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2022年7月13日 (水)

茶番or暗殺―暗黒の時代に突入することは確定

今回の事件について述べることには、躊躇があったが、今後の日本の成り行きを決定する、重要な事件でもあるので、ほんの概要だけだが、淡々と考えられることを、述べることにする。

7月8日の安倍元首相の銃撃、暗殺事件は、私も、知ったときには、かなりの衝撃があった。だが、同時に、それをどこかで知っていたかのような感覚も起こって、「やっぱりか」という、冷静な感じで受け止める部分も大きかった。恐らく、死ぬだろうという気はしていたし、実際、その後しばらくして、そう報道された。

この、「どこかで知っていた」という感覚は、実のところ、私だけでなくて、日本人のかなりの人が、もっていたのではないかとも思っている。意識して、そう思う人は少ないかもしれないが、その後の多くの人の反応をみると、どこかでそう分かっていたかのように、冷静に受け止めているように思えるのである。もちろん、痛ましい思い、安倍氏に対する同情や哀悼の意はあっても、このテロ事件そのものに対する大きな混乱や、恐怖、怒りは、(報道や政治家たちは散々煽っていたけれども)それほどのものがないと思われるのである(動機が、あまりに個人的なものであったことも大きいだろうが)

その意味では、この事件の意図は、半分は失敗に終わっているとも言えるが、一方では、選挙結果にみるとおり、大きな成果をもたらしたのも疑いがない。

私は、初め、一般に報道されている情報や映像でみたときは、いくつかの不自然な点はあるが、恐らく、これは、報道されているとおり、個人的な動機に基づく偶発的な犯行で、たまたま警備の薄い、選挙活動中に起きたことなのだろうと思った。ただ、結果として、多くの同情票をもたらし、参院選の選挙結果には、かなりの影響を与えるだろうと憂えた。

しかし、その後、ツイッターなどにあげられている、発砲後の詳しい映像を見ると、あまりに不自然な点が多いことに、驚かされた。1回目の発砲後、誰も犯人を取り押さえる動きもなく、2回目の発砲がなされていること。周りの者がしゃがみこんでいるのに、安倍氏は立ったまま平然とし、しばらく後に後ろを振り返って、2回目の発砲を受けていること。2回目の発砲後、ゆっくりと台を降りて、前かがみに崩れていること。首を打たれて、心臓に損傷を受けたと報道されていたが、体や服、周りには血がほとんど見られないこと。そして、安倍氏の右肩に、赤い色の不審なものが巻かれていることなどである(止血帯とみるのも不自然である)

ツイッターには、そうしたことから、この事件は「茶番」とする意見もあげられていたが、確かに、もはや、たまたま偶然の重なりで、こうなったと解するには、無理があるほどの不自然さである。

人が死んでいるのに「茶番」というのは、不謹慎とも言われるが、これだけのことがあるのに、「茶番」というのを考慮してはならず、初めから排除するというのも、おかしなことである。私も、これらツイッターにあげられている映像を見る限り、「茶番」の可能性はあると思わざるを得なかった。

しかし、同時に、実際に、茶番によって、このような壮大な演出をなすことは、あまりに大変なことで、非現実的なことでもある。現場にいて関わった多くの者たちから、警察、病院、報道陣、その他多くの組織や者たちが、茶番の事実を知ったうえで、「グル」となって演じなければならない。そもそも、うまくいかずに、大失態となる可能性が多くあるし、一応成功したとしても、これだけの者たちに、口封じをして隠し通すのも、大変なことである。

安部氏が生きているのだとしたら、その後の「処し方」も大変だし、たとえ既に本人は死亡していて、影武者かクローンだったとしても、それなりに対処は必要である。

それに対して、そのような演出から得られるメリットは、「実際に暗殺する場合に比して」だが、それほど多くはないと思われる。もちろん、衝撃と恐怖の演出にはなるし、同情票をもたらし、参院選で、改憲勢力3分の2の議席確保の「使命」を果たすことにもつながる。しかし、それらは、実際に暗殺することでも、というより、その方が確実に得られる効果である。

また、切羽詰まった支配層にとって、安倍氏を実際に暗殺するだけの理由は、十分あったと思えるし、そうでなくとも、死をもたらしてでも、今回の参院選後、早いうちに、憲法改正と緊急事態条項の加入をなさせて、日本を戦争に巻き込むことは、絶対に実現したいことだったと思える(記事『「知ってはいけない」ことの危急版』参照)

単に、同情票を見込んだだけでなく、選挙の不正もあったかもしないが、事件の結果、その不正は取りざたされる余地が少なく、多くの者に納得されやすくなった。今後も、政権の者や民衆に、安倍氏の遺志を継がせるという意味もあるし、政権の者たちが、今回の暗殺が、「上からの指令」と気づくとしたら、本気でそれをしないと自分らが危ないという脅しの意味もある。このような緊迫感は、茶番ということでは生まれにくい。

そもそも、参院選の前に、ウクライナ戦争と北朝鮮の危機、中国の脅威が継続してあったのも、コロナの第7波とも言われる、感染者の増加があったのも、危機を煽って、憲法改正と緊急事態条項の必要を印象づけるためと言える。

参院選は、平時であれば、(バランス感覚が働いて)衆院で絶対多数を確保している与党ではなく、野党に票が集まり易いが、今回は、危機感を様々な方面から煽ることで、緊急時に迅速に対応すべく、与党に票を集めようとさせたし、安倍氏の暗殺は、その最後の決定打ということになる。支配層も、それくらい切羽詰まっているということである。

そういうわけで、私は、映像だけからすると、茶番説もあり得るし、実際、捕食者的には、こういう茶番は「大好き」で、本気になれば、これぐらいのことはなし得るのだが、どうも、今回は、(恐怖の演出の意味も兼ねて)、実際に、多くの者の目の前で、暗殺することにしたのではないかという気がしている。

もちろん、背後には、世界統一政府の実現を急ぐ、支配層がおり、犯人は何らかの方法で、安倍氏殺害を強力に誘導されていると解される(捕食者が憑依的に誘導することも含む)。あるいは、この犯人だけに任せて、暗殺を実現することは心許ないので、別の者も同時に狙撃するなどして、関与しているかもしれない。

いずれにしても、この事件と選挙の結果は、今後、日本が暗黒の時代に突入することを確定させたといえる。憲法改正が発議されれば、国民投票ではいくらも不正のなされる余地がある。これまでの自由は、法的根拠をもって、強制的に制限されるし、ワクチンも強制となるだろう。マイナカード、デジタル化も強力に推進して、チップと結びつけられる準備が整う。そうして、ここまでした以上は、戦争に巻き込むまで至ることも、ほとんど必至である。

この「暗黒の時代」とは、日月神示や、「よひとやむみな」で言えば、「大峠」あるいは「大洗濯」ということになる。これらの神示では、その後、神一厘の大どんでん返しが起こって、うれしうれしの世となることが言われているが、そんな保証があるわけでもなく、どうなるかは我々次第というほかない。

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