「縄文」という「未来」
アフリカのクン族の「癒し」をとりあげた、記事『「<癒し>のダンス」』のコメント欄で、私は、
「 文明とこのような霊的な要素との調和ということには、私はもはや懐疑的で、一旦はこのような未開の状態に戻って、全てを経験しなおさなければ、何も分からないというところに来ている 」
ということを述べていました。
しかし、これを読んで、今の私は、違和感を感じざるを得ません。と言っても、言っていることの内容そのものではなくて、その表現、特に、「未開の状態に戻る」という表現が、問題です。
「戻る」というのは、未開社会、先住民文化を、我々にとって、我々が文明化する以前の、「過去のもの」と思っているから出てくる表現です。それは、例えば、我々日本人にとっては、「縄文時代」のようなものとして、受け取られているのです。
しかも、この表現は、我々が、文明を放棄しさえすれば、当然に、そこに「戻れる」かのような、言い方です。そこには、先住民文化、あるいは縄文文化というものが、我々より遅れた、「原始的」なものであるという意味合いを、どうしても含んでしまっています。
もちろん、私は、当時既に、先住民文化や縄文文化の、精神文化の「高さ」を認めていましたし、それが、霊的な意味でも、「真実」のものであることも認めていました。ただ、現代の、物質的な発展という方向性からみれば、「遅れている」というか、それとは違う方向にある文化であることは、明らかなので、その見方に沿う形で、このような表現になったのです。
しかし、それにしても、今からすれば、違和感が強いです。
それは、最近の記事『ムーと縄文の「テクノロジー」について』で述べたように、縄文そのものに、「テレパシー」や「テレポート」などを日常的に可能にする、「高度のテクノロジー」があったことを、当時は、十分に認識していなかったからということもあります。(ただし、今でも、誰もが、日常的に可能にしていたとまでは、信じ難いものがあります。)
縄文文化にしろ、先住民文化にしろ、我々現代人が、物質的なものにつぎ込んでいる時間やエネルギーを、精神文化、または霊的な方向に注ぎ込んでいたので、そういった方向では、我々より優れているのは当然のことです。しかし、だからと言って、それは、物質的な方面では、「遅れている」とか、「無知」であったとかということには、決してなりません。
そもそも、「霊的なもの」は、「物質的なもの」を包摂する関係にあることから言っても、このような文化は、率直に、「全体として」、我々より進んだ文化と認める必要があるのです。
総体として言うならば、「縄文」は、我々にとって、「過去」ではなく、「未来」である、という言い方が、今は、ピッタリ来ます。あるいは、前に紹介した、NASA職員のこの人( https://www.youtube.com/watch?v=MEAtqRjDlt4 )も、「縄文宇宙人」という言い方をしていましたが、これもピッタリ来ます。
それは、当然、我々が、文明を放棄したからといって、達成できるものではなく、文字通り、現在より、「進んで」行かなくては、たどり着けないものです。
『ムーと縄文の「テクノロジー」について』でも述べたように、弥生時代くらいからは、現代に連なる方向が推し進められて、確かに、我々にとっての「過去」と呼べるものと言っていいと思います。しかし、縄文については、先住民文化やチベットなど、一部の文化を除いては、もはや断絶していると言うべきものです。ただ、日本人は、他の文化に比べれば、「縄文的なもの」を多く残している民族ということが、言えるだけです。
もう一つ、このように思うことになった理由の一つに、それよりしばらく前ですが、ある縄文遺跡を、じっくり体感してみたこともあります。そこには、縄文住居の跡があって、そのときは、本気で、縄文人と交信するくらいの気持ちで、じっくりと内部を体感してみたのです。
(残念ながら、縄文人が、直接話しかけてくるようなことはなかったですが(笑))まず、この住居の中には、とても「清浄な空気」が流れていることに驚きました。それは、明らかに、肌で感じとれるものでした。
さらに驚いたのは、もっと大きな集会所のようなところがあったのですが、そこは、単に、「清浄」というだけでなく、とても「エネルギー」に満ちたところで、そのエネルギーに促されるように、私は、その周りを何周も歩いていました。これは、ちょっと、「ただならぬ」ことだと思いました。そして、「縄文人」という自分のイメージが、どうも大きく違っているようだというのを、そのとき感じることになりました。
そのようなことがあったのと、後のさくやさんの本やブログによる縄文についての情報も相俟って、縄文人のイメージも、かなり変わることになったのです。
何しろ、「縄文」を我々の「過去」だと思っていたら、どうしても、見誤ることになると思うのです。
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