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2017年4月13日 (木)

「神一厘の経綸」について

前回みたように、「大日月地神示」は、霊界では、「神一厘の経綸」が既になされて、「悪の総大将」が降参し、今後は「ミロクの世」にいたることが確定したという。このことこそが、この神示が伝える最大のポイントなので、少しコメントしておきたい。

「悪の支配する世」となることが、9分9厘まで達成されて、覆しようのないところまで行ったそのときに、「神」による「グレンとひっくり返る」「経綸」がなされるというので、「神一厘の経綸」という。

「ミロクの世」とは、「金銭や物質的価値」で社会が治まる「悪の世」が終わり、人々が「愛と喜び」に満ちて、互いに奉仕する、「ユートピア」的な世となるということである。

さらに「日月神示」では、物質的世界が超えられて、「半霊半物質」の世界となることがいわれているし、「大日月地神示」では、「悪」など微塵も存在しない、「創造」の「元の元の世界」に戻ることがいわれている。

前回もみたように、これは、あくまで、この世の型となる「霊界」での「事実」であって、それがこの世にどのように反映されるか、いつ反映されるかは、この世の人や霊人のあり方次第ということになる。

「神示」は、「悪の仕組み」について、繰り返し語っているが、それは、この世では、「隠れたる悪魔」はまだまだ多く、その「悪の仕組み」が全うされるべく、これから本格化するので、それに搦めとられないように、という意図からである。

たとえば、「神示」には、

「オロシヤ(ロシア)もそろそろ大きく動くぞ。覚悟いたせよ。食う物貯えよ。無くなってゆくぞ。」とか、「メリカ(アメリカ)も変わるぞ。無くなるぞ。」

という言葉もある。まさに、現在の社会情勢そのままを映し取るかのような言葉であ.る。やはり、このような終末的な様相は、避けられないもののようである。

ただ、「悪の総大将」は既に降参して、これに関われないので、人や霊人は、「悪の仕組み」を理解して、自らを縛っている、その「悪の洗脳」をいかに解いていくかが、「改心」のポイントとされる。もはや、「悪との戦い」というよりも、「自分との戦い」ということである。

「神示」の源は、「悪」の親でもある、「元の元の神」(創造の神)を含む大霊団ということで、「悪」について非常に詳しいのが特徴である。しかし、反面、そのような「悪」の存在しない、「元の元の世界」をよく知るものでもあり、悪の「大あがき」の後も、最終的には、そこに戻ることを、宣言しているのである。

私も、一連の体験においては、「人間」を舞台にして、いかに「善と悪の戦い」が行われているかを、いやというほど目にした訳だが、これは、逆に、今の社会の「悪」というものが、いかにその結果としての「反映」であるかを、思い知らされるものともなった。それは、人間の「悪」というものが、取るに足りないという意味ではなく、それを無意味にするほどに、人間を超えた「悪」の影響力は強大ということである。

なので、霊界での「善と悪の戦い」が、「善」の勝利で終わるとするなら、今の社会の「悪」というものが、大きく変わること自体は、必然のことである。もちろん、それで、人のあり方が、すく様変わるわけではないが、「悪」の影響を受けなくなるだけで、大きな違いが生じるのである。

そして、記事でも何度か述べたように、私と関わった時点でも、「悪」の「限界」は、如実に感じ取られ、既に「たそがれ」てすらいたので、「善と悪の戦い」の結果が、「善の勝利」で終わること自体も、自然と受け入れられる。

だから、現在の状況とは相容れないようにみえても、いつかとか、どの程度かということはおいて、基本的に、その状況が終わり、「ミロクの世」に向けて、世界が変わっていくこと自体は、頷けるのである。

さらに、その後の、「半霊半物質」の世界へと移るということ(いわゆる「アセンション」=「次元上昇」)、「悪」の存在しない、「創造」の「元の元の世界」に戻るということも、大枠の流れとしては、頷ける。

しかし、たとえそれを受け入れたとしても、恐らく、多くの人が疑問に思うのは、それなら、なぜ「悪」などというものが創造されなければならなかったのか、ということであろう。

「神示」では、「悪のお役目」ということで、むしろ「悪」こそが、我々を鍛え、成長させたのであることを強調している(※)。そして、今回の「経綸」も、「悪」を「排除」するのではなく、悪をも「抱き参らせる」のであり、そのような「役目」を終わらせ、「悪」をも「改心」させて、共に元に戻ることを意味している

私も、「悪」との関わりによってこそ、いかに多くを教えられ、成長させられたかを痛感するので、このことも、大枠として頷ける。

ただ、これは、「創造」の「元の元の世界」では、「悪」はなく、初めはよかったかもしれないが、それでは結局は、停滞を来たすようになり、立ち行かなくなったということを意味している。それで、「悪」を作る必要に迫られ、その状態に変化がもたらされるとともに、「悪」から学ぶことで、その停滞を超える可能性も生じたということである。

ただし、もし、そのような「悪」から学んだ結果として、いずれは、「元の元の世界」に戻ることができたとした場合、それは、もともと存在した、「悪」以前の「元の元の世界」、結局は停滞をもたらしてしまった世界と、異なることになるのだろうか。

それには、二つの可能性があると思う。
一つは、「悪」を知らずにいる世界とは本質的に異なって、「悪」を知ったうえで、それを超えて至りついた世界なので、神示も言うように、「いやさか」に栄える「永遠の世界」となる。

二つは、初めは、そのように思われたとしても、その状態が永遠に続くという保証はなく、いずれは停滞をもたらすことになり、結局は、「悪」を必要として、同じことを繰り返すはめになる。

いつとるとも知れぬ、「とらぬ狸の皮」に、「思わぬ欠陥があるのではないか」と、訝るような話だが、私は、後者である可能性が高いと思う。その点は、神示を大枠で受け入れつつも、疑問に思ってしまう点だ。

まあ、今回の話は、「今現在」の問題からは、大きくかけ離れた、「夢想的」な話として受け取ってもらって構わない。現実的には、前回もみたように、「現在」の「悪の仕組み」をいかに脱し、超えていくかということこそが、重大な問題なのだから。

※ これに関わる神示をいくつかあげておく。

「魔物もこれまでご苦労であったなあ。そなたらがおったゆえに、霊、人ともに学び変わって来れたのであるぞ。」

「まだまだマコトの悪魔遣うぞ。悪魔も人苦しめる大事なお役目であるから、活かしておるのぞ。悪魔に魅入られるのは、それだけの因果そなたの腹にあるからぞ。とことん苦しまねば変われぬ者多いから、悪魔も喜ぶのぞ。」

「悪の中に隠しておるのぞ。悪も善も神の目からは無いのであるが、人民の目からはあるのであるぞ。必要であるのぞ。」

「悪の中に隠してあるとは、悪の心を理解いたし因果悟らねば、神心、掴めぬのじゃ。」

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