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2022年2月 6日 (日)

新たな神示『よひとやむみな』

記事『「神示」が語る「悪の仕組み」』で、日月神示の現代版とも言える新たな神示、『大日月地神示』を紹介した。  

ところが、最近もう一つ、同様の新たな神示が出されていることに気づき、読んでみた。穂乃子著『よひとやむみな』(ナチュラルスピリット)という本である。

穂乃子というのは、神示を降ろした側の存在で、瀬織津姫ということである。「日月神示」では、クニトコタチノ神とされていたが、(当時は明かせなかったものの)それは、実際には、瀬織津姫だったのだという。神示を媒介した人は、公開されていない。

内容的には、『大日月地神示』同様、確かに、『日月神示』につらなる内容で、訴えかける力も強く、十分頷けるものがある。端的で明確な、分かり易い表現になっているのも、同様である。「日月神示」の言葉を、より現代的に述べ直しているところも多い。

初め、『大日月地神示』に比べて、よりマイルドで、若者や女性にも受け入れられやすいものと思ったが、やはり、同様の強烈さは、随所に現れている。

特に、強調されるのは、「日月神示」で言われた、すべてが「グレンとひっくりかえる大峠」が、今まさに起こっているのであることを、強く訴えかけていることである。そして、それを乗り越えるための「身魂磨き」を強く求めている

現在は、「日月神示」で言われた「北から来る」とか、「世界中総がかりで攻めてくる」ということが、まさに起こらんとしている状況である。今年は本当に、疑いないほどに、それが迫っていることを、改めて感じさせる年になっている。

神示では、「一日に10万人死すようになったら、いよいよと思え」と言う。

タイトルの『よひとやむみな』とは、「世の人が皆止む」ということである。の度の大峠は、人間の世界だけでなく、三千世界(霊界、神界を含めた全世界)の大洗濯で、「天地が混ぜこぜ」のところまで、即ち、創造の大元のところまで帰らなければ、なされない。だから、その過程では、「よひとやむみな」ということが起こることにもなる。

カスタネダのドンファンも、「世界を止める」ということを言っていて、それは、「それまでの世界を組み立てていた流れを止める」ことを意味した。まさにそれが、すべての者に起こる状況ということである。

神示では、これに関して、次のようなことが言われている。

すべては無(ム)から有(ウ)まれ、有(ウ)から無(ム)まれる。

ウムを組み立てて、力が生まれる。

この度の大峠は、ムにならねば越せん。

「無(ム)になる」とは、すなわち「皆止む」ということである。

また、そのときの状況が、次のように幾分過激に示される。

いよいよとなったら、地震、雷ばかりでない。人々みな、頭が真っ白になり、「これはなんとした事ぞ」と口を開けたまま、どうする事も出来んようになる。

四つん這いになって、着る物も無く、獣となって、身動きできん者、自ら死を選ぶ者と二つにはっきり分かれる。

そのほかにも、私的にも、印象に残る言葉が多くあった。

たとえば、新たな世界は、人間界だけでなく、動物界も変えることが、次のように言われる。

動物界は、人間界の鏡ぞ。

五六七の世となれば、トラと羊が共に眠るぞ  

また、かつての「まことの神の国の民」の「死」とは、次のような、うらやましいものであったということが、述べられている。

昔は、残さず天に帰ったのじゃ。身体さえも残さずに逝ったのであるぞ。逝く時期も分かっていた

葬式も墓石も要らんかった。周りの者は、感謝を込めて見送った。そこには、悲しみや別れを惜しむ気持ちより、

感謝と喜びで満ちておったのじゃ。誰も死を恐れてはおらんかった。病で死ぬ者もおらんかった。それがまことの神国の民であった。

「身魂磨き」に関しては、次のようなことが言われる。

我が無くてもならず、我が有ってもならず。

我のない純粋な意識が主、我は従じゃ。

我は使うもので、使われるものではない。

我から離れることで、我でできる以上のことができるのじゃ 

我は、なくすものではなくて、我のないところから、使うものだと言う。我がなくては、何の「お役目」もできないのである。

我のない純粋な意識は、「中心」にあって、そこに意識がいれば、周辺の我の感情、エゴに巻き込まれずに、それらを観察し、理解することができる。そうして、それらに癒しをもたらし、慈悲や知恵へと変容させることができる。

