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2018年1月24日 (水)

『言ってはいけない』/遺伝の問題

「遺伝の問題」は、私自身、これまであまり正面から述べることがなかった問題なので、この機会に少し詳しく述べています

前回の記事のコメントで触れていますが、橘玲著『言ってはいけない』(新潮新書)という本を、読んでみました。

「遺伝」の問題を扱ったもので、最近の「行動遺伝学」の研究によれば、人間の身体的条件だけでなく、知能や行動、性格、さらに精神疾患を含む精神的な要素(「こころ」)も、環境より遺伝による影響が強いことを説いているものです。

(この「知能や行動、性格、さらに精神疾患を含む精神的な要素(「こころ」」というのを、以下「知能等」と略します)

これまで、遺伝の問題は、差別や優生思想と結びつきやすいこと、努力を否定することにつながりやすいことなどから、タブー化されている(「言ってはいけない」ことになっいる)面が、確かにあったといえます。多くの人にとって、知能等には、遺伝の要素があるとは思いつつ、それには触れず、環境や努力の問題として、扱うことの方が望まれていたということです。

この著書が、読まれているのも、このような見方からすれば、これらの研究は、センセーショナルに響くところがあるからでしょう。また、本書のように、このような研究を紹介する本が、センセーショナルな効果を、あえて狙っている面もあるでしょう。

しかし、気づかれてはいたとおり、これら、人間の知能等であっても、遺伝と無関係などということはなく、遺伝と環境の相互作用を受けることは、当然というべきです。そもそも、遺伝と環境の影響の一方を度外視して、他方だけで、説明しようとする方が、無理というものです。

私も、「統合失調」についてですが、記事『狂気(統合失調症)の「原因」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-3f75.html)で、内的、外的の様々な「要因」をあげています。この中で、もともとの「内的要因」としてあげたものは、遺伝と強く関わるはずのものです。「脳の脆弱性」はもちろん、「分裂気質」や「霊媒体質」というのも、具体的な物質的基盤は不明ですが、遺伝との関わりが強いとみられます。要するに、統合失調なら、統合失調の「なり易さ」という点には、遺伝の要素が強く働くと思われるのです。それが、環境との関係で、具体的な発現をもたらすことになるわけです。

このような「なり易さ」と具体的な発現ということは、人間の知能等のあらゆる場合に、言えるはずのことです

しかし、最近の「行動遺伝学」の研究は、遺伝と環境の相互作用としても、「遺伝率」の方が高いことを示しているのであり、それは、やはりセンセーショナルな事実に変わりない、という見方もあるでしょう。

この点については、私は、後にみるとおり、「行動遺伝学」の方法自体に、多分に疑問があり、文字通りには受け入れることはできません。また、このような結果は、現代の、知能等の問題に、適切に対処する方法を欠いている、画一的な社会状況だからこそ現れる、という面もあると思います。

しかし、そのような現代の社会状況を前提にして、非常に「大まかな傾向」としてみるならば、恐らく、知能等に、環境より遺伝の要素が強く働くというのは、間違いではないのでしょう。

ところが、問題は、このように「遺伝」が強調されることで、今度は、「遺伝がすべて」であるかのように、逆の方向に揺れることが、予想されることです。あるいは、「優生思想」的な発想をしていた人は、これ幸いと、この研究を、自分の発想と結びつけて、その根拠とすることでしょう。「遺伝」の問題がタブー化されていたことの、「反動」のような現象が、起こり得るということです。

何かある問題を、「遺伝のせい」にして済ますということは、「責任」や「努力」の問題を考えないで済み、「魅力的」なことではあるのです。これは、犯罪や精神疾患のような、一般に「マイナス」とみなされる事柄に顕著です。そして、その延長には、どうしても、その「遺伝要素」を、技術の力を借りて、物理的に改変または排除すればよいという、「優生思想」的な発想がもたらされることになります。

しかし、こういった問題は、(これは著者も指摘していますが)遺伝か環境かの問題から来るのではなくて、もともと、精神疾患なら精神疾患を、「悪しきもの」、「排除すべきもの」と決めつける見方の方にあるのです。このような見方では、問題が遺伝であろうと環境であろうと、それを「取り去る」、「責任を押しつける」という、短絡的な発想にならざるを得ないからです。

