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2021年8月

2021年8月26日 (木)

新たに侵入した宇宙人と破壊性

前回とりあげた『パンデミックに突入した地球』(以下『パンデミック』と略)も、他のチャネリングもので言っていることと、基本路線では共通するものだが、それ自体の特色もかなりある。

そもそも、情報源たる「聖白色同胞団」は、(宇宙人の協力もあるようだが)地球と深く関わって来た霊的な存在たちによるもので、宇宙人のチャネリングに比べると、地球的な発想と結びついている度合いが強い。この点は、『日月神示』などと同じである。ただ、霊的(オカルト的)な面が前面に出るので、違和感やおどろおどろしさを感じる人も多いことだろう。

それに対して、宇宙人もののチャネリングは、バシャールやアシュタールもそうだが、地球的(物質次元的)な視点に縛られず、俯瞰する視点から、地球的には難しいと感じられる事態も、大したことでないかのように、「軽く」語られる傾向がある。宇宙人の技術に対する対応でもみたように、要は、意識のあり方次第なので、コロナについても、同様に「意識」さえしっかりしていれば、巻き込まずに済むといった語り口である。

『パンデミック』は、この点、もっと地球的な視点から、あるいは霊的な面での影響力を重視して、コロナに対しても、かなり強い警告を発しているのである。ただし、基本路線では、「霊性的な目覚め」を訴えるということで、要は「意識のあり様」を説く宇宙人のものと共通であることには、注意しなければならない。

この『パンデミック』で、一つの際立った特色としてあげられるのは、より強力な新しい宇宙人の侵入について、かなり詳しく述べられていることである。

これまでも述べてきたとおり、地球の支配層と連動しながら活動する、捕食者的な宇宙人が存在する。『パンデミック』でも、それらは、「地球イルミナティの宇宙人」と呼ばれている。レプティリアンはその代表である。

地球イルミナティの宇宙人も、もちろん捕食者的な存在で、破壊性が強いが、地球の利害と密接に結びついていて、地球そのものや、地球人に依存する度合いも強い。だから、それを「脅かす」ようなことはできても、地球そのものや地球人を破壊するようなことは、彼らにもできない。

ところが、この混乱の時代に乗じて、新しく地球に侵入した宇宙人もあり、それは、より強力な破壊性を帯びた存在である。彼らも、地球や地球人を「所有する」ことに興味があり、破壊そのものを意図するわけではないが、地球に依存するようなことはない。従って、いざとなれば、破壊も辞さないし、それだけの強力な技術も備えている。また、地球イルミナティの宇宙人や地球の支配層については、利用はしても、いずれ一掃して、自分らだけが支配することを目論んでいる。

最近の、支配層のあからさまで積極的な動きには、このような新たな宇宙人の存在も、影響しているようである。

前回みた、コロナウイルスの自ら進化する性質にも、この新たな宇宙人の技術が関与しているとのことである。

この新しい宇宙人は、シュタイナーが、「アスラ」という、「アーリマン存在」を越えた、より強力な破壊的存在が現れると言っていたものを思わせる。

ただし、このコロナウイルスも、ウイルスである以上、ウイルスとしての限界があるし、彼らそのものにも、捕食者的存在としての限界や弱点があることは、忘れてはならない

ウイルスは、細胞に寄生してこそ増殖できるので、細胞を殺すような性質を露わにすることは、自らの首も締めることになる。だから、コロナが、初め、風邪やインフルエンザと同様の性質を表していたのも、頷けることである。ただ、高齢者や持病がある人など、「弱い」者には、排除的に作用することがありつつ、多くの者への感染力をまず強めて行ったと解される。

しかし、本来、このウイルスは、若い者のエネルギーが欲しいのであり、また若い者のDNA情報やそれを改変することを望んでいる。それで、ここに来て、若い者や子供にも作用するよう、進化して来ているものと解される。あるいは、もはや、人々も、コロナには「慣れ」て来たので、これまでの性質を示すだけでは、十分の恐怖をもたらすことができないことも、考慮されているのだろう。

いずれにしても、より強力化しているのは確かだが、しかし、ウイルスとして、あからさまな破壊性を露わにするようなことは、ウイルスの性質からも、宇宙人の本来の意図からも外れるのである。

