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2022年11月 9日 (水)

「死の体験」は、この世界の特権!?

前回、「イニシエーション」における「死と再生」の過程においては、「死の体験」こそが、重要な鍵となることを述べた。「再生」ということも、「死の体験」があってこそ、起こり得るのである。

実を言うと、このような「死の体験」は、物質次元に強く制限された、(地球上の)この世界でこそできる、「特権」と言えるのではないかと思う。霊的世界や他の次元の世界では、「死」そのものがないわけではないにしても、「イニシエーション的な死」の体験、あるいは「死の深み」の体験は、なかなかできないと思われるのだ。

私自身、記事『「自ら望んで地球に生まれる」ということ』で述べたように、「死の体験」を(深いレベルで)することを目的に、この世界に生まれて来たという思いがある。

物質次元を超えた領域で生きていた、金星人のオムネクも、記事『「次元降下」して地球に生きる「金星人」』でみたように、、金星では、あらゆる望みがすぐに適い、満たされてはいるが、変化に乏しく、退屈であるため、あえて、地球のような制限の多い世界に転生する者もいることを述べていた。

実際、物質次元を超えた領域では、現実に、「死を体験」する機会などは、めったにないはずである。あるいは、死を意識することすら、めったにないのかもしれない。オムネク自身は、「カルマの精算」と「地球人の教化」を理由に上げていたが、地球に物質化して生まれたのには、「死の体験」を望んだということもあったのだと思う。

「死」には、「深み」があり、それぞれのレベルに応じた「死の体験」があるし、結果として、さまさまなレベルに応じた「再生」もあるのだった。

その「再生」、あるいは「水平的方向」からみれば、それまでの自己に死んで、新たに生まれるわけだから、それは、結局、「進化」につながるわけである。

地球などより高次元の領域は、満たされた領域である分、そこに満足して、このような「進化」を起こすということは、難しいことにもなる。そこで、あえて、このような「進化」を目指して、地球に生まれるということも起こるのだろう。

シュタイナーも、地球に生まれる意義は、「霊的進化」にあるとしていた。

しかし、「死」そのものの「深み」の体験、あるいは「垂直的方向」という点からみても、このような体験をできるのは、「死」ということが身近にあり、「闇」に満ちていて、「深淵」がいわば、常に「開いて」いる、この世界の特権と言えるのだと思う。

他の領域では、このような「深淵」を覗く機会もほとんどなく,その「深淵」には、「闇」または「虚無」か控えている、ということを認識することも、ほとんどないと思われる。

宇宙人系統のチャネリングでも、「進化」は語っていても、このような根源的な「闇」や「虚無」について語られることは、ほとんどない。ミナミAアシュタールのアシュタールも、「無のことは分からない」と率直に述べている。

ただ、アシュタールは、原初の存在である「絶対無限の存在」が、「私とは何か」を意識したことから、その探求のため、全ての「創造」が始まったとしている。「私とは何か」を意識するということは、漠然とでも、周りに蠢く「私ならぬもの」(他者)を意識することを意味する。だから、「私とは何か」を探るとは、その周りの「私ならぬもの」=「絶対無限の存在をも超えた、究極の「無」とでも言うべきもの」を何ほどか意識し、知ろうとすることをも、含むことになる。

記事『『魂の体外旅行』-「ルーシュ」の生産』でもみたように、原初の存在を取り巻く「大いなる未知」、すなわち「虚無」の探索こそ、全ての創造の始まりであり、目的だとすれば、その探索に向けては、地球のような、「死の深みの体験」のできる世界は、貴重であるということも言えるのである。

 

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