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2017年11月 5日 (日)

「観念」に「感覚的リアリティ」を吹き込む「仕掛け」

本人の「思考」または「信念」こそが、「現実」を作るという前回のテーマに照らせば、相手方の「仕掛け」のことには、あまり拘る必要はない。むしろ、それを「受け取る」自分自身の、「思考」や「解釈」こそが問題なのであるから、それに注意を向け直すべきということになります。

しかし、実際には、相手方の、尋常でない(オカルト的であり、非人間的な)「仕掛け」に、振り回されていることも多い以上、その「仕掛け」そのものについても、ある程度の理解が得られない限り、なかなか自分自身の「思考」の問題に注意を向け返すことも難しいでしょう。

この「仕掛け」については、具体的なレベルでは、どのようなものかを、「声」や「人の操作」、「共時性の演出」など、様々に述べてきました。そこには、「統合失調」の場合と「集団ストーカー」の場合の違いも反映されます。

しかし、この「仕掛け」とは何かを、一言で言うならば、それは、ある「観念」に「感覚的リアリティを吹き込む」ということに尽きます

そもそも、「集団ストーカー」という「観念」そのものが、強力に練り込まれた「仕掛け」といえます。この「観念」を受け取るだけで、もともと被害妄想的な傾向がある人は、十分に、自分の体験を、「集団ストーカーの被害」として解釈できるようになります。

しかし、ある「観念」を受け取るというだけでは、それが「現実化」されるほどに、強烈に信じ込まれることにはならない場合も多いでしょう。そういう場合に、その「観念」を信じ込ませるのに、大きな役割をなすのが、「仕掛け」であり、それは、その「観念」に「感覚的リアリティ」を吹き込むということなのです。

たとえば、かつてオウム真理教は、LSDを使って、信者に、麻原そのものや麻原の教えを、強烈に信じ込ませることを行っていました。このLSDは、まさに麻原の提供する「観念」を信じ込ませる「仕掛け」として、利用されたのです。

LSDは、幻覚剤であり、人を変性意識に導き、リアリティのある幻覚を体験させるものです。通常の感覚では、とても信じられないことでも、(それは、麻原の提供する「観念」と結びつけて解釈するように誘導されている状況で起こるので)このような強烈なリアリティを伴う感覚によって裏付けられれば、信じ込まれてしまうことにもなるのです。

このLSDと同じ役割を、相手方の(オカルト的、非人間的な)「仕掛け」は、なしているということです。

「統合失調」でいえば、「声」という、まさに幻覚的な方法で、統合失調者の「妄想」が裏付けられることになります。「集団ストーカー」という「観念」でいえば、それを信じ込ませるような、「人の操作」や「共時性の演出」が、感覚的レベルでなされるのです。それは、物理的現実そのもので、「幻覚」ではない場合が多いでしょうが、通常の日常性の範囲を超えた要素を含むという意味で、「幻覚」と通じるものです。あるいは、物理的現実そのものではなく、物理的現実と区別し難い、「中間的現象」の場合も多いと思われます(※1)。

いずれにしても、LSDと同様、通常は信じられないことでも、信じさせてしまうだけの、リアリティを生み出す力があるということです

そういう力があるということには、気づかない限り、なかなかことの全体を、「マインド・コントロール」として理解するすべもないでしょう。また、そのような「仕掛け」ではなく、それを受け取る自分の思考の問題に、意識を向き直すこともできないでしょう。

その意味では、やはり「オカルト」的なもの(への理解)を抜きにして、この問題を本当に納得できるものとして解決するのは、無理ということになります(※2)

※1  たとえば、記事『「プレアデス+」と「創造神」「捕食者」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-d8e8.html )で述べた、「ホログラフィの挿絵」なども、これに含み得ます。「統合失調」においても、このような「中間的現象」による「仕掛け」は行われますが、総じて言うと、「集団ストーカー」の場合の方が、より物理的現実に近い「仕掛け」が多いようです。この点については、近いうちに、「統合失調」と「集団ストーカー」の共通性と相異についてまとめるときに、さらに述べたいと思います。

※2 精神薬により、「集団ストーカー被害」が、ウソのように消えたという話があります。それは、あながち「宣伝」というだけでなく、事実である可能性があります。精神薬は、「感覚」を鈍らせて、「仕掛け」としての「感覚的リアリティ」を、失わせることがあるからです。「感覚的リアリティ」が失われると、一気に、「まともな思考」が芽生えてきて、「集団ストーカー」という観念についても、「そんなことはあり得ない」と気がつけるのです。

しかし、それは、あったとしても、一時的現象というべきです。薬が切れて、「感覚的リアリティ」が戻ってきた場合には、また「集団ストーカー」の観念も戻ってくるでしょう。また、精神薬は、感覚一般、思考一般を鈍らせるので、このようなネガティブな観念だけに働くのではないのです。さらに、精神薬は、LSDと同様、幻覚をもたらすこともあるので、むしろ、現象を助長することもあるのです。

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コメント

書かれた文章について、内容は面白いのですが “「」”の多い文は、読みづらいのです

文章表現を工夫して頂けたら良いと思います

率直な感想でした 

記事『「 」について』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-2b2a.html)で説明しているので、そちらを参照下さい。

多少の読みずらさを犠牲にしても、簡単に読み流さずに、「」の部分で、立ち止まって、その「観念」について改めて考えるような読み方をしてもらえたらという思いがあります。

企画している、ホームページの方では、読みやすさを優先して、できる限り、この「」の使用は抑えようと思っています。

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