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2022年2月23日 (水)

統合失調に関する質問の募集

記事『ページビュー数ベスト5、新ブログの予定等』で述べたように、本年は、シーサーブログの方で、統合失調に関する、端的で分かりやすい説明のブログを始めようと思っています。

そのブログでは、初めに、多くの人が疑問に持つであろう質問を立てて、次に、それに対する端的な回答を示し、最後に、簡単な解説を付するというスタイルを考えています。

この初めに立てる質問は、私が、多くの人が持つであろう疑問を想定して、立てることにしますが、それでは、十分に多くの人の疑問を拾えない可能性があります。

そこで、こちらのブログで、読者の方から統合失調に関する質問を募集したいと思います。

統合失調に関して、疑問に思っていることや、その他どんな質問でもよいので、コメント欄にコメントして頂くと幸いです。

もちろん質問だけでも構いませんが、どのような理由でそのような質問をするかの趣旨も添えて頂くと、より有り難いです。

投稿された質問については、そのままの形とは限りませんが、なるべくその趣意を汲んで、新しいブログの方でとり上げていきたいと思います。多くの人から同内容のものを頂いた場合は、優先的にとりあげるつもりです。

ただ、このブログでの回答や解説は、あくまで一般的なもので、端的な分かりやすさを目指すため、あまり詳しいものにはできません。

質問によっては、私の判断で、こちらのブログで、より詳しい回答をすることになるものもあると思います。

どうぞよろしくお願いします。

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精神医学」カテゴリの記事

コメント

ティエムさん、お世話になります。
最近、マドモアゼル・愛さんという面白いYouTuberの方を発見しました。

捕食者的なことや垂直的な理解についてもお話されており、
かなりティエムさんのブログともかぶる内容が多いなと思いました。

もしご存知なければ、一度見てほしいなと思いました。
ティエムさんも気に入る方だと思います。

いくつか動画を見ましたが、なかなか面白い話でした。

それはいいのですが、統合失調に関する質問はないでしょうか?(読者の方一般に問うています)自分自身が思っている疑問でもいいですし、一般の人が疑問に思うであろう、こんな質問設定がいいのではないかということでもいいです。

よろしくお願いします。

記事内容と関係ないコメントで失礼しました。

ぱっと思いついた質問ですが、
以前、生まれつき盲目の人は統合失調症になる可能性が低いという研究結果をネットニュースで見ました。

ティエムさんはこの研究について何か意見はありますか?
捕食者的なものは人々の視覚を通して入ってくることが多いのでしょうか?

私自身は子供の頃、夢の中で遭遇することが多かったです。

なぜこのような質問をするかというと、
捕食者が人間に対しどのようにコンタクトをとることが多いのかということに興味があるからです。

カードさんありがとうございます。

質問は何らかの形で取り入れたいと思います。

今簡単に要点だけ述べておきます。

盲目の人は統合失調にかかりにくいというのは確かにあると思います。それは統合失調では一般に、自分を取り巻く視覚情報が「妄想」形成のもとになることが多いからだと思います。つまり、視覚情報(の多さ)が、逆に「この世」的な迫害妄想のもとになってしまっているということです。

「声を聞くこと」そのものや捕食者との関りは、一般と同じように生じている可能性があります。


ありがとうございます。

確かに文明社会の人間は視覚情報が圧倒的に優位なため、
視覚情報がシャットアウトされていたほうが、悪い影響も受けにくいという傾向がありそうです。

私自身は統合失調症でないため、その体験者として質問はできませんが、
精神疾患という現象を通して、捕食者的な存在の働きを知るというこのブログの方向性には大変興味があります。

私自身は11,12歳のとき、たびたび恐ろしい夢を見ていました。
今思い返すとあれが捕食者だったのだろうと思います。
明らかにこの世的なものの恐ろしさを超えているのですよね。
ドンファンの言っていたとおり、あまりにも恐ろしいせいで見なかったことにするという反応が、
私にも起きたのかなと思います。

多くの人がそのくらいの年齢で、何らかの形で捕食者とあっているのかなと思います。
そしてその恐怖を見なかったことにして、社会に適合するという選択をするのだと思います。

