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2016年12月10日 (土)

最近のコメントの掲載

最近の、私の2つのコメントは、重要なものと思うので、ここに再び掲げておきます。

○記事『ブログ記事の更新とコメントについて』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-22cd.html)より

門真の事件等、犯罪の背後に統合失調症が絡むとみられることが多いが、実際には、病気だから、あるいは幻聴等の影響によって、そのような行動を起こすのではなく、それにはそれ相応の理由があることについて述べたもの。

前のコメントで、「幻聴をもつから、犯罪的または逸脱的な行動を起こすのではなく、そのようなことになるには、様々な内的、外的な要素が絡み合う」と述べました。が、そのような行動をもたらす、強力な外的要素を2つあげておきます。いずれも、動機そのものは、もともとの統合失調状況によって生まれたかもしれないが、それを実行するについての抑制を外してしまう方向に作用するものです。

1つは、強力な「憑依」を受けた場合。継続的というより、一時的な場合が多いでしょうが、その瞬間、意識を眠らされるので、抑制が利かないことが起こります。周りには、人格が豹変したような印象を与えます。本人も、その間の記憶がないことが多いはずです。その行動は本人のものではないともいえますが、動機そのものは、本人がもったはずで、また、そのような憑依を呼び寄せるのは、本人の側に事由もあるので、責任がないとはいえないはずです。

2つは、精神薬によって、脳が酷く撹乱された場合。精神薬は、麻薬、覚醒剤と同様、脳の働きを撹乱し、抑制を外して、危険な行動を起こさせることがあります。最近の、危険ドラッグ絡みの事件にもみられたとおりです。この場合にも、動機そのものは、本人がもった可能性がありますが、実行するについては、精神薬による影響が強く働いた可能性があります。また、その強力な作用により、「心神喪失」に陥るということもあるでしょう。本人が、「病気」によって、「心神喪失」に陥ったのではなく、精神薬によって、「心神喪失」に陥らされたということです。

しかし、こういった行動は、一般に、「病気」そのものから起こされるとみなされて、疑われないのが問題です。「統合失調」そのものに、そのようなイメージがつきまとっているからです。統合失調者の行為が、「心神喪失」にあるということで、責任が問われないのも、そのような「危険な者」を、いわば犯罪者からすら隔離して、病院に収容するためです。そのような処置は、統合失調者は、人格がなく(崩壊していて)、何をするか分からないというイメージを、強めることになるだけです。

さらに、精神薬が厄介なのは、アルコールの場合と同様、1つ目の「憑依」をもたらす契機ともなることです。両者の影響が加重することになるのです。そして、この場合にも、そのような結果として起こったことは、「病気」によるものとみなされてしまうことになります。

このテーマについては、またいずれ、プログ記事か、ホームぺージにまとめるときに、もっと詳しくとりあげたいと思います。

○『「ふと見た」瞬間に遭遇する現象』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-4588.html)より

「集団ストーカー」について、まとめを兼ねて、本質をついた標語3部作を作ったので、掲げておきます。

1 「集団で 仄めかしする ストーカー 無理でなくとも 無意味です」
2 「集団で 仄めかしする ストーカー あるとみせれば しめたもの」
3 「集団で 仄めかしする ストーカー オバケの類で 演出し」

これは、『「集団ストーカー」という厄介な問題』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9e9f.html)以降の「集団ストーカー」に関する記事を読んでもらえば、真をついたものであることが、分かるはずのものなので、あえて解説はしていません。で、是非そうしてほしいのですが、3部作にしたこと、その順序にも理由があることには、簡単な説明をつけておいた方がいいでしょう。

1では、「集団ストーカーの被害者」と称する人たちが主張するような、特定の者の、「一挙手一投足」を徹底的に監視し、執拗なまでに「つきまとう」ような、「集団ストーカー」なるものは、人間の集団や組織による行いとしては、「あり得ない」ことを端的に示しています。「無理でなくとも」とは、実際には、「無理に限りなく近いが、たとえ無理とまではいえなくとも」ぐらいのニュアンスです。「無意味」である以前に、ほとんど「無理」なのです。何しろ、「人間による行為としては、あり得ない」のです。

しかし、2では、にも拘わらず、人間の集団や組織による、「集団ストーカー」なる行為があると思わせたい、一定の勢力があることを示しています。その勢力には、人間の支配層も含むが、人間を実質支配する存在も含みます。それによって、実際に、一定の人たちが、人間の集団による「集団ストーカー」を受けていると信じて、恐怖と混乱に陥ることになるからです。また、それがもとで、人と人の間に軋轢と確執を深めることができるからです。

しかし、「集団ストーカー」の「リアリティ」とは、単に、上のようなことだけで生じているわけではありません。「集団ストーカー」とは、自分に起こっていることに対する、一つの「解釈」ですが、その解釈にリアリティをもたせるような、「感覚」というものは、実際に生じているのです。