そして、このような見方は、記事『「精神医学」と「オカルト」的なもの 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-6b32.html )でもみたように、近代以降に顕著になったもので、「オカルト的」なものを、「排除すべきもの」とみる見方と、分かち難く結びついているというのが、私の立場です。

しかし、とりあえず、ここでは、それはおくとして、「遺伝と環境の問題」で言うならば、「遺伝」と「環境」のどちらかを強調して、一方を顧みないことが、問題をこじらせるのです。だから、このような研究は、「遺伝」を強調したというよりも、これまで等閑視されがちだった、遺伝の要素を取り戻して、人間の知能等の問題は、「遺伝と環境の相互作用による」という、本来、当然そうであるところに引き戻したもの、と受け取るべきでしょう。

以下、「行動遺伝学」の方法についての疑問というのを、簡単に述べます。(現段階でのもので、後にこの研究をよく知れば、解消する可能性はあります。)

「行動遺伝学」は、遺伝子が同一である、一卵性双生児の知能等の現れを、環境の違いによって、違う現れをするかどうかを、統計的に分析することに基づいています。

一卵性双生児は、遺伝子が同一としても、普通は育ての親も同じなので、遺伝の影響か環境の影響か、区別は困難です。ところが、最近は、双生児の一方が養子に出されて、育ての親が異なる事例も多いので、その場合を統計的に分析することにより、遺伝か環境かの区別ができるというわけです。

しかし、そもそものレベルでいうと、既にみたように、「遺伝」と「環境」の作用は、分かち難く結びついているのに、その影響として、どちらかを、厳密に取り出すことができるのかということがあります。

また、分析のもととなる、「知能等」という結果の評価は、社会や文化に影響を受ける、曖昧かつ主観的なものなのに、それを前提にして、正確な分析ができるかということがあります(「精神疾患」などは、その最たるものです)。

しかし、それはおいても、大きな疑問は、遺伝子が同一である一卵性双生児であれば、育ての親による違いが結果として現れない場合であれば、すべて、「遺伝要因」に含めてよいのかということです

たとえば、育ての親が違う場合でも、地域や文化などによって、育て方その他の環境が共有される場合はいくらでもあります。既にみたように、知能等に対処する適切な環境が整っていない、現代のような画一的な社会状況では、そのような場合は多いと言えるでしょう。その環境が、知能等に及ぼす大きな要因となっている場合でも、それが共有されてしまっている場合は、統計的には「違い」として現れないはずです。そのような場合、それは、統計上、遺伝の方に含まれてしまうのではないかということです。

さらに、著者もあげている、胎児期に影響を受ける、鉛のような金属や、その他の外部的、物質的な、環境要因の場合には、なおさら、このことが言えます。これは、ある地域や、場合によっては、広く全体として共通の環境要因となります。ところが、統計的には、育ての親による違いとして現れなければ、遺伝要因に含まれてしまうことになるのではないでしょうか。しかし、このような、外部的、物質的な環境要因は、知能等に与える影響も、少なくないはずなのです。

もう一つ、これは、オカルト的な「禁じ手」ともいえますが、一卵性双生児が、同じような「運命」をたどりやすいのは、遺伝要素だけでなく、(テレパシーその他のオカルト的要素も含む)お互いの強い結びつきによるのではないか、ということもあります。

とりあえず、こんなところですが、要は、このような統計的方法によれば、環境より遺伝の影響と判断される場合が、実際より多くなってしまうはずだということです

たから、その意味でも、それを差し引いて、「遺伝と環境の相互作用による」という、本来、当然のところに引き戻して受け取れば、ちょうどよいことになるはすです。

最後に、「統合失調」の場合ですが、実際に、精神医学の方面で、「遺伝要因」として、どのようなことが考えられているかについても、簡単にみておきましょう。

岡田尊司著『統合失調症』(PHP新書)によれば、遺伝要因は、確かに認められているのですが、それは、「遺伝子多型」とよばれる、多様な遺伝子の、複雑な相関関係によります。つまり、何か特定の一連なりの遺伝子を、要因として、取り出すことができるわけではないのです