ティエム様、どうもご無沙汰しております。2つほど質問よろしいでしょうか。

○霊能力と統合失調の関係について
「霊視」などの能力と、「幻視」などの統合失調の現象は、イコールと考えてよいのでしょうか?
少し前、知り合いに霊界参入者がいる方と話す機会があったのですが、その方は両者の共通性を暗に認めておりました…。これは事実なのか、もし事実であれば、宗教やスピリチュアルの分野でなぜ語られないのか、ご意見うかがえたらと思います。

○妄想を解消する方法について
「妄想型」の統合失調に関する過去記事を読み、かつての自分が(程度の差はあれ)、集団ストーカ被害者とかなりの部分で似通っていたことに愕然としました…。
たとえば、集スト現象時の私は、「悪魔祓いの御まじない」などを思い付きでやっていた記憶がありますが、こうした行為により「オレは悪魔と戦えている…!」という妄想を強化し、精神の崩壊をギリギリのところで防いでいたのだと思います。

記事の中では、妄想を解消する方法として「未知のものをありのまま受け入れる」ことが述べられており、まったくその通りだと思いますが、自分の場合それらに対する恐れが、無意識のレベルで組み込まれている感覚があります。
こうした無意識下の恐怖を解消するために、普段から心がけるべきことなどがあれば、教えていただけないでしょうか?

--
またしても個人的なお悩み相談になりますが、
よろしくお願いいたします。

アルマジラさん。質問ありがとうございます。

最初の質問「「霊視」などの能力と、「幻視」などの統合失調の現象は、イコールと考えてよいのでしょうか?」は、多くの人が疑問に思うことと思いますので、ぜひ新ブログで取り上げたいと思います。

簡単に要点を述べると、「基本のところでは同じ、または重なるところがある」ということになります。ただ、統合失調の「幻視」は混乱を反映する部分も多く、捕食者的な存在に見せられている「虚偽」の性質のものの場合もあるので、そのまま受け取るのは危険です。「霊視」のすべてが正しいとは言えませんが、一応、「霊視」の場合は、訓練や経験により、混乱や虚偽の要素は少なく、より研ぎ澄まされたものと言うことができると思います。

ただし、スピリチュアリズムや宗教は、「霊視」を病気としての「幻視」と混同されたくないため、全く別のものと言う傾向があります。


二つ目の「妄想の解消」についての質問も、一般的な問題としては、新ブログで取り上げたいと思います。

ただ、アルマジラさんの場合、前のコメントも見ましたが、統合失調的な意味の「妄想」というのとは異なるという感じを受けます。それは、既に霊的な現象として捉えていて、それを認められずに、人や組織による迫害という方向で無理やり解釈し、突っ走ってしまう場合とは異なるからでしょう。起こっていることが、自分に向けられた霊的な現象(攻撃)だと「決めつけ」て、他の可能性を認められないなら、「妄想」に近いものとはなりますが、そういうわけでもないようなので、あまりこだわる必要はないかと思います。

「未知のものと認める」というのは、「分からないものと認める」ということで、必然的に、自分の解釈も、「違うかもしれない」ということを認めることになります。つまり、「妄想」で突っ走ることは抑えられるということです。

ただし、「未知のものと認める」ことは、当然「怖い」ことなので、なかなかそれができないし、難しいことになるのです。それは、私もそうですし、人間はだれしもそうです。だから、「怖さ」を取り払うとか、なくそうとすることよりも、「怖い」のは当然として、「怖さ」は受け入れつつ、それでも「未知のもの」の可能性から目をそらさないことを意識することの方が重要と思います。そのような態度が身につけば、結果として、徐々に「未知のもの」と受け入れることが「怖い」ことではなくなってくるかと思います。

ご返信ありがとうございます。

いただいたご意見は、腑に落ちる点が非常に多く、
これからの生活や霊的な取り組みの参考にさせていただきます。

「妄想型」に関していえば、確かに自分には、統合失調的な傾向は少なかったと思います。
ただ、捕食者のような存在を前にして、あまりにも冷静に受け止めていた自分が今でも不思議で、これは恐怖に対する、無意識的な強い防衛反応の裏返しではないか…?という疑念があったため、あのような質問をさせていただきました(ご指摘の通り、少し考え過ぎなのかもしれませんが…^^;)。
いずれにしても、「未知のものの可能性から目をそむけない」という言葉は、自分のやや停滞した現状を脱するための、大きなヒントになったと感じております。

