「そんなことある?」
記事『「あり得ない」という言葉も死語』で述べたように、かつて若者によく使われた「あり得ねぇ」という言葉は、もはや死語となり、使われなくなった。そして、最近それに代わって、同じような意味合いで使われ出した言葉がある。それは、「そんなことある?」というものである。
かつての「あり得ねぇ」という言葉の使われ方や、それが使われなくなったことについて、記事では次のように述べていた。
ここでは、「あり得ない」は、もはや「絶対あり得ない」ことではなくなっている。言い換えると、「あり得ない」と言っても、もはや「絶対あり得ない」などということは、「あり得ない」ので、「あり得ない」という言葉が、実際には、「あり得る」ことに対して使われているのである。それは、反語的な強調の意味だとしても、そこには、「あり得ない」ということの、それ自体の「危うさ」、「相対性」のようなものが、はっきりと塗りこめられている。つまり、この世代の若者にとって、「あり得ない」という感覚は、もはや「自明」のものではなく、「あやふや」なもの、「みかけ」上のものでしかなくなっているのである。
それは、明確に意識されたものではないにしても、かつて、「絶対あり得ない」などということが、容易に信じられたことからすれば、むしろ、真をついた、一つの感性的な「進化」といえる。
ただし、ここでは、まだ一応、「あり得ない」という言葉が使われてはいる。それは、もはや、「揺ら」ぎ、「あやふや」なものにはなっているけれども、「あり得ない」という感覚自体は、まだ「あり得る」かのように使われているのだ。
しかし、その後最近は、もはやこの「あり得ない」という言葉自体が使われることもなくなった。ほとんど死語になったと言ってもいい。
つまり、この流れは、ここに至って、ついに、「あり得ない」などということ自体が、「あり得ない」ことになったのだ。言い換えれば、「どんなことでもあり得る」という感覚の方が、現在では、むしろ、多くの若者の感覚に沿うものになっているのだ。
この「あり得ない」などということ自体が、「あり得ない」という感覚は、その後さらに進んで今に至っている。そこで、かつての「あり得ねぇ」という言葉に代わって、それと同じような意味合いで、「そんなことある?」という言葉が使われ出しているのだ。
もはや、「あり得ない」などということが、「あり得ない」だけではない。そこには、「ある物事が<ある>か<ない>かなどを、容易に決められるものではない」という感覚がある。そんなことは、客観的に確定できるようなものではなくなっているのだ。
だから、この言葉を使う側も、「ある」とも「ない」とも断定せずに、「そんなことある?」と、疑問形で人に問う形になっている。そんなことは、「なかなかない」というレア感、あるいは、あるにしても可能性の薄い感じはありつつも、それ以上のことは言えないので、疑問形で、人に問うことしかできないのだ。
要は、この言葉は、「ある物事が、<ある>か<ない>かなどは、結局、人のものの見方、感じ方によるしかない」ということを指し示しているのである。
このような若者の感性は、かつて以上に、「ある」とか「ない」ということの「真実」をつかんだ、適切なものと言うべきだ。
私のこのブログで述べていることも、当初は、「そんなこと(絶対)あり得ない」という思いで読んでいた人が多かったに違いない。しかし、記事『「あり得ない」という言葉も死語』を書いた頃には、もはや時代は進み、必ずしも「あり得ない」という意味ではなく、「あり得ねぇ」というくらいの感覚で、受け取られ始めていたのでもあろう。
そして、現在はというと、……そう。「そんなことある?」という感じで受け取っている人が多くなっているはずなのだ。
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