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2017年2月

2017年2月26日 (日)

「病気」の原因は「病気」

知っている人も多いと思うが、昨日の朝日新聞の記事に、<「ADHD」診断された子の母親 「原因が分かり、ほっと」6割>というのがあった。塩野義製薬などが実施したインターネット調査の結果ということであり、「ADHD」(注意欠如・多動性障害)と診断された小学生の子供がいる母親283人が回答したものである。

それによると、子供が「ADHD」と診断された際の母親の気持ちを複数回答で尋ねた結果は、次のようだったらしい。

「症状の原因がはっきりしてほっとした」  59・7%
「今後の子育ての取り組み方がわかってほっとした」 44・9%
「育て方が原因でないことがわかって安心した」 41・3%
「子どもの将来が心配で落ち込んだ」 41・7%

「症状の原因がはっきりしてほっとした」が約6割で、一番多かったことが、この調査の結果分かったこととして、特にとりあげられる眼目のようである。上にあげたように、それは、新聞記事の見出しにもなっている。

この製薬会社の調査発表が暗に言わんとするのは、次のようなことであるのが、明白であろう。

―親としては、当然ながら、子どもの不適応な状態について不安で、いろいろ悩んだことでしょう。でも、結果として、医師の診断を受けて病名をもらったら、「原因が分かっ」て、「ほっとした」という親がこんなに多いのです。あなたも、悩んでいないで、医師の診断を受け(当然それは、薬物治療のような治療を受けることにもつながる)て、楽になった方がよいですよ―。

これらの回答項目は、実施する側で予め用意したものだろうし、回答者は、たかだか283人で、調査のし方によっては、「子どもの将来が心配で落ち込んだ」という方のパーセンテージの方が上回っても、おかしくないだろう。製薬会社の意図に満ちた調査発表なのは明らかであり、それを意味ありげに載せる新聞も新聞である。

しかし、こういったことは、毎度繰り返される「定番」のことだし、それを分かる人も大分増えてきているので、今さらとやかく言うつもりはない。

私が、本当に問題として、とりあげられるべきと思うのは、この6割もいたという回答が、「ADHD」という診断名をもらったら、それで「症状の原因がはっきりした」ということに、当然のようにつながるかのような内容になっていることである。それで、「ほっとする」ということを強調するのも問題だが、そもそも、それ以前に、「病気」との診断をもらうことで、「症状の原因がはっきりした」と、受け取る(受け取らせる)ことこそが大問題である。

そして、同時に、このことこそが、「精神の病」ということの実質を、如実に浮き彫りにしていると思うのである。

そもそも、精神の病を「病気」というのは、社会的にみて、不都合な状態とみなされる、一定の状態にある人たちを、「医学」的にも、「病的な状態」と規定して確認することである。具体的には、『精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)』のように、精神科医の多数によって、決められる。

「ADHD」というのも、そうやってつけられた名前で、「ADHD」なる「病気」が実体として存在するわけではないし、何らその原因が特定されているわけではない。

しかし、一旦「ADHD」なる病名がつけられると、そのような「病気」自体が実体として存在するかのようになり、それ自体が、「症状」の「原因」であるかのようにみなされる。まさに、「症状の原因が分かった」とされてしまうのである。この点は、「統合失調症」でも全く同じであり、これまで私も何度も述べてきたことである。

ある不都合な状態を「病気」と呼ぶ→その不都合な状態=「症状」の原因は、その「病気」である

要するに、これは、<「病気」の原因は「病気」である>と言っているに等しく、「トートロジー」(循環論法)以外の何ものでもない

子供の親の気持ちに即して言うと、この「原因が分かった」というのは、恐らく、これまで病気かどうか分からず、子供の性格の問題とか、自分のしつけの問題とか、いろいろ悩んできたが、それが「病気」ということで、「はっきりした」。だから、「ほっとした」ということなのであり、それは、明らかに、「育て方が原因でないことがわかって安心した」という回答と連動している。

それが、一種の「安心」をもたらすことは、まったく理解できることである。しかし、それが意味するのは、結局は、「病気」そのものが「原因」ということで、「病気」が「原因」なのだから、他のことは「原因」でないということである。つまり、「病気」そのものが、実体として存在させられていることに変わりはない。