前回みたように、このウイルスが、エボラのような破壊的な性質をはらむものだとしても、それは、あくまで、潜在的な可能性で、いわば最終的な自爆装置のようなものだと思われる。特に新たな宇宙人は、「いざとなれば」、そのような破壊を、最終的に意図するということは、あり得ることと思われる。

そういうわけで、『パンデミック』も、コロナを「なめる」ことは厳に戒めているが、決して、コロナ自体の脅威を訴えているわけではない。コロナウイルスは、コロナに対する「恐怖」を栄養源にすることにも、触れられており、そのようなことは逆効果でしかないのである。

それよりも問題は、新たな宇宙人の侵入により、「光と闇の戦い」の他に、「闇同士の戦い」も激化して来ていることである。

『パンデミック』は、彼等支配層の共通の目標は、「世界統一政府」の実現なのだが、彼らの戦いの激化により、それが実現する見込みはなく、むしろ、彼等同士の「宇宙戦争」に至り、地球もそれに巻き込まれことが憂慮されるという。

そして、地球も、2029年には、地球自体の破滅か、新たに生まれ変わる、アセンション(次元上昇)かを選択することになるだろうという。

まあ、こういったことも、一つの可能性として受け止めつつも、我々としては、できることは、まさに「意識のあり様」を変える、しっかりと保持することしかないので、それを日々実行していくことしかないと思われる。

 

2021年8月19日 (木)

『パンデミックに突入した地球』紹介まで

これまでにも何度かとりあげたことのある日本在住のチャネラー、A・ジョルジェ・C・Rだが、『パンデミックに突入した地球』(ヒカルランド)という新たな本が出ている。

そこでは、コロナウイルスと今後の地球の行方について、かなり衝撃的なことが、集中的に述べられている。コロナウイルスは、私のこれまでの見方や大方の見方と異なり、宇宙人の技術の塗り込められた強力な生物兵器で、自ら学習しつつ、進化することのできるものという。さらに、それは、単なる風邪やインフルエンザから、サーズやエボラまで、これまでのウイルスを組み合わせてできており、状況に応じて、それらの要素を汲み出すことができるという。

つまり、初めは、風邪やインフルエンザと同様の性質を示したとしても、状況に応じて進化し、より感染力と破壊力を増して、人類に脅威を与えることのできるものということである。

さらに、このウイルスは、やはり宇宙人の技術の塗り込められたワクチンと関わりつつ、ともに手を組んで、人のDNA情報を読んだり、改変することができ、それらの情報は宇宙人の基地へと送られて、クローンの作成やハイブリッド化、宇宙人の地球人への転生という今後のより直接的な支配体制の強化にも役立てられるという。

しかし、現時点では、これらを正面から受け止められる人は限られており、人を惑わすことにもなりかねないので、今回は詳しく述べることはしないで、簡単に概要を述べるだけにとどめたい。興味がある人は、直接本を読んでもらえばよい。

この本が書かれたのは、コロナウイルス騒動も落ち着き出したかにみえた、2020年の後半頃であり、現在のデルタ株やラムダ株の猛威を見事に予告している。最近のデルタ株やラムダ株の「猛威」は、PCR検査による操作や、メディアによる煽り、ワクチンによるものを含めた、RNAウイルスの「自然の進化」で説明することには、無理があると言わざるを得ない。

また、内容としても、全体として、これまでとりあげて来たものと同様、かなりの説得力を備えている。

私自身も、コロナは、「インフルエンザに毛の生えたようなもの」とは思ってきたが、一方で、それが人工のものとした場合、そんなに「やわ」であるはずもないという思いも持っていた。宇宙人の技術絡みの、「モンジェロン病」のようなものを思っても、それはあまりに「弱小」過ぎるように見えた。

しかし、それが、このところ、その本性を露にしつつあるとみると、十分頷けるだけのものはあるのである。

だたし、重要なことは、これらは、あくまで、人々が支配体制の言いなりになって、霊的な方向に進むことを怠って来た結果として起こったことで、その現状から脱することを促す、最終的な「手段」というべきものでもあることである。宇宙そのものや地球、あるいは、これらの「闇」の計画を実行する宇宙人に対抗する宇宙人や霊的存在が、それらを背後で支えてもいるということである。

