「体を大事にする」ということ
よく病気の人などに向かって、「(体を)お大事に」などど言うことが挨拶として行われる。しかし、この「体を大事にする」ということが、実際にはどういうことなのか、改めて問われるということはほとんどない。
あるいは、たとえ病気のときだけ、「大事」にしたとしても、普段粗末にしているなら、また病気になることが、目にみえている。
私も、若い頃というより、かなり最近まで、普段「体を大事にする」などということは、ほとんど考えないでいた。「体」とは、要するに自分のものなので、自分がどう扱おうと勝手だという意識があったし、それで特に問題も感じないでいた。
また、私は、「霊的なもの」を意識し出してからは、むしろ、物質的な「体」というものは、軽視する傾向にあり、それは、即、体を粗末にするということにつながっていた。「体」は本質ではないから、「霊的なもの」を意識していれば、特に重視する必要はないというような感覚を、スピリチュアル傾向の人は持ってしまいやすいのだ。
しかし、最近は、年のせいもあって、かつてのように思うように体が動かないことを意識することも多くなった。激痛を伴う、通風のようなこともやってしまった。また、「物質的なもの」への視点も、かつてとは変わり、「霊的なもの」とは別に、「体」には独自の意義があり、それにはそれで、敬意を払うというような意識も持つようになった。
それで、私は最近、割と、普段の食にも、体の健康維持にも、結構気を配るようにはなっている。それが、まさに「大事」なことであるのも自覚する。最近は、病らしい病気は全然していない。
ところで、これまでにも何度かとりあげた、「大日月地神示」には、「体」の意味と、「体を大事にする」ということについての神示もあったので、とりあげてみよう。
2020.9.24 続大日月地神示より (https://ja-jp.facebook.com/groups/kamihito.hihumi/ )
「御身体、地の大神さまの分身でありますのじゃぞ。人民、お貸し頂いて生きておりますのじゃ。日々、御身体に地の大神さまに御礼申すのが、真の教えでありますぞ。
御身体に、毒入れるでないぞ。生命の設計図、書き換えるでないぞ。貴き仕組み、穢すでないのぞ。
人が人で無くなってしまいて、みな狂いますぞ。」
「地の大神さまの分身」というのは、大仰に聞こえるかもしれないが、要は、「地球の分身」ということだ。
「体には、体独自の意義がある」と言ったが、それは本当に、我々の意識と協同しながら、あるいは、ほとんどそれとは別に、独自に働いてくれる、驚くべきシステムである。まさに、「貴き仕組み」である。
しかし、体のシステムは、驚くべきものである反面、環境や我々の意識の影響を受けて、無理や障害の起こりやすいものでもある。まさに「穢され」やすいのである。だから、「大事にする」ということが、必要になるのでもある。
そして、そのようなシステムとして典型的なのが、(体に備わった)自然の免疫システムであろう。感染症などに対抗するのも、普段から、この自然の免疫システムを高めておくのが基本となるはずである。直接(自然の免疫システムをくぐって)病原となるものを注入して、無理やり抗体を作らせるワクチンなどは、むしろ、この自然の免疫システムを阻害するものといえる。
「御身体に、毒入れるでないぞ。生命の設計図、書き換えるでないぞ。」とは、まさに、最近の、遺伝子書き換え新型コロナワクチンについて言っているかのようである。「人が人で無くなってしまいて、みな狂います」という。まさに最近述べた、「人間ロボット化計画」そのままである。
体は、ちょっとケガや病気をすると、思うように動けず、痛みや不快もあり、不便に思うこともあるが、それは体の言うことを聞かず、無理をかけて来たこと、大事にしなかったことの、当然のツケでもあろう。
ただ、そのような意識を本当に持つためには、我々が、体というもののある地球に、(自ら望んで)生まれたということを、改めて自覚することも必要となるはずである。
それについては、次回述べようと思う。
« ウイルスによる感染症にも「病気」という見方が故の問題 | トップページ | 「自ら望んで地球に生まれる」ということ »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 「雷」に「力」をみる、「カミ」をみる(2024.10.05)
- 「お代」の「声が聞こえる」若者についての言説(2024.09.08)
- 人類学で、近代社会の常識を「ひっくり返す」 (2024.08.30)
- 「かの始めのとき」と「無意識」(2024.08.16)
- 「シャーマニズム」がおどろおどろしくなる理由(2024.07.12)
« ウイルスによる感染症にも「病気」という見方が故の問題 | トップページ | 「自ら望んで地球に生まれる」ということ »
コメント