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2017年1月

2017年1月28日 (土)

「統失」・「集スト被害」と「解体型」・「妄想型」

「集団ストーカー」については、そろそろ述べるのを終わりにしようかとも言いました。が、「集団ストーカー被害」というものは、陥っている状況として、「統合失調」と明らかに共通するものがあるし、現代における新たな現われとしてみても、興味深いものがあります。また、逆に、それに注目することによって、「統合失調」を照らし出す面もあります。

基本的な事柄は、既に十分述べたと思いますが、「統合失調」を主たるテーマとするこのブログでは、今後も、新たな視点から捉えなおしたり、気づいたことを述べることは続けるつもりです。また、予定している、分かりやすくまとめるホームページにおいても、一つの重要なコンテンツとなるはずです。

「統合失調」と「集団ストーカー被害」では、陥っている状況に共通のものがあるわけですが、「集団ストーカー被害」では、「統合失調」ほど深く状況に入っているとは言えません。いわば、状況の周辺領域あるいは境界領域にとどまっているといえます。それで、「統合失調」のように、他の者に聞えない「声」を聞いたり、知覚つまり世界そのものが変容して、大きく混乱し、崩壊の危機を迎えるということはないようです。

(ただし、「テクノロジー犯罪被害」になると、もはや「声」を聞くということは起こっています。また、現代では、ネット情報などの拡散により、「統合失調」の人も「集団ストーカー被害」に引き寄せて、自分の体験を解釈するということが起こるので、両者は、必ずしも、明確に区別されるわけでなく、混合もあり得ます。)

しかし、「集団ストーカー被害」の大きな特徴は、一般には信じられないこと、可能性のほとんどないことであるにも拘わらず、その「被害」ということを強く確信して、疑わず、独特の論理で、周りにも、強く訴えてくることでしょう。つまり、いわゆる「妄想」ということに関っているのです。

「統合失調」の場合にも、「妄想」はもちろんありますし、「被害妄想」として、内容的には似通っていますが、「集団ストーカー」の場合とは、趣きが随分異なるのも事実です。

精神医学の方面でも、「統合失調」には、「解体型」と「妄想型」の区別があるという見方をするものがあります。あるいは、この両者は、別の症候群と解すべきという見方もあります。

私の場合は、典型的な「解体型」ですし、私が一般に「統合失調」という言い方で捉えているのも、多くはこの「解体型」になります

「解体型」にも、もちろん「妄想」は起こるのてすが、それは、何度も述べて来たように、現に解体に陥っている自我を、何とか防衛しようという「悪あがき」的な反応です。たとえ、それが表現されても、非常に危うく、壊れやすいもので、その「悪あがき」的な面は、いやでも外部にも現われてしまうのです。

私が、一連の状況に陥っているときには、新聞でも本でも、文字を読むということもできず、(当時はパソコンなどありませんでしたが)何が文字を書いたり、打ったりということも、全くできない状態でした。「解体型」においては、まさに、自我が「解体」の危機を迎えるので、思考もまともに働かず、それを「まとまり」をもって表現するなどということもあり得ないわけです。たとえ、そうしようとしても、他の者には、明らかに「支離滅裂」という印象を与えてしまいます。

だから、私が、「集団ストーカー被害者」について、信じ難いのは、現にその渦中にある中でも、一応「まとまり」をもった論理的な体裁で、自分の被害を訴えることができていることです。

「集団ストーカー被害」の場合は、普段でも、「監視されている」という不安や恐怖はあるでしょうが、それが最も現実化するのは、現に、ある人物などの「ストーカー行為」を受けている状況においてということになるでしょう。それで、普段においては、ある程度の「余裕」があることにもよると思われます。

それに対して、「統合失調」の場合の多く、あるいは特に私の場合は、部屋で一人でいても、「四六時中」「声」が聞え、その存在を間近に感じるという状況にあったので、普段においても、恐怖や混乱が継続的に止まないことになります。要するに、これは、「統合失調」の場合は、より深く「状況」に入っているということの現れといえます。

「統合失調」と「集団ストーカー被害」の場合の、このような違いは、「状況」においては共通していても、その「気質」または「性格」の違いから、その反応の仕方が違ってくるという見方もできます