3では、そのような感覚は、人間ではなく、「オバケの類」が「演出」していることを明らかにしています。「オバケの類」という言い方は、多少、それに振り回されることの「滑稽さ」を強調していう狙いもありますが、要するに、低級な「自然霊」のことであり、昔「狐や狸に化かされる」といわれたときの「狐」や「狸」と同じことです。ただし、現代的には「宇宙人」も含みます。決して、侮れる存在ということではありません。

「演出」の方法は、多くありますが、要するに、それらの存在から、何らかの「示唆」や「攻撃」は実際に受けており、その何か攻撃めいたことを「受けている」という「感覚」は実際にあるということです。それが、「被害」を受けていること全般の基礎として作用しますが、問題は、それを人間の行動と「解釈」して、少しも疑わないことです。(人間を「使う」場合もありますが、その場合でも、背後で演出しているのは、やはりそれらの存在です。)

昔の人は、「狐や狸に化かされた」と気づいて、それ以上深みにハマらなかったのは、一種の「知恵」でした。現代人は、これらのことを「迷信」として捨て去ったつもりで、実際には、それにいいように振り回されるほど、「滑稽」なことになってしまったのです。

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コメント

以前ここに連投してたものですが
お久しぶりです。

境域に立つ
との本を既にご存知かもしれませんが
それによると、どうやら
精神病はマクロコスモス、あるいは
ミクロコスモスへの失敗した秘技参入のようです。

お久しぶりです。

『境域に立つ』という本のことは知りませんでしたが、精神病が、「秘儀参入」の失敗とみなせることは確かなことと思います。

ただ、全体として、「失敗」ではあっても、部分的にさまざまな「成長」を含み得るという面も重要な点と思います。

記事では、『「イニシエーション」と「垂直的方向」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-e8a1.html)、『「成人儀礼」としての分裂病』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5f1f.html)などに、このようなことが述べられています。

私の幻聴的状況になったとき、
おかしなことがありました。

警察署に入って
応対してくれた警察が
私の喋り方の真似をしたような
喋り方をして、しかもその時だけ
面識のない人で、
その次に携帯ショップに入っても
この時だけ新しい面識のない人が
やっていて、仕組まれていると
思いました。

このようなありえない
恐ろしい偶然は、
闇組織や政府暗部など巨大な悪が
存在すると思いたくなりますが
もしかしたらアーリマンの非常に
賢い策略で、
集団の運命を操作してきたのかもしれません。

私が初めて幻聴状態になったのは
イベントの疲れと人間関係の疲れが
たまったからだと思いますが、
そもそも精神病になる前からアーリマンが
私のカルマに介入してきた可能性があると思います。
そう思わないと、初めてその状態になったときに次々と生じたシンクロニシティの説明がつかないと思うので。

例えばその日の夜に限って、
客船の窓を開けると、偶然にも
幾つもある窓の中から私のいるところ
目掛けて車のサーチライトが照らしてました。

つまり、統合失調症は
そうなった日に限ってシンクロニシティが
起こりまくるので、どうしても仕組まれていると思いたくなるが、実際悪魔に仕組まれているという側面があり、私の想像だと、
カルマ的にはみんな仕組まれていて、
すなわちみんなカルマ的には特別扱いされているのだが、おそらく意識状態が変わると、
このカルマを意識する状態になるので
それが集団ストーカーとみなされるという
説。
そして、カルマは時にアーリマンやルシファーによって清算されるのではということです。

私は寝不足ガチな日に昼間、
私に関する悪口が聞こえてきたので
勇気を出して確認したら幻聴に過ぎませんでした。


よく分かりますし、それは私の考えとも近いものです。
非常に重要なことを指摘されていると思います。

「シンクロニシティ」は、自己の内界と外界が、もともと「共時的」に結びついているために起こることで、本来は、自分自身の「内界」で起こっていることにこそ注目すべき問題です。

ある状況下で、内界にあるものが特別に活性化されると、それに伴い、それと意味的に関連する出来事を、外界にも、同時に引き起こすことがあるということです。この「内界」とは、ユング風にいえば「普遍的無意識」ですが、のめーるさんのいうとおり、「カルマ」の渦巻く領域でもあり、さまざまな情動と結びついています。恐怖などの強い情動は、ますます内界を活性化させ、その恐怖することと関連する出来事を、ますます引き寄せることにもなります。

普段意識されない、そのような領域が活性化され、外界を巻き込むようにして、特別に意識に浮上するので、「シンクロニシティ」には、さまさまな感情的な囚われを生じやすいのです。だから、起こっている「外界」の出来事に振り回されず、自分の「内界」で起こっていることに注目し直すことが重要です。