それでは、新ブログの開設を心よりお待ちしております。

「妄想」ということではないですが、「霊的な現象」と認めた場合にも、「霊的な現象」とはどういうものかということについては、さまざまな捉え方、考え方があるために、多少込み入った問題とはなりますね。

たとえば、①そもそも、現に起こっていることが、霊的な現象であるのかどうかということの判断。② 霊的な現象としても、それは攻撃的なものなのか、悪戯のようなものなのか、ある種の教訓や教示なのか、特に意味のないものなのかなど、どう受け止めるか。
ということがあります。

②は、霊的な現象を起こしている存在をどう捉えるかという問題でもあって、捕食者的な存在と捉えれば、攻撃的なものが多くなるだろうし、境域の守護霊のような存在(ある意味で自分自身の反映)とすれば、悪戯や、ある種の教訓や教示、特に意味のないものなど多様な受け止め方があり得ます。

境域の守護霊というのは分かりにくいので、(怖いことだとしても)自分に対して、敵対的なものと受け止める方が、単純で分かりやすいために、そう受け止めてしまうという傾向も強くなります。

霊的な現象の受け止め方が難しいのは、近代社会が霊的なものを否定し、そのようなものについて考える機会を阻害しているからでもあります。

なので、霊的な現象と認めた場合にも、やはり、全体として「未知の現象」(よく分からない、容易に理解できない現象)なのだという受け止め方をして、性急な判断をしないで、じっくりと見極めて行くという態度が必要になると思います。自分なりの解釈をすること自体はいいのですが、それはあくまで「解釈」であって、他の可能性があることを、常に意識していることは重要ということです。

私の置かれている状況を、分かりやすく整理していただき、ありがとうございます。

正直に言いますと、いまの自分の状況は、統合失調のような状態ではないですし、霊的なものから攻撃を受けていることもないので、差しせまった悩みや脅威というのは特にありません。
ただ、そのような中途半端に安定した状況が、かえって落ち着かない気分にさせている…というのが本当のところです。なぜ、自分が「霊界の境域」というものに放り込まれたのか、その後、特に何も変りない日常に戻ることになったのか、いまなお消えない「境域の守護霊」とはいったい何なのか…、腑に落ちる解釈を見つけることができず、ただただ当惑しているという状況ですね。

しかし、そのような中でも、霊的なものへの認識を深めていくことで、未知に対する新たな発見をすることや、自己というものを正しく認識できる機会はあるので、これからも地道に続けていこうと思っています。
特に、「捕食者」や「境域の守護霊」といった、霊界の境域に属する存在については、あまり人間の尺度だけで解釈しようとせず、いろいろな可能性をみるという態度が大事ということが、今回のやりとりでよく理解できました。

ちなみにですが、霊界の境域後も、何かしらの霊的な認識を深めたり、アクションを起こしたりすることで、不思議な体験をすることは稀にあります(説明は長くなるので省きますが、その中には、こちらのブログの読後や、ティエムさんとのやりとりの直後に発生したものもあります…^^;)。

その意味はいまなお不明なままですが、認識を深める→体験する→さらに認識を深めるといった、超感覚的サイクルが存在するのかも…などと妄想を膨らませることもあります^^

ティエム様、すみません… もう1個だけよろしいでしょうか。

○統合失調の再発について
完全に元通りになった統合失調者が、ふたたび統合失調になることはあり得るのでしょうか? あり得る場合、原因として考えられるものは何でしょうか?

