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2020年5月28日 (木)

「狂気」と「唯物論」

前回、前々回の記事で、「狂気」「感染症」「唯物論」というものには、「文明病」的な関わりがあることを述べました。

その中で、特に、「狂気」と「唯物論」との関わりについては、前々回の記事で、「「狂気」も「唯物論」も、近代社会以降爆発的に広まった、一種の「文明病」として、互いに絡み合うところがあるのも事実である」とだけ述べていました。しかし、これは、具体的にも、これまで述べて来たところから、明らかなことと思います。

今回は、これについて簡単に振り返りつつ、さらに考察してみたいと思います。

「統合失調的状況」において、まず、周りの者に、最も「狂気じみた」ものとして現れ出るのが、典型的な「妄想」、特に、「組織に狙われる」などの迫害妄想です。そのような「妄想」を信じること自体が、何か、常識というか、一般の感覚を大きく逸脱して、「一線を超えてしまった」感じを与えます。さらに、そのような妄想に基づいて、不安や恐怖、怒りの感情も露わに、奇妙な行動をとることは、まさに「了解」しようのない、「狂気じみた」ものを感じさせます。

しかし、そのような「妄想」の元には、一般にも通じる、「唯物論」的な発想があり、それが存続の危機を迎えているので、何とかそれを「護ろう」とする、強い「あがき」である場合が多いのです。

「唯物論」というのは、「世界」には、物質的なもののみが存在するという信念ですが、それは、対比的に言えば、近代以前に信じられた、「霊的なものは存在しない」という信念とも言い換えられます。つまり、個人的な信念であると同時に、時代的、集合的な信念で、近代社会特有の信念ということができます。まさに、高度に「文明」的な信念です。

「統合失調的状況」では、不審な内容の「声」を聞くなど、これまでの状況からは、「未知」としか言いようのない状況を迎えています。それは、これまでの、唯物論的な発想に基づく「世界」または「現実」そのものを、崩壊させかねないようなものなのですが、それを認めずに、何とか、これまでの「世界観」の延長上に、起こっていることを解釈しようとするときに、出て来るのが、「組織に狙われる」などの「妄想」なのです。

それは、「病気」でもなく、何か、「霊的なもの」の現われなどでもなく、「現実」の人間による、「組織」による行動で「なくてはならない」のです。その「組織」とは、権力的な組織力と高度な技術を備えたものなので、起こっていることの説明に適うとみなされるのですが、周りの者には、かえって、明白に、「無理」で「奇異」な内容となるものです。実際に、「無理」が押し通されている面があるからです。ところが、本人にとっては、許容される「唯一の可能性」なのであり、むしろ他の可能性を排除すべく、決定的に、「動機づけられ」つつ選び取られているのです。

実は、「病気」というのも、唯物論的な発想に基づくもので、本人の側の唯物論的な発想からしても、強烈に「現実的なもの」です。そのため、だからこそ、「病気ではない」ということの明らかな証として、「組織」という(唯物論的に)「現実のもの」を持ち出す必要があるということにもなります。

このように、「病気」という見方と「組織による迫害」という妄想は、唯物論を媒介にして、裏返しの関係にあるのです。

しかし、本人にとっての、真に差し迫った脅威は、それにあるわけではありません。それは、その者が陥っている、唯物論的な世界または現実そのものの崩壊という状況の方にあり、妄想の真の動機も、それを何とか押し止めようとする、「あがき」の方にあります。

結局、「狂気」を最も「狂気じみた」ものにしているのは、この、差し迫った恐怖に基づく、「あがき」であり、それをいかんともすることができないということにあるといえます。

もちろん、このような狂気は、唯物論的な信念以外の信念に基づいても起こり得ますが、唯物論的な信念を護持しようとして起こるものは、その信念にこそ基づいてる、一般社会との関係で、特別に熾烈かつ悲壮なものをもたらすのだと言えます。

それは、同時に、「唯物論」という信念自体が、既に、どこか「狂気じみて」おり、独特の「偏狭さ」をもつものだからでもあります。近代以前には、普通に信じられた「霊的なもの」を、近代という、ポッと出の人たちが、独特の時代感覚で、否定し切ったつもりになり、唯一の正しい信念であるかのように振る舞うというのは、恐ろしいばかりの、「偏狭さ」でしかあり得ないでしょう。

その「唯物論」という、既に狂気じみた信念を護ろうとして、起こされる「あがき」は、「狂気」が二重に重ねられたごとくに、殊更「狂気じみた」反応をもたらすということです。

※ 「組織に狙われる」という形の妄想をもつ人たちの多くは、おそらく、積極的に「唯物論」的な発想をもっているわけではないと言うかもしれません。しかし、漠然とした形で、霊的なものを否定しないという人たちも、霊的なものを積極的に認めているわけではなく、また、それに対する多くの恐怖を抱いているのが普通です。そこには、少なくとも、社会的に形成された、「唯物論」的な習性の影響が、大きく働いているというべきなのです。

 

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