どのような結果になるかは、人間次第なのだが、人間自身の意思によっては、そのような存在らのサポートを受けつつ、最悪の結果は避けることができるということである。

まあ、興味がある人は、読んでもらって、いろいろ考えてもらえばよい。

 

2021年8月 1日 (日)

「オープンダイアローグ」に関する2冊の本と展望

「オープンダイアローグ」(以下「OD」と略)については、記事『「オープンダイアローグ」について 』などで、精神医学の存在自体が問われる現在においても、今後の有力な対処方法の一つとなり得るものとして、紹介していた。

当時に比べると、ODについての認知も一般に進み、また精神科医で注目する人も増えているようである。ODに関する本も、新たに、より分かりやすく、一般向けのものが出ている。

そこで、今回は、私が最近読んで良かった本2冊の紹介と、ODの今後の展望について、簡単に述べておきたい。

 オープンダイアローグがひらく精神医療』  斎藤環著 (日本評論社 )

記事『「オープンダイアローグ」について』でも、同著者の『オープンダイアローグとは何か』という本についてとり上げていた。ただ、それには、まだ理論的で抽象的な部分も多かった。しかし、この書では、著者も、その後実践を重ねたことにより、説明もより実践的で、具体的なものになっている。いくつかの論稿の寄せ集めなので、重複する部分は多いが、特に苦にはならないと思う。

何しろ、著者が、「確かな手応え」をつかんだのが伝わり、非常に力強く、ODの実践的な意義と今後の可能性を説いている。

著者も、ODの確かな治療的な効果は、実感しつつも、その理由を明らかにすることは、難しいという。しかし、(著者は、精神医学を全面的に否定するものではないが)要は、一応の効果を認めるとしても、対症療法でしかない、精神薬に頼ることと、これまでの密室での、治療者と患者という、非対称的な1対1の関係の弊害が解消されるということで、ODというチームによる開かれた対話は、患者のみならず、治療者側にも作用し、全体として、これまでにはない、新たな治療的効果をもたらすということである。統合失調症の者に、どのように作用したか、治癒の具体的な例も、いくつかあげられている。

ODについて、初めて読む人には、多少入り組んでいるので、次の2の本が奨められるが、ある程度知っている人には、断然この本が奨められる。

  『感じるオープンダイアローグ』 森川すいめい著(講談社現代新書)

ODについて詳しく説明するというよりも、著者が、精神科医として治療に関わる過程で、様々な問題意識を持ったことから、なぜODにひかれ、興味を持つようになったかを、説明するという意味合いの強いもの。もちろん、ODとは何かについても、一通りの説明があるし、全体として、基本的なことが、非常に分かりやすく書かれている。

何しろ、これまでの精神医療というものが、いかに人間性を顧みない、酷いものであったかということが、よく伝わるし、それこそが、ODの実践に向けては、強いモチベーションになるのである。

題名のとおり、理論的なことよりも、「感じる」ということを重視するもので、ODについて知らない人には、まず読んで、「感じて」もらいたい本である。


以下、これらの本を踏まえつつ、ODの今後の展望と私の考えについて述べたい。

これらの本を読むと、当初私が予測した以上に、改めて、ODの可能性を感じることができる。ただ私は、記事『「オープンダイアローグ」について』でも述べていたように、ODの可能性が意味するのは、端的に言って、今まで、いかに、精神医学(医療)が、誤った「病気観」と「治療観」を植えつけて来たかということに、尽きるのである。ODの可能性とは、それらのマイナス効果が解消され、それから開放されるということによる面が大ということである。

だから、ODの可能性は、その根本的な反省とともになされない限り、本当には、芽を咲かせることにはならないはずである。

たとえば、1の本で、斎藤も、日本では、ODが受け入れられる基盤が少ないことを、何度か指摘している。精神科医や病院関係者が、特に統合失調について、これまでの「病気観」を持ち続けていたり、薬物療法こそが主となるもので、ODはそれを補うもののように考えているとすれば、それでは、ODが功を奏することは期待し難いのである。

