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2015年6月 2日 (火)

長期化させる要因

前回みたように、「統合失調」は、共同体による、集団的な理解と治癒の方法を失って、本来一過性の現象であるものが、継続的なものへと追いやられたのだった。

そのように、「共同体による集団的な理解と治癒の方法を失った」というのが、「統合失調」を「長期化」させる要因としては、直接のものである。ただ、そのことの具体的な現れは、さまざまであるとともに、近代以降の複雑な社会の中で、それには、さまざまな要因が加算されてもいる。

そこで、それらの具体的な要因について(これまでにも何度も述べて来ていることだが)、この機会にいくつかまとめておきたい。

これは、とりあえず、「外的要因」と「内的要因」に分けられる。

外的要因

1 周囲との葛藤、軋轢

「共同体による理解と治癒」を失ったということは、周りの者に理解されなくなったということであり、治癒に向けた環境や場を失ったということでもある。これは、要するに、周りの者から、訳の分からないものとして、怖がられ、忌避されるようになったということであり、それは、本人にとってもまた、迫害の意識を強めるものになったということである。さらに、そこから、互いに、さまざまな葛藤や軋轢を生むものとなったということであり、このような状況が、本人の状態を悪化させないわけがないのである。

2 「病気」というレッテル貼り

前者とも関わるのだが、こちらは、このような本人の状態を、「病気」としてレッテル貼りすることによって、殊更生じるもののことである。それが、わけの分からないもので、恐れられ、忌避されるものという実質は何ら変わらない上に、「病気」というレッテルが貼られることで、ますますマイナスのイメージに固定される。それは、当然に長期的な「治療」の対象となり、社会の防衛のため、長期間精神病院へ「隔離」することが正当化される。このような「見方」そのものが、いわば、初めから、「治癒」という可能性を排除するものとなっている。また、そのような「処遇」そのものが、本人をますます絶望的にさせ、回復から遠ざけ、本当に「病気」という状態へと追いやっていくことにもなる。

3 病院という劣悪な環境

治癒が働くには、それなりに心地よくリラックスできる環境が必要である。ところが、「病者」は、狭く、過酷な環境に閉じ込められ、虐待まがいの、非人間的な扱いを受けて日々を過ごす。そのような環境で、治癒どころか状態が悪化しないはずがない。実は、世間から隔離された状態に置くということ自体は、環境条件や扱い次第では、プラスに働く余地がある。1の周囲との葛藤や軋轢を避け、自分に起こっていることとじっくり向き合う環境を提供できるからである。ところが、そのようなことも、劣悪な環境の病院では、期待できないのである。

4  投薬による撹乱、慢性化

精神薬は脳に働きかけ、起こっている事態を撹乱させる。本来、一過性で終わり得るものも、予測のつかないものに変えられる。本人にとっても、一体自分は、起こっている現象そのものに向き合っているのか、薬の作用に向き合っているのか、分からないものになる。たとえ、精神薬が一時的に鎮静に成功したとしても、それは、何らの解決ではなく、結局は、事態を「慢性化」させるに過ぎない。そればかりか、事態に向き合ったり、対処したりする意欲や能力そのものも減退させてしまうのは、致命的である。既に、2の「病気」というレッテル貼りと3の病院という環境が大きなダメージになっているところに、精神薬は、いわばとどめの役割を果たす。

5  化学物質、食物などによる脳神経の阻害、脆弱化

脳神経の阻害や脆弱化が、統合失調の状態を招く基盤となり、あるいは悪化させたり、耐久力や対処する能力を減退させて、長期化させる方向に働くのは言うまでもない。これには、先天的な性質としての問題もあるが、化学物質や食物による影響も、近代、特に産業革命以降、飛躍的に付け加えられた事態である。これは、「発達障害」の要因となるだけでなく、「統合失調」を長期化させる要因としても無視できないはずである。

内的要因

1 社会との軋轢、生き方の行き詰まり

これは、外的要因としてみた、既に「統合失調」状態にあるときの、周囲との葛藤、軋轢というのとは別に、共同体が解体されて、切り離された個人と社会との関係の中で、社会にうまく適応できない個人が、社会との軋轢や、生き方そのものを行き詰らせることで、孤立や荒廃に陥り、それが「統合失調」を招く大きな要因となると同時に、治癒の見通しの立たない、長期化の要因にもなるということである。共同体が解体されたことによって生じた、最も直接の要因といえる。

2  妄想の固定化

「妄想」は、「統合失調」の破壊的状況から、自我を護ろうとして起こる防衛反応なのだが、その固定化は、拮抗状態を長引かせ、結局その状態を長期化させることになる。その「妄想」とは、かつての「集団的理解」に代わるものとして、個人として、その状況で即席に作出された応急的な「理解」で、その意味でも、集団的理解が失われたことを引きずっている。また、「妄想」は、次の3の幻覚と現実の混同という事態から、否応なく生じるものでもある。

3  幻覚と現実の混同

多くの「妄想」は、起こっている「幻覚」を「現実」そのものと混同することから生じている。近代以降、「現実」とは「この世的」、「物質的」なものに一元化されて理解されたために、「幻覚」を、それとは別の「現実」と理解する余地がなくなった。すなわち、「幻覚」は、全くの「非現実」か、そうでなければ、「この世的」、「物質的」な「現実」そのものと混同されるしかなくなったのである。そして、多くの場合、実際の「幻覚」の「現実的」な性質に囚われて、後者となってしまう。「現実」の次元そのもので捉えられた「妄想」は、ますます周囲との葛藤や軋轢を強め、事態を悪化させる方向に働く。このような結果は、近代以降の新たなものの見方の反映であり、それが、「統合失調」を長期化させる大きな要因ともなっているのである。

こうみてくると、「統合失調の長期化」ということは、近代以降の社会システムと密接に関わることで、その根本的見直し抜きには、解消されることの期待できるものではないことが分かる。しかし、そのような流れは、現在、徐々にではあっても、確実に起こっていることではあるし、そのシステムの中で作り出された「統合失調症」の「虚構性」ということを、本当に理解するならば、前回述べたように、本来の「一過性の現象」を取り戻す方向に進むことは、可能のばずなのである。

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