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2015年11月

2015年11月16日 (月)

「子どもが親を選ぶ」ということ

「子どもが親を選んで生まれてくる」ということは、ネット上でもかなり反響を呼んでいるようだ。

しかし、現段階で、はっきりと言えることは、「親を選んで生まれてきた」と「語る」子どもが、かなりの程度いる、ということだけである。誰もが、「親を選んで生まれてくる」かのように、安易に一般化することはできない

実際、『子どもは親を選んで生まれてくる』でも、「流されるように生まれてしまって、すぐ帰ってくる」子どももいるということが、語られている。また、「中間世」では、近くに「神さま」がいて、「親を選ぶ」にしても、「神さま」のアドバイスを受けて、生まれてくるということが語られる。あるいは、本人が「生まれる」ことに躊躇していると、後ろから「早く行け」と、蹴られるようにして、「この世」に生まれ落ちていく子どももあるという。

このように、明らかに、子どもが、「親を選んで生まれてくる」とは、言いにくい場合もあるのである。「霊的な世界」においても、「選択」ということが、そう主体的になされるというものではない。

最後の例なんかは、まさに、「押すなよ!絶対押すなよ!」と言いつつ、ある意味「望んだとおり」、後ろから押されて、「この世」という「熱湯風呂」に、落ちてしまったことを意味するかのようである。また、上から見ていて、誰かを「助けたい」という思いを生じ、何人かで、「俺が(子どもとして)生まれるよ」、「いや俺が生まれるよ」、「…じゃあ、俺が生まれるよ」、「(皆で)どうぞ、どうぞ!」てなことで、「生まれる」ハメになることもあるのかもしれない。

とはいえ、かなりの子どもが、上から見ていて、「優しそう」だからとか、「自分の目的に適いそう」だからという理由で、はっきり、「親を選んで生まれてきた」と「語る」というのは、確かなことのようである。しかし、これも、生まれる直前の、「中間世」における意識においては、そうであるということに過ぎない。「前世」も含めた、よりトータルな意識からみると、どういうことになるのかは、不明なのである。

「中間世」の段階では、自分で主体的に「選んだ」つもりでも、実際には、「前世」の「カルマ」または「縁」に突き動かされて、そうなってしまったということなのかもしれない。また、「神さま」のアドバイスというのも、そういうことを考慮して、なされているのかもしれない。こうなると、単純に、「選んだ」という言い方ができるかは、疑問である。

物議を醸し出すのは、子どもが虐待されるような場合にも、子どもが親を選んでいるのかということだが、本では、その場合も、そうなることを予想しつつ、あえて選ぶのだということが語られている。それは、子どもが、親に「虐待はいけないこと」と気づかせるため、つまり、親を成長させるためなのだという。たとえ、殺される場合でも、何度も、それに気づかせるために、そうするのだと語られるものもある。

「中間世」の段階では、「この世」的な「現実」感覚は、かなり薄れてしまっているだろうから、理想や衝動にかられて、こういう「選択」がなされることも、かなりあるのかもしれない。

しかし、これも微妙な問題で、虐待される子どもが皆そうであると、一般化することはできない。また、先にみたように、その時点では、「選んでいる」つもりでも、実際には、「神さま」の意向だったり、前世のカルマや縁に突き動かされたものだったりすることも、あるはずである。

何しろ、虐待される子どもは、親を自分で「選んでいる」のだから、虐待されても、甘んじて受け入れるべきだとか、親から離れてはならない、などとということにはならない。たとえ、実際に、「選んでいる」という面があるにしても、そうである。

もし、「自分で選んだ」ことは、解消してはならないのだったら、「この世」でも、自分で選んだ異性や、結婚相手との関係を、解消してはならないことになるはずである。また、自分で選んだ会社なら、上司に何をされても、辞めてはならないことになるはずである。

「子どもが親を選んで生まれてくる」ということは、一般化するのではなく、あくまで、自分が、自分の人生をみつめるために、そのような可能性を考えるとか、自分の子どもが、そのようにして生まれてきた可能性があるということで、責任や自覚を高めるために、考慮すればいいのである

中には、障害をもって生まれてきた子どもの、親に向って、「親を選んで生まれてきたのですよ」などと、声をかける人もいるそうだ。本人は、慰めか、褒め言葉的な意味で言っているつもりなのだろうが、何とも、安易で、「大きなお世話」な話である。

2015年11月 5日 (木)

『輪廻転生-私をつなぐ生まれ変わりの物語』他

前に、「輪廻転生」ということと、死を越えて存続する、「自己」または「魂」との関係について、基本的な見方や問題点をまとめておきたい、と言っていた。

今回は、それに関して、参照するのに、ちょうど適当な本が出ているので、紹介したい。

それは、竹倉史人著『輪廻転生-私をつなぐ生まれ変わりの物語』(講談社現代新書)という本。単に、学者的で、抽象的な、輪廻思想の解説ではなく、その現代的意味を意識しつつ、実質的に、分かりやすく考察されている。特に、いくつかの観点から、輪廻思想のバリエーションが、要領よくまとめられているのがよい。