だから、遺伝の問題として、それを改善なり、排除しようとするとしても、そんなことは、今のところ(恐らく今後も)不可能に近いものです。統合失調の「遺伝子多型」は、濃淡はあるにしても、非常に多くの人間に広がっているので、本当に、改善なり排除しようとすれば、それら多くの人間の遺伝子を、根こそぎ改善なり排除しなければなりません。

ところが、それら「遺伝子多型」は、統合失調だけでなく、他の面に作用するものも含まれるはずで、それらを変え、または取り去ってしまえば、他の面にも多くの影響が出るはずです。

実際、それらの遺伝子が、これだけ残っているということは、それらが、決して、進化史上、マイナスのものではなかったことを示しています。

それらを、マイナスのものとみる見方は、近代以降に顕著になったのであって、それ以前はそうではなかったことを考えれば、それも当然でしょう。

そういうわけで、たとえ、遺伝の問題を強調したり、優生思想的な発想を押し進めるとしても、実際には、そのような要因を、改善したり、取り除くことは、できないことなのです。

もっとも、そのようなことを強調する人は、 それを強調することの「イデオロギー的な効果」に、意味を見い出しているのであって、実際に、それを改善したり、取り除くこと自体に、興味があるわけではないのでしょうが。

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コメント

ティエムさん、遺伝の問題、『言ってはいけない』の本をさっそく取り上げていただいてありがとうございます。
遺伝と環境についてどう考えればいいか、行動遺伝学についてどう考えるか、など、受け止め方やその問題点について、分かりやすく説明していただいて、私もいろいろと整理できた部分があり、感謝しています。
すべてでないにせよ、その多くを遺伝のせいにすることは、すでに精神疾患の家族会の中では常識のようになってしまっているように思います。でもそうなったのは、以前は家族がその責任感や後悔に押しつぶされたり、特に母親ですが、養育者が親族や他人から不当に責められることがあったからで、一種の精神衛生的な効果があることが、受け入れられた大きな理由ではないかと思います。だから今、家族会の中で環境要因を強調するとものすごい反発があるようです。でも本当は遺伝も環境もどちらかなどということはないのですから、家族の立場からすれば、環境や関わり方をもっとちゃんとしていれば、結果はもう少し違っていたかもしれない、と思うことは必要だと思いますし、これを機会に反省すべきところは反省してから、先へ進むということが大事なことだと思います。
また、ティエムさんのおっしゃる行動遺伝学における疑問点は、私も同じように思います。特に一卵性双生児については、その不思議なありようを知るにつれ、それこそ単に「遺伝子が同じである」というだけでは説明できないものがあると思えました。

私も岡田尊司さんの『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)や、安藤寿康さんの『心はどのように遺伝するか』(講談社)『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(SB新書)を読んでみて、行動遺伝学における遺伝と環境の問題について、以前より分かってきたところがありましたので、念のため少し長くなりますが、紹介したいと思います。
特に最後の本は、「ベストセラー『言ってはいけない』を誤読せず、その議論を深掘りする!」と帯に書いてあるように、『言ってはいけない』を補足し、正常化するような本でもあります。
そこで気がつかせてもらったのが、私たちが普通言う「遺伝する」と、行動遺伝学などで言う「遺伝的」とか「遺伝率」などで使う「遺伝」という言葉は、日本語だと同じになりますが、英語だと前者が「inherited」「heredity」などになり、後者は「gene」「genetic」などで表されるというところです。
私などは、『言ってはいけない』で「統合失調症の遺伝率は82%である」などと読むと、すぐに「統合失調症の親から生まれた子どもの82%が統合失調症になる」というふうに、「inherited」感覚で思い浮かべてしまうのですが、実際は「genetic」(遺伝的)の方で、「親から子に形質が受け継がれる」という意味ではないのですね。もちろん遺伝子は50%は受け継がれます(genetic)が、その表れとしての形質が受け継がれる(inherited)と言っているわけではない。ここが大きな誤解のもとではないかと思いました。実際「遺伝率」という言葉の定義は、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』によると、「調べたサンプルまたはそのサンプルを抽出してきたもとの集団が持つ全体の個人差のばらつきを、遺伝や共有環境、非共有環境の各要因が何%ずつ説明するか」(P76)となっており、普通想像する言葉のイメージとはかなり異なるものです。
またティエムさんも紹介してくださっているように、多くの形質、特に知能とか、精神疾患とか、性格とか、心の部分というのは、遺伝子多型(ポリジーン)と呼ばれる多くの遺伝子が関わる形質であり、さらにそれには相加的遺伝と非相加的遺伝があり、相加的遺伝はいろいろな遺伝子の特徴が単純にプラスに合わさってある形質を作り上げるが、非相加的遺伝の方は遺伝子たちがまるで芸術作品を作り上げるように関わり合い、響きあって、1足す1が2のような量的な形質を作るのではなく、数字では表せない質的な形質を作り上げるというのです。そして行動特性や心理的形質はそれが強く働くのだというのです。だから安藤さんはこれを「遺伝しない遺伝」といい、「創発的な遺伝」とも呼ばれていると紹介してくれています。
このようなダイナミックで創造的な遺伝子のありようを見ると、親からもらった遺伝子とは単に、文章で言えば、文字や単語にすぎないのではないか、そこからどのような遺伝子の組み合わせを作り、非相加的効果を生み出すかは、本当に一人ひとり違うと言えるのではないか、と思いました。もちろん家族、親族であれば、共通の遺伝子をもつわけですから、似たところも多くあるでしょうが。その人の内的個性などは全然違ってしまって当たり前なのではないでしょうか。