この点も、実際には、「(「ADHD」なる)病気は先天的な脳機能の障害である」ということが、暗黙に含意されているのだろうし、「原因」は、「先天的な脳機能の障害」なのだから、「他のものではない」ということにしたいのたろう(その方が薬物治療を正当化することにつながることは明らか)が、そんなことは、何ら証明もされていない。たとえ、先天的な脳機能の障害という面があるとしても、それで「他の原因がない」ということにはならないし、むしろ最近は、虐待などの後天的な影響が強く疑われている状況である。(記事『「自閉」の3つの型と「原因」』 http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-5ea3.html 参照)

ともあれ、「ADHD」と診断されることで、「症状の原因がはっきりする」などということには、全くならないし、そこをそう言ってしまうことで、「ほっとする」ということに結びつけてしまうことは、親の心理としては頷ける面があって、無意識にも、そう望まれてしまうことは理解できるが、むしろだからこそ、修正の難しい、大きな問題なのである。また、そこを巧みについて、その方向を押し進めようとするのは、戦略的で巧妙な「意図」があるというほかない。

要は、「統合失調」にしても、「ADHD」にしても、「病気」と規定した瞬間から、すべては「病気だから」ということで、「分かった」ことにされるのである。そして、体よく、「治療」に結びつけられるのである。そこには、多くの者の、「病気」の奥にある本当の理由など、理解などしたくもないという思いがあるし、そんなことより、精神医療に委ねた方がよほど楽であるという思いがある。また、そこにつけ込む形で、製薬会社や精神医療がいいように利益を追求できる基盤がある。

この調査発表は、製薬会社の単なる「キャンペーン」ということを超えて、思いのほか、精神の病にまつわる本質的な問題を露呈させているのである。

2017年2月18日 (土)

「集スト被害」という「解体しない妄想」

前回、「統合失調」では、「未知の状況」に多かれ少なかれ入り込んでいるために、「解体」が進んで、「妄想」がうまく築けない。ところが、「集団ストーカー被害」では、同様の状況の周辺にはいるが、強い「妄想」の力によって補強され、状況に入り込んで「解体」することは、止められているということを述べました。

これはもちろん、「集団ストーカー被害」の方が、「統合失調」より「マシ」で、好ましい、ということではありません。「妄想」によって、状況に入り込むことが止められているということは、その「妄想」を外せば、状況に入り込んで、「解体」する危険が迫っているということです。つまり、その「妄想」は、もはや、外すことのできないものになっているのです

実際、「集団ストーカー被害」を訴える人は、何年もの長い間、実体のはっきりしない「被害」の「妄想」を持ち続けたまま、「解体」するでもなく、その(不毛ではあるが、ある意味安定的な)状態を、ずっと維持し続けている人が多いようにみえます。それは、「解体」という、明らかに危険な状態に陥りはするが、それを何らかの意味でくぐり抜けて、超える余地もある、「統合失調」に比しても、「出口のない」、痛ましい状態と言えるでしょう。

このように、「集団ストーカー被害」を訴える人が、そうまでして、入り込むことを阻止しようとする「未知の状況」というのは、このブログの前半部分で、主題的に明らかにして来たことです。しかし、これこそが、理解のための重要なポイントなので、必要な範囲で、簡単に振り返ってみることにしましょう。

それは、要するに、これまでの日常的な経験からは、かけ離れた、容易には理解できない状況であり、もはや、「この世」という感覚的、物質的な世界を越えて、「霊的な世界」との境界領域に立ち入ろうとしている状況です。一言で言えば、「霊界の境域」です。(記事『「霊界の境域」を超える二方向性』http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post-7797.html、『「霊界の境域」の「図」』http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-fb4c.html 等参照)(※)

それは、「霊的な世界」の入り口であり、「この世」の理解を超えた、不可解な現象に満ちています。たとえば、自分自身の思考や恐怖の反映が、「実体的なもの」として現われ出たりします(「(霊的鏡像」または「エレメンタル」)。また、普通は、偶然と考えられないような、「共時性」(シンクロニシティ)も頻繁に起こります。そこは、「捕食者的な精霊」または「宇宙人」の住処でもあり、様々な「攻撃」をしかけられます。

さらに、そこは、「この世」とか「あの世」とかのくくりからはみ出る、「混沌」とした領域で、根底には、根源的な「虚無」が控えています。言葉や理性では、とても捉えられない、本質的に、恐怖と混乱をもたらす世界なのです。