「統合失調」では、いわゆる「分裂気質」という、自我の境界が薄く、対人関係にも弱いタイプが多いことになります。私は、「集団ストーカー被害」の場合にも、ある程度このことが当てはまるとみています。つまり、一般に言う、健全で安定的な「自我の強さ」というものを、身につけているわけではないと思います。しかし、違いは、「集団ストーカー被害」の場合は、いわば「日常的」に、「妄想」の力によって、それが補われ、いわゆる「分裂気質」的な、自我の弱さあるいは脆さは、感じさせないものになっているということです。それが、「解体型」のように、未知の「状況」に深く入りこんで、解体の危機を迎えることを防いでいるということです。

「解体型」でも、現に解体の危機にあるときには、必死に「妄想」を紡ごうとするのですが、いわばもはや「手遅れ」の感があり、「解体」の方向に押されて、それをうまく築くことができません。ところが、「集団ストーカー被害」の場合は、「状況」に入り込む前に、いわば日常的に鍛えられた、「妄想」の力によって、それに入りこむことを阻止できているということです。

「妄想の力」というと、誤解を受けがちですが、決して、一般に言うように、「事実でないことを信じること」ではありません。また、一般に受け取られがちな、「想像力が豊か」ということでもありません。

むしろ、「妄想の力」とは、想像力の豊かさとは反対に、想像力を排し、多くの可能性の中から、ある特定の解釈や見方だけを、主観的に強く信じ込んで、それが正しいと決めつける力であり、他の可能性を顧みないでいられるようにする力ということです。一言で言えば、「思い込み」の力であり、「決めつけ」の力です。そして、その特定の解釈や見方を疑わざる前提として、その周りに、もっともらしい論理を築き、一応とも、まとまりのあるものとして提示する力でもあります。

「もっともらしい論理」といっても、それは、厳密には、明らかに矛盾したり、論理の飛躍やすり替えが重ねられているもので、「論理」そのものの力が強いということではありません。しかし、「解体型」のように、「まともな論理」すら築けないのとは、大きく異なっています。それは、人を「加害者」として、糾弾するものなので、人から攻撃を受けやすいものではありますが、正面から、容易には崩されることのないものでしょう。だからこそ、それなりに、「自我」も安定していられるのです。「妄想」で防ごうとしても、「解体」が押しとどめられず、解体すればするほど、「状況」に深く入っていくことになる「解体型」とは、大きな違いです。

繰り返しますが、「統合失調」と「集団ストーカー被害」のこのような違いは、明確に区別できるというものではなく、両者には、混合もあります。あくまでも、一般的な傾向として、このような違いがみてとれるということです。

また、「集団ストーカー被害」を「妄想型」に当てはめるからといって、それが「統合失調」またはその他の「病気」だというのではありません。さらに、「集団ストーカー被害」ということが、あらゆる意味で、「事実に反する」と決めつけるのではありません。そもそも、「統合失調」からして、「病気」ということでは何ら理解できないというのが、私の立場であり、「統合失調」の「妄想」にしても、その解釈は、ある「事実」に基づいて生じているというのが私の立場です。それは、「集団ストーカー被害」についても全くあてはまります。

ただ、「集団ストーカー被害」の場合は、「統合失調」の場合にも増して、周りからは、「病気」だという非難ないし攻撃を、受けやすいことにはなるでしょう。それは、むしろ、明らかに「統合失調」的な「解体」を示さないからで、「妄想」を訴えかける力も強く、周りの者にとっては、「統合失調」の「解体型」の者以上に、「手ごわく」「脅威」に感じるからです。

全体として、この「集団ストーカー被害」は、今後も、「統合失調」の「解体型」の場合以上に、社会に強い軋轢を生みだすことになるでしょうし、その成り行きは、注目に値すると思います。

※ 5月2日

 記事『『恐怖を超えて』-捕食者的な「精霊」 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post-e453.html )を見てもらえば分かるように、本来の心を覆う「パラサイト」的な心は、「裁判官」(人を裁くこと)と「犠牲者」(自己を「被害者」に仕立て上げること)を構成することで、補強される。

「集団ストーカー被害」とは、まさにこの「パラサイト」的な心を補強する、「裁判官」と「犠牲者」で凝り固まっている状態といえる。そのような(少なくとも主観的には)「危機」的な状況において、そうすることで、何とか自己を崩壊させずに、保っているのである。

それに対して、「統合失調状況」では、そのような反応も当然起こりはするが、それは成功せず、「パラサイト」的な心も崩壊に向かい、それまで隅に追いやられていた、「未熟」な「本来の心」が、むき出しになろうとしている状態といえる。

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