「共振により(瞬間的に)移動または物質化」することもできる、という両義的な在り方をしているのではないかと思われるのだ。
だから、その場合には、必ずしも、「感染しない」、あるいは「感染ルートがない」というわけではないことになる。予防策としてのマスクや消毒も、完全に無意味という訳ではないことになるかもしれない。
しかし、この当たりも、微妙な要素がある。
「物理的に感染する」と言っても、それは、人間の内部の側、特に免疫の状態に左右されるし、心理的な要素も多分に影響する。「同情」や「不安」「恐怖」など、ウイルスに対する「同調」や「共振」をもたらす心理状態は、当然免疫状態を弱めるから、物理的感染においても、感染しやすい状況となる。
一方、ウイルスに対する「同調」や「共振」は、現にウイルスにかかっている人物を前にすることで、起こりやすいだろうから、結局は、濃厚接触など、物理的感染の起こる状況と似た状況で起こりやすいことになる。だから、これらは、互いに絡み合って起こるもので、容易には、区別し難いことにもなろう。
とは言え、改めて注意すべきは、「物理的な感染」のみではなく、「同情」や「不安」「恐怖」など、ウイルスに対する「同調」や「共振」に注意を向けなければならないということである。そして、結局、総体としてみれば、後者の、「ウイルスに対する「同調」や「共振」」こそが、ウイルスを呼び込むうえでは、重要な要素になるはずだということである。
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