「神示」が語る「悪の仕組み」
記事『「日月神示」の言葉 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6f3c.html)で、「日月神示」という神示を紹介した。が、最近は、これの現在向け「更新版」というべきものも降ろされているようだ。本では、神人著『大日月地神示』(野草社)に載せられているし、フェイスブック(https://ja-jp.facebook.com/groups/kamihito.hihumi/)でも、降ろされ続けている神示が公開されている。(※)
印象では、確かに、「大本神諭」や「日月神示」に連なる神示であることが、十分感じ取れる。実際、神示によれば、神人という人は、岡本天命の生まれ変わりということである。
「大本神諭」や「日月神示」では、時代の制約を受けて、曖昧ではっきりしない内容も多かったが、この神示は、率直かつ明確に語られているのが特徴である。特に、「弥勒の世」に向けて、「すべてがひっくり返る」「神一厘の経綸」がなされるときが、「今現在」であることが、はっきりと語られている。
というよりも、「神一厘の経綸」は既になされて、「悪の総大将」は、「霊界」では、「降参」して他の星へと移されており、地球は「弥勒の世」へと向かうことが確定しているという。ただし、それが現実に「この世」に反映するのは、まだまだこれからのことであり、「隠れている悪魔」が大暴れするのも、これからが本番である。
このような「大峠」を超えて、「改心」した者は、「うれしうれし」の世となるが、そうでない者は、やはり他の星へと移されて、改心するまで苦しみ続けるという。「弥勒の世」といっても、誰もがそれに与るのではなく、一種の「棲み分け」が行われるということである。
ともあれ、「この世」的には、まだまだ「悪の仕組み」が行き渡っている状況であることに変わりはない。そして、神示の後半では、その「悪の仕組み」というものが、どのようなものであるかが、かなり詳しく語られている。それは、私がこれまで述べてきたこととも共通するし、非常に的確な表現で、訴えかける力も強く、貴重なものと思う。
それで、それらを、いくつか紹介し、簡単なコメントをつけておきたいと思う。
「長い間続いてきた悪魔の仕組みは、霊人、肉体人、皆々恐怖に縛り付け洗脳いたし、偽りの教えを思い込ませ、自ら貶めさせる魂胆であったぞ。ゆえに皆の弱い所をしつこくしつこく疲れ果てるまでえぐり続け、洗脳いたし楽しんで来たぞ。」
「悪魔の仕組みは、恐怖を植え付け僕となれば救ってやると申しながら、不安を植え付け続け、真の喜びから遠ざけて、守護霊殿の声も届かぬようにいたすやり方してきたのじゃ。不安に支配された人は、喜びを感じ難くなり、生きる気力を奪われ、悪魔の奴隷らの容れ物となってしまい、長きに渡り貶められてきたのじゃ。仲良き者たちの信頼関係や他を愛する思い、喜びを、あの手この手で壊してきたのじゃ。己を正当化いたし、情に訴えかけ、いいように洗脳いたしてきたのじゃ。」
「悪魔は霊団、人民みな洗脳いたし、荒れ果てた地は、皆々神々のせい人のせいにいたして、地の民ら共倒れ自滅させ、初めから地を乗っ取る策略であったのじゃぞ。」
「悪魔」は、人間だけでなく、人間に影響を与える「霊人」や「神々」を含めて、あるいはそれらを通して、「洗脳」してきたこと。それは「恐怖」や「不安」に縛り付け、「偽りの教え」を信じ込ませることによって、なされること。そして、なりよりも、「悪魔」は、自らの(直接的な)行為によって、人間を破滅し、支配するのではなく、人間が「自ら貶める」ように導き、人間同士を争わせて、「共倒れ」させることによって、なすこと。それ(を見ていること)こそが、彼らの「喜び」である、というのがポイントである。
このように、「自ら貶める」ことによってこそ、「破滅」させること、そのために、人間の弱点を「しつこくしつこく疲れ果てるまでえぐり続ける」ことは、「統合失調状況」や「集団ストーカー被害」についても、まったく当てはまることである。が、これについては、最後のところでもう一度述べよう。
なにしろ、「悪魔」は、このように、人間の内にある「弱点」をつくことによってこそ、力を行使できる。「弱点」とは、要するに、「欲」であり「エゴ」ということでもある。神示も言うように、
「そなた、我出すから騙されるのぞ。騙されるには騙されるだけのもの、腹に在るからぞ。」
多くの者は、「悪魔」がこのように人間を操るということについて、なんら実感をもって捉えられないのでもあろう。しかし、それは、我々が、日常的に考えたり、感じたりする「思考」や「感情」のレベルで、既になされていることが、次のように語られる。
「人民、己が操られておること信じられんであろうなれど、悪魔は簡単に人を操れるのであるぞ。悪魔の力どれほど強いか、ずる賢いか、人民知らんのぞ。負の感情与え続け、好き放題に操っておるのぞ。そなたは己が何ゆえにそう思うか、問うてみよれ。その思いはどこから来ているのか、考えてみよれ。」
また、先に述べたように、「悪魔」らの行いが、これから本格的に強まるのであることが、次のように述べられる。
「これまで人民の中に隠れておりた悪魔らが追い詰められて、いよいよ捨て身でかかりておるから、人民、褌締め直して、皆々手合わせて乗り越えねばならんのぞ。」
さらに、具体的に物質的なレベルを通して、なされる「悪魔」の力の介入についても述べられている。