でも最後に疑問としてあるのは、結局、科学的な立場としては、そのような個性を作り出しているのは、遺伝子と環境の偶然による産物である、としか捉えないのではないかと思うのですが、もし霊的な立場に立つならば、まず一人ひとりの霊的個性があり、それがその遺伝子を意図をもって組み合わせ、自分の環境を選び出しているのだ、と捉えるのではないでしょうか。ここに大きな立場の違いがあるように思えました。前者の立場に立つ限り、人間一人ひとりをかけがえのない個性と見ることはできないのではないか、と思いました。

nomad soul さん、ありがとうございます。私も、この機会に、「遺伝」について正面から考えることができてよかったと思っています。

家族の多くの人にとって、「環境」の問題とされることが、「責任を押しつけられる」ことにつながるため、不都合と感じられるのはよく理解できます。が、「遺伝」の問題とされることもまた、一見、「責任」から逃れられるようで、結局は「差別」のもととなるので、「遺伝」の問題とすることが好まれるというのは、理解しにくいところもあります。いずれにせよ、どちらか一方を強調することは、問題をこじらせるだけと思われます。

『「遺伝」という言葉の誤解を解こう:行動遺伝学者 安藤寿康教授に聞く』(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/-----1.php  )などのサイトでいくらか調べてみましたが、「行動遺伝学」のいう「遺伝率」というのは、やはり、「現在の社会(集団)」を前提にして、その中での個々のばらつきというのを、「遺伝」と「環境」でどちらの影響が強く働いているかをみるもののようですね。

そうすると、社会全体や物質的環境として、共有されている環境の要素は、度外視されているわけで、「環境」と言っても、「家庭(共有環境)」とそれ以外の「非共有環境」の要素しか考慮されていないことになりますね。

それでは、私に言わせれば、「行動遺伝学」というのは、「現在の社会というのは、個々の違いというのは、遺伝要因の方が強いことになってしまうような、(環境的にはマイナスの要素の強い画一化された)社会だ」ということしか明らかにしていないような気がします。「遺伝」の要素が強いという結果が現れること自体、「環境」の問題ではないかということです。

その「画一化された」という中でも、「家庭(共有環境)」よりは、「非共有環境」(友人関係など)の方が、ばらつきに影響するのも当然のような気がします。

「遺伝率が高い」といっても、それは、個々のばらつきにみる限りであって、総体として、「知能等」の結果に、遺伝と環境で、どちらが強く影響するかについては、何も明らかにするものではないことになります。

だから、「行動遺伝学」やその研究が無意味だとは言いませんが、やはり、「遺伝率が高い」とか、「遺伝の影響が80%」などということは、誤解のもともいいところだと思います。ますます、環境の要素を顧みない(その必要がないかのような)ことになってしまいますから。

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