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2019年8月 5日 (月)

ムーと縄文の「テクノロジー」について

ミナミAアシュタールの『新・日本列島から日本人が消える日』で、情報源のさくやさん(呼び捨てでは呼びにくいし、氏というのも合わないので)は、「縄文文明は、高度の<テクノロジー>を有していたが、それは現代のテクノロジーとは違うものだ」と言っていた。ただ、その具体的な記述はほとんどなかったので、それがどのようなものか、気になっていた。

ところが、この度、ブログ(https://ameblo.jp/kuni-isle/entry-12500124278.html)の方で、このことを少し詳しく述べていた。

(※かつて、記事の転載をしていましたが、転載は禁止ということなので、当該記事をお読みください)

「テクノロジー」と言っているが、それは、現代の物質文明的なテクノロジーとは、全然違うものであることがよく分かる。

私も、縄文に、ある種の「高度」の「文明」と「技術」があったことは、疑いないとみていたが、それは、たとえば、土器製作や建築の技術とか、稲作の技術とか、形に現れるものから、推し量られるものではないと思っていた。一種の「精神文明」ということである。しかし、このようなものは、はっきりと形には残らないだけに、想像的に推理するしかなく、具体的にイメージすることは難しい。

もちろん、さくやさんも指摘するように、縄文土器は、高度の燃焼技術がないとできないことや、渡辺豊和著『古代日本のフリーメーソン』(学研)も明かにするように、石の配置と結びつけて、夢で得た情報を遠隔地に送信する、「繩文夢通信」という、高度な通信技術があったことなど、形に現れる要素もあるにはある。しかし、それらも、精神的なものと連動することによって、初めて意味をなすものであり、精神文明と融合したものであったことは、当然予想された。

今回の、さくやさんの記述では、縄文文明が、テレパシーや、テレポート、念動力などの精神的技術が、広く一般に行き渡る、一種の「精神文明」であることが、はっきりと述べられている

テレパシーが、日常において当然のように行われることは、アポリジニーなどの「先住民文化」でもみられることだし、「先住民文化」の、シャーマンを中心にした儀式などでは、それを人々の間で共有するのに、テレパシー的な伝達が、重要な要素であることは、何度か指摘した。

だから、縄文にも、それは当然予想されることだったが、テレポートや念動力なども、日常的に行われていたということには、多少の驚きはある。

それ以前の、「超古代文明」といわれる、アトランティスと併存した、ムー文明は、縄文の元となる文明として、テレポートのような、高度の精神的技術はあっただろう。また、物質文明的にも、現代からすれば、未来に属するような高度の技術を有していた可能性がある。しかし、一応、歴史的にも、現代に連なる、縄文において、このような高度の精神技術が発達していたとしたら、やはり驚きの部分はある。

しかし、何よりも、さくやさんの記述で、重要なことは、このような「技術」は、「超能力」ではなく、あくまで「テクノロジー」と呼ぶべきものだとしていることである。「超能力」であれば、誰か特殊の「能力」をもった人物が、それを独占することになる。しかし、それは、「波動エネルギー」の知識をもつことによって、誰もが発揮し得たものだから、「テクノロジー」そのものだと言うのである。

私も、たとえば、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」に絡めて、そのようなことを演出する「技術」があるにしても、それは、霊的な存在の「能力」によって可能なものだと、何度も指摘して来た。それは、「テクノロジー」と言った場合、現代文明の、物質的な機器を利用した、「技術」の延長上に理解されるものなので、それとは異なることを、はっきりさせるためである。「テクノロジー」というのが、そのようなものとして解されている限り、それは、やはり、混同されてはならないと思うのである。

しかし、さくやさんのような観点から、「テクノロジー」を捉えるなら、やはり、そのような「能力」も、広く、知識に基づいてなされる、「テクノロジー」と言ってよく、ただ、現代に言う「テクノロジー」とは、性質の違うものということになるだろう。

「宇宙人」の技術は、意思ないし思考と、物質的な技術が連動したものであることを、何度もみたが、むしろそれこそが、「テクノロジー」ということの本来のあり方とみられる。だとすれば、その全体を捉えて、それを「テクノロジー」と呼ぶことは、むしろ理に適っていることになるだろう。

我々の現代の、物質一辺倒的な「テクノロジー」というものが、本来の「テクノロジー」ということからは、逸脱したものであるということである。

とは言え、現代において、そうしたものこそが、「テクノロジー」として捉えられている限り、あるいは、超能力的な能力が、事実上、特殊な能力でしかあり得ない限り、少なくともその間は、やはり、そういうものは、「テクノロジー」とは区別して、「能力」と呼ぶのが適当と思うのである。

 

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コメント

わかるわぁ。
形だけ寄せてもね、って話ですよね。
日本人は基本的にまじめな性格だったのに最近はふざけた人が多いです。
変なお笑いが流行って真面目が馬鹿にされるようになってしまったからだと思っています。
ふざけて横道にそれていたら元の道に戻れなくなってしまったって感じですよね。
真面目というのは奥が深くて、そこに面白さを追求できるんですけどそれを教えられる大人がいない。
大人がふざけてるから。
根がふざけている人が真面目をつくっても結局形だけなんですよね。
私は真面目な大人で生きようと思います。

初めまして。
他の記事も読ませて頂いてます。
記事内容と少しずれたコメントになりますがお許しください。

追求していたものがこちらのブログにたどり着き、確信に変わりました。
テクノロジー犯罪というものも霊的な現象だという事。
そういった人の観念、エネルギーを餌としているものがいるということ。
いかにそちらの周波数に合わせないか。簡単に負になります。
悩まれてる方々、己を愛してください。
光の時代になります。
気付きを頂き感謝しております。

ありがとうございます。

特に、「テクノロジー犯罪」に関して、適確な理解をいただきありがたく思います。

前回同様名無しで失礼しますね。
これも私の信念の一つなのです。

>テクノロジー犯罪というものも霊的な現象だという事。

というか、この世界の全てが霊的なものが顕在化した世界です。
よくこれから全てお見通しの世界になると聞きますが、実は昔からお見通しなのですが、人々が気づかなかった、目を向けなかった(られなかった)ということ。
そのことに気づいてさあみなさんどうしますか?というのがこれからの世界なのだと思います。

それは、そのとおりです。ただ、人間の意思によって、「霊的なものを顕在化」させる方法を、誰もが可能なものとして行き渡らせていたというのが、ム―、縄文の「テクノロジー」のすごいところなのですね。

それは、現代では不可能なことであり、そもそも「テクノロジー」と言っても、現代に言う「テクノロジー」とは異なるということを、はっきりさせておくことも、重要なことと思います。

現代のテクノロジーと古代のテクノロジーの違いを考えれば、それもまた「霊的なものの顕在化」である事も理解できると思います。
霊的に言ってしまえばそれは霊格(精神)の後退です。
古代のテクノロジーが環境に無害な波動エネルギーを使うのに対し、現代は物理的なものを使いエネルギーを無理やり生じさせ、その結果、循環できない物質を生み、環境を破壊させ自分たちの済む場所を破壊しているのが現在。
本来物理的なものを使うこと自体は問題ないのですが、必要以上に使うことでバランスを崩す、あるいは、循環できないとわかっているものを使用する、それは自分たちの欲望を優先させるという精神性を表しているのです。
世界と日本の関係を歴史的に見ればこうなることも予定の内のようですが、同時に今が転換期であることも見えてくると思います。

名無しさんですね。
コメントありがとうございます。

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