「統合失調」では、そのような状況で、自己を苛む「声」を聞いたり、自己と外界との境界を失って、「解体」が進むことになります。そのような「解体」を抑えるべく、何とか、現にある状況を、これまでの日常性の延長上に解釈して捉えようとするのが、「妄想」ですが、それは「解体」が進めば進むほど、成功しません。どんなに日常性の延長上に捉えようとしても、それに収まらない面が露わになるからです。それに、そもそも、このような「混沌」たる状況は、言葉や理性で説明しようとしても、初めから無理があります。

「集団ストーカー被害」を訴える人も、本当は、何か途方もない「未知の状況」を、目の前にしているという予感を、潜在的にはもっている人が、かなりいると思います。あるいは、少なくとも、そのようなことを、漠然とながらも、それまでに経験のない「違和感」として、感じ取っている人は、多いと思います。具体的にも、偶然とは思えない「共時性」や、「捕食者的な精霊」による示唆、攻撃など、「霊界の境域」における何らかの現象を被ってしまっていることは多いと思います。

しかし、そうであればあるほど、自分の受けている「被害」は、人間の集団による「集団ストーカー」という、ある意味で、良く知られた、「陳腐」な現象でなければならないのです。この辺りは、「統合失調」の場合の「妄想」が、少なくとも初めは、具体的な人間や組織による「迫害」として、生じてくるのと同じことです。

ただし、「統合失調」の場合、状況に入り込むのに従って、そのような解釈は無理になり、「宇宙人」や「神」などの超越的存在が出で来ざるを得なくなります。ところが、「集団ストーカー被害」の場合、「妄想」の力が強く、状況に入り込むことを止めているため、そのような「妄想」が強固に維持されるのです。

このように「妄想」が維持されるのは、もう一つには、「被害者」同士で、ある程度「共有」か可能となっていることにもよります。「統合失調」では、「妄想」は、一人による、孤独な闘いの結果、紡ぎ出されたものであることが多いですが、「集団ストーカー被害」の場合は、少なくとも、一定の人たちの間で、同様の「妄想」を類型的に共有できているのです。それは、それを維持するのに、大きな力を発揮します。(ちなみに、「常識」というのは、さらに多くの者による「共有」を可能にすることで、堅強に保たれる「妄想」と言えるのですが、それについては次回にでも述べます。)

さらには、何と言っても、「集団ストーカー」という観念自体が、それを維持するのに、非常に巧妙にできているということがあげられます。それは、絶妙なタイミングでの通りすがりとか、仄めかし、嫌がらせなど、曖昧かつ暗示的で、はっきりとは捉え難い形での、間接的な行動で成り立っています。初めから、そのように意図されて、構成されているのです。それで、そのような攻撃が、実際にあるのかないのか、はっきりと白・黒つけられることはありません。だからこそ、いつまでも、、その観念が壊れることなく、生き続けられるのです。

多くの人にとっては、あまりにも曖昧で、それを信じるのは信じ難いと映るでしょうが、現に、状況に近づいて、漠然たる「違和感」を感じている「被害者」にとっては、むしろ、その方が、自分の陥っている状況を説明するのに、ピッタリくるのです。また、その曖昧さによって、多くの人が、共有できるものにもなっているのです。

そういうわけで、「集団ストーカー被害」という「妄想」は、「未知の状況」を間近にするからこそ、生じているのですが、それを強固に信じて、それに埋没している限り、「状況」に入ることを阻止し、「解体」を押し止めてくれるものなのです。だからこそ、外すことのできないものであり、周りの者にとっても、「統合失調」以上に「厄介」なものともなるのです。

そのような者に対して、「妄想」を無理やりにでも外して、状況に入ることを促し、「解体」の方向に進んでしまった方がよい、とは安易に言えないし、かと言って、その「不毛」で、「危なっかしい」状態を、ずっと維持するのがよいとも言えないでしょう。とりあえず、長い目でみて、いずれはこの「妄想」が、それほど問題を起こさずに、外されることを、見守るぐらいしか手はないのかもしれません。

※ 『「霊界の境域」を超える二方向性』の次の記事 『「分裂病的状況」の場合』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post-1072.html)と、その次の記事 『「分裂病」の分かりにくさ』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post-424f.html)では、「未知の状況」との関係での、「統合失調」という反応について、まとまった説明をしているので、是非こちらも参照ください。さらに、後者では、「妄想」に閉じこもることから、いかに脱却するかについても述べられ、それは「集団ストーカー被害」の場合にもあてはまることなので、是非参照してほしいと思います。

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