   
前に、一口に「輪廻転生」と言っても、その捉え方には、いくらかの違いがあって、その違いは、「自己」や「魂」の捉え方にも関わって来る、と言っていた。が、まさに、この本のまとめ方は、その点を考える前提として、参照するのに、とても適しているのである。

著者は、輪廻転生のバリエーションを、次の3つに分けて、まとめている。

1つは、「輪廻」よりも、「生まれ変わる」という「再生」に重点のかかった、「再生型」。これは、特に、未開社会に顕著に行き渡っているものだが、日本にも、仏教を受け入れる前、さらにその後も、基本として、根強く残っているものである。

2つは、典型的な「輪廻型」。これは、古代インドに特に起こったもので、「生まれ変わり」ということよりも、「輪廻」を全体として苦と捉え、「解脱」することを目指す方向にある。

3つは、「リインカネーション型」。これは、特に、一旦、「輪廻」の発想を全否定した西洋近代において、近代的自我の発想を通り越したうえで、新たに、受け入れられた「輪廻思想」ということである。「輪廻」を通して、「個的な魂」が、成長したり、進化するという発想を伴う。

日本は、元々は(縄文以来)、1の「再生型」であったが、仏教を通して、2の「輪廻型」の発想も入り、また近代以降は、3の「リインカネーション型」の発想も入っている。つまり、3つの発想が混交している。しかし、多くの場合、「輪廻転生」ということには、1の「再生型」の発想が浸み渡っていると思う。それは、「輪廻転生」がもしあるなら、それを苦としてではなく、「生まれ変われる」のだから、好ましいこと、と受け止めるだろうことからも分かる。また、「祖先(祖霊)」や「自然」に融合しつつ、「生まれ変わり」を遂げるという発想が、伝統的に行き渡っていることからも分かる。

このように、「再生型」では、一応、「誰が誰に生まれ変わった」ということが意識されるようだが、生まれ変わりの「主体」として、明確に「個的な実体」のようなものが、想定されているわけではない。たとえば、一つの「魂」が、多くの人物に分かれて生まれて来たり、日本の場合もそうといえるが、霊界に「祖霊」として存続しつつ、その中から、一つの「魂」として、この世に生まれ出て来たりする。

一方、「輪廻型」では、「輪廻」を通して再生を繰返す、「個的な実体」のようなものが、はっきり意識される。ウパニシャドでは、それは、「アートマン」(霊魂)とされ、「不変の実体」とされた。しかし、ブッダは、「アートマン」を「不変の実体」としては否定し、輪廻の主体は、「業」(カルマ)であるとした。そして、「アートマン」とは、「五蘊」という、「縁起」で寄り集まる、仮のものに過ぎないとした。いわゆる「無我説」である。

最後の「リインカーネーション型」は、「スピリチュアリズム」を通して、西洋世界にも、徐々に浸透し始める。「神智学」や、シュタイナーの「人智学」も、その延長上にあるといえる。「輪廻型」同様、「輪廻」の主体として、「個的な実体」を認めるが、その「解脱」を目指すのではなく、それが「輪廻」を通して、「成長」または「進化」するというように、肯定的に捉え返されているのが特徴である。

今回は、ざっと簡単に、振り返ってみただけだが、このように、輪廻の捉え方は、「自己」または「魂」の捉え方と、大きく関わること。そして、それは、容易ならざる問題を孕んでいることは、分かってもらえただろう

さらに、この本では、最近の「輪廻転生」に関する、「科学的」な研究もとりあげられている。たとえば、イアンスティーヴンソンの、「前世記憶」の研究や、ブライアン・ワイスの、「前世療法」の研究などである。それらは、輪廻転生の存在を「証明」しているとは、もちろん言えないが、少なくとも、そう解することに十分の論理的理由があることは、明らかにしている。

つまり、現代においては、もはや「輪廻転生」を一概に「否定」はできないわけで、それを何と捉えるかはおいても、死を超えて存続する何ものががあり、それが、新たに特定の人物として、「生まれ変わる」という可能性を否定できないのであるだから、それを通して、「自己」や「魂」について、改めて捉え返すことも、現実的な意味において、必要になっているということである

いずれ、こういった問題について、記事で改めて考えようと思うが、もしこの問題に興味を持ってもらえるなら、この本ぐらいは、是非読んでおいてもらいたいと思う。

もう一つ、最近出ている本で、「前世記憶」に関わる、興味深いものがある。それは、池川明著『子どもは親を選んで生まれてくる』(中経の文庫)という本で、著者は、産婦人科医である。初め、「胎内記憶」に関する研究をしていたが、その中に、「前世記憶」や、生まれ変わる直前の、霊界での「中間世記憶」を語る子供たちがいることを、身をもって体験し、その具体的な例を多くとりあげている。

どのような「人生設計」のもとに、どのように「親を選んで」生まれてくるかなど、具体的に語られる子どもの話は、かなり衝撃的なものがある。

先の本では、まだ抽象的な論議に感じられたかもしれないが、こちらは、本当に身近で、身につまされるような話が多いので、より興味を惹くものがあるかもしれない。是非、こちらも参照されたい。

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