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2016年9月17日 (土)

「ふと見た」瞬間に遭遇する現象

「被害者」と称する人たちを除いては、「集団ストーカー」と「統合失調」に、共通の要素があることは、一目瞭然のことと思う。ただし、多くの人は、「統合失調」が「病気」であるという一般的な理解に引きずられて、「集団ストーカー」も「病気」という視点からみてしまいやすい。が、私は、「病気」という視点からは、何も明らかにならないことを強調し、実質的に、両者に共通する要素を、明らかにしてきたつもりである。(そのうえで、両者の違いについても明らかにしている。)

「集団ストーカー」に関する記事は、この辺で終わりにしようと思っているが、「集団ストーカー」の観念の元となる、感覚にまつわる現象として、もう一つ重要なことを指摘しておきたいので、それを述べることにする。

私は本当によくあるのだが、一つの現象として、なぜか気になって時計を「ふと見る」と、「2時22分」とか、「3時33分」とか、時間が「ゾロ目」であった、ということがよく起こる。もちろん、偶然である可能性はあるが、「ふと見た」ときに、他の時間であることに比べて、偶然以上に頻繁に起こるとしか思えない。

「ゾロ目」の時間というのは、他の時間に比べて、印象に残りやすいので、そればかりがことさら記憶され、他と比べて、頻繁であるような錯覚を起こしているだけ、という可能性もある。しかし、それを差し引いても、やはり、偶然以上に頻繁に起こるとしか思えないのである。

これと似たこととして、外を歩いているときなど、ふと気になって、目を向けると、ちょうど、相手もまさにこちらを向こうとして、目を向けるところで、タイミングよく、ピタリと目が合ってしまうということが起こる。これには、多少の驚きと、圧迫感が伴うので、お互いに、「なんだお前!」的な目つきになって、相手を見てしまい易い。つまり、下手をすれば、相手が「悪意」をもって、自分をみつめていると解釈して、険悪なムードになってしまうこともあり得る。

このように、「ふと見る」というときには、何か、偶然とは思えない、印象に残る現象が起こっていることが多いのである。

恐らく、「集団ストーカー」の被害を訴える人にも、これに類することが、かなり頻繁に起こっているものと解される。その「ふと見た」瞬間に出会っている人なり、車なりが、ちょっと変わった態度なり、状態(まさに「ゾロ目ナンバー」であることも多いだろう)なので、強く印象づけられ、圧迫感を感じ、自分に対して、何らかの「悪意」をもっているように感じられることも多いのである。

もっとも、普通は、こういうことは、ほとんど気にも止めないものだが、特に過敏な感覚と、受け取り方をしてしまうため、こういったことが、普通以上に強く印象づけられ、それに、ことさら捕らえらてしまうという人たちもいる。

こういう人たちが、被害妄想的になっているときに、「集団ストーカー」という観念に出会うと、それらの現象が、見事に、これに当てはまると思ってしまい易いのである。こういったことも、「集団ストーカー」の観念に捕らえられる、一つの大きな理由になっていると思われるのである。

「ふと見る」瞬間に、偶然とは思えない現象が起こり易い、というのには、いくつかの理由が考えられる

まず、人には、「周辺視野」というものがあり、実は、意識的に「見る」ということが起こる前に、無意識レベルで、それを「見ていた」という可能性がある。つまり、意識レベルでは、何とはなしに、「ふと見る」という感覚で、始めて見るつもりだったとしても、実は、無意識レベルでは、既にそれを「見て」いて、それに何らかの印象を感じていた可能性がある。だからこそ、意識レベルにおいて、「ふと見よう」という気を起こさせたのである。

「ゾロ目」にしても、人との遭遇にしても、実は、無意識レベルで既に「見て」いて、何がしか印象づけられたからこそ、意識が反応して「ふと見た」のだが、意識レベルでは、「ふと見た」瞬間に、まさに、それが起こったように感じられる。それで、それが、偶然ではなく、その瞬間に、特別に起こった現象と感じられてしまうのである。そして、驚きや、恐怖を感じてしまうことにもなる。まず第一に、こういうことが考えられる。

しかし、無意識の感受性というのは、「周辺視野」により、実際に「見て」いたものについてだけ、生じるというものではない。特別に敏感な感覚を持っていたり、恐怖のため、催眠に似た、変性した意識状態にあったりした場合などには、なおさら感受性が高まって、そういうことが起こる。

つまり、無意識レベルでは、周りの世界のことについて、実際に「見て」いなくとも(「見る」という可能性がない場合でも)、「予感」として感じたり、物理的な感覚とは別の次元で、感覚していたりすることが、あり得るのである。そのときの印象が、先の場合と同様に、意識レベルで、「ふと見る」という気を起こさせ、その瞬間に、その現象が起こったように思わせる。そして、この場合には、ある程度の予測がつく、「周辺視野」で見ていた場合以上に、「奇妙」なことと感じられ、強烈な印象を残すことになる。まさに、信じ難い「タイミング」で、偶然とは考えられないことが、起こっていると感じさせるのである。それは、より強い驚きと、恐れをもたらし、ますます、そこに、「悪意」のようなものをみてしまうことになる。

この、「集団ストーカー」の被害者がよく言う、「よいタイミング」については、実際には、記事『「恐怖心」が引き寄せる現象』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e6b5.html)でも述べたように、単なる主観的な「錯覚」であることがほとんどだと思う。そのような「タイミング」というのが、他の場合に比して、本当に「頻繁」に起こっている訳ではないということである。「集団ストーカー」という疑いをもって、恐怖のもとに、周りの世界を見ているので、「視野狭窄」に陥り、そのようなものにしか目が行かなくなる。その結果、それが、頻繁に起こっているような感覚に、陥ってしまうのである。

ところが、中には、本当に「偶然ではない」と感じるだけの理由がある場合もある。その理由の一つとして、上にあげたような場合(これも一種の錯覚といえるが)がある、ということである。

「偶然ではない」と感じる理由の中で、最も強力なのは、先の記事でも述べたように、自分自身が、共時的に現象を引き寄せているという場合である。しかし、それは、自分の中の、本当に深いところで、強力に「集団ストーカー」の観念と恐怖に捕えられている場合に、起こることであり、一般には、そう頻繁に起こることではない。

しかし、そこまでいかなくとも、ここで述べたようなことは、割とよく起こることなので、注意が必要ということである。

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コメント

「集団ストーカー」について、まとめを兼ねて、本質をついた標語3部作を作ったので、掲げておきます。

1 「集団で 仄めかしする ストーカー 無理でなくとも 無意味です」
2 「集団で 仄めかしする ストーカー あるとみせれば しめたもの」
3 「集団で 仄めかしする ストーカー オバケの類で 演出し」

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