しかし、

そなたたちの意識が周辺にある限り、エゴは止まれん。頭も身体も口も耳も、常に動かそうとする

悪の仕組みは、人間を止まれんようにすることぞ

さらに、

巨大な宇宙の内部は、すさまじい高速で螺旋を描きながら、絶対無、絶対空という根源神に向かって進んでおる。大宇宙の進化じゃなあ

心を無にして、空に生きよ。絶対無、絶対空である大宇宙の進化を意識した神人となれよ

先にも、「有と無による世界の組み立て」の言葉をあげたが、さらに「空」とか「絶対無」という根源的なことが、言われているのも大きな特徴である。

このように、この神示では、「大峠」を超える過程に重点を置いていて、「身魂磨き」の重要性を中心に述べている。「うれしうれし」の「ミロクの世」に移行することに重点を置いた、『大日月地神示』の最近の神示とは、ニュアンスを異にする部分も多い。

それぞれの需要の違いから、このように二つに分かれて、神示がくだされるようになったとみることもできよう

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コメント

私は日月神示でも「ひふみ神示」しか読まない者ですが、日月神示を語る上で重要視しているのが「五度の岩戸閉め」です。
あまりここに触れる方はいませんが、今回挙げられている方はどのように語ってみえるんでしょうか。
私は、現在起きている、又、これから起こるであろう紛争(いわゆるハルマゲドン)は、この「五度の岩戸閉め」の型のやり直しではないかとみています。(もちろん確証はありませんが)
日月神示を語る方はたくさんみえます。
神示に「手を取り合って」と何度も出てきて、これは型のやり直しの上で重要な要素だと思うのですが、残念なことになかなかそういった方たちとは「語り合う」ということが出来ません。
「上に立つもの」とは政治家だけではないと思っています。
人の前に立つ人、神示を語る人も含まれていると思っています。
予言の謎解きのための神示で終わってしまいそうで心配です。

名無しさんありがとうございます。

「五度の岩戸閉め」とは、神示が示す、かつて行われた、光を閉じ、闇をもたらす5度の出来事のことですね。

それぞれの出来事に対しては、「岩戸開き」のような対応は一応なされたのですが、それは「本物」のものではなく、見せかけ、中途半端なものだったため、真に「岩戸」は開けず、闇が相変わらず闊歩し続け、現在のような状況をもたらしているということになります。(中でも、天照大御神の岩戸隠れと天宇受売命による、「騙し」による誘い出しで開いた、「岩戸開き」は有名です。)

しかし、今回の大峠は、このような見せかけのものではなく、根本に遡っての、真の「岩戸開き」でなければ越えられないということが強調されます。

『よひとやむみな』では、かつての「五度の岩戸閉め」については、特に語っていないと思いましたが、今回の大峠を越えるための真の「岩戸開き」については、多くを語っています。これは、すべての巻を通したテーマですが、特に「岩戸の巻」というのがあって、それを朗読しているユーチューブの動画がありますので、あげておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=oFNfuHmI5_M

さんざんいろいろな所で無視されましたので(苦笑)、コメントを載せていただけること、さらにこのように会話できることに感謝いたします。
ご丁寧に動画まで紹介して頂きありがとうございました。
拝見しましたが、やはりひふみ神示の焼き直し、現代版といった印象ですね。
現代に近づくにつれ言葉の力は弱くなる印象です。
もちろん、それで神示を理解できる人が増えればありがたいことですが。
ひふみ神示も王仁三郎さんの焼き直しでもありますしね。

