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2016年5月 4日 (水)

「自己と他者の境界の希薄さ」の現れ

前回の記事のコメントで、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」の被害者という人たちの、「自己の希薄さ」ということを述べた。これは、言い換えれば、「自己と他者の境界が曖昧で希薄」ということでもある。「自他の境界が希薄」なので、他と区別される形での、自己というしっかりした基盤が、築かれにくいのである。あるいは、逆に、「自己という基盤が希薄」なので、「自他の境界が希薄」になりやすいということもできる。

いずれにしても、このような性質は、「統合失調」の場合の「分裂気質」とも重なるものだし、「発達障害」といわれる性向とも重なる面がある。

記事『「つつぬけ」「さとられ」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post-a694.html)や『「さとられ」と「CIA」』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-bedd.html)で述べたように、「統合失調状況」での、「思考が盗まれる」とか、「周りに漏れている」という感覚は、まさに、「自他の境界が希薄」になることから生じている。自己の内部にあるはずの思考が、周りに拡散するような感覚を、実際に生じるのである。「思考が盗まれる」というのには、その漏れ出た思考に関わることを言ってくる他者の「声」を、実際に聞くということが、影響していることもある。が、その「解釈」のもととなる直接の感覚は、そのような「思考が漏れ出る」というリアルな感覚なのである。

これは、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」の、「思考盗聴」という発想の場合にも、まったく当てはまることである。

つまり、「自己と他者の境界が希薄」という性質は、この現象が起こることそのものにも、大きく影響しているのである。

しかし、彼らの、この「自己と他者の境界の希薄さ」は、その他の面にも、いろいろと形を変えて、現れていることに気づかされる。

たとえば、「集団ストーカー」にしても「テクノロジー犯罪」にしても、自分の考えをしっかりもつというよりは、他人に依存しやすく、他人の言っていることを、無批判に信じてしまいやすいということも、その一つである。ネット上にある被害者のサイトなども、どれも似通っていて、互いに、無批判に取り入れ合い、依存し合っているのが分かる。実際に、互いに似た状況にあるからという面はあるが、これはかなりはっきり目につくことである。

「集団ストーカー」を信じるという状況では、他人に対して、「疑心暗鬼」になるということはもちろん起こる。しかし、それは、もともとそうであるというよりは、他人を信じやすいことが基礎にあって、それが裏切られるなどのときに、その反動として生じているという面が大きいのである。

また、「自分の感じたり、思っていることは、他人も同じように感じたり、思ったりしている」と、割と簡単に信じ込んでしまうということもある。それで、自分に生じている感覚やそれをもとにする思考(解釈)は、他人にも同じように生じているものと、簡単に思ってしまいやすいのである。

「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という発想のもとになる感覚は、日常性に照らせば、「おかしい」ものであることは、彼らにも一目瞭然なのである。しかし、その「おかしい」(一般的に起こり難い)ことへの疑いが、あまり強まらず、自分に起こっている限り、他人にも、同じように起こっている、または起こり得るもの、という風に思ってしまいやすい。つまり、それが、自分にだけ生じている感覚(幻覚)だとか、自分だけが思っている解釈(妄想)、という疑いには、あまり結びつかないのである。「自己と他者の境界が希薄」なので、自己と他人との違いとか、壁を意識することが少ないのだといえる。

被害者のネット上での主張も、一般には、受けい難いことが明らかなものなのに、まるで、それを理解してもらえることは難しいことではなく、割と容易に他人にも通じるはずのことと思っていることが窺われる。

このように、「自己と他者の境界が希薄」というのは、ある意味純粋で、疑いを知らないということなのである。必ずしも、人に劣るとか、マイナスであるということなのではない。

逆に言えば、一般の、「自己と他者の境界が明確」であるとは、他人というものに、「健全」な、というより、現代ではむしろ、かなり「過度の」疑いをもつということを、当然のように含み込んでいる。そのような「疑い」を前提として、他人との区別や距離が生まれているのである。ただ、それは、日常的に身につけられたあり方なので、特に、それが必要以上に「強化」されるということもない。

たとえば、他人に、多少攻撃めいた挙動をとられたり、言いかけられたりしても、そんなことは、想定の範囲なので、特に気にもせず、受け流すということも普通に起こる。ところが、被害者という人たちにおいては、それが非常に大きなことと受け取られ、動揺し、反動として、「疑い」と「恐怖」も強まるのである。