ここでお伺いしたいのは、近代医学的な当たり障りのない解釈ではなく、より本質的な部分の解釈(…もっと言えば、オカルト視点での考察)になります。統合失調の状況を「霊界の境域」と捉えたうえで、この境域がふたたび現れる可能性とその要因、さらには境域と物質界との間の「自由な行き来」(主体的な参入)の可能性についても、何かしらお聞かせいただけると有難いです。

アルマジラさんありがとうございます。

私は、今までも、「近代医学的な当たり障りのない解釈ではなく、より本質的な部分の解釈(…もっと言えば、オカルト視点での考察)」でしか述べていないので(笑)、当然この観点からの回答になります。

再発の問題は重要なので、新しいブログでとりあげさせて頂きます。

こちらでは、今回も要点だけ述べさせてもらうことにします。

問題は、結局、「統合失調状態から完全に戻る」というのが、本質的(オカルト的)に言って、「霊界の境域」を「完全に超えた」ことになるのかどうかということに帰すことになります。

私は、統合失調状態から回復した場合のほとんどは、「霊界の境域」を完全に超えたというものではなく、従って、再び「霊界の境域」に入ったときに、何らかの混乱をもたらす場合が多いのだと思います。たとえ、あるレベルで「超える」ことができたとしても、より強力な事態に陥れば、再び混乱状態に陥る可能性があります。ただし、かつての体験において、何らかの対処法を身につけた場合には、その混乱はより少なく、激しくないものになるということは言えます。

ですから、薬などの「ごまかし」ではなく、実質的に、何らかの「学び」を得ることが重要なのです。

いずれにせよ、統合失調状態は、シュタイナーの言うような「主体的な実践」として「霊界の境域」に入るのではないので、「完全に超える」ことを期すことには無理があります。私も完全に超えたとは思っておりません。

お返事ありがとうございます。

「近代医学的な…」の前置きは、確かに不要でしたね^^;
何故か、“そこから説明されたらどうしよう”という不安があったため、
蛇足と思いながらもつい入れてしまいました…

さて、今回の質問の理由ですが、前回の「妄想を解消する方法について」でのご回答を踏まえつつ、自分が本当は何が聞きたかったのかもう一度問い直した結果、自然と沸いてきた質問という感じです。
直球でいえば「自分はもう一度あの体験ができるのか?(したいのか?)」という私的な質問なのですが、汎用性を持たせるため「再発」のテーマに絡めてみました。

それにしても、ティエムさんでも「完全に超えたと思ってない」というのは、少々驚きでしたね。
どの辺りかを聞いてみたい気もしますが…、本記事のテーマではないのでまた別の機会にとって置きたいと思います^^

ティエム様、すみません、前々回のご回答に対する質問よろしいでしょうか…^^;

○「未知のものをありのまま受け入れる」ことについて
この言葉を、自分では何となく理解しているつもりでしたが、実はまったく理解していなかったことを、今になってようやく理解したかもしれません…

まず、自分のこれまでを振り返えると、「霊界の境域」での混乱に満ちた出来事や、「境域の守護霊」による不可解な行動などの意味が分からず、当惑したり苛立ったりしたわけですが……これらに意味を求めることが、そもそも間違いだったと思えてきました。
つまり、ああいう混乱した状況そのものが、「霊界の境域」の本質であり、そうした世界を知ることがあの体験のすべてだった…ということです。

ご存知のとおり、「霊界の境域」は、物理法則などの常識が通用しない、超常現象のオンパレードのような世界です。しかし、だからこそ、こうした世界を体験することが、秩序立った法則や物語に支配された「物質界」においては、あらゆる意味付けを無に帰したり、相対化したりする力(癒しの力?)になりうるのではないでしょうか?

それを、悪魔による攻撃、霊界からの啓示のように解釈し、自分にとって都合のよい意味付けを与えようとするから、かえって焦りや葛藤などを生じさせていた…というのが、これまでの自分だったと思います(…つまり、ありのまま受け入れてはいなかった!)