しかし、「シンクロニシティ」には、さまざまの霊的または高次元的「存在」によって、「演出」された(まさに「仕組まれた」)ものも多いと思います。このような存在は、我々の「内界」と強く結びついているので、「内界」の活性化に絡んで、このような現象を演出しやすいのです。

「シンクロニシティの演出」には、さまざまな場合があり、「天使的」なものや、どうでもよいような取るに足りないものもありますが、否定的なというか、恐怖をもよおすようなものは、確かにアーリマンまたは捕食者的な精霊が「演出」している可能性が高いと思います。高次元的な存在にとっては、「時間」の性質が、この3次元的な領域とは異なるし、人間の心が簡単に読め、操作できるので、そういった「演出」は、簡単なことなのです。さらに、重要なことは、人を操作して、「現実の他人」を巻き込むような形での「演出」も、可能ということです。そこには、「カルマ」的な関わりもあり得ますが
、単に、人と人の間に、不和と軋轢を生み出そうとする戦略に過ぎないこともあるのです。

たから、重要なことは、「みかけ」に騙されて、その現実の他人そのものが「悪意」をもって攻撃を仕掛けているとか、「組織」の一員として仕掛けてきているなどとは思わないことです。「統合失調」の場合も、そう受け取ってしまうことは多いし、「集団ストーカー被害」の場合は、そういう観念が既に「できあがっている」ので、もはやそう解釈してしまうように、誘導されています。

ただ、のめーるさんも、その人間の発すると思えた「声」が「幻聴」であることを経験されているし、あるいは「見て」いたものも「幻覚」である可能性があるわけですが、「統合失調」の場合は、そのように、(内界の)より深い領域で、直接的な形で、アーリマンや捕食者的な精霊の影響を被りやすい状況にあるといえます。それで、混乱も深まり、「解体」または「崩壊」も起こりやすいわけですが、「集団ストーカー被害」の場合は、そこまでいかず、その点はかなり異なるようです。

しかし、共通する要素が多いのは、明らかなことと思います。

「…私に関する悪口が聞こえてきたので
勇気を出して確認したら幻聴に過ぎませんでした。」

直接確かめられるかどうかは、状況にもよるでしょうが、この「確認する」ということが重要です。それで、「声」が、その者自身の発する「物理的な声」でないことが確かめられたので、その人間そのものの悪意ある行為や仕掛けでないことも、確かめられたわけです。

この点は、むしろ「統合失調」の方が、そのような「深み」に陥っている、(のめーるさんのいう、「意識状態が変わって」いる)分、(しっかりと見極めるようにできさえすれば)さまざまに、認識を修正できる材料も多いといえるのです。

「集団ストーカー被害」の場合は、そもそも「霊的な領域」についての認識が欠けているし、起こっていることの「みかけ」に振り回されて、外界のことばかりに意識が行き、それを修正できないということになりやすいと思います。

コメントつながりで、恐縮ですけど、のーめるさんみたいな経験は、あります。私は、シュタイナーの説より、エーテル界の境目?が破壊されて、影響していると思います。核の影響かなと思っています。のーみるさんは、まともと思いますよ。それが、他人にわからないために、精神が異常をきたしていると思い込むのをやめた方がいいです。思考を気づかないだけであて、悪意は、みちあふれています。

「エーテル界の境目?が破壊されて、影響している」

「エーテル界の境目」は、「エーテル体の境目」ですよね?。それは本当にあると思います。エーテル体の境目が破壊されて、外界のエーテル界のものが流入したり、自己のエーテル体の内部のものが外界に漏れ出やすくなり、霊的なレベルで、自己と外界の境界が曖昧になるということです。それは、結局、自我そのものの境界の破壊に結びつきます。私も記事で述べているし、シュタイナー自身も似たことを言っていたと思います。

「核」=「放射能」の影響というのも、確かにあると思います。

「霊界の境域」に入って、エーテル体の境目が破壊する場合、自然なプロセスで、復元することは可能ですが、「放射能」の影響による場合は、容易には修復できないでしょう。これも、放射能の隠れた問題というべきで、最近は、このような場合も増えているとみられます。

また、「エーテル体の境目の破壊」ではないですが、シュタイナーは、アルコールや麻薬などの薬物によって、エーテル体が肉体からずらされて、さまざさまな霊的障害が起きやすくなることを述べています。霊視などの幻覚を見たり、憑依されやすくなるなどのことです。実質、麻薬と異ならない精神薬も、このような現象を招きやすくなるという問題があります。