いろいろな所で岩戸を開くには身霊磨きが必要と言っていますが、私はまず、岩戸閉めの意味を理解しなければ開くことはできないと思っています。
それは、結果的には身霊磨きになるのですが、何をするにも目当てがないとすごく曖昧になってしまいますよね。
ただ、岩戸閉めを理解し実践しようとすると、本当にほとんどの人が残ることはできないだろうと思えます。
それくらい厳しいことなんですよね。本当は当たり前のことなんですが。
特に現代にどっぷりつかっている人には、まず理解ができないし、到底実践なんてできないでしょう。
まず、今の自分を、周りの全てを否定することになるのですから。
もちろん、その後の道は残されているのですが、まずは否定しなければならない、それは総てを壊す行為になります。
道理で考えれば建て直しをするのに、一度更地に戻さなければならないですよね。
私は丁寧でないので手を貸してもらおうといろいろな所に声をかけたのですが、みなさんご自分の主張に一生懸命で理解まで至りませんでした。
神示を語る方ですらこれですからね、察して頂けるかと。

「岩戸閉めの理解、実践ができないと岩戸も開けない」というのは、そのとおりと思いますが、本当の意味で「御魂磨き」ができていれば、「岩戸閉め」がどうであろうと、そんなことには関係なく、この度の大峠も越えることができるであろうことは確かなことです。そして、『よひとやむみな』の言う「御魂磨き」というのは、私の理解によれば、それだけの実質のある(根源的な)内容のものと思います。

ただ、「岩戸閉め」によって、現在がいかに魔に支配された酷い状況かの説明については、『大日月地神示』の方に詳しいので、それを読まれると納得するところも多いかと思います。

もちろん、『日月神示』が本当に理解できていれば、それで十分なのですが、既にこれが降ろされてから80年近く経っており、現在の状況を踏まえたうえで、現在の人にもより理解しやすい形で新たなものが降ろされることには、意味があることと思っています。

すみません、いろいろな所で無視されたと書きましたが、言っても数件です(汗)
関係のない方に無駄に迷惑をかけてはいけませんね。
もちろん無視ですので表に上がってませんので、どなたかは分からないと思いますが。

>『よひとやむみな』の言う「御魂磨き」というのは、私の理解によれば、それだけの実質のある(根源的な)内容のものと思います。

ひふみ神示にも同じことは書かれてます。あちこちに散りばめられているので探さなければなりませんが。。
現代人に合わせてとても簡潔にまとめられてるんではないですか?

『大日月地神示』は結構有名ですよね。残念ながら私の性には合いませんでした。
魔に関することが多いからかな。

日月神示を読んで私が理解するに、すごく複雑なのですが、あらゆる視点が複合的に必要になってくると思います。
身霊磨きだけではなく、歴史的観点、文明的観点、世界と日本の関係を含めて。
神示で言うところの立体的な視点です。

>既にこれが降ろされてから80年近く経っており、現在の状況を踏まえたうえで、

ここは現在に至る必要性が理解できます。
私が幼少の頃に比べてインターネットの普及により、一気にグローバル化が進みました。
それまで理解しようとしてもできなかった文化の違いも、距離が近くなるにつけかなり理解が進んだと思われます。
そういう意味でもそれだけの時間が必要だったのでしょう。

>本当の意味で「御魂磨き」ができていれば、「岩戸閉め」がどうであろうと、そんなことには関係なく、…

もちろんそうなのですが、今の常識とは違う部分もある場合限度がある気がします。
それを客観的に意識する必要がある、と言えばいいのか。
それだけ神様の意志から離れてしまっているのでは、ということです。
また、個人の身霊磨きとは別に、例えばこの界隈で常識となりつつある「逆さまの世界」の状態は、岩戸閉めの「人皇を名乗った時」に起因するとみられる、といった感じで社会全体の一つ一つの因を明らかにする必要があると思われるのです。
ただし、それらは全て神様の計画なので、その意図を汲む必要があるのでは、ということです。

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