「悪魔に遣われておる人民は訳も分からず毒造りては、空から撒いて人苦しめ、水に撒いて生き物苦しめ、天から仕掛け雨風動かし、地に仕掛け地揺らし、人に入れて身体苦しめ、思考に入りて操りて、人民知らぬゆえやりたい放題好き勝手いたしてきた」「電気から魔力入り込みますぞ。人の意識操りに来ますぞ。負の念送り続け、人民自滅させる仕組みぞ。」
「空から毒を撒く」とは、「ケムトレイル」のことであろうし、「雨風動かし」「地揺らし」とは、気象兵器や地震兵器のことであろう。また、「電気から魔力入り込む」とは、スマホやネットなど、情報機器を通して、送り込まれる「負の念」のことであろう。
ただ、地震については、「東日本大震災」についても、直接的な言及はなく、一方で、地の神が「大難を小難に変えるために起こす」という神示もある。
私自身も、記事『「アーリマン」と「火地球」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-cb26.html)でも触れたように、地震というのは、さまざまな力の複合的な現れであり、「東日本大震災」でも、これらの両面があったものとみている。
「悪魔は人食うのじゃ。人の血飲んで喜んでおるのじゃぞ。人の子の血肉、ご馳走にいたすゆえ、昔から人民に生け贄求めて来たのじゃぞ。今も世界中におりますのじゃぞ。人民に人肉、獣肉食わせて僕といたしたのは悪魔であったのぞ。」
「悪魔」という言い方をしているが、神示自体、「善と悪」とは、本質的には存在しないものであり、ただ人間にとっての必要上、仮に存在するものに過ぎないと述べている。そして、この神示では、「悪魔」の本質が、「捕食者」的なものであることが、かなり衝撃的な形で、包み隠さず述べられている。
「悪は一や三を、五にでも八にでもすり替えて思わせるやり方好むから、人民殿、見極める眼、心の眼、鍛えに鍛え磨かねば、すべて悪く思うようにされてしもうて、自ら悪の僕と化して、悪想念広げるようになりますから、気つけねばならんのでありますぞ。」
これもまた、「悪魔」が人間を「洗脳」し、「自ら貶める」やり方を、具体的に述べている貴重なものである。
要するに、実際になされていることが、1や3であるのを、5や8だと思わせることによって、人間を恐怖と絶望へと追いやり、破滅させるということである。
これは、巷の「陰謀論」にもよくみられることだし、「統合失調」や「集団ストーカー被害」の「妄想」にも、まったく当てはまることである。特に、「集団ストーカー被害」は、まさにこの方法による破滅のさせ方の、典型といえる。
私に言わせれば、「集団ストーカー被害」には、1すらない、0であるものを、10あるように「思わされ」ている場合も多い。ただ、実際に「1や3」の行いが、「霊人」や「他の人間」などを使うことによって、なんらかの方法でなされることはある。しかし、もはやそれで、「被害者」は、自分に起こる「5や8」というよりも、「10」の現象が、そのような「自分に向けられた攻撃行為」だと思うように仕向けられる。しかも、それを、「集団ストーカー」という「悪魔」が用意した「偽りの教え」で、解釈してしまうのである。そして、その「悪想念」を自ら広めることによって、結果的に「悪」に加担してしまうのである。
※ 6月11日
1月15日付けの最新の神示も、意識と脳の関係や魔の戦略など、重要な内容がつまっておるぞ。ぜひとくとお読みくだされ(笑)。
以下その一部を紹介。
意識とは、異次元の者ら関わりて人民に伝え動かして来たものでもありますぞ。これまでの八分は悪魔らの筋書き通り人民致して来たものじゃ。靈が居らぬと思い込ませたのも、魔の仕組みぞ。ゆえに悪魔らは、したい放題の世でありましたのじゃ。
意識とは、脳が作り出す世界ではないのぞ。脳が意識の世界を見せているのであるぞ。あべこべでありますのじゃ。肉体無くとも靈体となれば意識の世界見えますのじゃぞ。
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悪魔というものはいません。天使もいません。アーリマンも何もいません。全部人間の想念が作った幻想です。すべての事はただ起こります。善も悪も相対的なものに過ぎません。善は悪があるから善なのです。
霊を見ることもあるでしょうが、それは虹や机を見ることと同じです。世界はあなたの想念で作られた幻想なのです。
シュタイナーはまじめな人なので幻想をうのみにしてしまったのでしょう。
すべては一つのものしかありません。あなたも私もうさぎも豚もゴキブリもみんな一つの命を生きています。生まれることも死ぬこともありません。
どうかあなたが幻想から解き放たれて、ただただ自由で平安な世界に住むことができますよう。。。
投稿: とおりすがり | 2017年4月 2日 (日) 13時07分
言わんとすることは分かりますので、一応載せておきます。
ただし、「とおりすがり」でも、人のブログにコメントをつける以上は、そのブログ記事だけでもちゃんと読むようにしてください。まったく記事内容を理解しないで、コメントをつけていることはみえみえなので。
内容については、それをあなた個人の信条にするのは、構いませんが、結局、「すべては幻想」と言いながら、「あなた自身の幻想」を「語る」、あるいは「人に押し付ける」ことにしかなってませんので、言っておきます。
投稿: ティエム | 2017年4月 2日 (日) 17時42分