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2017年5月20日 (土)

「シンクロニシティ」と出来事の因果的理由

記事『「共時性」と「魔術的因果論」』 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2002/12/post-3e8b.html)の、上から5番目のコメントで、「面白いこと」があったとして述べたことは、「シンクロニシティ」の理解にとって重要なヒントになると思うので、まずはその部分を再掲しておきます。

鳥では、最近面白いことがあり、ハクセキレイと思われる白黒の鳥が、図書館の庭の木の下で、飛び上がろうとしては、下降する不思議な動きを繰り返していたので、私は、思わず、心で「飛べるの?」と聞いたのですが、するとその鳥は、いきり立ったように、私の前を横切るようにして、超低空(地上50㎝ほど)を凄いスピードで30mほど飛んで行きました。私は、思わず、心で「おっー!おっー!」と驚きの声をあげてました。「飛べるの?」は、鳥としてのプライドを刺激してしまったようです。こういう、「会話」が成り立っている(かのような)ときは、かなりはっきりと、相手に伝わったというカチッとした感覚があります。

多分、セキレイの生態についてある程度知っている人は、何を言っているんだ、そんなのは「妄想」の典型ではないか、と思ったかもしれません。

確かに、セキレイが木の下で、上がったり下がったりの、不思議な動きをしていたのは、多分餌となる虫を追いかけていたのだろうと思います。そして、超低空飛行で私の目の前をすごい勢いで飛んだのも、その虫が逃げたので、それを追いかけてのことなのでしょう。そのようなことが、ただ私の勝手な思いと重なるようにして、私の目の前で偶然に起こっただけというのが、普通の解釈かもしれません。

しかし、私が、気をもんで、「飛べるの?」と本気でセキレイに問いかけた瞬間、セキレイがそれに反応するかのように、私の目の前を、本当に驚くようなスピードで、猛烈に飛んで行ったのは事実であり、それが私にかなりの衝撃をもたらしたのも事実です。そして、私は、「飛べるの?」との思いが「会話」のように通じたということに関しては、今思っても、(単なる直感ではなく、これまでの多くの経験に照らして)間違いないだろうと感じています。

要するに、これは、私のセキレイへの関心や思い(問いかけ)と、セキレイの私の目の前での凄まじい超低空飛行が、同時的に起こった「シンクロニシティ」であると解せます

セキレイ自体は、あくまで、餌をとるという自分自身の習性に従って、つまり、ちゃんとした因果的な理由があって、低空飛行をしたのですが、それは、私の「飛べるの?」という問いかけに対する、見事な「答え」にも、同時になっているのです。つまり、意味において関連する出来事が、同時的に起こったというこどてす。

繰り返しますが、セキレイの超低空飛行には、それ自体の「因果的な理由」はあるのです。それを、同時に起こった、私の「問いかけ」と因果的に結びつけようとすると、私が問いかけた<から>、超低空飛行をしたとか、私に<見せるために>超低空飛行をしたとなって、「魔術的な因果論」になってしまうのです。要は、多分に「誇大妄想」的な「妄想」になってしまうということです(このコメントを書いた時点では、その傾向がいくらかあったことは、認めざるを得ません)。

これは、多くの「シンクロニシティ」の場合に言えることです。それ自体には、「因果的な理由」がある出来事が、ある「意味」において関連する別の出来事と、同時的に起こることなのであって、それらが、因果的に結びつくことではないのです。ただ、そのことによって、その「意味」が、まさに「意味ある」ものとして浮上するということです。あるいは、その「意味」こそが、その両者の出来事を、同時的に引き寄せたことになります。ただし、その「意味」にも、囚わてしまうようだと、それは多かれ少なかれ、「妄想」的な囚われに近づくことになるでしょう。

「集団ストーカー被害」の場合も、誰かが絶妙なタイミングで自分の近くを通り過ぎるなどの出来事に、まったくこれと同じ解釈がなされているということです。誰かがその者の近くを通り過ぎたのは、その誰か自身にとっては、何かしらの「因果的な理由」(買い物の途上、急いでいて、周りをあまり顧みていない状況など)があってのことで、それは、別にその者(被害者の側)とは何の関係もありません。しかし、それは、その者の関心や思いと、「意味」的には確かに結びつくものになり得るのです。

その者の関心や思いとは、自分は、「ストーカー的なまとわりつき」や「仄めかし」を受けているのではないかという、強い疑いであり、恐怖と怒りの感情を伴ったものです、そして、そのような、内心深くの、情動を伴った、強い思いは、実際に、絶妙なタイミングでの人の通り過ぎなどのことを、意味的に引き寄せて、同時的に起こらしめるものとなり得るということです。

場合によっては、それは本当に頻発し、明らかに偶然では考えられないほどのものともなり得ます(ただし、そこに何らかの存在の「演出」があり得ることも、何度も述べたとおりです)。しかし、そのようなものを、「魔術的因果論」的に、自分の思いと因果的に結びつけて、自分に「まとわりつく」ためにそのようなことをしているのだとか、自分の思考を盗んでいるから、そのようなことができるのだと考えると、「被害的」な「妄想」になってしまうということです。

あるいは、たとえ、それらを因果的に結びつけるまでに至らなくても、そのようなことが起こる「意味」に囚われて、自分を否定的に追い込めば、「妄想」とあまり違わないものになってしまうということです。

 5月22日

 ※ 「集団ストーカー 共時性」で検索してみると、最近は「共時性」に注目している被害者サイトが結構あることが分かる。いい傾向だと思うが、ただ、せっかく「共時性」に注目しているのに、従来の「集団ストーカー」の発想を引きずって、つまり「魔術的因果論」的な発想をしてしまって、自分と強く関係づけた、「被害妄想」的な解釈を脱していないものが多いのは残念と思う。

そんな中、ここ(http://ameblo.jp/un-clober/)は、読んでいてうれしくなった。「被害者」のサイトではあるが、明らかに「被害者」としての発想を脱しつつある。「集ストって奥深いよね」って言えること自体が、既に「集スト」的な囚われを脱しつつあることを示している。

その一番のポイントは、何より、こういった現象を演出する存在が、人間ではあり得ないことを、はっきりと悟ったことである。そして、その人間ではあり得ないことの、明快な理由がはっきりと示されているのもいい。

私も、一連の体験で、心の奥から、私を取り巻く存在が、「人間じゃない!」と叫ぶことがあって、人間ではないことが分かったことにより、最悪の状態を脱して、囚われが少なくなったことを述べた。本来は、そうではあり得ないのに、人間だと思うことから、変な混乱や怒りのようなものも生まれるのである。人間ではないことが分かったからと言って、すぐさま現象から解放されるわけではないが、ある意味の「開き直り」と「探求意欲」も生まれて、否定的な囚われは、減少するのである。

私のように、「統合失調」系(解体型)ではなく、「集団ストーカー被害」そのものの体験を通して、いたった考えであり、同じ「集団ストーカー被害」系の人には、より参考になるものがあると思うので、ぜひ参照してみてほしい。

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