要は、これまでの「病気観」を棚に上げて、精神の不調に陥っている者、特に統合失調の者は、「幻聴」を聴いたり、多くの者と共有していたはずの、「世界」そのものが変容するなど、「何かよく分からない事態」に陥っているために、混乱している状況であることを、率直に認めることである。それを、「病気」とみることも、「治療」すべきものとみることも、その者に対する側の、解釈的な押しつけで、治療者側、あるいは周りの者の「都合」に過ぎない。もし、患者がそのような状況に対抗すべく、紡ぎ出した「妄想」を、患者の側の「モノローグ」(独白)というなら、そのような「病気観」を押しつけることも、それに対立する側の、「モノローグ」に過ぎないのである。

そういったことを認めることから、「開かれた対話」は始まり得るし、患者の側にも、効果的に作用し始める。そうして、そのような「よく分からない状況」に、陥っていることの、認識の共有から、(互いにモノローグに陥るのではなく)それを何とか打開すること、その言葉にし難い状況の、共通の言語化に向けての、努力がなされ得る

そういったことが、患者がそれまで一人で背負って、押し潰されそうだった、理解し難い苦悩の状況からの開放と、癒しの効果をもたらすのである

結果として、それは、多くの人にも、よく分からない、統合失調状況というものについて、理解に向けての相当のヒントをもたらすだろう。

先に触れたように、1の斎藤の本では、統合失調の者についての、ODの治療の実際例が、簡単にだが、示されていた。(

具体的な、詳しい、言葉のやり取りは、分からないが、チームにより、開かれた対話がなされることで、患者の側の、モノローグ的な、妄想への傾向も、かなり抑えられることが分かる。ただ、妄想が抑えられればよい、ということではないが、まだ幻覚も意識されていないような初期の状況では、このことは、十分の意義を有する。

さらに、斎藤も指摘しているように、幻覚をもち、かなり進んだ状態にある者に対しても、ODは十分効果を発揮し得る。開かれた対話の中から、自分が、周りの者にとっても、よく分からない状況に陥っているのであること、幻覚が「幻覚」であること(周りの者には見えたり、聞こえたりしないものであること)を自覚することができ、それについて、周りの者も考えてくれて、共通の言語化に向けての努力がなされれば、モノローグ的な「妄想」によって、無理やり解釈する必要性は、抑えられるからである。

さらに、フィンランドや諸外国の例も含めてだが、今後、実践例、治療例が積み重ねられて、(プライバシーの問題はあろうが)ある程度それが公開されるようになると、具体的に、ODのどんな点が治療に影響したのかとか、さらに、統合失調の者が陥っている不可解な状況について、ある程度共通の言語化が成し遂げられ、それは、「統合失調とは何か」ということについても、相当多くのことを明らかにすることになると期待される。

少なくとも、私が、そのような事例に触れることができれば、そこから、相当のことを読み解くことができる。(記事『『統合失調症がやってきた』/「後ろ」からの声』では、ハウス加賀谷の説明に基づいて、ある程度そのようなことを試みさせてもらっている)

このように、ODには、生半可になされれば、単にこれまでの「病気観」と「治療観」を、集団的に、つまりより強固な形で、押し付ける危険も伴うとともに、それが、真摯になされるならば、単に個々的な治療の可能性というだけでなく、統合失調という現象自体の解明に向けても、相当の可能性を秘めている、ということが言えるのである。


  統合失調の者に対するODについて、著者が述べている、ポイントとなる点を引用しておく。

「患者が妄想を語り始めたとしても、了解不能な「妄想」というレッテルを貼るべきではない。むしろ共有や共感が可能な体験として、できるだけ詳しくその体験を語ってもらわなければならない。「患者に幻覚や妄想を語らせると症状が強化されるから、詳しく聞くべきではない」という「俗説」は過去のものである。重要なことは、患者が語る未曾有の体験に強い興味と関心を向けながら、“教えて”もらう姿勢である。問いを重ねながら、メンバー全員でそれをリアルに追体験できるレベルまで、妄想の共有を深めることが推奨されている。」

「たとえ急性期の精神運動興奮状態であっても、対話は十分に可能である。適切な対話は大量の抗精神病薬に優る「鎮静」効果がある。急性期への介入で第一に懸念されるのは「暴力」であろう。しかし筆者らの治療経験から言い得ることは、治療チームで訪問することそのものが暴力に対する鎮静効果を持ち得るということである。これはスタッフが複数いるという物理的要因以上に、本人の話を批判せずに傾聴するという姿勢が安全保障感、すなわち安心をもたらすためと考えられる。」

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