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2016年8月18日 (木)

「集団ストーカー」という観念自体が引き寄せる現象

私の「集団ストーカー」に関する記事で、最も重要な記事は、『「恐怖心」が引き寄せる現象』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e6b5.html)
だと思うのだが、タイトルに「集団ストーカー」が含まれていないこと、主に「統合失調」の場合を想定して述べたこともあり、あまり読まれていないようだ。

要は、ある強い疑いをもって、「集団ストーカー」なるものがあると思ってしまった段階で、もはや「現実」は、その方向に引き寄せられて、「解釈」されるようになる。さらに進めば、それだけでなく、実際に、その方向に沿うような「現実」を「引き寄せ」、「作り出し」てしまうことにもなる、ということである。

「恐怖心」が「引き寄せる」としたが、必ずしも、そのような恐怖心は本人が意識するものではなく、潜在的なものでも、十分である。さらには、「集団ストーカー」の場合には、その観念が、かなり具体的なものとして練り上げられているので、その観念を信じること自体が、もはや十分「現実」を引き寄せるだけの「力」を持ち得るのである。

現実を「作り出す力」としては、「感情」も強力だが、具体的に練りこまれた「思考」や「信念」も、十分強力なものだからである。もちろん、両者が補え合えば、さらに強力なものになる。

もちろん、そこには、「捕食者的な精霊」や「宇宙人」などの、「力添え」もあるのだが、その大元にあるのは、自分自身の「物の見方」と「恐怖という感情」であることに、気づかねばならない。

他にもそのようなものは多くあるが、「集団ストーカー」という観念自体が、「現実」を「引き寄せ」、さらには「作り出す」、一つの強力な「装置」なのである。それは、感染症におけるウイルスのように、自己増殖し、拡散し、遂には、多くの者の「日常世界」を、病的に侵すことになる。

感染症を広めて、物理的に、恐怖と混乱を引き起こしたい場合には、新種のウイルスを開発して、まき散らせばよい。同じように、精神的なレベルで、多くの者に、恐怖と混乱をもたらしたい場合には、それなりに練り上げられた、「集団ストーカー」なる観念を、まき散らし、それを信じ込ませることさえできればいいのである。

一旦、その観念を信じ込ませることにさえ成功すれは、あとは、その者が、自ら、それに沿う形の「現実」を「引き寄せ」、「作り出し」て、大騒ぎしてくれる。ますます、その観念は、「力」を増して、増殖し、拡散して、多くの者を捕えるようになる。

これが、いきつくところまでいきつけば、人間がお互い同士、相手を「集団ストーカーの加害者」とみなして、反目しあい、糾弾し合うようになる。その光景は、既に歴史的には、馴染みのあるもののはずである。まさに、「魔女狩り」の沸騰の再現ということである。

「集団ストーカー」という観念と、「魔女」という観念は、人々の思考を惑わし、実体のはっきりしない恐れをとどめなく膨らませる、同じような構造をなしている。ただ、具体的な「行為」で恐れさせる「魔女」に対して、「集団」という「権力」を背景に、仄めかし、監視、嫌がらせという、間接的な行為で、じわじわと攻め立てる「集団ストーカー」は、いかにも、現代的に、陰湿なもので仕立てられている。

「集団ストーカー」という観念に捕えられないためには、もちろん、「自己」そのものと、現実的な思考力を鍛えることも必要だが、「集団ストーカー」という観念の、このような性質について、十分に考えを巡らせてみることも必要である。

※ 最近、私が記事でとりあげている、「量子力学の観測問題」とか、「物質と意識の関係」とか、「ホログラフィック・パラダイム」とかの問題は、こういった問題とかけ離れた、「非日常的」で、「抽象的」な問題と思っている人がいるかもしれない。

しかし、これらの問題は、「量子力学」やそこから発展した「パラダイム」も、もはや「現実」というものが、「意識」と無関係に存在し得るものではないことを明らかにしているのである。つまり、結局は、「意識」が「現実」というものを、どのように「引き出し」、さらには「創造」するかという問題なのである。それは、「集団ストーカーという観念が引き寄せる現実」という問題とも、十分通じている。

次回は、このことを、「知覚」=「現実」という問題との絡みで、少し分かりやすく、説明してみたい。さらには、「物質と意識の関係」について、総まとめをして、とりあえず、この問題からは離れることにしたい。

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コメント

こんにちは。サイトを拝見させていただいている、一ユーザーです。

ティエムさんの文体について、全体的に「かぎかっこ」の使用頻度があまりにも高すぎて、私にはどの文章も読みづらく思えます。
ここまで多いと、書き手がどの語彙に対して、力点や強調や含みなどを込めようとしているのか、読み手は文章を読み下しながら、瞬時に判別することができません。

私自身の、単なる個人的な文体の好みかもしれませんが、執筆の際にご一考していただけると、文章がさらに読みやすくなると思います。

「  」の使用については、記事『「 」について』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-2b2a.html)で簡単に説明していますので、参照下さい。強調以外にも、さまざまな意味で使っていますので、考慮して読んでもらえるとあり難いです。ただ、多少癖のようになって、あまり意味もなく使用している場合も、あるかもしれません。それに気づいたときは、今後、なるべく、つけないようにしたいと思います。

こんばんは。

確かに、喩えば311は作為的なものだった(人工地震や津波など)と言葉巧みに言われれば、もしかしてそうカモと思わされてしまう人もいるような気がします。逆に、言葉巧みに、311は自然発生的なものですよ、「なぜならば~~」なんて諭されたらやっぱりそうだよねと思ってしまい、真相が藪の中となりかねません。要は口先の問題なのか?……。だがしかし、たとえば、とある個人店の店主が、同業他社から嫌がらせをされている(頼んでもいない寿司を注文された、動物の轢死体を複数人の人間がその店主の店先に棄てている防犯カメラ映像があるw)とツイッターで告白した場合、見た人ははたしてどう思うのだろうか??。ネット上の、明らかに自作自演っぽい集スト被害記録は無視するとして。…そんな事を考えました。

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