いま、少し興奮ぎみに書いていて、ちょっと何言っているか分からないかもしれませんが…
このような認識でよさそうかどうか、ご意見うかがえたら幸いです。

基本そのとおりと思いますし、なかなか認めにくい(自分の考えや解釈に拘っていたら、それが「未知のこと」などというのは受け入れ難いことなので)ことを、よく認めて、考察されていると思います。それを認めたうえで、しかし、人間は「意味」を求める動物なので、そうせざるを得ない面もありますから、「地に足をつけて」「じっくりと」自分なりの冷静な考察を続けていけばいいのです。これには、一生をかけるぐらいの心持でちょうどいいと思います。

全体として「未知のもの」と認めることができ、あるいは「霊的なもの」は奥深いので、「霊的なもの」と認めたうえで、それをどのように解釈し、捉えたつもりでも、そこには「未知の要素」が必ずつきまとうことを認めることができれば、そうやって、じっくり自分なりの考察をし続けるしか方途はないことも理解できると思います。

私も、そうだったのですが、これまでの体験の延長上に理解できそうもない事柄、つまり「未知のもの」は、本能的な怖れをもたらすので、それを認めるのは大変なことです。しかし、それができてしまえば、表面的な出来事に惑わされなくなるので、後は本当に「じっくり」構えることができるようになると思うし、自分の解釈にも、常に他の可能性があるのではないかという疑いの目を向けられるので、「妄想的な解釈」で突っ走るということはなくなると思います。

前のアルマジラさんのコメントをみる限りでですが、起こっていることを、「捕食者的な攻撃」と解釈する傾向は、確かに強かったように思えます(私もそうだったわけですが)。

霊的な領域には、様々な存在がおり、人間的には「攻撃」と思えるものも、霊的な存在にとっては、ほんの悪戯だったり、あるいはむしろ「好意」だったりもします。あるいは、特に「意味のない」現象というのも、多いと思います。

「境域の守護霊」については、前にも述べましたが、本当にやること、言うことが「よく分かりません」(笑)(今もよくわからないので、私は特に気にしません)。でも、変に一々解釈して反応するよりも、そうする方が健全とも思います。

「境域の守護霊」については、やはりシュタイナーの本をじっくり読んでみるのがいいと思います。

ご返信ありがとうございます。

おかげさまで、「霊界の境域」の受け止め方の個人的な問題については、ようやく一区切り付けたという感じです。
ただ、ご回答にもあった通り、未知のものが関わる多くの事象については、理解することの難しさをあらためて感じております…。

特に、「捕食者」的な存在は、日常生活だけでなく社会構造にも関わるテーマなので、考察にはより慎重な態度が必要になるのだろうと思います。最近では、捕食者そのものよりも、人間が自己のなかに育てた「捕食者的な心」の方が脅威に感じることも多く、問題のややこしさに頭を抱えてしまいますね…^^;

また、より根源的なところでは、「闇」と呼ばれる存在についても、自分なりに考察する時間が増えております。残念ながら、直接の面識はないため(^^)、妄想の域を出ませんが、自己との間に意外な接点を1つ見つけたので、そのうちコメントさせて頂くかもしれません。
「闇」や「捕食者」に関しては、SFやファンタジー系の創作物にも、多くのヒントが見つかることに驚かされますね。

「境域の守護霊」は……私もいまだに分かり合えておりません^^;
あの捉えどころのなさは、霊界の境域の「混沌」の体現なのだと思うことで、最近は変に悩まされずに済んでいますけれど…。
シュタイナーも頑張って読み進めていますが、完全な理解にはほど遠い感じですね。

※念のため、前回のコメントを補足しますと、霊界の境域に「意味を求める」とは、「人間中心(エゴ)的な意味付けを与える」ということであり、これが未知なるものの本質を見誤らせる元になる…というのが話の趣旨になります。霊界の境域を理解すること自体を、諦めたわけではありませんのでご安心ください…^^;

有り難うございます。よく理解されていて、こちらの意図も汲んでもらっていることうれしく思います。

「最近では、捕食者そのものよりも、人間が自己のなかに育てた「捕食者的な心」の方が脅威に感じることも多く…」

この点は、私もそうで、たとえ「捕食者」そのものがどこか遠くに行ってしまったとしても、いわば、そのような「捕食者の置き土産」とは、今後とも闘っていかなければならないことになるわけですね。

お返事ありがとうございます。

捕食者との関わりは、なかなか根深い問題だと思ってます。
自分の中で培った心はもちろん、他者として関ってくる存在や、社会全体が築いたシステムなど、その支配は長い年月をかけて隅々まで及んでいると認識しております。

その本性を理解し、逃れる方法を探していますが、
やはり「一生をかけるぐらいの心持」が必要になりそうですね…

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