あ、さん

一応統合失調症と診断は
されてしまいました。

境域に立つという本では
エーテル体への参入についても
書かれてあったと思います。

精神病は、
ミクロコスモスへの参入、
マクロコスモスへの参入と
関係あるようです。

構成要素の相互関係が
いろいろな人間学の根本かもしれない。


例えば細かい性格の人や、
強迫症的人間は、
もしかしたらエーテル体に
心魂が入り込み過ぎているからかも
しれないなどと想像しました。

エーテル界←→元素界←→物質世界
物質世界の背後に至る、元素界の影響を統合失調症と定義されると思われるが、
感覚界の認識で判断するから、病気と定義しているのだろう。
あれこれ、理論的に述べたからと言って、現状が更生しないのなら、
薬で治療するのも、私は、別にそれでもいいのだと思う。
私の推測だと、エーテル界(エーテル体の霊的障害もひとつ)、
の破壊の影響により、元素界のエネルギーが
物質世界に影響を及ぼしたと判断している。
シュタイナーは、あくまでも、”当時の世界観”により、発言したのであって、
シュタイナーの世界観は、”現在の世界観”と当てはまらないと私は思う。
高次アストラル界圏内の音を認識することまで、
現在の進化段階の感覚界の背後を認識するものにとって、
正常な思考認識に及ばないと思っている。
統合失調症を、仮に、病気と定義するなら、
対人関係の妄想的発言(健全の人間にとって)を繰り返すことで、
*つまり、初期の、のめーる氏のコメントをある意味では、私は、
 病気の改善として、寛容することが医療として、認めるべきである。
統合失調症を、対話関係にすることが、
医療の優先事項としてあげられる。
分裂病とは、感情、思考の統御に挙げるのなら、
文章に書きだし、客観的に判断するように、
思考の概念の把握、位置関係を正しく整列することにあると、私は思う。
狂気と定義するなら、それは、創造行為における、負の側面でしかない。
正、負も、エネルギーの作用でしかないのだが、
創造行為におけるエネルギーなのだ。
話は、ずれたが、高次アストラル界圏内の音を認識するには、
音を訓練するしかないだろう。
初期の、大本教の霊的指導者は、認識することを狙ってたのだろうが、
出口王仁三郎氏のカリスマ的存在のみ、存在を浴びたが、
彼の霊的指導の目的を把握できなかったのではないかと、私は思う。
神界になると、詩で、言葉を伝えてくるのだが、
霊界物語の記述の概念も、そこにある。
私も、のめーる氏の体験は、あるので、
改善したと思われるのが、論理的な説明は上げられるのだが、
まあ、・・・、細かいことよりかは、
マンダラ型の瞑想(空海の指導体制)があってるかもしれない。
まあ、あれこれ、書きましたが、なんかのヒントになるのなら、
私の書いたことも意味はあるでしょう。
また、私自身の、思考の概念の把握、位置関係を正しく整列することでもあります。
私の書いている、意味が理解できたら嬉しいです。

大枠としてですが、言わんとすることは理解できるし、私が記事で述べていることとも、さほど違わないと思います。

「エーテル界」の境目の破壊とは、「エーテル体」という人間または生命体の内部に限定したものではなく、外界も含めた全体としての「エーテル界」の境目の破壊ということなのですね。それも、「放射能」に限らず、さまざまな原因で、あることだと思うし、人間の「エーテル体」に影響するのは当然のことです。また、むしろ、「進化」的な意味合いでですが、たとえば「日月神示」などでも、「半霊半物質化」するという言い方で、今後このような境界の破壊が進むことを、述べていますね。

のめーるさんの状態については、既に改善しているとの印象は私もずっと受けていましたが、これについては、コメントだけから安易に判断すべきことではないし、のめーるさん自身も、これまでの精神医療との関わりの中で、いろいろと考えていることだと思うので、周りでとやかく言うことでもないと思っています。


感覚的生活、感覚的行為の理念とは
エーテル体に思います。
風水など、生活の意義とは自分の領域に流れてきた
エーテル存在を清めることにあるのではと

哲学は、思考の制御がテーマに思います。
全体性と道徳原則(創造原理)から生活を出発させる。

音での不思議な現象は全く関係ないものどうしが
規則的な同じリズムの音を鳴らすことがあったことです

曼荼羅を幻視したときは
どうじに荘厳な念仏の合唱が聞こえてきました

音の認識は対象に語らせて自分の意見を無にするといいらしいと
おぼえています

のめーるさん、また連続投稿が始まりそうな状況なので、掲載を留保させてもらいました。

のめーるさんが自分で開設したブログで投稿する限り、私は何もとやかく言いませんので、それを強くお勧めします。

「あ」なる人物から、以前のコメントの流れも読まず、これまでのいきさつも理解せずに、私がのめーる氏を「阻害した」と非難し、私やのめーる氏の「欠点」をあげつらうコメントがありましたが、前のコメントの内容と同様、独りよがりの独善的なもので、受け入れる余地はないので、今後この者のコメントは受けつけないこととします。

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