現代の社会は、明らかに、このように、「自己と他者の境界を明確」にし、他人と距離を取っていないと、やっていけないような社会になっている。だから、そこに適応して、あるいは、少なくとも折り合いをつけて、生きて行こうとする限り、彼らのそのような性質は、修正することが必要になるはずだ、ということなのである。

あるいは、シュタイナーも言うように、彼らが、そのような非日常的状況で、意図せずとも入ってしまう、「霊界の境域」では、「自己と他者の境界」が希薄になることは、自然に起こることである。だから、もともとそのような性質を抱えている者にとっては、余計に、混乱を拡大させることになる。

恐らく、「統合失調」にしても、「集団ストーカー」「テクノロジー犯罪」にしても、「自己と他者の境界が希薄」なのは、もともとの性質という面と、「霊界の境域」に入っているために起こるものとの、両面がある。それで、そのような状況でも、自己を保って混乱を生じないためには、「自己」というものを、予め強化しておくことが必要なのである。シュタイナーがいう「霊界参入」のための修行というのには、そのようなことが、かなり重視されている。

いずれにしても、そのような性質は、自分で自分がそうであるという自覚を持つことがない限り、修正する機会も生じない。ところが、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」の被害者という人たちは、そのように自分を規定すること自体が、希薄な自己を補う、強力な「アイデンティティ」になっている。それで、それを外すことがない限り、自分の性質を自覚する余他も、その修正に向う余地も生じようがないのである。

私は、たとえ、先天的な気質という面があっても、自分で自分の性質を本当に自覚することさえできれば、その修正は十分可能と考える。これを、「病気」などというのは、こういった修正を、ますます難しくするだけである。

「自己と他者の境界の希薄さ」を自覚するとは、自分がいかに、「自己と他者との違い」を意識し、それを前提として、「自分」というものを築いたり、「他者」の視点からみることをして来なかったかということである。それに気づくには、「自己と他者の違い」ということを、強力に知らしめるような、強烈な体験が必要ともなる。

そして、それには、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という自分の見方が、いかに他者の一般的な見方と大きく齟齬するものであるか。また、自分にとっては、強力に「リアリティ」ある感覚でも、他人には、まったく感じられないことがあるということ、などを如実に知ることが、十分その契機となり得る。

つまり、「集団ストーカー」や「テクノロジー犯罪」という発想をもってしまったこと自体が、その修正の機会と十分なり得るということである

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コメント

「自己と他者の境界の稀薄さ」で思い出したのが、自分が叔母の運転する車に乗っている時に、よく「轢き~~すぞ?」「どけよ~~」などと、特に歩行者に対し暴言めいたことを毒づいていました。あと、自分がよく行くコンビニ(デ○リー)で、ある時店員が、自分に聞こえる距離で「食生活変わらないよね!」と隣の店員と井戸端会議をしていました。→他に客がいなかったものだから、一瞬自分の食生活を〈思考盗聴〉して仄めかしているのかと思ったものですww)。


テクノロジー犯罪に関係するか分かりませんが、鼠撃退装置的なもの、改造された高出力のレーザーポインター的なものが悪用されている可能性もあるのでは?(昔プロサッカーの試合でレーザーポインタでの妨害行為がありました)。ある程度の知識や頭脳があれば、改造して悪用……なんてこともありうるのではないでしょうか(レーザーポインタについては自分も学生時、イジメ集団がイジメ被害者に照射しているのを見た事があります)。

まさに、コメント主自体が、「自己と他者の境界が希薄」であるために、そのような発想をしているのが、よく分かる内容の投稿です。「自分」というものと切り離して、起こっている現象をとらえることができないということです。まるで、「自分」の視点以外の「視点」などは、この世に存在しないかのようです。問題は、そのことについての自覚があまりになさすぎることで、そうするつもりも一かけらもないのが分かります。

既に、この件についての私の考えは、これまでのコメントへの応答で、つきてますし、その私の考えについては、まったく考慮する気がないことが分かりますので、これ以上、私のブログに対して、コメントをつける意味はないと考えます。

ですので、今後この件についてコメントをつけてきた場合には、削除することとしますので、そのつもりでいて下さい。

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